ローマ書簡の霊性(2)
ヘレニズムとヘブライズム
■アジアの王権とヘブライの宗教
ヘレニズム時代のユダヤ教について大事なことが二つあります。
(1)エジプトのアレクサンドリアで、ヘブライ語の聖書がギリシア語に訳されたことです(前3世紀〜前1世紀)。これによって、ユダヤ教は、ヘレニズム世界全体に広がる大事な足がかりを得たことになります。この七十人訳が、ユダヤ教だけでなく、その後のキリスト教にとっても大事な意味を持つようになるのは言うまでもありません。
(2)二つ目はユダヤ教とローマ帝国の権力との関係です。これは重要で、複雑で、難しいです。ごくおおざっぱですが、以下に幾つかの項目に分けて説明します。
〔人類の宗教性〕
事は人類と宗教の発生にまでさかのぼります。人類は、家族や部族などの共同体を形成して、相互に競い合い闘い合うことで、食糧の確保などの生存競争を続けてきました。この場合大事なのは、共同体内の固い結束と、外敵と闘うための闘志とこれを支える「暴力」です。家族や部族同士の闘いでは、それぞれが、自分の家族や部族の先祖と、これを支える「カミ」を崇拝することで、先祖とカミから霊感と闘いの力が授与されると信じることで力を得ました。だから闘いに臨(のぞ)む前には、必ず共同体の結束を固める儀礼を行ないます。このように、人類の「宗教性」には、自己の属する共同体のためなら犠牲をも厭わない相互信頼と結束、これと対応して、敵対する異教徒の部族や民族に対する強い憎悪に支えられた闘志とが、表裏一体になって形成されます。「宗教」に潜むこの相互信頼と敵対意識の二面性こそ、人類の宗教性に具わる特徴です。ここで言う「宗教」とは、人を救うための「宗教」のことではありませんから注意してください。「宗教する人」(homo religiosus)(ホモ・レリギオースゥス)とは、人類学的な概念です。だから「宗教」の意味を区別してください。
〔古代王権〕
親族から部族へ、部族から民族へと共同体が広がると、これら全体を統一する王権が成立します。これがメソポタミア、エジプト、中国、インダスで成立する古代王権であり、これに支えられた古代都市国家の文明です。古代王権の特徴は、「国家のカミ」を祀ることで、その儀礼を通じて国家~の霊力と権威が国王に授与されることです。だから国王は神的な権威を帯びて民に絶対の服従を求め、王の権力に逆らう者はカミに逆らう不義不忠な国賊になります。古代王権国家では、「オカミ」による宗教と政治は一体の「政」(まつりごと)です。
ところで、四大文明を見てすぐ分かることがあります。それはこれらすべてが、パレスチナとエジプトより東の東洋に属することです。メソポタミアの都市国家の諸王朝、古代エジプトの王朝、中国の殷王朝と周王朝、古代バビロニア王朝、アッシリア帝国、新バビロニア帝国、ペルシア帝国、中国の秦王朝、古代インドのマウリア王朝、クシャーナ王朝など古代王権とこれを権威づける「宗教」は、東洋で発達したのです。ただし、インドのバラモン教と釈迦以後のヒンズー教の国家では、宗教的な権威と王権とは一体でなく、相互補完的な関係にあったようです。
〔イスラエルの宗教〕
アブラムがそこから抜け出たと伝えられる都市「ウル」は、シュメール人によるメソポタミアの古代ウル第一王朝(前2700年?〜2500年)時代のものです。ウルも古代王権の都市国家でした。アブラムは、古代のセム系のエール神を信じていましたが、彼は「エール・シャダイ(全能の神)」(創世記17章1節)を信じて「アブラハム」となることで、それまでのどの王権も到達したことがない高度で超越的な~信仰へ到達しました。アブラハムの神観の大事なところは、神の超越性と同時に神と自己との深い人格的な交わりの親(ちか)しさです。アブラハムは、この神と「契約を結ぶ」ことで(創世記15章)、「超越と親しい交わり」という矛盾する両面を具えている神信仰へ到達することができたのです。これが「アブラハムの子」であるユダヤ=キリスト教の特徴です。
アブラハムの神は、その子イサクからヤコブを通じてイスラエル十二部族の神となり、これがモーセの神「ヤハウェ」となり、イスラエルの民による出エジプトの出来事が起こります。モーセによるイスラエルの神は、それまでのどの王権国家も及ばない「隣人愛」に基づくイスラエル共同体を結成しました。モーセの十戒は、古代国家を超えて人類全体に今もなお有効な高い倫理性を帯びています。十戒の倫理性と隣人愛を具えるイスラエル共同体を象徴する儀礼の「しるし」が、アブラハム契約にさかのぼる「割礼」です(創世記17章10節)。神との契約とこれを証しする割礼の儀礼によって、イスラエルの民は、古代の王権国家群の中にありながら、神々の王権を超越する~観によって王権を絶対化せず、あらゆる偶像礼拝を拒否し、モーセ律法による高度な倫理性による共同体を形成します。しかし同時に、モーセの共同体は、宗教的に際立った厳しい排他性を帯びていたのも事実です。異教の偶像を拒否し、モーセ律法を遵守し、割礼の儀礼に守られたイスラエル民族は、先に指摘したように、共同体の内と外を峻別(しゅんべつ)する「人類の宗教性」を最も純粋な姿で体現していたのです。
■ギリシアの民主主義とローマ帝国
〔ギリシアの民主主義〕
人類の部族同士の闘いと部族内の結束は、ギリシア・ローマでは、オリエント(中近東)を含む東洋とは異なる形態を採ることになります。ギリシアは、山岳地帯に数多くの小さな都市(ポリス)が存在する地域でした。だから、限られた食物を得るためにポリス同士が絶えず闘い殺し合わなければならなかったのです。ポリスが誕生した直後の前700年頃、ペロポネソス半島の西部にあるオリンピアの王イフトスは、アポロンの宣託を受けて、都市同士の戦争を避けるために、4年ごとにオリンピック競技会を開催することを提示して、オリンピックの期間だけは戦争を避ける聖なる期間と定めました。巨大なゼウス像を祀る神殿の前で、戦争を公正な競技に移し替えて、競技に参加する男性は必ず裸で平等な条件で「競い合う」ことを円盤を献げて誓いました。これが、「戦士」を「選手」に変える「ギリシアの平和」を保つやり方で、オリンピックは1200年もの間続けられたのです。
オリンピアの誓いで大事なことがもう一つあります。それは、選手は体力だけでなく、いかにして勝つかを考える「理性をも鍛える」ことでした。だから、ソクラテスもプラトンも考える力だけでなく、体力をも重視したのです。ギリシア人は、暴力と武力による「闘い」に代えて、相互に対等に理性を駆使して「論じ合う」という手法を考えだしたのです。これがギリシアの「民主主義」の始まりです。このための議論を支えるのがギリシア的な「弁論術」であり、理性を駆使して「議論を闘わせる」ことで、勝負をつけようとしたのです。これを支えるのが「論理」(logic)です。だから、論じ合う理性の働きとそこから紡ぎ出される論理は、ほんらい「闘いに代わる」ものとして「勝負」を決める働きをします。論理に基づいて議論を闘わせるこのオリンピック的な思考は「理論武装」という言葉にその特徴がよく表わされています。
体力と武力で競い合いを鍛える都市スパルタ、議論を闘わせて勝負を競い合う都市アテネ、貿易とビジネスで競い合う都市コリントが、ギリシアを代表する三大ポリスでした。しかしながら、オリンピックも議論も自由なビジネスも、個人や集団同士の争いや闘いを「なくす」ことはできません。競技大会や議論による話し合いは、「停戦期間」を保証するだけで、恒久の平和をもたらすことはできません。これがギリシア人の競技大会と議会制民主主義が人類にもたらした「最善ではないが、これしかない」人間理性の到達点であり、その限界です。ついでに、このようなギリシア的な思考から発達した現在の自然科学も、その本質において、宇宙と自然と人間同士が「競い合おう」とする点では変わりません。科学は人に幸いだけでなく、競い合いという「わざわい」をももたらすのです。
〔ヘレニズム世界の東西交流〕
しかし、東西のこの状勢は、アレクサンドロス大王の東方遠征によるヘレニズム世界の成立によって、違った様相を帯びることになります(前4世紀末頃)。通常、ヘレニズム世界は、ギリシア的な思想や制度が東方世界を征服したかのように伝えられています。しかし、こういう見解は事の半面しか見ていません。大王は、ペルシア帝国を征服してから、東方のペルシアの王宮に初めて接することで、帝国の壮麗さに驚き感銘を受けて、ペルシア帝国の王権思想に感化されるようになります。大王亡き後、大王の王国は三分割されますが、どれも王朝思想を受け継ぐことになります。このため、捕囚期以後のユダヤは、ギリシアのセレウコス王朝から厳しい弾圧を受けますが(前2世紀)、マカバイ戦争によって、強制された偶像礼拝を跳ね返し、エルサレム神殿の神聖を守ります。
ところが、ヘレニズム世界を通じて、東方の宗教的な絶対王権思想が、今度は逆にローマ帝国にもたらされることになります。「当時、東方ヘレニズム・オリエント地方からローマ市への流入者たちは、東方からの思想、宗教、祭儀、占星術等々をローマ市に持ち込んでいた」〔大澤武男『ユダヤ人とローマ帝国』講談社現代新書35頁〕のです。アレクサンドロス大王のヘレニズム世界は、東方をギリシア化すると同時に、西方の共和制ローマに帝政をもたらすという二重の働きをしたことになります〔Yubal
Noah Harari. Sapiens: A Brief History of Humankind. Vintage (2011)219.〕。心あるローマの市民たちは、「自由なローマ人が、専制君主の支配に屈する凶兆」をそこに見ました〔シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』1幕2場31行以下〕。
言葉と理論に武装されたギリシア的な「理性」の思考様式は、ユダヤ教を支えるヘブライの宗教的な思考様式、すなわち神からの「義と恩恵」を授かるための「霊的な知恵」の働きとは本質的に異なるものです。しかし、東方の王権帝国も、西方の民主的な理念も、ユダヤ人の宗教性も、民族や国同士の争いや戦争の根を断って、人類に恒久的な平和をもたらすことができませんでした。
〔ユダヤ教と帝国支配〕
ユダヤがギリシア系のセレウコス王朝からの迫害と闘っていた時、マカバイたちは、当時ギリシアの西方で版図を広げていたローマ共和国と手を結びました。ギリシア系の王朝を東西から挟み撃ちにする計画だったのです。こういうわけで、ユダヤとローマとは同盟関係にありましたから、ユリウス・カエサル(前110年〜前44年没)は、安息日や割礼などを含むユダヤの宗教を認め、エルサレムの神殿制度を公認し、エルサレムの城壁を許可していました。ヘロデ大王(在位前40〜前4年)は、元老院からローマ公認の「ユダヤの王」として認められていたのです。
ところが、ローマが東方の帝国主義を採り入れてオクタヴィアヌスが帝位につくと(前27年頃から)、皮肉にもユダヤ教がそれまで苦しんできた当方帝国の「神の子」王権とユダヤ教の衝突が、今度はローマにおいて再現し始めます。最初の兆候は「ヘレニズム風の皇帝神格化の妄想に取り憑かれた」と評されるローマ皇帝ガリグラ(在位37〜41年)で、彼の淫蕩な宮廷の様子は映画にもなっています。彼は自分を「ユピテル」と称して皇帝崇拝を強要したためにユダヤ人の反発を受け、この事件がパレスチナに「熱心党」(ゼロータイ)と呼ばれるユダヤ過激派を勢いづかせることになり、後のローマとユダヤとの「ユダヤ戦争」の発端になったと言われています〔大澤前掲書64〜70頁〕。次はキリスト教徒を迫害したネロ皇帝(在位54〜68年)で、彼は、カイサリアでギリシア系市民とユダヤ人とが衝突した時、ギリシア系市民に有利な判定をしてユダヤ人の反感をかっています。この皇帝が派遣したユダヤの代官フロールス(在位64〜66年)は、ユダヤで「強奪と暴政の限りを尽くした」結果、ついにユダヤ人の反乱を招きました〔大澤前掲書75頁以下〕。ネロの王権はパウロの伝道の後半期にあたります。
パウロ以後ことになりますが、ユダヤの反乱は、ウェスパシアヌス皇帝(在位69〜79年)とその息子ティトゥスによって鎮圧され、ユダヤは滅び、エルサレムは破壊されます(70年)。ティトゥスの弟ドミティアヌス帝(在位81〜96年)もユダヤ人に対して厳しい税を課し、異邦人がユダヤ教に改宗することを禁止しました。ハドリアヌス帝(在位117〜138年)は、ユダヤ人の割礼を禁じ(138年に禁止撤回)、エルサレムにユピテルの神殿を建て、完全なローマの植民都市アエリア・カピトリナを建設しようとして、ユダヤ人の最後の激しい抵抗運動を引き起こします。これが「星の子」と呼ばれるバル・コクバの反乱で、2年ほどはパレスチナでユダヤ支配が続きますが、ついに鎮圧され、ユダヤ人の国家は最終的に消滅します(135年)。
しかし、ユダヤ民族は、モーセの出エジプト以来、アッシリア、新バビロニア、ペルシア、アレクサンドロス大王と、王権との関係では長い伝統と経験を積んでいました。だから、エルサレムが滅亡するとすぐに、エルサレム西方のヤブネ(ヤムニア)に、過激派に反対するヨハナン・ベン・ザカイたちはユダヤ教の学院を造り、ファリサイ派による新たなユダヤ教の活動を始めました。この学院はローマ帝国に認められ、ハドリアヌスの時に一時中断されますが、その後ファリサイ派のガマリエル2世のもとで再開され、帝国から認可されます(90年頃)。こうして、ユダヤ滅亡以後の「ラビ的ユダヤ教」の時代が始まります。ローマによるユダヤ教への迫害はその後緩和されて、ローマ帝国の迫害はキリスト教のほうへ向かうことになります。
わたしたちはネロ帝やドミティアヌス帝やハドリアヌス帝をキリスト教の迫害と結びつけますが、これで分かる通り、ユダヤ教とキリスト教への迫害は常に並行していて、事の本質は東方起源のユダヤ=キリスト教に向けられた西欧の帝国による迫害であったことを知るのです。以後ヨーロッパでは、ユダヤ=キリスト教は「ヘブライズム」と呼ばれて、ギリシア的な「ヘレニズム」と並んで欧米の宗教と思想を形成することになります。欧米では、東方の専制的な帝国思想を軽蔑と敵意をこめて「オリエンタリズム」と呼んで、これを「ヘブライズム」から区別します。しかし、「ヘブライズム」は、ほんらいオリエント起源の宗教に根ざすことを見落としてはなりません。
■使徒パウロの課題
使徒としてのパウロの任務は「異邦人と王たちとイスラエルの民にイエスの名をもたらすため」であると告げられています(使徒言行録9章15節)。ヘレニズム世界の人たちとイスラエルの民、それに加えて「王たち」とあるのに注意してください。パウロこそ、帝王と王たちが支配するローマ帝国と、これが支配するヘレニズムの諸民族、そしてヘブライズムの起源となるイスラエルの民、これら両方に遣わされたイエス・キリストの使徒であることが、ここではっきりと明言されているのです。キリスト教の欧米世界を形成するヘレニズムとヘブライズムの二つの流れの出発点は、使徒パウロの伝道によって始まったのです。パウロのローマ人への手紙の本当の意義がここにあります。
今回私は、「出来事としてのパウロ」をお話しし、続いて、ローマ人への手紙にいたるまでに彼の身に起こった出来事を四つあげました。一つはイエスとの出会い。次はペトロとの衝突。次にガラテヤの教会問題。そしてコリントの教会問題です。もう一つ加えるとすればエフェソの騒動があります。この五つの出来事を踏まえた上で、パウロはローマに書簡を書き送っています。このパウロの書簡には、以後の欧米を形成し、今もなお支配しているヘレニズムとヘブライズムの相克とこれの調和を目指す道が示されているのです。
■宗教的霊知と科学的理性
ギリシア人は、互いに殺し合う戦争を避けるために、4年ごとにオリンピックを開催して、オリンピックの期間だけは戦争を避ける聖域期間としました。同じように、彼らは、暴力と武力による「闘い」に代えて、「論じ合う」という民主的な手法を考えだします。このための議論を支えるのがギリシア的な「論理」であり、それは「人間の理性」から発するものです。だから、論じ合う理性の働きとそこから紡ぎ出される論理も、ほんらい「闘いに代わる」ものとして「勝ち負け」を決める働きをするものなのです。
これに対して、イスラエルの思考様式では、「知る」「見分ける」は、基本的に、神からの好意/恩恵を得るために「知る」「洞察する」ことを意味します。だからこれは、相互の利害を闘わせる議論を支えるギリシア的な「論理/理性」の思考とは本質的に異なります。ギリシア的な理性は現在の自然科学の基礎となっていますから、科学的な理性の奥に潜むのも、実は敵と戦うための理論とこれを支える思考様式なのです。だから、ユダヤ教を支えるヘブライの宗教的な霊知、すなわち神から「義と恩恵」を授かるための「霊的な知恵」の働きとは本質的に異なります。
パウロはイエス・キリストの御霊にある「霊の実」と「悪徳」のリストをあげています(ガラテヤ5章19〜23節)。悪徳は、ほとんどが、そのままヘレニズム世界にも共通するものでが、ただ、「魔術/占星術」と「競い合い/競争心」だけが、ヘレニズム世界の美徳からヘブライの悪徳へと転位しているのが注目されます。
欧米の思想を支える潮流として「ヘブライズム」(宗教的霊知)と「ヘレニズム」(科学的理性)の二つが指摘されています。この二つの対立は、旧約の怒りの神と新約の愛の神を分離させたマルキオンに対して旧約と新約を統合したルカ文書、旧約聖書の並行法に対するラテンの論理的思考の間で悩んだヒエロニュムス、アレクサンドリアの主教キュリロスに対するアレクサンドリアの女性天文学者ヒュパティア(の惨殺事件)、神の国と恩寵の神学を説いたアウグスティヌスに対する人間の自由意志を主張したペラギウス、学識を重んじたベネディクトスに対する祈りによる体験を重んじたアッシジのフランシスコ、信仰のみを唱えたルターに対する人文主義のエラスムス、 絶対恩寵の神学者カルヴァンに対する自由意志論者アルミニウス、19世紀では進化論に対するキリスト教、現代では科学と対立する宗教などと、様々な対立の形で続いています。「欧米の」と言いましたが、ヘブライズムはほんらいアジア起源の宗教性から出ており、ヘレニズムはギリシア思想からのものです。
だからといって、ヘレニズム的な理性を切り捨てて、ヘブライ的な信仰だけに頼れと言うのではありません。宗教的な熱狂に陥るなら、かつてのナチスに見る民族主義の闘争に陥ったり、現実を無視した精神主義に陥ってしまいます。これでは、人類の争いも闘争心も消えませんから、真の問題解決に向けて「勝利する」ことができないのです。大事なのは、ヘレニズム的な理性とヘブライズムの宗教性を相互補完的な関係に変容させて、争い/闘争の根を断つことにあるからです。現在の人類の宗教の祖となった釈迦と孔子と第二イザヤは前6世紀の人たちで、3人とも東から西のアジアの人たちです。これに次いで、前5世紀にソクラテスが現われ、これにプラトンとアリストテレスが続きます。人類の宗教の祖と理性と自然科学の祖のこの現われ方は、象徴的で示唆深いです。
わたしたちは、ヘブライ的な宗教性をその起源である東洋にもう一度さかのぼらせて、例えば釈迦が探求したような無心と悟りの宗教性からヘブライズムを再検討しなければならない時に来ています。そうすることで、ヘレニズム的な理性を「霊的な知恵」へ変容させることです。これこそがイエスが告知した「命を創り出す」福音の働きであり、とりわけ、ヘブライズムとヘレニズムの両方を具えていたパウロに学ぶべきところです。「永遠の命を創り出す」御霊の愛と霊知をもたらす賜こそが、この業を行なうことができるからです(マタイ5章9節/第二コリント15章45節/ローマ5章14〜17節/第一コリント1章27〜31節/第二コリント2章13〜16節/第一コリント13章)。わたしたちがローマ人への手紙を読む意義がここにあります。(2016年8月)
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