【注釈】
 詩編全体の構成から見ると、この詩は90篇以下の後半部に属する。101~103篇は「ダビデの作」と見なされている(102篇も、題名こそ「貧しい者」とあるが、ダビデの詩グループだと見ていいようである)。このグループが、104~106篇のハレル・グループへ続く。したがって、103篇は104篇とも内容的につながる。詩編の後編では、こういう構成、ダビデ・グループとハレル・グループの組み合わせが続くことになる。
 この詩編は、全体が緊密に結びついて一つながりを成している。そうでないと指摘する学者もいるが、わたしはそうは思わない。確かに、この詩編の作者は、聖書から自由に引用し、ほとんどすべての行にわたって聖書の伝承を踏まえている。けれども、それらは、ことごとく作者自身の魂の言葉となりごく自然に湧き出ているのが分かる。しかも、ここに現われる世界は、ワイザーの言葉を借りるなら「聖書信仰の木に咲くもっとも美しい花の一つ」となっている。全体を大別すると、1~5節は自分に向けられた主の愛を賛美し、6節からは、イスラエルの民に向けられる主の愛の賛美へと移る。続いて主の慈しみの深さ、同時に人間の儚(はかな)さが映し出され、それが、主の変わらない慈しみと対照される。19節からは、王座にあって全世界を統治し給う神への賛美となる。しかし、先に述べたように、こうした区分も、注意して読めば緊密なつながりを保っているのが分かる。作詩は、アラム語の語法が見られることから虜囚以後のものと考えられる。作詩の年代は明らかでないが、ヤハウェの慈しみとその王権とが人間観と結びついているから、成立年代は比較的遅く、前4~3世紀のギリシア系の王朝時代になるのだろうか。
[2]【お計らい】原語は「熟する」「成就する」「(善と悪に)報いる」こと。
[3]【あなたの】これは「われ/わたし」に対する呼びかけであるから、内容的には自分自身に語りかけていることになる。
 【あなたの病】ここでは、自分の身に及んだ肉体の病気を意味する。
"He pardons all my wrongdoings and heals all my ills."〔REB〕
[4]【墓穴】死者の行く陰府(よみ)の国には「滅びの穴」があり、そこにはよみがえりはない。
 【冠を】原語の本来の意味は「囲む」。ここでは、頭に冠をこうむらせること。
[5]【生きている限り】七十人訳の読みをとり、「願いに答えて」とする訳もある[関根訳][ワイザー]。
 【鷲のように】イザヤ書40章31節参照。
[6]【義】「神の義」のことであるから「救い」をも意味する。
「恵みのみ業」〔新共同訳〕。
"The worker of saving deeds is Yhwh."〔Hossfeld. Psalms (3).〕
 【公正を】公正な裁きを行ない虐げられた貧しい人々の権利を回復すること。
[7]【知らせた】動詞は未完了であるから「(モーセに)知らせ続けた」だけでなく、これからも(イスラエルの民に)「知らせ続ける」こと。
【み業を】七十人訳では「主のみ旨」とある。作者はイスラエルの歴史の初めに主の働きの意志をはっきりと見ている。
[8]出エジプト記34章6~9節参照。
[9]【責める】原語は「争う」。イザヤ書57章16節参照。
[10]【咎】原語は「罪」「歪み」とも訳すことができる。10節の背後には出エジプト記34章6~7節がある。詩人は、「われら」とあるように、自分をイスラエル共同体の一人と見て、捕囚の体験を顧(かえり)みて、イスラエルの罪と主の憐れみを思い起こしている。
[10]【大きい】「力強い」と訳すこともできる。主の憐れみは、人間の罪をも超える力を働かせること。
[12]【咎】原語の本来の意味は「背く・反逆する」。
[14]【塵】創世記3章19節参照。
[15]90篇3~6節参照。
[16]イザヤ書40章7~8節参照。
[17]【義】6節の注釈を参照。
[20]【勇士】前行の「主のみ使い」のこと。彼らは、主の側近くにあってイスラエルに対する主の恵みを働かせる。創世記21章17~18節、出エジプト記14章19~20節を参照。
[21]【主の万軍】これは天然現象や天体をも含み、宇宙全体が主に仕える「天の軍勢」と見られている。このような主の姿は、聖書で「万軍の主」としてしばしば現われる。18篇8~16節/33篇6節/148篇1~4節参照。
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