霊の民の特徴
                    2019年9月12日
■コイノニア会の「霊的な自由」
 イエス様にある「御霊の自由」に生きる者においては、己の意志と主様の意志との対応を確認する反省が常に行なわれます。同時に、同じ信仰の仲間をも含む他者からも、彼は自己の想いで言動するのか、主様の御霊のお働きにあるのかが問われることになります。これが、イエス様に従う個人の背負うべき十字架の本質です。こういう十字架を避けるために、教団や宗団に所属することで、その責任を自分の宗団に任せることができます。分裂と批判の末にヨハネ福音書のヨハネ共同体が大教会へ参入したのもこのためです。
 戦後の希に見る恵まれた状況の中で啓示されたコイノニア会の自由な有り様は、これを一時的な現象に終わらせることなく、これからのキリスト教への指針となるためには、今のコイノニア会のエクレシア観を日本人の伝統と結びつけることで、日本人のコイノニアのエクレシアが形成されなければなりません。これが、わたしのが今唱えている「日本の霊の民」です。日本人はほんらい自己主張を控えるから、イエス様の御霊に信従することができます。なぜなら、そこに、現在の日本で生じている引きこもり現象を引き起こす「死ね」と言われる霊力からの自由を見出すことができるからです。
■宗教について
(1)ユバル・ハラリは、自己の科学的な推論に基づいて、宗教を人間の「フィクション」(妄想)だと見なしています。
(2)しかも、彼は、人類の将来が暗いものになると予測しています。
(3)彼の誤りは、科学的な思考を絶対化する視野から、宗教を否定的に判断しているところにあります。人類は、「科学する人」であると同時に「宗教する人」だからです。人類のこの二つの属性は、人類の他の属性と同様に、相互に対立しません。
(4)なぜ彼は間違っているのか? それは、科学的な思考だけに頼って、宗教が真理かどうかを判断しようとするからです。科学的な思考は、宗教が真理であるか、妄想であるかについては、ほんらい中立だからです。
■結婚愛について
 日本人は、ほんらい「節操」を尊ぶ民です。イエス様にある結婚愛は、「落ちこぼれは生涯独身、勝ち組は一夫多妻」の現在の社会を変える働きをします。
(1)現在、女性の学者たちは、結婚愛は、家父長制度が創り出した妄想にすぎないと主張しています。
(2)家父長制度が、女性差別を含む家族制度を作り出したのはそのとおりです。
(3)しかし、結婚愛の節操観を自然に反する「妄想」だと判断するのは誤りです。
(4)結婚愛は、「宗教する人」が生みだしたものであり、自由な愛の有り様とも、性差別の解消とも対立したり矛盾するものではありません。
(5)コイノニア会のエクレシアでは、「自由な愛」は、結婚愛を「育成する」方向へ向かわせる働きをすると説くのです。
(6)結婚愛は、人間の社会的な交わりを形成する要となるものです。
■宗教的寛容
 日本人は、ほんらい宗教的に寛容な民です。異なる宗教の人とうまく付き合う「和」の道を心得ています。これが「霊和」の日本の霊の人/民です。
(1)宗教する人への信仰の自由は、人類を平和に導くと同時に、争いへも導くことになります。「宗教する人」が共同体を形成すると同時に共同体同士を対立させている現実があります。特に歴史的に見れば、キリスト教側からの異教否定と排除が問題になります。
(2)キリスト教徒は、異教徒との和を大切にしなければなりません。このためには、相手の宗教と文化を「人類学的な視野」から見直す必要があります。ここでも自然科学の方法が大事な意味を持ちます。
(3)もろもろの異教とその文化は、これらを人類史の視野から見るならば、「宗教する人」としての人類が、霊的な真理へ到達するための重要な過程であることが見えて来ます。だから、キリスト教の真理に立つならば、これらの異教的な伝統を保護し保持する心構えが必要なのです。
■造られた者が創り主を拝する宗教
 御復活のイエス・キリストを信受して拝するとは、造られた肉の人間が、天地の創造主である霊の神のお働きを信受することにほかなりません。被造物である人間が、己の業を拝むことを偶像礼拝と言います。被造物が創造主を拝することは、それ自体が奇跡と言うべき出来事で、モーセの十戒の第一戒「唯一のまことの神のみを礼拝する」とは、このことにほかなりません。はっきり言って、現生人類ホモ・サピエンスには、「神を信じたアブラハム」に見るような信仰に、直ちに到達するのは無理です。
 このために、神は、御自身をば、「ナザレのイエス様」という一人の人間として、人類に啓示してくださいました。わたしたちは、この「人間イエス」を通じてのみ、すなわち、イエス様を「仲保」(なかだち)として初めて、被造物である人間が、創造主に出会い、唯一のまことの神を信受し拝することができるようになります。それも、一時(いっとき))にそうなるのではなく、復活したナザレのイエス様の御霊(聖霊)のお働きを受けて、少しずつ、わたしたちの心霊が、わたしたちの身体の有り様の中にあっても、唯一~との交わりに到達することができるのです。三位一体の神のお働きとはこういう事態の事です。
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