(7)強い人たち
 
 第一コリント人への手紙には、実に様々な御霊の働きが語られています。このために、この書簡の一貫性について、種々議論されているようです。中でも注目されているのが、「賢い人たち」(第一コリント4章10節/8章11節)と呼ばれるグループです。彼らを従来「異端者」呼ばわりする向きがあったようですが、ここで、パウロが言うのは、どうもそういう意味ではないようです。事は、どうやら、同じキリスト教徒同士の間で生じた分裂現象だと見るほうが適切でしょう。だからこそ、パウロは、この書簡で、一貫して「彼らのこと」を念頭に置いているのです〔Murphy-O’Connor, Paul . 280.〕。
 ところが、その「彼ら」の正体が、なかなか掴めません。問題は、「キリストの十字架を誇る神の知恵」と「この世の知恵」との対比(1章18節~2章5節)、「信仰に成熟した人の知恵」と「十字架が理解できない自然の人の思い」(2章6~16節)との関係にあります。従来、ここでパウロは、グノーシス的な異端の徒が愛用する「成熟/完全な知恵」という用語を取り込みつつ、これを逆に利用して、相手を攻撃していると見られてきました。ここには、ヘレニズム世界に流布していた密儀宗教の「秘義的な知恵」が背景にあり、パウロは、彼らの用語を用いつつ、その密儀宗教の霊性に反論しているというのです。
  しかし、2章1~5節では、「あなたがた」と呼びながら、6節で、パウロは、突然「わたしたち」へ移行します。だから、6節の「成熟した知恵」が、論敵の用語だというのはどう見てもおかしい。論敵と自分とを「わたしたち」と呼ぶのは不自然です。そうではなく、パウロは、同じ「わたしたち」キリスト教徒同士の間で起こった「もめごと」を解決しようとしている。御霊にあるキリスト教徒共同体のメンバーである「わたしたち」について語っている。こう受け取めるほうが自然です〔Thiselton, The First Epistle to the Corinthians. 229 -30.〕。だから、「もめごと」の原因は、霊的に「成熟した人」(2章6節)と、まだ「幼い者」(3章1節)との対比にあります。大人の成熟した知恵と、子供の未熟な思いこみというこの区別こそ、どうやら、コリントの教会のもめ事の一因のようです。実は、「成熟した人」と「幼い人」の区別とは、「知識」や「知力」のある/なしに関わることではなく、「十字架の下にあるがゆえに人の知恵によらない知恵」(1章30節)と「己の知識を誇る知恵」(3章18節)の違いにあることが、徐々に明らかにされます。
  いわゆる「霊的な知恵」には、当然、段階に応じた有り様がありますから、知恵の「高級」と「低級」の差から生じる対立や分裂は、パウロの時代に限りません。神学的・聖書学的な「知識を誇る」キリスト教徒たちと、単純に聖書を信じる「未熟で幼稚な」(?)キリスト教徒との間に横たわる亀裂が、キリストの共同体(エクレシア)を霊的に分断している状況は、現在もパウロの時代と変わらないのです。霊的な問題がややこしいことは、今に始まったことではないから、「事はそれほど単純でない」のは重々承知していますが、ここでパウロが問題にしているのは、突き詰めるとそういうことのようです。言うまでもなく、ここには、コリントの教会を構成するメンバーたちの社会的な身分や教養の程度の開きなど、この教会特有の事情もあります。
 「知的な成長組」には、アポロの影響が少なからずあるという見方もできますが、コリントの自由闊達で現実的な気風は、裏を返すと、深い洞察に欠けるという一面もあるから、パウロにせよ、アポロにせよ、二人の説くことが、どこまで真正に理解されていたかは疑問です。信仰に理解と誤解が同じ程度につきまとうことも現代と変わらないから、パウロが、これら両者に向かって、十字架を誇る「神の知恵」こそ「ほんものの」知恵であり、「知識は人を高ぶらせ、愛は造り上げる」(第一コリント8章1節)と説いても、これが本当に分かるほど「霊的に成熟」するまでには時間がかかります。
  事の本質は、御霊の働きと肉体との関わり方にも潜んでいるようです。「知識組」は、ギリシア的な二元論に立つ人間観によって、そもそも「肉体」の本性は悪なのだから、人の魂を裏切ると見なしています。だから、身体的な領域をも含む「キリストの復活」など、そもそもありえないことにもなります(15章12節)。彼らにしてみれば、「肉体を具えた地上でのイエスは、十字架で神に呪われよ」(同12章3節)と言うことにもなるのでしょう。彼らが主張する「霊知」は、人を肉体からも完全に自由にするから、「わたしたち」には「すべてのことが許される」のです。したがって、多少羽目を外して、肉体において「みだらな」行為に及んでも、それが、ただちに霊的な罪になるわけではなかろうというのです。
  アポロは、紀元1世紀を代表するユダヤの思想家フィロンの系統に属していたようです。フィロンは、ヘブライの宗教とギリシア哲学とを統合したから、彼の思想は、しばしば「霊魂を肉体から切り離す」肉体軽視だと受け取られる傾向があったのでしょう(正しくは「理性」を身体の「感覚」よりも上位に置いたのですが)。その結果、「ただ賢者のみが真の霊的な自由人」だということにもなります。「賢者は何事も己の好むままを行なう自由を有する」とはギリシアの哲人の言葉ですから、コリントの自称「賢者たち」も、これに見習って、「自分にはすべてのことが理に適う」(第一コリント6章12節/10章23節)というわけです。身体と倫理性とのこの分離は、彼らの言う「霊知の人」を無軌道と性的な自由へ誘うことにもなります(6章9~10節)〔Murphy-O’Connor. Paul. 281〕。もっとも、キリストの御霊にある律法からの自由を説いたパウロも、「キリストの恵みを得るために大いに罪を犯そう」(ローマ6章1節)と主張していると誤解され、なじられたのですから、コリントの「賢者たち」の無軌道な誤解ぶりをアポロひとりのせいにするのは酷かもしれません。
 パウロは、深い霊的な洞察の持ち主ですが、元来、活動的な実践家であり、決して思弁家ではありません。だから、コリントのこういう状況を聞くと、持ち前の激しさに幾分毒舌を交えて書き送ります。「賢者などどこにいるのか? 学者などどこにいるのか? この世に、論客などどこにいるのか? 神がこの世の知者を愚者にしたのは当然ではないか? この世が、その知恵で神を知ることができないことこそ、まことに神の知恵なのだから」(1章20~21節)。この第一コリント書簡は、どうやら「知者」たちをその主なねらいとしていることが察知できます。6章12節以下では、コリントの自称「賢者」たちの言い分をわざわざ引用しながら、これに辛辣な反論を加えていきます。弁論術の常道とは言え、書簡の朗読を聴いている「賢者」たちの顔色も変わろうというものです。とりわけ、自分たちこそキリストの御霊にある「霊知」の所有者だと自認していた者たちにしてみれば、それこそが「この世の賢(さか)しらな知恵」だと言われれば、黙ってはおれません。彼らは、パウロの言うことにそうとう旋毛(つむじ)を曲げたでしょう。
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