(4)逆転の恩寵
(1)近代の宗教改革以来、キリスト教では、神の律法と人間の罪とイエス・キリストによる罪の贖いを<個人の信仰と救い>の問題として理解する傾向が強くなりました。律法によって個人が自分の罪を自覚する。そして、一人一人が、イエス・キリストの十字架の贖いを信じて自己の罪を悔い改めて、キリストの十字架の贖いによる罪の赦しが与えられる。続いて、聖霊の働きを受けて罪からの聖化にいたる。こういう、ピューリタン的な自己反省に基づく「悔い改めと聖化」の過程が、特に欧米のプロテスタントでは強かったのです。
 ところが、近年、こういう個人の信仰と悔い改めに基づく救いの有り様に疑問が提起されています。イエス・キリストが個人の罪の「身代わり」になって死んでくださることで「罪の赦し」が与えられるのなら、個人は自分の罪を取り除く必要がないのか?イエス様の身代わりの十字架によって赦されるのだから、いい加減な信仰生活でも救いに与っていることになる。こういう信仰生活の有り様と、これを批判する人たちとが出てくるのはこのためです。
 問題の根本には、律法と人間の罪と十字架による義認と救いという「罪の赦し」と「罪からの解放」、この二つの相互関係にかかわるパウロ理解があります。宗教改革以来の個人主義的な救いを求めるこのパウロ理解に対して、黙示思想に基づくパウロ理解が注目されるようになりました(山口希生(のりお)「ユダヤ黙示思想的世界観から『罪』を見る」『船の右側』2017年6月号:日本福音主義神学会西部部会での講演)。黙示思想では、例えばダニエル書に見るように、「罪と悪」は、人類の歴史的な規模で扱われ、しかもその悪は宇宙的な広がりをもつ悪霊の力に基づいています(コイノニア会ホームページ→聖書講話→「ヘブライの伝承とイエスの霊性」第1部を参照)。そこでは、人間の「罪」が、個人をはるかに超える「この世を支配する力」として顕われます。
 従来の新約聖書の理解では、個人を超える宇宙規模での救いは、パウロ以後のコロサイ人への手紙とエフェソ人への手紙の時代になって初めて提示されるようになったと見なされてきました。そうではなく、ユダヤ黙示思想は、ダニエル書、クムラン、イエス様、パウロ、以後のコロサイやエフェソのキリスト教、そして四福音書へと、一貫してヘレニズム世界へ広がっていったのです。今回は、パウロ書簡とコロサイ・エフェソの両書簡と四福音書を結ぶこういう視野から、「エフェソ人への手紙の霊性」を見ていこうとするものです。
(2)アダムによって入り込んだ罪は、中空を支配するサタンの世界規模の働きから来るものですから、人間の力の及ぶところではありません。ですから、神は、人間を覆うこの世の罪を逆手にとって、神の独り子による罪の赦しと罪の世からの解放という創造の働き、罪の働きを逆手にとる「逆転させる恩寵」によって、人類を覆う悪に勝利をもたらす創造のお働きを成就されたのです(エフェソ6章10~13節)。「世の罪を<担う/取り除く>神の小羊」(ヨハネ1章29節)こそ、第二イザヤが預言した「受難の主の僕」である十字架のイエス様の偉大な御業です。これが、ローマ8章36~39節で「死は勝利に飲み込まれた」と吐露されているパウロの言う「恩寵」の核心です。
(3)世界の創造以前から定められてたイエス・キリストにある十字架の血の贖いから来る「罪過の赦し」(エフェソ1章19節)の絶大な力によって(エフェソ1章4~10節)、隔ての障害を取り除いていただき、二つのものを一つにするイエスの御霊を信じて(同2章14~17節)、一人の主、一つの御霊、一つのエクレシアを目指して歩み続けるなら(同4章2~6節)、エクレシアの統一は必ず達成されます。大事なのは寛容と慈愛とイエス・キリストにある和解の心です(エフェソ3章17~19節/同4章30~32節)。
(4)一見すると人類の「宗教的敗北」とも思えるこの「敗北のまっただ中の勝利」"victory in the midst of defeat"(T.L. Osborn)こそ、殉教したキリシタンの血と長年の弾圧に耐えてきた潜伏キリシタンと、先の大戦で犠牲にされた膨大な数の日本人の血によって、今もなお日本人のエクレシアを支え続ける根源の力なのです。「わたしたちに宿る聖霊は、このような逆転する恩寵の絶大な力であり、広大無辺の赦しの慈愛であり、その贖いの働きの創造的な深さを悟る霊的な洞察力」(第二テモテ1章7~14節)として働くのです。人の思いを超え、人の力によらず、人の無心に働く無限の愛です。逆転之恩寵 無心之友愛です。イエスが言われた「からし種一粒の信仰」とはこのことです。
(5)「だから、不毛な闇の業に(自ら)染まることなく、(御霊にあって)逆にそれらを暴露するのです。(己の)罪性が御霊の光に照破されるところに光の歩みが生じます。だから、あなたがたはこう言うのです。『眠れる者よ目覚めて、死から復活せよ。そうすれば、キリストのご臨在が顕われる』と。だから、無知な者ではなく智慧ある者として、心して歩みなさい。それぞれの『時』を贖われて活かしなさい。今は悪い時代だからです」(エフェソ5章11~16節)。
(6)万有引力(universal gravitation)ならぬ「万人贖罪力」(universal redemption)と「万象和解力」(universal reconciliation)(コロサイ1章20節)。イエス・キリストにある赦しと和解をもたらす「逆転恩寵」による神の創造の絶大な力が、宇宙規模で人類を導いてくださるのです。
(7)「真理はイエスにあります」(エフェソ4章21節)。日本と韓国と中国のエクレシアが手を携えて、東アジアキリスト教圏を成立させるよう祈ること、あらゆる困難、とりわけ「宗教的障害」を克服して、アジアの平和が達成されるという確信とこれへの道筋は、十字架の贖いを成し遂げられたナザレのイエス様の御霊から来ます。人間の罪と弱さそれ自体を通じて、これを<逆転させる恩寵>の創造力が働いてくださるところに生じる祈りこそ、エクレシアが勝利する力の源です。
*この小論は、2017年4月のコイノニア会大阪集会での話しを基に、補充して2017年6月4日の横浜聖霊キリスト教会で語ったものです。
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