神の玉座と地の臨在
       2章 創世記の「天蓋」について
■創世記1章の「天」と「天蓋」
先に、創世記1章の「天」から始めて、聖書における「天」の用法の変遷をごく大まかにたどった。以下の論述も、主として、英文の『旧約聖書神学辞典』第15巻の「天」(シャーマイム)に準拠している 〔G. Johannes Botterweck et al eds. Theological Dictionary of the Old Testament(略してTDOT). Vol. XV. 205--36. Translated by David E. Green. Eerdmans (2006)〕。
 ヘブライ語の「天」(原語「シャーマイム」)を考える時に、先ず注意しなければならないことは、この語が、主として祭司資料編集者たち(P資料の作者たち)によって用いられていることである(創世記1章1節/同8節)。祭司資料編集者たちの編集は、その時期を確定することが困難であるが、南王国ユダの捕囚期(前597年〜前540年頃)に先立つ頃から捕囚期の間に行なわれた考えられる。だから、ヘブライ語の「天」は、主として、この頃から本格的に登場することになる。それまでは、ヘブライ語で「空」を指す用語は、「天蓋(てんがい)」(原語「ラーキ(−)ア」)であったと思われる。この語は、「大空(おおぞら)」と訳されて、創世記1章6〜8節に繰り返し出てくる。創世記1章の創造物語では、この「天蓋」(ラーキ(−)ア)のほうが、「天」(シャーマイム)よりも古いテキストからで、「天」は、祭司資料編集者たちによる二次的な編集だと言われている〔TDOT(13)648頁〕。
 「ラーキ(−)ア」の語源となる語は、古代バビロニアのアラム語からで、ハンマーなどで叩いて薄く引き延ばした「鉄板?」のようなものを指していた。ヘブライ語では名詞で用いられることが多く〔TDOT(13)646〜47頁〕、名詞の「ラーキック」は「薄焼きパン」(出エジプト29章2節)のことで、「ラッカー」は、皮膚の薄い「こめかみ」(士師記4章21〜22節)のことであり、動詞「ラーカァ」は、ハンマーなどで叩いて「(金の板を)打ち延ばす」(出エジプト39章3節)ことである。神は、この「打ち延ばした金属の鏡のような板を大空(ラーキ(−)ア)として張った」(ヨブ37章18節)ことになる。
 創世記1章6〜7節の「大空」では、6節での「神の命令」と、7節での「神の業である事象」との間に、(繰り返しによる)内容的な緊張関係を読み取ることができる。これは、おそらく、7節がほんらいの「原版」であって、6節は、祭司資料編集者たちが、7節に加えた後からの編集であろう。そもそも、創世記の「大空」は、オリエントの伝承から出ていて、「神の言葉による光と闇の分離」は、ヘブライ的な再構成である〔TDOT(13)648頁〕。
 創世記1章1〜10節までの天地創造をたどると、先ず「混沌」(2節)があり、続いて、光によって「昼と夜の分離」(5節)が起こることで「時間」が入り込む。続いて、「大空」によって、天と地への「水の分離」(7節)が生じることで「空間」が生じる。「混沌」と「時間」と空間」との三者のこの関係は、捕囚の地であるメソポタミアではなく、むしろ、古代エジプトの天地創造神話にさかのぼると指摘されている。エジプトの神話では、「先ず、一組の原初の神々による混沌が存在し、そこに、太陽神の介入によって、空間と時間とが具現することで、生命の発達と保全への条件が整えられる」〔TDOT(13)648頁〕。
 創世記1章では、神が「大空」(ラーキ(−)ア)を呼び込むのは8節からであるが、続く9節以下では、水の分離による「空間」が生じることで、生命の誕生が語られ、その空間(大空)に、「光るもの(太陽と月と星星)」がその場所を与えられる(14〜16節)。これによって、「空の鳥」が「大空を飛ぶ」(20節)条件が整うことになる。
 祭司資料編集者たちの記述は、創世記1章9節〜16節を通じて、「天」と「大空」とを一体化することで、「天」を「(複数の)光るもの」が現われる「大空」と同一視する傾向を示している(17節)。だから、「(複数の)光るもの」(16節)が存在する空間的な「大空」は、「天」と補助的に相互機能することで、生命維持の働きをしていることになろう〔TDOT(13)649頁〕。
■古代エジプトの神話
 ここで、創世記1章の「天蓋」のオリエントの神話的背景を考察すると、「ラーキ(−)ア」は、古代エジプトの太陽崇拝にさかのぼると思われる〔TDOT(13)648頁〕。紀元前3000年頃まで、エジプトは、ナイル川に沿って、地中海に面した北部のデルタ地帯を中心とする「上(かみ)エジプト」と、それよりも南にあたる「下(しも)エジプト」とに分かれていた。上(かみ)と下(しも)との分かれ目は、現在、カイロの南西10キロほどのところにあるギーザのピラミッドから、カイロの南方15キロほどのところにある古都メンフィスの遺跡に近いサッカラ辺りまでになる〔『歴史と芸術の国エジプト』(日本語版)カイロ:Bonechi(1997)5頁〕。
 エジプトの太陽神崇拝は古く、前3000年頃の第一王朝のナルメル王にさかのぼる。現在のカイロ市の東北部分にあたる区域は、古来、ギリシア語で「ヘリオポリス」(太陽の都市)と呼ばれていた。そこは、古くから太陽神アテンを祀る聖地であったらしい。ジェセル王(在位前2687年〜前2668年か?)は、おそらくエジプト第三王朝の創始者であろう。ジェセル王の頃には、上下エジプトはすでに統一されていて、ヘリオポリスは聖地として崇められていた。ジェセル王は、太陽神宗教を国教と定め、ヘリオポリスの神官インホテップを抜擢して「大神官」とした。この神官は医療にも優れていたから、後のギリシア人は、彼を「アスクレピオス」と呼んで、医療の神として崇めた。ジェセル王は、サッカラの近くに、現在に遺るギーザのピラミットを建てている。
 エジプトの太陽神崇拝は、その後、前1580年頃の第18王朝の時代の宗教改革によって、さらに強化される。アモンホテプ四世(在位前1372年〜1354年)は、太陽神アテン/アトンに深く傾倒して、自らを「アケナテン/イクナトン」と称した。この宗教改革は、エジプトの王(ファラオ)を神の預言者と見なして神格化する道を開いたと言えよう。さらに後代の第19王朝のラメセス二世(在位前1290年頃〜前1230年頃)の時代に、ファラオ崇拝は絶頂に達した。アメンホテプ三世と、継いでラメセス二世によって建造された巨大なルクソール神殿の遺跡を現在も見ることができる(ナイル川中流のルクソールは、古代エジプトの首都テーベがあった場所)。おそらく、このラメセス二世の頃に、モーセによる出エジプトが行なわれたのであろう〔『キリスト教大事典』教文館1122頁〕。
 創世記1章9節〜15節の「実を結ぶ果樹」の生育と「天の大空にあって光るもの」とは、古代エジプトの太陽神の神話に通じている。こういう読みは、エジプトの太陽神話の内容からも推定することができよう。
「世界の始まりはカオスと呼ばれる混沌とした世界であった。そこに絶対神ラー(日輪)が現われ、自身の姿を文字どおり<目で見て>自覚したとき、時の流れが始まった。絶対の沈黙の中で光と宇宙の意識であるラーが、自分の分身で宇宙の霊であるアメンに向かって『わたしの所へ来よ』と呼びかけた。すると、この呼びかけ(すなわち創造の原動力である言葉)によってシュー(空間・大気)とテフヌト(動き・火)とが産まれ、次いで、それらは、ヌト(天空)からゲブ(大地)を切り離し、混沌に終止符を打って世界に均衡と生命力を吹き込んだ。こうして世界は、現世と彼岸の命を生み出す力を受け容れるにふさわしいまでに整った。そしてオシリス(繁殖力を司る万物の愛である)が登場した。」〔『歴史と芸術の国エジプト』14頁より〕
 創世記1章の天地創造の部分を古代エジプトの神話と比較すると、エジプトの神話では、星星を超える上には「天空」があり、その下には、太陽神ラーの輝くプタハ(大空)がある。「大空(プタハ)」の形成にあたっては、シュー(「大気」を意味し、大きな羽で象徴される)とテフヌト(「火」を意味し、羽毛の帯で象徴される)の両者が、天空の下の大空を形成する大事な役割を果たしている〔『歴史と芸術の国エジプト』15頁図〕。ちなみに、ここで、エジプト神話のシュー(大気)とテフヌト(火)が、聖書では、天の神の玉座の土台となる大空(ラーキ(−)ア)を支えるケルビム(ほんらい風を表わす)とセラフィム(火を表わす)とに類比することに注目したい。
 創世記1章5節で語られる「昼と夜との分離」という「時」の導入と、これに続いて生じる6節の「ラーキ(−)ア」による「空間」は、「時」と「空間」とが密接に補助し合う構想に基づいて創造の出来事を語っている。だから、祭司資料編集者たちは、古来の伝承を受け継ぐことで、「ラーキ(−)ア」を「大地の生物を混沌の水害から保護してくれる安定した固い広がり」〔TDOT(13)649頁〕としてとらえているのが分かる(日本語の「大空」からは、こういう意味を読み採るのはいささか難しいが)。
 以上をあえて簡潔に結論づけるとすれば、イスラエル古来の「天蓋」(ラーキア)は、このように、後になって、「天蓋」よりもさらに高度の超越性を具えた「天」(シャーマイム)が導入されることによって、天蓋の上の世界と、その下位にあって生命体を宿す世界、すなわち「天上」と「天下」とを「区分すると同時に繋ぐ」ことで、天上と天下の両界を媒介する機能を担うことになった。
                   天の玉座と地の臨在