福音七講(6)
        「霊の人」日本人
          東京集会(2021年9月11日)  
■コイノニアの福音
 コイノニア会の福音の霊性については、今回で事実上完結します。大雑把(おおざっぱ)なオリエンテーション(方向づけ)ですが、これからの日本人の有り様について、わたしなりの願いをこめて語りたいと想います。
 わたしの伝える福音は、以下の五つの特徴を具えています。
(1)使徒信条、三位一体など、キリスト教の伝統的な信条と信仰を受け継ぐもので、十字架の赦しと御子の受肉を重視する。
(2)「一人の主イエス、一つの御霊」に導かれて、東方正教会もカトリック教会もプロテスタント諸派も一つになる方向を目指す。
   キリスト教以外の諸宗教も含めて、人類が一つになることが神の御心であると信じる。
(3)人類は宗教する存在であり、そういう者として神の恩寵によって「進化」する。
    だから、宗教的な営みと人類学的な視野は相互補完する。
(4)日本、朝鮮半島、中国を中心とする東アジア・キリスト教圏を形成する時代が始まる。
   この目的のために、日本人は、「霊の民」として、神から特別の使命が与えられている。
(5)欧米のキリスト教から学んだもの。三位一体の受肉の恩寵と結婚愛と個人の人権。
   学ばずに変えたもの。宗教的寛容と、宗教・自然科学の相互補完と、親ユダヤ人のイスラエル。
■神からの恩寵
 ルカ11章13節には、神から与えられる善い賜物が、霊的な祝福になるか、それとも、単なる肉的な欲望充足に終わるのか、この二つの可能性の分かれ目が描き出されています。人は「悪い者」でありながら、それにもかかわらず、自分の子供には善いものを与えることを知っている。それなら、まして神は、人に善い賜物である聖霊を与えてくださらないはずがあろうかとあります。この御言葉は、「人は悪い者であるのに神は悪い人に善い賜物をくださる」という誤解を生じるおそれがあります。神は、人間が悪い者である<にもかかわらず>善いものをくださるので、悪い者で<あるから>ではありません。なぜ神は、悪い人<にもかかわらず>賜物をくださるのでしょうか? それは、人が自分自身の有り様が悪いことを深く自覚して、それゆえに神の賜物を受けるに値しないことを自ら悟るからこそ、神の賜物が「恵み」であることを深く知るようになるからです。賜物が授与されるのは、悪い<から>ではない。悪い<のに>です。自分が悪いとみずから悟る<から>です。悟りが深まるほどに, 聖霊の賜物も豊に降るのです。神がくださる善い賜物を深く知るか、それとも、賜物を人間的な肉の欲望や自己自慢の種にするか。善い賜物が、聖霊の臨在をもたらすか、肉の充足となって腐るか。その分かれ目は、賜物の授与が「人間の罪性をも逆転させる神の恩寵」だと悟るかどうかにかかっています。
 わたしたちは、外側からその人の信仰を判断しない。外面の宗教的な形態がどうであれ、その人の内側を洞察するのです。見かけのクリスチャンがクリスチャンではない。「隠れた」クリスチャンこそ、ほんものです。例えば、現在の美智子上皇が、かつて皇后陛下であられた時、陛下は、宮中での神道の祭儀に参与しましたが、その内面はカトリック・キリスト教の霊性です。今も活きて働いてくださるイエス様の御霊の御臨在は、座禅を組んでいるカトリックの修道僧にも、キリスト教の修道院で祈る仏教のお坊さんにも働きます。仏教の「空」の世界は、イエス様の人格的霊性と対立しません。空の世界でも、イエス様の御霊は、少しも損なわれることなく御臨在くださるのです。仏教の循環する時間は、福音の直線的で終末的な時間軸と対立しません。両者は組み合わされて螺旋(らせん)を描くからです。日本古来の時空一如の世界も、福音の終末観へと、矛盾することなくつながります。
昨今のアジアで
 前回の京都集会(8月28日)でも語ったことですが、現在、アフガニスタンで、タリバンが勢力を回復し、アメリカの軍隊とアメリカに協力したアフガニスタンの人たちは、カブール空港から脱出しました。飛び立つ飛行機に乗せてもらおうと、アフガニスタンの人たちが必至に飛行機にしがみつく姿がテレビに映っていました。これとまったく同じことが、アメリカがヴェトナム戦争で敗北した時に、かつてのサイゴン(現在のホー・チミン市)で起こりました。ただし、あの時は、負けた相手がマルクス系の左翼勢力でした。今回は、イスラムの勢力です。 400年間、世界をリードしてきた米英のキリスト教的資本主義が、アジアで二度目の敗北を喫したのです。しかも、400年以上もキリスト教が敵視してきたユダヤ的な思想(マルクス主義)と、過激なイスラム教の人たちによってです。ただし、現在の米英は、ユダヤ人のイスラエルと協力関係にあります。
 私が何よりも気にしているのは、今、アフガニスタンにいるキリスト教徒のことです。テレビもマスコミも、一切報道しません。アフガンのキリスト教徒も、口を閉ざして言わない。ヴェトナムのキリスト教徒たちも、サイゴン陥落以後に、どうしているのか、全く聞こえてきません。おそらく、口を閉ざしているのです。現在、仏教国のミャンマーで、軍部の弾圧に大勢の若い人が抵抗しています。しかし、ミャンマーのキリスト教徒たちがどうなっているのか全く分かりません。香港は、およそ750万と言われる人口の非常に多くがキリスト教徒です。しかし、マスコミは、若い香港人の抵抗運動ばかり派手に伝えますが、キリスト教徒や宗教的な背景については報じません(「朝日新聞」に一度香港のキリスト教会のことが報じられました)。台湾の人たちは、今度のアフガニスタンのことで、非常にショックを受けています。しかし、台湾のキリスト教徒たちが本音で何を考えているのかを知らせてくれる人はいません。韓国でも、大統領の言動や韓国人の反応などは、テレビでも詳しく論じられますが、韓国のキリスト教徒が、どういう状態にあるのか、その実態を知らせてくれる人はいません。今の日本のキリスト教徒が、何を考えているのか、これをよく知る外国人は、お隣の韓国人やアメリカ人を含めて、国外にほとんどいません。最後に中国のキリスト教徒たちについても、ほとんど分かりません。年寄りの私が街を歩くと、出会う半分は息子と娘世代、あとの半分は、孫とひ孫の世代ですから、これから、日本のクリスチャンたちはどうなるのかと、少し案じられます。
■悪夢が再来しないために
 今の日本は、とても有り難い国です。なぜなら、国家権力に強制されて、人を殺すか、自分が殺されるか、そのどちらかを選ぶよう強制されることがないからです(徴兵制がない)。戦後の日本で、このような平和が保たれてきたのは、悪夢のような先の大戦時代に犠牲にされ血を流した厖大な数の日本人のお陰です。戦後の平和国家日本は、彼らのお陰で保たれてきました。だから、わたしたちは、次のような悪夢が再来しないように、「わたしたちを試みに遭わせず、悪しき者より救ってください」と祈らなければなりません。
 平成の時代が終わると、一部の者たちによる反日感情に煽られた韓国の世論と、日本を敵視する中国の政策とに連動して、日本で、昭和の始めの20年間を襲ったあの暗い時代が突然に始まった。暴力を背景に愛国心を喚(わめ)き散らす連中と、国粋主義に躍らされて奢る軍部と、利得を貪る財閥と、ひたすら権力者にこびて忖度(そんたく)する政治家や官僚たちと、彼らに怯える国民で構成される暗黒の日本が始まった。日本人の国際的な視野は閉ざされ、正義は権力者の私利私欲に委ねられた。個人の自由の灯火は世間の監視に吹き消され、阿諛追従(あゆついしょう)がはびこる中で真実を語る者は影を潜め、知恵者は沈黙した。こうして、権力者の驕りが作り出す暗い「国家のために死ねと言う」理念だけが民を覆った。結果として、国土は引き裂かれ、民は隷従化される亡国への歩みが始まった・・・・・。こんな悪夢が再来しないように、祈らなければなりません。
■霊の民としての日本人
 神は、「宗教する人」(ホモ・レリギオースゥス)としての従来の人類をば、新らしく変容させるために、イエス様の福音の働きによって、「霊の人」(ホモ・スピリトゥス)を創造しようとしておられます。こういう「霊の民」としての日本人を神は、これからの日本で育てようとしておられるのです。これからは、戦艦大和ではない。経済大国大和でもない。「霊の人」を発信する大和(やまと)、世界に和をもたらす霊の人の大和(やまと)です。
 どうか神が、イエス・キリストにある恩寵(御霊の御臨在)によって、この国の民を新たな霊の民へと「変身」(メタモルフェー)させてくださるように。神が、新たな「霊の人」日本人を生まれさせ、アジアに向けて、世界に向けて、あらゆる分野で、イエス様の御霊にある「霊の人」(ホモ・スピリトゥス)日本人を発信させてくださるように。神が、人類に平和をもたらすために、まことの意味の「大和(やまと)の民」を造り出してくださるように。アブラムがアブラハムになり、ヤコブがイスラエルになり、シモンがペトロになり、サウロがパウロになったように、「ニッポン・ホモ・サピエンス」(現生の日本人)が、ナザレのイエス様に出会うことで、世界に平和をもたらす「ニッポン・ホモ・スピリトゥス」(日本霊人)になりますように。これが、わたしの祈りです。
                   福音七講へ