(7)トレド信条
400年から702年にかけて、スペインのトレドでは、18回の教会会議が開催されている。第三回トレド教会会議(589年)は、西ゴート族のレカレド王によって召集された。王は、父の神をキリストの上に位置すると説くアレイオス主義から、カトリックの正統信仰へと導かれて、カトリックの教会に受け入れられた人である。会議は、セビリヤの司教で、王の叔父にあたるレアンデルが主宰した。8名のアレイオス派の司教を含む62名の司教と、5名の代表が参列した。数々の異端排斥が裁決された。下記のラテン語の信条は、この会議の中で、レカレド王が、信仰告白として朗唱したものである。ところが、文中の「御父と御子から」("a Patre et a Filio")とあるところは、ナルボンヌの司教セルヴァの主宰による第六回トレド教会会議(638年)では、聖霊の発出に関する箇所が、「聖霊は生まれたものでも造られたものでもなく、御父と御子から("de Patre Filioque")発出された方、双方の御霊であられる」(小高毅訳)と改められている。「フィリオクエ」をあえて意訳すれば「御父子から」となるであろうか。しかし、聖霊の発出についてのこの変更は、ラテン系の西方教会(ローマカトリック)の神学的な伝統を反映するものであったから、ギリシア・ロシア系の東方正教会は、これを受け容れず、東西の教会が分離する原因の一つになった。〔小高毅編『原典 古代キリスト教思想史』(3)508〜511頁〕〔『キリスト教大事典』(教文館)766頁〕
【レカレド王の信条】
御父がおられることを我々は信仰告白する。〔御父は〕ご自分にとって共に等しい方であり、共に永遠の方である御子を、ご自分の実体 (substantia)からお生みになられた。生まれた方と生む方とは同一の方ではなく、生む方である御父と、生まれた方である御子とは、位格(ペルソナ)によって別々の方であられるが、双方が唯一の実体の神性によって実在される。御父、この〔御父〕に御子は由来されるが、〔御父〕ご自身は他の何ものにも由来されない。御子は御父に負っておられる(debeat)が、初めもなく、減少もなく、その神性の内に実在される。御父と共に等しい方、共に永遠の方だからである。同様に、聖霊が御父と御子から(a Patre et a Filio)発出し、御父と御子と共に唯一の実体に属する方であることも我々によって信仰告白され、宣言されなければならない。三位において聖霊の位格(ペルソナ)は第三のものであられるが、御父と御子と共に神性の共通の本質(essentia)を有しておられる。実に、この聖なる三位はひとりの神、御父と御子と聖霊であられ、その善性によって、すべての被造物は善いものとして形成されたのではあるが、御子によって人間の外形(humani habitus formam)が受け取られたことを通して、断罪された末裔から古(いにしえ)の至福へと我々は変えられるのである。