日本人のリヴァイヴァル資料
■リヴァイヴァルの源泉
【1】ローマ3章23〜26節
23人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています。24ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。25神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。26このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
【2】ローマ5章20〜21節
20律法が入り込んで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました。21こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。
【3】Uコリント5章17〜19節
17だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。18これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。19つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、
人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。
【4】ローマ5章10〜11節
10敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解"reconciliation"させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。
11それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解"atonement"させていただいたからです。
【5】ティンダルの「贖い」用語
ティンダル(William Tyndale:1492?-1536)は、"atonement"> at oneという造語を用いて、現在から未来にいたる「罪の赦しと贖い」を表わそうとした。彼は第二コリント5章18節を"gave us the office to preache the atonement"と訳した(1526年初出)。1611年の欽定訳聖書は、彼の訳した聖書に基づいているが、欽定訳聖書では、ローマ5章10〜11節に、redemption からatonementへいたる過程を見ることができる。ローマ5章11節に"we haue now receiued the atonement"とある(三度同じ原語「和解」のがでてくるが10節では"reconciled"である)。〔OED"atonement".〕
■日本人のリヴァイヴァルの特徴
【6】21世紀の集会の在り方
〔『リバイバル新聞』(98年9月12日)〕
リバイバル大集会が、新たな信者を獲得する目的から、教会の信者をレニューアルして、伝道に参加させる方向へと変わってきている。このことは、個々の集会の働きに伝道の重点が移ってきていることを示している。ただし、個々の集会が霊的に活性化し、聖書を学び、霊的な指導を受けることができるためには、巡回の伝道者・教師・学者がどうしても必要である。このような人は、必ずしも<専任>でなくてもよいし、テレビや本や大伝道集会を通じて人々に働くことのできるプロの伝道者であってもよい。大切なのは、この人たちが、御霊の力と働きを受けて、これを伝える力と知恵と知識とを具えていることである。個々の集会は、必要に応じてこれらの霊能の師を招いたり、その人たちの集会に参加したりすることで、御霊の力と知恵とに与ることができる。大事なのは、霊能者の教えを受ける個々の集会の成長であって、その逆ではない。
【7】御霊の伝道
〔『リバイバル新聞』(98年6月14日)〕
リバイバルが起きるときには、必ず、教会の構成員に火がともる。集会のメンバーが、伝道を始めて、初めて、リバイバルが起きることを示している。ステファノのような信者のいる教会。リバイバルの火を燃やすことが、インドネシアのような所でリバイバルが起こっている。
【8】ミニ集会と日本の福音化への預言
〔『リバイバル新聞』イリエ・コロアマ師(1999年3月21日)〕
熊本に行ったとき、神さまが日本の島々にいろいろな橋を架ける様子を見ました。色々な働きを、神さまがつないでいる姿を見ました。一方では、それを好まず、敵対する霊の存在も見ました。しかし、最俊にはついに、神さまが敵の計画を破りました。日本にリバイバルが起こる前に、神さまが一致を作られるのを見ました。また、あるときは多くの雲の上に巨大なラッパを見ました。そのラッパが鳴り始めました。あたかも行進曲を奏でているようでした。すると、神の民が行進を始めました。初めはいろいろな場所で小さなグループが行進を始めましたが、やがてその小さなグループがいたるところでどんどん大きく成長していき、それらのグループが動くことによって、神さまがそれらをどんどん増殖させて大きく大きくしていきました。神さまは今もう、そのことをなされる準備ができているので、やがてこの国で現実に見ることができると信じています。小さな小さな10人、15人、20人といったグループというセル・グループかもしれません。神さまはまた教会も用いることができます。現在聖霊さまの働きを受け入れていないグループでも、そのときには聖霊がその人たちの内にも働きます。もちろんそのようなことは今は信じられないですけれども、聖霊さまが流れを変えます。今年がその年です。リバイバルが始まるのを私たちが見る年です。日本にリバイバルが起こるとき、敵はあらゆる種類の障害を用います。まず敵はクリスチャンの中に一致を見ると「もっと分裂を起こしたい」と考えます。また、あらゆる種類の悪霊どもがリバイバルに敵対する可能性があります。あらゆる悪霊どもが混乱させよう、別の方向に引っ張ろうとします。
【9】ラヴァン・ヒラの日本への預言
〔『リバイバル新聞』(1999年5月16日)〕
30年間、日本のために祈り続けたアメリカの1婦人が、次のように預言して語った。
〔ヒラ〕もちろん。今回日本に来たときに、日本が霊的に変わってきているのがはっきり分かりました。前回1997年に来たときは、暗くて重い感じがしましたけれども、今回来たときは全く違いました。前回日本からアメリカに帰ったときに、神さまが「今度日本に行ったときは、収穫のときですよ」とおっしゃってくださいました。今が喜びの朝です。涙をもって種を蒔きましたけれども、今は喜びをもって刈り取ります。日本は、もうすでに神さまが完成してくださっているので、クリスチャンは喜ばなければなりません。今まで悪魔が支配していたのが覆されて、教会に権威が与えられています。今は讃美するときです。タンバリンを持って、主の前に踊るときです。
▼日本のクリスチャンは今、具体的に何をするときですか?
〔ヒラ〕今は、努力してて何かをするときではなくて、神さまの中にあって安息し、讃美するときです。タンバリンを持って、主の前に踊るときです。「ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた」(サムエル記上5章3節)。ここにでてくる「主の御臨在」は、つまり讃美を現します。私たちが讃美し礼拝するときに、ダゴンは倒れます。彼は倒れました。何もすることはできません。偶像は全部打ち砕かれ、火で焼かれます。そうしたら、日本に土地がいっぱいできて、イエス様の場所が更に用意されます。
▼日本のために、実際にどのようなとりなしをしてきましたか?
〔ヒラ〕畑を耕すときに、雨が降って地面が柔らかくしなければなりません。どうやって世界の地面を耕すかというと、異言で祈ることであり、お言葉を読むことによるのです。私は新幹線や飛行機に乗って、三回ぐらい聖書全体を日本の空中にむかって声を出して読みました。お言葉、つまり神の約束を日本に向かって宣言しました。「神さま、日本のためにこれをしてくださることを、ありがとうございます」と感謝します。これがわたしのとりなしの方法です。み言葉は水でもあるので、祈りや御言葉を読むことによって土が耕されます。そして、聖書のカセットを携帯して、宿泊先の家でいつもかけています。
▼集会ではどういったことをしますか?
〔ヒラ〕おもに自分の体験を分かち合える人が居てほしい。おもに自分の体験を分かち合い、それから実際に祈りに導くのが大好きです。日本の女性は遠慮するので、隠されているたくさんの賜物が活かされるように引き出さなけれぽならないと思います。それを引き出すのが大切だし、大好きです。恐れ、強迫、消極的な思いなどから彼女たちを解放しなければなりません。私の賜物は、預言、励ましといったものです。御言葉から<知識の言葉>がよく与えられます。
▼日本のリバイバルについての預言はありますか?
〔ヒラ〕私は日本に対するたくさんの風をいただいてきましたので、大いなるリバイバルが来ることは霊的に知っています。日本のリバイバルは、ドミノ倒しのように起こります。<ドミノ倒し>と表現したのは、御座から流れて、それが日本全国に流れていくということで、簡単に起こることです。私は日本の霊的温度がすぐ分かりますが、今はとても熱いです。鉄の蓋が引き裂かれ、日本にある偽りの霊、まどわしの霊が暴露されます。そして、日本の国が笑っているのが見えます。日本人がみんな笑っているなんて想像できますか?夢ではないかと思うときが来ます。そして、これはもうここ(注‥ホープチャーチ ステイーフ・ケイラー牧師)で起こっているのです。コントロールできない川を見たことがありますか?人間は決して止めることができません。神の川は激しい川であり、全てのものを一緒に流してしまいます。その川は既に流れ始めています。
▼ヒラさん自身がどのように用いられるかの幻を見ていますか?
〔ヒラ〕何回か見ていますが、いずれも大群衆がいました。そして、そこに奇跡がいっぱい起こっていました。癒やし、解放。でも最高の奇跡は、イエスさまに出会って救われることです。何百万人という人々が救われます。私はただ主の御手の中にいたいと思います。
【10】異言体験とリヴァイヴァル
〔『リバイバル新聞』(1999年5月?日)〕
聖霊に激しく触れられた古口秀夫さん(札幌ICF教会員)が次に体験した変化は、祈りにおける変化だ。1993年夏、その日、司会の奉仕当番となっていた谷口さんがいつものように祈り始めると、突然、その祈り声は大声となっていった。「頭が割れるのではないか」、そんなふうに感じられるほど大声だった。普段とは随分違う祈りではあったが、谷口さんは「神の働きにゆだねよう」と思い、そのまま祈り続けた。後で二人の姉妹から、「聖霊さまってわかるのね」(聖霊さまを感じることができたという意味)と言われてはじめて、自分が聖霊さまに用いられていることを目覚するようにもなっていった。次いで、変化は祈りの内容にも現れてきた。それは福音派の中では口にすることのなかった内容の祈りで、「リバイバル」を求めるものだった。
そんな谷口さんに、ある日、一つの幻が与えられた。それは、リバイバルを目指して山を登っている男性の幻だった。最初は友達と仲良く、意気場々と登り始めたその男性も、今は一人・・・。どこまで登っても一向にリバイバルのゴールは見えず、思い出されるのは多くの人の非難の声だけ。しかし彼は、それでも山を登る決意をして一歩を踏み出していく。その瞬間、声が聞こえてきた。「あなたの願ったことで叶わなかったことは一つもない。あなたの祈りで聞かれなかった祈りは一つもない。あなたの流した涙の数さえ、わたしは数えることができる。わたしはイエス・キリスト、あなたの救い主だから」。さらにその声はこう語った。「ただ一つあなたに欠けていることがある。あなたは、目の前の岩ばかり見ている」。
その声にハッとして、男性が後ろを振り向くと、そこにはリバイバルという名の大地、リバイバルという名の大空が遥か彼方まで広がっていた、という幻だった。これらのことを通して谷口さんは「自分は福音派にいて、福音派とカリスマ派とが一致した日本のリバイバルを見るのだ」と信じるようになった。しかし主は、思いもかけない道を用意されていたのだ。
【11】パウロと罪の赦し(まとめ)
パウロには、罪の「見逃し/許し」はない(3章25節)。罪が「見逃されている/許されている」ところに、罪の「赦し」は生まれてこない。「赦し」とは、罪を見逃さない/許さないで、これを認めさせて、裁きが確定したその段階で初めて「赦す」ことだからである。だから「贖い」とは、基本的に「過去の罪」を赦すことである。祭儀的な赦しとは<それまでの>罪過を赦して清めることである。ところが、パウロは、この贖いの赦しに基づいて、イエス・キリストの御霊にある恵みに生きることへも赦しをつないだ。これは現在から未来へ向かう事態のことである。パウロは、この過程をも「贖い」と「赦し」の中に含めているところに問題が生じることになった。パウロの言う「律法」と同様に、彼の「赦し」も動的に働くものであったが、その動きを伝える用語が彼にはなかった。相当する語彙が存在しなかったからである。イエス・キリストの受難と復活に基づく祭儀的な「血の贖い」とこれから生じる聖霊の未来への働き、<過去の罪への贖いの赦し>と<現在から未来へ向かう御霊にある恵みとキリストとの交わり>の赦し、この二重性こそ、パウロのイエス・キリストにある「罪の赦し」の構造である。この赦しは、イエスの御霊にあって動的に働くから、それは創造する赦し、終末へ向かう赦しであり、裁きと表裏を成す。