(2)エフェソでのパウロ
■エフェソ
エフェソは、コリントに倍する大都市ですが、コリントとは異なり、ローマの植民都市ではありません。紀元前2000年頃からの古い宗教文化がとぎれることなく残っており、前11世紀にアテネの支配下に入りますが、さらに前4世紀からのマケドニアの支配、前3世紀からのセレウコス朝の支配を経て、前190年にローマの支配下に入ります。しかし、小アジアに勢力を維持した
サルディスを首都とするペルガモン王国のお陰で、ローマのエフェソ支配は間接的な統治だったと言えます〔Naci Keskin.
Ephesus. Ankara: Keskin Color Kartpostalcilik (2009).5.〕。この間、エフェソを含むアナトリアの宗教とその文化は、独自の個性を失うことなく連綿と続いていたのです〔Keskin.
Ephesus.3〕。エフェソの宗教文化は、遠くアマゾネス伝説にさかのぼります。女性だけの種族が、狩猟も戦闘も含めて一切の宗教的、文化的、社会的な生存を営んでいたというこの伝説は、アナトリアの南西に位置するエフェソの宗教文化の神話的な特徴を伝えるものです。それは、太母クババ崇拝に基づく母性社会であり、この点で、太母ヘカテからアポロ的な男性社会に早くから移行していたギリシア本土とは異なります。この点で、地中海を挟んで対岸にあたるエジプトのアレクサンドリアは、イシス女神の宗教的伝統を受け継いでいたから、エフェソと宗教的風土が近かったと言えます。
アナトリアのアマゾネスは、太母クババとなって受け継がれ、これが母神キュベーレ崇拝としてアナトリアからギリシア本土に伝えられます。しかし、小アジアの西岸一帯がギリシアに支配されても、エフェソへのギリシアの影響は政治と文化の比較的表層に限られていたから、「クババ」が「キュベーレ」と呼ばれるようになり、キュベーレがギリシアの女神アルテミス(ローマでは「ディアーナ」)に姿を変えても、エフェソの母性的な宗教風土は健全でした。その結果、ギリシア本土の「アルテミス」とは全く異なる「エフェソのアルテミス」が誕生することになります。
ギリシアの古代詩人ヘーシオドスが『神統記』で謳(うた)った「弓矢を悦ぶアルテミス」は、美少年のように端麗な面立ちで、手に弓を持ち背中に鏃(やじり)を負い、左手で鹿の角を抑えているすらりとした純潔な狩猟の女神で、今にも動き出しそうです。これに対して、
エフェソのアルテミスは、多数の卵のような乳房で胸部が覆われていて、顔立ちも厳かな生殖と豊饒の母神として立っています。今に遺るエフェソの遺跡には、通りに面してキュベーレの彫刻を施した門柱があり、郊外には、キュベーレの神殿も遺っています。
エフェソのこういう母性社会の宗教的霊性は、パウロの時代でも健全で、このために、包容力のある寛容な文化的土壌に支えられて様々の宗教が共存し、これらの頂点に
エフェソのアルテミス神殿が君臨していました。その神殿たるや、コリントのアポロン神殿が二つ向かい合わせに建っているほどの壮大さで、見る者を圧倒させました。傍らには広い池があって、神殿の美しい姿を映し出していたから、「世界の七不思議の一つ」と呼ばれました。エフェソのユダヤの会堂は、こういう宗教的な風土の中で、唯一神教を守りながらも、パレスチナのユダヤ教とは異なり、異教的霊性には比較的寛容だったようです。二つの大通りが出会う市街の中心部に、二階建ての石柱の門構えの壮麗な
ケルススの図書館が威容を見せています。この図書館を起点に、クレテス通りがまっすぐ延びていて、これに沿って皇帝の神殿などが建ち並んでいます。ユダヤの会堂は、この図書館に隣接していたようで、七つの燭台を刻んだ
石碑が、今も図書館前の広場に建っています。ただし、この図書館が建てられたのは117年ですから、パウロの頃にはまだ存在していません。ユダヤ人の会堂が一等地にあるのは、
サルディスでも同様ですから、エフェソの会堂も、パウロの頃に、すでにそこにあったと思われます。彼らの地位がどれほど高かったかは、大劇場の中央に近い座席の石に「神を敬うユダヤ人の席」と刻まれているのを見ても分かります。ローマの劇場は、単なる娯楽施設ではなく、そこに集まる人たちは、それぞれの身分に応じて座席が決められていたからです。座席は、特等席の総督の座を中心に、身分階層ごとに扇形に決められていましたから、観劇は同時に、それぞれが占める社会的身分を座る人々に確認させる大事な政治性を帯びていたのです。こういう宗教的な環境では、イエス・キリストの聖霊も、地元の神々の精霊も、切れ目なくつながって宗教とも魔術ともつかない独特の霊的環境が保持されていたと思われます。
■エフェソでの伝道
わたしたちは、使徒言行録に描かれているパウロたちのエフェソ宣教をこういう宗教環境の中に置いて見る必要があります。使徒言行録がその19章で描くパウロは、目覚ましい霊能の人です(11~20節)。エフェソのユダヤの会堂は、同じユダヤ教の一派と目される「イエス・キリストのメシア教」を快く迎え入れてくれたようです。パウロの伝えるイエス・キリストの聖霊は、ここでは、その霊能を遺憾なく発揮して、癒やしを始め「他宗教に類を見ない」(使徒19章11節)力ある業が次々を起こり、イエス・キリストの「聖霊運動」は、ユダヤ教徒と異教徒の区別なく急速に広まったのでしょう。わたしたちは、ここに、パウロ書簡とこれに基づく現代のパウロ神学では先ずお目にかかることがない霊能のパウロに出会います。病める者を癒やし悪霊を追い出すパウロは、ここでは「エフェソのイエス」です(ルカ13章32節)。おそらく、パウロたちのこの目覚ましい霊能ぶりに触発されたのでしょう、スケワというユダヤ教の祭司の息子たちまでが、パウロの真似をして、「イエスの名で」病気癒やしと悪霊追放をやり始めるのですが、これが裏目に出て、退治するはずの悪霊に自分たちのほうがさんざんな目に遭うという喜劇が生じることになります(使徒19章14~16節)。エフェソは、魔術の中心地だったようですが(同19節)、宗教か魔術かの区別も判然としないまま、イエス・キリストの聖霊とユダヤ教の神の御霊とその他の宗教的霊能と迷信的な精霊が、相互に増幅し合いながら民衆を動かしている様子が読み取れます。「信じた(「信じていた」とも読める)多くの者たちが、(それでもまだ)魔術を行なっていたと告白した」(18節)とありますが、これの裏を返せば、キリストに入信した者たちでも、従来の「精霊信仰」を捨ててはいなかった実態にルカがはたして気づいていたかどうか〔Hans Contzelman.
Acts of the Apostles.Fortress Press(1987). 164〕。とにかくこの運動のインパクトは相当なもので、このために、パウロたちは、コリントなどの他の都市で体験しなかった異教徒たちからの激しい反対運動に曝(さら)されることになります。
■エフェソ騒動
異常なまでの御霊の働きは、ついにエフェソの銀細工人に危機感を与えたようです。彼らは、このままでは、アルテミス信仰もその神殿も、遠からずイエス・キリスト信仰に取って代わられることを「的確にも?」予知したのでしょうか。銀細工人は、アルテミス神殿の銀製の模型を作り、人々はこれを仏壇のように家に持ち帰って拝むことで、女神の御利益に与ろうとしていたですが、デメトリオという銀細工職人のお頭(かしら)が、同僚の職人たちを煽動して、パウロたちの「キリスト」に反対運動を起こしたのです(使徒19章25~27節)(53年の夏?)。彼らは、パウロ一行の仲間たちから、おそらくデルベ出身のガイオ(使徒20章4節)とテサロニケ出のアリスタルコ(使徒20章4節/同27章2節)をとらえて、市民集会を開こうと劇場に連れて行きます。パウロもそこへ飛び込もうとしますが、事態が悪化するのを心配したアジア州の宗務長官(アシアルケース)が、彼を思いとどまらせます。ユダヤ教とキリスト教の区別がまだないとは言え、ユダヤ人もパウロたちと共に敵(かたき)にされたのは、この騒動の根が案外深く、母性的な宗教社会とユダヤ=キリスト教の父性的な宗教性との対立が背後に潜んでいるのをうかがわせます。ルカの描き方はまだ穏やかで、実際は、パウロたちは、吠えかかる野獣のような連中の前で、ネロ皇帝の犠牲者のように今にも「食い殺され」そうな身の危険を覚えたとコリントに書き送っています(第一コリント15章31~32節/第二コリント1章8~10節)。パウロの頃の小アジアでは、ローマ皇帝の宗教的権威も、徴税を確保するための政治手段ですから、治安を旨とした市の書記官(グランマテウス)までが、何とか事態を治めようと出てきて、ようやく事が治まります。このあおりで、パウロは、一時、市の郊外の丘の上にある牢獄に幽閉されますが、市民権が功を奏したのか、間もなく(夏の終わり頃に)釈放されます。
エフェソには、パウロたちだけでなく、その後、ヨハネ共同体も、パレスチナから移住してきたと考えられます。エフェソの遺跡の東方にある丘の上には、
聖ヨハネ聖堂の遺跡があります。ヨハネ共同体は、ここで礼拝を行っていたのでしょう。5人もの「ヨハネ」が眠ると伝えられる
墓が遺っています。伝承によれば、使徒ヨハネが、パレスチナの迫害を逃れてイエスの母マリアを伴ってここを訪れたとあります。「偉大なエフェソのアルテミス」は、イエス・キリストに取って代わられますが、後のエフェソ公会議(431年)で、イエスの母マリアに「神の母」(テオトコス)の称号が認められることで、ここが正式なマリア崇拝の発祥地になります。クババは、アルテミスに変容し、それがさらに変容して?、ついに「聖母マリア」となってよみがえったことになります。
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