3章 ヴェーダの神々

■ヴァルナの遍在と全知
  アーリア民族が伝えた最古の宗教文献は「ヴェーダ」と呼ばれ、これがバラモン教徒の最も重要な聖典である。現在に遺るヴェーダは、「リグ・ヴェーダ」「サーマ・ヴェーダ」「ヤジュル・ヴェーダ」「アタルヴァ・ヴェーダ」の四つの聖典から成り立っている。ヴェーダ聖典全体が成立するのは、前1200年頃~前300年頃という長期間にわたり、これらの聖典を通時的(時系列)に見ると「サンヒター」「ブラーフマナ」「アーラニヤカ」「ウパニシャッド」の四つに分類される〔『岩波仏教辞典』55頁〕。ただし、時系列の文書は、ヴェーダ聖典に付属する形で形成されており、例えば、後期の「ウパニシャッド」は、ヴェーダとは別個の文書として訳されている。だから、四つのヴェーダ聖典と時系列で見る四つ諸聖典との相互関係は、わたしにはよく分からない。以下では、ミルチア・エリアーデの『世界宗教史』(Ⅰ)第9章「ゴータマ・ブッダ以前のインド-----宇宙的供犠からアートマン・ブラフマンの至上の同一性まで」(243~280頁)を参照しつつ、主としてヴェーダ聖典からの引用によって、その内容を概観したいと思う。
(1)もろもろの世界の大いなる統治者は、あたかも側近くに居る如くすべてを見透す。
 密かに行おうと思う人をも神々はすべてを見知っている。
(2)人が密かに立ち歩み動くとも、密かに伏し起き上がるとも、二人の人がささやき合うとも、王なるヴァルナは、三人目の人が側にいる如く知る。
(3)大地もまた王なるヴァルナの所有。両端が遠く離れた天空もまた同じ。
ヴァルナの腰は大洋であり、その小さな滴にも彼が宿る。
(5)王宮のヴァルナはすべてを見透す。天も地も、天地を超えたところも。人の瞬(まばた)きをも数え、賭け事をする者がサイコロを振る時も、ヴァルナがすべてを定める。
(6)ヴァルナよ。あなたの命運の罠は、三重に拡がり、七の七倍も拡がる。
 偽りを言うすべての人を捕らえ、真実を語るすべての人を解き放つ。
 〔『アタルヴァ・ヴェーダ』4巻16篇より〕 〔以下の英訳より重訳。Internet Sacred Text Archive:Hinduism:The Vedas:The Hymns of The Atharvaveda. Book IV.16. Translated by Mourice Bloomfield (1897). 〕
 ヴェーダの聖典では、ヴァルナは至上神で、世界をも神々をも人々をも支配する。彼は天空の神として宇宙の支配者であり、全知で無謬の恐るべき絶対者である。罪人を縛る呪術力を具え、同時に、人を解放もする。人はこの「ヴァルナの縄」から逃れることができず、縛られたものすべては「ヴァルナのもの」となる。ただし、ヴァルナは、ヴェーダ時代から、すでにその地位をインドラのような英雄に譲り、次第に「閑な神」へと祭り上げられることになる。
 ヴァルナが定めた法は「リタ」と称され、宇宙のリズムも創造も破壊も、このリタによって生じる。「リタ(法)」は世界の秩序であり、宇宙的で、典礼的で、道徳的な秩序である。だから、ヴァルナは「リタの王」であり、その規範は真理と呼ばれる。ヴァルナには呪術性が具わっているから、秩序であると同時に「マーヤー(変革)」をも司る。マーヤーには善と悪の二面があり、宇宙を創造する変革と同時に、太陽の運行を妨げたり、水の流れを留めるなど、創造的な変容と悪魔的な変容の両面を具えている。このために、ヴァルナは「アヒ蛇」とも「ヴリトラ(竜)」とも同一視された〔エリアーデ『世界宗教史』(1)225~27頁〕。
■天地両神(ディアーヴァ・プリティヴィー)
(1)実にこれら天地両神〔ディアーヴァ・プリティヴィー〕は万物を守り、詩宗(太陽)を維持する。麗しきものを生む・神聖なるこの両界のあいだを、清浄なる神太陽は、規範に従って進む。
(2)広く拡がり、偉大にして尽きることなき父と母と(天地)は、万物を保護する。天地両界はいと奔放なり、美しき婦女の如く。父(なる神)が色美しき形をもって彼らを装いたれば。
〔『リグ・ヴェーダ賛歌』1巻160篇より。辻直四郎訳/岩波文庫(1970年):以下、インターネット以外の『リグ・ヴェーダ讃歌』からの引用は、この訳による。〕
 ヴェーダ賛歌においては、アーリア人によるインドのアーリア化が、旧約聖書のような歴史的過程としてではなく、混沌から秩序を創造する世界の創造神話として語られる。
 インド・ヨーロッパ諸民族の神は、天の神「ディアウス」であったが、ヴェーダ賛歌では、これが自然の「天」を指す用語であるから、神名としてのほんらいの「ディアウス(天)」ではない。したがってディアウスはヴェーダの祭祀(さいし)には出てこない。ただし、「天なる父」(ディアウスピタル)へは祈りが献げられていて、母なる大地(プーミ)と共に「天地両神」として賛歌に現われる。ヴェーダ賛歌では、ディアウスはその至上の賛美を「ヴァルナ」に譲ったと考えられる。「ヴァルナ」は「アスラ」とも呼ばれ〔『リグ・ヴェーダ賛歌』2巻28篇7節〕、最古の神々、すなわち原初の神々に属する。だから、ヴァルナは、アーリア人侵入以前の原住民の神だとは必ずしも言えないが、土着の神々の呪術力を受け継いでいると見ていいであろう。また、ほんらい天の神であったディアウスは、「ディアーヴァ・プリティヴィー(天地両神)」としてその名残を留めることになる。「天なる父」に対して、大地の女神(プリティヴィー)への賛歌は、短い小篇がひとつだけである〔『リグ・ヴェーダ賛歌』5巻84篇〕。
■アスラの歌
 征服者の物語と被征服民の原神話との関係は、たとえばギリシア神話のゼウスが、旧来のティタンたちを征服し滅ぼしたのとは異なっている。インド成立以前の旧来の原住民の神々も、以下のアスラの詩のように、聖なる存在として、それなりに恐れられ敬われているからである〔エリアーデ『世界宗教史』(1)224頁〕。
 
(1)工匠(たくみ)の〔車輌におけるが〕ごとく、われは霊感の詩(賛歌)に思いを凝らせり、いみじくも軛(くびき)をつけ・勝利の賞を勝ち得る駿馬(しゅんめ)のごとく跳躍しつつ。いとしき太初の〔出来事〕もとくと触れつつ、叡智すぐれたる者として、われらは欲す、太古の詩人たちにまみえんことを。
(5)年たけたる牡牛(アスラ)は最初に産めり。これら彼の獲物は多し。天の双児よ、(正しき)配分の考慮により、汝等(両神)は、両王(両神)よ、遙かなる日(太古)より支配を行なう。
(10)われら願わくば、幸福のため、寛容なるインドラをこの戦闘において呼ばんことを、勝利の賞の獲得において最も勇敢なる彼を、われらに耳を傾け、合戦において援助のために強力なる彼を、敵の殺戮者、財宝の獲得者たる彼を。
       〔辻直四郎訳『リグ・ヴェーダ賛歌』3巻38篇より〕
 1節に出てくる詩人は、単に詩を作るだけではない。彼はその霊感を通じて、宇宙の創造原理と合体し、創造の行為それ自体に携わるからである。宇宙の根本原理から発する祈祷/呪文(ブラフマン)が、その言語(ヴァーチュ)となり、祈祷によりブラフマンを具現する者(ブラスマナス・パティ)となり、これを詩人(カーヴィ)が記すことになる。これらの祭祀行為においては、祈祷とその言語と祈祷するものとこれを記す詩人、これら4者の関係は定かでなくなる〔『アタルヴァ・ヴェーダ賛歌』4巻1篇「ブラフマンの歌」〕。
 5節では、牡牛にたとえられるアスラとこれに関連する神々が、最古の神々一族を構成している。後期のヴェーダでは、アスラたちがインドの神々と対抗したことが語られている〔エリアーデ『世界宗教史』(1)223頁〕。
 10節は、火の神アグニが、神々の英雄インドラの招きによって、敵を焼き尽くして浄化する火となって、インドラと神々が、アスラたちと闘って勝利したことをうかがわせる。しかし、ここでのヴェーダ賛歌は、アスラを必ずしも敵対する存在とは見ていない。むしろ、アスラこそ天と地の両神を産みだした原初の神的存在であると謳(うた)っている。アスラは、ヴェーダ賛歌で重要な呪術にこの上なくすぐれていると見なされているから、アスラたちを、アーリア化する以前の土着の神々だと限定することはできない〔前掲書〕。
■窮極の原理ブラフマン(梵)の弟子
 『アタルヴァ・ヴェーダ』は、ヴェーダの中でも比較的後期に成立したが、それでも、前1000年頃という想定もあるから〔『アタルヴァ・ヴェーダ讃歌』辻直四郎訳(岩波文庫1979年)251頁〕、釈迦の誕生よりはるか以前である。内容的には、後期のバラモンの教えを伝えているとされるが、古い『リグ・ヴェーダ』を継承している部分も少なくない〔前掲書251~52頁〕。以下では、太陽が、宇宙の窮極の原理ブラフマンの「弟子」として言い表わされるが、この宇宙的な師弟関係は、バラモン社会での師弟関係に対応している。
 
(1)ブラフマンの弟子(ブラフマカーリン)は、世界の両半球を育みつつ動く。彼にあって神々は調和する。彼は天と地を掌握し、その師を創造の熱(タパス)で満たす。
(2)父祖たちも神性の民もすべての神々も、それぞれにブラフマンの弟子に従う。グランドハールヴァス(?)、6333人も彼の後を追う。彼はすべての神々を創造の熱で満たす。
(3)師ブラフマンが、弟子(ここでは太陽)を自分の弟子として受け容れる時、彼はその弟子を自分の体内の胎児とする。彼は弟子を自分の腹に三晩の間宿す。弟子が生まれると、神々は弟子を見に集まる。
(4)この大地は、彼(ブラフマンの弟子=太陽)の最初の薪であり、天は2番目で、彼は天球をもまた第三の薪で満たす。ブラフマンの弟子はもろもろの世界を彼の薪で満たし、彼の帶、彼の禁欲、彼の創造の熱で満たす。
(5)霊の昂揚(ブラーフマ)に先立ち、ブラフマンの弟子が生まれた。創造の熱による熱をまとい彼は生まれた。彼からブラフマンの生命(ブラーフマナム)と至高の昂揚(ブラーフマ)が湧き起こり、神々は不死(アムリタ)を伴って集う。
  〔『アタルヴァ・ヴェーダ』11巻5篇より〕〔以下の英訳より重訳。Internet Sacred Text Archive:Hinduism:The Vedas:The Hymns of The Atharvaveda. Book XI.5. Cosmogonic and Theosophic Hymns. Translated by Ralph T.H. Griffith (1895). 〕
 「ブラフマン」は漢語で「梵(ぼん)」と訳され、古代インドでは、宇宙の窮極原理と見なされた。「ブラフマン」とは、ほんらい呪文と祈祷の言葉であり、その祈祷に宿る神秘な力をも表わす用語である。古代インドでは、呪文と祭祀による祈祷が万能だとされ、これらの諸祈祷こそが神々を左右する原動力だと見なされた。「ブラフマン」に宿る霊力は、宇宙を創造する根本原理であり、この原理が、人の個体原理(アートマン)と合一するところに「梵我一如」が生じる。後にはブラフマン=アートマンのこの合一こそが、人間存在の窮極の目的と見なされるようになった。「ブラフマン」は、ほんらい中性の哲学原理を意味したが、後には男性化されて「ブラフマー」(梵天)と称されるようになった〔『岩波仏教辞典』744頁〕。
 古代インドでは、祭儀は個人にかかわる祭祀と公的祭祀とに分かれていた。個人的な祭祀では、先ず「ウパナヤナ」(浄法/聖別)が重要で、これは子供が一定の年齢に達すると行なわれる入門の通過儀礼である(先の第一の住期に相当)。引用の3節では、「師ブラフマンが弟子を自分の弟子として受け容れる時、彼はその弟子を自分の体内の胎児とする」とあるが、ブラフマンと太陽の師弟関係が、バラモン社会での師弟関係にも反映するから、「師は弟子を自分の腹に三晩の間宿す」(3節)とある。人は両親から一度産まれ、次にバラモンの身分となるために、ウパナヤナを経過して二度目に誕生する。この誕生は霊的な意味であるが、生みの親よりも師匠となるバラモンのほうが真の父親である。なぜなら、この誕生は、「不死」への誕生だからである。生まれた弟子は、弟子の間は規律を守り、師匠と自らのために托鉢と純潔を実践する〔エリアーデ『世界宗教史』(1)244~45頁〕。
 公的祭祀は神官によって執り行なわれた。祭祀において執り行なう様々な呪文(病気癒やし/敵や悪霊への呪詛/男女間の愛を得る呪い/国王への祈願など)では、祈祷において到達する霊的な昂揚(ブラーフマ)によってエクスタシーに到達し、これによって宇宙創造の根源(ブラフマン)に到達し、この宇宙原理(ブラフマン)と個我(アートマン)が合体するところに、人間の最高の存在があり、これが窮極の目的とされていた。
■ミトラの歌
(1)契約の名にし負うミトラ(契約)は、人々をして互いに合意せしむ。ミトラは天と地を支える。ミトラは瞬きせず、諸民を見守る。
(2)ミトラよ、掟に従い汝に奉仕する人は卓越してあれ、栄養に富む者として、アーディティア(ミトラ)よ、汝が支援を受ける者は殺されることなく、克服されることなし。
(5)偉大なるアーディティア(ミトラ)は、頂礼(ちょうらい=五体投地)をもて近づくべし。彼は人々をして互いに合意せしめ、讃歌者にはなはだ仁滋なり。最も賞賛に値するこのミトラに、彼の好むこの供物を火中に献げよ。
     〔『リグ・ヴェーダ賛歌』3巻59篇より。辻直四郎訳(岩波文庫)〕
 ヴァルナは、次第に「閑な神」へと祭り上げられた。しかし、ヴァルナに具わる「相反する者の結合」としての属性は、「法」を意味する「リタ」として影響を与え続けた。「リタ」と並んでヴァルナに具わる属性には、さらに「アーディディア」がある。アーディディア神群は、ほんらい「脱皮する蛇」の隠喩で表わされる。蛇とは「火」であり「光」であるが、火と光の属性は、脱皮する以前の暗黒の状態にあっては、まだ露わにされない潜在的な火であり光である。言い換えると、「蛇の知識」とは、その最初の暗黒状態においては「悪魔的な」性格を有していたことになる。ミトラは、ヴァルナの主権に具わる属性を具現するもので、人格化された「契約」という姿をとる。ミトラ神の契約は、人間同士の約束を守らせる。太陽はミトラの目であるから、何ものも彼の目を逃れることができない。ミトラは変革するヴァルナと対になって、ミトラ=ヴァルナとして相互補完的に祈願される。ミトラ=ヴァルナは、至上の神性を言い表わすだけでなく、対立し敵対する二つの対(つい)関係や相互補完性への規範になる〔エリアーデ『世界宗教史』(1)228~30頁〕。これに対して、アーディティアは、「縛られないもの」を意味し、宇宙と大地の広がりと自由を表わす。この女神は、太母として、その広大な自由性を彼女の息子の神々へ伝える〔前掲書230頁〕。契約の神ミトラも自由の女神アーディティアも、ヴァルナの属性の一部でありながら、ヴァルナと対照されたり相互補完関係におかれるところに、ヴァルナのとらえがたい多様性がある。
■闘いと創造の英雄インドラ
(1)われ今宣(の)らん、インドラの武勲(の数々)を、ヴァジュラ(電撃)手に持つ(神)が、最初にたてしところの。彼はアヒ(蛇=ヴリトラ)を殺し、水をうがちいだし、山々の腹を切り裂けり。
(2)彼は山にわだかまるアヒ(蛇)を殺せり。トゥヴァシュトリ(工匠神)は彼のために鳴りひびくヴァジュラを造れり。鳴きつつ(仔牛のもとに赴く)乳牛のごとく、水は流れて、速やかに海に向かって落下せり。
(4)インドラよ、汝が蛇族の初生児を殺せしとき、しかして幻力に富む者(悪魔たち)の幻力を挫折せしめたるとき、そのとき太陽・天界・暁紅(ぎょうこう)を出現せしめ、爾後(じご)汝は実に敵対者を見出さざりき。
(6)酔いしれし似非(えせ)武者のごとく、実に彼(ヴリトラ)は、強く威圧するソーマの痛飲者で大豪の勇士(インドラ)に挑戦せり。彼(ヴィリトラ)は彼(インドラ)の武器の衝撃に堪えざりき。インドラを敵とするものは、鼻(または顔面)をひしがれて、粉砕せられたり。
        〔『リグ・ヴェーダ賛歌』1巻32篇より〕
 インドラは、ヴェーダ讃歌の中で最も数多く讃えられるインド誕生の英雄である。彼は「活力(年齢)も同じ、血統も同じのマルト神群」〔同1巻165篇1節〕を従えている。彼はソーマ酒を痛飲し、精力に溢れて、雷撃ヴァジュラを用いて敵を倒す(ギリシア神話でティタン族を雷撃で攻撃したゼウスと類似する)。彼の敵「黒色のダーサ(原住民)」(『リグ・ヴェーダ讃歌』2巻12篇4節)も手強い抵抗を試みるが、「勝利の力を具え戦塵を捲き起こすインドラ」(同4巻42篇5節)によってダスユ(原住民)は殺戮される(同2巻12篇10節)。インドラはその英雄的な偉勲によって、インドのアーリア化を達成しただけではない。彼は、その技を通じて、天と地と太陽を出現させ、何よりも悪魔たち(原住民)によって閉じ込められていた水を解放して、牛が鳴くように水を流れ出させた。彼によって「リタ(定則/法)」もその基礎が定まった(同4巻23篇8節)。こうしてこの英雄は、ついに「インドラ・ヴァルナ」(同7巻82篇1節)と称され、「天も地も彼に頂礼(五体投地)する」(同2巻12篇13節)ところまで崇められる。インドラの神話は、アーリア人が原住民ダスユたち(蛇のヴリトラ)と持続的に闘い、彼らを殺すことで世界の再生を果たすという宇宙的、歴史的、自然主義的な観点から語られているのが分かる〔エリアーデ『世界宗教史』(1)233頁〕。
■火の神アグニ
(1)アグニをわれ呼び讃える。先頭に立てられたる者(司祭官)、神なる祭祀の執行者、最も多く財宝をもたらすホートリ祭官として。
(4)アグニよ、汝があらゆる方面より包囲する(保護する)祭祀と祭事のみ、神々のもとに到達する。
            〔『リグ・ヴェーダ讃歌』1巻1篇より〕
 火は太古から家の炉においても崇拝された。火が放つ光と輝きは太陽と結びついて賛美と崇拝の対象とされたからである。神々への献げ物、特に生き物の献げ物は、火で焼かれるから、火は神に仕える神官の祖として最大の神官であり、祭祀の執行者自体である(『リグ・ヴェーダ讃歌』1巻1篇1節)。アグニ讃歌が、『リグ・ヴェーダ讃歌』の冒頭におかれるのはこのためである〔エリアーデ『世界宗教史』(1)234頁〕。
 火は木々の摩擦によって生じるから、樹の中など自然にも宿ると見なされ(『リグ・ヴェーダ讃歌』5巻11篇6節)、さらにはアグニは原初の水にも入り込んで、水を受胎させ、水の胎内から成長する「美しく輝き幸多き水の子アグニ」(同3巻9篇1節)と見なされた〔エリアーデ前掲書235頁〕。アグニはまた「風に煽(あお)られ家畜の群れの中で勝ち誇る牡牛のように」(『リグ・ヴェーダ讃歌』1巻58篇5節)、「不老のアグニは貪り食らわんと叢(くさむら)に立つ」(同1巻58篇1節)恐ろしい力ですべてを食いつくす。だから、火は「羅刹の殺戮者」(同10巻87篇1節)であり、「アグニよ、邪術師の皮膚を破れ、殺傷する電撃は激烈な火力をもって彼を殺せ」(同10巻87篇4節)とある。「生肉を食べる者どもを根元から焼き尽くせ」(同10巻87篇19節)とあるのは、おそらく敵対する未開の原住民への呪詛であろう。こうしてアグニは、疫病や悪霊だけでなく、敵をも焼き尽くして滅ぼす力として崇められた。
 アグニへの祭儀「アグニホートラ」(祭り火への奉献)は、明け方と夕暮れに行なわれ、アグニへ牛乳の奉献が行なわれる〔エリアーデ前掲書245頁〕。アグニ神はさらに、精神性へと高められ、宇宙の根本原理の一つとされ、「詩神アグニは詩的霊感をもてわれらを囲み守れ」(『リグ・ヴェーダ讃歌』10巻87篇21節)とあるように、インドの宗教と精神において最重要な地位の一つを占めるようになった〔エリアーデ前掲書235頁〕。
■ソーマ神の「不死」の酒
(1)陰陽両根(?)の如く、圧縮の両器具(臼と杵?)の調えられたところ、そこに汝は、インドラよ・・・・・
(7)祭祀により財宝をもたらし、最も多く勝利の賞をうる両者(臼と杵)は実に、口を広く上方に開く、ソーマの茎を噛み砕く。インドラの二頭の栗毛の如く。
                〔『リグ・ヴェーダ讃歌』1巻28篇より〕
(1)われ賢者として、甘美なる活力に与れり、好意に富み、最も広渊なる空間〔自由〕を見出す〔ソーマ〕に。一切の神々も人間もこれを求めて集まる、それを蜜と称えつつ。
(3)われらはソーマを飲めり、われらは不死となれり。われらは光明に達したり、われらは神々を見出せり。今や敵意われに何をなし得ん。人間の悪意なにをかなし得ん、不死なる神(ソーマ)よ。
(4)飲まれたるとき、インドゥよ、われらが心に幸福をもたらせ、父の息子に対するがごとく、ソーマよ、慈愛深く、友人の友人に対するが如く、その称賛の遠く達する神よ、思慮深く。われらの寿命を、ソーマよ、長からしめよ、われらの生きるために。  〔『リグ・ヴェーダ讃歌』8巻48篇より〕
(1)最も甘美にして・最も陶酔を催す奔流(ソーマの流れ)によりて清まれ、ソーマよ、インドラの飲まんがために搾られて。
(2)羅刹(悪魔)を殺し・万民に知られる彼(ソーマ)は、金属(斧)もて調えられたる母胎(槽)に向かい、木にて作られたる座(槽)につけり。
(3)広き空間(行動の自由)の最もよき授与者たれ、最も寛仁なる者、最も勝れたるヴリトラ(悪魔/敵)の殺戮者たれ。寛裕(かんゆう)なる者たち(庇護者)の恩恵を誘発せよ。
     〔『リグ・ヴェーダ讃歌』9巻1篇より〕
 「ソーマ」への讃歌は、主として『リグ・ヴェーダ讃歌』9巻で献げられている。ほんらいは、インド・ヨーロッパ諸民族の飲み物であった蜂蜜酒に由来すると思われるが、『リグ・ヴェーダ讃歌』の「ソーマ」酒は、「ソーマ」と称される植物に由来し、この植物の茎を石で叩き、圧縮して得た液を羊毛の篩(ふるい)で漉(こ)して、木製の槽(おけ)に注ぎ、水を加え、牛乳を加えて醸造した酒で、これを飲むと興奮と昂揚を引き起こしたから、宗教的なエクスタシーや詩人の霊感の素とされた。ただし、ソーマは次第に入手が困難になったために、代用物が使用されるようになったから、ほんらいのソーマがどのような植物であったか明らかでない〔辻直四郎訳『リグ・ヴェーダ賛歌』102頁〕。この酒は、とりわけインドラの好む者とされ、インド・アーリア人にとって「ソーマ」は不死(アムリタ)の飲み物を意味する〔エリアーデ『世界宗教史』(1)236~37頁〕。
 「ソーマ」の製造過程それ自体が、宇宙的、生物的な用語で隠喩的に語られており、臼と杵を用いた圧縮は性的な結合と同一視されている。「直路に飛ぶ鷲は、彼(ソーマ)を高き天の背より、インドラの信者がもとにもたらせり」(『リグ・ヴェーダ讃歌』4巻27篇4節)とあるように、古来知恵と思慮を表わす鳥、特に鷲がこの妙酒をもたらしたとされている。この酒は、寿命を延ばし、戦士の勇気を鼓舞し、性力を強め、病気を癒やす「身体の保護者」(同8巻48篇9節)であるだけでなく、その最も重要な働きはエクスタシー効果にあったと思われる。これがもたらすエクスタシーは、生命の充実と限りなき自由によって、「五種族(人類全体)は、一顧の値すらなくわれに見えたり」(同10巻119篇6節)というところまで人を神々に近づけ、不死をもたらす。
 「ソーマ」は古代インドの祭儀において重要な役割を占めていた。ヴェーダ祭儀では、先に述べたアグニホートラ(祭り火への奉献)のほかに、満月と新月のための供犠や季節の儀礼(チャートゥルマースヤ)、初物を神々に献げる儀礼(アーグラヤナ)などがある。ソーマ祭儀は、中でも最も重要で、1日限りの祭儀もあれば12日間続くソーマ祭儀もあった。ソーマ酒神は、ヴェーダの神々では三番目の神として現われる。このために、この酒は一部の供犠執行者だけに限られていたのであろう〔エリアーデ前掲書236~38頁/245頁〕。ソーマの効用性とその機能は後に衰えるが、これがもたらす絶対自由探求のエクスタシーは、その後のインドの精神と哲学に大きな影響を与え、ソーマ神が体現するエクスタシー体験は、ソーマがもたらす供犠の意義と共に、インドの宇宙論と瞑想とヨーガ(実践)の技法に大きな影響を与えた〔エリアーデ『世界宗教史』(1)239頁〕。
■ヴィシュヌとシヴァ
(1)われ今宣(の)らん、ヴィシュヌの勲業(いさおし)を。彼は地界を測れり、最高の居所(天界)を支えたり、歩幅広き神は三重に闊歩して。
(4)彼の三歩は蜜に満ち、尽きることなく、自己の本性に従って陶酔す。彼はひとり三界(天と地と地下)を支えたり、一切万物をも。
(6)汝ら両神(インドラとヴィシュヌ)の住居のあるところに、われら至らんと欲す。角多く・弛(たゆ)むことなき牛群(おそらく星の群れ)のあるところに。実にそこに、牡牛なす・闊歩の神の最高歩は、光りゆたかに下界を照らす。
          〔『リグ・ヴェーダ讃歌』1巻154篇より〕
(4)われら誤れる頂礼(ちょうらい・五体投地)もて汝を怒らせることなかれ。ルドラよ、拙(つたな)き称賛により、また他神と共同の勧請(呼び求め)によりて、牡牛なす神よ。なが医薬もてわれらがすぐれたる男子を起立せしめよ。聞くならく、なれこそは薬師(くすし)の中にて最勝の薬師なれと。
(10)ふさわしや、なれが矢と弓とを担うこと、ふさわしや、なれが、一切の形相(ぎょうそう)をもつ・尊敬すべき・黄金の装飾を帯びること。ふさわしや、なれが一切の怪異を消滅せしむること。ルドラよ、汝より強きものは存在せず。
               〔『リグ・ヴェーダ讃歌』2巻23篇より〕
 ヴェーダの神々の中では、次第にその重要性が失われていく者たちと、逆に、後代になって重視されてくる神々とがある。このあたり、インド・アーリア人の造神話(myth-making)の高い能力を示すものであろう。衰え行く前者の神々としては、天の娘で暁(あかつき)の女神ウシャス、風と息の宇宙霊ヴァーユ、雨と雷神のパルジャ、太陽神スーリア、牧神で死者の道案内のプーシャン、ディアウスの息子たちアシュヴィン(ナーサティア)、ルドラの息子たちのマルト神群などがこれにあたる〔エリアーデ『世界宗教史』(1)239~40頁〕。
 これらに対して、後世に重要性を増すのが、ブラフマ(創造)とヴィシュヌ(繁栄)とシヴァ(破壊)で、これらは「三神一体」とされている。それぞれの特徴を表わす語を( )で付したが、実際は、これほど単純ではない。特にシヴァ神は複雑な多面性を持つが、これらの神々は、ヴェーダ賛歌ではあまり重視されていない。
 ヴィシュヌは天界の空間を押し広げ、その空間を三歩でまたいで神々の住居に至ったとされる。「汝、ヴィシュヌよ。全ての人間に及ぼす好意を、怠りなき心ばせを与えんことを。速やかに歩む神よ。多くの安寧をもって、馬よりなる多くの黄金をもってわれらを満たすために」(『リグ・ヴェーダ讃歌』7巻100篇11節)とあるように、人間に恩恵と富をもたらし、とりわけインドラの友であり闘いの同盟者である。このヴィシュヌが最高神として崇められるのは前4世紀頃とあるから〔エリアーデ前掲書240頁〕、ほぼ釈迦の頃に当たる。
 ヴィシュヌに対して、シヴァ神は、悪魔的な怒りによって、人を病気や災害によって殺す恐るべき破壊の神である。シヴァ神は、ほんらい、雷雨の神ルドラに由来するから、ルドラ=シヴァとして知られている。ルドラ=シヴァは、荒涼とした場所に住む悪魔的な力の顕現で、無秩序と予測不能な恐れを起こす。ところが、この神は、医療と幸運をももたらす神秘性を具えているから不思議である。死と同時に豊穣をももたらすこの神の起源は、今もって明らかでない〔エリアーデ前掲書241頁〕。ヴェーダの神々もアーリア社会の支配層の宗教を表わすから、シヴァ神は、これと対照的に、非アーリア社会や民間伝承から多くを取り込んでいると思われる。
                  ヴェーダの宗教