3章 釈迦の教え
              
■『大品』(だいほん)
 『大品』(マハーヴァッガ)はパーリ語の文献で、出家僧の生活規律や出家教団の規則とその起源などを伝えるから「律蔵」(りつぞう)に属する最古の仏典である。パーリ語で『マハーヴァッガ』(大いなる章)と称される。『大品』は全部で10章から成り立つが、その第1章は、釈迦が菩提樹で悟りを啓(ひら)いてから、サーリプッタ(舎利弗=しゃりほつ)たち250人が仏教に入るまでが伝記的に描かれている〔宮本啓一『仏教かく始まりき』春秋社(2005年)i。以下『大品』からの引用は全てこの著作による〕。『大品』が、いつ頃書かれたのか? 宮本氏の本は一切触れていない。釈迦が入滅の直後に第1回仏教会議が開かれたが、第2回仏教会議は、釈迦入滅の約100年後のことだとされる。『大品』はおそらくこの時に編纂されたと考えられているから〔Internet Sacred Text Archive: Buddism:The Mahavagga.〕、前5〜4世紀、遅くとも前3世紀以前であろう。
 
 
〔菩提樹の話(1)〕「その時、目覚めたお方、幸あるお方は、ウルヴェーラー村はネーランジャラー河の岸辺にある菩提樹の下にあって、最初の目覚めを体験された。時に、幸あるお方は、菩提樹の下で一たび結跏趺坐(けっかふざ)したまま、七日の間、解脱の楽を味わいながら座したもうた。」
 〔菩提樹の話(2)〕「時に、幸あるお方は、その七日目の夜の初夜に、縁起を順逆に考察された。〔すなわち〕「無明に縁(よ)って行(ぎょう)が生じ、行に縁って触(そく)が生じ、触に縁って受(じゅ)が生じ、受に縁って愛が生じ、愛に縁って取(しゅ)が生じ、主に縁って有(う)が生じ、有に縁って生(しょう)が生じ、生に縁って老と死と愁いと悲しみと苦と憂慮と悩みが生ずる。このようにして、すべての苦の集まりが起こってくるのである。
 また、無明が余すところなく滅すれば行が滅し、行が滅すれば識が滅し、識が滅すれば名色が滅し、名色が滅すれば六処が滅し、六処が滅すれば触が滅し、触が滅すれば受が滅し、受が滅すれば愛が滅し、愛が滅すれば取が滅し、取が滅すれば有が滅し、有が滅すれば生が滅し、生が滅すれば老と死と愁いと悲しみと苦と憂慮と悩みとが滅する。このようにして、すべての苦の集まりは滅し尽くすのである。」
 
 (1)にある「目覚めたお方(覚者)」とは「ブッダ(仏陀)」であり、「幸あるお方」も同じく「ヴァガヴァット(世尊)」のことで、どちらも釈迦の尊称である。「初夜」とは、古代インドの「初夜」(午後8〜11時)、「中夜」(午後11〜午前2時)、「後夜」(午前2〜4時)の最初に当たる。
 釈迦の啓いた悟りの境地「解脱」に到達する道は「成道」(じょうどう)と呼ばれ、その方法は「縁起」(えんき/えんぎ)、「四正(聖)諦」(ししょうたい)、「八正(聖)道」(はっしょうどう)、「五蘊非我」(ごうんひが)など、様々に分別されている。中でも「縁起」は最も古いもので、釈迦自身による発案だとされる。「縁起」(パティッチャ・サムッパーダ)は「縁(よ)って起こること」、すなわち物事の起こる「因(原因)」とその「縁(条件)」のことで「因縁」(いんねん)とも呼ばれる。この世での「縁起」(原語「パティチャ・サムッパーダ」)と呼ばれ、その因果関係の鎖を確定する方法は、特に釈迦だけが発案した方法によって定まる。このような縁起確定の方法を「此縁性」(しえんせい)(原語「イダッパッチャヤター」)と言う〔宮本前掲書34頁〕。此縁性という因果関係の確定法を悟った釈迦は、輪廻の生存にかかわるあらゆる事象を理解し、無明に始まり苦に終わる因果の鎖を悟ったことになる〔宮本前掲書35頁〕。縁起を超越して縁起が滅した境地を「解脱」と言う〔『岩波仏教辞典』77頁〕。「縁起」には、簡単な二つのリンク、二支縁起から十二支縁起まであるが、「菩提樹の話し」(2)の後半で述べられているのは、宮本氏によれば「十二支縁起」である〔宮本前掲書12頁〕。ただし、(2)だけでは、筆者には全部で11のリンク、すなわち十一支縁起に思われる。
■十二支縁起
 釈迦の説いた縁起は、初めはより数の少ない簡単なものだったが、釈迦入滅以後に、それが十二因縁にまとめられて十二支縁起へ発展したという説がある。ただし、宮本氏によれば、これは誤りで、釈迦の成道は最初から十二の因縁から成る十二支縁起であったことになる〔宮本前掲書14頁〕。聖書解釈の場合もそうであるが、文献学的な批判を加えると、とかく時間の系列に沿って、少数から多数へ発展する過程を想定することになる。宮本氏はこれを否定して、最初から十二因縁全部を釈迦自身が自覚していたと見るのだが、筆者に言わせると、どちらの説も相互に矛盾しない。釈迦の啓いた解脱の成道は、そもそも「不可称、不可説(せち)、不可思議」であって、それ自体名づけがたく、説き難く、思いがたい境地である。だから、釈迦は、このような境地を原理立てて説明することを避けて、会う人ごとにその人に最もふさわしい仕方で道を説いた。『スッタ・ニパータ』(ブッダのことば)も、その韻文の部分は前268年以前だとあるから〔中村元訳『ブッダのことば』岩波文庫。438頁〕、『大品』とほぼ変わらない古いものであり、そこでは、このような人との出会いによる対機法で法/道が説かれている。だから、釈迦が到達した悟りの境地が、少数の縁起から多数の縁起に敷衍(ふえん)されたとしても、それら全過程が、釈迦の解脱の成道に初めから存在していたことと少しも矛盾しないのである。「菩提樹の話し」(1)には「七日の間」解脱の楽を味わったとあるから、七日目の夜に初めて解脱の全体像が覚知されたと考えることもできる〔宮本前掲書21頁〕。
 「菩提樹の話し」(2)で語られている十二支縁起(十二因縁)は、(1)無明(むみょう)、(2)行、(3)識、(4)名色(みょうしき)、(5)六所、(6)触、(7)受、(8)愛、(9)取、(10)有、(11)生、(12)老・死・愁い・悲しみ・苦・憂慮・悩みである。
【無明】原語「アヴィドヤー」は「目が見えない」こと。人間と宇宙が変転して何一つ定まらない無常の真相に無知なことで、この無明から我(が)に固執する煩悩(迷い)が生じる〔『岩波仏教辞典』789頁〕。ほとんど自覚できないほどの「生存欲」という説もある〔宮本前掲書15頁〕。
【行】原語「サンスカーラ」は「歩む」であるが、この訳語の原語が多い。「サンスカーラ」は、「形成される/成り立つ」過程と、そこから「形成されたもの」の両方を含むから、移りゆく生滅(しょうめつ)と生滅するもの両方を指す。特に人に「意識を生じさせる意志」は五蘊(うん)の一つで、この意味の「行」は「業」に等しい。「諸行無常」の「行」がこれにあたる。ただし、後には、信心の「行」として「修行」の意味にもなる〔『岩波仏教辞典』169頁〕。
【識】原義「ヴィジュニャーナ」は「区別して知る」。心臓を中心に感覚と経験を通じて形成される心が造り出す世界のこと。世界の構成を五蘊に分析する際の一つは識蘊と言われる。「識」はその対象を得ることであるが、認識する主体と認識される客体の両方が含まれる。人が通常考えている実我や人が判断する外界(げかい)の実法などは、それらの実体に即したものとは言えない。人の心は「阿頼耶識」(あらやしき)、人の意は末那識(まなしき)と呼ばれる。
【名色(みょうしき)】原語は「ナーマ(名称)・ルーパ(形態)」。「名」は心・精神を指し、「色」は物質的な物を指すから、「名色」はその複合体のこと。人の個体は、精神面と物質面から成り立つから、「名色」はそのような個人を複合体と見ている。「名色」は人の心と認識する世界を一つにして指すこともある。今回の十二支縁起では、「識」と依存関係にあるから、「名色」は人がとらえる対象となる世界全体を表わすのであろう〔『岩波仏教辞典』772頁〕。森羅万象は認識されることで初めて世界の存在要素として確立されることになる〔宮本前掲書〕。
【六処】原語は「サッダ(六)・アーヤタナ(入る)」で、「六入」とも呼ばれる。人間の意識に入ってくる六箇所〔眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)〕と、入ってくるもの〔外界〕の両方を指す。入る箇所が「六根」で入るものが「六境」、合わせて「十二入(処)」となる〔宮本前掲書〕〔『岩波仏教辞典』849頁〕。
【触(そく)】人の身体を通して感官と対象とが接触すること。後代の『説一切有部』(せついっさいうぶ)では、十二支縁起が胎生学的に解釈されて、(1)と(2)は生まれる以前の因であり、(3)の「識」が受胎の始まり、(4)は母胎の中での心の働きと身体の発育段階、(5)は六感覚が具わって母胎から出る段階、(6)の「触」は2〜3歳頃で、苦楽を意識することはないが、物に触れる段階とされた。
【受】原語「ヴェダナー」は「痛」「覚」とも訳す。五感との接触によって引き起こされる感受作用のこと。六根と六境と六識が、触によって生じる苦楽・印象・感覚を指す〔『岩波仏教辞典』388頁〕。
【愛】原語「トゥルシュナ」は「渇き」。水を求める人間の根源の衝動のこと。激しい欲望に動かされる盲目的な執着を指すから「渇愛(かつあい)」とも訳され、広義では「煩悩」を指し、狭くは「貪欲」を指す(モーセ十戒の最期の「貪り」に近い)。男女の性愛では激しい衝動による愛欲を意味する。「愛」は、「受」によって苦痛を受けるものには憎悪によって苦を避けようとし、楽を与えるものには熱望を覚えるから、愛憎の念を起こす段階のことである〔前掲書1頁〕。
【取】原語は「ウパダーナ」。渇愛による執着から、あるものを「取って手放さない」こと。煩悩の欲望(欲取)、誤ったものの見方や見解(見取)、誤った生き方や信条(戒禁取/かいごんしゅ)、利己的な我見(我語取)がある〔前掲書388頁〕。
【有(う)】原語「ブハーヴァ」は、存在するものとその存在の状態とそれが存在すること自体を含む。反対が「無」。十二支縁起では、業(ごう)によって生じる因果応報、自業自得の輪廻的な生存のことで〔宮本前掲書16頁〕、欲界と色界と無色界の三界を衆生が輪廻していく様を言う〔『岩波仏教辞典』54頁〕。
【生(しょう)】苦の始まりとして誕生を指すが〔宮本前掲書〕、生存することもこれに含まれる。
【老・死など】輪廻の生存に不可避的に伴う苦のこと〔宮本前掲書〕。
 釈迦がこれら十二の因縁を悟った時に、「努力して瞑想しているバラモンに、もろもろのものごと〔の因果関係〕が顕わになった時、彼は、太陽が天空を照らすかのように、悪魔の軍勢を打ち破って立つ」(7)と言っている。もろもろの「ものごと」(ダンマー)とは、「真理」「理法」「正しい教え」「法」などの意味を含むが、ここは単数で釈迦の悟ったただひとつの「ものごと」を意味するようである〔宮本前掲書19頁〕。
 釈迦は、そこからアジャーパラの樹の所へ向かい、そこで結跏趺坐(あぐら姿の瞑想で両手で悟りの姿を現わす)すると、一人のバラモンが「君、ゴータマよ、何によってバラモンとなるのか?」と問いかける。すると釈迦は、「もしバラモンが、悪法を斥け、傲慢でなく、汚れなく、よく自制しており、ヴェーダに通じ、清浄な行(梵行)を完成したならば、そのバラモンは、法により、バラモンと自称できる」と答えている〔アジャーパラ樹の話(3)〕。釈迦の時代のバラモンは、宇宙生成の論議に熱中し、宇宙の根本原理ブラフマンから森羅万象が流出するとして、自分たちこそ、そのブラフマンに携わるから己の言葉は真実であると主張していた。ここの釈迦の言葉には、このような「傲慢な」バラモンへの皮肉をこめた批判が含まれている〔宮本前掲書25頁〕。時に釈迦がムチャリンダの樹下に座していると、「竜王」(猛毒のキング・コブラ)が釈迦に巻き付いて危害を加えようとするが、七日を経て後少年の姿に変じて、釈迦に帰依したとある〔ムチャリンダ樹の話(4)〕。
 釈迦の悟った「真理」は「深遠で、見がたく、知りがたく、寂滅しており、妙勝であり、考察しがたく、微妙であり、智者のみが知りえるもの」〔梵天勧誘の話(2)〕であるから(この描写は旧約続編の知恵の書7章22〜30節に類似する)、「貪りに染まり、闇黒の塊に覆われた人々には見ることができない」〔梵天勧誘の話(3)〕。解脱した釈迦は、輪廻の生存に価値を見出すことができず、「ああ、世間は滅びる」〔梵天勧誘の話(4)〕と叫ぶのだが、世界の主である梵天が釈迦の前に現われて、釈迦に向かって合掌して「幸あるお方が真理をお説きくださいますよう。生まれつき汚れの少ない衆生もいます。彼らは真理を聞かなければ退歩しますが、〔聞くならば〕真理を了知するものとなるでしょう」と語ったとある〔梵天勧誘の話(6)〕。
 釈迦のかつての師であったアーラーラ・カーラーマは、輪廻から解脱するためには欲望を滅すればよいと考え、釈迦の次の師ウッダカ・ラーマプッタは、解脱への想念を持つだけでなく、想念そのものが「あるともないとも言えない境地」に達する時に解脱が可能だと信じた。しかし釈迦は、そのどちらの師からも解脱を得られなかった。悟りを啓いた今となって、釈迦は「もしも今自分が悟った真理を聞けば、二人の師たちも速やかに了知しただろう」〔最初の説法(4)より〕と語る〔宮本前掲書48〜50頁〕。
 ここで注意したいことがある。それは釈迦が、自分が到達した解脱の道をそれまでのバラモンを始め、直接師事した二人の師の道よりも「上においている」ことである。解脱の「正道」(しょうどう)とは、人が悟りにいたる方法に関するが、釈迦は自分の師を含むそれ以前の先人たちの方法を否定してはいない。それよりも自分が達した道のほうが「上にある」ことを確認している。これが釈迦一人のみ「正道を知る」ことになるのであろうが、この釈迦の論法は、それ以後の仏教に受け継がれて、様々な名僧たちが、自分の到達した解脱の方法こそがそれまでの全ての道に優る、こう主張する根拠となっているのではないか?と思う。キリスト教と違って、仏教には、なぜ「正典」と呼ぶべきものがないのか? それは、そもそもの初めから、釈迦の解脱体験とこれを伝える方法論に端を発しているのではないかと思われる。小乗から大乗への移行も、インド仏教から中国仏教へ、さらに日本仏教へと移行する過程において、仏教が、その教団の直接の開祖を始祖と崇める数多くの「始祖仏教」から成り立っている理由がここにあるように思う。
■八正道
 釈迦は、かつて共に苦行を積んだ5人の仲間(五比丘)を訪れて、彼らに説法しようとした。すると彼らは、「友、ゴータマよ、あなたは、かの行、かの道、かの難行によってしても、最上の人の真理、最も聖なる殊勝な知見を証得しなかった。今、贅沢者で、精進して行なう修行を捨て、贅沢に堕したあなたが、どうして最上の人の真理、最も聖なる殊勝な知見を証得できるのか」と問いかける〔最初の説法(13)より〕。釈迦は答えて言う。「比丘たちよ、耳を傾けよ。私はすでに不死を証得した。私は教えるのだ。私は真理を説くのだ。教えられたように修行するならば、久しからずして、良家の息子が正しくも家を出て出家となる本懐、すなわち、無上の清浄行の完了を、みずから現世において証得し、直に知り、具足して住することになるであろう」〔最初の説法(14)より〕。しかし五比丘は、釈迦に同じ問いかけを三度繰り返す。釈迦が「比丘たちよ、あなたたちは、私が今より以前に、このように説いたことがあると了知したことがないのではないか」と問い返すと、「尊いお方よ、ありません」と答えて、五比丘は釈迦に帰依することになった。釈迦の説法には不思議な力が宿っていたのであろう。そこで釈迦は、彼らに次のように説いた。
 
「比丘たちよ、健勝なるお方が覚知し、眼をもたらし、智慧をもたらし、平安と証智と目覚めた涅槃とに資するその中道とは何か。これこそが、八支よりなる聖なる道である。それは次のようなものである。すなわち、正見(しょうけん)と正思惟(しょうしゆい)と正語(しょうご)と正業(しょうごう)と正命(しょうみょう)と正精進と正念と正定(しょうじょう)とである」〔最初の説法(18)より〕
 
 五比丘の帰依を得て、釈迦の本格的な説法が始まる。その道は、「欲望の対象の中にあって欲望と快楽にはまり込む」ことではなく、さりとて、「みずから疲弊にはまり込むと、これは苦であり、聖賢のものではなく、不利益と結びついている。健勝なるお方は、この両極端を捨て、中道を覚知した」〔最初の説法(18)より〕、とある。このように、快楽でも苦行でもない「苦楽中道」こそ本道だというのである。続いて釈迦は、苦を滅して解脱に至る正しい道として、「八正道(聖)道」(はっしょうどう)と呼ばれる次のような具体的な徳目をあげている。
【正見】正しいものの見方(智慧)。
【正思】「正思惟」とも言う。正しい思考の仕方(善悪を分別するための自覚的な論理)。
【正語】正しい言葉(嘘や暴言を使わない)。
【正業】正しい行ない(生類を殺生しないなど)。
【正命】正しい生活規律(戒律を守る)。
【正精進】正しい努力(修行を怠らない)。
【正念】正しい記憶(教えを心に刻む)。
【正定】正しい瞑想(徹底思考する瞑想)。
   〔宮本前掲書75〜76頁による〕
■四諦(したい)
〔最初の説法(19)〕「比丘たちよ、苦聖諦(くしょうたい)とは次のごとくである。誕生は苦であり、老いは苦であり、病は苦であり、死は苦であり、怨憎(おんぞう)するものと会うのは苦であり、愛するものと別離するのは苦であり、求めて得られないのは苦であり、まとめて言えば、五取蘊(ごしゅうん)は総じて苦である。」
                   
〔最初の説法(20)〕「比丘たちよ、苦集聖諦(くじゅしょうたい)とは次のごとくである。再生(後有)をもたらし、喜びと貪りとともにあり、随所に歓喜する渇愛(かつあい)である。それはたとえば、欲望の渇愛、生存の渇愛、虚無の渇愛といったものである。」
                   
〔最初の説法(21)〕「比丘たちよ、苦滅聖諦(くめつしょうたい)とは次のごとくである。この渇愛を余すところなく離滅し、放擲し、解脱し、愛著(あいじゃく)のないことである。」
                    
〔最初の説法(22)〕「比丘たちよ。苦滅道聖諦とは次のごとくである。これこそが八支よりなる聖なる道である。それはたとえば、正見・・・・・正定とである。」
                    
 これがいわゆる「四苦八苦」であるが、これらは、「四諦」(したい)あるいは「四聖諦」(ししょうたい)と呼ばれる。「諦」とは「真実」のことである。後代には、これらが生苦、老苦、病苦、死苦、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦(ぐふとくく)、五陰盛苦(ごおんじょうく)に分かれて、初めの四つは身体に関わる苦であり、次の三つは心理的な苦であり、最期は、全体をまとめた苦であるとされた〔宮本前掲書76〜77頁〕。
 続いて釈迦は、比丘たちに、苦聖諦を明知することで光明(こうみょう)が生じたこと、光明によって苦集聖諦を断ずることで、光明が生じたこと、同様に苦滅聖諦を光明によって目の当たりに知ったこと、そして苦滅道聖諦を光明によって習得し終えると、光明が生じたことを教えた〔最初の説法(23)〜(26)〕。釈迦の意を得た五比丘は、釈迦の教えに歓喜したとある。
五蘊(ごうん)
 「五蘊」とは、人間の輪廻的な有り様において認識される「五つの働きの総称」を指す〔宮本前掲書93〜94頁を参照〕。
【色蘊】色形のこと。人の身体は、色と形において知覚されるから。
【受蘊】人が感受を働かせる作用の総称。感官を通じて外の現象を知覚すること。
【想蘊】識別する働きの総称。知覚した内容を例えば男女、赤青などのように分けるのが識別作用。
【行蘊】記憶と想起と意志の働きの総称。
【識蘊】判断する働きの総称。識別した対象は言語化されることで初めて、それらがある名称と対応されて「これは〜である」と概念化して記憶できる。
 
〔最初の説法(39)〕 「感受作用は自己ではない。というのも比丘たちよ、もしもこの感受作用が自己であるならば、この感受作用は病をもたらすことはないであろうし、だからまた感受作用について、私の感受作用はこのようであってほしい、私の感受作用はこのようであってほしくない、というような状況が得られるであろう。しかし、比丘たちよ、感受作用は自己ではないから、感受作用は病をもたらすし、だからまた、感受作用について、私の感受作用はこのようであってほしい、私の感受作用はこのようであってほしくない、というような状況は得られない。
                     
 ここから、五蘊の働きは、いわゆる「自己」ではないことを言う。これについては、先立つ説法(38)で、釈迦は「もしも私の色形が自己であるならば、この色形は病をもたらすことはないであろうから、私の色形はこのようであってほしい、あるいはこのようであってほしくない、というような状況が得られるであろう。しかし、私の色形は自己ではないから、色形は病をもたらし、また、私の色形はこのようであってほしい、あるいはほしくない、というような状況は得られない」という主旨のことを述べている。
 ただし、ここで五蘊が「自己でない」とは、自己そのものが存在しないことを意味<しない>から注意を要する。だから、ここで説かれていることは「非我」であって「無我」ではない。これを「五蘊非我」と言う。しかし、釈迦はここで、完全な無我を説いているという説もあるようだ。無我であれば、輪廻は生じえないから、釈迦は輪廻それ自体にも否定的であったことになる。だが、釈迦がここで説くのは、そのような「無我」ではなく、「非我」のほうだと言う〔宮本前掲書96〜97頁〕。では、五蘊から離れた「自己」とは、いったいなにか? 釈迦はこれを問うこと、あるいはこの問題に関わり合うことを戒めている〔前掲書105頁〕。この辺は、仏教の人間観と「人格」との関係を探る上で興味深いところであろう。
■因果と倫理
 「非我は無我にあらず」という釈迦の教えは、その教えの倫理観とも深く関係する〔宮本前掲書105〜09頁参照〕。「因果応報」と言うように、善い行ないは善い結果をもたらし、悪い行ないは悪をもたらすというのが、因果の倫理観の根底である。しかし、因果に基づく輪廻思想は、人の有り様を宿命的にとらえることで、社会の弱者と強者の差別を固定する宗教的な働きをも伴う。ヴェーダの宗教はまさにこのような性格を具えている。しかし、輪廻思想に基づく因果応報は、過去と現在と未来永劫に関わる生死観をもたらすから、人の倫理行為も現世だけでは定まらないことになる。人は宿命に生きるのか? それとも未来に開かれた自由に生きるのか? というこの問いかけは、そもそも人の倫理を形成する基となる「自己」とは何か? という問いかけに結びくことになる。輪廻思想は、その「自己」さえも因果の輪廻に巻き込むから、「非我は無我にあらず」の非我そのものも、「自己とは何か?」という問いそのものとなって輪廻の中で定まる、という循環に陥ることになろう。
 だから釈迦は五比丘に「色形は常住であろうか、無常であろうか?」と問いかけ、さらにその上で「無常であり、苦であり、変壊(へんね)を決まりとするものを見て、これは私のものである、私はこれである、これは私の自己であると考えるのは適当であろうか?」と問う。比丘たちは「そうではありません」と答えると、釈迦は続けて、「過去・未来・現在の全ての色形・・・・・これは私のものではない、私はこれではない、それは私の自己ではないと、このようにあるがままに(如実に)正しい智慧をもって知見するべきである」〔最初の説法(42)〜(44)〕と説くのである。
 「諸行の自己」こそ「諸行無常」である。結果として、「五蘊を離れて解脱し、解脱したならば、私は解脱したという知識が生じ、生は尽きた、清浄な行にすでに住した、なすべきことはなし終えた、さらなる輪廻的な生存のような状態はない、と正しく知ることになる」と釈迦は言う〔最初の説法(46)〕。五比丘の全員が、釈迦のこの最初の教え(初転法輪)を聴いただけで解脱に達して「阿羅漢」になったと言う〔宮本前掲書110頁〕。
■マガダ国王の帰依まで
 『マハーヴァッガ』(『大品』)では、最初の説法と五比丘の帰依の後、ヴァーラーナシーの良家の息子ヤサの出家物語(釈迦自身の出家と重なる)があり、彼に在家信者が守るべき五戒が授与される。さらに、釈迦を始め修行完成者に授与される超能力(六神通力)が語られる。その後、悪魔(竜王)と釈迦の討論があり、悪魔が敗北する。さらに両者の神通力合戦で竜王が最終的に退治される。続いて四大王天、帝釈天、梵天が釈迦の教えを聞きに訪れる。釈迦が遠方を短時間で往復する~足通の話しがあり、こうして釈迦は、最高の大威~通力を会得する。続いて、六感官、六対象、六識から成る十八界の教えが説かれ、結(ゆ)い髪業のカッサバ三兄弟と、結い髪業者1000人が釈迦に帰依する。
 釈迦とその一行は、マガダ王国の首都ラージャガハの王舍城のマガダ国王セーニャ・ビンビサーラを訪れて、王に教えを説くと、王とその家族が「十二万人のマガダ国のバラモン・家長(資産家)たち」と共に帰依するにいたる。国王は、釈迦とその弟子たちに竹林園を与え、釈迦は、そこを游行と定住の拠点とした。こうして釈迦の前半生の物語は、サーリプッタ(舎利弗・しゃりほつ)とモッガッラーナ(目連)の帰依で終わるが、そこには「六師外道」の一人サンジャヤの二人の弟子も含まれている。
■釈迦の霊性
〔釈迦の涅槃の特徴〕釈迦が到達した霊性は、次の四つの特徴を具えていると言えよう〔エリアーデ『世界宗教史』(2)104〜105頁〕。
(1)渇愛から完全に脱却することで、もろもろの「苦」を停止させる。苦の停止にいたる道程が八正道である。
(2)涅槃は存在する。涅槃にいたる成道は、独特の技法による瞑想を通じて成就される。涅槃は「この世で見ること」ができる。それは明白で現実的であるから現世の事柄である。涅槃に達するために行者は、自分が無意識のうちに行なってきた全ての行為を「自覚する」ことを求められる。
(3)この成道は、ただ釈迦自身だけが会得したものである。釈迦の成道へ至る技法はヴェーダの時代から実践されてきたものを受け継いでいるが、ヨーガの技法の中で、ただ釈迦が教えた方法に従うことによってしか、涅槃に近づくことができない。それは釈迦によって「再解釈された」ヨーガである。
(4)涅槃にあって「不死」の境地に到達する。釈迦は涅槃の属性については、繰り返し異なる言い方で説いているが、涅槃を定義することは避けている。
 輪廻から完全に解脱して、最後に涅槃に到達する道程は、さらに以下のように吟味される〔エリアーデ前掲書106頁〕。
〔禅定〕「禅」のサンスクリット語は「ディヤーナ」で、これの漢語読みが「禅」である。「定」は、禅の意味をとって加えたものである。心を鎮めて瞑想し、真理を深く観察することで心身ともに動揺することなく、安定した状態にいたる道のことである〔『岩波仏教辞典』501頁〕。禅定は、先ず知的な推論と反省を伴う瞑想によって、欲望から離脱することで喜悦に達する。次に、知的活動を鎮め、思考を統一することで内的な落ち着きを得る。そこから喜悦を離れ、無心となり、完全に自覚的になることで、肉体の至福を経験する。最期に、「苦」と同様「喜悦」も捨て去り、無心の覚醒した思考状態に達する。
〔至等〕原語は「サマーパッティ」で内省を意味する。思考を集中して無にすることで、無限の空間、無限の意識にいたり、さらにそこから「意識でも無意識でもない」状態に達する。禅僧は、この段階で、霊的に純粋な「エクスタシー」に入り、「みずからの肉体で涅槃に触れる」と言われる。
〔三昧〕原語「サマ−ディ」は、集中することを指す。一つの対象に心を集中して散らさず、乱されない状態、またこの状態に至る修行を指す。「禅/禅那」「瑜俄(ゆが)」とも訳される。悟りにいたるには三昧が前提となるが、悟りに達する直前の確固不動の三昧状態を特に「金剛瑜定(こんごうゆじょう)」と言う〔『岩波仏教辞典』330頁〕。
 釈迦は、従来の伝統的な苦行(タパス)の実践であるヨーガの技法を通して涅槃に達して解脱するために、独自の瞑想の道程を編み出した。それだけでなく、釈迦は、瞑想の方法を悟りの教義的な理解と統合させることができた。真理を悟る「知恵」(プラジュニャー)と涅槃に触れる瞑想体験、「教義」と「瞑想」のこの二つは、釈迦の弟子たちの間でも容易に統一できなかったようである〔エリアーデ前掲書109頁〕。
■釈迦とホモ・レリギオースゥス
 インドでは、300兆年を周期に、宇宙の創造と破壊が無限に継起すると言われる。こうなると人の「業(ごう)」(カルマン)を縁起として、因果によるこの世への生存の回帰が無限に繰り返されることになる。ここで時間は、宇宙的な規模で、迷妄(マーヤー)に陥り、生存の永劫回帰は、限りない繋縛の継続を意味する。だから、再生しないことが業(ごう)を断絶させる唯一の方法であり、これによって永久的な解脱にいたる。
 しかも、ヴェーダの宗教は、人類の「宗教性」の原初からの痕跡、すなわちホモ・レリギオースゥスに潜む信愛と残酷さの二面性の特徴を如実に具えていた。その特徴は、アーリア民族による被征服民への苛酷な差別とその過程において成立したカースト制度を根拠づける宗教理念に明示されている。ヴェーダの宗教を特徴づける「呪(まじな)い」は、人間に幸福と善をもたらす祈祷であると同時に、敵対する者への容赦のない「呪(のろ)い」をも含む二重性を具えている。
 しかしながら、ヴェーダの宗教は、宇宙の根源的な原理へ到達する手段して、エクスタシー体験への霊的かつ知的な追求を止めることをしなかった。釈迦は、その修行過程において、ヴェーダの宗教のこの知性による霊性の追求の伝統を教義と苦行の両方を通じて学び取るところから出発した。
 釈迦は、激しい修行の末に、修行では真の覚者に到達できないことを悟り、あえて修行を離れて菩提樹の下に座り悟りを啓いた。釈迦は、人間が深い「無明」に囚われていると悟り、一切の欲望から離脱することで、解脱の境地に達する道を説いた。それは、人が、その欲望を捨て去る道を透徹して追求することであり、人が、自己の一切の想念から離れることを求めるものである。しかし、釈迦の到達した悟りは、合理的であるように見えるが、「不可称・不可説・不可思議」と言われるように、名づけ難く、説き難く、思考し難い。だから釈迦は、みずからこれを定義することを避けている。このため釈迦の説法は、その時のその人に向かって具体的に語る対機法によっているが、釈迦の霊性の根源にあるのは「悟りの知恵」と「慈悲」であると言われる。
 わたしたちは、この釈迦において、宗教する人の「宗教心」それ自体さえも透徹して放棄することを求める教えに初めて出逢うことになる。人間の宗教心それ自体も、罪業の深い闇に包まれていることを釈迦は洞察したのである。人は、己の信心それ自体からも離れて、一切を無に帰することで初めて悟りに達する。この「無」の境地にあって、一切の殺生を拒否し、万民のために自己をも犠牲にする知恵と慈悲が啓ける道を指示したのが釈迦である。
 釈迦は、ホモ・レリギオースゥスに潜むレリギオの正体をその窮極まで自覚的に見つめ続けることで、ホモ・レリギオースゥスの二面性を具えた「宗教性」から脱却する道を悟った。彼は、ホモ・レリギオースゥスの有り様それ自体を完全に知り尽くすことによって、これを無に帰せしめ、ホモ・レリギオースゥスの正体を消滅させる境地を切り開こうとしたと言えよう。
 「(世間の)罪過あり、あるいは罪過なきこの(宗教的な)行為をも捨て、『清浄である』とか『不浄である』とかいう願い求めもなく、それらにとらわれず行なえ。── 安らぎを固執することもない」(900)というこの境地に達することで、宗教する人もろともに宗教そのものを脱却することができる。こう釈迦は説いているのであろう。
 注意したいのは、釈迦の到達したホモ・レリギオースゥスの消滅は、現在の自然科学的な理性から生じるいわゆる科学万能主義による宗教否定では<ない>ことである。そうではなく、人間の宗教性をそのエクスタシー体験もろともに、どこまでもその宗教的な霊性に沿ってこれを自覚するという、霊的な「悟り」による明察から得られたものである。釈迦は、人間が、人間を超えた神から降る聖なる霊の働き以前に、そのような神の霊性を授かるのに最もふさわしい霊知を具えた人間の有り様を探求し、かつこれに到達することに成功したほとんど唯一の希有な人物であった。
■釈迦とイエス
 釈迦の教えとその宗教活動が、イエスの福音と対照されるのは、殺生の思想と病気癒やしの霊能である。「殺生」は、ヴェーダの宗教を受け継いだ釈迦と同時代の苦行僧によって厳しく説かれているから、殺生を禁じる思想それ自体は、釈迦によるものではなく、それ以前のバラモンの伝統から釈迦の解脱への道として採り入れられたものであろう。一方、釈迦の活動に欠けていて、イエスの伝道に著しいのが病気癒やしなどの霊能の業である。釈迦は、むしろ、これらの神通力をその解脱の智慧から排除していた。だから、釈迦の活動には、イエスに見られる病気やしの伝道は見られない。病気癒やしは、むしろバラモンの呪術的な祭儀として受け継がれてきた経過があり、釈迦の悟りの知恵は、このような癒やしへの願望をも生存への欲望として滅却する方向を指している。
 インドでは、苦行僧や知識階級に仏教がひろまったものの、仏教が、結局は、バラモン教と、続くヒンズー教とに「取って代わる」ことがなかった。これは、仏教の悟りの道が、病気癒やしのような庶民の生存への願望を滅却する方向へ向かったからであろう。一人修行に励む釈迦の教えは、この意味において、庶民を動かし社会を変革する力とはなりえなかったようである。仏教が、バラモンのカースト制度を克服することができなかった要因の一つがこれであろう。イエスに働く唯一の神からの「創造の御霊」にある罪性の克服と、釈迦の生存への欲求を滅却させる道とは、この点で大きく異なる。
 それにしても、釈迦の教えの何と複雑で難解なことか。解脱と涅槃に至る行程には、並々ならぬ苦行を要することか。これに比べて、「ただ信じる」だけのイエスの福音の何と単純で分かりやすいことか。おそらくこの違いは、釈迦の説く悟りが智慧によるのに対して、イエスの福音が、十字架の贖いを成し遂げたナザレのイエスの全人格的な「働き」による出来事から来るのであろう。
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