(3)ガラテヤ教会の問題

 パウロがエフェソにいた頃、すでにガラテヤの教会には、エルサレムあるいは北シリアのアンティオキアから派遣されたユダヤ人キリスト教徒たちが潜入して、ガラテヤ教会の異邦人キリスト教徒たちに、割礼を含むモーセ律法の遵守を迫っていました。パウロは、エフェソを拠点にして、コロサイへエパフラスを派遣したり、フィリピやテサロニケの諸教会と連絡を取りあっています(52~53年)。エフェソの劇場での騒動で、一時、市街から離れた山上の牢獄へ幽閉されますが(フィリピ1章12~13節)、この年(53年)に釈放されたのでしょう。しかし、すでにパウロの幽閉中にも、シリアのアンティオキアから(?)派遣されたユダヤ人キリスト教徒が、フィリピの教会にも(フィリピ3章2~3節)、そしてコリントの教会へも(?)潜入していたのでしょう。
 ここでわたしたちは、使徒言行録には全く描かれていないエフェソのパウロのもう一つの側面に触れなければなりません。パウロがエフェソに到着して本格的な伝道を始めていた頃(53年春?)、先に二度訪れていたガラテヤから「悪い知らせ」が、パウロのもとへ届きます。それまでは、パウロの伝える十字架のイエスを信じて、目の前に十字架のイエスが顕現するほどの御霊の御臨在に与っていたガラテヤの信者たちが(ガラテヤ3章1節)、エルサレムか、おそらくはシリアのアンティオキアから派遣されたユダヤ人キリスト教徒の教師たちに勧められて、ユダヤ教の割礼を受けようとしていることが伝えられたのです。ここで、イエスがユダヤ教の安息日制度と闘ったように、パウロもユダヤ教の律法主義と闘うことになります。せっかく授与されたイエス・キリストの「御霊にある自由」を離れて、ユダヤ教の律法の束縛に身を委ねようとする信徒たちを見殺しにはできません。十字架の恩恵と、そこから発する聖霊の働きだけが、愛と悦びの「真の自由」をもたらす。これがパウロの福音の本質です。律法を行なおうとする「人間の諸行」ではなく、十字架のイエスの御臨在だけが、人を救う「神からの義」をもたらすというのがパウロの信仰だからです。
  しかし、わたしたちは、ここで、「伝える」側のパウロやユダヤ人キリスト教徒の教師たちの視点から離れて、「伝えられる」側の視点からも、この問題を観る必要がありそうです。ガラテヤのキリスト教徒たちは、先祖から伝わる異教の偶像を捨てて、イエス・キリストを信じて改宗し、洗礼を受けた人たちです。これがどんなに大変なことか、日本人のわたしたちには十分察しがつきます。こうして、ようやくイエスの御霊の恵みに与ったと思うと、パレスチナからやって来た「本場の偉い先生方」が、パウロの福音だけではまだ足りない、ここからが肝心で、あなたたちは、(旧約)聖書のモーセ律法に従って、割礼を受けて安息日を守り、ユダヤ教の祝祭日(過越祭)を尊重しなければならない。こう教えられ、「なるほど、そうか」と納得して割礼を受ける決心がついた時に、突然エフェソのパウロから書簡が届いて、もしもあなたたちが割礼を受けるなら、キリストはあなたたちに無用になるだけでない(ガラテヤ5章4節)、せっかく与えられた聖霊の恵みさえ失うと警告してきたのです! ガラテヤのキリスト教徒たちは、さぞ驚きあわてたことでしょう。せっかく思い切って偶像を捨てて、唯一の「ユダヤの神様」の律法を遵法しようとすると、それはイエス・キリストの福音の真理に反する裏切り行為だと批判されたからです。ユダヤ教とキリスト教の区別もつかないこの人たちは、割礼を受ければ良いのか悪いのか? 安息日を守るべきか、守ってはいけないのか? モーセ律法の中の何をどれだけどう守ればいいのか?皆目見当がつかないのです。いったいどちらの先生に従えばいいのか? 困り果てたガラテヤのキリスト教徒たちは、パウロに向かってこう尋ねたかったでしょう。「いったい、わたしたちには、何が許されて、何が許されないのですか?モーセ律法に照らして何をすればいいのですか? してはいけないのですか? どうか、パウロ先生教えてください」と。
 そこでパウロは、イエス・キリストの福音とは、そもそもどういう原理・原則に基づく救いなのかを、すなわち「福音の真理」(ガラテヤ2章14節)を解き明かそうとガラテヤ人への手紙(53年春)を書き、律法と福音との関係を縷々(るる)説明するのですが(ガラテヤ2章15~21節/同3章15~20節)、残念ながらこれが、受け手のガラテヤ人にはどうも分かりにくいのです。最初に福音的信仰があって、その後で、これにモーセ律法が加わえられたのだから、律法は不要で福音だけが大事だと言われても、律法も福音も「両方とも」必要だと「本場の」先生たちに反対されたら、どちらが正しいかを見抜くのはガラテヤの異邦人にはとても無理でしょう。
 パウロは、この書簡を「このカノン(原理/規範/原則)」に従うなら、イスラエルの神からの祝福がある(ガラテヤ6章16節)と締めくくりますが、反対する先生たちとの狭間に立たされた信者たちには、パウロの「原理」がどうも届かなかったようです。これがもとで、パウロとエルサレム教会との間にも、深刻な溝が生じる心配をしなければならなくなります。
 ガラテヤ問題は、イエス・キリストにある御霊の福音をモーセ律法と関連づけて語ることの難しさをパウロに強く印象づけたと思われます。同時に、シリアのアンティオキアでのペトロとの衝突が、御霊にある罪の赦しと福音の自由に対する深刻な脅威となることも察知したようです。しかも、この頃すでに、シリアのアンティオキアから派遣されたユダヤ人キリスト教徒たちが、マケドニアにも潜入していた可能性があります。もしも彼らが、コリントの教会に入り込む事態になれば、ガラテヤとフィリピとコリントを結ぶ三角形が、パウロたちの宣教の拠点であるエフェソを囲むことにもなりかねません。だから、フィリピの教会が、パウロに援助資金を届けてくれた際に、パウロがエフェソの牢獄から書き送ったフィリピ人への手紙でも、御霊にある喜びと同時に「一つ御霊に導かれて心を合わせる」(フィリピ1章27節)よう勧め、「あの犬どもに警戒しなさい」(3章2節)と警告せざるをえなかったのです。
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