ヨハネ福音書の神学
前ヨハネ福音書のメシア
 ここで扱われるのは、体系的な「ヨハネ神学」ではない。仮にそのような体系をこの福音書から読み取ったとしても、それがこの福音書の特質を読者に最も的確に伝える方法であるとは思われない。ヨハネは、自分たちの信仰を伝えるのに、同じテーマを繰り返しながら次第にこれを深めつつ広げていくというスタイルを用いている。おそらくこのスタイルが、この福音書の内容を伝える最も適切な方法だからであろう。この福音書は、その成立からも、個人の一貫した手法によるというよりも、共同体の中で生まれ世代を通じて発展したという特徴を持つ。特定の個人が、その内容や編集に大きな役割を果たしているとしても、それが、福音書のこのような特質を損なうものではない。
 私は、この福音書の成立過程を、主としてフォートナの説に準じて、しるし資料(SQ)と受難資料(PQ)を基として、そこからしるし福音書(SG)が書かれ、ヨハネ福音書(4G)本体の成立にいたったと見ている。言うまでもなく、これは大筋であって、これ以外の伝承の流入、これ以後の挿入や編集を除外するものではない。
 しるし福音書すなわち前ヨハネ福音書に証しされているイエスのメシア像は、七つの「しるし」を軸に形成されている。それらは、(1)カナのぶどう酒(2章)、(2)役人の息子(4章)、(3)とパン・魚(6章)、(4)水上歩行(6章)、(5)ラザロのよみがえり(11章)、(6)盲人の癒し(9章)、(7)足萎えの癒し(5章)である。この場合漁の奇跡(21章)は後の追加として一応除外してよいであろう。ただし、これも本来のしるし資料に含まれていた可能性を排除できない。本来のしるし資料には、このほかにも多くの奇跡が含まれていたと思われるが、しるし福音書の著者は、そこから特にこれらの7つを選び出している。フォートナによれば、このしるし福音書の成立はマルコ福音書よりも早く、40年代から50年代と推定されている〔Fortna 216〕。
  七つのしるしは、それぞれ、豊穣(ぶどう酒とパン)、救い(病気癒し)、復活(ラザロ)、悩みからの救出(水上歩行)のように、イエスのメシアとしての働きを様々な面から示している。ただし、後のヨハネ福音書に見られるようなパンにおいての聖餐の隠喩や盲人のいやしに見られる「救いの光」の隠喩はまだ表われていない。これらの「しるし」は、イエスが、ユダヤ人に約束されたメシアであり、この意味において、「イスラエルの王」であり「神の子」であることを単純に証しするものであった。
  しるし福音書は、本来ギリシア語を話すユダヤ人キリスト教徒のためのものである。この福音書の神学には贖いも終末も御霊もまだ存在しない。単純にイエスは「神の子・メシア」であることだけを「しるし」を通じて証ししている。会堂のユダヤ教の人たちにとっては、このことを信じるだけで十分だったのであろう。ここでは、「救い」は、イエスがメシアであると信じることにほかならないから、ヨハネ福音書のように、イエスのメシア性の意味を考えることもしない。したがって、「命」「光」「真理」「恵み」のような言葉も表われない。弟子たちがイエスを信じる話しが救いのモデルであり、それも、イエスとの個人的な出会いを通じて行なわれ、しかもその救いは、人から人へと連鎖的に展開する(ヨハネ福音書1章)。そこには、反ユダヤ人的なものは一切存在しない。
  しるし福音書は、しるし資料と受難資料とを連結させている。しかし、しるし資料本来の性格から判断するならば、これと受難資料とは、この福音書において、まだ主題的に明確な統一を遂げてはいない。福音書や使徒言行録に示唆されているように、イエスの処刑は、生前のイエスを信じていたユダヤ人にとっては、大きな衝撃であり、彼らを困惑させる事件であったと推察される。受難資料においても、イエスの処刑は、避けられないが恐ろしい出来事であった。初期のマルコやパウロと同様に、しるし福音書でも、十字架は重要ではなかった。したがって、しるし福音書では、イエスの処刑と死は、しるしを与えるメシアとしてのイエス像との間に矛盾さえ感じさせる。ただし、受難資料がこの段階でイエスのメシア像と連結したことが、ヨハネ福音書で受難の神学が形成される基となったことを見落としてはならない。
  イエスがメシアであるという信仰は、彼の死が、旧約の預言の成就と結びつくことで与えられた。イエスの処刑は、神の意志であり、その意味で起こるべくして起こった。約束されていた旧約のメシア預言が、イエスにおいて成就したのである。イエスの死は、イザヤ書53章に描かれる「無実な神の僕」の苦難の姿と重ねられた。この意味で、イエスは、救済史的に見たメシアであり、やがてイスラエルに現われてメシアの王国を約束する「神の子」である。だからしるし福音書では、イエスは「王」としてエルサレムに入城し、ピラトの前でこのことが証しされる。救いは、ここでは未来への期待であり、それは、「ユダヤ人のメシア」としての救済史的な視点に立つものであるが、イエスの十字架の死それ自体に救済的な意義を見いだすにはまだ至っていない。
 このような信仰の支えとなったのが、イエスの復活信仰である。復活はメシアとしての最大の「しるし」であり、イエスが神から遣わされたメシアであることの根拠となった。メシアは、神の意志に従って、その預言どおりの苦難の道をたどり、よみがえって永遠に生きているというのが、最初期のイエス・キリスト信仰である。この復活信仰が、イエスの十字架に向けて新しい意義を照らす光となったのである。
 ヨハネ共同体に見られるこのようなメシア信仰の成立過程は、共観福音書やパウロの場合にも共通している。マルコ福音書の成立過程をたどると、その最初期の伝承段階では、イエスの十字架に対する戸惑いはあっても、これを贖いと受け取る信仰は見ることができない。したがって、伝承のこの段階では、イエスの死に特別の意義を認めるには至っていない。イエスの死に際して生じた「暗闇」も「神殿の幕の亀裂」(マルコ福音書16章)も、最初期の伝承からではなく、以後の教会の解釈がマルコ福音書に取り入れられたと考えられるからである〔シュヴァイツァー 475-76〕。
  パウロにおいては、この過程は、彼の最初期の書簡と考えられる第一テサロニケ人への手紙と、その後のガラテヤ人への手紙やローマ人への手紙との違いとなって現われている。第一テサロニケ人への手紙では、イエスの復活とこれに伴うであろう再臨とが差し迫った主題となっていて、そこには、十字架の贖いによるキリスト論は現われない。この違いは、前ヨハネ福音書とヨハネ福音書との違いとほぼ平行していると見てよいであろう。
 パウロは、彼の福音伝道をユダヤ教から異邦人のキリスト教へと発展させる過程で、律法と十字架の福音との対立を深めていった。同じことがヨハネ共同体にも生じたが、ヨハネ共同体では、ユダヤ教からキリスト教へという歴史的な発展さえも超越した「先在のロゴス」としてのイエス・キリストが、ユダヤ教固有の伝統の中で深められ、しかも「ユダヤ人」との対立を通じて普遍性に到達するという過程をたどった。
ヨハネ福音書のメシア
  前ヨハネ福音書の始めのほうには、イエスに関する様々な称号が現われる。「神の小羊」(1章29節)、「メシア」(1章41節)、「エリヤ」(1章43節b。前ヨハネ福音書では、ここでこの称号が用いられていたと推定される〔Fortna 35〕)、「モーセが律法に記した方」(1章45節)、「神の子」(1章49節)、「イスラエルの王」(1章49節)、「人の子」(1章51節)である。これらの称号は、「エリヤ」を除けば、そのままヨハネ福音書に受け継がれている。ヨハネは、これらの称号に潜在する意味を、彼独自の神学的な視点によって引き出し発展させたのである。
  最初に注意を引くのが「王」である。これはヨハネ独特の称号で、しるし資料にまでさかのぼる。しかし、ヨハネ福音書にあっては、「王」としてのメシアは、政治的・地上的な意味に理解されてはいない。イエスは「この世の国の王」(18章36節)ではなく、人々が彼を王にしようするとイエスは退く(6章15節)のである(いずれもヨハネの挿入)。ピラトの前でのイエスの証言は、一見ローマ帝国とメシアの王国とを対照させているかのように見える。しかし、その前にピラトが、「お前がユダヤ人の王なのか」と問いかけていて、イエスの答えが、この質問に誘発されていることから判断すると、ヨハネは、ここで、イエスの王国を「ユダヤ人」の思い描くメシアの王国とも対比させているのが分かる。この問答の背後に、ヨハネ共同体とファリサイ派ユダヤ教との対立を想定してもよいであろう。ここで、ヨハネは、ピラトとユダヤ教の両面からの誤解を拒否しているのである。
 次に注意を引くのは、「エリヤ」である。この称号は、現在のテキストでは現われないけれども、ヨハネは、これを洗礼者に適用することさえ拒否している(1章21節)。例えばマタイ福音書(11章14節)と比較して見れば、その違いが明らかであろう。洗礼者がこの称号を拒否しているのは、おそらくこの称号が、メシアとしてのイエスにふさわしいと考えたからであろう。少なくとも、これが前ヨハネ福音書の意図であったと思われる。ところが、ヨハネは、「エリヤ」の称号を除去している。「エリヤ」は、昇天して、再び天から降る者の予型と見なされていた。イエスの言葉に、「天から降ってきた者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない」(3章13節)とあるから、エリヤ預言の成就者として、イエスがいわば第二のエリヤであると見なされるのをヨハネは拒否していると考えられる。
  しかし、ヨハネの真意は、むしろ、「エリヤ」よりもさらに根源へさかのぼって、メシアとしてのイエスが、先在のロゴスそのものであることを証しすることにあった。同じことが、イエスとアブラハムとの関係についても言えよう。「アブラハムの子」であることを主張する「ユダヤ人」たちに向かって、ヨハネは、イエスがアブラハムをはるかに超える存在であると宣言する(8章58節)。モーセもまたイエスと対照されているが(1章17節)、エリヤの場合とは違って、モーセは、イエスについて証しする預言者である(7章23節)。イエスが、このように、モーセやアブラハムよりも卓越した存在であると証しする根拠は、ひとえに「イエスの父」だけである(6章32節)。イエスは「初めから」父と共に存在していた。したがって、ヨハネによれば、イエスを通じて顕された啓示は、旧約のメシア預言がイエスにあって成就したということに留まらない。なぜならイエスの到来によって初めて、創造の父と共にあるロゴス・キリストによる新たな宇宙の創造が始まるからである。「しるし」は、もはや単なる奇跡はではなくなり、この新しい創造を象徴する「神の業」としての意味を帯びる。ヨハネ福音書のメシアは、救済史的な視点を超えて、宇宙論的な広がりを持つにいたっている。
  前ヨハネ福音書は、イエスが旧約の預言を成就したメシアであることを証しする。このイエスがメシアであると単純に信じることが「救い」なのである。この意味で、前ヨハネ福音書の救いは、「メシア=キリスト論」的な枠の中で成就されていると言えよう。ところが、ヨハネ福音書では、救いは「父が遣わされたイエス・キリスト」その人を「知る」ことにあると言う(17章3節)。ヨハネの視点は、救済史的な枠を超えて、イエスという人格的な存在に集中するのである。救いはこのイエス・キリストを「信じる」ことであり、それは同時にイエスを「知る」ことであり、「イエスのみ名によって命を得る」ことである。これは、「メシア=キリスト論的」というよりは、むしろ、「イエス・キリスト中心」と言えよう。ヨハネにあって「命」とはイエス自身のことにほかならない。こうして救いは、救済史的な枠を超えて、宇宙的な広がりを持つキリスト中心の救いとなる。
  したがって、ヨハネ福音書では、いわゆる「信じる」ことが必ずしも「救い」と同じではない。ヨハネの「救い」は、「見て信じる」だけでなく(2章23節)、「イエスのみ名によって命を得る」ことだからである。神はイエス・キリストという歴史的な人物を通じて救いを啓示された。この救いに与る者は、「死から命へと移った」のであり、「闇に勝って命の光を得た」のであり、「朽ちる食べ物ではなく永遠の食べ物を得た」のである。命と死、不滅と滅亡、光と闇、真理と偽りが、こうしてイエス・キリストを通じて顕れる啓示をめぐって交錯する。前ヨハネ福音書の「パン」や「ぶどう酒」や「水」や「生・死」が、どの程度字義的に用いられているかは明らかでないが、ヨハネ福音書では、これらの言葉が、はるかに深い霊的な内容を指示する象徴性を帯びてくる。  
  神の小羊
 前ヨハネ福音書に現われる称号で、特にヨハネ的なのが「神の小羊」である。ヨハネ福音書の著者・編者であるヨハネは、これに「世の罪を取り除く」(1章29節)という句を加えることでその意味を明らかにしている。洗礼者の口からイエスについて証しされる冒頭の言葉として、この称号はヨハネにあっては特別の意味を持つ。この称号は、すぐ後で、「聖霊によるバプテスマ」と関連づけられている。しかし、「神の小羊」という称号は、ヨハネ黙示録にしばしば現われることで知られていて、新約聖書におけるこれの用例のほとんどをヨハネ黙示録が占めている。
  前ヨハネ福音書に潜む神学的可能性を引き出して拡大したのがヨハネであると述べたが、ここでも同じことが当てはまる。「世の罪を取り除く」というヨハネの付加は、この「小羊」がイエスの受難と結びつけられていることを示している。ちなみに、「成し遂げられた」(19章30節)というイエスの最後の言葉は、洗礼者のこの証しと呼応していて、贖罪の業が完了したことを示す祭儀的な意味を含むのであろう。ただし、旧約では贖罪の犠牲に小羊は異例である。「贖罪」という点に限るならば、むしろレビ記(4章22節以下)の贖罪の山羊のほうが、これの表象としてふさわしい。
  ヘブライ語の「小羊」(タルヤー)は「僕」をも意味するから、ヨハネの「神の小羊」の意味は「神の僕」ではないかという説がある。この説はこれだけでは支持し難いが、ヨハネの「神の小羊」が、イザヤ書(53章7節)の「受難の僕」を意味しているとすれば、「神の小羊」は「神の僕」の表象としてふさわしい。特にヨハネ福音書の12章(38節以下)は、イザヤ書53章を暗示する大切なところで、ここからヨハネが伝えようとする「メシア」の姿を読み取ることができよう。イザヤ書の小羊はまた、過越の小羊(出エジプト記12章)とも重ねられている。したがって、「神の小羊」がイザヤ書からであるのなら、ヨハネが、この小羊を「過越の小羊」と結びつけているのが理解できよう。このようにして、「受難の僕」は「過越の小羊」と結びつくことになる。
 「小羊」については、もう一つ見逃せない表象がある。エチオピア語エノク書の90章(6〜19節)に、「白い羊から生まれた仔羊たち」が、「角のある雄羊」となって、烏やはげ鷹や鳶と闘う場面が出てくる〔『聖書外典』旧約U 266〕。ドッドによると、この場面はマカベアの反乱の表象であり、これらの雄羊たちは、ヨハネ黙示録(5章節)の七つの角を持つ「屠られた小羊」の原型であって、メシアの表象として用いられている〔Dodd232〕。ただし、エチオピア語エノク書の注によれば、90章(37節)の終わりに現われる「白牛」のほうが、メシアの表象となっている〔『聖書外典』旧約U380〕。もっとも、この「白牛」も巨大な角を持つ雄羊と重ねられているから、どちらにせよ、メシアの表象であることに変わりはない。
 ヨハネ福音書とヨハネ黙示録とを直ちに結びつけることはできないが、「小羊」の表象に限って言うならば、ヨハネでは、「贖罪の小羊」は「過越の小羊」と重ねられていて、これが、贖罪の献げ物と聖餐に結びついている(6章53節以下)。しかも、これがメシアの表象ともつながるとすれば、王としてのメシアと苦難の僕としての神の小羊とが、ヨハネにおいて結びついたと見ることができよう。こうして「王としての神の小羊」像が完成されることになる。この小羊像は、初代教会以来のメシア像として、それ以後のキリスト教に大きな影響を与えることになった。わたしたちは、これの完成された画像を、17世紀のフランドルの画家、ヴァン・ダイクの描いた「小羊礼賛図」に見ることができる。
受難と復活
  わたしたちは、ここで、「受難」というヨハネ神学の核心に触れることになる。ケーゼマンは、ヨハネ福音書で十字架は重要なテーマではないと言う。マーティンは、ケーゼマンの主張が、前ヨハネ福音書には当てはまるが、ヨハネ福音書には当てはまらないと言う〔Forna 274〕。フォートナはヨハネ福音書の著者・編者が手にしたのは、しるし福音書であって、ここから、彼の神学が出発していると見る。
  先に指摘したように、ヨハネは、前ヨハネ福音書のメシアを忠実に引き継いでいるが、しるし資料に出てくる多くの称号の中で、ヨハネ福音書の著者は、とりわけ「神の小羊」像を発展させている。ヨハネにとって、受難とは、神の子イエス・キリストが、過越の小羊として贖罪の業を完成したことにほかならない。この意味で、ヨハネ福音書は「過越神学」に基づいていると言えよう。
 しかし、この「小羊の受難」物語は、初めから一貫して「わたしの時」を軸に編集されている(2章4節、4章23節、5章25節、7章6節、7章8節、7章30節、8章20節、11章9節、12章23節、12章27節、12章31節、13章1節、16章4節、16章21節、17章1節)。この「時」の軸は、イエスの受難の歴史的な「時」を指す(17章1節)と同時に、受難以後にイエスの声を聞いてイエスを信じる者たちの「時」とも重ねられてくる(5章25節)。だからイエスがエルサレムに行く「わたしの時」は、まさに「受難のトポス」(時・場所)にほかならない。しかも、この受難において、イエス自身が、預言の成就者として(18章32節)、自らの業を成し遂げるために、終始能動的に行動する。イエスの受難には、旧約のタイポロジーが反映され(3章14節)、受難の直接の「時」は、過越の小羊の屠られる「時」と重ねられてくる(13章1節)。
 共観福音書とヨハネ福音書とでは、十字架の日取りが一致しないのはよく知られている。共観福音書では、イエスが弟子たちと食する最後の晩餐が、小羊の屠られる過越の食事と一致する。したがって、イエスが十字架にかけられたのは、その翌日、すなわち、過越祭の当日であったことになる。ところが、ヨハネ福音書では、最後の晩餐が、過越の食事の前日で、その翌日、ちょうど過越の小羊が屠られる時にイエスは十字架にかけられるのである。このような違いが生じた原因は、クムラン宗団の暦とエルサレムのユダヤ教の暦との違いによるという説もある。過越祭の当日に死刑が執行されるというのは不自然だという指摘もあるから、ヨハネ福音書のほうが史実に基づくのかもしれない。どちらが歴史的に正しいのかは、今となっては検証できないが、ヨハネが、イエスの十字架を、過越の小羊が屠られるちょうどその時に設定したのは、ヨハネの「過越の小羊神学」がその背後にあったと見て間違いないであろう。
 前ヨハネ福音書では、ラザロの復活は、他の「しるし」と並ぶ一つの「しるし」にすぎないように見える。しかし、イエスの復活は、イエスがメシアであることの根拠となる重要性を持っていたから、ヨハネ福音書の著者が、前ヨハネ福音書のラザロの「しるし」の潜在的な意味を引き出して、これに重要な意味を見いだしているのは当然であろう。この「しるし」には、イエスの死と復活とが重ねられていて、それは、ラザロの姉妹であるマリアによるイエスの「葬りの日のため」(12章7節)の塗油とも結びついてくる。ラザロの復活は、イエスの受難の直接の契機として、一連の受難の出来事の直前に置かれているのはこのためである。
  復活のもう一つの予兆として見逃せないのが、2章の神殿清めである。本来この記事は、共観福音書と同様に、受難物語のすぐ前に置かれていたと思われる。ところが、ヨハネは、これをカナの奇跡と並べてイエスの伝道の初めに置いて、これに復活の意義を与えたのである。このために、マルコ福音書では、この事件をきっかけに祭司長たちがイエスを殺そうとねらい始めるのに対して、ヨハネでは、ラザロの復活がイエス処刑の直接の契機となった。
  神殿清めは、イエスの伝道活動全体の意味を、その出発点において読者に提示する。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」(2章19節)には、受難と復活が明らかに予兆されている。ヨハネは、ここでの「神殿」を、「御自分の体」のことであると説明することによって、復活したイエスの「からだ」が、エルサレム神殿を中心とするユダヤ教の教義的・制度的な全体像に取って替わることを預言している。神殿は、ユダヤの律法体系を可視的に表象するだけでなく、なによりもそこは、ユダヤ教の祭儀の中心であった。このことは、復活のイエス自身が、律法だけでなく祭儀においても、ユダヤ教が表象する宗教的意義を発展的に破棄することを表わしている。すなわち、イエスの受難と復活によって、ユダヤ教全体が廃棄されて、これに替わって、イエスの「からだ」の復活による再創造が始まることを提示するのである。ヨハネのこのような構成の背景には、エルサレム神殿の破壊という歴史的出来事があるのは間違いない。ヨハネ福音書の物語が、神を礼拝する時・場所を表象するユダヤ教の祭儀を核に構成されているのは、今は滅び去ったユダヤの神殿祭儀が、イエス・キリストによって置き換えられたことを証しするヨハネの意図から出ているのであろう。祭儀とは、神と人間を結ぶ宇宙観の表象にほかならないから、ヨハネは、この「小羊の受難」を、新しい創造という宇宙的な規模でとらえているのである。
  ヨハネでは、イエスの受難は直ちに復活へとつながり、しかも、それがイエスの顕現とこれにともなう聖霊授与と結びつく(20章22節)。ヨハネはこの点で、ルカと対照的である。ルカにおいては、まずイエスの十字架があり、その死と葬りが確認され、続いて復活の啓示が女性や少数の人たちから共同体全体へと広げられ、最後に昇天が目撃され、使徒言行録にいたって聖霊降臨が生じる。そこでは、一連の出来事が時間的な序列の中で構成されている。
  ヨハネでは、まずマグダラのマリアに復活が啓示される。しかし、この段階では、イエスはまだ昇天していない(20章17節)。続いて起こる弟子たちへの復活顕現の場で同時に聖霊が授与される。ヨハネのいわゆる「ペンテコステ前の聖霊降臨」である。ここでは、復活の顕現と聖霊授与とが同時に起こる。三度目の顕現で、トマスに「あなたの指をここに当ててみなさい」と語られるから、マリアへの顕現と最初の弟子たちへの顕現との間に、すでに昇天が行なわれているのであろう。しかし、ヨハネの編集では、受難と復活と聖霊授与とが、ひとまとまりになって読む者に示される。
  ヨハネは、この一連の出来事を、イエスが「上げられる」時と呼び、さらにイエスが「栄光を受ける/現わす」時とも呼んでいる。しるし資料から抜き出した七つの「しるし」は、「この出来事」を象徴するものであり、イエスが、それぞれの「しるし」によって「栄光を現わした」ことが語られている。このように見ると、イエスが「上げられ」「栄光を受ける」という表現によって、ヨハネは、イエスの十字架と復活、さらに昇天とパラクレートスとしてのみ霊の降臨に至る全過程を包含していることが見えてくる。しかも、ヨハネは、これら一連の「栄化」の過程の中心に「神の小羊」の受難を置くのである。
  知恵の書(2章19〜21節)には、十字架にかけられたイエス・キリストに向けられた非難の声が、生々しく預言されている。しかも、この非難の声に対しては、イエスの忍耐と沈黙だけがその答となっている。このような受難の思想は、教義的な神学論理によっては、その意味を十分に汲み取ることができないものを含んでいる。ここには、人間の論理を超えた「受け身の沈黙」がある。積極的で肯定的な発話を導き出すギリシアのロゴスとは、明らかに異質な「ロゴス」がここにはある。ジラールが、「暴力のロゴス」と対置させた「愛のロゴス」〔ジラール 442〕と呼んだものがこれである。しかし、このようなロゴスは、もはや「ロゴス」としての論理性さえも超えるなにものかに支えられていなければ成り立たないであろう。知恵(ソフィア)の書が、ヨハネ共同体の間で読み継がれていたのはほぼ間違いないから、そこに出てくる「忍耐する知恵の姿」(知恵の書2章)は、パラクレートスとしての御霊の「忍耐する力」と重なってくる。それは現実の中で苦しむわたしたちを陰から支える力のことであろうから、ヨハネの受難思想には、表面に現われない陰の部分に、この「知恵」が潜んでいるのを見落としてはならない。
ヨハネの「ユダヤ人」
  ヨハネ福音書では、イエスが3回もエルサレムとガリラヤとを往復する。これが、共観福音書では、ただ1回とされていて、あまりにも違いすぎることが、昔から問題とされてきた。前ヨハネ福音書は、地名に関して特別の意味を認めなかったようである。七つの「しるし」が行なわれた場所は、ユダヤとガリラヤとの両地域にまたがっていて、カナ、カペナウム、(ガリラヤ湖の漁)、ティベリアのパン、ガリラヤ湖の嵐、ベタニア、シロアムとなり、ベテスダがそれらの真ん中に来る。しかし、ヨハネ福音書では、地名は明らかに象徴性を帯びてくる。フォートナは、ヨハネの用いる地名をユダヤ、サマリア、ガリラヤ(とヨルダンの東)に大別した上で、それぞれの地域について、概ね次のようなコメントを付している〔Fortna306-14〕。
 (1)サマリアとヨルダンの向こう岸は、第二次的な意味でユダヤと対立する。共観福音書の場所の多様なのに対して、ヨハネでは3種類の地域しかない。エルサレムでは、イエスは人々に好意的に受け入れられないが、サマリアでは受け入れられる。このようにして、「サマリア人は悪霊につかれている」(8章48節)のに対して「ユダヤ人は悪魔の子である」(8章44節)が対置されることになる。ユダヤと対立するのは異邦人ではなくサマリアなのである。
(2)ガリラヤは、ユダヤからガリラヤへの旅とあるように、ユダヤへのアンチテーゼとなる。ただし、ガリラヤの会堂でも「ユダヤ人」が入り込むし、ニコデモは、逆に「ガリラヤの人」と呼ばれるから(7章52節)、両者が相互浸透していると見ることができよう。しかし、ヨハネの基本は「ユダヤ地域」とイエスとの対立に置かれている。
(3)ユダヤでは、「ユダヤ人」が50回用いられていて、しかも、それらはヨハネの編集部分に見られる。ヨハネでは、「民」「世」とは「ユダヤ人」のことを指し、この点で共観福音書と大きく異なっている。
  フォートナは、ヨハネ福音書に描かれるイエスの巡回伝道を、「エルサレムを起点」として見るから、イエスの伝道活動は、エルサレムとガリラヤとの往復の巡回によって構成されていることになる。しかし、この往復は、従来ガリラヤを起点として、そこから「エルサレムへの上京」として考えられてきた。「エルサレムへの三度の上京」というこの視点を、フォートナは逆転して、「エルサレムからの三度の往復」と見たのである。この視点から、イエスの巡回を整理してみると、1回目(1章29節〜3章36節)、2回目(4章1節〜5章47節)、3回目(6章1節〜10章42節)となり、11章1節からは、エルサレムへの最後の旅に入ることになる。
  ちなみに、ヨハネ福音書では、写本の揃え間違い、いわゆる「錯簡」が長年問題にされてきている。詳述は避けるが、この福音書の地理関係と時間関係とは、確かにちぐはぐな点があって、入れ替えるとうまくつながる場合がある。これが、長年この福音書の錯簡の根拠とされてきたのだが、これに対する慎重論も根強かった。特に、現在でも問題とされているのが、5章と6章との関係である。4章はイエスのガリラヤ滞在で終わっていて、5章ではエルサレムの場面となり、6章で再びガリラヤへと移る。5章と6章とを入れ替えてみると、場面はガリラヤからエルサレムへと比較的自然に移行する、というのがこの部分の錯簡説の根拠である。
  例えば大貫隆氏は、5章と6章との錯簡説を採る〔大貫82〕。ただし、この場合、大貫氏は、イエスの巡回が、ガリラヤを起点とする「上京の旅」と見ている。したがって、2回目の上京は、5章1節に始まり、7章9節のガリラヤ帰還で終わる。これだと、5章と6章とを入れ替えても、2回目のサイクルそれ自体は、一応成り立つことになる。ところが、エルサレムを起点に考えるなら、2回目の往復は、上に見るように4章1節で始まり5章46節で終わるから、5章と6章とを入れ替えることは、せっかくのサイクルを壊すことになってしまう。フォートナが、錯簡説に基づく入れ替えに反対しているのも〔Fortna302〕、おそらくこのような彼独自の視点から来るのであろう。この視点によると、現行のままで、福音書全体へのヨハネの編集意図がはっきりと見えてくるだけでなく、次に述べるように、ヨハネの「ユダヤ人」の真意を解釈する重要な視点が見えてくる。
 イエスと「ユダヤ人」との対立の図式からイエスの活動を見る場合に、問題となるイエスの言葉が二つある。一つは「救いはユダヤ人から来る」(4章22節)であり、もう一つは「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」(4章44節)である。後者の「故郷」とは、イエスの生まれ故郷であるガリラヤを指している。ただし、実際は「ガリラヤの人たちはイエスを歓迎した」とそのすぐ後にある。後者のほうから先に検討すると、この44節は、その前後との関係においていかにも唐突であり、内容的にも合わない。また「敬う」という動詞もヨハネ的ではない。したがってここは、共観福音書(マルコ福音書6章4節)との調和をはかるための後の挿入であろうと思われる。なお、この句については、ここでの「故郷」を「自分の国」と解して、ユダヤ人として、イエスは「ユダヤの国」を指しているという解釈があるが、この解釈は、オリゲネス以来の古い伝統に基づいている。
  前者の「救いはユダヤ人から来る」のほうは、明らかにヨハネ自身の視点である。イエスと「ユダヤ人」との対立の図式から判断するなら、この言葉は、イエスにふさわしくないように見えるかもしれない。しかし、それは、ヨハネ福音書の構造を、例えば「光と闇」の二元論のように、あまりにも単純化しすぎた見方から来る誤解である。ヨハネが、イエスの口からこの節を語らせているのには、重大な意図が秘められている。ヨハネにとっては、神の救いは、「ユダヤ人」からしか来ない。まさにこのゆえにこそ、イエスは三度もエルサレムを起点として巡回の旅を続け、最後にエルサレムで、贖いの業を成し遂げるのである。この意味で、「ユダヤ人」は、救いの源泉ともなり、イエスを拒否する民それ自体ともなる。イエスが、彼らによって、彼らのために受難を受ける根拠は、まさにここにある。対立する「ユダヤ人」こそ、救われなければならない十字架の贖罪の対象であるというヨハネ独特の認識がここにはある。
  「一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済むほうが、あなたがたに好都合だとは考えないのか」(11章50節)という大祭司カイヤファの預言は、この福音書のこのような視点をいっそう明らかにしてくれる。ルネ・ジラールは、ここでのカイヤファの発言を宗教社会学的な視点から分析して、そこに含まれる人間社会の「犠牲の祭儀的構造」を暴いている。ここでは、イエスの十字架が成就する贖罪の働きが、ほかならぬイエスを処刑する当の本人の口から語られる。カイヤファは、権力の頂点に座している者として、ユダヤの民全体の安全を自分自身の保身に従属させて、己の安全を優先させている。カイヤファは、イエスの処刑が、「あなたがたにとって好都合だ」と言う。この「あなたがた」には、カイヤファ自身をも含めて、イエスの処刑を「好都合」と見なすすべての人たちが総括されている。すなわち、イエスは「自分の」処刑を好都合だと見なしているすべての人たちのために、しかも彼らの手によって、十字架での贖罪を成し遂げなければならない。「ユダヤ人」以外の多くの民が、贖罪の対象にされているとしても(11章52節)、それは、イエスの十字架が本来意図されていたこの意味を損なうものではない。カイヤファの発言に続くヨハネの解説は、まさにこの点を突いているのである。
 しかし、カイヤファは、自分の決断(裁定)が、結果としてどのような意味を担っているかを、自分でも見極めることができないでいる。彼の発言に潜むアイロニーの一つはこの点にある。すなわち、彼が自ら意識してその安全を保持しようとしている「ユダヤ人」の救いが、ほかならぬ彼の降す断罪によって、しかも彼本来の意図とは全く異なる仕方において、可能になるというアイロニーが、ここにはある。それだけではない。彼は、自分たちが行なおうとしていることが、彼の予想をはるかに超えて、人類全体に及ぼす十字架の罪の赦しを成就させる結果をもたらすことを知らない。ここでは、「ユダヤ人」による「ユダヤ人」のための「ユダヤ人」の贖いの祭儀が、この世のすべての民の贖いと一つに重ねられている。ヨハネ福音書では、「世」が「ユダヤ人」とほとんど同義語なのはこの理由による。カイヤファの発言から、わたしたちは、このような二重のアイロニーを引き出さなくてはならない。「ユダヤ人」は、まさにこの意味で、すべての民であり、この世であり、わたしたち自身にほかならない。ヨハネ福音書の有する独特のユダヤ性と、そこから異邦人世界へ向けて発する独特の語りかけというこの不思議な二重性が、このようにして達成されるのである。
ヨハネの「人の子」
 「黙示」あるいは「黙示的終末」思想は、紀元前250から紀元後250年の長期にわたって形成された。それは、時間的には終末性を帯び、空間的には超自然性を帯びて、地上の世界とは別な世界が、ある媒介者による啓示によって、物語形式で語られる文学の一形態である〔AnchorT279〕。ダニエル書(7章〜12章)と「1エノク」(エチオピア語。紀元前ペルシア時代から紀元後270頃までの諸文書を含む)の二つが、この思想の主な典拠となっている。
  このほかにも「2エノク」(スラブ語)、「2バルク」、「3バルク」、「4エズラ」などがある。黙示文学にはイザヤ書(65章16節以下)なども含まれていて、これは虜囚後間もなくの執筆ではなかったかと思われる。なおイザヤ書24章〜27章は、後期預言時代か、あるいは前期黙示時代に属することになろう。これらの黙示文学に共通するのは、最終的には黙示が実現して、最後の裁きと救いが成就することを待望する点である。「1エノク」の原典と思われるヘブライ語、アラム語のものが、クムランから発見されていて、クムラン宗団では、このような黙示的終末が教義化されていたことを示している。
  マカベア戦争で勝利をおさめたハスモン家は、祭司職を独占することになった。しかし、ハスモン家がダビデの家系ではないこと、また強力な戦争遂行のために安息日を無視したことなど、その戦闘的で民族主義的な路線は、ユダヤ人の全面的な賛成を得たわけではなかった。ダニエル書の黙示は、このようなあまりにも現世的な王国思想に賛成できない信仰から生まれたとも言える。特に、ハスモン家の祭司制度に真っ向から反対したのが、クムラン宗団を中心とするエッセネ派であった。彼らは、黙示的な終末戦争によって、「光の子」が「闇の子」(これは必ずしも異教徒だけではない)に勝利して、「純粋なエルサレム」が終末に実現する時を待ち望んだ。これに対して、ファリサイ派は、現実の祭司制度を容認しつつ、口伝の律法的な解釈による「きよめ」の生活を重視するという、より柔軟な路線をとった。ハシディーム運動が、エッセネ派とファリサイ派とに分裂した背景には、このような事情があった〔Chilton 182-83〕。
 ここで、メシアの到来を待ち望むクムラン宗団の聖なる宴会について知る必要があろう。クムラン宗団の食事は、まず一人の祭司によって、パンと葡萄酒で始められる。彼はイスラエルのメシアよりも上位に位置して〔『宗教要覧』IV 2ー8〕、この儀式はエルサレム神殿の大祭司の供えのパンに対応する。この聖宴は、マタイによる福音書(9章11ー12節)やルカ福音書(14章15節)の宴会に類似していて、メシアの来臨を待望する終末的な意味を帯びている。パンと葡萄酒は、彼らに対立するエルサレム神殿での犠牲の祭儀に取って代わる表象であったと思われる。この聖宴が待望するのはエゼキエル書(37章24節)のダビデ的メシアである。新しいエルサレムで、新しい神殿が、エゼキエルの幻に従って回復され(40章)、ザドクの祭司が昔の嗣業を継いで祭儀を行う。これがクムラン宗団の聖宴の意義であった〔ブラック120ー23/128ー30〕。
  キリスト教の終末思想は、その源をたどるなら、ハシディームから別れたファリサイ派の系統でからではなく、エッセネの系統から受け継がれたと考えることができる。クムランで発見された黙示文学は、黙示文学がふつうのユダヤ教にはなくて、なぜキリスト教にあるのかを説明してくれる〔『死海文書』56〕。ただし、クムラン宗団の信仰からすれば、異教徒が終末で神の国を受け継ぐことはありえない。
  洗礼者ヨハネ共同体は、原初キリスト教に、律法の霊的解釈やきよめの洗礼をもたらしたと考えられる。しかし、それらと同時に、原初キリスト教は、洗礼者の会衆から、ユダヤの民全体に裁きもたらす終末信仰をも受け継いだのである。Q資料を担った人々を始めとする原初キリスト教と洗礼者の会衆、この両者の結びつきの結果、それまでの「知恵の子」イエス像に、終末的な黙示を媒介する預言者イエス像が重ねられることになった。こうして形成されたのが「人の子イエス」である〔AnchorT28391〕。
 メシアとしてのこの「人の子」像は、やがて「神の子キリスト」像へと高められる。黙示と終末とは同じでないが、メシアの来臨に伴う終末は、これに対立する勢力としてのサタンによる危機を伴うから、必然的に終末は黙示と表裏をなすことになる。イエスは、神によって、「神の王国」の正当な世継ぎとされ、ここに、「知恵の子」であるイエスが「神の子」となり、神の国の王としてのメシア=キリスト信仰が成立したのである〔The Lost Gospel 218-19〕。このようにして、Qの人たちを含む原初キリスト教は、時の始めから神の救済史にかかわるキリスト信仰へ、すなわち、ヨハネ福音書が、先在の「ロゴス」と「人の子」とを同一視する方向へ至る道を開いたのである。
  ヨハネ福音書の著者は、ダニエル書(7章9節)の「人の子」と「日の老いた者」を知っていたから、キリストの先在を知る者となった。ヨハネ福音書とヨハネ黙示録とは、共にユダヤの神秘的黙示の系統を汲んでいる。ヨハネ黙示録では、(1)神の創造の神秘が啓示され、(2)聖なる民への圧迫が啓示される。ヨハネ福音書にあっても、これら二つが啓示される。ただし、ヨハネ福音書では、先在のロゴスによる創造が啓示され、ヨハネ黙示録では、終末での新しい創造が啓示される。ヨハネ福音書では、「ユダヤ人」による神の民への宗教的迫害が語られ、ヨハネ黙示録では、ローマ帝国による神の民への国家的迫害が語られる。この意味で、ヨハネ福音書のイエスの内に、ヨハネ黙示録に表わされるユダヤ的な黙示のすべてが、すでに啓示されているのを見る。
  ヨハネ福音書における「人の子」イエスを考える場合に、特に1章51節の解釈が注目されることになろう。そこでは、天使が上り降りするのが、「梯子」の上なのか「ヤコブ」の上なのかがあいまいであるが、このあいまいさは、ヤコブ自身が梯子それ自体であることを示唆する意図を持つものと解することができる。ヤコブ自身が「梯子」であるというこの解釈は、遅くとも3世紀までにはタルグムで行なわれていたらしい。しかし、この解釈はすでにこの時完成していたから、これの成立ははるかに早く、1世紀には成立していたと考えられる。さらにここでは、ヤコブは、神のみ座の神秘を地上で顕す者とされて、天使がわざわざヤコブを見に降る、という解釈さえ行なわれていた。ちなみに、エゼキエル書(1章10節)に現われるみ座の車輪の顔とヤコブの顔とが等しいという伝承があった。このことから、1章51節は、イエス自身が、神の栄光を、「人の子」として地上に顕すことを示していると解釈することができよう。ヨハネ福音書では、「人の子」は、こうして最高に高められ、「人の子」は、「神の栄光」と結びつけられて最高の表現を与えられている。
「神の子」の到来
  イスラエルの知恵文学では、神の救済史が、イスラエルと神との間でどこまで生々しく「現在化」できるのかという問いが、一つの重要な課題となった。この場合、イスラエルの過去の体験を語る歴史は、生きている今の時を大切にするための教訓と教化のために用いられた。ただし、この段階では、個人の生き方にかかわる救済史的な視点はまだ問題意識に上っていない。知恵の書には、黙示文学に見られるような終末的な観点も、時代区分や特定の「時」の表象も現われない。そこでは、すべての過去の出来事が、現在への慰め、励まし、警告として、まさに現在のために活かされてくるのである。ラートによれば、「(知恵の書の)著者は、イスラエルにいまだかつて与えられたことのなかったほどの強烈なかたちで、歴史を現在化することにも成功している」〔ラート418〕。ただし、ラートは、「知恵」をあまりにも人間的な営みに引きつけて見すぎているために、これの神的な起源を見過ごしにする誤りを犯しているように思われる。このために、彼にあっては、過去と未来を同時に含みつつ、しかも救済史全体を「現在」においてとらえるという「知恵」特有の重要な視点が、見過ごしにされる傾向がある。
  クムラン宗団の終末観は、「今の時」に、すなわち、現在進行している具体的な歴史的出来事の中に終末の「しるし」を見ようとするものであった。このような終末観は、原初キリスト教にも大きな影響を与えている。しかし、わたしたちは、クムランの終末観に、キリスト教に受け継がれたものと同じくらいに、キリスト教によって拒否された要因があるのを見逃すことができない。それは、徹底した現世否定主義である。彼らは、自分たちの信仰とその終末的な成就以外に、外部の世界に一切の価値を認めようとしなかった。自分たちと同じ名前の神を信じる他のセクトでさえも、彼らの呪いの対象とされたのだから、ユダヤ世界の外に広がる異邦人や異教徒の多様で多彩な営みや文化などは、彼らのかたくなで偏狭な視野には全く存在しないかのようであった。このような世俗からの分離を打破したのが洗礼者ヨハネであった。彼は、荒れ野で一人叫ぶ預言者として、宗団や分離主義者のようではなく、宗団の外にいる人たちに向かって、全国民的な規模で宣教を開始したのである。
 この洗礼者の路線を、イエスは、より徹底させたと言える。イエスの教えは、それまでのユダヤ教を完全に飛び超えていた。それは、律法によるきよめと分離から、聖霊による赦しと贖いの大肯定へ向かうという180度の転換であった。彼の相手は、もはや清潔を求める霊的律法的エリートではなかった。それは、取税人、罪人、漁師など、それまでクムラン宗団が忌み嫌っていたまさにその人たちであった。洗礼者からイエスに至るこのような大転換の陰には、迫り来る終末への予感があったのは間違いないであろう。
 原初キリスト教は、黙示的な終末と悔い改めによる神の贖いと赦しに対する信仰を受け継いでいる。しかし、終末に行なわれるべき水による「きよめ」の信仰は、メシアとしてのイエス・キリストの到来とイエスの聖霊の降臨によって、すでに実現したという信仰へと転換された。したがって、キリスト教は、クムラン宗団の終末観と異なって、聖霊の働きによって、終末が現在すでに始まっているという認識に達した。同時に、「光の子」と「闇の子」というクムラン宗団の二元論的な終末観から、肉から霊に至る贖いの完成という救済史的な一元論への移行が生じたのである。特に、パウロの場合のように、律法と福音との弁証法的な対比が、正義と不義、光と闇という二元論的な対比に取って代わることによって、霊魂と肉体の二元論は、肉からみ霊にある霊的な存在へと向かう聖霊の働きによる救済史的な過程へと変えられることになった。
  イエスのメシア性は、その復活により、さらに終末での再臨によって、救済史的に立証されるものとなった。前ヨハネ福音書は、イエスの言葉ではなくその行為を、しかも行為の中の特定の奇跡を、イエスのメシア性を顕す「しるし」と見なした。しかし、それらの「しるし」には、救済史的な展望は見られない。少なくとも、イスラエルの歴史という集団的、共同体的な観点からすれば、前ヨハネ福音書はほとんど「無歴史的」でさえある〔Fortna 28488〕。周囲の歴史的状況は何一つ変わらない。「しるし」は、ユダヤ人キリスト教徒の個人的な信仰に対して顕され、この意味において、終末は、基本的に個人的でさえある。
  ヨハネ福音書は、共観福音書と比べて再臨信仰が欠落していると言われている。この理由は、この福音書では、終末が、聖霊のパラクレートスによって個人の内にすでに宿るという信仰から来ているのであろう〔Fortna285n〕。このようなヨハネの終末は、従来から「実現した終末」(realized eschatology)という言葉で言い表わされてきた。しかし、この言葉が、単に「現在性」意味しているのなら、ヨハネは、前ヨハネ福音書の「しるし」が帯びている「現在性」を踏襲しているにすぎない。ちなみに、第一テサロニケ人への手紙や第一コリント人への手紙など、少なくとも初期のパウロのメシア論には、このような視点はない。
  しかし、ヨハネ福音書の「実現した終末」は、決して「無歴史的」ではない。この意味で、ヨハネ福音書は、知恵文学の伝統をそのまま踏襲しているとは言えない。なぜなら、知恵文学に見られる「歴史の現在化」とは、基本的には、過去の歴史を現在への教訓として、あるいは未来への預言を現在に対する警告と見なすことで、救済史それ自体を現在の中に解消することだったからである。しかし、ヨハネ福音書は、その関心を現在に集中しているとは言え、それは、どこまでも黙示的終末の中での「現在」であって、それはヨハネ共同体独特の史的イエスに対するメシア論から来ている。
 マタイ福音書とルカ福音書では、イエスの復活と昇天とは、いわばイエスの終末における再臨の前提となっている。したがって、そこでは、神の子イエスの到来と昇天とは、終末と再臨が訪れる起源として位置づけられる。教会は、神の子の到来と再臨までの「中間の時」を待望しつつ地上を歩むことが要請されている。しかし、ヨハネ福音書にあっては、事態はむしろ逆である。そこでは、神の子イエスのメシアとしての到来こそが、その昇天の根拠となる。メシアの降臨こそが、メシア昇天の起源となる。こうして、ヨハネでは、メシアの到来は、その受難を通じて、昇天と聖霊降臨をもたらす根拠となり、ロゴスの受肉は聖霊降臨と一体化する。この意味において、メシアの到来は、終末の成就に直結する。なぜなら、ヨハネでは、メシアの到来は、事実上メシアの再臨に等しいからである。
 ちなみに、中世のイギリスで、キリスト聖体祭の折りに演じられるサイクル劇や教会で演じられるクリスマス劇にあっては、しばしばキリストの降誕に先立って、サタンによる黙示的な危機が生起する。この黙示的な危機は、「メシアの到来による終末」によって終息し、平和が達成されるという構成をとる。すなわち、「メシアの再臨」は、「メシアの降誕」によって置き換えられるのである。聖体祭における演劇の時間構成は、それが表象する祭儀性と切り離すことができない。祭儀や祭儀的な演劇においては、過去・現在・未来が、しばしば入れ替わるという時間構成をとる。ヨハネ福音書と祝祭で演じられる劇とは、祭儀性において共通するところがあるのであろう。この意味で、ヨハネ福音書の時間は、例えば聖餐に表象される「時間」と同じように、本質的に祭儀的な性格を帯びているのであろう。
  ヨハネ福音書にも、未来に訪れる終末を告知している箇所がある。例えば、5章28節〜29節、6章39節〜40節、44節、54節、12章48節などである。「現在」を「終わりの日」と区別するこのような告知が、聖餐の隠喩を含む6章(パンの奇跡とこれに続くイエスの言葉)に多く見られるのは偶然ではないであろう。これらの告知を、「正統教会」とこの福音書との教義的整合性を配慮した後の挿入とする説がある。また、ヨハネの手紙に示されているように、ヨハネ共同体の内部に、メシアの受肉を否定する異端が生じて、このために、ヨハネの「実現した終末」に内蔵されている未来と現在との間の時間的緊張が失われることを防ぐ意図があったという説も成り立つかもしれない。ただし、この説は、ヨハネ福音書が、手紙が書かれた時期をも含む長い年月を経て、共同体内で語られ、編集されてきた(Hengel 33,102)という前提に基づかなければならないであろう。ともあれ、これらの告知が、ヨハネ福音書の終末観に、共観福音書には見られない時間的な緊張を与えているのは否定できない。
 したがって、ヨハネの「終末」は、救済史を現在の時点への戒めとして「終末を現在化」する知恵文学の伝統とは異なっていることを改めて強調しておかねばならない。それは、ヨハネが、一方において「現在を終末化する」からである。使徒言行録には、ルカの視点が反映されていて、時代は、ユダヤ教の時代から聖霊降臨による新しいキリスト教会の時代へと救済史的に発展する。しかし、ヨハネ福音書ではそうではない。この推移の中心にイエスの十字架が置かれる。ヨハネでは、メシアの十字架において人類の終末が顕現された。後はこの祭儀的出来事が、その効力を発揮する結果のみが残されている。共観福音書は、イエスのメシア的「しるし」をこのような意味に受け取るのを拒否するであろう。ヨハネ福音書は、この意味で、「本質的に」メシアを待ち望むユダヤ人のためのものであるとも言えるかもしれない。なぜなら、これこそが、正統ユダヤ教が待ち望んでいた「メシアの日」にほかならないからである。
   ヨハネ福音書の「終末」
  ヨハネ福音書のキリスト像は、預言者に証しされたメシア的キリスト像である。しかし、この来臨は、メシアの再臨と二重写しになっている。イエスが、人の子=神の子として、この地上を歩むときに、その臨在は、終末でのメシアの顕現そのものにほかならない。宇宙を含む歴史の「初め」と「終わり」の全体像が、メシアの受肉において開示され、イエスが行なう業は、彼がアルファでありオメガであることを指示する「しるし」となる。神のロゴスの受肉は、このようにして、創造の原初から終末に至る救済史の全過程を象徴する「しるし」としての意義を帯びることになる。神の子イエス・キリストにあって、終末はすでに到来し、人類の歴史はすでに終わっている。個人としても人類としても、信じる者は「死から命へ移った」という完了形が妥当する。わたしたちは、ここで、これこそが、実は正統ユダヤ教が待ち望んでいたメシア到来の当然の帰結にほかならないことを確認する必要がある。
  最近ヘンゲル(Martin Hengel)のThe Johannine Question(1989)を読む機会を得た。この本で、著者は、これまでのヨハネ学の成果を、実証されていない憶測あるいは推定の積み重ねにすぎないものとして、いわば、一刀両断に切り捨てる。その代わりに、著者は、パピアスの証言にある「長老ヨハネ」と呼ばれてきた人物に注目する。彼こそが、紀元15年頃から100年頃まで生存し、イエスの歴史的な証人として、エフェソを中心とする小アジアに「ヨハネ共同体」を形成し、ヨハネの三つの手紙とヨハネ福音書の共通の「著者」であるというのが、ヘンゲルの主張である。ヘンゲルは、この長老ヨハネが、ヨハネ黙示録を書いた可能性さえ示唆している。古代の教会の伝承に回帰するとも言えるこの大胆な「仮説」は、今後のヨハネ学において議論を呼び、その中から、今まで到達した資料批評と彼の仮説との間に、なんらかの均衡が生まれるのかもしれない。
  唐突にヘンゲルを持ち出したのは、ここで、彼の説を詳述したり、これを批判したりするためではない。彼の主張は、わたしがこれまで述べてきたヨハネ福音書の成立過程とはかなり異なるし、対立する部分も少なくない。しかし、ヘンゲルの説でわたしが注目したいのは、「長老ヨハネ」が、従来考えられてきたよりもはるかに広範囲な影響を、当時のキリスト教界全体に与えていたこと、その意味で彼が、パウロの次の世代を代表するキリスト教界の偉大な指導者であったというヘンゲルの主張である〔Hengel 120。彼の説によれば、ヨハネ共同体は、決してキリスト教界の中で「特異な共同体」ではなかった。ただ、この共同体は、いわゆるペトロ共観福音書系のキリスト教とは異なっていて、これとむしろ対立する性格を有していたHengel 92。しかし、ヨハネ共同体の信仰は、いかなる意味でも、少数派のものではなかったし、まして「異端」ではなかった。この共同体は、偉大な指導者のもとで、その「正統性」を広く認められていたとヘンゲルは言う。
 ヨハネ共同体が、エフェソに本拠地を置く共同体であったとすれば、ヨハネ福音書のもう一つの性格、すなわちこの福音書に含まれている「異邦人向け」の側面も説明がつく。前ヨハネ福音書は、ユダヤ教の中にいたユダヤ人キリスト教徒を対象とするものであった。しかし、ヨハネ福音書の編集とその完成は、「前ヨハネ」のそれとは異なった状況の下でなされたと見ることができる。イエスの十字架がもたらす福音の意義は、いぜんとしてイスラエルの全国民のためであり、「彼らが一つになる」ためである。しかし、その「彼ら」には、今や全世界の過去・現在・未来を通じて顕れる「真理の民」がその射程に含まれてくる。このような福音書の独自性がわたしたちにもたらすものは、この世を歩む個人と、さらに人類全体とに与えられる「イエスにある霊的な交わり」である。ヘンゲルによれば、「長老ヨハネ」こそ、このような神秘性と霊性をそなえた指導者であったことになろう。
  こう言ってよければ、ヨハネ福音書には、ユダヤ教からキリスト教への時間的「移行」は存在しない。いわゆる「共観福音書的正統性」に基づくキリスト教神学においては、キリストの神の国はいまだ未完成である。教会は、「まだ救われていない世界の中で、生き死に、かつ、この世界と共に新創造を待ちこがれている。したがって、キリストの復活と普遍的な死人の復活との間の時、『中間時』というものが存在する」〔モルトマン175〕のである。なぜなら、キリストは歴史の中では、まだ万物に対する支配への途上にあるのだから。
 しかし、ヨハネ福音書では、事態はこれと対照的な相を顕す。キリストの終末はすでに完成している。キリストは、原初のロゴスであり、言葉の本来の意味で「同時に」終末のロゴスでもある。キリストは、現存する宇宙のまっただ中にあって、すでに、宇宙そのものに取って代わった。彼は、アルファであり同時にオメガでもあるから。全ては終わったのである(19章28、30節)。全世界とそこに住む人類とこれを取り囲む宇宙全体が、イエス・キリストの十字架の上で「完了した」のである。それまでの出来事も、これに続く出来事も、この一事の前兆でありこの一事の付録にすぎない。争いはすでに終わった。後は静かに、勝利の結果を今このときに生き続けることだけが、わたしたちに遺されている。
  ヨハネ福音書が啓示するこのような相は、伝統的な「神の国」への待望とそこから湧き上がるであろう「世界宣教」に対する展望とは、いささか異なった姿でわたしたちに顕れる。伝統的な神の国待望論は、このヨハネ的な相に映し出されるときに、そのような待望論の裏面に潜む、「十字軍的」な征服欲の陰の部分をも同時に露呈することになるであろう。ヨハネ福音書のメシアは、いわゆる「救済史」が、所詮は人類の歴史における「勝者の歴史」であり、勝ち誇った教会が、己の成果に付けた呼び名にすぎないことを暴露する。ヨハネの終末の相は、己の無知を投影することで相手を「無知の民」と呼ぶことで、これらもろもろの「異教の民」をば「キリスト教化」しようとする「使命感」に向かって警告を発する。ヨハネの待望とは、キリストの終末の完成を己のうちに宿しつつ、静かにそこに「踏みとどまり」、平安と瞑想的な霊性の内に、相手を照らし出し、照らすことによって、相手を変容させ、光が闇の中で静かに輝くように、おのずから闇を消滅させるものだからである。
 メシア的終末は、源泉と目的とが共に現在する<瞬間>に存在する。彼らは、破局した近代の(欧米)市民世界の歴史<からの>救済をユダヤのメシア的黙示思想に求める。メシア的瞬間における救済は、歴史的な時間関係を<転換=停止>させる。この転換によって、ロゴスと一体化した「歴史の暴力」に支配された<現在>が克服される。黙示的救済は同時に破壊を伴う。それは歴史それ自体の破滅であり、そこには歴史から救済への<移行>は存在しない(要約)。〔モルトマン65-82〕
  ヨハネ福音書におけるメシアの現臨は、暴力をともなう「歴史の完成」への野望ではなく、むしろ、これに対する、静かで確固とした「介入」である。勝利者は、彼らがその主体である「歴史」の進歩とその継続を欲する。だが抑圧された者は、そのような歴史による救済とは全く別の終末を待ち望む。そのような待望は、昨日から明日への移行でなく、「時の中で生起する静止の瞬間」にほかならない。そのような終末は、イエスの十字架という出来事の啓示する「あの歴史的断片」が、人間の「歴史」の本質を稲妻の如くに啓示する瞬間にその真相を顕す。ヨハネ福音書がわたしたちに提示しているキリストの「しるし」は、メシア自身が歴史それ自体を終わらせるのであり、いかなる意味でも歴史はメシアに関わらない。メシアの光は、この世界がいかに救済不可能なまでに損なわれているかを啓示する。ヨハネ福音書がわたしたちに提示しているのは、この意味で、「正統キリスト教」の十字軍的戦闘性に支えられた「救済史」と対照をなしている。それは、この意味において、まさに、キリスト教における「もう一つの正統性」にほかならないのである。
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