2012年クリスマス講話
今日はクリスマスで聖餐の日です。聖餐の聖句はマルコ14章22〜26節です。これが一番ほんらいの姿に近いと考えるからです。
(1)この聖餐はユダの裏切りの直前に行なわれていますから、言わば最も暗い時です。こういう時こそ、イエス様の御臨在を真ん中に親しい弟子たちが共に交わりをする時です。これからの日本は原発と国防軍と核武装へ向かうかもしれません。コイノニアの交わりがこれからますます大切になります。
(2)マルコ福音書には最後の晩餐が過越の食事だとはっきり書いてありますから、イエス様も弟子たちと食事を共にしています。聖餐はイエス様が与えるものだから、イエス様は食事を食べなかったという説がありますが、そうではありません。
(3)ただしマルコ福音書に過越の小羊のことがでてきません。イエス様御自身が過越の犠牲の小羊だからです。イエス様が「犠牲の小羊」であるとは、イエス様を通して顕われた神の御霊のお働きが、イエス様一人に留まらないで、イエス様の十字架と御復活によって、全世界の人たちにも、御霊のイエス様との交わりに与る道が開かれたことです。
(4)イエス様はパンをとり「これはわたしのからだである」と言われました。これから食べるパンがわたしたちの体の一部となる、ちょうどそのように、イエス様の御霊にある霊的なお体(存在)は、わたしたちの肉体をも支え護ってくださるのです。
(5)イエス様はぶどう酒を取り「これはわたしの契約の血である」と言われました。血は命を現わしますから、ぶどう酒はイエス様の命を現わします。わたしたちの肉体の命は父母から受け継いだ自然のものですから、契約から出たものではありません。では「契約の血の命」とはなんでしょう? イエス様とわたしたちとの御霊にある交わりこそ命です。これがイエス様の愛であり、御復活のイエス様の永遠の命の内容です。
契約による愛とは、この愛が親子関係のような肉親の情ではなく、また男女の間に生じる性愛から出た恋愛でもなく、イエス様の愛に最も近いのは、結婚の聖約/誓約から出た愛です。だから夫婦の結婚愛こそイエス様の言われる契約の血から生じる愛に近いのです。純粋に霊的な結婚愛は神が創造されたものです。だから、イエス様は離婚を厳しく戒められました。このように言うと結婚していない人には御霊の愛が分からないと誤解されるかもしれません。そうではなく、わたしの言う結婚愛とはエフェソ人への手紙5章にでてくる霊的な意味での結婚愛です。だからこそ「この結婚愛の奥義は大きい」と言われているのです。この愛はどのような境遇の人にも開かれています。
(6)最期にイエス様は、再び来られる時までぶどう酒を飲まないと言っておられます。イエス様が終末に再臨されて初めて、イエス様の御霊にある<わたしたちの>霊的な姿が完成するからです。それまではわたしたちの御霊にある霊的な姿は未完成です。イエス様の霊性に基づく出来事は、時間的に観れば過去の出来事ですから、この聖餐によって、イエス様の出来事を今この時に<想い起こす>のです。では、わたしたちの霊の姿が完成するのは、終末の時なのか?それともわたしたちがこの世を去ってイエス様のみもとに行くときなのか? 実はどちらでも同じです。その時を目指して、来年もイエス様との御霊にある交わりを深めていきましょう。祈ります。
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