2007年 クリスマス集会講話
 
 今年の夏期集会は、昨年、一昨年に比べると人数が少なかったのですが、祈り会の夕べに、不思議に強い御霊の御臨在と迫りを覚えることができたのを今思い出しています。これが、全国的な御霊のうねりの一環として与えられているものなのか、それともこのコイノニア会の中から発生しているのか、その区別をつけることはわたしにはできません。しかし、このような小さな交わりの中にこのような御霊の働きがあることは、そのこと自体、とてもすばらしいことであり、 わたしには「すごいこと」だと思われます。マタイ福音書でイエス様が、「二人、三人、わたしの名によって集まるところには、そこにわたしもいる」と言われています。「わたしがいる」こと、これが御霊の御臨在です。わたしたちの交わりは、このイエス様のお言葉を証しすることです。
 今日のクリスマス集会も、比較的少人数です。でも、「小さくてもいいから、ほんものの御臨在を求めなさい」。こう主様はわたしたちに語りかけておられるのです。今日ここにはおられないあちこちの兄弟方や姉妹方からメールをいただきますが、それらのメールを通して見えてくるのは、北は北海道から南は四国まで、主にある兄弟姉妹たちが病や様々な悩みで苦しんでいる姿です。癒しや霊的なしるしなども大切ですが、そのような霊能の働きだけではどうにもならない奥深い魂の悩みがあるのです。霊能もいいです。けれども大事なのは霊能より霊性です。そういう中から見えてくるのは、コイノニア会の霊性が、ほんものだということです。どういう意味で「ほんもの」なのかを説明するのは難しいですが、とにかくほんものです。この集会は、メガ集会に対してミクロ集会です。派手さもなく、目立った奇跡やしるしもありません。けれども、ここに流れている御霊は、ほんものの御霊です。今わたしはこのことを感じさせられています。
 クリスマスとは、神ご自身が、人間となってこの世に来られたことを思い起こす日です。人間が神になると恐ろしいことが起こります。サタンの世の中が出現するのです。クリスマスはその反対です。神が人間に成られた日です。イエス様が「聖霊によってお生まれになった」というのはこの意味です。そのイエス様が、十字架の贖いを成し遂げられて、復活されて、わたしたち人間に御霊として働き、語り、共にいてくださる。これがクリスマスの「善い訪れ」であり福音です。
 わたしたちはこれから、主イエスの体と命を象徴するパンと葡萄酒を食べて飲みます。年に一度の聖餐ですが、イエス様の御臨在をわたしたちのからだとわたしたちの霊においていただきます。いただくのは、現在です。だが、同時に今年一年を通していただいてきたから過去であり、来年のクリスマスまで、いただき続けるのですから未来でもあります。「イエス・キリストは、昨日も今日も永遠に変わらない」のです。

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