十二部族連合について
 民数記1章5節〜15節には、「部族(ヘブライ語「マッテ」)の最古の記録を見ることができる。民数記1章20節〜46節も、これを継承する古い記録である〔TDOT(8)245頁〕。「部族」(マッテ)は、ほんらいの言い方ではなく、元は「親族」などが用いられていたと思われる。「ユダ部族」(原語は、部族+ユダ)のように、部族+部族名(民数記l章21〜43節)は、後からの言い方であり、これが、さらに「ユダ部族の子」(原語では部族+子+部族名)のように変容する(民数記7車2節を参照)〔TDOT(8)247頁〕。
 「ヤハウェ」ほんらいの意味は、「有らしめる」「生かす」ことであるから、「ヤハウェ」という名称の原義は、ある人格的な存在が、「生きて現にそこに居る」ことである〔F・Mクロス『カナン神話とヘブライ叙事詩』輿石勇訳/日本基督教団出版局(1997年)114〜115頁を参照〕。「ヤハウェ」は、シナイ半島の東側のアカバ湾の対岸にあたるミディアン地方の宗教的な連合の神名であったと考えられている。「神/力」を意味する「ェール」は、古くからカナンをも含むオリエントで用いられていた名詞であるから、モーセに啓示された「ヤハウェ」は、後に、エロヒストや祭司資料の編集者たちによって「神」(エローヒム)と同一視された結果、十二部族連合の「ヤハウェ・エローヒム」が誕生したことになる〔F・M・クロス『カナン神話とヘブライ叙事詩』輿石勇訳。日本基督教団出版局(1997年)121頁〕。
 イスラエルの十二部族が、何時どのような過程で連合したのかは、まだよく分かっていない。モーセに率いられた民が、シナイ半島を通り、カナンの南部に到達した頃、おそらくは、カデシュ・バルネアあたりで、ユダ族、レビ族、ルベン族、エフライム族など幾つかの部族の間で最初の連合契約が結ばれたのではないかとも想定される。カデシュ・バルネアは、当時のツインの荒れ野の南部にあたり、シナイ半島における現在のイスラエルとエジプトの国境線のちょうど真ん中になる(民数記13章26節/同20車1節/同27章14節/申命記2章14節などを参照)。十二部族全体の連合はカナン定着以後のことであろう。部族連合はイスラエル共同体の特徴の一つで、この連合は後に南北の二王朝に分裂する原因ともなった。モーセは、部族ごとの祖霊信仰を克服して、ヤハウェの下に、この連合を成功させたと考えられる。共同体内の平和と結束を固くすると同時に、部族同士の連合によって、複数の部族から成る集団を一つの宗教理念のもとにまとめることに成功したモーセの功績は大きい。
 モーセ律法も連合契約も古代オリエントの契約関係を反映しているが、モーセの場合は、国家間の条約ではなく、王と民との支配と被支配の関係に基づくものでもなく、ヤハウェ神と共同体との間の契約に基づく律法共同体である。だから、契約遵守と契約違反に対しては、神からの祝福あるいは逆に呪いが伴う。古代国家間の条約でも誓約に伴う神からの祝福と呪いが語られているが、モーセ律法では、それがより直接に神と民との関係で理解されているから、契約違反は「神への背き」となる〔ポール・ジョンソン『ユダヤ人の歴史』(上巻)阿川尚之・他訳。徳間書店(1999年)63〜64頁〕。
 十二部族連合は、イスラエルの過越祭と密接に関連している。.イスラエル最古の「過越祭」には、宗教的な連合とヤハウェによる王権の即位更新を祝うという二重の意図がこめられていた。過越祭にかかわる伝承と祭儀について、これが、ダビデ王朝時代の国家祭儀に基づく「後代の創出」であるとする説がある。このような見解は、宗教的な祭儀が、自然神話から歴史化されて「進化した」という前提に立つところに生じるものであるが、自然発生した宗教的祭儀を歴史の中に分解するのは適切でない。過越祭は、ヤハウェ神が、宇宙の創造者として、その即位を更新するための祭儀であった〔クロス前掲書129〜131〕。出エジプトに続いて、過越祭と密接に関係して、神と民との「契約」が結ばれたことに注意しなければならない〔クロス前掲書129〜133〕。シナイ半島での出来事を伝える伝承は、宗教連合がカナンにおいて完成する以前からの祭儀を継承していたから、十二部族連合の祭儀と出エジプトに関する祭儀とを結びつけて理解する方法は、決して不自然ではない〔クロス前掲書134〕。ィスラ工ルの宗教をあまりに「歴史化」することで、これが伝えようとしているほんらいの自然神話と自然祭儀を過小評価するのは危険である。
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