第4講 ヤハウェ化する御霊
サムエル記について
サムエル記(上)(下)は本来一つの書である。この書が扱うのは前1050年頃~前920年頃までで、この頃、ヤハウェの聖所はエルサレムの北方シロにあり、そこがヤハウェ信仰の中心になっていた。著者はサムエルとナタンとガドであると伝承されているが(歴代誌上29・29)、実際はさまざまな資料が、申命記史家(たち)によって編集されたと考えられる。ただしサムエル記では、人物描写がことさらに美化されることがなく、資料がそのまま活かされているから、後代の史家がどの程度これらの資料に手を加えたかは確かでない。
サムエル
サムエルは「主の預言者」として人々から尊敬されていた(サムエル上3・20)。彼はまた「神の人」とも呼ばれ(9・6)、そのすぐ後では「先見者/ローエー」(9・11)とも呼ばれている。サウルはサムエルによって王となり、ダビデもサムエルによって王に任じられた。だが彼は、ベテル、ギルガル、ミツバなどのヤハウェの聖所を巡り歩いて「裁き」をおこなっているから(7・15~16)、実際の彼の働きは、「裁き司」としての士師の役目に近かったのではないかと思われる。また彼は、民を代表してヤハウェに焼き尽くす献げ物を捧げているので(サムエル上7・9)、祭司の役目もおこなっていた。当時は、士師と祭司と預言者/先見者の区別がまだなかったから、サムエルの働きを「預言者」に限定することはできない。
少年サムエルの召命は「主の言葉が臨むことが少なく、幻が示されることもまれであった」(サムエル上3・1)時に生じた。「主よ、お話しください」(3・9)とサムエル少年が答えるのは、少年に対する祭司エリの指導が、ヤハウェの「言葉を聞く」ことに向けられていたことを示している。「主は御言葉をもって、シロでサムエルにご自身を示された」(3・21)とあるのも、彼が従来の士師や先見者であると同時に、なによりも「主の言葉を聞く預言者」としての自覚を深めていたことを表している。イスラエルが、カナンの祭儀宗教の中にありながら、直接ヤハウェの言葉を聞く預言者の時代へと移行する過程をここに見ることができる。
契約の箱
ヤハウェの「契約の箱」は祭儀的にヤハウェの臨在そのものを象徴していた。「万軍の主の契約の箱」(サムエル上4・4)が、イスラエルとペリシテとの戦場に運ばれると、ペリシテ側は大いに恐れた。ところが、このために敵は逆に奮起して、なんと契約の箱をイスラエル軍から奪ってしまう。奪われた箱は、ペリシテの神ダゴンの傍らに安置されるが、このためダゴンはうつぶせに倒れて、その頭と両手が敷居の所に落ちてしまう。ついにペリシテ側は、契約の箱を賠償の献げ物と共に返還することにする(サムエル上6・3)。これはペリシテ側が、ヤハウェをただ敵対する神と見なしていただけではないことを意味する。贈り物を添えて、敬意を持って丁重に扱っているのを見ると、当時のカナンでの宗教的な状況は、単なる宗教戦争による敵対関係だけでなく、もっと複雑な相互関係によって結ばれていたことが読みとれる。
ところが、イスラエルへ戻された神の箱は、人々の歓びというよりも驚きと畏れを引き起こす。箱は以前安置してあったシロへは戻らない。また、最初に箱を受け取ったイスラエルのベト・シェメシュの人たちは、箱を畏れて、これをキルヤト・エアリムへ転送する(7・1)。後にダビデによってそこからエルサレムへ移されるが、それも一度ではうまくいかない。ヤハウェの臨在の箱は、こうして転々と移される。カナンとそこに定住するイスラエルの民の間でも、ヤハウェの臨在は、まだ深く根を下ろすに至ってはいなかったことをこの浮動する箱は象徴している。サムエルも、毎年、ベテル、ギルガル、ミツパを巡り歩いて、イスラエルのために裁きをおこなっている(サムエル上7・16)。こういうサムエルを見ると、さまざまな部族や民族とそれらの神々が錯綜するカナンの宗教形態の中で、ヤハウェ信仰を広め、これを根付かせようと努めるサムエルの姿が浮かんでくる。
王制のはじまり
この当時イスラエルの民はペリシテの支配下に置かれていたから、この苦渋に耐えかねて民はサムエルに王を求めた。サムエルがヤハウェに祈ると「民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上にわたしが王として君臨するのを退けたのだ」(サムエル上8・7)とのお告げを受けた。そこで彼は、王がどのように苛酷な存在かを民に警告する(8・10)。しかし民は「我々にはどうしても王が必要なのです」(8・19)と主張して聞かない。するとヤハウェはサムエルに「彼らの声に従い、彼らに王を立てなさい」と告げる(8・22)。ところが、どういうわけかサムエルは、直ちに民の言うことを聞き入れないで、「おのおの、自分の町に帰りなさい」とその場で民を解散させてしまう。サムエルは民の要求がよほど腹に据えかねたらしい。ひょっとするとヤハウェのお告げにも納得できなかったのかもしれない。サムエルのこの一徹な姿勢は、サウルを即位させた後でも変わることがない。彼は最後まで「自分たちのために王を求めて主のみ前に犯した罪の大きかったことを知り、悟りなさい」(12・17)と民を責めている。
ところが、このサムエルが、くじによってサウルを王に選んだときには、「主がお選びになったこの人を見たか。民のうちで彼に並ぶ者はいない」と宣言する。さらに、サウルがアンモン人を打ち破った時には、「今日、ヤハウェがイスラエルにおいて救いの業を行われたのだ」と民に語り、改めてサウルを正式の王として即位させる。王制に対するこの一見矛盾した記述は、サムエル記を構成する資料に、王制を支持する姿勢と逆に否定する姿勢の二つの異なる資料が存在していたことをうかがわせる。サムエル記は矛盾に満ちているが、それだけに面白い。
ヤハウェの霊
ヤハウェのサウル王に関するお告げもまた興味深い。サウル王がその支配権を確立した後で、アマレク人との戦いで、サムエルを通じて告げられた命令を守らなかった。ヤハウェは「わたしはサウルを王に立てたことを悔いている。彼は私に背を向け、私の命令を果たさない」とサムエルに告げる。これを聞いたサムエルは、「怒って」〔岩波訳〕夜通し主に向かって叫んだとある(15・11)。一度王を立てておきながら、後で悔いるとはなんということだ! だから私は初めから王に反対したのに! こんなサムエルの怒りが聞こえてきそうだ。
サムエルは、お告げを与えるヤハウェの霊にあえて問いかける。時には怒りをもってヤハウェと「争って」いる。私たちは、かつてヤコブがペヌエルの渡しで神の使いと「格闘した」(創世記32・25)ことを思い出す。このように人が神と争う事態は、「ヤハウェのなさることはなにか?」「ヤハウェの霊とはなにか?」が、改めて問われる時代に生じる。サムエルは民を「裁いた」とあるが、彼が「裁いた」のは民だけでなく、自分の確信と良心に基づいて、自分に臨む「ヤハウェの霊」それ自体をもあえて判断しようとしたのではないだろうか? 何が真実の「ヤハウェの霊」か? これを問いつめていくサムエルの一徹な姿勢を私たちは読みとることができる。
私たちは神の御霊の働きを、ともすれば不変の教義や固定観念に即して考えがちであるが、御霊をそのように固定的に見てはならない。とりわけ神の御霊が、それまで経験したことのない異質な文化や宗教的霊性と遭遇する場合にはそうである。こういう場合、御霊は激しく働き、沸騰し、新しい霊性に基づく文化を創り出そうとする。サムエルの時代がまさにそうであった。彼の時代、イスラエルの民の間にさえ、まだカナンの神々の文化と祭儀宗教に基づく霊性が根強く宿っていた。サムエルに臨む神の霊は、これらの霊性と格闘し、イスラエルの民を通して、カナン文化の「ヤハウェ化」を創り出しているのである。このような時代には、ヤハウェの霊は、その時々で一見矛盾するような様相を見せる。
サウル
サウルはサムエルから油注ぎを受けた後で、「聖なる高台から下ってくる預言者の一団に出会う」(サムエル上10・5)。すると「主の霊がサウルの上に激しく降り」、サウルは彼らと一緒に預言状態になり「別人のようになる」。人々はサウルの変容に驚いて、サウルは人がすっかり変わって預言者みたいになったとやや軽蔑気味にこれを諺にする(10・11)。興奮状態で楽器をかき鳴らしながら、集団で恍惚となる預言状態は、あまり見よいものではなかったらしい。
サウルは、預言状態から覚めると、聖なる高台へ行ったとある(10・13)。ところが「聖なる高台」とは、通常カナンのバアル神の祭壇がある場所を意味していた。サウルは恍惚から覚めてから、ヤハウェの霊に満たされたことを主(バアル)に感謝しに行ったのだろうか? サムエル記の記者は、ここでのサウルの預言状態を肯定的に描いている。だから「聖なる高台」はヤハウェの祭壇のある場所であって、人々がサウルを諺にしたのは、「ヤハウェの霊が注がれた英雄」として彼をたたえるためであったと解釈することもできなくはない(Theological Dic.of OT. IX)。いったいサウルに働いた「主の霊」とは、ヤハウェからのものなのか? それともカナンのバアルの霊に影響されたのだろうか? この当時、「主」とはヤハウェとバアルのどちらをも指していたからである。ちなみにサウルの息子の名はイシュビ(サムエル上14・49)とあるが、これはイシュイヒェ(ヤハウェの人)から来ている。ところが歴代誌上(9・39)では、この名がイシュバアル(バアルの人)とあって、これが本来の名であったと思われる。なおこの名がサムエル記下(2・8)では「イシュ・ボシェト」(恥の人)となっているが、「ボシェト・恥」は「バアル・主」とあるのをおとしめて呼び替えたのである。
この出来事の後で、サウルはくじによって王に選ばれる。しかし、彼が王に選ばれたのは、単にくじによる偶然ではなくて、「民の誰よりも肩の上からの分だけ背が高く」(サムエル上10・23)かつ神の霊を宿していたからだというのが正しい。民が全員「王様、万歳!」と叫んでいる様子は、サウルの即位を人々が(そしてこれを記した記者も)肯定していることを意味する。だがいっぽうで、「こんな男にわれわれが救えるものか」と彼を軽蔑する人たちもいた。私たちはここでも、サウルに働く神の霊について、また彼の即位について、二重の解釈が生じているのに気がつく。このような2重の解釈が可能になるのは、サウルに降った「ヤハウェの霊」が、実際はバアルの霊なのか、それともヤハウェの霊なのか、その区別が必ずしも明確でなかったことと関連している。サムエルの口からヤハウェこそイスラエルの神であることが強調されているのも実はこのためなのである。
主から来る悪霊
ところで私たちはここで、サウルが「主から来る悪霊」(16・14)に悩まされる出来事に出逢う。この霊はまた「神からの悪霊」(16・15)とも呼ばれている。古代のヘブライでは、疫病やその他の自然現象によって生じる災害も「悪い霊」の働きによって生じると信じられていて、しかもそれが「主から遣わされたみ使い」によるとされた(サムエル下24・16)。ここでも、サウル王を内面的に苦しめる「悪い霊」が、「ヤハウェから来た」ことがはっきり表明されていて、しかも、「ヤハウェの霊」がサウルを離れたとある。このことから判断すると、「ヤハウェから来る悪い霊」は、「ヤハウェの霊」とはっきり区別されている(Theological Dic.of NT. II)。ここでの「神からの悪い霊」は、おそらく「神から遣わされて悪をもたらすみ使い」よりもさらに古い言い方であろう。またここでの悪い霊は、例えばヨブ記(1・6)に出てくるサタンのことでもない。ただしサタンもここでの悪い霊もヤハウェに服従する点では同じである。
ここで言う「神からの悪い霊」とは、かつてカナンの諸民族によって信じられていた神々が、ヤハウェの支配を受けて、逆にヤハウェに反逆する過程において「悪い霊」にされていったものと考えることができる。古代のイスラエルでは、それぞれの民族にそれぞれに固有の神々が存在することは自明のことであった。しかしイスラエルのヤハウェ信仰は、そのようなカナンの神々を、「神でないもの/ロー・エル」(偶像のこと)と見なして、これらをヤハウェ神よりも低い「霊」あるいは「悪い霊」へとおとしめた(申命記32・17)。私は、ここで語られているサウルへの「神からの悪霊」というのは、サムエルによって断罪されたカナンのバアル的霊性のことではないかと考える。
受容と拒否
文化であれ宗教的霊性であれ、異なるもの同士が遭遇するときに衝突が起きるのは避けられない。この段階で相手を完全に否定することは「戦い」を、それも皆殺しの「宗教戦争」を意味する。文化の基盤となる宗教的霊性は、これを担う人間を絶滅させない限り消滅しない。だから戦いを避けて、平和に相互の関係を維持するためには、互いに融和する、現代で言う「共生する」以外に道はない。
現実にはこういう場合、衝突と同時に融合の過程が始まる。AはBによって影響され、BはAによって感化される。この融合の過程でそこに新しい霊性が芽生え始め、これが新しい価値観を創造する原動力となる。その過程において、Aは過去のAでなくなり、Bもまた過去のBでなくなる。こうしてAでもなくBでもない新たな霊性が出現する。これをCとするなら、このCにはAもBも含まれている。CはAでもありBでもあるが、融合は2つの混ぜ合わせではないから、CはAでもなくBでもない。この段階、最早AでもなくBでもない段階までCが成長した時に初めて、過去のAから脱却し、同時にBをも自分から排除することができるようになるのである。仮にAのほうがより早くBを吸収したとすれば、その段階でAには、A→Cへの変容が起こる。こうなるとBは最早Aに太刀打ちできなくなる。なぜなら、Aは最早AではなくCへと変容しているからである。変容をとげたCは、この段階でBを排除することが可能になる。Aは自己のうちにすでにBの要素を宿していて、Bなしでも自立できる文化的・精神的状況を創り出しているからである。これが異文化との出会いにおいて生じる変容過程における受容であり、かつ受容することによって拒否を可能にする「受容と拒否」の原理である。
唯一神教化する書
このような宗教的霊性の衝突や遭遇の場合に、聖書の神は、他のいかなる神よりもその力を発揮する。それはなぜなのか? その理由は、聖書の神が、そもそもの起源において「国土を所有しない神」だからである。この神は、異なる宗教的環境に遭遇すると、必ず本来のヘブライの精神、すなわち特定の国土に所属しない「荒れ野の神」へと回帰する。こうすることで、その地域の文化と宗教的霊性を自己の内に同化し、これの「ヤハウェ化」を達成することができるからである。ではその過程において、イスラエルの神は、その独自性を見失うことがなかったのだろうか? なかったとすれば、それはなぜなのか? すでに見てきたとおり、イスラエルの神概念やこれに伴う祭儀は、けっしてイスラエル独自のものではない。では聖書の宗教の特徴とはいったいなんなのか? それは、さまざまな霊的状況にあっても、それらのいっさいを超えた神を見失わなかったこと、と同時に、それ以上に大切なのは、神と人間の間の親密さ、すなわち「交わりの確かさ」を追求したことにある。神の超越性と同時に神と自己との「親しい交わり」を保ち続けること、これこそが他の神々の追従を許さない聖書の神の特徴なのである。
知恵の霊は伝統的に、イスラエルの律法や祭儀にとらわれることなく、個人が置かれた現実の中で臨機応変に働いてきた(第一コリント9・19以下)。知恵が喜ぶのは、ある文化と争うことではない。文化を新しく創り出すことなのである。この意味で、聖書は唯一神教を「教える」あるいは「伝える」書ではない。「唯一神教化」する書、すなわち、人類の文化を唯一神教へと変貌せしめる創造的な書なのである。このことは、我が国のような文化的伝統を有する国において特に重要である。何を否とし何を可とするのかは、必ずしも常に明白ではないからである。ユダヤ=キリスト教の神は、その長い歴史の中で、常にこの「ヤハウェ化する」過程を繰り返しつつ歩んできているのである。