1章 エフェソ書簡の作者と年代
■作者と年代
この書簡が使徒のものでないことを最初に表明したのはE・エヴァンスンです(1792年)。このために、この書簡は「偽書」だと見なされるようになりました。しかし、A・ファン・ローンは、この書簡がパウロによって、同じグループの助けを借りつつ著わされたという結論に達しました(1974年)。これを支持して、パウロを著者とする説が現われました(1974年)。ちなみに、この書簡と比較される第一ペトロの手紙はパウロの同労者シルワノによると見なされています[フランシスコ会訳聖書第一ペトロの手紙解説]。また、この書簡を牧会書簡に含めるカトリックの間では、他の牧会書簡(第一テモテへの手紙/第二テモテへの手紙/テトスへの手紙)は、偽書説と真正説の両方の可能性を認めています[フランシスコ会訳解説]。プロテスタント系では、この書簡はコロサイ人への手紙と同様に「パウロ系」に含まれていますが、著者については、パウロによる真正説と偽書説のどちらも可能だと見ています〔岩波訳『パウロの名による書簡/公同書簡/ヨハネの黙示録』解説〕。
したがって、この書簡をパウロとその同労者たちに帰するのか、それとも使徒時代以後の90年代に帰するのか、現在ではこの両説があります。わたしは、先に、コロサイ人への手紙がパウロとエバフロディトスとの合作ではないか、と指摘しました。今回のエフェソ人への手紙についても、パウロが、おそらくはローマから、ティキコとの合作でこの書簡を書き、ティキコを通してエフェソ地域(コロサイとラオディキアを含む)の信者たちに送ったと考えています[フランシスコ会訳聖書エフェソ人への手紙解説を参照]。パウロの真正書簡とエフェソ人への手紙との用語や文体の差異も内容的な発展もこれで説明できます。
ティキコは、エフェソを中心とするアジア州の出身で(使徒言行録20章4節)、パウロは彼をコロサイの信徒たちへ派遣しています(コロサイ4章7〜9節)。パウロはその晩年にローマで囚われの身になりますが、その頃、ティキコをエフェソへ派遣しています(第二テモテ4章12節/ただしテトス3章12節も参照)。「エフェソ」とは言うものの、実際はアジア州のコロサイやラオディキアの諸集会をも含むのでしょう。コロサイ4章7〜9節とエフェソ6章21〜22節の両方にティコがでていて、コロサイ4章8節とエフェソ6章22節は、ほぼ同じ表現です(これをコロサイ人への手紙から採り入れた虚構と見る説がある)。また、エフェソ人への手紙は、コロサイ人への手紙に遅れて、同じパウロのグループの誰かが、90年頃にローマから(?)エフェソに宛てて書いたという見方もあります。
以上をまとめるとエフェソ人への手紙の作者とこれの執筆時期には、三つの可能性が考えられます。筆者(私市)は(2)の説を採ります。
(1)パウロがエフェソに滞在中(53年頃)、コロサイ人への手紙と同じ頃にティキコと合作でこの書簡をラオディキア、コロサイ、ヒエラポリスの諸集会に送った。
(2)コロサイ人への手紙よりも遅く、パウロの晩年に(62〜63年頃)、ローマからティキコと合作でこの書簡を書き、彼を通してエフェソ地域の諸集会へ送った。
(3)90年代に、パウロ系の誰かが、コロサイ人への手紙をモデルにしてエフェソ人への手紙を(偽書として)著わした。
■受け手の状況
この書簡がパウロのローマ滞在中の61〜63年頃だとすれば、信徒の間で、キリスト教とユダヤ教と様々な異教の哲学が混淆し、しかもヘレニズムの都市の不道徳な生活になじむ危険が生じたようです。この書簡は、キリスト教徒に、キリストにあるエクレシアの有り様を説いて、信徒の自覚をうながす目的で著わされたと見ることができます。諸集会の場所はエフェソとその東方に位置するリュコスで、そこは大小の盆地が連なる地帯で、ラオデキアとコロサイとヒエラポリスが、20キロほどの正三角形を形成しています。エフェソ人への手紙は、コロサイ人への手紙をすでに知っている諸教会に宛てられていて、それらの教会で朗読されるために書かれています[フランシスコ会訳エフェソ人への手紙解説]。
■内容の特徴
この書簡ではエクレシアが方向づけられていますが、それは、ユダヤ人キリスト教徒と異邦人キリスト教徒が一つになるためのパウロ的な「知恵の奥義」(ローマ11章33〜36節)を背景にしています。十字架の贖いによる「義認」の信仰をパウロ神学の核とすれば、エフェソ人への手紙には2章8〜9節にこれの反映を見ることができます。しかし「律法か信仰か」というパウロ的な問題意識は感じられません。またユダヤ人と異邦人との間の敵対意識も存在しないようです。エフェソ人への手紙では、十字架が2章16節にでてきますが、これはコロサイ1章20節に依存しているのでしょう。むしろ、イエス・キリストの復活と高挙と、現在、神の右に座して宇宙と教会を支配するキリストがこの書簡の中心です(1章20〜23節な/2章4〜7節)。キリストとエクレシアの交わりが夫と妻の交わりと類比することを明確にしていることも注目されます。また、宇宙的なキリスト論を基礎づけるのは、「真理は<イエスの内に>存在している」(4章21節)ことです。この「イエスにある真理」がキリスト教徒になって以来「聴かされ教えられてきた」とあるのが注目されます。教会論について「キリストのからだ」という考えはパウロから出ていますが、キリストが教会の頭であるとう概念はコロサイ人への手紙によって導入されたもので、これがエフェソ人への手紙においてより明確にされます。