ヨハネ福音書の「ロゴス」
              旧約の神とソフィア(知恵
 ここからヨハネ福音書に入ることになるが、ヨハネ共同体とヨハネ系文書については、コイノニア会ホームページの「ヨハネ福音書講話と注釈(前編)」の【ヨハネ共同体とヨハネ系文書】の部を参照していただきたい。
 心理学者であるユング(Carl G.Jung) は、その著書『ヨブへの答え』の中で、ヨブ記に顕れる旧約の神ヤハウェについて次のように述べている。「ここで強奪、殺人、故意の傷害、権利の剥奪というふうに、ごく短い時間の間に恐ろしい行為が次から次へと度重なる点に注目しなければならない。その際、腑に落ちないのは、ヤハウェの示すものが、熟慮でも、後悔でも、同情でもなく、ただ無慈悲と残酷さだけだという点である」〔ユング 331〕。ユングによれば、ヨブ記のヤハウェは、「平然と自分の影の面を(人間ヨブに)投影し、人間を犠牲にしても無意識のままでいられる」神である。ヨブは、それまで話しに聞いていた「愛する神や、善意に満ちた支配者や正義の裁き主」であるはずのヤハウェが、自分の現実の体験の中で、道徳性を欠如した動物的で無意識な存在、「ある意味で人間以下であるということを発見して驚いたのである」〔ユング 339-40〕。「あなたのことを、耳にはしておりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます」(ヨブ記42:5)というヨブの謙虚な言葉の裏には、この発見に驚きかつおののくヨブの神への非難がこめられていると彼は見ている。
  ヨブ記の深遠な神の意図の前では、いかなる人間の抗議や疑問も「言葉を重ねて神の経綸を暗くする」(ヨブ記38:2)仕業にすぎないという伝統的な聖書解釈を、ユングも知らないわけではない。しかし彼は、そのような神学的な配慮に基づく用心深いレトリックよりも、旧約の神に対して誰しもが抱く疑問を率直に代弁するほうを選んだようである。確かに、「自分を無罪とするためにわたしを有罪とさえするのか」(ヨブ記40:8)というヤハウェからのヨブに対する非難は、そっくりそのままヨブから旧約の神にお返ししてもおかしくないという印象をわたしたちはヨブ記から受ける。ユングによれば、ヤハウェは一つの現象であって、人格ではない〔ユング 341〕。彼は一方で人間の幸せを踏みにじり、また一方で、人間から愛され崇拝され正義の神とたたえられるのを望むという自己分裂性を提示する。ヨブ記は、この意味で、旧約の神に潜む無意識の動物性と意識的な正義と愛という二重性を、ヨブに降りかかる不条理な災厄を通して見事に描き出している。ユングは、このように指摘してから、さらに続けて、ヨブの陥った不条理な災厄とそこから彼が垣間見たヤハウェの二重性という謎に対する答えを、女性的性質を帯びる霊的な位格としてのソフィア、すなわち「知恵/英知」に見いだす〔ユング 344〕。「知恵」は、宇宙の創造に先立ってヤハウェから生み出され、ヤハウェと共に創造の業に参加した(箴言8:22~31)。宇宙を生成する霊として、彼女は天地のあらゆる被造物に浸透している。この意味で、彼女はヨハネ福音書のロゴスに対応するとユングは言う〔ユング 347 〕。

 ユングによれば、ソフィアとしての「知恵」こそ、ヤハウェを「人間の顔」に変える働きをする霊的な位格である。しかし、ここで「人間の顔」というのは、例えば古代エジプトの例に倣って、神がファラオという王権を帯びた人間に化身することを意味しない。そうではなく、ソフィアによるヤハウェの「人間化」の意味は、神とヨブとの対決を通じて顕れたヤハウェの矛盾する二重性にこそ、その真の根拠が求められなければならない。しかもこの場合、「世界が変えられるのではなく、神が自らの本質を変えようとしているのである。人類はかってのように滅ぼされるのではなく、救われるのである。この(神の)決断の内に、人間に対して友好的なソフィアの影響が見て取れる」〔ユング 358〕というのがユングの見解である。
 言うまでもなく、ユングは心理学者であって神学者ではない。したがって彼は、現代の科学と宗教との両方に境を接している独自の心理学の分野から発言している。彼の言うように、このソフィアが、「ヨハネ的なロゴスともろもろの本質的な特性を共有している」〔ユング 345〕かどうかはともかく、少なくともここには、旧約の神から新約の神へと変貌を遂げた聖書の神概念に対する疑問に答えを見いだそうとする一人の心理学者の努力を読みとることができる。
 冒頭からユングを紹介したのは、ここで彼が提示している問題が知恵思想において追求している筆者の問題意識と多分に重なるところがあるからにほかならない。もっとも、筆者の知恵思想は、自分が体験した聖霊体験とヨハネ福音書の「パラクレートス」との一致ないしはつながりを探求する中で抱いた問題意識に起因している。筆者が『ヨブへの答え』を読んだのは、比較的最近のことである。しかし、わたしは、ユングの提起した問題に、「正統」か「異端」かという神学的な配慮を離れて、聖書の神を考えるときに誰もが避けて通れない根本的な疑問が、率直に提示されているのを見いだす。この疑問をさらに突き詰めるならば、人間を神とすることをあれほど厳しく拒否してきたはずのユダヤ教から、なぜ、人間性と神性との両性を具有する「神の子イエス・キリスト」が誕生したのか、という疑問へと導かれることになろう。
                 イスラエルの知恵
 ソフィアとしての「知恵」の源流については、すでに取りあげたので、改めて繰り返すことをしない。イスラエルの律法体系の背後に流れるヤハウェ主義と「知恵」とは、しばしば、救済史と現実の人生体験との対立ないしは対比として考えられる傾向がある。しかしながら、「知恵」に対するこのような見解は正鵠を得ているとは言えないであろう。「知恵」がイスラエルの救済史とどのように深く結びついてきたかを、わたしたちはすでにシラ書以後の「知恵」の系譜で見てきた。ヤハウェ主義と「知恵」との違いは、ヤハウェの意志を民に伝える法体系の持つ公共性と神の意志が具体的な生活領域において発見され認識される個人的体験との対比の内に見いだすべきであろう。

 
イスラエルの賢者は、世界に内在する「神の秩序」を観照するだけではない。彼は、その秩序を自分固有のものとして体験する〔Anchor(6) 922〕。このような「知恵」は、聖なる幕屋を作るためにヤハウェから注がれる技能としての「知恵の霊」(出エジプト記31:3)から、人間存在の根底を洞察する霊的な知性にいたるまで、個人としての人間の最も高度な営み、言い換えると、「宗教的人間」(homo religiosus)の全ての営みを支配する「霊」である。「人間は一本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦である」とパスカルが言ったとき、彼の発言は、この宇宙にひとり立つ人間として、また言葉本来の「知恵を愛する者・哲学者」として、この「知恵」の系譜に根ざしている。
 知恵文学は、このような体験と切り離すことができない。知恵体験は、「主を畏れることは知恵の初め」(箴言9:10)であることを悟らせる。この1節は、それゆえにイスラエルの「知恵」を解く鍵である。人はこの「知恵」によって、個人の神体験を世界体験へと広げ、世界体験を神体験へと結ぶことができる〔Anchor(6) 925〕。「主を畏れること」こそが、個人の目的を成就せしめる「照らされた利己主義」を可能にし、個人を創造主の秩序と調和させる正しい道だからである。
 しかし、「主を畏れることが知恵の初め」であるとすれば、その逆もまた真理である。すなわち認識と体験が「神への畏れ」へと人間を導く。「あなたは主を畏れることを悟り、神を知ることに到達する」(箴言2:5)のである。イスラエルにとって、主に対する信頼や信仰を含まないような洞察はなかったし、洞察に裏付けられないような信仰も存在しなかった。イスラエルは、このような「知恵」(ソフィア)に裏付けられた「理性」(ロゴス)の果たす役割をも正しく洞察していた。「知恵は知識と悟りを雨のように注ぐ」(シラ書1:19)からである。パウロが、み霊によって祈るときに理性は実を結ばないが、み霊と同時に理性でも祈ることで、初めて神を賛美することができる(第一コリント人への手紙14:15)と言うとき、おそらくこのような「知恵」の霊の働きを伝えているのであろう。
 人間の隠された罪によって神の災いがその人に臨むことがある。その時人は、神の前に自分の罪を悟らされる。彼は「主を畏れること」を学び、自分の不幸の原因が、悪霊の働きや先祖崇拝の裏面に潜む人間からの祟りや、これに対する密かな恐怖からではなく、「神との断絶」にあったことを正しく洞察する。この断絶を埋める働きこそ、「知恵」である。「知恵」は、これを手に入れる人を「神の友」とし、「善を行ない、人間愛に満ち、堅固で、安全で、憂いがなく、全てを成し遂げ、全てを見通す霊である」(知恵の書7:23)。しかも、この「知恵」は、世界を巡り歩いた末に、イスラエルに彼女の住まいを定めた(シラ書24:7~10)とある。 このようにしてイスラエルは、唯一の創造主を信仰することによって、古代オリエントには欠けていた壮大な秩序原理と人類全体の統一性への洞察に達することができた。しかし、その統一性は、思弁によって獲得されたのではなく経験によってであり、体系化によるのではなく、賛美から生まれた調和による〔ラート 299-300〕。
                   フィロンの知恵
 イスラエルの「知恵」を語るとき、わたしたちは知恵の書を避けて通ることができない。知恵の書は、シラ書にやや先立つと推定されていて、シラ書を含めて、それ以後のイスラエルの「知恵」概念に決定的な影響を及ぼしている。知恵の書が、ヨハネ共同体において重視され読み継がれていたのはほぼ間違いない。この書は、最古の新約聖書の正典目録である『ムラトーリ正典』では、ヨハネの手紙とヨハネ黙示録の間に置かれていた〔ケスター 358-59〕。ケスターは、これを「驚くべきこと」としているが、ヨハネ共同体とこの書とのつながりを考えるなら少しも不思議ではない。その意味でこの書は、本質的にイスラエルの知恵伝承を受け継いでいて、神学的に徹底した形で知恵概念を追求している。しかもそれは、イスラエルだけの知恵を主張するのではなく、普遍的な人間の問題として「知恵」をとらえているのである。「知恵」は、そこでは、人間存在の根源にかかわるものとして、その純粋な神的起源が問われている。にもかかわらず、「知恵」が、イスラエルの歴史的な枠から外されてしまうことはない(10章ー11章)。「知恵」は、このようにして、その起源において神性と一体になり、そうなることで、「知恵の子」は「神の子」へと近づくことになる(知恵の書9:4ー10)。ヘブライの知恵は、知恵の書で、ユダヤ固有のグノーシスへの道を開いたのである。 ヨハネのロゴスを考えるときに、わたしたちは、さらにイエスとほぼ同時代のフィロンの思想に触れないわけにはいかない。ソフィアからロゴスへの置き換えが、このフィロンによって行なわれたと言ってもよい。フィロンにあっては、ロゴスの意味が、旧約の伝統的な「神の発言」、すなわち、神が人間に向かって働きかけ、語りかける行為としての神の言葉から、神がその計画によって意図した宇宙の原理と目的それ自体を意味するところまで拡大される。この意味で、フィロンのロゴスは、「宇宙の原理」に一歩近づく。しかも、そのロゴスは、超在の神と共に在ると同時に、そのロゴスが、神から実在の宇宙へと投影されることで、いわば宇宙に宿る永遠の精神として、宇宙それ自体に内在していると観ることができる。

 このように、フィロンのロゴスは、宇宙に超在しかつ内在するという特長を持つ。したがって、それは、ストア派の「ロゴス」のように、それ自体独立した存在としての宇宙に内在する原理として、自己充足的に機能するものではない。宇宙は、超越的な神によって支配され動かされているから、その限りでは、人間は、己の知性によって、神のロゴスへと到達することができない。したがって、ロゴスは、神のほうから人間に顕され啓示されなければならないのである。
 パウロが「神を知る」(ローマの信徒への手紙1:20)と言うときも、おそらくこれと同じことを考えていたのであろう。またフィロンにあっては、ロゴスは、単なる内在的な原理ではなく、創造する神の力の発露でもあるから、この意味でも、パウロの言う「神の力、神の知恵であるキリスト」(コリントの信徒への手紙一1:24)とそれほどかけ離れてはいない。
 ヨハネ福音書の序文のロゴスとフィロンのそれとを比較するとき、この類似は一層鮮明になる。ヨハネはフィロンのロゴスの意味を意図していたとしか考えられない、というのがドッドの見解である〔Dodd 276-78〕。しかし、わたしたちは、フィロンを始めヘレニズムの様々な思想とヨハネ福音書とを比較するときに、それらと福音書との「類似」を指摘することと、それらをヨハネの福音書と直接に「関連づけ」たり「結びつけ」たりすることとを慎重に区別しなければならない。
ソフィアからロゴスへ
 ドッドは、旧約の「律法」と「主の言葉」(主のロゴス)とが、どちらの言い方も平行して遣われていることを指摘し、その上で彼は、「律法」という用語が擬人化して用いられる場合には、ヘレニズム的な「知恵」の哲学へとあまりに近づきすぎるために、正統派のユダヤ教は、「律法」のこのような用法に抵抗を感じていたと見ている。これに対して、旧約の「知恵」(ソフィア)という用語は、神的な位格を帯びて用いられており、特に知恵文学においては、神と共に創造の業に与るものとして、「知恵」が「主の言葉」の代わりに用いられていたと指摘している〔Dodd 273-74〕。ヨハネの福音書の序文に出てくる「ロゴス」という用語は、この意味からすれば、ラビ文学や正統派のユダヤ教の「律法=神の言葉」からは、ややはずれた用法であると言えるであろう。
 ソフィアとしての「知恵」は、神の知恵として世界に「充満」しており、なによりもそれは創造の媒介であった。知恵文学に出てくるこの「知恵」とヨハネ福音書の序文の「ロゴス」には、この意味で、その用いられ方において共通するところがある。すなわち、ヨハネは、ユダヤ教の知恵文学の考え方に近い線で動いているのである。知恵の書(7:24)にあるように、神の「知恵」は、神の創造全体に流出している。わたしたちは、このようにして、「知恵」の働きが、「ロゴスが肉体となる」という思想へと徐々に近づいているのを見いだす。この流れに沿って考えるならば、人間が「神の友」となることさえできるからである。しかし、この段階ではまだ、「ロゴスは神であった」と言うところまでは行っていない。人格化され神格化されているとは言え、ソフィアと神とは、ユダヤ教の伝統の中では、明確に区別されていたからである。
 「知恵」が神と一体化して、「ロゴス=神」という関係が可能になるためには、男性名詞の「ロゴス」が、女性名詞の「ソフィア」と入れ替わる必要があったと考えられる。先にフィロンで見たように、わたしたちは、アレクサンドリアのユダヤ教において、ソフィア→ロゴスへの移行が生じたことを知っている〔Dodd 66〕。ヘレニズムの神学においては、ヘルメス=ロゴスとイシス=ソフィアという並列が行なわれていたから、おそらく、これの類比において、ロゴスとソフィアが並列し、やがてその役割を交代し、一方が他方の起源をなすと言われるようになったという説もある〔ブルトマン 64〕。ちなみにオリゲネスは、ヨハネ福音書冒頭の「初めに言があった」を引いて、この「初め」を「知恵・ソフィア」と置き換え、「知恵の内にロゴスがあった」と解釈している〔オリゲネス 55〕。
 「ソフィア」を「ロゴス」に置き換えたのは、かつて主張されていたようにヨハネ福音書の著者が最初ではない。しかしながら、わたしたちは、ヨハネの「ロゴス」が、アレクサンドリアのユダヤ教的な「ソフィア=ロゴス」を踏まえているというように、直接的な関連づけをしないようにしなければならない。すでに様々な試みが証ししているように、わたしたちは、ヨハネの「ロゴス」を、当時の様々な思想や宗教と「比較」することはできる。また、それらとヨハネとの間に「類似性」を指摘することもできる。しかし、それらとヨハネの福音書とを直接に「結びつける」ことは必ずしもできない。もしも、唯一ヨハネ福音書の思想と直接に関連づけるものがあるとすれば、それは、おそらくクムラン共同体の反ファリサイ派的な文書であろう〔シュルツ 17〕。
すでにシラ書で見たように、「知恵」は神からイスラエルへ遣わされた。洗礼者ヨハネとイエスとは、この「知恵」によって遣わされた者であった。「知恵」は、それぞれの時代に、自分のメッセージを受け入れる者を求めて巷で呼ばわる。この意味で、二人は「知恵」の預言者であり、「知恵の子たち」である〔Mack 157〕。このような知恵の系譜に照らして見て、わたしたちは、初めて、ヨハネ福音書で、この「知恵」が、神のロゴスとしてイエスと一体化したことが理解できるであろう。「知恵」が預言者に宿り霊感を与えるというのが、ソフィア伝承の重要な要因だからである。ヨハネにあっては、これが、新しい姿を帯びて、キリスト教化されて顕れているのを見る〔ブルトマン 56〕。
パウロと知恵
 わたしたちは、ヨハネ福音書の「ロゴス」に入る前に、ここで、パウロと「知恵」(ソフィア)との関わりを見ておく必要があろう。第一コリントの信徒への手紙(1:18~2:5)で、パウロは、「十字架のロゴス」を「知恵ある者のソフィア」あるいは「この世のソフィア」と対立させつつ、神が、「十字架の言葉」を啓示することによって「世の知恵を愚かなもの」にしたと述べている。荒井献氏は、パウロの手紙には、「知恵」(σοφια)が全部で19回用いられていて、そのうちの16回が、この第一コリントの信徒への手紙の最初の3章に集中していることを指摘した上で、パウロが「知恵」に対して批判的な態度を示していると述べている〔荒井 206〕。荒井氏によれば、パウロがこの手紙で相手にしている論敵は、人間の性質をば、原初的な霊的存在と自然な肉体的存在とに分けることで、人間を二元論的にとらえていて〔荒井 214〕、このような思考に基づく「人間の知恵」と、そこから発する霊的熱狂主義こそパウロの批判の対象であることになる。ただし、氏は、パウロの論敵をコリントのグノーシス派と見なす従来の解釈〔ヴェントラント 56〕には否定的である〔荒井 216〕。
 コリントのいわゆる「グノーシス」が、どのようなものであったのかは、必ずしも明らかではない。それは、キリスト教化していて、半ば神話的なキリスト論に近いものであったのかもしれない。「グノーシス」と並んで「熱狂主義」という用語も、パウロの論敵を特定する場合によく用いられる。しかし、わたしたちは、これらの用語をもう少し慎重に用いるべきではないか。私は常々そう考えている。
 例えば、コリントの諸教会では、パウロ派、アポロ派、ケファ(ペトロ)派、キリスト派のように(第一コリント1:12)、カリスマ的な個人への依存性が強かった形跡がうかがわれる。コリントに「異言を語る」霊的な体験を持ち込んだのは、ペトロ系の教派ではないかという指摘がある〔タイセン 419〕。あるいは、アポロこそ、彼らの霊的体験のモデルであったという説もある〔同上〕。もしもそうなら、パウロの論敵として注釈者たちが指摘する「熱狂主義」の中には、このようなペトロ系の教会も含まれていた可能性がある。コリントの教会では、異言を含めて霊の賜物が、その様々な諸相において活発に働いていたことが、パウロの手紙から推察される。これらの霊的な働きが、パウロが批判の対象としている「熱狂主義」とどのように結びつくのか、この点についてわたしたちはもう少し立ち入って吟味しなければならないであろう。
 パウロ自身は異言を否定してはいない。しかしパウロは、この手紙全体を通じて、異言の働きを制限しようとしているのが読みとれる。パウロ自身もこの賜物を与えられているが(14:18)、彼は異言の働きを、教会での公式な礼拝の場から、「排除する」とは言わないまでも、これを個人的な領域へと狭めようとしているのは確かである。異言に対するパウロのこのような態度は、預言や教えなどの「より優った賜物」を優先させることで、教会の秩序と相互の統一を図ろうとする配慮から出ているのであろう(14:33)。
 パウロが指摘しているように、コリントの教会では、「無学な者」「無力な者」「身分の卑しい者」たち(1:27~28)が教会の比較的下層を形成していたと思われる。彼らは、パウロが批判の対象とした「知恵のある者」や「地位のある者」たちと対照されている。しかし、パウロが公の礼拝の場で制限しようとした異言の賜物を担っていたのは、実は、これらの比較的下層階級の人たちではなかったかと思われる〔タイセン 421〕。さらに女性たちの間でも異言活動が活発であったと見てよいであろう。女性やこのような下層の人たちは、グノーシス的な知恵を誇る人たちとも、またパウロが、知恵において熟達した人たち(2:6)呼ぶ人たちとも区別されなければならない。このような状況の下で、「熱狂主義」という用語によって、わたしたちはいったい何を特定しようとしているのか。これが改めて問われなければならないであろう。
 さらに、わたしたちは、第一コリント人への手紙の1章18節以下で語られるパウロの「知恵」批判が、2章6節からは全く違った様相を呈するのを見るのである。実際この転換があまりに唐突なので、「パウロの新しい開始は、ほとんど人をあわてさせるほどである。たったいま、激しい調子で知恵を否定したにもかかわらず、パウロはいまその同じ概念を積極的〔肯定的?〕にとりあげ、自分も知恵を知り、かつそれを宣べ伝えることができると主張する」〔ヴェントラント 57〕のである。2章6節を境に前後のテキストをその表層において見る限りでは、パウロは、「知恵」をめぐって大きく揺れ動いているようである。
 しかしながら、テキストを注意深く読むなら、先の批判の部分にも、このような転換を予測させる前触れを読みとることができる。パウロは先の部分で、世の知恵を愚かにする「神の知恵」について二度も触れているし(1:21、30)、何よりも「神の知恵(ソフィア)であるキリスト」(1:24)という言い方で、読者をして、2章6節以下への移行を予感させているのを見落としてはならない。その上、パウロは、注意して読むならば、2章6節以下で、驚くほど豊かな「ソフィア」論を展開しているのが分かる。
 パウロのそれまでの「世の知恵批判」を、そのままテキストのこの後半部分に読み込もうとする人たちは、ここでパウロが用いている用語、「信仰に成熟した人たちの間で語られる知恵」「隠されていた、神秘としての知恵」「神が世界の始まる前から定めておられた知恵」(2:6~7)というようなパウロの言い方が、パウロ本来のものではなく、論敵の用語の逆用にすぎないと解釈する。しかし、先に指摘したように、これの先行部分においてさえ、パウロは、「知恵」をそれ自体として決して批判してはいない。したがって、そのつながりの上で、この部分のテキストを読むならば、パウロがここで、ヘレニズムの密儀宗教やグノーシス共同体の用語を逆用している〔ヴェントラント 58〕という解釈は受け入れがたい。また、パウロのここでの論議が、「相手の論法の中で自分の主張をなすことによって相手に対する説得力を得ようとしている」〔『新約注解』 80〕というような受け止め方も正鵠を得ているとは言い難い。あえて言えば、このような解釈は、「ソフィア」を、言葉のどのような意味においてであれ「グノーシス主義」とあまりに性急に結びつけて、これをテキストの後半部分に読み込もうとする誤りから発している。パウロは、ここでは、論敵の言葉を利用して自分の霊的な体験を語っているというふうに理解すべきではない。そうではなく、彼は、自分の言葉で「神の知恵」について語っているのである。
 論敵とパウロとの対立の本質は、論敵の「知恵・ソフィア」とこれを「熱狂主義」と見なすパウロの反ソフィア主義との対立に存在しているのではない。その対立の本質は、論敵の「この世の知恵」とパウロ自身の「神の知恵」との間に見いだされなければならない。ちなみに、このような視点から読むなら、「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは(神を知ることができなかったこと)神の知恵にかなっています」(1:21)という訳は正しくない。「世は、神の知恵に包まれているのに、自分の知恵で神を知ることができなかった」と訳すべきであろう。パウロはここで、「人間による言葉の知恵(ロゴスのソフィア)」(1:17)に対して「神による知恵の言葉(ソフィアのロゴス)」を対置しているのである。彼は「人の知恵によってではなく、神の力によって信じる」(2:5)ようにと勧める。ここで、「人の知恵」と対立させている「神の力」とは、パウロによれば、「神の力、神の知恵であるキリスト」(1:24)にほかならない。したがって、パウロは、「知恵」に対立させて「十字架の言葉」を宣べ伝えていると言っているのではない。「十字架につけられたキリストは、召される者には神の知恵である。これこそ、真の知恵についてパウロを論じるときに心得ておくべき指標である」〔Plummer 35〕という洞察こそこの部分の解釈にふさわしい。
 幾度も繰り返すようで申し訳ないが、わたしたちは「ソフィア」をグノーシスや熱狂主義とあまりに短絡的に結びつけすぎてきたように思う。また、「グノーシス」を異端の代名詞として安易に用いすぎてきた。そもそも、正統か異端かを問うという教会における多分に政治的な神学論争は、その正体を、教会政治そのものを問う歴史的視点から今一度検討し直されなければならない時期に来ているのではないかと思われる。
 それでは、パウロは、「神の知恵」によって、どのような内容を言い表わそうとしているのであろうか。タイセンが、「わたしたちは、信仰に成熟した者たちの間では知恵を語る」(2:6)とあるその「知恵」の中には、預言や異言(と異言を解くこと)も含まれていると想定しているのは興味深い。ここでの「語る」は、「舌で語る」ことを意味している。ここで、異言で「語る」というのは、一方では人間が神に向かって語る(祈る)ことであり、同時にそれが、神から人間に向けられた「語りかけ」でもあるという二重の意味において理解される〔タイセン 486〕。2章6節以下の段落は、この意味で、キリストのみ霊に満たされることによるエクスタシーを伝える古典的なテキストであるとタイセンは指摘する。
 2章6節以下で、わたしたちは、パウロの人間論を含む聖霊論に出合うことになる。まず「神の知恵」は、「この世」、すなわち「滅び行く時代」に属する知恵ではない。したがって、それは現存する宇宙に内在し、これと共にある知恵ではない。それは、古い世界には属さず新しい創造に属する。しかも、ここでパウロは、この霊的な終末性を現在の認知体験に結びつけているのが注目される。したがって、それはこの世の支配者たちの知恵ではない。ここでの「支配者」を、霊的な存在者あるいは地上の権力者たちのどちらかに限定する必要はないであろう。パウロは、明らかに、キリストを十字架のつけたもろもろの力を指している。
 この「知恵」は、神の神秘として、神の内に隠されている(2:7)。わたしたちはここで、知恵の書やシラ書に現われる「知恵」、神と共にあり神の背後に隠れているあのソフィアを思い出す。7節では、この「知恵」は、世界の創造に先立って定められていたことが語られる。それは、「わたしたちに栄光を与えるため」である。その上でこの「知恵」は、8節で、十字架と栄光との表裏一体を成して表わされる。おそらくパウロは、この「十字架のソフィア」の姿を知恵の書2章(12~20節)に描かれる「ソフィアの受難」の姿と重ね合わせているのであろう。これに続く9節~10節では、原初の創造に立ち会った「知恵」が、神の終末にも立ち会う。この意味で、構造的には、「ヨハネ黙示録」につながる。特にこの部分は、ヨハネ黙示録19章以下を暗示させていて、パウロ自身の霊的な体験と重なっているのを思わせる。
 11節以下では、わたしたちは、パウロの人間論、すなわち「霊」(プネウマ)と「魂」(プシュケー)と「肉体」(ソーマ)の三分法に近づくことになる。とりわけ、14節では、人間の「プネウマ的」存在と「プシュケー的」存在との対比に注目しなければならない〔タイセン 505ff〕。「知恵」は、世界の創造に先立って存在し、しかも終末において顕れるのであるから、この部分は、15章45節に表わされるプシュケー的な存在としての「最初のアダム」とプネウマ的な「最後のアダム」との対比を述べた部分と対応していると見てよいであろう。「知恵」が先在していたことを考え合わせると、パウロは、あるいは創世記1章と2章との二つの創造物語のアダムを、それぞれ「最後のアダム」と「最初のアダム」とに対応させているのかもしれない。
 以上指摘した点だけから見ても、パウロのこの部分の「知恵」が、知恵の書の流れを汲むユダヤ教知恵伝承をその前提にしているのは明かであろう。確かにこの部分は、「一見したところパウロの神学思想にはそぐわないかに見える。それだからこそ、このテキストを旧約聖書の知恵文学からグノーシス主義のソフィア思弁にいたる伝承史的発展の中に組み入れることがますます重要になってくる」〔タイセン 495〕のである。「ユダヤ・グノーシス的ソフィア・キリスト論こそパウロの攻撃の対象である」とする従来の解釈は、パウロのソフィアに対する解釈を歪めるおそれがあり、また、このような前提では、1章12節以降の「知恵」から2章6節以降の「知恵」へと移行するパウロのソフィア論を正しく理解することができない。ここでは、「十字架の言葉」としての「神の知恵の言葉」と「人間の言葉による知恵」との間の対立を読みとることが重要なのである。
  以上見てきたように、第一コリントの信徒への手紙の1章18節から2章5節で語られる十字架の言葉(ロゴス)と2章6~18節で語られる知恵(ソフィア)と間には対応関係がある。二つ折りの屏風に描かれたこの一双の図柄を、同じ内容の表裏と解するにせよ、より劣った知恵の愚かさから円熟した知恵へと到達する段階的な過程と解するにせよ、「知恵の言葉」(ソフィアのロゴス)とは、ソフィアの円熟した知恵に裏打ちされているロゴスなのである。ソフィアは、ロゴスのようには語り出さない。ソフィアは、ロゴスに影のように付き添うのである。そこに潜むのは、隠されていたものが霊の人に啓示されるという事態である。これが、ロゴスとソフィアとの段階的でもあり同時に表裏一体の関係ともなるパウロの「知恵」の構造である。
 したがってパウロは、伝道する際に、啓示を円熟した者の間に限ろうとする。パウロが「宣教の愚かさ」(1:21)によって語るのは、図式化され公開で宣べ伝えられる場合である。知恵は誇ってはならない。絶えず謙虚でなければならない。パウロは、小さなサークルの家庭集会で、選り抜きの同労者たち、すなわち円熟した人々を相手に「知恵」を語ったのであろう(タイセン 490)。
ロゴス讃歌
 ヨハネ福音書1章(1節~18節)には、いわゆる「ロゴス賛歌」が含まれているといわれている。しかし、その賛歌が、厳密にどの部分かについては、学説がまちまちで細部について一致していない〔間垣 109-10〕。しかし、ほぼ学界の定説となっているところをあげると、次のようになる。
      初めに言があった。
      言は神と共にあった。
      言は神であった。
      (この言は、初めに神と共にあった。)
      万物は言によって成った。
      言によらずに成ったものは何一つなかった。
      成ったものの内に命があった。
      命は人間を照らす光であった。
      光は暗闇の中で輝いている。
      暗闇は光を理解しなかった。
      言は世にあった。
      世は言によって成ったが、
      世は言を認めなかった。
      言は、自分の民のところへ来たが、
      民は受け入れなかった。
      しかし、言は、自分を受け入れた人に、
      (その名を信じる人々には)
      神の子となる資格を与えた。
      言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。
      わたしたちはその栄光を見た。
      それは父の独り子としての栄光であって、
      恵みと真理とに満ちていた。
      わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、
      恵みの上に、更に恵みを受けた。


 括弧でくくった部分は、本来賛歌に含まれていたかどうかについて疑義がもたれている箇所である。また、「言は肉となって・・・・・」以下の部分については、これを原賛歌に含めるかどうかで賛否両論がある。この部分は、ソフィア賛歌が、ヨハネ独特のロゴス賛歌へと変化した重要な部分であるから、この問題をめぐって解釈が分かれるからである。従来、この賛歌は、すでに伝承として存在していたのを、福音書の編・著者がこれを序の部分に採用したと考えられていた。したがって、6節と7節の洗礼者ヨハネに関する部分は、散文で書かれていて、スタイルも内容も賛歌の部分とは明らかに異なるから、後からの挿入と見なされていた。賛歌の韻文の中に、突然に散文の語りが「侵入」するのは、いかにも唐突な感じがする。
 ところが、1950年代になって、この6節こそが、ヨハネの福音書の基となった「しるし資料」の書き出しであり、「原ヨハネ福音書」もここから始まっていたのではないかと考えられるようになった。したがって、原ヨハネ福音書では、6節~7節から1章19節へとつながっていたことになる〔Brown 27〕。そうなると、6節~7節は、「侵入」ではなくて基のテキストの「痕跡」だということになる〔Fortna 22,28-29〕。
 この福音書の編著者は、原ヨハネ福音書の洗礼者ヨハネに関する冒頭部分をロゴス賛歌で包み、そうすることで、洗礼者ヨハネを先在のロゴスであるキリストの証人として位置づけたのである。この目的を明確にするために、編著者は、さらに8節と15節を加えた。したがって、序の部分全体は、伝承された「ロゴス(ソフィア?)賛歌」と原ヨハネ福音書の冒頭部分と編著者(わたしがヨハネ福音書の著者と言うのは、この人物を指す)による追加・挿入から成り立っていることになる。ただし、著者以後の挿入の可能性も排除できない。
 このロゴス賛歌の伝承は、さかのぼるとソフィア賛歌であったと思われる。また、伝承の段階で、すでに「ソフィア」から「ロゴス」への移行が行なわれていた可能性も考えられる〔ブルトマン 54,64〕。しかし、現在では、この福音書の著者が、女性名詞の「ソフィア」を男性名詞の「ロゴス」と入れ替えることによって、ロゴスの受肉を言い表わそうとしたと考えられている。ただし、このような「ロゴス」への移行は、福音書の著者が、女性名詞の「ソフィア」を男性名詞の「ロゴス」へと変えることで、ソフィア概念を転換させることを意図したとは受け取られていない。バルトは、まだ、洗礼者ヨハネに関する部分が後からの挿入であると考えている。しかし、バルトの次のコメントは、「ソフィア」から「ロゴス」への移行の意味を的確に言い表わしていると思う。
 「我々は、なぜヨハネが、ο λογοs の概念は用いても、例えば、後期ユダヤ教的思弁のσοφια(知恵)の概念を用いなかったのか、という問いに答える必要はないのである。それはバウアーが言っているように、ヨハネはみずからが語らんとした先在の本質を男性的な人物と同一視しようと欲し、そのためにソフィアを用いることができなかった、という理由からでないことは確かである。・・・・・神は、イエス・キリストにおいては、--最も広い意味で理解されて--言語であり、語りかけであり、我々に関わる言である、ということに比べると、その他のすべては色あせてしまうのである。」〔バルト 549-50〕
 イエス自身が、自分を「ソフィアの子」、すなわち「知恵」によって遣わされた預言者と見なしていたこと、また、彼が、人々から「知恵の教師」と見なされていたことについては、「イエスの語録集」のところで述べた。しかし、マルコ福音書でも、イエスは「知恵の子」ではあるが、イエスが「先在の知恵の受肉」であるというところまではいっていない。パウロも、イエス・キリストの内に「知恵」を見いだすことに問題を感じなかったとしても、イエスが「知恵それ自体の受肉」であるとは考えていない。「神のソフィア」が伝統的に女性像を帯びていたことを考え合わせるなら、これが、ヨハネによって、イエス・キリストという男性へと適用されることで、「ロゴスの受肉」へと比較的容易に移行しえた〔Scott 83〕のは注目すべきことであると言わなければならない。
 「知恵のロゴス」という独特の概念をどこまでもさかのぼるなら、太古のソフィア神話へたどりつくことは、この「知恵の系譜」シリーズで見てきたとおりである。そこまで行かなくても、ヨハネの「ロゴス」を導き出した直接の背景だけについても、マニ教、マンダ教、アレクサンドリアのフィロン、グノーシスなどがあげられている。バルトも、マンダ教や1世紀に広く知られていたヘルメス神話をその背景として示唆している[バルト 49]。
 「知恵」に本来備わる普遍性を考慮に入れるなら、わたしたちは、ヨハネの「ロゴス」の背景として、さまざまな出所(source)が提示されるのを少しも不思議に思う必要はない。しかし、ここでもわたしたちは、ヨハネの「ロゴス」にグノーシスの「影響」を見ることはできても、これを「ロゴス」の直接のソースと考えることはできないことを確認する必要がある。もしわたしたちが、ヨハネの「ロゴス」の直接のソースをあげるとするならば、ブルトマンが早くから洞察していたとおり〔ブルトマン 53〕、それはユダヤ教知恵文学の伝統であろう。 ヨハネの「ロゴス」は、人を「知恵」へと導くのではない。また、天の「知恵」から遣わされた者として、人々に「知恵」を教えるのでもない。ここでは、遣わされた者の言葉は、遣わした「知恵」それ自体なのである。人は、ヨハネの「ロゴス」に出会うときに、「知恵」そのものに出会う。それは「知恵」それ自体を啓示する。したがって、このような「知恵」と「グノーシス的な知恵との対照は明確である。イエスは受肉した知恵の啓示それ自体である」〔Brown 32〕。
讃歌と知恵
 では、なぜ「ソフィア」が「ロゴス」となったのか。それは、「受肉」するとは、人間となることだからである。人間となったことは、正しい性(男性)を受けなければならないことを意味する。わたしたちは、「ロゴスが地上へ降る」という独特の表現に驚いて、これの先例を探す必要はない。なぜなら、ヨハネの「ロゴス」は、単純に「ソフィア」が肉体となって地上に降ったにすぎないからである〔Scott 105〕。
 ここでの「知恵のロゴス」は、「恵み」と深く結びついている(16節)。この「恵み」は、「恵みと真理」という句として、「イエス・キリストを通して与えられた」(17節)へと結びつく。「恵みと真理」という言い方は、さかのぼれば出エジプト記(34章6節)の「憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち」とあるのに通じているのであろう。七十人訳では通常ελεοs(憐れみ)と訳されるが、ヨハネは必ずしも七十人訳に忠実ではない。原ヨハネ福音書には、アラム語直接の影響が強いからであろうか。
 シラ書には、よく知られた「知恵(ソフィア)の賛歌」がある(24章)。そこでは、「知恵」が、「わたしは」と一人称で語りかけ、しかも樹木の隠喩で語りかける。「わたし」は、「栄光に輝く(イスラエルの)民の中に根を下ろした」(24:12)。「わたし」 は、「壮大で優美な枝」を広げ「花と栄光と富の実を結ぶ」(24:16ー17)とあり、これに続いて、「わたしは美しい愛と畏れとの母、また知識と清らかな希望の母である」とある。ここに見られるように、χαριs(優美・恵み)は、男性よりも女性と結びついて用いられる場合が多い。ヨハネのελεοs(憐れみ)からχαριs(恵み)への移行も、ソフィアとの関係を考慮に入れると容易に理解できよう〔Scott 107-108〕。さらに37章21節には、「知恵」の枯渇が、神の恵みの欠如から来るとあることにも注意しなければならないだろう。シラ書では、知恵と律法とが均衡を保ちつつ、その両方が賛美の対象となっている。しかし、わたしたちはここで、律法によるソフィアの封じ込めが、やがてファリサイ派律法主義へとつながったのを思い出す必要がある。ヨーロッパの中世においても、イエス・キリストの過度の男性化と神との父子関係が強調されるにつれて、キリスト像が父なる神と一体化されるようになり、これがみ霊の働きを枯渇させていった。このことは、イエス・キリストの裏面に潜むソフィア性の排除と無関係ではないと思う。
 αληθεια(真理)について言えば、ブルトマンは、これにギリシア的な用法を認めつつも、ヨハネではこの語がψευδοs(偽り)との対比において用いられていて、しかも、そこには、(ギリシア的な用法に見られる)宇宙神話的な意味は認められないことを指摘している。しかも 、ヨハネでは、真理の啓示は、真理に至る道それ自体の啓示ともなっている〔Theological Dic.of NT.(I) 245-46〕。ドッドは、ヨハネのこの語を「神の約束の真実性」というヘブライ的伝統よりも「永遠の真理」というギリシア的な知の伝統において見ようとしている。しかし、同時にヨハネの「恵みと真理」という句は、例えばマラキ書(2:6)に見られる(真理の律法)という句を踏まえているとしている〔Dodd 176〕。したがって、ヨハネの「真理」は、ヘブライの伝統を排除するものではなく、ギリシア的伝統のみに根ざすものでもない〔Scott 109-110〕。
 特に知恵の書(6:22)では、「知恵」の誕生の神秘と共に「真理」が語られているのに注意すべきであろう。ここでは、「知恵」は黙示と結びいている。同じような「知恵」と「真理」との結びつきは、シラ書(4:24~25)にも現われる。このような「知恵」と「真理」との結びつきに、ことさらにギリシャ的あるいはヘレニズム的な背景を想定する必要はないであろう。「霊と真理」(4:24)という表現にも見られるように、1章14節の「真理」は「恵み」と結びつくことによって、モーセの律法では達成できなかった「霊的な内実」を獲得していると見るべきであろう。 15節は、本来の賛歌にはなかったと考えられる。ここでのモーセと恵みの対照はパウロ的でさえある。この挿入は、おそらく前節の「恵みと真理」という句に対する説明になっているのであろう〔Brown 16〕。
 ヨハネでは、「律法」は、ヘブライ人への手紙(10:1)のそれに似て、「真理」の「影」である。しかし、同時に、わたしたちは、ヨハネの「真理」が、部分に対する十全の意味をも含むことを忘れてはならないだろう。「律法」は、父なる神からモーセを通して与えられた啓示であった。それゆえに、「律法」は、超越的で統合的であった。特にヨハネの場合は、「律法」は外面的な祭儀性を帯びて理解されているのに注意しなければならない。「律法」では到達できなかったことが、啓示されたロゴス=ソフィアによって成就されたのである。人間は、ここに初めて十全な姿で、「真理」を見ることができた。いわば、それまで隠されていた半面がようやく姿を現した満月のように、イエス・キリストにあって、真理がその全貌を顕したのである。それは、超在すると同時に内在し、罪を責めると同時に赦し、霊的であると同時に肉をも贖う神のみ言である。
  わたしたちは、律法とソフィアとの関係が、シラ書(24:23)からヨハネ(1:14)に至って大きく変化しているのに気づく。この変化は、シラ書では、ソフィアが律法それ自体の内に宿ったとされていたのが、ヨハネでは、「イスラエルの民全体」の内に宿ったことを意味することによる。かっては律法の枠に閉じ込められていたソフィアが、今は律法の枠から解放されてその力を発揮する〔Scott 106〕。ただし、ヨハネ福音書では、必ずしも福音がモーセを否定するとは限らない。この福音書独特の「ユダヤ人」とキリストとの厳しい対立にも関わらず、むしろ、モーセとキリストとは一貫した流れの中にとらえられているとさえ言えるのである(5:46~47)。
 ヨハネのロゴスがソフィア性を帯びているとしても、なぜこれの賛歌にバプテスマのヨハネが突然現れるのだろうか。洗礼者ヨハネ自身が、「知恵」の教師であるイエスへの証人となるためである、ということは先に指摘した。しかし、洗礼者の登場はただそれだけのためではない。彼の登場によって、ロゴス賛歌の宇宙論的な特徴に、明確な歴史性が与えられていることにわたしたちは注意しなければならない。こうして、著者ヨハネは、原ヨハネ福音書の歴史的な一回性に、より普遍的な宇宙的性格を与え、そうすることによって、原福音書のメシアを、より深いキリスト論へと拡大しているのである(Fortna 22ー23)。
 ロゴス賛歌と洗礼者ヨハネに関する部分との混合が、洗礼者共同体とヨハネ共同体との間の関係を示唆しているとしても、それがどのようなものであったかを推定するのは難しい。洗礼者ヨハネの宣教活動が、終末的な裁き(と救い)の特徴を帯びていたことは確かである。終末と裁きへのこのような待望を、洗礼者ヨハネは、クムラン宗団から継承したと考えられる。
  ところが、ロゴス賛歌の方は、終末よりもむしろ神の創造に目を向けているのである。しかもこの賛歌は、創世記1章を踏まえながらも、ロゴスの受肉によって、神の創造による贖いへと発展する。いわば、ヨハネ福音書1章は、洗礼者の終末的な宣教を神の創造的な贖罪によって包み込んでいると言える。わたしたちは、ここに、クムラン宗団の戦闘的な終末観が、モーセ律法による「きよめ」の洗礼から神の「恵みと真理」の顕れとしてのロゴスによる再創造へと変容ないしは発展する過程を読みとることができる。原初と終末、救済と創造とがこの序文で出会う。この問題は重要であるから、後の号でさらに検討しなければならないだろう。
 ヨハネの創造論は、ロゴスによる「命の光」から発している。「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」という節は、創世記の創造神話を踏まえているが、ここでも、光と闇に関して、グノーシスに起源を求める必要はない〔Scott 100~101n〕。この福音書は、イエス・キリストの物語だけでなく、新しい人類の創造の物語でもある。したがって、「万物はみ言によって出来た」とあるのも、「出来上がって完成した」の意味にとるべきではない〔バルト 60〕。それは「生じてくる」「生起する」という意味で、流動する生命の営みを指し示している。この宇宙に生じるあらゆる現象は、それに内在する固有の生命の営みを持っていて、それらを調和させて、大きな一つの秩序概念、コスモスを構成するという思想はヨハネ福音書にはない。ヨハネの描く宇宙は、そのような動かない、完成されたコスモス概念ではなく、常に生成し動いて止まない現象を「有らしめるもの」としてのヤハウェの業(5:7)なのである。
 ロゴス賛歌の中で、最もヨハネ的特長を表わしているのは、「み言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」であろう。ここでのεσκηνωσεν(宿った)は、ヘブライ語の「(天幕の中に)宿る」の意味に対応していて、これの名詞形(シェキナ)は、幕屋に顕れる「主のご臨在」を意味する(出エジプト記25:8)。この「シェキナ」は、特に聖所の燭台の「光」とこれに象徴される主の「栄光」の意味をも含むから、おそらく[ヨハネ黙示録の「燭台」(2:5)は、この「シェキナ」を指しているのであろう。この語は、ゼカリア書に「わたしは来てあなたのただ中に住まう」(2:14)とあるように、主の来臨を言い表わす用語として用いられた。さらにヨエル書では、「わが聖なる山シオンに宿る者」(4:17)とあり、この箇所はヨエル書の3章と関連していて、それはさらに使徒言行録2章とつながり、ペンテコステのみ霊の注ぎに関連する。
 わたしたちは、ヨハネ福音書が、「パラクレートス」(助け主、弁護者)という独特の聖霊観を提示しているのを知っている。この福音書の著者は、「み言の宿り」と「み霊の注ぎ」とをはっきりと結びつけているのである〔ケーゼマン 116〕。それは、福音書の著者が、「み言の宿り」を証しすると同時に、自分自身の聖霊体験をも証しするという二重の業を果たそうとしているからにほかならない。このような「み言」と「み霊」との一致をケーゼマンは次のように言い表わしている。
 パウロにとって「ことば」は、霊の手段・働きであり続け、霊自体は天的な力であるから、奇跡や脱自状態の中にも確認されるものなのである。それに対してヨハネは、霊をイエスの声、すなわち、イエス自身はもはや彼の弟子たちの間におられなくなっても、パラクレートスの姿をとって天から弟子たちに語りかけてくる声と同定した。ただこの「ことば」においてだけ天上のキリストは、その場合にもなお近づくことのできる方である。〔ケーゼマン 116〕
 最後に18節の「神の独り子」(μονογενουσ)について触れることにしよう。ここで問われるのは三位一体説ではない〔Brown 13-14〕。すでに、知恵の書では、「知恵の霊」が、「単一で(μονογενεs)、多様で、軽妙な霊」(7:22)であるとあって、神とロゴス=ソフィアとの独特の関係が強調されている〔Scott 107〕。ちなみにスコットは、この箇所を踏まえながら、「父のふところにいる」(1:18)というヨハネの独特の表現に、ソフィアとヤハウェとのかつての「結婚関係」が反映していると見ている〔Scott 113〕。しかし、ここでは、父と独り子との深いつながりを表わしていると見るべきであろう。ヨハネ福音書で、イエスの愛した弟子が、「イエスの胸もとに寄りかかったまま」(13:25)裏切る者について尋ねたとある。この「胸もと」も「父のふところ」と同じであるから、父と独り子との関係は、イエスと彼が愛した弟子との関係に対応しているのであろう。「神の独り子」が、神を「示した」(εξηγησατο)とあるのにも注意しなければならない。この「示した」は、ギリシア文学では、「神の神秘を解きあかす」ことを意味する専門用語である〔Bernard 33〕。しかし、ここでは同時に、ヨブ記の七十人訳で、「神は知恵を見て、(知恵を)明らかに示した」(εξηγησατο αυτην〔=σοφια〕)(28:27)とあるのに通じている。ちなみに、ヨブ記では、これに続けて、「主を畏れることが知恵、悪を遠ざけることが理解」となっている。

 この福音書は、第三世代のクリスチャンに属するものであり、パウロやペテロなどのいわゆる「主流」に属さないシリヤ地方の信者の集まりの中から生まれた。それだけに、まだ組織的にはっきりした形をとる以前の共同体の息吹が感じられる。その意味で、このヨハネ共同体は、いわゆる「正統教会」の教義や組織を霊的な視点から拒否した最初のクリスチャンの共同体ではなかったかと思われる〔ケーゼマン82-87 〕。

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