(6)カルケドン信条
■ネストリオス説
 ネストリオス(381年頃~481年以降)は、シリア生まれで、シリアのアンティオキアで教育を受けた神学者である。東ローマ帝国のデオドシウス2世によって、コンスタンティノポリスの総主教に任ぜられた(428年)。当時、イエスの聖母マリアへの称号に関して、「神の母」(テオトコス)を唱える派と、「人間の母」(アントロポトコス)を唱える派とが存在していた。428年に、ネストリオスは、「神の母」という称号に強く反対する教説を行なった。彼は、代わりに、「キリストの母」(キリストトコス)と呼ぶことを提案して双方の和解を図ったのである。「神の母」という称号は、キリストの人間性を危うくすると考えたからであろう。ところが、アレクサンドリアの司教キュリロスは、ネストリオスに反対し(429年)、両者は、当時のローマ教皇ケレスティヌス1世に訴えたから、430年に、ローマ教会会議が開かれた。その結果、ネストリオスが断罪された。しかし、彼は、東ローマの皇帝テオドシウス2世に訴え、エフェソス公会議が開かれた(431年)。そこでも再度断罪され、彼は、上エジプトに追放され、そこで没した。
■エウテュケス説
しかし、上記の問題は、「神の母」を主張するアレクサンドリアのキュリロスを強く支持するエウテュケス(コンスタンティノポリス郊外の修道院長)と、これに反対するドリュライオン(現在のトルコ中部で当時のフルギア州にあたる)のエウセビオスとの間で再燃した。とりわけ、エウテュケスは、ナザレのイエスの人間性を否定して、キリストの神性を極端に主張する「キリスト単性論」を唱えた。その結果、448年に、コンスタンティノポリス司教会議が開かれた。今度は、逆に、エウテュケスが異端と宣告された。しかし、エウテュケスは、支援者の助けを得て、テオドシウス帝へ進言して、449年に、再度エフェソ公会議が開かれた。先のコンスタンティノポリスの司教会議の議長であったフラウィアノスも、ローマ教皇レオ1世からの「レオの教書」を得て、これに備えていた。しかし、ここでの会議は「エフェソ盗賊会議」と呼ばれ、怒号と混乱の中で「神の母」説を唱えるエウテュケスの正統性が認められた。これに反対した司教たちは、会場に乱入した兵士や修道士たちの威嚇と暴力によって署名させられた。フラウィアノスは、「レオの教書」を朗読することもできないままに、殴る蹴るの暴行を受けて追放され、その三日後に死去している。ドリュライオンのエウセビオスは、ローマに逃れて、西ローマ皇帝ウァレンティニアヌス3世と東ローマ皇帝の姉プルケリアの助けを求めた。〔『原典古代キリスト教思想史』(2)406~410頁参照〕〔『キリスト教大事典』参照〕
■カルケドンで公会議
 ところが、450年にテオドシウス帝が突然死去すると、東ローマ帝国では、プルケリアが実権を握り、451年に、コンスタンティノポリスの東側の対岸にあるカルケドンで公会議が開かれた。およそ600名の司教たちが、北シリアのアンティオキア学派(エウテュケス説に反対)と、エジプトのアレクサンドリア学派(エウテュケス説を支持)とに分かれて論争したが、会議は難航し、10月の第5回目の会議で、ローマ教皇レオ1世の使節に強要されて草案が作成された。第6回目の会議で、東ローマの皇帝マルキアヌスとプルケリアの臨席のもとで、最終的にネストリオスとエウテュケスとに対する異端が宣告された。ただし、ネストリオスへの「異端宣告」に関しては、現代でも、その正統性について、評価が分かれている〔『キリスト教大事典』(教文館)239~40頁〕。 このカルケドン信条には、最初のニカイア信条以来のすべてが総合されているから現在のプロテスタント教会では、この信条を「正統」とすることが多い。
【カルケドン信条(本文のみ)】
我々は皆、聖なる教父たちに従い、心を一つにして、次のように考え、宣言〔信仰告白〕する。我らの主イエス・キリストは唯一かつ同一の御子である。この同じ方が神性において完全な方であり、この同じ方が人間性において完全な方である。この同じ方が真の神であり、また理性的な魂と肉体から成る真の人間である。この同じ方が神性において御父と同一本体の者(ホモウシオス)であり、かつまた人間性において我々と同一本体の者(ホモウシオス)である。「罪を犯されなかったが、あらゆる点において、我々と同じである」(へブ四・15)。神性においては、代々に先立って御父から生まれたが、この同じ方が、人間性において、終わりの日に、我々のため、我々の救いのために、「神の母」(テオトコス)なる処女マリアから生まれた。この方は唯一かつ同一のキリスト、主、独り子として、二つの本性において混合されることなく、変化することなく、分割されることなく、分離されることなく知られる方である。このように合一(へノーシス)によって二つの本性の相違が取り去られるのではなく、むしろ双方の本性の固有性は保持され、唯一の位格(プロソーポン)、唯一の実体(ヒユポスタシス)に共存している。この方は二つの位格に分けられたり、分割されたりせず、唯一かつ同一の独り子なる神の御子、言(ロゴス)、主イエス・キリストである。
〔異端宣告文〕
従って、あらゆる点でことごとく、入念に細心の注意を払って我々がこのように表現した後、聖なる普遍的司教会議が宣言したのであるから、これとは別の信仰を表明したり、書き述べたり、考えたり、教えたりすることは何人にも許されない。・・・・・
(小高毅訳)〔『原典 古代キリスト教思想史』(2)412~413頁〕
                 三位一体の信条集へ