天の玉座と地の臨在
         1章「天」について
■古代の「天」
 聖書のヘブライ語では、「天」は「シャーマイム」である〔G.Johannes Botterweck et al eds. Theological Dictionary of the Old Testament. Vol.XV. 205--36.Eerdmans (2006)/略してTDOT.以下、この書を参照する〕。
(1)古代セム系の原語では、「シャーマー(イ/ウ)」は、「天蓋(てんがい)」のことで、これの複数形が「シャーマイム」である。複数は、意味を「高める」ためであって、無限に広がる「大空」を表わすという説がある。これに対して、
(2)複数は、古代メソポタミアの神々の住まいとしての「もろもろの諸天」にさかのぼるという説もある。さらに、
(3)古来、この語は、「水」の複数形「マイーム」(英語の"waters")から出た語で、これに「シャー」が付くことで、「マイーム」を<降らせる/生じさせる>という使役の意味になったという説もある。
 (3)の説は、オリエント起源を無視しているから適切でないであろう。この語は、ヘブライ語では、「無限に広がる一つの天」のことで、「複数の諸天」をこれに読み込むのは、古代メソポタミア時代の「天」解釈をこの用語へ反映させるものであるから、聖書の用語の意味の背景としては理解できるが、聖書の用語それ自体の本質的な意味とは区別されなければならない〔TDOT(15)205--206〕。
■ミカ書と「天」
 旧約聖書には、「天」が全く出てこない文書が幾つかあるが(民数記/ルツ記/雅歌/エステル記など)、その一つがミカ書である。ミカは、アッシリアによる北王国サマリアの滅亡(前720年)以後に、南王国ユダのヒゼキヤ王の時代(前8世紀後半)に預言した預言者である。しかし、ミカ書は、それ以後にも、第2期として、新バビロニアによってエルサレムが包囲攻撃されて占領された時(前597年)から、エルサレムの滅亡と南王国ユダの民のバビロンへの捕囚(前586年)までの期間にも、補足され挿入されて編集されている。さらに、第3期として、捕囚期の末期と捕囚期以後(前6世紀後半から前5世紀半ばまで)においても、挿入と編集が行なわれている〔フランシスコ会聖書研究所訳注のミカ書解説参照〕。
 預言者ミカは、イザヤと同時代なのに、イザヤ書には10回ほど出てくる「天」が、ミカ書には全く出てこない。ミカ書は、地上で起こるサマリアとユダ(エルサレム)の罪に向けられる断罪の危機にもっぱら注目しているために、「いと高き神」(ミカ6章6節)の居る「天」とは、かかわらないのであろう〔TDOT(15)207〕。ただし、注目すべきなのは、地上に目を向けているそのミカ書5章1〜5節(第3期の部分)には、「救い主」が、ベツレヘムで生まれるという預言がなされていることである(マタイ2章6節)。
■ダニエル書の「天」
 ミカ書とは対照的に、「天」が多く用いられている文書の中で、注目したいのがダニエル書である(後注*を参照)。ダニエル書は、ヘブライ語の部分(1章1節〜2章4節前半/8章1節〜12章13節)と、アラム語の部分(2章4節後半〜7章28節)と、二つに分かれている。この文書が書かれたのは、アンティオコス4世によるユダヤ教迫害の時だと言われているけれども(前164年頃か)、その内容(とりわけ2〜6章のアラム語の部分)は、それより以前のバビロン捕囚の時期のことである。したがって、ほんらい、ペルシア時代のアラム語で書かれたものであったものが、後年、その一部がヘブライ語に書き換えられた(?)という説もある〔フランシスコ会聖書研究所訳注「聖書」のダニエル書解説〕。ダニエル書の「天」をそれが表わしている意味によって分類すれば、およそ次のようになろう。
(1)「子孫を天の星のように増やす」(3章36節)/「天に届くほど(生長する木)(4章17節)/「牛のように草を食べ、天の露に濡れる」(4章22節)/「天の四方から風が起こる」(7章2節)/「天の下のすべての王国」(7章27節)/「その王国は打ち砕かれ、四つの天の風によって分散される」(11章4節)など、創世記1章1節にある神に造られた被造物としての自然界の「天=青空」の意味で用いられている。
(2)「天の神に憐れみを乞う」(2章18節)/「天の神を賛美する」(2章19節)その他「天の神」は多数/「神秘を明らかにされる神が天におられる」(2章27節)。これらは、神が住まう場所としての「天」を意味しているから、これは、古代バビロニアやエジプトの神々の宿る「天」の意味が、ヘブライの神である「エローヒム」へ神格化されて用いられていると見ることができる。
(3)「天」を神自身と同一視している用例としては、「天こそまことの支配者」(4章23節)/「天から声が響いた」(4章28節)もややこれに近い。「天の軍勢」(4章32節その他)/「人の子のような者が天の雲に乗る」(7章13節)も「雲」が主なる神の臨在を表わしていると見れば、「天」と「神」とを同一視している。「天の万軍」(8章10節)は、「主なる神の民」のことを指す。ただし、「目を上げて天を仰ぐと、理性が戻って来た。わたしはいと高き神をたたえた」(4章31節)などは、(2)と(3)のどちらの「天」にも解釈できる。 
■創世記の「天」から新約の「天」へ
 祭司資料編集者たちが創世記を編集し書いたのは、ダニエル書に先立つ捕囚期の頃だと言われる。創世記を書いた祭司資料編集者たちには、ほんらい、メソポタミアの宇宙観をに対抗しようとする意識があった。彼らは、新バビロニアに伝わる宇宙観を「占星術師や呪い師たちが口にする巧みな戯言など、いざという時、現実の炎に燃え尽きる虚言にすぎない」(イザヤ書47章13〜14節を参照)と見なして、新たに、「天と地を創造された」神を語った。だから、「太陽と月と星星を頂く青空」は、彼らの現在と未来の現実を左右する「聖なる力(エール)」ではなく、「天」もまた、自然界と人間界の出来事を生起させる「まことの」神(エローヒム)による「被造物」だと見なした。
 ところが、創造主から切り離された被造物の「天」は、それ以後の段階において、次第に、「ヤハウェ神が住まう場」(玉座)と見なされるようになる。この傾向は、さらに、次の段階では、「天」と「ヤハウェ神」との同一化へ進むことになる。だから、創世記1章の「天」には、ヤハウェによって「造られた天」と、メソポタミアの宇宙観にも影響された「ヤハウェ自身を顕(あらわ)す天」と、二つの「天」の相互作用が生じることになり、この相互作用が、捕囚期以後から旧新約聖書中間期のマカバイ時代あたりまで続く。ユダヤ教において、「天」をめぐるこれら両方の統合が完了するのは、ローマ帝国によるオリエント支配以後の前1世紀であろう(シラ書24章4〜6節の「知恵」を参照)。この統合が完了し、主なる神が、「天(あめ)の光」を輝かす「太陽」になることで初めて、古代メソポタミアの「天」が、ヘブライの「天」へ受容されるその過程が完了したことになる。この段階で初めて、「受容と拒否の機能」(後注*を参照)によって、古代オリエントの神話的な神々の「天」が、「異教的」だと見なされ、イスラエルの宇宙観から<排除される>ことになる。ちなみに、「恵み深い天」に対して、ヤハウェの住まう天の玉座から降る「天からの裁きの剣の言葉」は、知恵の書18章10節/同14〜18節に出てくる。
 このような過程を踏まえることで初めて、新約聖書とキリスト教の「天」では、ほんらい異教の神々から遣わされた占いの「鳥」が、「天(空)の鳥を見よ」(マタイ6章26節)とあるように、主なる神の遣いとしての「天の鳥」になる。「太陽」は、善い者をも悪い者をも等しく照らす「天の光」となり、「雨」は、万人に等しく降る恩寵の「天雨」となる(マタイ5章44〜48節)。こうして、太陽は、「この世を照らす光」(ヨハネ11章9〜10節)となった。
 ここで改めて、創世記1章3節の「天(あめ)の光」に注目したい。「天地が創造される以前に」発したこの「天(あめ)の光」は、新約聖書で言う「すべての人を照らす命の光」(ヨハネ1章5節)へと継承されている。しがって、創世記の「天(あめ)の光」は、「人の心に働くあらゆる闇の力」を追い払う「命の光」に通じている(ヨハネ16章25〜33節)。だから、創世記の冒頭の「光」は、「神が語る」ことで生じたものとして、「命の言葉(ロゴス)」(ヨハネ1章4節)に通じると言えよう。
ダニエル書について、とりわけダニエル書7章のヴィジョンについては、本シリーズの後半で詳細に採り上げる。
「受容と拒否」については、私市元宏『知恵の御霊』マルコーシュ・パブリケーション(2003年)43〜44頁を参照。
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