2005年クリスマス集会講話
皆さん、今年もこのコイノニア会のクリスマス集会にお出でくださって、本当にありがとうございました。今日はイエス様の体とその命であり血を顕わすパンとぶどう酒をこうして皆さんと一緒にいただくことができるのは、ありがたいことです。わたしたちは、食事の前に「いただきます」と言いますが、この「いただきます」というのは、わたしたちの食べ物が、植物と動物から成り立っているからですね。これらはみんな「いのち」のあるものなんです。だから、わたしたちは、これらの植物や動物の命をそれらから「いただく」、こういう意味もこめられているのだと聞きました。ほんとにそうだと思います。 「わたしが与えるのは、まことの食べ物、まことの飲み物」とイエス様は言われました。イエス様の言われる「まこと」というのは、肉体だけの食べ物ではなくて、霊的な食べ物、霊的な飲み物のことです。わたしたちは、十字架におかかりになって御自分を犠牲としてわたしたちに命の御霊を贈ってくださったイエス様から、その命を「いただく」のですね。だから「いただきます」と言って、この聖餐を戴いてください。
でも、わたし自身のあり様は、こういうイエス様からの恵みにふさわしいとはとても言えませんよね。わたしなんか、ほんとうにダメで、今年も皆さんにずいぶん迷惑をおかけしました。皆さんもご存じの通り、わたしはだめで欠点だらけの人間です。小池先生がよく言っておられたけれども、わたしは欠点だらけのマイナス99の人間です。でもこの99%マイナス減点の情けないわたしにも御霊のプラスの力1%が働くから不思議です。恵みですね。「もったいない」です。だから、欠点だらけのこのわたしが、今年もこうやって皆さんと集会を持つことができたのは、ひとえにこれ、イエス様の大きな憐れみと皆さんのおかげです。どうぞこういう人間私市に躓かないで、プラス1%のイエス様の御霊を体験してください。どんなに辛く苦しい時にも、不思議にイエス様の御霊が訪れてくださってね、慰めと力と支えを与えてくださる。これはほんとうに「もったいない」です。
ですから、こんな者でも支えてこうしてコイノニア会の集いができるのは、皆さんのおかげです。これはほんとうに「ありがたい」です。こんな自分でも、みなさんは交わりを保ってくださるから、「ありがたい」ことです。この集会をイエス様はお見捨てにならずに、いつも御霊によって支えてくださる。これは大きな憐れみで、ほんとうに「もったいない」。この歳になって初めて、「いただきます」と「もったいない」と「ありがたい」の三つの言葉の意味が分かったような気がします。これがわたしの実感です。どうぞ皆さんも、これからも、イエス様がちゃんと支えてくださるのだから、「いただきます」と素直にいただいてください。そして、自分のだめなことが目についたら、そんな自分でもイエス様は支えてくださるのだとね、「もったいない」という気持ちになってください。そして何か与えられたら「ありがたい」と思ってください。今年はこの三つの言葉で締めくくり、来年もこの三つの言葉で生きていきたい。こう思っています。