【注釈】
 25篇は各節の最初がヘブライ語のアルファベット文字で始まり(全部で22文字ある)、全体が7節ずつの三つの連(れん)から成り立っている〔ミルトス・ヘブライ文化研究所編『詩編』(1)1~50編/101~195頁〕。このような構成は34篇と同じで、同一の作者によるものではないかと思われる。ただし、6節の冒頭には「ワウ」が、18節の冒頭には「コフ」が来るはずだが、そうはなっていない(注釈を参照)。
 こういう構成の仕方は知恵文学の様式で、主(ヤハウェ)にどのように祈るべきかを示すと同時に「主の道」について教え諭す内容になっている。これも「知恵の諭し」の特徴である。この構成に従えば、1~7節は祈りの形式、8~14節は教え/諭しの形式、15~21節が再び祈りの形式、22節が結びになる〔Briggs.Psalms.(1)220〕〔新共同訳〕〔岩波訳〕。
 第一連では神に対する祈りが切々と語られる。第二連はその祈りに応える形で「主の道」が教えられる。第三連で再び第一連の祈りに戻るが、一連目と交差法的に(ABA’)対応していて、内容が一層深められ高められている。全篇を通じて言葉の繰り返しが多く、繰り返しが鎖のようにつながり、ちょうど三層のらせん階段のように上へ上へ登っていく。
 2~3節では「恥を負う/受ける」が繰り返される。4~5節では「知らせる/教える」が繰り返される。5~6節では「なぜなら」と祈りの根拠を述べる言い方が繰り返され、6~7節では「思い出す」が繰り返される。
 8節の「恵み深い」は7節の終わりを受けて始まる。8~10節では「道」「歩む」が繰り返され、これに「へりくだる者」がともなう。11節で突然に「不義の赦し」があらわれるのは10節に続けた祈りだからであろうか。12~13節では4節の祈りに対応して「主の道」が語られる。
 15~16節では「目」と「み顔」があらわれ、それが「足」と対照される。17~18節では「悩み」「苦しみ」が繰り返され、18~19節の「ごらんください」へつながる。18節は「コフ」で始まる節ではなく、その代わり「レシ」で始まる節が二つ続く。「ごらんください」が並ぶのはこのためである。19~20節では2~3節の祈りへ戻り、21節でしめくくられる。22節は礼拝のために後から加えられたのであろう。しかし、この最後の一節によって、「わたしの罪」とはイスラエルの罪、「わたしの敵」とはイスラエルの民の敵であるという意味の広がりが生じている。
 
[1]【仰ぐ】直訳は「主よ、あなたに向かってわたしの魂を上げる」。主の住まう聖なる神殿の山(エルサレム神殿の丘)に「登る」ことと魂を「上に向かわせる」ことを重ねる。
[2]【恥を受けず】「恥じる」は「失望する」「あわてふためく」の意味でもある。この節を平叙文に読む訳と〔新共同訳〕〔フランシスコ会訳聖書〕祈祷文に読む訳がある〔Briggs.Psalms.(1)201〕〔Craigie.Psalms 1-50.25Translation〕〔岩波訳〕。
[3]【裏切る】「神を裏切る」と「友人を裏切る」の両方の意味にとれる。「みだりに」とはなんの理由もないこと。
[4]【路】小路のこと(マタイ7章14節)。
[5]5節と6節との間にはアルファベットの「ワウ」で始まる節が抜けていて、しかも5節と7節が三行構成になっている。このために5節3行目の頭に「ワウ」を補ってこの行を6節として独立させ、その後半に7節の3行目を移して6節の後半を補うと〔HB994頁欄外の注〕、「ワウ」で始まる節ができる。「だからわたしはひねもすあなたを待ち望みました、/主よ、あなたの恵みのゆえに」〔Craigie.Psalms 1-50.〕。こうすればアルファベットの全部の節がそろうことになる。しかしこの読み方にも疑問がある。これと同じ構成の34篇にも「ワウ」の節が抜けている。おそらく作者は、意図的に「ワウ」を抜かすことによって全体を21節とし、7節ずつ3連の構成にしょうとしたと考えられる〔新共同訳〕〔NRSV〕〔REB〕その他。
[7]【思い出さず】「思い出す」は、もとは日本語の「覚えめでたい」のように神や王に良く思われることを意味した。「罪を思い出さない」はその罪を赦すこと。ここでは「思い出さず」と「思い出す」が並んでいる。
[8]【恵み深い】原語は「善い」。主は病や罰をくだす方でないこと。ここでは特に罪人たちにも「善くして」くださるとあるのが注目される。「憐れみ深く」〔フランシスコ会訳聖書〕。このような神観は後期の詩編に多い(34篇9節/86篇5節)。
[9]【ヘリくだる者】「貧しい者」「苦しめられる者」「うちひしがれた者」の意味でもある。
【正しく】神の公正な判断によって正しい「裁き」を行なうことをも含む。
[10]【慈しみとまこと】「慈しみとまこと(真実)」はイスラエルの神を表わす伝統的な言い方である。
【主の証し】「主の証し」とは厳かな命令(勅令)のこと。「定め」とも訳される〔フランシスコ会訳聖書〕〔新共同訳〕〔岩波訳〕。
[11]【不義】「邪悪」「咎」と訳すこともできる。
【赦して】原語は「重荷を取り除く」。
[12]【畏れる】「敬う」と訳すこともできる。
[13]【魂】ここでは「心身共に」幸いであること。
【地】神から与えられた約束の土地(マタイ5章5節参照)。
[14]【奥義】「秘密」とも訳されるが〔フランシスコ会訳聖書〕、主との「親しい交わり」のこと。
[15]【網】「罠」と訳すこともできる。
[16]【苦しむ】原語は「貧しい/乏しい」こと。しかしこの語は世の中で苦しめられ虐げられている人の意味にもなる。
[17]原文の前半は「もろもろの苦難がわたしの心に広がった」。「悩みがわたしの心を締めつけています」〔フランシスコ会訳聖書〕。七十人訳では「わたしの心の悩みが増し加わった」。しかし「広がった」〔ヒフィル態完了形〕を命令法に読み替え、末尾の「ワウ」を次へ回して、「わたしの心のもろもろの悩みを和らげてください。そして~」と読むこともできる〔HB注995頁〕〔岩波訳〕。
[18]【ごらんください】この節はアルファベットのコフ"q"で始まるはずだから、最初の語を「立ち向かう/出逢う」へと読み替えることができる〔HB注995頁〕。「この惨めな苦しみに立ち向かってください」〔Craigie.Psalms 1-50.An electronic edition〕
【惨めな苦しみ】この言い方は、罪のために受けた罰を暗示する。
[19]【激しい憎しみ】原語は「暴虐を伴う憎悪」。
[20]【全き正しさ】終始一貫してまっすぐ主により頼むこと。「無垢でまっすぐ」〔新共同訳〕。「完全さと誠実」〔岩波訳〕。2行目は「主よ、わたしはあなたにより頼む~」と呼びかけの「主」(ヤハウェ)を入れる読みもある〔HB注995頁〕。
                  戻る