(5)ニカイア・コンスタンティノポリス信条
  コンスタンティノポリス公会議(381年)は、ローマ皇帝テオドシウス1世によって招集された。第一回ニカイア公会議に次ぐ、第二回公会議である。最後まで残った正統派の司教たち150名と、後に退場した異端派の司教たち36名とがいた〔『キリスト教大事典』434頁〕。シリアのアンティオケアのメレティオスが議長を務めたが、開会後間もなく死去したために、皇帝によってコンスタンティノポリスの司教と認められたナジアンゾスのグレゴリオスが、議長を務めることになる。しかし、この選任が問題となり、グレゴリオスは議長を辞任した。そこで、グレゴリオスを継いで、コンスタンティノポリスの司教となったネクタリオスが、三人目の議長を務めた。この会議では、アレイオス主義を異端と宣言。また、サベリウスは、単一の神が、父・子・聖霊の三様の姿を採るという「様態論」を唱えたために、「サベリウス主義」として、異端とされた。マルケロス派も、「サベリウス主義」とみなされて、異端として排除された。ただし、このコンスタンティノポリスの公会議で宣言された信条は、ほんらい、エルサレムの主教であるキュリロスが(在位348年~86年)(アレキサンドリアのキュリロスと区別)、このコンスタンティノポリスの会議で朗読したエルサレム教会のバプテスマ信条(ニカイア信条をも含む)を基にして、これにさらに聖霊について加えたものであろうと言われている〔『キリスト教大事典』775頁〕。「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」が最初に引用されたのは、カルケドン公会議でのことである〔『原典古代キリスト教思想史』(2)246頁〕。なお、英語で"Nicene Creed" と言うのは、あいまいで、第一回ニカイア会議(325年)のものと、第2回のコンスタンティノポリスの公会議(381年)のものと、これら二つの信条を総合して言う場合と、どちらか一方だけを指したりする場合があるから注意。
【ニカイア・コンスタンティノポリス信条】
 我々は唯一の神、万物を支配しておられる御父、天と地と、すべての見えるものと見えないものとの造り主を信じる。また、唯一の主イエス・キリストを〔信じる。この方は〕神の御子、御独り子であり、すべての代々に先立って御父より生まれ、光からの光、真の神からの真の神、造られた者ではなく生まれた者、御父と同一本体の者(ホモウシオス)〔であり〕、すべてのものはこの方を通して作られた。この方は、我々人間のため、我々の救いのために天より下り、聖霊と処女マリアによって受肉し、人間となられた。我々のためボンティオ・ピラトのもとで十字架につけられ、苦しみ、葬られた。聖書にあるとおり三日目に復活し、天に昇り、御父の右に座しておられる。この方は生ける者と死せる者とを裁くために栄光を帯びて再び来られるであろう。その国には終わりがないであろう。また、我々は聖霊を〔信じる〕。この方は主であり、生命の与え主である。御父から〔後のラテン語では、「御父と御子から」〕出て、御父と御子と共に礼拝され、共に栄光を帰される。この方は預言者を通して語られた。また、唯一にして、聖なる、カトリックの、使徒的教会を信じる。罪の赦しのための唯一の洗礼を宣言する。死者の復活と未来の生命とを待ち望む。アーメン。(小高毅編訳)〔『原典 古代キリスト教思想史』(2)246~47頁〕
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