あとがき
この『知恵の御霊』は、コイノニア会の季刊誌『コイノニア』2号(1993年夏)から9号(1995年春)に連載された「『知恵』の系譜」シリーズと、雑誌『HAZAH』(ハーザー)の2002年6月号から2003年1月号までの8回にわたる連載「日本人の宣教---『知恵の御霊』の視点から」とに基づいている。『コイノニア』と『HAZAH』との連載は、どちらも「知恵の御霊」という発想で一貫している。第1講から第5講までと第11講と第12講とは、『HAZAH』に掲載されたものであり、第6講から第8講までと第10講は『コイノニア』に掲載したものである。第9講と第13講は、今回新たに書き加えた。
第13講「福音書が生まれるまで」は、洗礼者ヨハネから四福音書が成立するまでの過程を概観したものである。この部分はわたし自身にとっても謎が多く、長らくその全体像を思い描くことができなかった。読者の方々でも、案外多くの方が、私と同じ思いを抱いておられるのではないかと思い、この機会に私なりにまとめてみた。ごくおおざっぱな素描にすぎないが、それでもだいたいの輪郭は描けたのではないかと思う。もとより完全ではないから、読者の方々が、それぞれに訂正したり補ったりして、より精緻な描写に近づけるためのたたき台になれば幸いである。
私が「知恵の御霊」という発想を得たのは、季刊誌でとりあげる以前のことで、ヨハネ福音書研究の中で生まれたものである。この福音書に証しされているロゴスの先在と受肉を伴うキリスト像を追求するうちに、イスラエルの知恵思想と新約聖書で証しされている聖霊との結びつきを考えざるをえなくなった。さらに、旧新約聖書の時代をさかのぼる古代メソポタミアの宗教的霊性から、逆に聖書時代をはるかに過ぎたヨーロッパのルネサンス時代までを俯瞰するときに、そこに一貫した「知恵の系譜」を見出すことができることに気がついた。しかもその系譜が、新約聖書に証しされているイエスの御霊と深く関わっていることを知るようになった。
イエスが「知恵の教師」であったとする史的イエス像が、近頃の聖書学で語られているが、私の着想はこれに並行するものではあるが、決してこれに見習ったものではない。むしろ自分に与えられた聖霊体験に根ざすところのほうが多く、したがって、現代の史的イエス研究が唱える「知恵の教師」像とは必ずしも一致しない。とは言え、フォン・ラートの『イスラエルの知恵』やバートン・マックのThe Lost Gospel、その他の「知恵」やソフィアに関する文献に教えられるところが大きく、またグノーシス関係の著作にも啓発されるところが大きかった。「知恵」思想は、言うまでもなく、極西アジアやヨーロッパだけでなく、東アジア、特に日本においても培われてきている。こういう「知恵」の普遍性をイエスに顕れた知恵の霊性と関連づけて考えてみようとする人への何らかのご参考になれば、筆者の願いは達せられたことになる。
終わりに、『HAZAH』での連載を申し出てくださったマルコーシュ・パブリケーションの編集部の方々に、また、京都キリスト福音会の市川喜一氏に改めて御礼の気持ちを表したい。市川氏には、「イエスの先駆者たち」から「福音書が生まれるまで」の3編を書くに際して、原稿に目を通していただき、数々の貴重な助言を戴いた。なおこの出版は、マルコーシュ・パブリケーションの笹井大庸氏を始め編集部の方々のおかげで可能になったことも併せて感謝したい。
2003年5月 嵯峨野にて 著者