日本人のリヴァイヴァルの未来
2013年11月2日 アルカディア私学会館
■はじめに
私が「日本のリヴァイヴァル」と題してお話ししたのは、確か2年前の東京集会が最初でした。それからコイノニア会の夏期集会でこの問題を連続して扱い、春期東京集会(2013年)では、リヴァイヴァルとナザレのイエス様について語りました。また今年(2013年)の夏期集会では、2回にわたって、「宗教する人」と「イエス様の人」について話しました。宗教する人のほんとうのあるべき姿は「イエス様の人」になることです。「イエス様の人」こそ、福音の根源の姿ですから、宗派にかかわりなくすべてのキリスト教に共通するものです。これからの日本人のリヴァイヴァルは、霊的に一つのエクレシアになることを目指して歩まなければなりません。そこから、アジアのキリスト教が始まります。これがこの夏期集会での締めくくりでした。今日はこの締めくくりから始めます。すでにお話ししたことはホームページ→聖書講話→「日本人のリヴァイヴァル」シリーズに載せてありますから繰り返しません。今回の秋期東京集会で、わたしのリヴァイヴァル・シリーズを終わりにしたいと思います。
■集められる民
ユダの人々とイスラエルの人々は
ひとつに集められ
一人の頭を立てて、
その地から上って来る。
イズレエルの日は栄光に満たされる。
(ホセア書2章2節)
主は諸国の民に向かって旗印を掲げ、
地の四方の果てから
イスラエルの追放されていた者を引き寄せ
ユダの散らされていた者を集められる。
(イザヤ書11章12節)
その日が来ると
ユーフラテスの流れからエジプトの大河まで
主は穂を打つように打たれる。
しかし、イスラエルの人々よ
あなたたちは、ひとりひとり拾い集められる。
(同27章12節)
ここにあげたのは、北王国イスラエルの預言者ホセアと南王国ユダの預言者イザヤからです。二人とも、アッシリア帝国や新バビロニア帝国の侵略によって囚われたり、散らされたりした南北のイスラエルの民が、ヤハウェの不思議な導きによって、再び主の都エルサレムへ集められて一つになることを預言しています。この希望は長年のイスラエルとユダヤの民の念願でしたから、イエス様の時代まで続いていました。
わたしがこのような預言者の言葉で始めたのは、今もこの預言が生きていると思うからです。この預言を現在のイスラエルに当てはめて、世界の終わりと共に全世界のユダヤ人がイスラエルへ戻ることを信じている人たちがいます。ただし、わたしはそう言うつもりでこの預言を引用したのではありません。そうではなく、現在の世界のキリスト教の諸教会のために、とりわけわたしたち日本人のキリスト教のためにこれを引用したのです。なぜなら、今主イエス様がわたしたちに求めておられる最も切実なことは、主の民が「一つになる」ことだからです。御言葉に次のようにある通りです。
一つの体と一つの御霊。
あなたがたが召し出されたのは一つの希望を抱くエクレシア。
一人の主、一つの信仰、一つの洗礼。
唯一の神は万人の父、
すべての上にいまし、すべてを通して働き、すべてのうちにおられる。
(エフェソ4章4〜6節)
イエス様を信じる者は例外なくイエス様のエクレシアのメンバーです。イエス様に召し出されたイエス様のお体の肢体(メンバー)だからです。イエス様は、今も御復活されて、わたしたちと共にいてくださいます。このことを覚知できるようになれば、たとえ肉体が亡くなっても、なくならないものが人間にはあることを悟るようになります。これはものすごく大事なことです。このことが分かると、過去も未来もなくなって、今の時を主と共に歩む、ただそれだけの心境へ導かれます。
だからと言って、過去が見えなくなるのではありません。それどころが、イエス様の父であるイスラエルの神を通じて、ユダヤ=キリスト教の四千年の過去があなたを支えてくれます。未来が見えなくなるどころか、人類の終末へ向かう歩みが見えてきます。
とほうもない話だと思うかもしれませんが、イエス様の御霊は、わたしたちに働いて、わたしたち一人一人をこのように人類の聖なる歴史、「神の聖史」へと組み込んでくださるのです。一人一人は、人類を導くイエス様のお体のメンバー(肢体)になるのです。これがイエス様の「エクレシアのメンバー」の意味です(第一コリント12章12〜26節/エフェソ1章17〜23節)。だからどうか、イエス様にある「一つからだ」を目指してください。せめて日本人のクリスチャンだけでも、東方正教会、カトリック、プロテスタントの枠を超えて、一人の主、一つの御霊へと導かれるよう祈り求めてください。組織を一つにまとめることを言うのではありません。祈りと交わりを通じて一つ心になることを求めなさいと言うのです。知的に高く、霊的に深く、真理に広く、イエス様の福音にとらえられてください。過去を受け継ぎ未来へつなぐ一致こそが、これからの日本人クリスチャンの希望です。
■広がる民
諸国の民から自由な人々が集められ
アブラハムの神の民となる。
地の盾となる人々は神のもの。
神は大いにあがめられる。
(詩編47篇10節)
諸国の民はひとつに集められ
主に仕えるために
すべての王国は集められる。
(詩編102篇23節)
目を上げて、見渡すがよい。
彼らはすべて集められ、あなたのもとに来る。
わたしは生きている、と主は言われる。
あなたは彼らのすべてを飾りのように身にまとい
花嫁の帯のように結ぶであろう。
(イザヤ書49章18節)
私はなぜこのように、主にある民の一致を求めるのでしょうか? それは、今引用したように、イスラエルの民が一つに集められることが、イスラエルの神が全世界の諸国民に崇められ信じられるための前提だったからです。この預言は、イエス様の到来によって実現し、それまでのイスラエルの民族的な宗教が、全世界の民を含む「キリスト教」へと発展的に変容しました。同じ事が今の日本人のキリスト教にも言えます。イエス様のエクレシアの民が一つ心になることで初めて、イエス様の御霊にある福音が、世界中の民族、宗教、文化の民へ広がる道が開けるからです。一致があって初めて、わたしたちは、現在の日本人にも、周囲の諸民族にも、宗教や伝統にかかわりなく、イエス様の御霊にある福音を伝えることができるのです。エクレシアの一致こそ、全人類の一致へ向かう大事な踏み台だからです。
■国粋主義と国際主義
イエス様の御霊にある一致と広がり、このためにわたしたち日本人のキリスト教が目指さなければならないことが、大きく二つあります。一つは、これからの日本の歩みについてであり、もう一つは、日本の周辺諸民族との関係です。
先ず日本の国内問題から始めます。昨年(2012年)自民党が民主党に圧勝してから、自民党は、現在の憲法を変えようとしています。その試案によれば、天皇は国家の「象徴」から「元首」になり、9条は軍事力を肯定する内容に変えられ、個人の自由は公共の益のために制限され、国家が市民に奉仕する「主権在民」の思想が、国民が国家に奉仕する「国家主義」的な路線へ方向転換するおそれがあります。特に最近では(2013年2月)、このような自民党の動きに、突閣列島をめぐる中国と日本の争いが絡んできています。北朝鮮が本格的な核武装を始めたことが年初め(2013年)に報じられました。
憲法が変われば、これら周辺諸国の動きに刺激されて、日本が遠からず核武装へ踏み切る可能性さえあります。安倍内閣は、インフレ目標を2%に定めて貨幣を無制限に発行しようとしていますから、これは福祉よりもむしろ大企業の業績向上と軍備の拡大につながるでしょう。教育は国家主義的な「国民教育」へ、経済は軍備拡大へ向かい、思想・教育面では国家主義と民族主義的な傾向が強くなることが予想されます。民族主義それ自体は必ずしも誤りではありませんが、民族主義が感情的な国粋主義に走るなら、日本は世界から孤立するおそれがあります。だから、これを警戒しなければなりません。平和憲法から戦争憲法へ、民主主義から国家主義へ、個人の基本的人権の尊重から国家の秩序の維持へ、核兵器廃絶から核武装へ、アジアの平和から中国との対立へ、今の日本は、大きく舵を切ろうとしています。この転換が国際的な平和国家から孤立した国家へ転落することにならなければ幸いです。この道はかつて歩んだ道だからです。
もう一つは、周辺諸民族との問題です。太平洋戦争で勝利した戦後のアメリカ人に大きな衝撃を与えた出来事がありました。それはベトナム戦争です(1965年〜69年)。小田実という人が「ベトナムに平和を」と叫んで「ベ平連」を作って日本国内で盛んに反米運動をやったのはその頃です。アメリカは最大50万という大軍を投入して、北ベトナム(現在のベトナムの北半分)と闘いました。武器と戦力では、幼児と大の男ほどの圧倒的な違いがあるにもかかわらず、アメリカはこの戦争で勝つことができず、最後には北ベトナム軍のサイゴン(現在のホー・チ・ミン市)攻撃で、アメリカは撤退し、現在のベトナムができました。いったい、ベトナムはなぜアメリカに勝つことができたのでしょうか?
一つには、ホー・チー・ミンに指導されたベトナムの民族主義(ナショナリズム)が、国民を一致団結させて、徹底的に抗戦したからです。しかし、一致団結してアメリカと徹底的に抗戦したのは、戦中の日本でも同じです。けれども日本はアメリカに敗れ、ベトナムは勝ちました。なぜでしょうか? それはベトナムに、ナショナリズム以外にもう一つ大事な理念があったからです。それは国際的な支持を得るインターナショナリズムです。ベトナムのインターナショナリズムは、当時のマルクス主義に基づく共産主義です。しかし、ホー・チ・ミンは、ソ連の共産主義だけでなく、「すべての人間は平等である」とあるアメリカ憲法からも引用して、全世界にベトナムの正義を訴え続けました。その結果、日本を初めアジアの国々も、ソ連もヨーロッパも、ついにアメリカ国内でもベトナム反戦運動が起こったのです。この結果、アメリカはついに、戦争を遂行することができなくなりベトナムから撤退しました。
ベトナムが大国アメリカに勝つことができたのは、自分たちの闘いが正義の闘いであることを世界の国々に納得させることができたからです。これを可能にしたのは、ナショナリズムの力だけではありません。これにインターナショナリズムが加わったからです。ナショナリズム同士の闘いなら、日米戦争のように、強いほうが勝ちます。しかし、ナショナリズムとインターナショナリズムが結びつく時に、どんな大国もこれに勝つことができないのです。世界の国々がその民の正義を認めるからです。逆にインターナショナリズムの支えを失ったナショナリズムは、民族主義ではなく、戦前の日本のような国粋主義に陥り、その結果孤立するのです。
これからの日本は、憲法を変えて、いったいどんな方向へ進むのでしょうか? 日の丸、君が代、靖国神社、天皇陛下万歳の「国際」ではなく「国粋」に走らないでしょうか? 日本人は、「人」であるよりも、通貨の円のように、日本以外では通用しない「日本国」の「国民」にされるのではないでしょうか?世界から支持される平和日本ではなく、アジアからも世界からも警戒される軍国日本に陥らないでしょうか? 日本人のナショナリズムが、インターナショナルな価値観と結びつかないならば、この国は核戦争で必ず滅ぼされます。今この国に最も必要なのは、このように、<世界を納得させることのできる価値観>なのです。
■韓・中と日本の対立
日本のキリスト教の諸宗派が心を一つにして、エクレシアの外の日本人たちに影響を与えてほしいのです。そうすれば、日本の民に福音が伝わるだけでなく、世界の諸国に向けて、日本人の国際性を訴えることができるようになります。だから、これからの日本は、イエス様の御霊によるリヴァイヴァルとエクレシアの役目がとても重要になるのです。
最近、日本の周辺諸国、特に韓国と中国に対して、この国の識者たちの間で戦闘的な論調が目立つようになりました。書店をのぞいてみると、日本礼賛の本が並び、同時に、韓国と中国に批判的な書物が並んでいるのが目につきます。例えば「中韓との百年戦争にそなえよ:戦時賠償、従軍慰安婦、領土、靖国参拝。『中韓同盟』の攻勢にどう抗するか」(『文藝春秋』2013年10月号)と題して、5〜6人の識者たちの座談会が収録されています。あるいは「韓国は先進国になれない」(『SAPIO』2013年10月号)という大見出しのもとで、最近の韓国の対日批判を厳しく攻撃しています。
『文藝春秋』の対談を目にして、わたしが一番気になったのは、数人の識者たちが中韓と日本の緊張をいろいろと論じ合っているのに、「アメリカ」という言葉が一度もでてこないことです。彼らの頭には、日本から見た韓国と中国のことしか念頭にないのが分かります。彼らは<日本から見た>視野だけで語り合っているのです。ところが、この問題を<韓国から見れば>どうでしょうか? 彼らの目の前に日本が見えますが、その背後には太平洋を隔ててアメリカが目に入るのです。しかも韓国は、背後に北朝鮮を抱え、ロシアと中国の二大国が横たわっています。朝鮮半島の歴史は、二千年にわたる大陸(漢・随・唐・宋・元・明・清・中国)からの支配とその下で苦しんだ長い怨念の歴史です。「中韓同盟」などと単純に言えるような関係でないことは明らかです。韓国のクリスチャンたちは「中韓同盟」と聞けば、どんな反応を示すでしょう!
では、中国から見れば、どのように見えるでしょうか? 彼らの目の前には、朝鮮半島と重なるように日本列島が長く横たわっています。その背後にアメリカが控えており、日本列島の南には台湾に始まり東南アジア諸国がオーストラリア・ニュージーランドまで続き、北には大国ロシア、南には大国インド、西にはイスラム諸国が控えています。アメリカから見ればどうでしょうか? 太平洋を挟んで、日本列島が細長く連なっていますが、それとほとんど重なるように、朝鮮半島があり、その背後に中国とロシアの二大国が横たわって目に入るのです。
こんなに複雑な地勢関係が目に入らない人たちが、日本の国内的な視野で、「日本と中韓との百年戦争」などと論じ合っているのが、現在の日本の事情です。おそらく彼らは、日本語を理解できる日本人のことしか念頭にないのでしょう。ところが韓国の人は、対日批判をする時にも、直前の日本だけでなく、常にその向こうにアメリカを見ながら発言しているのです。彼らは自分たちの言うことをアメリカも同時に聞いていることを計算に入れて話すのです。この事情は中国の発言ではさらに顕著です。中国は対日批判をアメリカ、ロシア、インド、東南アジアに向けて語っているのです。聞くところによれば、現在のアメリカの太平洋艦隊の指導者たちは、日本の言い分よりも、むしろ中国の言い分のほうが正しい、本心ではそう思っている人のほうが多いと言う人がいます。日本は「闘う前に」すでに負けています。こういう事情は、先の太平洋戦争の前に起こったことと変わりません。インターナショナリズムの支えのないナショナリズムは、大国と闘っても決して勝つことができないのです。
■現在の中国のキリスト教
ここで中国のキリスト教の現状に目を向けることにします。少し前までは、中国のキリスト教徒は、国家による公認のキリスト教会(カトリック教会とプロテスタント教会)以外は、正式に活動を認められていませんでした。しかし、非公認のキリスト教会が中国全土に無数に生まれて、これが激増していることがだんだん分かってきました。これらは「家の教会」と呼ばれていますが、この呼び方は当局の目を欺くためで、実際は大きな教会堂を持つ会堂教会も含まれています。
非公認のキリスト教会の指導者たちや信者たちは、これまで激しい弾圧を受けてきました。2007年の7月〜8月には、湖北省では9人の「家の教会」の指導者たちが「再教育」と称して投獄され、殴打や拷問を受けました。自宅で日曜礼拝を守っていたのが見つかり拘束されたり、村民がキリスト教の賛美歌を歌ったこと、保育所でイエスの映画を上映したこと、肢体不自由な老人に神の癒しを祈ったことなどが「犯罪」として処罰されたのです。同じ事が、安徽省、河南省、山西省でも行なわれました。
中国の宗教弾圧は今に始まったことではなく、文化大革命中には全土の宗教施設が破壊され、宗教者は投獄・殺害されました。ただし、多くの中国人キリスト教徒が言うには、今では聖書を国内で印刷・配布することができ、信者が挑発的な行為をしなければ礼拝を妨害されることもほとんどないようです。しかし、近年になって信者の数が増えるにつれて、キリスト教徒に対する迫害が急増しているとも伝えられています〔『News Week(日本語)』2012年11月14日号〕。
それでもキリスト教信者は増え続けています。浙江州杭州市近郊の住宅の一室には、聖書を持った約30人の住民がひしめいていて、壁には住民が描いた十字架のキリストの絵があり、台湾の宣教師がマルコ福音書の解釈を語っていました。「警察が気づいた。外国人はまずい。裏口から逃げて」責任者の男性が記者に耳打ちして、すぐ解散し、警官が踏み込んだ時はもぬけの殻でした。「特別な客がいたのでは」と尋ねられた住人は、しらを切り通していました。政府非公認の地下教会の人たちは、病人を見舞って祈り、貧しい人に集めたお金を渡すなど、その活動に魅力を感じた信者が80年代末から激増して、地区住民約三千人の3割に達したとあります〔『朝日新聞』(2009年9月30日)〕。
中国では、国家の利益に反しない限り、キリスト教も認められていますが、外国人宣教師排除法により、外国人が牧会することは認められていません。彼らが、宗教活動によって、政治を批判するからです。外国人だけでなく、中国人でも同じで、政治を批判することは許されていません。それでも1949年の建国時に400万人だったキリスト教徒は、今、政府公認団体で2100万人、地下教会を含めれば1億人以上とみられ、7500万人の共産党員をしのぐほどです。キリスト教は知識人から貧困層まで浸透して、今や中国は屈指のキリスト教国になりつつあるのです。
このために、2013年現在の中国では、社会の秩序を回復するために共産党は方針を転換して、宗教の力を借りようとしています。宗教はキリスト教と儒教に分かれていて、政府は主として儒教を公認として孔子の教えを推奨し、礼と孝と忠の思想を植え付けようと子供たちに論語を読ませています。しかし、貧富の差が激しくなるにつれて、社会の底辺層では非公認のキリスト教が急速に広がりつつあります。また政府公認のカトリック教会も盛んで、共産党とも提携して精神的な悩みの解決によって人数を拡大しています。公認のキリスト教の神学校では、若者を養成して非公認のキリスト教会の牧師としてキリスト教の家の教会を管理させようとしているのです〔「さまよえる民のこころ」NHKスペシャル(2013年10月13日午後9時より)〕。
■東アジア・キリスト教圏の成立
このような状勢を見ますと、わたしたちには一つのヴィジョンが与えられます。もし近い将来に、かつての東ドイツと西ドイツで起こったように南北朝鮮が統合する事態になり、かつてのソ連邦で起こったように共産主義が破綻してロシアとそれ以外の国々とに分裂する事態が、今後中国で生じるなら、現在弾圧されている仏教国のチベットとイスラム教国のタジキスタンは、間違いなく中国から分離独立するでしょう。その結果、漢民族中心の「支那」か「中国」が復活する可能性があります。こうなれば、現在のロシアのように、キリスト教が外国からも流れこんで、漢民族のキリスト教化が実現する可能性があります。その結果、日本とすでにキリスト教化している韓国と漢民族の中国からなる日韓中の合同経済圏が形成され、「東アジアキリスト教圏」が成立する条件が整うことになります。
これは、現在世界に存在する正教とカトリックとプロテスタントの三つのキリスト教圏に継ぐ、第四のキリスト教圏の誕生です。このキリスト教は、仏教的な思想や儒教的な人倫思想を受け継ぐキリスト教でしょう。わたしが、あえて預言めいたことを申し上げるのは、これからの日本のキリスト教は、先ずアジアの平和を目指すべきだと考えるからです。欧米型のキリスト教ではなく、さりとて「日本型」を追求するのでもなく、アジアのキリスト教を目指すべきだと思うのです。世界の終末と人類の平和を願うのもいいでしょう。現在のイスラエルが全面的にイエス様を受け容れる日が来ることを祈り求めるのもいいでしょう。しかし、わたしたち日本のキリスト教徒は、より身近なアジアから始めるべきです。この意味で、あえて具体的な形で、東アジアキリスト教圏を目指すべきだと申し上げたのです。
ただし、このキリスト教は、欧米からアジアへの「脱白人」(ポスト・ホワイト)ですが、決して白人と対立したりこれを敵視する反白人(アンティ・ホワイト)ではなく、また白人を意図的に排除しようとする非白人(ノン・ホワイト)でもありませんから、注意してください。現在の中国と韓国のキリスト教は、基本的に福音主義的な聖書解釈に基づいています。だからこれは、二千年のキリスト教の伝統を受け継ぐ三位一体のキリスト教です。ナザレのイエス様を神の御子と信じることを核心にする正統キリスト教です。
このような視野に立つ日本人のキリスト教の役割はどのようなものでしょうか?日本のキリスト教は、<聖書を学ぶ>ことと<個人の霊性>を大事にする伝統を保持し続けることが大事です。中国では「行ずる」キリスト教、韓国では「祈る」キリスト教、日本では「学ぶ」キリスト教という姿勢の違いが出てくることが予想されます。かつて唐の時代に盛んになった景教が見直され、アジアでのキリスト教の歴史が発掘されるようになるでしょう。
だからどうか日本のクリスチャンは、韓国と中国のクリスチャンのために祈ることを忘れないでください。
この講演は2013年11月に行ったもので、わたしはただ主に示されたままに語ったのですが、これの源となるヴィジョンは若い頃に与えられたものです。不思議なことに2014年になって、東アジアのキリスト教について考えているのはわたし一人ではないことを知るようになりました。なお、東アジアキリスト教圏については、このリヴァイヴァル・シリーズの補遺「東アジアキリスト教圏について」をご覧ください。
■日本人キリスト教徒のこれからの歩み
アベノミクス自民党が、今後日本の国内世論をどの方向へ導こうとしているのかは、まだはっきりしません。おそらく日米同盟を基軸にして、中国との対立を深め、東南アジアと手を組もうとしているのでしょう。しかし、たとえどのような事情に置かれようと、「中国と闘う」ことなど絶対にやってはいけません。先の敗戦で、日本は、南樺太、千島列島、朝鮮と台湾の植民地、さらに南太平洋の広大な海域に散らばる南洋諸島を失いました。これらの失った領土が占めている周辺の海域の広さを含めると、もしも太平洋戦争がなかったとすれば、日本の支配領域とそこに眠る資源は、中国大陸にも匹敵する大きさになります!
少なくとも当分は(21世紀の半ば頃まで?)、日本と中国の対立は続くでしょう。しかしどんな場合でも、日本が国際的に孤立することがあってはなりません。国際的な視野を見失うことなく中国と対処するなら、日本のキリスト教が、思想的・宗教的に中国に大きな影響力を発揮する時が必ず来ます。これは長期的な視野に立つ見方ですが、わたしは、このためにも、日本のリヴァイヴァルがこれからますます重要な意味を帯びてくると信じています。日本をこのように導く実際の力を持つのは、日本人のキリスト教だけだからです。これからの日本の平和を守り、韓国と中国のキリスト教徒と提携してアジアの平和を守り抜くこと、これが現在の日本のキリスト教徒に与えられているイエス様からの使命です。
わたしの見るところ、現在の韓国のキリスト教も、成長しつつある中国のキリスト教も、日本人のキリスト教に比べると、国家との結びつきが強いように思われます。言い換えると、日本人のキリスト教は、韓・中のそれに比べて個人の霊性がより重視されていると言えます。先の世界大戦では、日本のキリスト教会は、国家権力によって個人を失い、国家の力によって統一させられ、国家の力によって神道や仏教と妥協させられました。その結果、日本のキリスト教会は自発的な御霊の力を失いました。イエス様の御霊にあるエクレシアのメンバー(個人)を活かし、祈りによる交わりの一致を怠り、御霊にある他宗教と交流を深め、これらを感化する道を選ばなかったからです。現在の中国のキリスト教も、かつての日本のキリスト教のように、個人とエクレシアの一致と他宗教への働きかけの三つの点で、国家権力の管理下に置かれる危険性があります。日本人のリヴァイヴァルは、この意味でも大事な役割が与えられているのです。
ただし、仏教や神道や儒教など、他宗教への寛容を説くならば、アメリカの保守的なキリスト教からも、日本の神道を敵視する韓国や中国のキリスト教からも、コイノニア会の言うイエス様の御霊にある「霊愛」は批判を受けることが予想されます。
(1)国家権力同士の争いを防ぐエクレシア。
(2)信者個人の霊性を重んじるエクレシア。
(3)学問的に正しい聖書解釈に基づくエクレシア。
(4)他宗派と他宗教を攻撃しないエクレシア。
(5)進化論を含む自然科学と対立しないエクレシア。
これらが、日本人のキリスト教の特徴なのです。日本人によるリヴァイヴァルと、そこに生まれるこのようなエクレシアの特性こそが、これからの東アジアキリスト教圏の形成にとってきわめて重要になります。だから今の時の日本人のキリスト教徒は、こう祈りましょう。主よ、どうか日本と韓国と中国のエクレシアの民の心を一つにしてください。そしてわたしたちを民族同士の争い、国同士の戦いからお護りください。この国を護り、アジアの平和を護ってください。
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