7章 項目別の要約
 
■ヨハネ黙示録の全構成 *1
(1)1章1〜3節:導入。
 神は天使を遣わして、作者ヨハネに幻視を与え、イエス・キリスト(神の言葉)を証しさせた。これを朗読する人と聴く人に祝福あれ。
(2)1章4〜8節:挨拶。
  作者ヨハネから七つの教会へ。玉座からと、今居られ、かつて居られ、これから来る方からと、七つの霊によって死から復活し、地上の王権の支配者と成られたイエス・キリストからと、そして、わたしたちを御子の血で贖い、御国の民、父なる神の祭司としてくださった父なる神から(ここは、三位一体の神を指す)。
 「教会へ恵みと栄光あれ。キリストは再臨する方。今居られ、かつて居られ、これから来る方、始めと終わりの方。」
(3)1章9〜20節:作者ヨハネは、イエスと共にある困難と王国(主権)と忍耐に与(あずか)って、パトモスで、御霊によって幻視を与えられた。私(作者ヨハネ)は、人の子姿のイエスについて証しするため、今生きておられるイエスから受けた幻視を文書に記した。それは、「今起こること」であり、「今後起こる出来事」であり、イエスの右手の七つの燭台(天使)と七つの星(教会)への秘密の意義(秘義)についてである。
(4)2章〜3章:七つの教会への書簡。七つの教会の中でも、注目すべきは、小アジアの「ローマ都」と称されたペルガモンである。そこは、皇帝の権勢と皇帝崇拝の街(まち)であり、利得に与るための神々の礼拝の場でもあった。国家権力と異教の偶像礼拝に対して非寛容であれ。妥協するな。獸性を帯びる権力と利得を求めさせる邪教に屈するな。独裁的政治権力と独裁的宗教に警戒せよ。教会の信仰を偶像礼拝との妥協へ誘う偽預言者の教えとその行為に騙されることなく、絶えず教会の正しい信仰を死守せよ。*2
 権力崇拝と利得宗教に「正しく」対抗し対処するためには、七つの霊と七つの燭台を持つ指導者で「今生きておられるイエス」の臨在によらなければならない。この方から降る多種多様な「御霊にある自由な働きかけ」によって初めて、正しく対処できる。イエスの聖霊の働きを受け入れる者は贖われる。拒否する者は裁かれるからである。
 以上の内容については、以下の聖書の箇所での対応を参照する(ヨハネ黙示録2章12〜17節→ヨハネ黙示録19章11〜20節/イザヤ書43章1〜12節→イザヤ書65章全部/第一コリント10章1〜22節の偶像と交わるな→第一コリント10章23〜30節の信仰の自由な裁量)
(5)4章〜5章:玉座と巻物と小羊。作者は天の玉座を幻視する。玉座を囲む白衣と王冠の24人の長老。燃える炎の七つの霊。玉座の左右にライオンと雄牛と人間と鷲。
「聖なる、聖なる、聖なる、(かつて)居られて、(今)居られ、(やがて)来たるべき主なる神。」
 玉座の右から七つの封印の巻物。ユダの獅子である屠(ほふ)られた小羊。神の民を血で贖ったこの小羊こそ、歴史の巻物を開き、そこに記された出来事を生じさせる権能によって勝利した方。この小羊こそ、過去・現在・未来を通じて、力と知恵と富によって、天と地と黄泉に、神の王国の民を作る民主主義の源泉である(ヨハネ黙示録5章10節)。
(6)6章1節〜8節:四つの封印を小羊が開く。
第一の封印。(ライオンの)声。白馬。弓と冠の騎手。勝利。
第二の封印。(雄牛の)声。赤い馬。剣の騎手。地上の平和を奪う。殺し合い。
第三の封印。人間(玉座の中央のキリスト?)の声。秤の騎手。黒い馬。
      食糧難と(小麦の)暴騰。ワインと油の欠乏。
第四の封印。(鷲の)声。青白い馬。死と陰府の騎手。剣と飢えと疫病と野獣。
(7)6章9〜11節:第五の封印。御言葉を証したために殺された者たち。彼らを殺した地上の世(権力)への裁き(ヴィンディケイション)を要請。白衣が与えられ、神の民の数が満ちるまで安んじるよう告げられる。
(8)6章12〜17節:第六の封印。大地震。暗い太陽。血の満月。星星の落下。
大空は消え、山も島もなく、地上の王とその民は洞穴に。玉座の裁きと小羊の怒りの日。
(9)7章1〜8節:地の四隅に立つ四天使。地の四方の風が停止。神の烙印を手にした大天使。神の民の額へ刻印するまで裁きを待て。イスラエル十二部族の中から総数十四万千へ刻印。このイスラエルの民は、続く「救われる大群衆」と併せられて、救われる人たち全体を世界規模で象徴する。
(10)7章9〜17節:諸民族の大群衆が白衣と棕櫚(しゅろ)を手に玉座と小羊の前に立つ。救い(勝利)は玉座と小羊にある。神の知恵と威力への賛美。小羊の血で、黒い罪から白くされる大きな試練(重大な通過儀礼)。永遠の命の泉。→この出来事は、(9)に<引き続いて>前者と<同じ歴史的時間帯>の中で生じることであって、(9)の時間帯が歴史的に終了した<その後の終末>のことを指しているのではない。*3 また、「大試練」と「救い/勝利」は、イエスの十字架の血による罪の赦しを忍耐を以て告白し続ける信仰者に与えられる。
(11)8章1節/3〜5節:小羊が第七の封印を開く。天の玉座の沈黙。七天使の七つのラッパ。金の香炉を手にした大天使。立ちのぼる祈りの煙。香炉が地上に投じられ、雷鳴、轟音、稲妻、地震。
(12)8章6節〜9章
第一のラッパ。血の火雹が地表へ。地の三分の一が緑樹もろとも焦土と化す。
第二のラッパ。大火山が海へ。海とその生物と船の三分の一が消滅。
第三のラッパ。燃える灯火の「にがよもぎ」星が三分の一の河に落下。苦(にが)く変じた川水で人々死ぬ。
第四のラッパ。太陽と月と星星の三分の一の光が消え、暗い日々。大鷲が、残り三つのラッパの禍(わざわい)を地の人々に告げる。
第五のラッパ。
【第一の災い】深淵(黄泉)の扉(とびら)の閂(かんぬき)の鍵を握る星の降下。深淵の扉を開くと溶鉱炉の煙が立ちのぼり、太陽も大気も暗くなり、イナゴ/バッタの群れが出てくる。金冠を頂く人の顔、長髪で獅子の牙(きば)。鉄の胸当(むなあ)て、尾には鋭いサソリの針。その羽音(はおと)は、馬に引かれて戦場へ向かう数多くの車輪の音。イナゴの群れは、底なしの淵の王命を受けている。王の名はヘブライ語で「アバドン」、ギリシア語で「アポリュオン」(破壊/滅び)。イナゴへの群れへの王命は、地の草と緑樹を損(そこ)なうことなく、額に神の烙印のない人間だけを殺すこと。イナゴのサソリの針は、人々を五が月の拷問にかけ、殺さず死なせず苦しめて、苦痛を逃れる死は与えない。
【第二の災い】第六のラッパ。黄金の玉座の四隅の角笛から響く声。「大河ユーフラテス(イスラエルの北!)(16章12節参照)に繋(つな)がれた四天使を(先の黄泉のイナゴのように)解き放て!」彼らは、この年、この月、この日、この時を待ち望んでいて、人類の三分の一(不敬虔なイスラエルと偶像礼拝の異邦の民)を殺した(エレミヤ書46章4節/20〜24節)。騎兵の数は二億。兵の胸当ては、火(赤)とサファイア(青)と硫黄(黄)の色。馬の頭は獅子。口から火と煙と硫黄を吐き、その尾は頭のある蛇の群れ。口からの火と煙と硫黄の三つの禍(わざわい)で人類の三分の一が死滅。馬の口は、人に死をもたらし、その尾は苦痛をもたらす。
(13)10章:以下、この禍の終わりまでは、挿入部分で、義人と不義者への「ヴンディケイション」(不義者への神による裁きの正しさの証し)*4。もう一人の大天使。雲に乗り虹を頂き太陽の顔と火柱の足。右手に巻物。右足は海、左足は陸に。七雷の獅子の吠え声を記さずに封印せよ(22章10節と対照)。
 右手を挙げた大天使、天と地と海の創造者へ誓う。「もはや時がない」。第七のラッパで神の秘義が成就。「巻物をとって食べよ」と天来の声。作者ヨハネが食べると、口に甘く腹に苦い。諸民族と諸王のことを再び預言せよ(先にも7章9節に「諸国民、部族、民族、言語の民」、以下10章11節/11章9節/13章7節と繰り返す)。
(14)11章1節〜13節:(10章9節の天使から)作者ヨハネに竹竿(籐の杖)(竿はユダヤ人への罰?異邦人への裁き?)。神殿と祭壇と参拝者を測定(「測定」は保護する意図)(これは、破壊されたエルサレム神殿の終末での復興か?)(エゼキエル書40〜48章)。(神殿の)外庭は、42ヶ月間、異邦人の踏むままに。
 二人の証人(以下の業から見るとモーセとエリヤのことか)。1260日の預言。二本のオリーブと二つの燭台。口から火を吐き敵を殺す。天を閉じる力(雨降らず)。水を血に変える力。あらゆる災害を繰り返しもたらす。
 一頭の獣が淵からでて、二人を殺す。亡骸(なきがら)は都(エジプトとソドム)で曝(さら)される(十字架の主)。諸国民、部族、民族、言語の民、埋葬を拒み、二人の死を喜ぶ。三日半後に二人は復活。人々の恐れる中で、二人の昇天(モーセとエリヤは死ぬことなく天に居る)。大地震で7千人の死。生き残る者は恐れのあまり神を拝む。
 第二の災いが終わる。
(15)11章14〜19節:第七のラッパ 。地上に神とキリストの王国到来。二十四長老が賛辞を述べる。「かつて居られ、今居る方。怒り狂う諸国の民に向けられる神の怒り。死者への裁きと主の民への償(つぐな)い。滅ぼす者を滅ぼす方へ賛辞。」神殿(至聖所)が開かれると契約の箱が見える。稲妻、轟音、雷鳴、大地震。
(16)12章:12章〜14章は、魔の蛇サタンに挑まれる神の民(エクレシア)の艱難辛苦(tribulation)を語る重要な箇所である。ここは、いわゆる幕間に属する。なお、ここから始まる後半部分は(12章〜22章)、1章〜11章までの物語をさらに詳細に語っている。*5
 第一の「しるし」は、太陽を纏(まと)い十二星を頂き月を足下にする身重な女。彼女は地上の神の民(エクレシア)であるが、天の「しるし」でもある。天使と地上の聖なる民との同一視はダニエル書から(ダニエル書7章18節の天使群と同27節のイスラエルの聖なる民との融合)。今生まれんとする苦しみは、マリアによるキリストの降誕を新たな信徒の誕生と重ねている。
 第二の「しるし」は、七頭十角で七つの王環"diadem"の巨竜。その尾で天使の三分の一を地上へ落とした。龍は、(女から)生まれる子を食らわんと待ち構えるが、息子は、生まれるや、「鉄の杖」(詩編2篇9節)で支配するために玉座に庇護される。女は荒れ野へ逃れ、1260日間(11章3節参照)身を隠す。
 天では、ミカエルとその天使たちと、龍とその手下と、両者の間で、(サタンの神への反逆の)闘いが生じる。悪魔(サタン)は手下共々地へ投げ落とされる。
 天の声。「救いと力と神の王国が生起した。日夜、兄姉たちを神に訴訟する者(サタン)は地へ投げ落とされた。小羊の血と死を恐れぬ者の証しが勝利した。」ユダヤ教では、サタンは、「神に向かって人間を告発する者」だと考えられた。
 龍は天においてすでに敗北している。だから、龍は、地でも、12節後半にもかかわらず(!)、玉座の臨在に護られる主の民に勝つことができない。*6
 (他方では)悪魔の怒りに襲われる地と海に災い。龍に追われる女は、鷲の翼に守られ、3年半養われる。龍は、川水を吐いて女を流そうとするが大地が川水を飲み干す。最古のオリエントでは、川の淡水に対して、海の塩水は、害悪をもたらすサタン(悪魔)の龍の「出所」だと考えられた。生まれたばかりのモーセは水に棄てられ(出エジプト記2章3節)、イスラエルの出エジプトでは、海が行く手を阻んだ(出エジプト記14章26節)。サタンは、なおも、女から生まれるイエスの証し人たちに闘いを挑(いど)む。
【第三の災い】
(17)12章18節〜13章:海辺に立つ龍(ローマ帝国の表象)。第一の獣が海から出る(龍の地上版)。七頭十角で七つの王環"diadem"(12章3節と同じ)。姿は豹。足は熊。口は獅子。獣は龍から(反キリストの)力と王座と権威を受ける。致命傷も癒される(王権が神格化される)。獣は(神が許す期間として)42か月の間(11章2節)、神への冒涜を吐く。「諸民族、諸国民、諸部族、あらゆる言語の民」は獣に支配され、「屠られた小羊(十字架)の命の書に名を記されていない者」(7章14節)は龍を拝む。剣で殺す者は剣で殺される。聖なる民もこの獣には勝てない。だから、忍耐と信仰が大事。
 第二の獣が地から出る(16章13節/19章20節/20章10節)。この獣は人々を第一の獣への礼拝に向かわせるから、ローマ帝国の諸州に属する公職の役人/司祭たちを象徴する。小羊の二角(反キリスト像)。天から火を降らせるしるし(マルコ13章22節)。第一の獣の像を作らせ、これに息を吹き込む。像は語りだし、拝まない者を皆殺す。この世のあらゆる人の右手あるいは額に刻印。これがない者に売買を許さず。刻印の名(数字)は「666の人」。ヘブライ語の「666」は7文字で表わされる。それぞれの文字は、「数」をも指すから、7文字が表わす数を合計すると「666」になる(これを「ゲマトリア」と言う)。当時、死んだはずのネロ皇帝が「再来する」と噂されていた。*7
(18)14章〜15章4節シオンの山に立つ小羊(1番目)。小羊と父のみ名を額に印(しる)す十四万四千の民。玉座の前で竪琴による「新しい歌」を謡う。彼らは地上の人類から贖われた「純潔(童貞)の民」である。イスラエルでは、神のための聖戦に加わる者は「女性と交わらない者」に限られたことからでている(出エジプト記19章15節/サムエル記上21章5節)。したがって、「童貞」は、字義通りではなく、象徴的な意味である。
 もう一人の天使(小羊の次、2番目)。「諸民族、諸国民、諸部族、あらゆる言語の民」へ「永遠の福音」を宣教する。「栄光を神に。天地創造の神を礼拝せよ。」
 もう一人の天使(3番目)。バビロンは倒れた。神の怒りのぶどう酒。
 もう一人の天使(4番目)。獣とその像を拝む者らへ怒りのぶどう酒を。火と硫黄の苦しみを。イエスを信じる者には忍耐が必要。天来の声。「その行ないが記録された者へは永遠の安らぎを得る。」
 白雲に乗り鎌を持つ金冠の人の子(番外)。ここから15章4節の終わりまでは、人の子による正当な裁き。
 神殿からもう一人の天使(5番目)。鎌を入れて刈り取れ。
 神殿から鋭い鎌を持つもう一人の天使(6番目)。
 祭壇からもう一人の天使(7番目)。鎌を入れて実ったぶどうの房(ふさ)を集めよ。ぶどうを神の怒りの絞り桶へ。桶から馬の背ほどの血の流れが広がる。もう一つの印し(12章1節の「天のしるし」(女)に対応する七天使の「しるし」のこと。
 七天使の七災害で神の怒りが頂点に達する(七災害は、七封印と七ラッパの<後に>起こるのではない。封印とラッパの系列の<最後に>、七鉢によって神の裁きが、より具体的に語られる。*8              
 火の混じるガラスの海。獣とその像に勝った者たちが、神の竪琴を手にモーセと小羊の歌を。「諸国民のまことの聖なる王(小羊イエス・キリスト)。その裁きが顕われた。」
(19)15章5〜8節:この箇所は、七つの災害への序文。天の幕屋の神殿からの証し。七天使現わる。亜麻衣で胸には金帯。七つの災害を携える。四頭の生き物(ケルビム?)の一頭(4章6節から見れば獅子?)が、神の怒りの七つの金鉢(5章8節)を七天使に手渡す。神殿が神の栄光と力で煙(けむ)る状態が、七天使の七災害が終わるまで続く(イザヤ書6章1〜4節を参照)。
【七つの怒りの鉢】
(20)16章天から七天使へ大声で命令。「地に七つの怒りの鉢を注げ。」
 第一の天使、鉢を地に。獣の徴と像を記された者へ苦痛の腫れ物。
 第二の天使、鉢を海に。死骸が流す血に染まり、海の生き物が死ぬ。
 第三の天使、鉢を川と泉へ。血に変わる。水の天使の声。「聖なる方。彼らが聖徒の血を流したから、彼らに報いの血を呑ませた。」
 玉座の祭壇から答える声。「全能の主なる神。あなたの裁きはまことに公正。」
 第四の天使、鉢を太陽に。人々が灼熱で焼ける。災害を下す神を呪い、悔い改めず。
 第五の天使、鉢を獣の王座へ。闇が王国を襲う。民が舌を噛む苦悶。悔い改めず。
 第六の天使、鉢を大河ユーフラテスへ。涸れて東方の王たちが侵攻。龍と獣と偽    預言者の口から蛙の三つの汚れた霊。
 これらの悪霊は、徴を見せて全世界の王たちを集め、全能の神が支配する大いなる日の戦(いくさ)において、神に刃向かう戦いに備え、ハルマゲドンに集まる(ゼカリヤ書12章9〜11節)。*9
(イエスは盗人のように再臨する。目を覚まして衣を纏(まと)い、裸の恥をさらさないよう注意せよ。)
 第七の天使、鉢を空中に。玉座から「事は終わった!」の大声。稲妻、轟音、雷鳴、大地震。大いなる都(バビロン/ローマ)が三つに割れ、大いなる憤りの杯を飲まされる。天からは大粒の雹。民が災害を呪う。
 ラッパが比喩的に述べた(同じ)出来事を16章では鉢がより具体的に語っている。これらの出来事は、キリストの復活から再臨を含む間の時期に起こる。ただし、七つの災害は、七つの封印と七つのラッパの系列の<最後の段階>から始まる。*10 鉢の七災害は、七封印と七ラッパの<後に>起こるのではない。封印とラッパの系列の<最後に>、七鉢によって神の裁きがより具体的に語られる。
(21)17章:七天使の一人(第六と第七の鉢だけを<解説する>のは初めて)。大淫婦への裁き。彼女は、「(破壊された)エルサレムのことではなく、ローマ帝国の都のバビロンの表象である。*11 地上の王たちと大淫婦とによる淫行。地上の民はその淫行のぶどう酒に酔う。天使は作者ヨハネを荒れ野へ導く。冒涜の名を印す緋色で七頭十角の獣にまたがる淫婦(「七頭」は七丘のローマ/ドミティアヌスを六番目とする七人の王か?*12 「十角」は十人の王たち。赤紫の衣と、黄金、宝石、真珠の飾り、手にはみだらで不潔な金の杯。額には神秘の名。「淫婦」は、ローマの、とりわけネロ皇帝を象徴する。*12 七王のうち五王は倒れる(ドミティアヌス以前の11皇帝の中からの五人〔岡山秀雄『ヨハネの黙示録注解』318頁〕)。一人は今居り(ドミティアヌス)、もう一人はまだ(七は「すべて」の完全数)。獣は、かつて居り、今居らず、やがて深い淵から出てきて滅びる。作者ヨハネの頃にあった噂で、死んだネロが「再来する」という伝聞が関係している。
 十角とは十王(ダニエル書7章7〜8節から)のことで、ローマ、パルティア、アジア、パレスチナなどからの諸王を象徴する。*13。十王が目指すことはただ一つ。獣の権威に服従することでその業に与ること。この事態こそ、彼らに神の裁きが降る結果を招く神の遠大な計画である。獣と王たちは小羊と戦う。小羊と選ばれた民が勝利する(ダニエル書7章20〜27節)。
 天使は告げる(旧約から伝承された役割)。淫婦は、「諸民族、諸国民、諸部族、あらゆる言語の民」が象徴する「海原」の上に坐す(イザヤ書17章12〜13節/エレミヤ書51章12〜13節の豊かなユーフラテス河の側にあるバビロンのこと)。十角と獣は、淫婦を憎み、彼女を裸にして肉を食らう(エゼキエル書16章35〜42節のエルサレム陥落状態/エゼキエル書23章1〜27節のオホラ=サマリアとオホリバ=エルサレムも参照)。獣とは大いなる都(バビロン)のことであるが、*14 この「大いなる都」は、バビロンからローマ〔の都?〕に転用されている。*15
(22)18章:大いなる権威を地上に輝かせるもう一人の天使(玉座から地上への働きかけを指す)。大声で「大バビロンは倒れた。汚れた霊、汚れた鳥、憎むべき獣の巣窟。諸国民は彼女(バビロン=ローマ)の淫行に向けられた神の怒りのぶどう酒に酔い、諸王は彼女と淫行し、商人たちは彼女の豪華な富(とみ)から利を得た。」
 天から別の声。「我が民よ。彼女に与(くみ)し、その災いに巻き込まれるな。その罪は積もり、その不義は覚えられている。彼女に報復せよ。その行為を倍にして返せ。その杯を倍にして返せ。そのおごりと贅沢と、同じだけの苦しみと悲しみを与えてやれ。」
 彼女は、その心で言う。「わたしは王座にある女王。やもめでないから、悲しみは来ない。」それ故、災厄が1日にして彼女を襲い、疫病と悲しみと飢えに逢い、彼女は焼かれる。全能の主なる神が彼女を裁くからである。
 淫行と贅沢に耽った地上の王たちは、彼女が焼かれる煙を見て嘆き悲しみ、その苦悶を遠く離れて眺めながら言う。「ああ、大いなるバビロンよ。偉大な都よ。あなたへの裁きが一時に襲った。」
 地の商人たちは、その商品を買う者がいなくなり、彼女のために悲しみ嘆く。彼らの商品とは、金、銀、宝石、真珠。紫と深紅の布。絹と亜麻布。あらゆる香木と象牙細工。高価な木材、銅、鉄、大理石の種々の容器。シナモン、香料、お香、香油、乳香。ぶどう酒、オリーブ油。上質の麦粉と小麦。家畜と羊。馬と馬車。奴隷と生きた人間。
 彼らは言う。「あなた(バビロン)が心底望む収穫物は遠く離れ、きらびやかな華やかさは、失われて、二度と戻らない。」彼らの品物を扱い、彼女から富を得た商人たちは、彼女の苦悶と悲嘆と嘆きの声を遠くから聞きながら言う。「ああ。亜麻布と紫と深紅で身を包み、金と宝石と真珠で身を飾った大いなる都よ。一時にしてその富は失われ、灰になった。」
 天よ、喜べ。聖徒らと使徒たちと預言者たちよ、あなたがたのために、彼女への裁き(ヴィンディケイション)が下った!」
 もう一人の天使によって、「あなたがたのための彼女の裁き」がさらに繰り返し(倍返し!)語られる。天使は大きな挽き臼を手に取り、それを海へ投げ込んだ(エレミヤ書51章63節の「海へ投げ込まれる挽き臼」/背景として、エゼキエル書26章12節のティルスへの裁きがある)。暴虐のバビロンはもは、もはや消滅し、その竪琴も歌も笛もラッパも聴かれない。いかなる職業の業師もいない。ともる灯火は消され、花婿と花嫁の声も聞かれない。(クリスチャンたちを排除した)人集めの王たち、貿易商人どもは、その(商業用の)呪文で、諸国民を欺いた。預言者たちと地上で殺された神の民の血は、今、彼女(バビロン)の上に降りかかる。
(23)19章1〜10節:喜びの七つの声。
 天の大群衆の声。「ハレルヤ。救いと栄光と力(天からの超越の救い)。まことの裁きが大淫婦に降り、聖徒の血の復讐が成就した。」
 再度の大群衆の声。「彼女を焼く煙は何時までも続く。」
 二十四長老と四生物、玉座の神を礼拝して言う。「アーメン。ハレルヤ。」
 玉座からの声。「大小すべての聖徒よ。神を誉めよ。」
 大群衆の声。大水と雷鳴の響き。「ハレルヤ。全能の主なる神の支配。喜びと栄光あれ。小羊の婚宴の時が来た。花嫁は、清(きよ)らに輝く上質の亜麻布(聖徒の善行)を身に纏った。」
 天使が書き記せと言う。「小羊の婚宴に招かれる者は幸い。」
 彼はわたし(作者ヨハネ)に言う。「これは神の御言葉。」
 わたしが礼拝すると彼が言う。「わたしは、イエスを証しするあなたの仲間にすぎない。イエスを証しする聖霊の神を礼拝せよ。」
(24)19章11〜21節:天が開け白馬。騎士の名は「まことの真実」。目は炎。頭に数々の王環(diadem)(大きな冠ではなく、オリエントの女王などが頭の周りに巻くようにつける小さな輪型の冠のこと。特にローマ皇帝が用いた)。この騎士は、己のほか誰にも知られぬ名を帯びる。裁きのための闘いに向かっていて、血に染まる衣。その名は「神の御言(ことば)」。白く清らかな亜麻布の兵士たちが白馬(の騎士)に従う。騎士の口から剣。手にした鉄の杖で打つことで諸国民を支配する。全能の神の怒りのぶどう酒の絞り桶を踏む。衣と腿には「王の王、主の主」(イエス・キリスト)と記されている。
 太陽を浴(あ)びて立つ天使。空飛ぶ鳥たちへ大声で。「神の大宴会に集まれ。王、王侯、権力者、隊長たちよ。それらの馬の乗り手たちの肉を食らえ。自由人や奴隷。大小の人の肉を食らえ。」(エゼキエル書39章4節〔ゴグへ〕/同17〜20節)。
 獣と地の王たち、白馬の騎士へ闘いを挑む。獣もその名を記された者どもも捕らえられ、生きたまま火と硫黄の池に投げ込まれる。残る者は白馬の騎士の剣で殺される。鳥たちはそれらの肉を飽き足りるまで食らう。
(25)20章:
【千年王国とサタンの最終の敗北】
 底なし淵の鍵と鎖を手にする天使が、龍・悪魔・サタンをとらえ、千年間、淵に入れて鍵をする(12章7〜12節で、サタンは天から地へ落とされる)。「千年王国」は、教会の期間中の出来事である。*16
 玉座から裁く権威を授与された霊性の持ち主(プシケー)たち。彼らは、イエス(神の言葉)のために首を斬られても獣と像を拝まず、額に獣の徴を受けず、生き返り、キリストと共に千年間支配する(他の死者は、千年が終わるまで生き返らない)。これが第一の復活。彼らは千年間支配する。
 千年後に、サタンが再び世に出て、地の隅々にいたる諸国民を惑わす。諸国民は、マゴグの地に住む悪霊のゴグのように、砂浜の砂の集まりとなって、聖徒とその都へ攻め込んでくる(ヨハネ黙示録16章13〜16節を参照)。その後、天から火が降り、悪魔と獣と偽預言者は、地獄の火と硫黄で永遠に焼かれる。
 エゼキエル書38章2節では、ゴグは「マゴグと呼ばれる地」に居る人物である "Gog in the land of Magog "(REB)。ただし、エゼキエル書39章6節では「マゴグ(部族名か?)と島々に安らかに住む者たち」とある。「ゴグ」と「マゴグ」は、その後神話化されて、ヨハネの黙示録では、「ゴグとマゴグ/ゴグ・マゴグ」のように、部族名として(?)現われる。 佐竹明『ヨハネの黙示録』(下巻)371頁。しかも、ヨハネの黙示録20章8節では、「ゴグ・マゴグ」神話は、比喩化されて「諸国の民」と同一視される。 Beale The Book of Revelation. 1022. なお、エゼキエル書では、ゴグは、同37章15節以下のユダとイスラエルの統一のすぐ後に出てくることにも注意。*17
 16章16節のハルマゲドンの闘いと、20章8節のゴク・マゴグの闘いとは、別個なのか? 同一なのか? 別個の二つの闘いだとすれば、ハルマゲドン→千年王国→ゴグ・マゴグの闘いのようになる。同一なら、千年王国→ハルマゲドンでのゴグとマゴグの闘いになる。*18
 千年王国とキリストの再臨については、以下の三つの説がある。 〔佐竹『ヨハネの黙示録』(下巻)366頁、その他多数〕
(T)再臨の千年王国前期説(premillenialism)。19章でキリストの再臨が予告される。続く20章で、教会は、千年の試練の時を経過する。その後で(21章)、再臨が起こる。
(U)再臨の千年王国後期説(postmillenialism)。19章(の後半)では、教会が「神の言葉」の証しのために闘い、勝利する。続く20章で千年王国が訪れる。その後再びサタンが現われて、それから、最終の裁きが行なわれる。
(V)千年王国無期説(amillenialism)。「千年王国」を比喩的な象徴として理解する。だから、「千年王国」は、教会史の期間において生じる出来事であり、その時期は特定できない。
【最後の審判】
 大きな白い玉座。御前に大群衆。裁きの書と命の書が開かれる。海も死者を吐き出し、死も陰府も死者を吐き出す。死と黄泉と命の書に名のない者は火の池へ。第二の死。
(26)21章1節〜22章5節
【新天新地】
  この箇所は、20章11〜15節を受け継いで、これをさらに進展させることで、終末の悦びを伝える。最初の(古い)天地は過ぎ去り、新天新地が現われる。聖なる新たなエルサレムが天からの花嫁として降る。
【玉座のみ声】
 玉座の声。「神の住まいが人の中に宿り、神はその民と共に。民の涙を拭い、死はなく、嘆きも泣き叫びもない。古い秩序は過ぎ去った。」
 玉座のお方(神)は言われた。「わたしはすべてを新たにする。」(イザヤ書43章19節のイスラエルの捕囚からの帰還と復興を受けて、これを新天新地の更新へ進める)。
 21章5節は神の命令。「この信頼すべきまことの言葉を書き記せ。」これに対して、19章9節は天使の命令。さらに、22章6節〜7節は、天使と作者ヨハネとイエスと三者の言葉で構成されている〔佐竹『ヨハネの黙示録』(下巻)397〜98頁〕)。
 玉座のお方が言われた。「事は成就した!わたしはアルファとオメガ。初めと終わり。渇く者に命の水。勝者はすべてを受け継ぎ、神が父、彼らは神の子たち。」「臆病者。不実な者。卑猥(ひわい)な者。淫行の者。占いと偶像礼拝者。あらゆる偽り者は火と硫黄の池へ。これが、第二の死である。」
【聖都のつくり】
 七鉢の天使の一人が告げる。「小羊の花嫁を見せよう。」作者ヨハネは霊に感じて高い山へ。聖都エルサレムが天から降る。碧(へき)玉の栄光に輝く都。純金のガラスの大通り。都は一万二千スタディオン(約2400キロ/およそ稚内から沖縄までの直線距離)の正方形で、純金のガラス。十二天使に護られ十二部族の名を持つ十二の真珠製の門(門には天使像と部族名が刻まれている)。都(みやこ)の城壁は碧玉製で、厚さは6メートル48センチ。城壁の土台には十二使徒の名(が刻まれている)。城壁を支える十二の土台を飾るのは、それぞれ碧玉/サファイア/瑪瑙(めのう)/エメラルド/赤縞瑪瑙(めのう)/カーネリアン/かんらん石/緑柱石/トパーズ/緑玉髄/青玉/真珠。
【聖都の特長】
 主なる神と小羊だけで、ほかに「神殿」はない。照らすのは神の栄光。明かりは小羊。門は閉じることなく、王たちはそれぞれ栄光を持ち寄る。諸国の民からは壮麗と富みが持ち寄られる。
 汚れは何一つなく、汚い偽り者は一人も入ることができず、小羊の命の書に名を刻まれた者だけが入門を許される。
(27)22章6〜21節
〔エピローグ〕
  この「後書き」は、様々な発言者の語りを集めて構成されている〔佐竹『ヨハネの黙示録』(下巻)452〜53頁〕。
  天使(ヨハネへの)は言う。「この信頼すべきまことの言葉を書き記せ。」
 (ヨハネは言う)「主なる神は、その天使を遣わし、必ず起こる出来事を霊感により自分(ヨハネ)に啓示した。」
 (天のイエスは言う)「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言を心に宿す者は幸いだ。」
  わたしヨハネは、これらの出来事を観聴きしたので、ひれ伏して天使を拝んだ。
  天使は言う。「いけない。わたしも、あなたの仲間の僕、同じ預言者、この書を心に宿す者。神を礼拝せよ。」「この書の預言の言葉を封印するな」(ダニエル書12章4節参照)。「時は近い。邪悪な者は邪悪を止めず、心汚れた者は変わらず、義人は義を続け、聖者は聖性に留まる。」
 (天のイエスは言う。)「わたしは、すぐに再臨して、個人の業に報いる。わたしは、アルファとオメガ。最初で最後。初めと終わり。」「幸いなのは衣を洗う人。命の樹に与り、聖都の門から入る。」この「わたし」とは神と同じ「人の子」のこと(ヨハネ黙示録1章13〜16節を参照)*19
「外に居るのは、邪(よこしま)な犬ども。占い師。淫行の者たち。殺人者。欺(あざむ)きの者たち。」「わたしはイエス。わたしの使いを通じて、この証しを教会に告げる。わたしは、ダビデの子孫。明けも明星。」
  聖霊と花嫁が言う。「来たれ。」
  聴く者それぞれが応えよ。「来たれ。」
  (聖霊と花嫁)「渇く者は来たれ。望む者は命の水を受けよ。」
 作者ヨハネからの警告。「本書の預言の言葉に加える者に、神は本書の災厄を加える。取り去る者を神は本書の命の樹と聖都から取り去る。」
 本書の出来事を証しする者に、(イエスは言う)「わたしはすぐに再臨する。」
(聴いて応える者)「アーメン。主イエスよ。来たり給え。」
(作者ヨハネ)「主イエスの恵み、聖徒たちの上に。アーメン。」
             完
 
 

*1以下の「全構成」の項目分けは、Beale. The Book of Revelation. 145-151.に準拠した。ただし、要約の内容は、筆者(私市)による。  
*2Deale. The Book of Revelation. 245--256.  
*3Beale. The Book of Revelation. 426/435.
*4Beale. The Book of Revelation.146--147.
*5Beale. The Book of Revelation.147.
*6佐竹明『ヨハネ黙示録』(下巻)新教出版社(2009年)50頁。
*7佐竹『ヨハネ黙示録』(下巻)85頁/114〜115頁。
*8Beale. The Book of Revelation. 148.
*9佐竹『ヨハネの黙示録』(下巻)210〜211頁を参照
*10〔Beale. The Book of Revelation.147--148.
*11「エルサレム」説もあるが、「バビロン」説のほうが多数である→Beale. The Book of Revelation. 850. /佐竹『ヨハネの黙示録』(下巻)225頁。
*12Beale. The Book of Revelation. 868.
*12佐竹『ヨハネの黙示録』(下巻)238〜240頁。
*13Beale. The Book of Revelation. 878.
*14Beale. The Book of Revelation.889--890.〕
*15佐竹『ヨハネの黙示録』(下巻)255頁〕。
*16Beale. The Book of Revelation. 1015--1016.
*17〔佐竹『ヨハネの黙示録』(下巻)369〜71頁〕)。
*18岡山英雄『ヨハネの黙示録注解』いのちのことば社。377〜378頁。
*19John J. Collins. Daniel. Hrmeneia. 7.
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