東アジアキリスト教圏について
                                            2014年3月30日
 「東アジア」という言い方は、地政学的な概念を含んでいます。こういう地政学的な概念に対して、アメリカの占領軍は、「大東亜共栄圏」という戦前・戦中の日本の軍事的支配の含みをそこに嗅ぎ取って、終戦後、このような地政学的な概念を禁止した時期があります。現在で言えば、中国が、中・韓・日の「東アジア中華圏」を唱えたら、日本と韓国は、「平和」どころか、そこに中国の軍事的な野望を嗅ぎ取って警戒するでしょう。このように、国家間の地政学的な概念は、軍事支配の含みを伴うのです。わたしが、日本の平和を守る「日本人のエクレシア」と言い、同時に、韓国と中国のエクレシアと手を携えて「アジアの平和を守る」祈りを捧げるのは、先に述べた国家間の軍事支配とはちょうど正反対の意義を持つことを知ってほしいのです。イエス・キリストのエクレシアこそが、日本の平和を守り、アジアの平和を守る働きをすること、このために日・韓・中のエクレシアが祈りを共にすること、これが福音的な霊性に基づく「東アジアキリスト教圏」を目指す真の意義です。
 
さらに、この「東アジアキリスト教圏」を東方正教圏、カトリック圏、プロテスタント圏から、その神学的(信仰的)な内容において区別して考えるなら、場合によっては、これら既成の伝統的なキリスト教圏と「対抗する」キリスト教圏を目指す、という意味に受け取られかねません。特に、欧米のキリスト教圏の人や宣教師たちではなく、地域に根ざした人たちの発想とその自発的な霊性を重んじるという意味で「土着の」(indigenous)キリスト教という形容詞を用いる場合に、このコンセプトは、欧米のキリスト教からの参加を排除する意図を含むと誤解される恐れがあります。このような反白人あるいは非白人に限定する「アジア人」のキリスト教は、かつて日本が太平洋戦争中に唱えた「大東亜共栄圏」のキリスト教思想に近いものになるおそれがあります。この発想は、日本の国家主義的なキリスト教だけでなく、いわゆる「国策キリスト教」として、日本、韓国、中国のいずれの「キリスト教」にもあてはまるでしょう。このような「国策」としての教会組織は、「教会政治」の立場による違いから相互の主導権争いへ転落する危険があります。だから、人間の組織体として制度化された「教会」と、新約聖書が伝えるイエス・キリストの霊性に基づく純粋な意味での「エクレシア」を区別する必要があるのです。もしも東アジアキリスト教圏が、いわゆる国策キリスト教同士の競合に陥るなら、そこに生じるのは「対話と霊的な一致」ではなく、組織化された教会同士の抗争になります。「脱白人」(ポストホワイト)とは、非白人(ノンホワイト)のことではなく、まして反白人(アンティホワイト)のことではありません。だから、東アジアキリスト教圏の形成にあたり、欧米からの「参加」participationは歓迎すべきことです(これを福音の地域への「同化」contextualizationと呼びます)。ただし、既成の白人のキリスト教組織が、もしもキリスト教の非白人化を恐れたり、アジア化への動きを妨げようとするならば、彼らの行為は「参加/参与」ではなく「干渉」interferanceになりますから、当然このような姿勢は拒否されることになりましょう。真のエクレシア形成は、このように、国家権力と既成の宗教組織と両方の干渉に注意しなければなりません。
 なぜなら、東アジアキリスト教圏が目指すキリスト教の神学的霊性は、常に働き続ける<新たなキリスト教を創造する聖霊の働き>によって生まれるからです。これは、以下のような特徴を具えるものです。
(1)既成のキリスト教圏の根源的な伝統(三位一体の聖書信仰)に根ざすものであること。
(2)性差別、人種差別、階級差別の三大差別を克服するものであること。
(3)エコロジカルな思想を含むものであり、それゆえに従来の自然科学と宗教の対立を克服する思想であること。言い換えると人類の「霊的な進化」思想に基づくこと。
(4)宗教的寛容を重んじるキリスト教であること。これには教派と宗派を超えたエクレシア内での霊的な一致が第一に求められますが、同時にこれが他宗教への寛容にもつながることになります。
(5)このような福音を現実化する<聖霊の働き>を重視するキリスト教であること。
  このような霊性は、無私の心に宿るナザレのイエス様の御霊から与えられるものであり、これだけが、東アジアのキリスト教圏を形成する<真の創造的な>働きとなることを深く認識する必要があります。そうでないと、かつての大東亜共栄圏のように、民族主義的な「征服圏」を形成する原理に利用されるおそれがあるからです。この危惧は、日本のキリスト教だけでなく、中国のキリスト教にも、韓国のキリスト教にも等しくあてはまるのは言うまでもありません。
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