2004年クリスマス集会講話
多様と一致
第一コリント人への手紙10章15〜17節
15わたしはあなたがたに分別ある者として話します。
わたしの言うことをあなたがたで判断してください。
16わたしたちが賛美するこの賛美の杯、これはキリストの血にある交わりではないか。
わたしたちが裂くこのパン、これはキリストの体にある交わりではないか。
17パンは一つ、大勢でも体は一つ。
皆が一つパンを分けて食べるのです。
わたしたちのコイノニア会では、クリスマスには聖餐をいただきます。わたしが勤めていた大学で、今の天皇陛下が皇太子でおられた時に、ご夫妻の訪問を受けました。その時に記念の植樹をなさいました。皇太子の植えられた木として、今でも大切にされています。クリスマスの贈り物を戴いた時でも、それが誰からの贈り物かが大事なんですね。植木でも贈り物でも、物はほかの物と全く変わりません。ただ、物には、それと「関わった人」、人格ですね、これが背後にあります。このパンもぶどう酒も、ほかの物と全く変わりません。でもこれにはイエス様というお方とその御言葉とが関わっています。イエス様の御霊のご臨在が関わっています。そのことが、このパンとぶどう酒を「聖餐」に変えているのです。
今年は、今まで一度も引用しなかった聖句から読みます。第一コリント人への手紙10章15〜17節です。コリントの教会では、御霊の働きが活発でした。それだけに、いろんな信仰の人たちがいたのです。「多様の中に一致あり」「一致の中に多様あり」という言葉があります。これはわたしが今年の夏期集会でも語ったことですね。この一年のコイノニア会の歩みは、まさにこの言葉に代表されていると思います。「パンは一つ、大勢でも体は一つ。」です。「多様の中で一致」を保つためには、「してはならない」ことがあります。それは、自分の考えを人に押しつけようとして人を非難することです。自分が「正しい」と信じるのはよいことです。しかし、このために、他人の信仰や意見を見下したり非難したりするのは困ります。人と意見が「違う」のはいっこうにかまいません。でもそれが「間違い」だと思ってはいけません。自分の信仰を大事にしたいのなら、他人の信仰も大事にしなければなりません。批判されなければならないのは、人の信仰を批判するほうの人です。批判する場合はそれだけの覚悟が要ります。今読んだ御言葉が意味するのは、自分の「正しさ」よりも「交わり」を大事にせよということです。組織よりも御霊です。理論よりも人格です。
もう一つ大事なことがあります。それは祈ることです。多様の中にある一致は、話し合いだけでは難しいのです。話し合えば妥協は生まれます。しかし、交わりと一致は生まれません。霊的な交わりは、祈りの中からしか生まれません。コイノニアの交わりとは「創造される」ものだからです。これは祈りによって生み出されます。祈るとは創造することだからです。これから皆さんに感話や証しをしていただきますが、その時に、来年に向けての「自分の祈り」は何か? このことを話していただけると有り難いでね。御霊がその人になにを語り、何を成し遂げようとされているかが分かります。交わりのために「してはならないこと」、そして「しなければならないこと」、このふたつを守ること、これを学ぶこと、これがコイノニア会の土台です。 どうぞ来年も、自分に与えられた信仰と祈りを大事にして歩んでください。祈ります。