【資料篇】天皇制への参考資料
 
 以下は、コイノニア会夏期集会の第2回目「天皇制と霊愛」についての講話の参考資料です。主として『リバイバル新聞』で「天皇制」が問題になった時の一連の議論から抜粋したものです。したがって、全文を載せていないものもありますから御了承ください。下線は私市によるものです。また〔私見〕としてわたしの見解を記しました。当日は、この資料には触れませんので、前もってお読みください。当日、この資料をご持参ください。
「天皇と日本のリバイバルを考える:天皇と日本文化は切っても切れない関係」
マルコーシュ・パブリケーション社長 笹井大庸(ささいひろやす)
『リバイバル新聞』(2001年1月14日)
質問:日本のリバイバルに対して天皇制への理解が不可欠だということですが、なぜ不可欠なのでしょうか。
笹井 まず、なぜ百年間も熱心に伝道してきたのに日本のクリスチャン人口が1%を超えなかったのか。まず、そのことを考えてみなければならないと思います。私は、その根本原因が、日本文化とキリスト教との対立にあったと思うのです。最近やっと、キリスト教の文化適応について議論されるようになってきましたが、その前に「何が日本文化なのか」という理解が足ないと思います。
 ある牧師が、「マッカーサーが天皇の首を切ってくれていたら、日本はもっと早くキリスト教国になった」と発言しました。この考えは、特殊な考えではなく、日本のキリスト教界全体を覆っている考えです。しかし私は、こういう考えがあったから日本にリバイバルが起こらなかったと思うのです。
 また「天皇には『日本の強い人』という悪霊が憑いているので日本の宣教は進まない」と言った牧師もいます。私の見分けでは、天皇に悪霊は憑いていません。もし万が一憑いていたとしても、それを言ってしまっては宣教方法としては零点です。そんなことを公に言うべきではありません。
 とにかく、人口の三割四割がクリスチャンになるという日本の大リバイバルを考えた場合、この天皇問題は避けて通れないのです。
質問:天皇と日本文化は切っても切れない関係だということですね。では、天皇制に対してクリスチャンはどう関わっていくべきだと考えますか。
笹井マッカーサーでさえ、天皇を殺したら日本は大変なことになると分かっていたわけです。だから殺さなかった。戦争も天皇が詔勅を出したから終わったわけです。出さなかったら本土決戦だったでしょうね。
 天皇制とクリスチャンの関係ですが、まず言えることは、これまでの対決姿勢を改めなければならないということです。韓国の牧師が、天皇というのは天の王だからそういう言葉自体使うべきではないと言いましたが、天皇という呼称は日本が伝統的に使ってきた言葉であって、それはそれで尊重すべきです。天皇という呼称を否定するところから入って、どうして日本人に宣教することができますか。
質問:笹井さんは以前右翼団体におられたそうですが、右翼とは日本文化のどういう部分を占めるものですか。
笹井:日本の民族意識の先鋭的な部分が右翼なんです。「右翼=日本大衆の意識」と言うわけではありませんが、右翼が理解できるようなかたちで福音を説くとうことが福音宣教のコツです。先鋭的な部分を理解すれば、日本人すべてに広がりやすいわけです。
質問:では、天皇と日本文化の関わりについて、分かりやすく説明して欲しいのですが。
笹井:三浦朱門は、国体というものは国の舟で、国民が乗客、天皇はその重心であると言いました。また三島由紀夫は、「天皇の存在を否認すること自体、日本文化そのものの最も貴重な精粋を失うことだ」と言いました。私もそのように理解しています。天皇という存在を取ってしまったら日本自体が転覆してしまいます。それぐらい天皇というものは、日本の歴史の中で大きな役割を担ってきました。
 確かに、日本の歴史において天皇が権力を握り続けていたわけではありません。現在も天皇は象徴ですが、それでいい。象徴の意味は大きく、「日本国憲法を守れ」と言う人が天皇(制)を否定するのはおかしなことです。天皇がいて日本は文化的に安定するわけです。
質問:戦争中、天皇は現人神(あらひとがみ)だったわけですが、それに対してはどう思われますか。
笹井:現人神と言っても、天皇自身が発言したことでばありませんし、キリスト教で言う神とは概念が違います。ゴッドではないですね。キリスト教的な神の概念で「あれは神と言ったから間違っている」と裁いてしまっては駄目です。これは、戦後に来た宣教師の影響が大きいと思います
質問:天皇がキリストを受け入れているのではないかという記述が『バーザ』の巻頭言の中にありますが、これはどういう根拠で言っていることなのでしょうか。
笹井:今の天皇を教育したエリザベス・ヴァイニングという人ですが、この婦人はクウェーカー派のクリスチャンで、『天皇とわたし』(山本書店刊)という本を残しています。彼女は、新嘗祭など宮中で行われていることは宗教ではないと断言しています。また、「この生物学者(注・昭和天皇)が古式に則った祭儀を営まれた時には宇宙を司る神の存在をお認めになっているのかもしれない」と書いています。これは重大発言なんですね。こういうことははっきり言えませんから。
質問:天皇の祭儀が異教的ではない、偶像礼拝ではないということは、他の資料にもあたらなければならないのではないでしょうか。
笹井:神道というのは、偶像があるわけではありません。東郷神社にしても東郷平八郎の像があるわけではない。東郷平八郎を記念して立てられた意味があり、神道というのは基本的に偶像礼拝をしないのです。また、祝詞というのは神を呼び出す所作で、そこに神が居ないから呼ぶわけです。
質問:では、神木とか木を祀ることなどは偶像礼拝にあたらないのでしょうか。
笹井:あれは日本に伝統的にあったシャーマニズムです。元々の神道とは違います。確かにいろいろなところで融合はしていますが、基本的な流れでない。神道は、宗教ではなかった。神仏習合にしても、神道は日本の習俗のようなもので、仏教が宗教的側面を担っていたわけです。しかし明治維新以後、廃仏毀釈の法律ができて、神道を宗教にしてしまったと言えるでしょう。だから戦争中の国家神道は本来の姿ではありません。特殊な姿だった。そのため今日があったので、今の日本人が天皇(制)に偏見を持ってしまったと言えるでしょう。
質問:神道の姿を明治以前に戻し、仏教の代わりにキリスト教を入れればいいということですか。
笹井:そう簡単ではありませんが、基本的にはそういうことです。キリスト教は、正統的神道とは矛盾しません。神道と言うと宗教的なイメージが強いと思いますから国体という言葉に言い換えると良く分かります。
質問:神道を代表する天照大神(アマテラス)は女神であって、それを認めることは女神信仰につながりませんか。
笹井:天照大神は天皇家の祖先神ではありますが、ゴッドという意味での神ではありません。正統的神道では天照大神を、礼拝の対象である本尊として祀ってはいません。
質問:日の丸・君が代に対して日本の教会の多くは反対していますが、笹井さんの立場はどういうものでしょうか。
笹井:日の丸にしても君が代にしても、日本の国として法律的に認めたものですから、そこと対立点を持つ必要はないですね。日の丸・君が代があると日本で福音を語れないと言うのなら、私も反対しますが。
 まず私がおかしいと思うのは、クリスチャンが日本人とその国家元首に対して尊敬の態度を持っていないことです。パウロは、ユダヤ人にはユダヤ人のように、律法のない人には律法のない人のようにと言って、その人々の奴隷になってでも福音を語りたいという態度があったわけです。日本人に本当に福音を聞いてもらいたいなら、クリスチャンは日本人の奴隷になってもいいという気持ちが必要です。クリスチャンが、日本人の前にへりくだるべきです。そういう気持ちがないですよね。日本のクリスチャンはいつの間にか西洋という衣を着て、俺たちはお前たちより偉いんだぞ、という気持ちを持っているでしょう。日本文化を馬鹿にしていますよね。こういう気持ちがある限り、日本のリバイバルは遠いと思います
〔私見〕とかく天皇制批判ばかりが目立つ中で、キリスト教の立場からの勇気ある発言だと思います。ただし、国家的な機能としての「天皇制」と民間の宗教的な「神道」とを区別していないために、以下に見るように、この記事に対する議論がうまく噛み合わないところがあるように思われます。ただし、天皇制と宗教的な意味での神道と日本文化とは、切り離すことができないというのが、この記事の主旨であるのならば、そういう主旨自体がはたして適切か、これを問題にすべきだと思います。
 
笹井大庸氏へのインタビュー「天皇と日本のリバイバルを考える」(1月14日)へ  の反論:改革長老教会日本中会岡本契約教会牧師 瀧浦滋
『リバイバル新聞』(2001年3月30日)
  日本文化を真に維持し完成させるのは、キリストの教えであって、天皇ではない。ゆえに、日本文化が天皇なしには崩れるというのは「どう喝」のたぐいであって、もし崩れるとしたら、その日本文化観そのものが偏っている。日本文化を天皇制というような人工的近代国体思想の型に恣意的に嵌め込んではならない。そのような「日本文化」の見方は「教条的」である。それは、それ自体がいのちを持ち、変化し、国際的にも拡がる影響力を持つはずの「文化」から、いのちを奪うことになる。そこには、文化が本来持っている創造性と自由が失われる。天皇制国体思想は、文化ではなく、一つの主義であり、思想である。それを文化に押しつけることは、日本文化を殺す。 日本文化は、美と益とを創出する民衆の知恵、一時の仮庵の人生をも楽しめる民衆の心情、そして、世界との交流から多くを吸収し得る柔軟性などにあるのではないか。この国の神からの賜物を感謝し、この国に、王キリストに仕える「神の国」をもたらす宣教の視野が、本来の深みを持てるものだろうか。 〔中略〕
<神道は宗教ではない>:これは欺瞞である。国家神道側は、特に戦別の日本政府の宗教政策の基本として、「国家神道・国体思想は宗教ではない」こういうことを常に言う。神道には教義がないということも、よく言われる。これは国民思想であり、戦前の宮城遥拝・ご真影礼拝や最近の国旗拝礼・君が代斉唱は国民儀礼であって、宗教とは関係ないとされる。これにあずからないものは、「非国民lとされる。
 1943年の米国のウェストミンスター神学校雑誌に、ヨハネス・ボス博士が、旧満州における日本政府の宗教政策を分析する論文を載せておられるが、それを見ると、今日も日本の宗教政策が変わっていないことが分かる。先ず教育政策から国家神道思想を無宗教として浸透させ、次に国民儀礼を徹底させ、そして、最後に宗教団体への法的規制によってその影響を規制するとうものである。昔も今も、国体思想を目指すものの考えは変わらない。しかし、国家神道は、歴史的にも理論的にも実践的にも宗教であるし、本人たちがどう言うかにはかかわらず、聖書的にはまさにキリストに対立する異教そのものである。それは、国体への信仰を教え、礼拝儀礼を求め、宗教的心情による献身を要求してきたことは、紛れもない事実である。同様な国家宗教は過去にも繰り返してキリスト教の敵であった。聖書の中にもその例はある。
 ローマ帝国のもとで、キリスト者は、国民として求められたとき皇帝崇拝をしたか? 天皇崇拝と同様な国民儀礼であった皇帝礼拝を、キリスト者が死をもって拒否し続けたのは、間違いであったというのか。ローマ書13章の冒頭に「上なる権威への服従」の教えがあるが、ローマのキリスト者の例を見ると、その意味がローマ皇帝の宗教的権威の全面的肯定ではなかったし、肯定礼拝を拒絶する信仰の自由の否定でもなかったことが分かる。だから、我々に当てはめる時、この聖句は、天皇制の全面的承認を求めるものではないことが分かる。あらゆる地上にある権威なるものは、ただ神からしか発しないことの告白であって、その権威の乱用に対してはふさわしく反対して抵抗することが聖書では当然とされている(使徒4章19節/同5章29節)。ローマのキリスト者は、神からの権威を認めて、市民としては反乱を起こすようなことはしなかったが、しかし、国民儀礼に類するような儀礼には、断固として参加しなかった。それは、国家または王を神とする偶像礼拝行為であったからだ。それは、真の王なるキリストへの忠誠(サクラメント)に背くことであったからだ。それは、良心のキリストにある自由の要求にいのちをかけて従ったのだ。のちに16世紀後半、スコットランドでアンドリュー・メルビルが主の前で真の王キリストに背くことを求めることは、王と言えども許されないと、良心の自由をいのちをかけて告白した。そこに近代社会の享受する自由の本来の源がある。〔後略〕
〔意見〕「天皇論の論争から論議へ」笹井大庸
『リバイバル新聞』(2001年5月20日)
 瀧浦氏の反論は改革派神学に汚染された西欧キリスト教の本質をまさに露呈している。「日本においては、宣教の根本課題は、キリスト対天皇である」と最初から対決姿勢なのだから、呆れかえってしまう。「教会は、キリストを主とする『神の国』のこの世での実現に、御言葉の宣教によって霊的本質的側面から奉仕するものである」というのだが、この理論がこの世の王の首をずたずたに切り落としてしまうキリスト教植民地主義を生み出し、侵略的キリスト者を生み出してしまったのである。 (中略) 瀧浦論文の背後には改革派神学の「文化命令」があり、キリストが第一といいながら他の文化を平気で蹂躙する理論が潜んでいる。
 
天皇制と霊的戦い」フロンティアミニストリーズ伝道者 尾形守
『リバイバル新聞』(2001年6月17日)
 天皇制の論議がここにきて急浮上している。この議論でも、いつも共通の敵を見失わないことである。悪魔・悪霊そして罪こそ、私たちクリスチャンの共通の敵である。聖書は言っている。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです」(エペソ6章12節)。天皇制がキリスト教界の分裂材料になってはならないし、悪魔に利用されてもならない。
 過去の歴史、特に第二次世界大戦のとき、天皇制は国家神道と直結し、天皇を現人神として祭り上げ偶像礼拝の罪に用いられた。戦後、天皇制は残り、象徴天皇として日本と日本国民のシンボルとされてきている。戦前の神格化された神聖天皇から戦後の象徴天皇へと、明確な悔い改めがなされないまま移行された。天皇の政治的活動は絶たれたが、宗教的祭司的役割は依然持続してきていることば否めない。皇室葬儀や大嘗祭と連結する神道儀式、天皇の護国神社参拝は、国の象徴の地位にありながら公式に神道と結び付いた行為であり、徹底的な悔い改めが求められる。天皇個人は主にあって愛する対象であり、主によって救われ永遠のいのちを受けていただきたい方である。しかし、天皇制が異教礼拝と結び付いて悪魔に用いられることは決してあってはならない。コリント人への第一の手紙10章14−21節では偶像礼拝を避けるよう警告している。また、偶像の神と係わることは実際には悪霊と交わる者となっていることが記されている。 〔中略〕
 また、天皇制においは天皇個人の意見が公に伝わりにくい構造になっている。この闇の部分に歴史上悪魔が働いてきたこと、そしてこれからも天皇の私的な立場と公の立場の曖昧さの暗闇を通して悪魔が働く可能性が残っている。天皇の個人的意見が反映しにくい天皇制が戦時中のように国の体制に組み込まれてしまう悪魔の罠である。天照大神や数多くの先祖を神として祭る神道と天皇制を結び付けた過去の悪魔の働きは、今後も政治権力者に働きかけて日本を霊的支配に導こうとする構造の一つであることを私たちは想定して、霊的戦いを推し進めていかねばならない。
 また、天皇の戦争責任の悔い改めの不明瞭な点、例えば、「遺憾におもう」という曖昧な言葉を発せられた経緯も悔い改めが明確でないと言われても仕方のない点であり、そこに悪魔の付け入るすさがある。「君が代」が法制化されたが、明らかに「君」が天皇を指していることが理解でき、こうした理解の中でこの歌を歌うことはできない。そこに天皇を崇拝している要素がこめられているからである。天皇個人を嫌っているからこんなことを言っているのではなく、天皇個人は前述の如く主にあって愛する対象であり救われてほしい方である。それゆえに、天皇や天皇制が悪魔に用いられてはならないのである。
 (中略)
 悪魔の方は天皇の個人的立場の曖昧さを利用して、天皇制を神道と結び付けていこうとする働きを今後も推し進めていくことが予想される。天皇制の曖昧な闇の部分に悪魔は働きかけて、戦時中だけでなく二十一世紀にも日本支配を企んでいる可能性がある。私たちキリスト者全員は、このような悪魔の企みに惑わされることなく、血肉の戦いをせず、共通の的である悪魔・悪霊や異教礼拝の罪との霊的戦いをしていかなければならない。
 
〔私見〕天皇制であろうと大統領制であろうと総裁制であろうと君主制であろうと<悪魔に利用される>危険性は国家権力それ自体に常に潜んでいます。著者は、戦中の国家神道と天皇制とを結びつけて論じているように見受けられますが、現在の象徴天皇制と国家権力との関係は、過去のものとは違うと思われます。象徴天皇制と皇室の祭儀、これと国家権力とは、現在の憲法に定められているように区別しなければなりません。その上で、象徴天皇制のもとでの皇室の祭儀の問題は、「偶像礼拝とはなにか?」という問題、さらには、「異教とキリスト教との出合い」の問題につながることになりましょう。
 
「今、天皇と日本を考える」
日の出キリスト教会牧師・神戸大学教授 行澤一人(ゆきざわかずひと)
『リバイバル新聞』(2001年2月25日)
(1)天皇制を無視して、日本にキリスト教を根付かせることは困難である。
(2)しかし、天皇制をキリスト教起源であるとすることは、聖書信仰を日本人の民族意識に接合しようという宣教的なものであることは理解できる。そして、もしこのような主張が、日本の伝統、文化、宗教の中から真に聖書信仰に生かすことのできる部分を取り出し、その土台の上にまことの神さまへの礼拝を導こうとす「接木型アプローチ」を意図しているのだとしたら、その限りで、これも有益な宣教方法論だと言えなくもない。しかし、問題もある。まず、その真偽のほどが、今の時点で決して明らかにされているとは言えない以上、そのような仮説に立って、尊い救霊と宣教のわざを推し進めることの妥当性が問われなければならない。さらに、過去はどうあれ、少なくとも「現在」の時点における私たちの霊的状況をよく見ると、大多数の日本人によってなされている宗教行為は、神道をはじめ、そのほとんどがアニミズム、シヤーマニズムの深い霊的影響下にある偶像礼拝そのものであり、その由来がどうであったかということによって、偶像礼拝を「現在」行っているということを取り繕うことはできない。あるいは記紀神話上の神々が、実はイスラエルの神や天使をあらわしているのだということをもって、その偶像礼拝たることを否定しようとする見解もあるが、そのような見解を支持する明白な論拠はほとんど存在しないだろうし、およそ証明することは不可能であろう。何よりも、このようなアプローチは、自然啓示と、聖書に啓示された特別の救済啓示とを不用意に同一視するものであり、霊的混交主義以外の何者でもないだろう。「主だけが神であり、ほかに神はない」(申命記4章39節)というとき、神は、人類との交わりの歴史において、ご自身自ら顕された人格、すなわち「アブラハム、イサク、ヤコプの神」もしくは「私は在って在る」という名において知られ、その名をもってのみ礼拝されるお方であること教えようとされているのではないだろうか。
(3)では、この第一の視点と、第二の視点をどのように組み合わせればよいのだろうか。結論的には、私は、この日本の歴史と文化、民族としての連続性を体現しておられる天皇家の尊厳と権威を、<従来の偽りに満ちた宗教体系ではなく、聖書と真の神によって基礎付け直すという壮大な歴史的作業>に取り組むことこそ、日本人クリスチャンとして誇りを持ち得る意義あるとりなしではないかと思うのである。私たちクリスチャンは、日本にとって無くてはならないお方として天皇家の存在を認め、敬意を払いつつ、その天皇家の尊厳と権威を支えるために、決して従来の神道的なあるいは記紀神話的な世界観に頼る必要はない、もっと真実で真理であられるお方によって、皇室の権威はますます称揚され、真に日本と世界に祝福をもたらし得る存在となっていただけるし、そうなっていただきたいのだということをアピールしていくのである。記紀神話の神聖を否定して天皇家の権威を肯定できるのかということについては、もはや天皇家の権威と存在は深く日本人の精神のアイデンティティに根ざしており、とりたててこれを記紀神話のようなものに還元する必然性はないと考える。天皇陛下が、あるいは皇室の方々一人ひとりが、真に日本という土台に接木されたキリスト教信仰の中で主イエスにある救いを体験され、真の神さまにしっかりと結び合わされたとき、同時に真の意味において、この国のための「祭司」として尊いお働きをされるようになるだろうし、「この国のかたち」(司馬遼太郎)が真に祝福されたものとして完成されるだろう。そのことのために、今こそ、日本の教会は心を合わせて祈り始めるべきではないだろうか。
〔意見〕「天皇論の論争から論議へ」笹井大庸
『リバイバル新聞』(2001年5月20日)
バルト神学は「絶対者なる神と罪人の個人だけが強調されていて、中間に位置する国家・社会の観点が欠落している」と行澤氏は指摘する。
〔私見〕天皇制の<聖書的起源>についての著者の見解は適切だと思います。ただし、現在の天皇制がキリスト教信仰と結びつくなら、天皇は真の意味での日本の「祭司」になるだろうというその主旨は、気持ちとしては分かりますが、問題も残ります。もしもその主旨が、現在の皇室の祭儀をキリスト教的な祭儀と「置き換える」ことを意図するのであれば、今度は神道や仏教からの激しい反発と対立を招く危険性があります。さらに、皇室がキリスト教的になれば、現在よりも「さらに良い皇室になる」という保証はありません。例えば、現在の「キリスト教的な」イギリスの王室を日本の皇室と比較した場合に、はたしてどちらがより「良い」王室/皇室なのか? これはおおいに疑問でないでしょうか。
〔行澤追加〕「宣教の文化的要素の重要性」(『リバイバル新聞』01年6月30日)
 福音宣教は、霊的領域における対決のみから成り立っているのではなく、むしろより広く文化的・社会的領域にも及んでいくものである。それゆえ、福音の真理は、文化的・社会的な文脈においても、宣教の対象となる人々に理解され、受け止められるように提示されなければならない。そうでなければ、人々は福音に対して心を開かず、真理は人々の心にまで届かない。そこで、天皇制や神道というものが、良くも悪しくも「日本文化」の核心に位置しているという事実を踏まえるとき、私たちはどのように「日本宣教論」を構築すれば良いのかが問題となる。もちろん、霊的領域において妥協することはできない。しかし、宣教の文化的・社会的側面を考えるとき、そこに少なくとも日本人としての痛みを共感する「感性」が求められているのではないだろうか。宣教の文脈におけるクリスチャンの言葉が日本の歴史と文化の「核心の否定」として提示されるのは適切とはいえない。それは、悪くすると、「西洋の宗教による日本に対する文化侵路だ」と受け取られかねないし、現にそのように受け止める向きが少なくない。つまり、福音への態度をかえって頑なにさせかねないのである。もちろん、それは、危機の時代にあって、日本人としての民族的アイデンティティを求める痛切な叫び、いわば「やせ我慢」である。しかし、同じ日本人として、そう叫ばざるを得ない心の痛みを理解し、それをも懐深く受け止めることはできないものか。その上で、そこにイエスさまの十字架によるいやしと回復が与えられることを語ることができないだろうか。そのような意味で、宣教する側のクリスチャンの基本的認識として、もっと日本の文化や歴史に対する理解を深め、それに対してまず尊敬の念を表すことの重要性が指摘されても良いと考える。そこに霊的な問題があるのは当然として、それは霊的戦いの領域で深く取り扱いながら、未信者の世界に対するパブリックな発信としては、そこに秘められた良きもの、良き可能性を積極的に認め、さらに福音宣教はそれらを否定するものではなく、むしろ完成させるものであることを提示していければ良いと思うのである。
〔私見〕極めで妥当な意見だと思います。ただし、著者は、<同じ日本人として、そう叫ばざるを得ない心の痛みを理解する>と述べていますから、日本人の文化的<文脈>をまだ否定的にとらえているところがあるようです。この点で必ずしも賛同できません。過去を反省するのは大事ですが、それだけでは不十分です。福音宣教における<現在の日本の文化的文脈>をもっと積極的に評価する視点が求められているからです。
 
「天皇制とキリスト教(仮題?)」滝元望
『リバイバル新聞』(2001年4月15日)
 国の象徴とされる天皇に対して、そして、「天皇を中心とした神の国」と天孫降臨神話をはじめとする荒唐無稽な日本神話によって裏付けられた「国体」、それらによって成り立っている天皇制という構造に対して、私たちクリスチャン一人一人がとる態度と行動は、この国を変革する重要なカギとなるのです。その中心的な務め、それが「とりなし」です。
 神の前に犯した「偶像礼拝」「霊媒」「悪霊礼拝」「占い」「姦淫」の罪のゆえにバビロン捕囚に陥ったイスラエルの民が、エルサレムに帰還し、回復していくプロセスは、「天皇制」に対して私たちが取るべき戦略だと思います。ダニエルを始めとする人々は、捕囚に陥ってはじめてその偶像礼拝と霊媒、占いの罪から離れ、バビロンに蔓延し、その国を支配していた「現人神礼拝」「呪術」「偶像礼拝」に対して命を懸けて戦いました。そして、その国と民、そして、先祖が犯した罪を自らのものとして悔い改め、主にとりなし祈りました。ダニエル、エズラ、ネヘミヤが主の前にささげた「とりなし」こそが国、民単位の回復の原動力となりました。主の主権的な業であるバビロンからの帰還という出来事において、その民が関わった最も大きな仕事、それが「とりなし」であると受け取るとき、まず、私たちが「天皇制」に対して主から与えられた奉仕が「とりなし」であることがわかります。「とりなし」とは、私たちのライフスタイルそのものであり、真理に立ち、命を懸けて主に忠誠をもって従い、主に悔い改め、願い、祈ることです。ダニエル書10章においてダニエルのとりなしに関連して「ペルシャの君」「ギリシアの君」という霊的存在の抵抗が描かれ、霊的世界において戦いが起きていることは興味深いことです。ゼカリヤ書3章でも大祭司ヨシュアを訴えるサタンの姿が描かれていますが、それはイスラエルの民が犯した罪に悪しき者が訴えたり、妨害することなどによって深く関わっていることを示しています。「天皇制」をめくる問題を霊的な問題として捉えていくことは、本質において不可欠なことと言えます。もし、ただ単なる社会問題、主義主張、思想の上での戦い、論争に終わってしまうなら、空を打つ格闘となってしまうことを知る必要があります。 「私たちの格闘は皿肉に対するものではなく、主権、カ、この暗やみの支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6章12節)
〔瀧元追加〕「共同体に対するとりなし」滝元望
『リバイバル新聞』(2005年5月28日)
 本来は、「地域」には、政治、経済、行政、教育、情報といった共同体の営みがあり、複合的な要素があり、単に町の境界線で囲まれた土地という無機質な存在だけを表してはいません。ところが、「地域に働く」と聞くと、この地域にうごめく霊の存在と受け取られてしまいます。このことは批判的、懐疑的に受け取っておられる方の中によくみられる認識です。「サブカルチャーに霊が宿るのか」という質問もこれと同じものだと感じます。一方で「この町に重い霊的な圧迫を感じる。それは地域を支配する霊によるのです」という、霊的な感受性と賜物から発せられる言葉は、同じように霊がその町の上を漂っているかのような印象を与えてしまいます。
 共同体と罪:悪魔が、私たち人類のうちに合法的に支配権を主張したり、その働きを悪巧みをもってすることには理由があります。それは、「罪のゆえである」ということです。もし、町に悪霊がうごめいているとしたら、それには合法的な理由があるのです。言い替えれば、共同体全体が共有するような罪、例えば、先祖崇拝を通してされる供養という偶像礼拝のように、個人が、家との関わりを通して、檀家という村単位、仏教という国家単位でされる罪があります。悪魔はその罪を通して「イエ、ムラ、クニ」という共同体を操作し、支配し、福音に覆いを掛け、悪しき霊を送って働くことは想像に難くありません。その霊に対抗し、その働きを止めさせるには、町全体を覆っているような、共同体が内包する罪の問題、罪のゆえに残された傷や痛みを取り扱わなければならないのです。「この町から悪霊よ出て行け」と、どんなに熱心に力を持って祈り叫んでも、悪しき霊が関わっている罪の土台を取り除かなくては、イタチゴツコになってしまうに違いありません。「霊の戦いをしても疲れるだけでした」と失望してしまいます。
 「霊的戦い」とは、罪との戦いです。罪に対する勝利は、十字架にあります。「悪霊の強調は十字架から離れてしまう」という批判は、霊との対決という側面に対するものであり、「霊的戦い」の全容とその深みを理解したものでないように感じます。十字架を離れては、私たちは戦いを進めることは不可能です。人類に与えられた最善にして最大の戦略、十字架にこそ、「霊的戦い」の戦略があるのです。 私たちが悔い改めを通して主の前に罪を言い表す時、そこに十字架からの赦しが与えられ、罪から解き放たれ自由を得ることができます。真理に従うことが自由なのです。罪の結果訪れてくる呪いによって、多くの人々、家、町、国は、傷つき病んでいます。そこに悪しき霊は訪れ、働き、支配し、暗闇につなぎ止めているのではないでしょうか。これらと戦うことのできる唯一の戦略は<十字架にある赦し>なのです。
 ダニエルのとりなしと霊的戦い:イスラエルの民のバビロン捕囚は、その民の偶像礼拝の結果起きた、民族存亡の危機でした。バビロンからの帰還に関して、霊的領域では、み使いとペルシャの君・ギリシアの君と表される、国に関わる霊的存存との戦いがあったと描かれています(ダニエル10章)。悪しき霊が国に影響を及ぼす、また、主権、力、エペソ6章12節などに書かれている霊的存在は、これらのものではないかと指摘される聖書学者もいます。しかし、このような霊的世界の出来事が、どのような状況によって起きているかを知る必要があります。この出来事は、エルサレムの神殿再建に関わり、ダニエルがその民族の罪と父神の罪を自分の問題として受け取り、悔い改め、とりなし祈り(9章)、主の前に断食を捧げていること、そして、神の御心が御使いによって届けられようとすることと深く関わっています。これは、民族という共同体の罪、父祖の罪という世代を越えた歴史的な出来事に対して、それがバビロンに捕囚されている原因であるとの認識に立った悔い改めと、それに続くとりなしとしての断食といえます。これらのことから受け取ることができるのは、共同体的な罪の悔い改めと歴史的な出来事に対する悔い改めとりなしによって、何らかの形で霊的な世界に変化があるということではないでしょうか。 私たちに与えられた使命:とりなしとは、「間に入る」ことを意味し、神と人・町・国の間に、時には敵との闇に、私たちに与えられた「和解の使者」「み国の共同相続人」「神の子」「王である祭司」という役割と立場をもって遣わされることです。新約の恵みに生きる私たちは、十字架のあがないによって、旧約の預言者や祭司に勝った役割と立場が与えられているのです。<十字架によって与えられている和解と赦しの福音を告げ知らせること>、それが福音宣教です。福音宣教には、私たちに与えられた立場にある使命を果たすことが含まれており、それこそがとりなす使命です。<そのとりなしが、敵との聞にあって戦う、霊的戦いを意味している>のです。
〔意見〕「天皇論の論争から論議へ」笹井大庸
『リバイバル新聞』(2001年5月20日)
 瀧元氏のいう「戦略レベルの霊的戦い」は、ジョン・ドーソンやピーター・ワグナーなどによって提示された。しかし、瀧元氏の「戦略レベルの霊的な戦い」への理解は霊的戦いの半面でしかない。ピーター・ワグナーの『都市の要塞を砕け!』には「贖いの賜物」が含まれている。『それぞれの文化、人種、国は、世界に対して他には真似することのできない貢献をします。このような一つの文化の独自性を<贖いの賜物>と呼びます。・・・決定的に重要なのは、ある町や国、あるいはその他の形をとった人間社会の贖いの賜物が何であるかを見極めることなのです』(ワグナー『都市の要塞』より)。だから、霊的な戦いの目的は、神社を霊的に縛っていくことではない。それよりもその神社を中心とする共同体の贖いの賜物を発見して、それを解放していけば、大収穫に繋がることが期待できる。瀧元氏の「戦略レベル」は、この一番基本的なことが欠落してしまっているので、霊的要塞を見分けるのは得意なようだが、贖いの賜物を発見できない限り、都市を奪回することはできないだろう。
〔私見〕この意見だと「とりなし」とは「戦うこと」であり、その「戦い」とは「この世を支配する悪霊」だということになります。ではこのような人間の力を超えた「悪霊」に対抗してどのように「とりなす」のか、その具体的な道が今ひとつ示されていないようです。おそらくこの著者の背後には、戦前・戦中のキリスト教が体験した厳しい迫害があるのでしょう。その傷は深く、このために著者は、まるで、現在の日本の国それ自体が「悪霊に支配されている」かのように見ているのではないかと思われます。日本が現在でもなお「悪霊に支配されている」とすれが、日本に「霊的な革命」を起こして、日本の宗教とその文化を根っこから否定するために戦う必要が生じてくるのではないでしょうか? もしもこれを本気でやろうとすれば、それは仏教や神道への宣戦布告になる恐れがあります。うっかりすると、仏教徒や神道の信奉者たちとキリスト教会との間の<宗教戦争>に発展することになります。その結果、かりにキリスト教側が「霊的に」勝利したとしても、「敵の」頑強な反抗を鎮圧するために、場合によっては、仏教徒や神道信奉者に対する「霊的な」虐殺さえ行なうことになりかねません。しかも「霊的な」戦いや「霊的な」虐殺が、現実の武力闘争や流血の虐殺へと発展した例は、教会の歴史で過去に幾度もあります。もちろん、その逆の反動作用として、<こういう>キリスト教を抹殺せよと言う声があがり、その結果、キリスト教弾圧を招くことも考えられます。こういうことを聖書で「とりなし」とは言わないと思います。
 
「キリスト教の完成としての象徴天皇制」東京大学教授 姜尚中(かんさんじゅん) 
「キリスト教・植民地・憲法」『現代思想』(1955年10月号)
*インターネットから採ったので段落が必ずしも正確ではありません。
 
 矢内原の時代は社会主義、帝国主義論はいやでも植民地論を展開していくとき避けては通れなかったものです。その点で、民族問題として植民地を見れなかったとしても、すれすれでそこに行き着いたのです。
 ただ戦後彼は一貫して文化天皇制に対する思い入れがあります。だから、象徴天皇制というのは矢内原にとっては天皇制の完成形態なのです。一時期の国家天皇制というのは、アブノーマルで、象徴天皇制というのは日本のキリスト教のあり方と調和しているという考えでしょう。それはキリスト教と矛盾しないと思われてたのでしょう。
 南原さんの場合はヘーゲル、フィヒテなどのドイツ観念論哲学をやって、当然彼は敗戦後の日本を考えているんです。フィヒテがナポレオン戦争後の敗戦国ドイツの中で語ったナショナリズムと、矢内原が内村や新渡戸に託し、南原さんがフィヒテに託したものはパラレルだと思うんです。
 その中で戦後憲法、象徴天皇制、敗戦国のもっている罪に汚れているということをバネにしての平和主義という、キリスト教でいうコンバージョン、これは内村に通じていますし、ドイツでいうとフィヒテにつながっています。内村は晩年、終末論的考えが強くなります。日本は滅亡する、日本の軍国主義は滅亡までいくんだ。そして日本が滅亡するということは世界にとって救済につながる、という考えです。これは選民思想の裏返しです。そこに強烈なナショナリズムが見えるんです。それは国権的ナショナリズムではなく、もっとキリスト教的な内的に純化された、旧約聖書の選民思想に現れてくるような、自民族、自国民が犠牲の羊になることによって世界が救済されるという思想です。内村は最後までこれをもっていました。
 つまり、アメリカはもう駄目だとわかったときに、日本に対してそういう思い入れがでてくるのです。こういう考え方は南原さんの中にもあったのではないでしょうか。つまり敗戦、多大な犠牲、そしてそこから甦って平和に徹するという、そこの内なる支えとして、象徴天皇制、平和主義のシンボルが内なるナショナリズムにつながっていたと思います。
 ナショナリズムの普遍性と内的な純化は戦後平和主義の精神的支えになっています。その限りでは無教会の流れというのは、戦後民主主義の中である面でうまく、というよりは無教会が考えたようなある種の理想状態というのが敗戦を通じて戦後民主主義の中に実現したのです。内村がいうように、日本の滅亡で世界が救われるわけですから、戦後民主主義の中で日本は唯一の平和憲法をもってこれだけ罪の汚れの中で再生する、ということなのです。
 そういう点ではフィヒテがいうように、戦争に負けたドイツ国民というのはなるほど、物理的には負けたけれど、精神的戦いにおいてはドイツ国民こそが世界を救うんだということです。イアン・ブルマが『戦争の記憶』の中でいっているとおりです。世界の倫理的高みに達するということです。ヴァイツゼッカー元大統領の演説というのも、日本でふつうに言われているようなものではなくて、そこにドイツ国民の倫理的高みという問題もあるのです。それは非常にパラドキシカルなものです。
 そこに日本の戦後のナショナリズムの内的根拠が見つかったのです。もしそれすらもなくなったときにはどうにもならないのです。敗戦国でめちゃくちゃにやられて、ひどい民族だと思われ、唯一あるのはお金だけで、何のディグニティもない。ですから、無教会の流れというのは、戦後日本の中できわめてオーソドックスなものになったのではないでしょうか。それは政治的力という意味ではなくて、精神的にそうなのです。だから、吉田茂と南原繁は以外と近いのではないでしょうか。
〔私見〕内村鑑三の日本観についての著者の見解には多少問題がありますが、興味深い洞察を含む観察だと思います。
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