クムラン宗団の信仰

クムランの律法解釈
 ファリサイ派は、旧約聖書の正典化が進行するにしたがい、預言者による啓示の時代は終わったものとして、伝承による律法の字義的な解釈を重視する方向に向かった。しかし、エルサレムを中心とするこのような「正統派」のユダヤ教に対して、エッセネ派の中心的な拠点であったクムラン宗団の律法解釈は、ファリサイ派のそれとは異なる方向をたどった。律法とは本来分派活動を許さないことを意図したものであり、モーセの律法もその例外ではない。しかし、と言うべきか、まさにそれゆえにと言うべきか、ファリサイ派とクムラン宗団との律法解釈の違いは、両者の間に厳しい対立と緊張を生じさせた。このことは、宗団の「神の会議」に参加する者に課せられる次のような規定によく表われている。

 ここでは、宗団に所属する者には、「モーセ律法」を研究するべきことが厳しく要求されている。それは、「不義の者どもの集まりから離れ、律法(の研究)と持ち物において一つとなり、サドクの子ら、すなわち契約を守る祭司たちと契約に忠実な宗団の多数の人々に従って応答すること」〔同上X2〜3〕が意図されている。この宗団は、なによりもまず「律法の研究と持ち物において一つとなる」者たちの宗団なのである。「モーセ律法の一つをも犯す者があれば、みな宗団の会議から追放し、二度と帰ってこぬようにする」〔同上[22〕ほどにそれは厳しい。しかも、その研究は「不義な者どもから離れる」ことを目的としている。神は、終末の時まで「歩むべき二つの霊を人に与え給うた」〔同上V17〕からである。それゆえに「義の子らはみな光の君に支配され、光の道を歩む。不義の子らはみな闇の天使に支配され、暗黒の道を歩む」〔同上V20〜21〕のである。したがって、宗団に属する者に対しては、「すべての闇の子らをおのおの神の報復に入るべき、その罪に応じて憎むこと」〔同上T10〕が要求される。
 律法解釈をめぐるこのような二元論は、「真理」と「偽り」とをめぐる宗団の厳しい姿勢を示すとともに、敵対する教派に対する憎悪に満ちている。「神の選び給うたものをみな愛し、彼の斥け給うものをみな憎むこと」〔同上T4〕が宗団の至上命令だからである。ではいったい、宗団の言う「真実な律法解釈」とは、いかなるものであろうか。わたしたちはここで、先の引用の中にある「神の定めを研究して秘められたことを知ろうとしないで」という一句に注目しなければならない。ここにある「秘められたことを知る」ことこそ、宗団の「真実」と「偽り」とを区別する重要な鍵だと思われるからである。
 まず、宗団の律法解釈の最終の権威は、だれが握っているのかを見よう。「宗団の会議には、律法全体から啓示されるすべての事柄において完全な12人の者と3人の祭司とがいる」〔同上[1〕とあり、さらに、「祭司たちは<神の>力ある業に現われた神の義を語り、イスラエルに対する憐れみ深い恩恵のすべてを言い聞かせる」〔同上T21〕とあるから、ここでは祭司、特に大祭司が至上の権威を持っていたと考えられる。年毎の契約の更新に当たっても、まず「祭司たちが最初に、その霊に応じて次々とこの規律に入る」〔同上U20〕のである。このような律法解釈とその権威化のあり方は、本来祭司身分ではない「学者」たちが、神殿祭儀から独立した口伝伝承に基づいて行なうファリサイ派の字義的な律法解釈とは著しく異なる。クムランのそれは、ファリサイ派の律法主義に対して、<祭司的律法主義>とでも言うべきものである。したがって、「真理」とは、この祭司的権威によって宗団が継承し発展させた真理、すなわち宗団に啓示された律法の伝承を意味し、メンバーにはこの伝承に完全に従うことが要求されることになる。クムラン宗団では、会議に属するものが10人いるときには、必ず一人の祭司と「日夜絶えず律法を研究する者」〔同上Y3〜6〕が一人いなければならないと定められているのは、このような理由による。
 しかし、律法の解釈において、多数の者の解釈が無視されることはない。選ばれた者のみで開かれる会議だけではない。さらに多くの者が参加して開かれる「多数者の集会」においてさえも、祭司たちが第一に坐り、長老たちが次に、その他の者が次に坐る。しかし発言に当たっては、「何人もその兄弟が語り終わるまではその言葉の最中に発言してはならない。自分の前に書かれている順位より先に発言してはならない」〔同上Y10〕のである。まさに、秩序なければ自由なし。この原則が徹底して守られていた。
 このように、クムラン宗団の律法解釈は、その基本において、ファリサイ派のそれと対照をなしている。このような根本的な姿勢の違いは、教派の違いから生じたのか、あるいは、この律法への姿勢の違いそれ自体が教派の違いを生じさせたのか。その原因と結果を見極めるのは難しい。ただ一つ言えること、それは、クムランの律法主義の方が、ファリサイ派のそれよりもはるかに徹底していることである。「神が命じ給うように完全なる道に歩む人々の聖なる会議に入るすべての者」〔同上[23〕は、「モーセ律法の一つをも犯す」ことが許されない。この「完全な道」こそクムランの律法解釈のキーワードである。したがって、安息日の厳守において、その他諸々の規定において、「あなた方の義が、律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない」(マタイによる福音書5章20節)というイエスの言葉は、そのまま字義どおりにこの宗団の基本精神に合致する。彼らは、単にファリサイ派の律法主義に対抗しようとしているのではない。ファリサイ派の律法主義それ自体をより徹底させることによって、律法の解釈それ自体を変革しようとしているのである。ちょうど17世紀のピューリタンたちが、国教会の聖書解釈をより徹底させようとしていたように、である。そして、このような律法的ピューリタン性を実現するために、彼らは修道院・半修道院的な制度を完成させたのだと見ることができる。
秘義と預言
 それでは、彼らの律法主義は、どのような特徴を示していたのだろうか。次にこの点を見てみよう。まず第一に、倫理的・道徳的には、彼らの生活面で、宗団の定めた「真理」に絶対に服従することが要請されていた。これは、外面的な服従ではなく、内面的・霊的な信従を意味する。隣人の言葉の最中に発言する者は10日間の罰。集会の最中に理由なく立ち上がって出ていった者は30日。用を足す(便をする)のに左手を出す者は10日。集会の中で唾を吐き出す者は30日。破れた下着から手を出して裸を見せたら30日。宗団の基礎に対して不平を言う者は、追放して帰ることを許さない〔同上Z11〜17〕などである。まだまだある。わたしたちから見ると常軌を逸しているとしか見えないこの厳しさはどこから来ているのだろう。
 それは、彼らが、第二に、その知識と意志と行為において常人を超える霊的な高さを歩むためである。その高さの比類なさは、もう一歩進めると、「あなたがたの敵を愛しなさい」というイエスの教えに到達できるほどである。このような常人を超える基準の高さを根拠づけるのは、「聖霊による徹底したきよめ」である。彼らが志向している高さは、まさに人間では到達できない「聖霊の賜」だからである。だから、彼らの律法解釈も、この「聖霊の賜」による「きよめ」の教義と不可分に結びつけられている。そのような訓練は、「不義の者どもの中では律法の議事を隠し、真実の知識と義の裁きを、道を選んだ人々に各人の霊とそのときの規範に応じて、教えさとすこと」を意図する。こうして各人をして「宗団の人々の中にある不思議と真実との秘密にさとからしめ、彼らに啓示されるすべてのことに相たずさえて完全に歩むようにする」〔同上\19〕のである。
 ここには、第三として、外部の者の目からは完全に隠されていて、宗団の内部では完全に共有されている神の秘義としての啓示が語られている。それは「不思議と真実の秘密」として認識される。この秘密は、宗団全員の前で、神との「恩恵の契約」に入る者に分かち与えられる。聖霊による完全なきよめと、これに到達するための秘義的な律法研究、ここにクムラン宗団の律法主義の本質を見る。それは、「真実のため知識の秘密を隠すこと」〔同上W6〕と表裏をなしている。このような宗団の秘義的な律法主義は、以下の段落に見事にまとめられている。
 彼らは不義の者どもの集会から離れて荒れ野に行き、そこで神の道をきよめねばならない。「君たちは荒れ野に・・・・・道を備え、砂漠でわれわれの神のための大道をまっすぐにせよ」と書かれてあるように。これは律法の研究のことで、それは時に応じて啓示されるすべてのことに従って、また預言者たちが聖霊によって啓示した事柄に従って行なうよう、モーセを通して彼(神)が命じ給うたものである。〔同上[13〜15〕
 この律法解釈は、ファリサイ派のそれとは異なり、明らかに現在もなお宗団の内部に働く聖霊を通じて与えられる啓示を前提としている。しかも、それは「時に応じて啓示される」のである。このことは、現在の「この時に」、彼らの目の前で起こりつつある出来事が、その出来事に関わる具体的な人物たちをも含めて、聖霊による直接の啓示によって、律法の言葉と対応させられることを意味する。したがって、彼らの律法解釈は、「字義的な釈義」ではない。彼らは、終末に至るまでの各々の「時」を律法と神の聖霊による直接の啓示によって知ることを求める。このように、律法に書かれた言葉を現在の出来事を表わす象徴的な記号として読み解くこと、これがフィローンをして、エッセネの人たちは聖書を「アレゴリー」を用いて読むと思わせたのであろう。
 このような「啓示」によって得た律法解釈の「秘密」は、その内容が、宗教的のみならず、きわめて政治的な出来事にも及ぶものにならざるをえない。したがって、彼らには、現在目の前で生じていること、すなわち、ある特定の人物、ある特定の国、ある特定の出来事などが、終末的な律法解釈の視点から重要な意味を帯びて啓示される。彼らが、たとえ殺されても自分たち共有の秘密を外部の者にはあかさない、とヨセフスが証言しているのは、この辺の事情を指していると思われる。
 ところで、ヨセフスが、彼らには予言する能力があると述べていることにも注意しなければならない。それは、彼らが、律法を現在の出来事と関連づけるだけではなく、これから起こるべき出来事をも予知するものとして理解するからである。すなわち、将来どのようなことが起こるかをその「時に応じて」順序立てて啓示される。このことを聖霊によって律法から読み解こうと求めていたのである。これこそが、クムランの「律法主義」の心髄ではなかったかと考えられる。
 このような推定が誤りでないことは、たとえばクムランの聖書注解の中の『ハバクク書注解』が明瞭に示してくれる。律法を「時に応じて」示される聖霊の啓示に従って研究するクムランの律法解釈は、ファリサイ派のそれに比較するとより預言的で秘義的である。またその内容は、聖霊による完全なきよめを目的とするものであり、その目的は、その「時に応じて」与えられる啓示、とりわけ終末に向かう啓示をその内容とする点で黙示的である。『戦いの書』が、このような終末の聖戦を描いていると考えられるのもこのためである。
クムランのメシア
 クムランの「メシア」は、基本的には世俗の人、すなわちダビデやマカバイ家の戦士のような聖戦の勇者である。したがって、「メシア」という用語はあまり用いられず、「ヤハウェに油注がれた者」あるいは「ヤハウェの受膏者」と呼ばれる。これは必ずしも一人であるとは限らない。ここで注意すべきなのは、これらの受膏者は、ヤハウェによって「生まれる」という点である。もっとも、この場合でさえも、「生まれる」のは、特定の人間なのか、あるいは、たとえばクムラン宗団のような特定の宗団なのかは、必ずしも明確ではない。
 さらにこの受膏者には、少なくとも3人、「一人の預言者」「アロン」「イスラエルのメシア」が想定されている。この三つの人格的な表象は、預言者・祭司・王(戦士や世俗の権力者をも含む)というイスラエルの伝統的な支配構造に準拠している。しかし、このような支配の三角形は、古代イスラエルに限らず、どの民族にも見られる人類学的な構図に対応していると言えよう。旧約の伝統に従って、この3人をもう少し具体的に表わすと、「モーセのような預言者」「レビ的な大祭司」「ユダ族の王」となる。もっとも、三つ目の「ユダ族の王」という表現は、クムランの宗団の言う「イスラエルのメシア」と必ずしも同じではない。なぜなら、後者では、サマリアの「タエブ」と呼ばれる終末のメシアとの類似が想定されるからである。エッセネとサマリアとのつながりを考え合わせるなら、「イスラエルのメシア」という独特の表現自体が、この場合特に北王国イスラエルを暗示しているとも考えられる。
 しかし、クムランの「受膏者」は、それが特に終末に現われる受膏者の意味で用いられる場合には、「メシア」としての独特の性格を帯びることになる。ただし、その場合でもダビデ的な戦士の性格が基本的に変わるわけではない。なぜなら、終末は、エゼキエル書38章に描かれているように、ハルマゲドンの戦いという黙示に結びついていて、この聖戦に勝利する者こそヤハウェに油注がれた「メシア」だからである。彼には、世界を支配する笏が授与され、「ユダの獅子」と呼ばれ、「知恵と悟りの霊」が注がれる。世界を支配する笏は、王権を示唆すると思われるが、クムランでは、メシアは大祭司の下位に属する。これは、エルサレム神殿での大祭司と王との関係に対応すると思われる。終末での戦いの相手にはローマ軍団が予想されているようである。
 このようなクムランのメシア思想と黙示的・終末的な歴史感覚は、それ以後の現実の歴史の展開と照らし合わせてみるとき、必ずしも見当違いではなかったのことが分かる。だがそれは、皮肉なことに、パレスティナにおける「イスラエルの終末」という姿で成就することになったのである。
 以上のことから分かるように、クムランのメシアは、アロンの祭司性と預言者的な霊性を受け継いでいる。それは、当時のエルサレムの支配層の歴史解釈、たとえば、預言的霊性には必ずしも好意的でないファリサイ派の律法主義的な聖書解釈とは異なっているが、特に、クムランのこのような祭司性が、人間と神とを結ぶ仲保・執り成しの役割と密接に結びついているのに注目すべきであろう。さらにクムランのメシア像では、注目すべき点が二つあげられる。その一つは、上にも述べた祭司と王権(戦士)との均衡問題であり、もう一つは、ヤハウェが、その油注ぎによって、メシアを「生む」という点であろう。
  祭司と王権との関係から見てみよう。ゼカリア書6章(9ー14節)は、クムランのメシア像の基となっていると思われるが、その13節に次のようにある。

 この節の解釈は一様ではない。新共同訳では、ゼカリアが、バビロンから帰還した捕囚の人たちの長である大祭司ヨシュアを「若枝」と呼んで、これに冠を捧げたとある。この解釈だと、上に引用した節の「彼こそ」は、大祭司ヨシュアを指すことになるが、それではこの節の意味が通りにくい。その上、「若枝」とあるのは、3章8節の「若枝」と同じ人物を指しているとも考えられる。もしそうだとすれば、彼はヨシュアと同一人ではありえない。さらに4章には、ユダの総督ゼルバベルが現われる。このゼルバベルは、大祭司ヨシュアとともに「ハガイ書」2章2節に出てくるユダの総督で、ヨシュアの祭司職と並ぶユダの支配者である。「ハガイ書」の終わりでは、このゼルバベルが「主の僕」としてやがて現われるメシアの予型とされているのに注意してほしい。
 このように見ると、ゼカリア書3章8節の「若枝」はゼルバベルを指しており、また、4章14節の「二人の油注がれた人たち」とはゼルバベルとヨシュアを意味すると考えるのが自然であろう。このゼルバベルは、「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって」(4章6節)ユダの支配者になると告げられていて、ここはイザヤ書11章1節以下の「若枝」を踏まえていると思われる。イザヤのこの部分は、それ以後の時代から新約時代をも含めて、メシア預言の一つの根拠とされている。
 このように見ると、ゼカリア書6章12節の「若枝」はゼルバベルを指していて、ここでゼカリアは、ヨシュアとゼルバベルの二人に冠を捧げるよう求められていると解する方が正しいと思われる。ここの「冠」が複数であることも、この解釈を裏付けることになろう。なお、この部分の新共同訳の訳文については、『旧約聖書注解』V(165〜66頁)を参照されたい。したがって、上に引用した6章13節の「彼こそ」は、ゼルバベルのことである。ただし、14〜15節でのこの二人の人物への戴冠の儀式は、実在の二人を讃えるだけではなく、これによって、終わりの日にメシアの到来によって主の神殿が完成されることを予告する予型的な行為としても見ることができる〔『旧約聖書注解』V166〕。
 ところで、ゼカリア書のこの部分の混乱が単なるテキストの乱れに起因するだけではないことを見抜いたのが、ブラックである。ブラックは、ここに、祭司的指導者と世俗的指導者との権力の緊張関係を読みとった〔ブラック174〕。エゼキエル書では、神の民が一つにされるのは「一人の王」の力によってである(37章22節)。だからエゼキエル書においても、神殿の回復は、王の権力を抜きには考えられていないようである。捕囚からの帰還以後のユダヤでは、ゼカリア書のこの部分に示唆されているように、大祭司の権威と「王」の権力との間に、均衡とともにある種の確執も存在していたと考えることができる。このような緊張関係をはらんだ均衡は、それ以後も続いていて、特に政治権力が外部の王権と同盟を結んだときには、祭司権と王権との均衡が破れて、これによって両者の緊張関係は一挙に高まった。
 このような祭司と王との緊張関係は、クムラン宗団の終末のメシア像にも影を落としている。『会衆規定』によれば〔U12〜14、イスラエルの受膏者は、祭司たちの次に位置している。このことは、受膏者(たち?)が、聖戦の戦士であったことと無関係ではないであろう。クムラン宗団では、このような形で、祭司職と世俗の力の均衡が保たれていたのである。こうして、クムランのメシア像は、モーセ的な預言者とアロン的な大祭司とダビデ的な王・戦士の三つの位格に分立され、この三角形によってメシア像の均衡が保たれていた。しかし、そこに内在する緊張関係は決して解消しているわけではなく、この問題は、終末に現われるメシア像の性格にまで影響を及ぼしている。
 このメシアの構図は、イエス・キリストという一人のメシア像に統合されることによって、初代のキリスト教に受け継がれていった。しかし、このような統合が成立するまでには、イエスの弟子たちの間で少なからぬ混乱と緊張があったことを福音書は証ししている。ここに提示されている問題は、イエスについてのメシア像が、ダビデ的な王権なのか、それとも戦う戦士なのか、それとも民を罪から贖う祭司なのかという問題、言い換えれば、世俗の権力と宗教的な権威をめぐる相克にとどまらない。「王権」の解釈が霊的な次元にまで高められていても、神の正義を実現する王としてのメシアなのか、それとも罪の赦しと贖いによって人類を救う仲保者としての祭司なのかという神学的レベルでの問題が、いぜんとして残るからである。
 たとえば、ヨハネ黙示録5章9〜10節に現われる「小羊」は、あらゆる諸民族の中から贖った一つの民をつくる。この民は、「神に仕える王、また、祭司」とされた民であり、彼らは「地上を統治する」。しかし、この小羊は、そのすぐ前では、「ユダ族から出たライオン」(5節)なのである。ところが、「ユダ族から出た獅子」、すなわち勝利者であるダビデの子孫は、次の瞬間、忽然として「ほふられたような小羊」(6節)に変わるのである。『新約聖書注解』(U)は、ここにヨハネ黙示録の「一つの山」を見て、そこにダビデ系のメシアとモーセ系のメシアの両方がこれの背後にあると指摘している〔『新約聖書注解』U502〕。確かに、ヨハネ黙示録に暗示されるこの転換は、終末のメシア像を解く一つの鍵であるように思われる。
 さらに、この小羊は、ヨハネ黙示録19章5ー8節の小羊と対照される。ここでは、神が王となり、メシアとしての小羊の婚礼の宴が行なわれる。この祝宴に招かれる民がまとう「白い麻の衣」は、クムランでは、聖戦において戦士のまとう「戦いの衣」〔「戦いの書」Z10〜11〕である。ヨハネ黙示録がこの表象を受け継いでいるのは、19章14節を見れば分かる。ついでながら、14章4節に出てくる「童貞の者たち」は、古代ヘブライでは、結婚したばかりの者は戦争に行ってはならなかったことに由来しているのであろう。クムラン宗団では、終末の聖戦に備えるために童貞が重んじられ、これが「きよめ」と深く関わっていた。「女に触れて身を汚す」という言い方は、このような聖戦の戦士をイメージしていると思われる。ヨハネ黙示録19章2節には、神が「血の復讐」をされたとあるから、ここの小羊の婚礼の宴は、敵を倒した戦士たちの勝利の祝宴でもあろう。このように見ると、ヨハネ黙示録のメシアには、5章の祭司的な小羊と19章の戦士としての小羊との二重のイメージが重ねられていて、この「戦う小羊」と「犠牲の小羊」との一方から他方への相互的な変容こそ、ヨハネ黙示録のキリスト論を解く鍵なのであろう〔Anchor Bible.X705〕。
 キリスト教では、クムランの三人のメシア像は、イエス・キリストという一人のペルソナとなって、祭司・王・預言者の属性を備えるにいたっている。このような総合的なメシア像は、クムランの複数のメシアをさらに高次元まで高めることによって可能になったのであろう。イエス・キリストがヤハウェの神性自体とほとんど同一の意味で「神の子」という称号を帯びるようになったのも、この統合的なメシア像の形成とのつながりで理解することができる。彼は「永遠の大祭司」であり、「ユダの獅子」であり、モーセによって預言された預言者なのである。これが、同時に「人の子」というパレスティナ北部特有のメシアの称号と結びつくことになった。原初キリスト教独特のメシア像は、このようにして形成されていったと考えられる。

メシアを「生む」
 クムラン文書の『会衆規定』(U11〜14)に次のような節がある。

 これは聖宴に連なる場合の席次を述べた規定である。ここでは、受膏者(単数)が祭司よりも後に座ることが定められているのが注目されている。しかし、この箇所を引用したのは、そのことを示すためではない。「もし神が、彼らとともに受膏者を導かれるなら」と訳されている箇所に注意してほしいからである。ブラックの注によれば〔ブラック244,n6〕、この「導かれる」の原語は「(神がメシアを)生む」となっていて、ブラックはこの原語の読みの方が、読み換えよりも正しいのではないかと主張している〔ブラック175〕。これだと、ここの箇所は、神が、クムラン宗団の最高のメンバーで構成される会議とともに臨在させるために「メシアを生まれさせる」ことが述べられていることになる。
 「神がメシアを生む」(原語「ヤラッド」は、英語のbegetと同じように、父が子を生むという意味)という考え方は、詩編2篇7節にある「主はわたしに告げられた、『お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ』」を踏まえていると思われる。詩編のこの節は、イエスの洗礼に際して聖霊の降臨とともに天から響いた声として響いている。
 ところが、父なる神がメシアを生むという考え方は、母なる存在がメシアを産むという思想とも重なってくるのである。メシアが母から産まれるという考え方は、クムラン文書の『感謝の詩編』〔V7〜18〕にも、初産に苦しむ産婦の姿として描かれている。例えば次のような箇所である(9ー11節)。

ここに「驚異の議官」とあるのは、イザヤ書9章5節の

から出ているのであろう。ここでの「生まれた」は、その内容から、母から「産まれた」と解釈することもできると思う。ただ、先の『感謝の詩編』の引用では、「かれらを産むとき」と、この行だけに複数が用いられている(他の箇所はすべて単数)のが問題にされている。メシアは一人とは限らないのかもしれない。ここで産みの苦しみをする産婦は、メシアの母であり、それは「真に忠実なイスラエルの民」であり、とりわけその代表としてのクムラン宗団を示唆しているのであろう。このように「産みの苦しみをする産婦」の姿は、ヨハネ黙示録12章にでてくる「身に太陽をまとい、月を足の下にした」女との類似が指摘されている〔ブラック175〕。彼女もひどい苦しみの中で男の子を産む。この女性も真のイスラエルの宗団を受け継いでいるキリストの教会を表わすと考えられる。しかし、さらにイエスを産んだマリアの姿をここに重ねることもできよう。(イエスの誕生が、嬰児たちの虐殺と結びつけられているのに注意。)ここは、「イエスの母マリアを想起していると共に、メシアを生む神の民を指している」と『新約聖書注解』U516説明している。
 しかし、先の『会衆規定』の引用では、メシアを産む母の方ではなく、父(なる神)がその主語となっている点にも注意を向けなければならない。「神が生む」というのは、本来旧約の神にはなじまない考え方である。ところが、この表現は、神の「知恵・ホクマー」(ギリシア語ではソフィア)についてはしばしば用いられるのである。すでに創世記1章1節で、神の霊が混沌の深淵を「動いていた」とあるのを、「覆っていた」あるいは命を「孵化していた」と解釈する説をわたしは紹介した。「箴言」8章(22〜25節)の知恵の賛歌では、神の知恵について、「わたしは生み出されていた/深淵も水のみなぎる源も、まだ存在しないとき」と言われていた。シラ書24章(1ー22節)の知恵の賛歌では、「この世が始まる前にわたしは造られた」(9節)とあり、これは前の「箴言」の引用を踏まえていると思われる。知恵の書では「知恵は全能者の栄光から発する(流出する)純粋な輝き」(7章25節)とある。このように見てくると、箴言、シラ書、知恵の書において神から「生まれる」知恵の誕生が、同時に、クムランのメシアの誕生、イエスの処女降誕、ヨハネ黙示録の太陽をまとう女の出産と一連の系譜を形成しているのが見えてくる。
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