2003年クリスマス集会

    今日ここにお集まりの皆さんは、イエス様によって招かれた方々です。イエス様は神様の御国を王様の宴会にたとえられました(マタイ22章)。多くの人が招かれたけれども、ほとんどの人は、いろいろな理由をつけて招きを断わりました。そこで誰でもいいから連れてきなさいと王様が命じると、いろんな人が集まってきたのです。この集会みたいにね。ところが、王様の前には礼服を着て出るしきたりになっているのに支給された礼服を着てこない人がいたので、その人は外へ閉め出されてしまったのです。
   礼服とはイエス様の御霊のことです。聖霊様は身にまとう衣服にたとえられます。だからパウロも「キリストを着なさい」と言っています(ローマ13の14/1コリント15の53)。なぜ聖霊様をまとう必要があるのかと言いますとね、イエス様の御霊は交わりを創り出すからです。この集まりには、いろいろな人がいます。これは、イエス様の御霊によって新しく「生まれた」すなわち「創造された」交わりなのです。いろんな人がいるのはとてもいいことです。なぜなら、交わりとは、ほかでは生まれない交わりが新しく創造されることだからです。ですからイエス様の御霊の働きがとても重要なのです。
    ここで私が言うのは、いわゆる御霊にある異常な体験のことだけではありません。そういう体験もいいことですが、それが交わりを形成する、創り出す力となることが最も大事なのです。パウロは、これを「愛によって働く信仰」(ガラテヤ5章6節)と呼んでいます。御霊の働きはいろいろあります。個人の数ほどあると言ってもいいです。大事なのは、御霊が「なんのために」お働きになるのか? ということなんですね。
    これから聖餐を行ないます。イエス様のパンと葡萄酒を戴くということは、イエス様の命とイエス様のからだを戴くことを表わしています。これはイエス様の御霊が、今もなお働いて、私たちの霊と肉の全存在を支えて活かしてくださっていることを意味します。私たちは、徹頭徹尾活かされている。この「されている」事態だね、これが大事です。これがイエス様の十字架による贖いの力です。これによって生まれ創り出された交わりがこの場に生起するのです。これがコイノニア会の精神ですね。どうかこのことを忘れないでください。
戻る