■はじめに
筆写(私市)の手元に、ある方から、「禅とキリスト教の聖霊」(仮題)(2024年9月)について、A4用紙8枚にも及ぶ文書がメールで送られてきました。この文書は、その内容が重要で、そこには、中国の禅仏教と、それが目指す「覚(さと)り」への「人間としての自己理解」が含まれています。さらに、トマス派のキリスト教と景教とがこれに関係し、その上で、日本の仏教思想において重要な役割を担う空海に言及しています。この文書は、キリスト教の聖霊とは、この文書が提示する仏教的な霊性と同じではないのかと指摘しています。この課題は、禅仏教が啓(ひら)く覚りと、トマス派(グノーシス主義)の知性と、キリスト教会が唱える御霊にある霊知、「覚り」と「人知」と「霊知」との関わりを含めて、仏教の霊性とキリストの御霊との比較対照という課題を筆者(私市)に迫るものです。これは難問です。
こういう課題に応えるためには、奈良時代に、国家護持の目的で仏教を採り容れた聖徳太子に継いで、平安時代の日本の国家護持のために、嵯峨天皇と平安京の役人たちと手を組んで、高山寺や東寺や高野山を通じて真言宗を広めた空海の仏教的な霊性を知る必要があります。このための一環として、筆者は、この度(たび)、空海がもたらし今も伝わる東寺の曼荼羅図に注目して、『初めて見る東寺胎蔵曼荼羅図の仏たち』を著しました(2024年12月)。
1章 中台八葉院とその東西
【中台八葉院】
密教は、『大日経』(だいにちきょう)による胎蔵部と『金剛頂経』(こんごうちょうきょう)による金剛部から成り立つと言われています。京都の東寺に伝わる胎蔵と金剛の両界曼荼羅(りょうがいまんだら)は、「伝真言曼荼羅」(でんしんごんまんだら)あるいは「東寺西院本曼荼羅」(とうじさいいんぼんまんだら)とも称されています。これの原本は、空海が唐から持ち帰った曼荼羅で、9世紀の半ば(850年頃)に作成されたものです。「東寺西院本曼荼羅」は、原本を基にしつつも、原本とはやや異なるもので、彩色を用いて複製した(12世紀末から13世紀末にかけて)と言われています〔以下の記述は、頼富本宏『東寺の曼荼羅』東寺宝物館発行(2019年)によります〕。なお、東寺の売店で求めた『国宝 両界曼荼羅 胎蔵界・金剛界』は、東寺西院本曼荼羅の胎蔵と金剛の二枚入りの曼荼羅で〔『東寺の曼荼羅』8頁と30頁を参照〕、以下では、これに沿って解説を進めていきます(東寺の曼荼羅図については、末尾の注をご覧ください)。
東寺の胎蔵曼荼羅の方位は、図面の上が東、下が西、左が北、右が南です〔『岩波仏教辞典』巻末図878頁〕。胎蔵界曼荼羅では、真ん中に正方形の区画があり、その中心に大日如来が描かれています。大日如来は、歴史的な人間存在としての釈迦如来、あるいは、修業が結実して覚(さと)りを開いて覚者(かくしゃ)となった阿弥陀如来(あみだにょらい)(の報身)から区別されていて、大日如来(だいにちにょらい)は、大宇宙の真理それ自体の姿を象徴する「法身」(ほうしん)です。胎蔵界曼荼羅の大日如来は、真っ赤な蓮の花びらの中心にいて、そこから広がる八つの花びらの上に、八体の仏(ほとけ)が居ます。上下左右の四体は如来で、斜めの四体は菩薩です。八体の光背は同じ火炎光です。これが、胎蔵曼荼羅の中核になる中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)です。
中央の大日如来は、「胎蔵」とあるとおり、膨(ふく)よかな母体の姿で、半眼の目は鋭く見通す慈悲を湛(たた)え、両手の親指を腹部で合わせて人差し指を曲げてこれに合わせる阿弥陀定印(あみだじょういん)の印相(いんぞう)で、瞑想しています。
大日如来の上には、宝幢如来(ほうとうにょらい)が居て、右の胸を露(あら)わにした真っ赤な袈裟(けさ)をその左手で支え、右手を「く」の字にあげ手のひらを上に開く施無畏印(せむいいん)(恐れを除いて安心させる)の印相(いんぞう)です。この宝幢(ほうとう)如来は、修行を妨げる魔力を追い払う結跏趺坐(けっかふざ)の姿を見せています。
大日如来の向かって右には開敷華王(かいふけおう)如来が居て、首のあたりまで真っ赤な袈裟を着け、左手でその片隅を取り、右手は、掌(たなごころ)を上に向けて開く形の施無畏印(せむいいん)です。大日如来の向かって左には天鼓雷音(てんくらいおん)如来が居て、その左手で袈裟を支え、右手の裏を斜め下に伸ばす降魔印(ごうまいん)で〔蝕地印(しょくちいん)とも言います〕、これは悪魔の誘惑を退ける印相です。この如来の姿は、覚りを開く姿勢で、天鼓(てんこ)が自然に鳴るように如来の法音(ほうおん)を発しています。
大日如来の下に居るのは無量寿(むりょうじゅ)如来で、首のあたりまで真っ赤な袈裟で身をまとい、両手の指を腹部で合わせ、人差し指を折り曲げる阿弥陀定印(あみだじょういん)で、衆生(しゅじょう)が、その本性において花びらのように清浄であることを覚らせる智慧を発しています。なお、上下左右の四体の如来の間には、向かって右上から、時計の針巡りに、普賢(ふげん)菩薩、文殊(もんじゅ)菩薩、観自在(かんじざい)菩薩、弥勒(みろく)菩薩が居ます〔『岩波仏教辞典』による〕。
大日如来、宝幢如来、開敷華王如来、無量寿如来、天鼓雷音如来の五体を「五智如来」と称し、これら五体は、総じて、法界(ほっかい)の本質的な性格と、大円鏡智(仏の法を映す心の鏡)と、平等性智(びょうどうしょうち)と、妙観察智(みょうかんざっち)と、成所作智(じょうしょさち)(所作を成り立たせる智)とを具現しています。なお、中央の大日如来は、その頭上に、五色の雲が波打つ宝冠(ほうかん)を頂(いただ)いていますが、これは五智如来の化身(けしん)を表象する「五智宝冠」です。これらが、胎蔵界曼荼羅の中核を成す区画(中台八葉院)です。中台八葉院は、くっきりと方形の線で囲まれていて、その上下左右にあるのが、遍知院(へんちいん)と持明院(じみょういん)と観音院(かんのんいん)=蓮華部院(れんげぶいん)と金剛手院(金剛部院)です。中台八葉院のすぐ上と下には、それぞれ五体ずつ、菩薩が並んでいます。上の五体が遍知院で、下の五体が持明院です。
【遍知院】
中台八葉院の真上には、蓮の花弁の上に黒い三角形が描かれ、その背後に炎の輪があります。「遍(あまね)く照らす智慧」の表象で「遍知」(へんち)と称されます。遍知に向かって右に居るのは大勇猛菩薩(だいゆうもうぼさつ)で、その右には大安楽不空真実菩薩(だいあんらくふくうしんじつぼさつ)がいます。
大勇猛菩薩は、その左手に如意宝珠(にょいほうじゅ)を持ち、右手で利剣(りけん)を握っています。利剣は、遍知が鋭く働く様子を、宝珠は、願いを叶える遍知の働きを表します。この菩薩は、その名の通り、どこまでも「勇猛に」修行の道を突き進む菩薩の姿です。
その右隣の大安楽不空真実金剛は、左右合わせて十二の手を持ち、右の六手は、五鈷杵(ごこしょ)や、先端が三つに分かれた長い宝戟(ほうげき)(槍)や、先端が宝鈴(ほうれい)とも見える宝棒(ほうぼう)などを持っています。左の六手は、蓮の花を載せた茎や、高くあげた宝鐸(ほうちゃく)(大きい鈴)や、後ろに利剣らしいものなどが見えます。この菩薩は「普賢延命菩薩」(ふげんえんめいぼさつ)とも称されて、賢く、幸せに、長生きするあらゆる願いを叶えてくれる菩薩です。
遍知に向かって左に居るのは、仏眼仏母(ぶつげんぶつも)と、その隣が准胝仏母(じゅんていぶつも)です。仏眼仏母は、結跏趺坐(けっかふざ)の姿勢でじっとこちらを見ている母の姿で、両手の指を少し組み合わて腹部に置いていますが、これは、法界定印(ほっかいじょういん)の印相(いんぞう)です。
准胝仏母(じゅんていぶつも)は、多数の手を持っていて、右は、手の平を上に向ける施無畏印(せむいいん)と、人差し指と小指を立てる忿怒(ふんぬ)印(憤りを表す)の印相で、五鈷杵や利剣や宝戟や法珠(ほうじゅ)などを持っています。左は、横向きの施無印と、親指と人差し指と小指をあげる期克(きこく)印で、ほかに薬壺(やっこ)や経籍(きょうせき)(教文)や宝珠(ほうじゅ)なども見えます。この仏(ほとけ)は、たくさんの仏たちを生み出す徳を具える仏母(ぶつも)で、人の安産をも司(つかさど)ります。中台八葉院の真上の遍知とこれら四体が遍知院を構成しています。
【持明院】
中台八葉院の真下に居る五体の仏が、「持明院」(じみょういん)を構成します。五体の中央には、般若菩薩(はんにゃぼさつ)が居ます。覚りを開く智慧の菩薩で、一面六臂(ぴ)(手)で、その智慧を印相で表しています。右手は、親指と人差し指で輪をつくる説法印を結び、相手を説き伏せる折伏(しゃくぶく)を表しています。ほかの手は、忿怒らしい印と、手の平を下に向け、修行の妨げを取り除く蝕地印(しょくちいん)です。左手は、腹部のあたりに横向きの施無畏印ですが、ほかの二手は薄れてよく見えません。
般若菩薩の向かって右には、降三世明王(ごうざんぜみょうおう)とその右に不動明王が居ます。髪の毛を逆立て、眼光鋭く目を開き、やや黒ずんだ二体の明王(みょうおう)たちは、忿怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)をしています。ここの降三世明王は三面八臂(ぴ)です。降三世明王の印相は独特です。胸の前で左右の小指をからませ、人さし指を立てて残りの指をにぎります。これを、降三世印(ごうざんぜいん)と言います。この印相は、「三毒」(貪欲と怒りと覚りの真理への無知)を滅ぼす印相です〔インターネットのウィキペディアによる〕。左の手には、長い三つ叉の宝戟と宝弓・宝箭(ほうせん)と、輪のような宝索(ほうじゃく)?を持っています。右の手には、五鈷杵の鈴と宝珠を載せた宝棒と利剣を持っています。その右隣の不動明王は、大きな目を開いて睨(にら)み、左手に羂索(けんじゃく)、右手に利剣を持っています。
般若菩薩に向かって左には、大威徳明王(だいいとくみょうおう)と勝三世明王(しょうざんぜみょうおう)が居ます。大威徳明王は三面六臂(六手)で、左右の人差し指を胸のところで合わせる檀陀印(だんだいん)です。左の手では、三つ股の刃先の長い宝戟(ほうげき)と法輪を持ち、右の手では、利剣と五鈷杵(ごこしょ)の宝棒を持っています。その隣の勝三世明王は、一面二手です。右手に大きな三つ叉の長い宝戟を握り、左手で忿怒の印相をつくっています。
中央の般若菩薩は、智慧で身を守ることを教えますが、明王たちは、力でねじ伏せるように教えで祈伏(しゃくぶく)したり、温厚な仕方で摂受(しょうじゅ)させる働きをします。般若菩薩に属するこれら左右の四体の明王たちの背は燃え上がる火炎光を帯びています。
2章 南北の金剛手院と観音院
【金剛手院】
中台八葉院が胎蔵曼荼羅の中心になるとすれば、その上下の遍知院と持明院は、中台八葉院の左右に広がる金剛部院(金剛手院)と蓮華部院(観音院)とつながって、大日如来が発する霊威がさらに拡大する有り様(さま)を伝えています。
中台八葉院の区画の左右には、向かって左(北)に、三体ずつ並ぶ七段に、二十一体の観音菩薩(かんのんぼさつ)が描かれています(蓮華部院/観音院)。向かって右(南)には、同じ構成で、金剛薩錘(こんごうさった)など二十一体の金剛系の仏が描かれています(金剛手院/金剛部院)。金剛手院は、間に小さく描かれた十二尊を含めると三十三尊になります。以下での諸仏の名称などは、東寺の曼荼羅に関するインターネット上の諸解説をも参照しました。
■内側から第1列目
(以下の21体の主な諸尊は、東寺発行の曼荼羅図により、解説にはインターネットの「胎蔵曼荼金剛部院」を参照しています。なお、東寺の曼荼羅図では、独鈷杵(どっこしょ)、三鈷杵、五鈷杵など法具や諸仏の印相の判別が難しい場合がありますので、ご承知ください。)
1発生金剛部菩薩(ほっしょうこんごうぶぼさつ)。いわゆる「ボーディサットヴァ」の名称で知られ、金剛部に属する諸仏を生み出す母性の菩薩です。両手を開いて合わせ、その上に、細い八角形の棒で、独鈷杵(どっこしょ)に似た金剛橛(こんごうけつ)という短い宝棒を立てています。
2金剛鈎女菩薩(こんごうこうにょぼさつ)。三つ叉の槍のような金剛鉤(こんごうかぎ)を左手に持ち、右手は開いてやや下に向ける与願印(よがんいん)(衆生の願いを受け止める)です。この女性の菩薩は、その鉤(かぎ)で衆生を引き寄せ、印相をもって、衆生を金剛部が示す智慧へ導く働きをします。
3金剛手持金剛菩薩(こんごうしゅじこんごうぼさつ)。原名は『大日経』にある名前の「マーマキー」から来ていると思われます。「マーマキー」は「多くの(衆生の)母」という意味です。左手に金剛杵(こんごうしょ)を持ち、右手は開いてやや下に向ける与願印です。
4金剛薩錘菩薩(こんごうさったぼさつ)は、大日如来から密教を授けられた菩薩ですから、密教の中心的な菩薩です。金剛部院が「薩錘(さった)院」と称されるほど、この院全体の中心です。右手に智慧の象徴である三鈷杵(さんこしょ)を持ち、左手は、親指と小指を立てて、他の指をやや曲げてあげる施無畏与願印(せむいよがんいん)のように見えます。この印相は、衆生の願いを受け止めることで安心を与える印相です。
5持金剛鋒菩薩(じこんごうほうぼさつ)。金剛薩錘の真下に位置する持金剛鋒菩薩は、鋭く長い「金剛鋒」を右手に握っています。この鋭い槍(やり)は、仏の大いなる智慧の表象で、衆生の煩悩を貫き破る働きを意味します。
6金剛拳菩薩(こんごうけんぼさつ)は、両手を少し前に出して、堅固な金剛拳を握り、この印相で、衆生の「貪瞋痴」(とんじんち)の「三毒」(貪欲と憎悪の怒りと真理への無知)を破る菩薩です。
7忿怒月黶菩薩(ふんぬがってんぼさつ)。如来の慈悲を伝える金剛部院の仏たちの中で、一体だけ片隅で、一面四臂(ぴ)(手が四本)で、青黒い姿の忿怒の形相を見せています。実は、この姿もまた、「慈悲の表れ」だとあります。その証拠に、白浄菩提心(はくじょうぼだいしん)(月)の黶(ほくろ)を額にもつ菩薩で、これは煩悩を断つ菩薩です。右手に槍のような三つ叉の金剛鉤(かぎ)を持ち、持明院の右から2番目の降三世明王(ごうざんぜみょうおう)の憤怒姿と同型の菩薩形だと言われます。持明院の降三世明王も、同じ三つ叉鉤(かぎ)の宝戟(ほうげき)を持っています。
■内側から第2列目
(以下の諸仏は、インターネット、例えばさくらインターネット:bukkou.comなどを参照しています。)
1虚空無垢持金剛菩薩(こくうむくじこんごうぼさつ)。左手に独鈷杵(どっこしょ)を持ち、右手は手のひらを開いて上に向ける施無異印(せむいいん)の印相です。その女性的な顔と姿は、衆生が本来持っている菩提心(ぼだいしん)の徳を表しているようですが、これは、虚空(大空)が何の障(さわ)りもないように、一切の執着や戯(たわむ)れの論を離れ、無垢にして無染、妄(みだ)りがましく分別しない心を表す仏です。
2金剛牢持菩薩(こんごうろうじぼさつ)は、独特の上目で、左手に上と同じに独鈷杵(どっこしょ)を持っていますが、右手は蝕地印です。
3忿怒金剛寺菩薩(ふんぬこんごうじぼさつ)。左手に金剛杵を持つ菩薩です。右手とその姿勢は虚空無垢持金剛菩薩(こくうむくじこんごうぼさつ)と同じです。眼光は鋭く、やや横を向いています。
4虚空無辺超越菩薩(こくうむへんちょうおつぼさつ)。左手に金剛杵を持ち、右手の印相(いんぞう)と姿勢は、上の忿怒金剛持菩薩と同じですが、上とは異なり、優しい母性の顔です。
5金剛鎖菩薩(こんごうさぼさつ)右手を胸の辺りにあげ、鎖を持っていて、衆生が悪い道へ逸(そ)れないよう鎖でつなぎ止める菩薩です。右手は拳(こぶし)を上に向けた金剛拳(こんごうけん)です。
6金剛持菩薩(こんごうじぼさつ)。左手に独鈷杵を持っています。右手は何かの宝棒(?)をつまむように持っています。
7持金剛利菩薩(じこんごうりぼさつ)。左手に五鈷杵を持ち、右手は、親指と人差し指で輪を作り小指を立てる独特の印相(説法印?)で、正面を向いています。
■内側から第3列目
1金剛輪持金剛菩薩(こんごうりんじこんごうぼさつ)。金剛薩錘(こんごうさった)と同じほど尊い仏(ほとけ)ですが、ここでは、右手の指先に、名前が表す円形の法輪(ほうりん)の代わりに宝鐸(ほうちゃく)(大きい鈴)を載せています。
2金剛説菩薩(こんごうせつぼさつ)。「説」は「名声」を意味しますから、人々に名声をもって、如来の智慧を説いて衆生を導く菩薩です。左手は膝の上で金剛拳を結び、右手は人差し指と中指を立てて、説法を行う印相です。
3懌悦持金剛菩薩(ちゃくえつじこんごうぼさつ)。「悦」(えつ)は性行為を意味しますから、男女の性行為を清らかにする菩薩です。左手は膝の上で、親指を中にして握る蓮華拳(れんげけん)で、右手は開いて胸にあて、その上に(煩悩を真っ直ぐにさせる)独鈷杵を立てています。
4金剛牙菩薩(こんごうげぼさつ)。名前は「堅固な牙をもつ者」の意味です。堅固な牙で魔力を挫くことで、衆生をも救う菩薩ですから、ほんらい勇猛な菩薩ですが、ここでは、正面を見据えるふっくらした顔で、左手の上には、長い茎の上に五鈷杵が見えます。右手は、胸のあたりで、親指を立て、他の指を広げる蓮華拳(?)とも思える印相を見せています。この像は、通常の金剛牙菩薩とは印相も持ち物もかなり異なるようです。
5離戯論菩薩(りけろんぼさつ)。顔をやや右に(向かって左に)傾け、優しい両眼はじっとこちらを向いています。独鈷杵(どっこしょ)を立て、左手でその上部を握り、右手の人差し指を立てる結冑印(けっちゅういん)でしょうか? これは、妄想(もうそう)や戯(ざ)れ言(ごと)の議論を離れて、智慧の真理を覚らせる菩薩です。
6持妙金剛菩薩(じみょうこんごうぼさつ)。この名称は「最上の金剛杵をもつ者」を意味します。仏の智慧の微細(びさい)な所まで通じる功徳(くどく)を働かせる菩薩です。右手で両側が独鈷杵の金剛杵を立て、左手は索(しゃく)を握っています。
7大輪金剛菩薩(だいりんこんごうぼさつ)。優しい笑顔の菩薩です。名称は「大輪宝(だいりんぽう)をもつ者」を意味します。大輪宝は、仏の智慧を転輪(てんりん)させることで、もろもろの魔力を砕く働きをします。金剛輪持菩薩(こんごうりんじぼさつ)や大輪明王(だいりんみょうおう)などと同体だと言われています。左手で金剛杵を握り、右手は肘を上に折って小指を立てる印相のようです。
【観音院】
観音院(かんのんいん)(蓮華部院)は、金剛手院(金剛部院)と同様の21尊と、小さい15尊を含めると36尊です。以下の記事も、『東寺の曼荼羅』や『岩波仏教辞典』、インターネットからの情報などに基づいています。ところで、「観音」(かんのん)とは、ほんらい、語られた言葉の「音声を観る」こと、すなわち言葉を見える姿で表すことを指しているのでしょう。
■内側から第1列目
1蓮華部発生菩薩(れんげぶほっしょうぼさつ)。蓮華部(観音院)の諸尊を出生させる菩薩です。左手は親指を中に入れて握る蓮華拳(れんげけん)を伏せて膝の上に置き、右手は、親指と人差し指と小指を立てる期克印(きこくいん)(説法する印相)のように見えます。
2大勢至菩薩(だいせいしぼさつ)は、別名「観自在菩薩」(かんじざいぼさつ)です。「聖観音菩薩」(しょうかんのんぼさつ)が抱く大いなる勢いの大慈悲によって衆生に菩提心を植え付けます。左手に大きな蓮の花の茎を持ち、右手は、親指だけをあげる?独特の印相に見えます。
3毘(哩)?胝菩薩(びくちぼさつ)梵語の名前は「眉の間にシワがある菩薩」の意味です。シワは大きな慈悲の表れを指しますが、この仏の額には、覚りの光を発する白毫(びゃくごう)(ほくろ)があるだけで、顔は次の観音菩薩とそっくりです。四臂(しひ)ですから手が四本あり、右手には、数珠の輪の宝珠輪(ほうじゅわ)を持つ手と、蝕地印/与願印?の印相の手のようです。左手は、東寺の図版では、茎の長い蓮華の花を持つ手が見えます。
4観自在菩薩(かんじざいぼさつ)。別称は「観世音(かんぜおん)菩薩」ですが、一般に「観音(かんのん)さま」と呼ばれています。観音院の主尊で、衆生を救済する慈悲を表す菩薩です。膨(ふく)よかな顔の優しい瞳のこの観音は、その左手に大きい蓮華のつぼみを持ち、右手で、そのつぼみに触れています。このつぼみは、まだ開いていない衆生の本性に宿る清浄な真理を表していて、聖観音は、衆生の心に蓮を開かせる仕草をしています。
5多羅菩薩(たらぼさつ)。梵語の「ターラー」は「瞳孔」(どうこう)を指します。この菩薩は観自在菩薩の眼(まなこ)から生まれたと言われて、大悲の眼で衆生を救う母神とされています。東寺の曼荼羅では、やや黒ずんでいます。
6大明白身菩薩(だいみょうびゃくしんぼさつ)。梵語の名前の意味は「ガウリーのように白く輝く大いなる智6慧(をもつ者)」です。ガウリーは、ヒンズー教のいわゆるシヴァ神の妻の名前です。この菩薩は美しい女性の顔で、右手は、開いて下げる蝕地印(与願印)で、左手は、花弁の上に小さな仏(ほとけ)を載せた宝棒を持っているようです。
7馬頭観音(ばとうかんのん)菩薩。梵語の名前の意味は「馬のたてがみ(をもつ者)」「馬の首(をもつ者)」で、もとは、ヒンズー教のヴィシュヌ神でした。上の仏たちとは異なり、三面の顔は憤怒の相で「馬頭明王」とも呼ばれます。開いた左右の手の裏を合わせて合掌しているようですが、これは「降伏」(ごうぶく)を表すのでしょう。「ごうぶく」とは、自分の煩悩や悪心を打ち負かすこと、あるいは修行を妨げる悪鬼や邪神を降参させることです。(馬に乗って)駆けまわり、様々な悪霊や降伏させて、衆生を迷妄から救い出す菩薩です。
■内側から第2列目
1大随求菩薩(だいずいぐぼさつ)。梵語名は「大いなる従僕」「大いなる随求(の者)」です。「随求」(ずいぐ)は、相手の求めに応じることですから、衆生の様々な求めに自在に応じる菩薩です。この菩薩は、ほんらい四面八臂だとありますが、東寺の曼荼羅図では一面八臂です。正面を向いた慈悲の相で、頭には宝冠、右手に五鈷杵と利剣と鉞斧(えっぷ)(幅の広い斧)と三股の宝戟(ほうげき)を持ち、左手には赤い円形の法輪を載せた宝幢(ほうどう)(矛のこと)の長い柄を二つの手で支え、一つの手でお経の本である梵篋(ぼんきょう)を持ち、もう一つの手で赤い炎に縁取られた花(蓮華を指す)を持っています。
2堵波大吉祥菩薩(そとばだいきちじょうぼさつ)は、左手で蓮の花の茎をもち、右手では花弁で囲まれた円形のものを持っています。「堵波」(そとば)とは、ほんらいドーム型の塔のことですが、僧の用具を入れる丸い容器をも指します。「吉祥」(きちじょう/きっしょう)は「めでたい前兆」を意味します。したがって、「塔」(法界塔婆=大日如来の象徴)に具(そな)わる大いなる吉祥をもたらす菩薩のことです。大日如来の法界に住んで、蓮華(世の汚れに染まらない清浄無垢)に包まれ、衆生に利益をもたらすめでたい吉祥菩薩です。
3耶輸陀羅菩薩(やしゅだらぼさつ)。梵語の原名「ヤショーダラー」は、王子であった釈尊が出家する前の妃(きさき)の名前ですから、この妃を仏(ほとけ)として、衆生の菩提心にさまざまな功徳を生じさせる妃(きさき)の菩薩です。ふっくらとした女性の顔で、右手は、開いてやや下に向ける与願印で、左手は上に向ける与願印です。
4如意輪菩薩(にょいりんぼさつ)。「如意輪観音」(にょいりんかんのん)の名称で広く親しまれています。「法輪」(ほうりん)を意のままにめぐらせて衆生に説法し、左右六本の手で、六道の苦(衆生の苦しみ)を除いてくれる菩薩です。胸の中央に、右手で、意のままに物事を生じさせる黒い如意宝珠(にょいほうじゅ)を輝かせています。左手に掲げるのは花びらをつけた法輪(ほうりん)で、その功徳で一切衆生の願いを叶えることを示しています。なお、右手の指を頬にあてるのは思惟(しゆい)印で、何事も想いのままに行うことを表すのでしょう。
5大吉祥大明菩薩(だいきちじょうだいみょうぼさつ)。梵語名は、「大いなる吉祥の大いなる明智(をもつ者)」です。右手は、指をやや曲げて立てる与願印で、左手は拳を下に向けて膝に置く蓮華拳です。
6大吉祥明菩薩(だいきちじょうみょうぼさつ)。上の菩薩名から「大」が抜けている同名の菩薩です。左手の蓮華拳を上にあげています。「衆生の迷妄(めいもう)を断つ」菩薩として、上の菩薩とともに、「七白吉祥」(しちびゃくきっしょう)の一人に数えられます。
7寂留明菩薩( じゃくるみょうぼさつ)。静寂の境地に住み、智慧で衆生の迷妄を断つ菩薩です。白い紐(ひも)状の天衣を首の後ろから両肩にかけて翻(ひるがえ)し、瞳(ひとみ)を開いた優しい女性のその顔はやや左を向いていて、左手の人差し指を立て、右手の掌(たなごころ)を高くあげています。心静かな(寂)瞑想にあって、心の迷いから離れることで、明智に達する仕草です。経典には忿怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)とありますが、ここでは柔和な表情です。
■内側から第3列目
1白衣観音(ひようえかんのん)。梵語名の意味は「(パルナ樹の)葉をつけるシャバラ族(の女)」です。パルナの葉は、身を汚れから護るとされ、この女尊は、夫と家族や、その地域と統治者を煩悩から護る菩薩です。右手は、二股で先端に宝珠を載せた宝戟を持ち、左手は輪になった羂索(けんじゃく)を持っています。
2白身観世音菩薩(びゃくしんかんぜおんぼさつ)。「白衣観音」(びゃくえかんのん)とも称され、通常は白衣(はくい)をまとっていますが、ここでは、上の白衣観音と似た顔の表情で、同じように赤い衣を身につけています。右手は、上部が半円の刃の宝棒を持ち、左手は、こちらへ向けて開いた施無畏印(せむいいん)です。如来の大悲を身に体して、衆生を救済する妃菩薩です。
3豊財菩薩(ぶざいぼさつ)。梵語名の意味は、「福徳(財宝)を得た者(女尊)」です。
一面四臂(ひ)(手)で、右は、宝珠を持つ手と、開いた手を右に向ける与願印で、左は、大きな蓮華の花が二つ見えます。衆生に財宝の福徳を与える妃菩薩です。
4不空羂索菩薩(ふくうけんじゃくぼさつ)。「不空羂索観音」とも称されます。三面四臂(ひ)(手)で、左手の一つは、輪になった羂索(けんじゃく)を持ち、漁の網で、煩悩と生死の世界に網を張って、漏らすことなく済度(さいど)する大悲願を表します。不空羂索観音は、通常、両手で合掌する印相が多いようですが、この曼荼羅図の不空羂索観音は、両手で、親指と人差し指の先端を合わせて輪を作り、両方の小指と薬指を伸ばし、中指を軽く曲げる独特の転法輪印(てんぽうりんいん)で、この印は説法を意味します。また、右手では、降魔印(ごうまいん)もつくっています。
5水吉祥菩薩(すいきちじょうぼさつ)。梵語名は「水の吉祥な女尊」を意味します。ほんらい、大日如来の慈悲の水瓶をもって衆生の菩提心を潤す菩薩ですが、ここでは、右手は、開いて下に向け、誘惑の悪魔を退散させる蝕地印で、左手で、蓮華の花弁の茎を持っています。七吉祥の一人です。
6大吉祥変菩薩(だいきちじょうへんぼさつ)。梵語名は「吉祥の大智を持つ女尊)」の意味で、さまざまな姿に変現して衆生を救済する菩薩です。顔をやや右に傾け、右手は開いて横にする施無畏(せむい)印で、左手は大きな花弁の蓮華の茎を持っています。
7白処尊菩薩(びゃくしょそんぼさつ)。梵語名の意味は「白衣をまとった者(女尊)」です。もろもろの仏たちに大悲を生じさせることで、衆生に清い菩提心を生み出す蓮華部の母なる菩薩です。右手は、手の平を見せて、下に向いた与願印で、左手は、大きな蓮の花を載せた茎を持っています。胎蔵曼荼羅は、暖かい母性を発するものがあり、菩薩が母薩に見えてきます。
◎以上、真ん中の中台八葉院を核にして、その上下に遍知院と持明院、その左右に金剛手院と観音院、これら五つの部(院)で構成される正方形が、胎蔵曼荼羅図の主要区画です。この方形の上には、釈迦院(しゃかいん)があり、下には虚空蔵院(こくうぞういん)があります。
【釈迦院】
釈迦院は、釈迦如来を中心に、向かって右に、上に九体、下に八体の仏像が、上下二列に並び、向かって左にも、上に九体、下に八体の仏像が、二列に並んでいます。真ん中に怪魚を載せた緑の柱が二本立っていて、これらに挟まれて、釈迦牟尼(しゃかむに)と、釈迦牟尼に向かって右に観自在菩薩、向かって左に虚空蔵菩薩が居ます。これら三体は、仏(釈迦)と法(観自在)と僧(虚空蔵)の三宝(さんぽう)を表します。三体の像は、やや黒ずんではっきり見えませんが、凡夫のために変化身(へんげしん)で描かれています。この三体の左右の二列の中には、大目?連(だいもくけんれん)、舎利弗(しゃりほつ)、須菩提(すぼだい)、優波離(うばり)など、釈迦の十大弟子たちが加わっています。
釈迦院の右側(南)の上の列の最右端から四番目に、釈尊の十大弟子の一人で説法に優れ、笑みを浮かべた迦旃延(かせんねん)が居て、右手の人差し指を立て、左手の指を横に向けています。迦旃延(かせんねん)の左側(北)に居るのは、最後まで釈迦に付き添った容姿端麗で美青年の阿南(あなん)です。釈迦の経典を結集したこの弟子は、両手で合掌(左の自己と右の仏が一体になる印相)しています。
釈迦院の右側(南)の下の列で、最右端にいるのは、歓喜の笑みを湛える如来笑菩薩(にょらいしょうぼさつ)で、左手に蓮華を載せた茎を持っています。その左側(北)には、如来の法を語る如来語菩薩(にょらいごぼさつ)が居て、左手の上には、蓮華の上に炎光を放つ青い宝珠を載せています。〔『東寺の曼荼羅』42頁〕。
【虚空蔵院】
この院では、真ん中に、虚空蔵菩薩が、結跏趺坐(けっかふざ)の姿勢で描かれています。これに向かって右には、上下に五体ずつ仏像が並び、最右翼には、金剛蔵王菩薩が、多面多臂で、様々な法具を左右に持って大きく描かれています。
虚空蔵菩薩の向かって左には、上に五体、下に四体の仏が居て、その最左端には、千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)が居ます。三面と、その上に描かれた法輪の中に24もの顔を持って合掌し、さらに両手で説法印をつくっています。さらに左右に、多くの手で、様々な法具を持っています。衆生をもれなく救済する菩薩像です〔『東寺の曼荼羅図』43頁〕。
3章 中央を囲む四つの院
釈迦院と虚空蔵院とを含む方形の全体をやや薄い緑でくっきりと縁取るのが、上下左右の文殊院(もんじゅいん)と蘇悉地院(そしつじいん)と地蔵院(じぞういん)と除蓋障院(じょがいしょういん)です。
【文殊院】
この院の中央には、二柱(ふたはしら)の緑の門柱が描かれています。門の中は、中央に文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)が居ます。顔は「童子(どうじ)形」だとありますが、丸顔にやや笑みを浮かべた女性に見えます。この菩薩の頭の上には、「五髻」(ごけい)と称される五つの「まげ」が結われています。如来の五智慧を表すので、この文殊は「五髻文殊」(ごけいもんじゅ)とも称されます。五髻文殊は、左手に蓮華の花を持ち、蓮華の上には壊れることがない智慧を表象する五鈷杵(ごこしょ)が載っています。右は、手の平を上に向ける施無畏印でしょうか。この菩薩の前には、火炎光を帯び、黒い宝珠のある舎利塔(しゃりとう)らしいものが置かれています。この菩薩の後ろ(上の方)には、向かって左に観自在菩薩(かんじざいぼさつ)と、右に普賢菩薩(ふげんぼさつ)が居ます。菩薩の前(下の方)には、二人の門番が居ます〔『東寺の曼荼羅図』46〜47頁と50頁〕。
門の左には、六体の菩薩たちが並び、六体目の菩薩は、左右を二体(上下)ずつ四体の小さな尊体に囲まれています。最左端にあるのは、三鈷杵を載せた花弁を入れている薬壺(やっこ)でしょうか。その上部は、赤い花弁の上に五鈷杵が載っています。門の右側も左側と全く同じ構成で、菩薩が並び、最右端には同じ薬壺(やっこ)らしい大きな壺が見えます。
【蘇悉地院】
「蘇悉地」(そしつじ)は「妙成就」(みょうじょうじゅ)を意味し、言葉に尽くせぬほど見事に完成していることを指します。唐では、『大日経』の胎蔵部と『金剛頂経』の金剛部のほかに、第三部として『蘇悉地経』による蘇悉地部がありました。中央には、歯をむき出し、両眼を開いて睨む青い大きな明王(みょうおう)が居て、左右の手で燃える宝珠を掲げています。その左側(北方)には、不空供養菩薩(ふくうくようぼさつ)と孔雀王母菩薩(くじゃくおうもぼさつ)と一髻羅刹女(いっけいらせつにょ)と十一面観自在菩薩(じゅういちめんかんじざいぼさつ)の四体が居て、右(南方)には不空金剛菩薩と金剛軍荼利(こんごうぐんだり)と金剛將菩薩(こんごうしょうぼさつ)と金剛明王(優しい顔の菩薩姿)が居ます。この院の両端には、文殊院と同じ薬壺らしい大きな壺が見えます。
【地蔵院】
左側(北方向)の地蔵院は、上(東方)から、除一切憂冥菩薩(じょいっさいゆうみょうぼさつ)、不空見菩薩(ふくうけんぼさつ)、宝印手菩薩(ほういんしゅぼさつ)、宝光菩薩(ほうこうぼさつ)、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)、宝手菩薩(ほうしゅぼさつ)、持地菩薩(じじぼさつ)、堅固深心菩薩(けんごじんしんぼさつ)、日光菩薩の九体です。修行(しゅぎょう)を含むあらゆる苦難に耐えて、一切衆生を憐れみ、福徳を授与する菩薩たちです〔『東寺の曼荼羅図』47頁〕。
【除蓋障院】
右側の(南方向)の除蓋障院(じょがいしょういん)は、上(東方)から悲愍慧(ひみえ/びんえ)菩薩、破悪趣(はあくしゅ)菩薩、施無畏(せむい)菩薩、賢護(けんご)菩薩、除蓋障(じょがいしょう)菩薩、悲愍(ひみん)菩薩、慈発生(じほっしょう)菩薩、折諸熱悩(せきしょねつのう)菩薩、不思議慧(ふしぎえ)菩薩の九尊が居て、名前の通り、「苦しみを除く」菩薩たちで、衆生の能力に応じて、覚りの妨げになる煩悩を取り除く徳(働き)を授与します。
◎胎蔵曼荼羅の最も外側を構成するのが、上下左右の最外院(さいげいん)で、「外金剛部院」(げこんごうぶいん)と称されています。上(東)には大小合わせて三十尊以上、左右(北と南)と下(西)には、五十尊近い仏(ほとけ)たちが居ます。
4章 東と西の外金剛部院
【外金剛部院】(東)
この院の中央には、下部の文殊院の中央を占める二つの門柱が、その上部をさらに上に突き出していて、これが、東の外金剛部院(げこんごういぶいん)の真ん中に見えます。門の内部に居るのは二尊の守門天(しゅもんてん)と、その妃(きさき)たちの二尊の守門天女(しゅもんてんにょ)です。門の外の左(北)には帝釈天(たいしゃくてん)が居て、門の右(南)には持国天(じこくてん)がいます。〔以下の記述は「インターネットのMandara Dualism」(2024年11月12日)の「外金剛院(東)」やその他を参照しました。〕
ところで、「黄道十二宮」(おうどうじゅうにきゅう)は太陽の運行に基づく星座名ですが、暦の吉凶を占う「二十八宿」は、月の運行に基づく星座名です。古代の中国の神話では、天の四つの方位を「四象」(ししょう)と称し、それぞれの方位を司(つかさど)る霊獣がいました。東は青龍(せいりゅう)、西は白虎(びゃっこ)、北は玄武(げんぶ)、南は朱雀(すざく)の四獣(しじゅう)で、これを四神(ししん/しじん)と称します。東寺胎蔵曼荼羅図では、四象に対応するのは、以下の二十八宿です。ただし、四象に対応する星宿の配置には、暦の吉日と凶日とが重なりますので、いろいろに変わります。以下の分類と順番は、東寺胎蔵曼荼羅図の場合です。この曼荼羅図では、東西南北のどの外金剛部院(げこんごうぶいん)にも、赤い宝珠を持つ星宿が七人ずつ居ます。
東方の青龍は、昴宿 肪畢宿 参宿 觜宿 鬼宿 柳宿 井宿。
西方の白虎は、房宿 尾宿 牛宿 女宿 心宿 箕宿 斗宿。
北方の玄武は、胃宿 婁宿 壁宿 奎宿 室宿 危宿 虚宿。
南方の朱雀は、星宿 張宿 翼宿 軫宿 氏宿 亢宿 角宿。
中央の門の右(南)側から始めると、持国天は、四天王の一尊で、東の方位を護ります。西の方位は広目天(こうもくてん)、北の方位は多聞天(たもんてん)(毘沙門天)、南の方位を守るのは増長天(ぞうちょうてん)です。持国天の右(南)に梵天(ぼんてん)(星座のスバル座)がいて、左手に丸い曼陀羅華(まんだらげ)を持っています。その右隣に居るのは、「昴宿」(ぼうしゅく)、やや薄い肪畢宿(ひつしゅく)、参宿(しんしゅく)、觜宿(ししゅく)、鬼宿(きしゅく)、柳宿(りゅうしゅく)、井宿(せいしゅく)の七星座で、東方青竜七星と称されます。その右隣に、羊宮(ようぐう)(おひつじ座)と牛宮(ごぐう/ぎゅうぐう?)(おうし座)とが、上下になって動物の姿で居ます。その右には、上下になって、二尊の男女宮(なんにょぐう)が居ます(ふたご座)。下の赤い宝珠を持っているのが、女宮(にょぐう)でしょう。その右には、同じく上下になって、やや小さい姿の流星(りゅうせい)(斜め姿で)と形都星(けいとせい)(彗星:すいせい)とが居ます〔『東寺の曼荼羅図』46頁の図と49頁と53頁の解説〕。その右には、三頭の馬に乗った日曜(にちよう)と、右上に日曜眷属(にちようけんぞく)(日曜の従者)が居ます。その右に婆藪仙(ばすせん)(千手千眼観自在菩薩の眷属)と、左下に、赤い布で膝をまとう妃の婆藪仙后(ばすせんごう)が居ます。その右に、小さい火炎光を帯びた火天妃(かてんごう)と、最右端には、大きい火炎光の背光に包まれて、右手に三角形の「遍知?」を載せた皿を持つ火天(かてん)(火の神)が居ます。
中央の門の左(北)側には、帝釈天(たいしゃくてん)が居て、右手に長い宝戟を持っています。ちなみに、「十二天」とは、天空の十二方位を護る仏たちで、帝釈天(たいしゃくてん)(東)、火天(かてん)(南東)、閻魔天(えんまてん)(南)、羅刹天(らせつてん)(南西)、水天(すいてん)(西)、風天(ふうてん)(北西)、毘沙門天(びしゃもんてん)(北)、伊舎那天(いしゃなてん)(北東)、梵天(ぼんてん)(上)、地天(ちてん)(下)と、日天(にってん)(太陽)と月天(がってん)です。 帝釈天(たいしゃくてん)の左には、太陽を表す日天の妃(きさき)で、優しい顔の日天后(にってんごう)が居ます。その左に、何頭もの馬に乗った大きな姿の日天が居て、左手に蓮華の花の茎を持っています(もとはヒンズー教の太陽神群から)。その左が弓矢を持つ微闍耶(びじゃや)(日天の眷属?)で、これで日天の三尊が揃(そろ)います。その左には、小さな二階建ての楼閣(ろうかく)が四つ並んでいます。
それら楼閣の中には、左方向(北)へ、識無辺処天(しきむへんしょてん)、空無辺処天(くうむへんしょてん)、無所有処天(むしょゆうしょてん)、非想天(ひそうてん)=有頂天(うちょうてん)の「四無色天」(しむしきてん)が瞑想しています。煩悩(ぼんのう)の程度に応じて欲界(よくかい)と色界(しきかい)と無色界(むしきかい)の三界(さんがい)があり、非想天はその最上界にあたります。非想天の左側には、上と斜め下に並ぶ二尊ずつの三組(六尊)が来ます。上の堅牢(地)神(けんろうちしん)と下の堅牢(地)神后(けんろうちしんごう)、上の器手天(きしゅてん)と下の器手天后(きしゅてんごう)、上の常酔天(じょうすいてん)と下の喜面天(きめんてん)です。
最左端(北)に居る伊舎那天(いしゃなてん)は、もとはヒンズー教のシヴァ神で、天空の魔王でしたが、仏教では、天空を護る十二天の一人です。右手で三鈷杵を載せた長い宝戟(ほうげき)(槍)を持ち、左手は赤いもの入れた丸い皿を差し出しています。その下には小柄な伊舎那天妃(いしゃなてんひ)が居ます(この二人は、日本のいざなぎ、いざなみ二神の祖神とも言われます)。
【外金剛部院】(西)
最下部(西)の外金剛院の中央には、緑の門の二柱があり、その中に、大きい水瓶が置かれていて、水瓶の右には、難陀龍王(なんだりゅうおう)と対面天(たいめんてん)が、水瓶の左には、跋難陀龍王(うはなんだりゅうおう)と難破天(なんぱてん)が水瓶(みずがめ)を守護しています。〔以下の記述は「インターネットのMandara Dualism」(2024年11月12日)の「外金剛院(西)」やその他を参照しました。〕
門の左側(北)には、天の西を守護する広目天(こうもくてん)が、青味を帯びた姿で宝戟を構えて座っていて、その左には水天(すいてん)が居て、その左に上下して、水天妃(すいてんひ)と水天妃眷属(すいてんひけんぞく)とが居ます。その左には、インドの神鳥とされ、左右に翼を持つ迦楼羅(がるら)に乗った青い護法善神の那羅延天(ならえんてん)が居ます。その左に那羅延天后(ならえんてんごう)が居て、その左側の上に弁才天(べんざいてん)が琴を持っていて、その左には、青い孔雀(くじゃく)に乗った六面の鳩摩羅天(くまらてん/別名「韋駄天」いだてん)(無執着の童神)が大きく描かれています。その左には、左手に花を持つ月天(がってん)が居ます。
月天(がってん)の左には、上に三尊とその下に三尊の歌姫(うたひめ)たち?が居て、右上から順に、月天女(がってんにょ)と歌天女(かてんにょ)と樂天(がくてん)、その下には右から、太鼓を持つ鼓天(こてん)と、歌天(かてん)と、少し離れて衣を翻(ひるがえ)す風天妃(ふうてんひ)が居ます。その左となりには、上下になって風天の従者らしい二尊が居て、最左端(北側)に居るのが鎧を着て襟巻きを翻(ひるがえ)す風天で、右手に長い幢 (はた)を持っています。
中央の門の右側(南)には、いかめしい顔の水天(すいてん)が居て、右手に利剣を左手に赤い宝珠を持っています。その右下にやや小さい姿の水天眷属(すいてんけんぞく)が見えます。この二尊の右には、上段に四尊と下段に二尊が、水天と同じ赤い宝珠を手にして座っていて、これらの六尊は、星の二十八宿の星宿(せいしゅく)に属します。
上段の四尊を左から右へたどると、房宿(ぼうしゅく)はさそり座の一部で、月火水木金土日の七曜の火曜(火星の影響を受ける)にあたります。その右の尾宿(びしゅく)はさそり座に属し、七曜は「木」です。次の牛宿(ぎゅうしゅく)はやぎ座に近く、稲見星(いなみぼし)と称されます。四番目の女宿(じょしゅく)はやぎ座に属し、七曜は「土」です。
下段を左から見て行くと、心宿(しんしゅく)はさそり座に属し、七曜は「火」です。その右の箕宿(きしゅく)は射手(いて)座に属し、七曜は「木」です。箕宿(きしゅく)の右に居て、箕宿(きしゅく)のほうに顔を向けているのは、斗宿(としゅく)です。斗宿(としゅく)は、いて座とさそり座に関係し、七曜では木星と土星の影響で「木」と「土」です。房宿から斗宿までが、西方白虎七星(さいほうびゃっこしちせい)です。斗宿の右に居る矢を持ったやや小柄な童子は、弓宮(きゅうぐう)です。弓宮は射手(いて)座に属して、斗宿と箕宿と尾宿とが、これと関連します。弓宮の上には、蝎宮(かつぐう)(さそり座)を表す蠍(さそり)が居ます。
蠍(さそり)の右には、二人の老人が、右手を差し出す仕草で並んで立ってます。(天)秤宮(てんびょうぐう)と、その右が七曜の一つ土曜(どよう)(土星)です。秤宮と土曜の下に居るのは、白く輝く円光を頭に持つ月曜(げつよう)で、その右で、顔を見合わせているのは、地球に最も近い惑星の水曜(すいよう)と摩拏赦(まぬしゃ)(人間の男)です。この二人の上には、赤みを帯びた円光を持つ摩拏赦女(まぬしゃにょ)(人間の女)が居て、この三人は、ちょうど三角形に配置されています。上の摩拏赦女(まぬしゃにょ)の右には、死と病(やまい)の魔神の遮文茶(しゃもんだ)が居て、赤黒い猪(いのしし)の頭で、冠を頂き、右手に器盤を持ち、左手を拳(こぶし)にしています。
その右には、赤い衣を着て目立つ姿の帝釈女(たいしゃくにょ)が居て(東の外金剛院の北側の帝釈天に対応?)、その下に、鳩摩利(くまり)と梵天女(ぼんてんにょ)が左右に並んでいます。帝釈女(たいしゃくにょ)の右隣には、大自在天の妻で、白牛?に跨(また)がり三つ叉の宝戟(ほうげき)を持つ烏摩妃(うまき)が居て、その右下には、烏摩妃(うまき)と同じ姿勢で同じ宝戟持つ大自在天(だいじざいてん)が居ます。その右上に、十二天の一人で羅刹天(らせつてん)の主(ぬし)とされる涅哩帝王(ねいりちおう)(もとは無法の魔神)が居て、その下に、羅刹女(らせつにょ)と、最右端に羅刹天(らせつてん)が居ます。羅刹天(らせつてん)は、目をむいた恐ろしい形相で左側を睨み、赤い衣をまとい、右手に剣を持ち、左手で剣(つるぎ)の印を作っています。羅刹は、その剣で衆生の煩悩を断つと言われます。羅刹天は、十二天の一人で、西南の方位を守護します。もとは人を食らう鬼神でしたが、仏の説法に接し、法華経を信じて衆生を守る神になったと言われます。
5章 北と南の外金剛部院
【外金剛部院】(北)
最左端(北)と最右端(南)の外金剛院には、縦の院の中央に緑の門柱二柱が縦に並んでいます。したがって、これらの院の諸尊は、上下に並ぶことになります。縦並びの諸尊は、東と西の外金剛院の門の場合と同じように、中央の門から二つ(北外金剛院では上下)に分かれて、門から上下の最端にいたる構図だと見ていいでしょう。しがって、ここでは、門の上部を下から上へ、門の下部を上から下へ見ていくことにします。この構図は、金剛手院と観音院にもあてはまりますから、これらの両院も、上下の真ん中から上(東)と下(西)へ向かう序列で見るのが適切であることを教えてくれます。〔以下の記述は「インターネットのMandara Dualism」(2024年11月12日)の「外金剛院(西)」やその他を参照しました。〕
北(と南)の両外金剛部院の門柱は、曼荼羅全体の出入り口だとあります〔『東寺の曼荼羅図』53頁〕。北の外金剛院の門の上には、頭に二本角の魔除けの鬼が歯をむき出しにしています。その下に、二本の柱の間に、頭上に七匹の蛇をつけ、右手に剣を持つた難陀龍王(なんだりゅうおう)(八大龍王の一人で雨乞いの龍神)が右に、その左には、弟の烏波難陀龍王(うはなんだりゅうおう)が、同じ七蛇を頭上につけて、顔を見合わせて並んでいます。「難陀」の原意は「歓喜と幸せ」を意味します。二人の下の右側には、左手を膝に置き、右手を「く」の字にあげた倶肥羅天(くびらてん)(財宝を護る神)が居て、その左に並んで、妃(きさき)の倶肥羅天女(くびらてんにょ)が居ます(「倶肥羅」の原意は「富の神」)。以上が、門柱の側で門を護る四体です。
門柱の上(東)には、十二天の一人で天の北方を守る毘沙門天(びしゃもんてん)が居ます。毘沙門天は、天の四方を護る四天王としては、多聞天とも称され、宝珠を載せた長い宝棒を右手で握り、左手には舎利塔(しゃりとう)を載せています。毘沙門天の上(東)には、赤い炎光に包まれた成就持明仙(じょうじゅじみょうせん)が座っています。「明呪」(みょうじゅ)は、密教の真言を唱える呪(まじな)いのことで、成就持明仙は、この呪(まじな)いの効力を発揮(成就)させる仙人です。その左には、小柄な妃(きさき)の成就持明仙女(じょうじゅじみょうせんにょ)が立っています。
成就持明仙の上(東)には、三尊ずつ六尊が、縦の二列になって居ます。成就持明仙のすぐ上(東)の左(北)が危宿(きしゅく)で右(南)が虚宿(きょしゅく)、その上は、左が奎宿(けいしゅく)で右が室宿(しつしゅく)、その上は、左が婁宿(ろうしゅく)で右が壁宿(へきしゅく)、合わせて六尊です。これら左右の宿は顔を見合わせていますが、六尊の上(東)には胃宿(いしゅく)だけが居ます。これら七尊は、二十八宿の北方玄武七星で、赤い宝珠を手にしています。
胃宿(いしゅく)の右上には少女宮(にょうにょぐう)が居ます(十二宮のおとめ座)。その左(北)に居るのは蟹の姿の(巨)蟹宮(かいぐう)で(十二宮のかに座)、これら二つの上に、獅子(雌?)の姿の獅子宮(ししぐう)が居ます(十二宮の獅子座)。獅子の左上に居るのは、赤い衣をまとい、両手を宝棒の上に載せて座る戦鬼(せんき)で、これは戦争の鬼(おに)です。戦記の右には、ふっくらと美しい顔の金曜(きんよう)(金星を表す)が居て、赤い袈裟を翻しています。ちなみに、この組み合わせは、ヨーロッパのイコンで描かれる戦(いくさ)の男神マルス(火星)と平和の女神ウェヌス(金星)の二人を想起させます。
二体の上には、右手に長い三つ叉の宝戟を持ち、顔が像を想わせる毘那夜迦(びなやか)が居ます。これの梵語名の原意は、「導き案内する者」「障害を取り除く者」で、ヒンズー教の神を受け継ぐその頭部は象の姿です。唐の歓喜天の眷属では、象頭人身の二体の男女が抱擁する姿もあります。毘那夜迦(びなやか)の上は、北金剛部院の最東端にあたり、そこに居るのは、青黒く、いかめしい三面六臂の摩訶迦羅(まかから)です。もとのヒンズー教では破壊の神で、いわゆる大黒天の元祖にあたりますが、仏教では、戦(いく)さと財福と冥界を表し、両手で剣を握って馬に乗り、背後には象の皮を手で広げています。その上は、東外金剛部院の最北端にもなり、青い伊舎那天(いしゃなてん)と、その下に小柄な伊舎那天妃(いしゃなてんひ)が居ます。
北金剛部院の中央の門の下(西側)に居るのは、左手で金剛拳をつくり、右手で金剛杵を握る帝釈天(たいしゃくてん)です。どういうわけか、帝釈天は二人居て〔『岩波仏教辞典』878頁〕、東門の北の帝釈天は、灰色姿のいかめしい顔で右を向いていますが、北門の西側のほうは、女性を想わせる白い顔で正面を向いています。帝釈天の右下に小さく描かれているのは帝釈后(たいしゃくこう)で、この二人の下(西)で躍っているのは樂天(がくてん)です。樂天の足下の左右には、二人の歌天(かてん)が居て、これらの女天は、両手を叩いて?聖なる歌を讃美しているように見えます。その下の左右に、帝釈天の眷属(けんぞく)である緊那羅(きんなら)と緊那羅女(きんならにょ)が居ます。この二人は音楽の神で、手に何かを持っているようですがよく見えません。
二人の下(西)には、赤い袈裟を翻えして座っている摩睺羅迦(まごらが)が居ます。ほんらい、首は大蛇で体は人間のインドの鬼神だと言われますが、ここでは、ふっくらした優しい顔を見せる帝釈天の眷属で、緊那羅(きんなら)とともに音楽の神です。摩睺羅迦(まごらが)の左右に居るのは、
摩睺羅迦女(まごらがにょ)たちで、二人とも摩睺羅迦の妃です。摩睺羅迦を中にして並ぶ三体の下には、同様に三体ずつ並ぶ仏たちが六段続き、摩睺羅迦(まごらが)から始めて、八段目に、風天とその童子の三体が来ます。
摩睺羅迦の下に居るのは、成就持明仙(じょうじゅじみょうせん)の三人組です。成就持明仙(じょうじゅじみょうせん)(呪いを成就させる仙人)は、左手に何か持っていて、左右には、その妃の成就持明仙女(じょうじゅじみょうせんにょ)が居ます。その下の自鬘天(じまんてん)と二人の自鬘天(じまんてんにょ)は、次に来る他化自在天(たげじざいてん)の眷属です。その下に来るのは他化自在天(たげじざいてん)で、その名前は、他者の快楽をほしいままに自分のものにすることで変化(へんげ)するものを意味します。もとは、覚りの道を妨げる魔神でしたが、ここでは、逆に覚りの道を楽しませる仏です。左手に弓、右手に矢を持つのは、快楽の獲物を自由に仕留(しと)めるためです。左右には他化自在天(たげじざいてんにょ)が居ます。その下に、白い衣で正面を向いているのは兜卒天(とそつてん)で、五感の欲望を満たす喜びを表しています。兜卒天には、内院と外院とがあって、内院は弥勒(みろく)菩薩の浄土とされ、外院は、天の衆生が楽しむ場所です。左右に居る兜卒天(とそつてんにょ)は、左が白い衣、右が赤い衣で、右の赤いほうが弥勒菩薩でしょう。
その下には、高音天(こうおんてん)と二人の高音天女(こうおんてんにょ)が居ます。仏教の三界(さんがい)とは、外側から色界と欲界と無色界とが、ちょうど胎蔵曼荼羅のように構成されていて、その中心に、大日如来の仏性(ぶっしょう)が存在します。「光音」(こうおん)とは、「音声」(おんじょう)を発することのない(大日如来の言葉の)光明が、そこから「鳴り響く」ことを意味します。如来は、「音声」(おんじょう)がなく、語るときには口から浄らかな光を発して語るとされるからです。その下には、緑の袈裟をまとい、右手に蓮華の花?の茎を持つ大光音天(だいこうおんてん)と二人の大光音天女(だいこうおんてんにょ)が居ます。大光音天(だいこうおんてん)の三体組の下に居るのは、二人の風天童子(ふうてんどうじ)と、その下で袈裟を翻し右手に長い幢 (はた)を持つ風天です(西外金剛部院の最北端)。
【外金剛部院】(南)
中央の門の上に居る鬼の面は、南北同じですが、北の門上の鬼の頭には火炎を帯びた緑の宝珠があり、二柱の門上には、大きな薬壺(やっこ)のようなものが載っています。南のほうでは、鬼の頭上と二柱の門上には、火炎を帯びた黒い宝珠があります。〔以下の記述は「インターネットのMandara Dualism」(2024年11月12日)の「外金剛院(南)」やその他を参照しました。〕
南の外金剛部院の中央にある二柱の門の中に居るのは、北の場合と同じで、上の左に難陀龍王(なんだりゅうおう)と、その右に烏波難陀龍王(うはなんだりゅうおう)が居ます。北の難陀龍王は、右手を膝の上に置き、左手で何かを握っていますが、南の難陀龍王は、右手で剣を握り、左手は金剛拳を膝の上に載せています。北の烏波難陀龍王は、難陀龍王と同じ姿勢で右手に剣を持ち、左手を膝の上に置いていますが、南の烏波難陀龍王は、右手で剣を持ち、左手には宝鈴(ほうれい)を持っています。南では、二人の下に居て門を護る左右の二人は阿修羅(あしゅら)です(もとは呪術に優れたヒンズーの神アスラ)。二人とも北の二人と同じに、右手で剣を握って、左手のほうは膝の上に置いていますが、着ている衣の色が異なって、北の左側が赤いのに対して、南では、右側が赤い衣です。
門の上部を下(西)から上(東)へ見ていくと、南の門の上(東)にいるのは増長天(ぞうちょうてん)です。梵語の名前の原義は「芽を出しはじめた穀物」「増長」の意味で、天の南方を護る四天王の一人です。両手を膝の上に置き、目をむいて正面を見据えています。その右には、緑色の小柄が増長天の従者が座っています。
増長天の上(東)には、美しい顔の薬叉持明(やくしゃじみょう)を真ん中に、左右に薬叉持明女(やくしゃじみょうにょ)が居ます。薬叉持明(やくしゃじみょう)は、もとはヒンズーの鬼神ですが、仏教では、財宝の恵みをもたらします。左右の二人は、呪いに優れた(明呪:みょうじゅ)の侍女で、左の侍女は座り、右の侍女は立っています。
その上の左右の二人は、角宿(かくしゅく)と?宿(ていしゅく)、その上は、張宿(ちょうしゅく)と翼宿(よくしゅく)で、どれも南の方位(朱雀)を護る星宿です。その上には、軫宿(しんしゅく)を真ん中にして、少し下がって左右に、(七)星宿(しちせいしゅく)(土地宿の異名)と亢宿(こうしゅく)とが居ます。どれも、二十八宿の南方朱雀七星に属します。角宿(かくしゅく)から亢宿(こうしゅく)までの七人は、赤い宝珠を手にしています。 その上の左右の二人は、木曜(もくよう)と火曜(かよう)です。
木曜と火曜の間に居て、火曜のすぐ左に、大きな顔だけを見せている女性らしいのが羅?星(らごせい)です。火水木金土の五つの惑星に、日と月とを加えると七惑星で、これに羅?星(らごせい)と計都星(けいとせい)(この二つは実在しない仮想の惑星)を加えると、吉凶を占う「九曜」になり、羅?星(らごせい)は九曜の一つで、日蝕と月蝕を起こす凶星です。木曜と羅?星(らごせい)と火曜の三体の左上に、上下になっている二匹の魚が双魚宮(そうぎょぐう)(うお座)です。二匹の右には、歯をむいて口を開け、赤い尾ひれを持つ大きな怪魚の摩竭宮(まかつぐう)が居ます。摩竭宮(まかつぐう)は黄道十二宮の山羊座にあたります。その上には、蓮華の花弁を入れた大きな壺の形をした賢瓶宮(けんびょうぐう)が来ます。賢瓶宮(けんびょうぐう)の上に来るのが、自在天女(じざいてんにょ)で、その左右に、毘紐女(びちゅうにょ)と夜摩女(やまにょ)が居ます。
毘紐女(びちゅうにょ)と夜摩女(やまにょ)の上には、髭を生やし痩せた姿(修業僧)の瞿曇(くどん)と、槍のような宝戟を持つ若い瞿曇后(くどんごう)が居ます。「瞿曇」(くどん)は、釈迦の姓の「ゴータマ」から出た仙人の名前です。その上には、火天の眷属である阿詣羅仙(あけいらせん)(瞿曇と同じような姿)と、宝棒を持つ若い阿詣羅仙后(あけいらせんごう)が来ます。その上に、煩悩を焼き尽くす火炎を帯びて、火天(かてん)が居ます(北外金剛部院の最右端)。
南の外金剛部院の中央の門の下(西)には、閻魔天王(えんまてんのう)を中心に、左右に、黒闇天女(こくあんてんにょ)と太山府君(たいせんふくん)が居ます。閻魔天は、もとはインドの神で、仏教では運命や死と冥界の神です(閻魔天は焔摩天とも記されますが、密教では焔摩天が用いられる場合が多いようです)。密教では、八方位(東西南北と東北・東南・西北・西南)を守護する八方天の一人です。帝釈天(東)、火天(東南)、焔摩天(南)、羅刹天(西南)、水天(西)、風天(西北)、毘沙門天(北)、伊舎那天(東北)で、焔摩天(えんまてん)は南方を護ります。焔摩天に属する眷属(けんぞく)に焔摩七母天(えんましちもてん)がいます。門の上(東)側に描かれて、先に見た自在天女も毘紐女も夜摩女も焔摩七母天に入ります。
南側の外金剛院の中央門のすぐ下(西)に居るのは焔摩天で、ふっくらした優しい顔をやや下に傾けて水牛の上に座り、左手に、人の顔を載せた幢(はた)を持ち、右手は恐れを取り除く施無畏(せむい)印です。焔摩天が顔を向けているのは、その左下に居る小柄な黒闇天女(こくあんてんにょ)です。別の名を「黒闇后」(こくあんごう)と言い、梵語の名前の原義は「人が死ぬ夜」で、三人居る焔摩天の妃の一人です。
焔摩天の下(西)には、太山府君(たいせんふくん)が居ます。焔魔天の眷属で、名前の由来は、「(生前の)人間の行為を記録する者」です。太山府君も、輪の中に人の顔を載せた幢(はた)を持ち、その左下に居て、茶色の長い髪の束をなびかせて合掌している小柄な人物に語りかけています。その名は「死鬼衆」(しきしゅう)で、死後に地獄で閻魔の裁きを受ける死人たちの一人です。
ところで、太山府君の左下(上記の死鬼衆の真下)に居て、左手に花を持ち、右手に大きな壺を持つ白い女性らしい人物は、筆写(私市)の見るところ、太山府君の妃(きさき)でしょう。この妃の前には、二人の鬼衆女(きしゅうにょ)が居て、恐ろしい顔つきで、(人の)血で満たされた大きな皿、「劫波杯」(ごうははい)を手にしています〔『東寺の曼荼羅図』53頁の図12を参照〕。これら三人の下には、同じような小柄で茶色の鬼衆たちが六人続きます。
六鬼衆たちの下に居る三体の白い人物たちは荼吉尼衆(だきにしゅう)で、三体の下には、人の死体らしい茶色の姿が横たわっています。荼吉尼衆は、人間の肉を食べる鬼女でヒンズーの女神ダキーニに由来する荼吉尼天(だきにてん)の配下ですが、胎蔵曼荼羅図では焔魔天の眷属になります。三体の下に二人ずつ並ぶ四人は、呪いの功徳に優れた成就持明仙衆(じょうじゅじみょうせんしゅう)ですが、ここでは閻魔天の眷属とされています。
その下には、右手に利権を持つ摩尼阿修羅(まにあしゅら)を中心に、その両側には摩尼阿修羅の妃たち、三日月型の刃を持つ宝棒を手にする摩尼阿修羅女(まにあしゅらにょ)たちが来ます。摩尼阿修羅たちの三体は、下の阿修羅に似た姿をしていて、阿修羅衆に入ります。
摩尼阿修羅の下には、阿修羅(あしゅら)が居て、その両側に居るのは、阿修羅の妃の(眷属にも見えますが)阿修羅女(あしゅらにょ)たちです。阿修羅は、ヒンズー教の天帝でも魔性のアスラに由来します。仏教では、護法のために闘う神ですから、鎧を着て、赤い顔をして横目で睨みを効かせ、右手には太い宝棒を握り、左手は、膝の上で金剛拳を握っています。左側にいるのはその妃で、赤い衣をまとい、額に花弁を頂く阿修羅女(あしゅらにょ)です。阿修羅の従者と思われる右側の眷属は、先が二股で法輪を付けた宝戟を持っています。古代インドの神々(邪神や魔神)は、仏教に帰依することで、いわゆる八部衆と称される部族を形成します。天(てん)衆、龍(りゅう)衆、夜叉(やしや)衆、乾闥婆(けんだつば)衆、迦楼羅(かるら)衆、阿修羅(あしゅら)衆、緊那羅(きんなら)衆、摩?羅迦(まごらが)衆の八部衆で、阿修羅は、この八部衆の一つを形成します。
阿修羅たちの下には、左と右に、赤いスカートの若い迦楼羅女(かるらにょ)とやや茶色がかった迦楼羅王(かるらおう)とが居ます。迦楼羅は、風雨の災害をもたらす毒蛇を食べて人を護る霊鳥から由来するので、衆生の煩悩の三毒を食らうとされ、この二人は、口から金箔のような息を吐き、翼を付けて描かれています。
このふたりの下(西)には、左に鳩槃荼(くはんだ)と右に鳩槃荼女(くはんだにょ)が居ます。鳩槃荼(くはんだ)は巨大な陰嚢を持つことから、大きい赤い太鼓のような陰嚢を叩いているようです。顔はよく見えませんが、鳩槃荼女が馬の顔のように描かれているので、鳩槃荼も同じ顔でしょう。
次に来るのは、最下(西)端の羅刹天に最も近い羅刹童子(らせつどうじ)と羅刹童女(らせつどうにょ)です。羅刹童子は、右手に宝珠を載せた宝棒を持ち、左手で金剛拳をつくっています。羅刹童女のほうも太い宝棒らしいものを右手に持ち、左手をやや曲げるように上げています。経典によれば、釈迦が雪山で覚りを得ようと修行していると、帝釈天が、亡者を責める地獄の鬼の姿をした羅刹に化身して現れ、「諸行無常・是生滅法」(諸行は無常にして、是れ生滅の法たり)」と説くと、これを聞いた釈尊が、その偈(げ)(韻文の言葉)の残りの半分を知りたいと願って、そのために己の身を羅刹に食べさせると約束します。すると、羅刹から「生滅滅已・寂滅為楽」〔生滅(しょうめつ)の滅し已(お)われば、寂滅(じゃくめつ)を楽と為す〕と教えられます。釈迦は、その偈(げ)を書き留めて、木に登り身を投げると、羅刹は帝釈天の姿に戻り釈迦を褒めて、必ず成仏が成就すると約束したと伝えられます。ちなみに、この、「諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽」は、空海が教えた「いろは歌」のもとであると言われます〔インターネット『聖教新聞』用語解説より〕。
あとがき
筆者(私市元宏)は、長年キリスト教を中心に、宗教人類学に興味を抱いてきました。そこで、仏教が伝える霊性を知りたいと想い、先ず曼荼羅図を見ようと、地元にある東寺を訪れました。東寺の講堂に安置された二十一体の仏像は、両界の曼荼羅図に登場する仏(ほとけ)さんばかりです。続いて金堂では、薬師如来(やくしにょらい)と、日光(にっこう)と月光(がっこう)の両菩薩と、三体の仏像などを眺めてから、食堂(じきどう)に入ると、入り口の近くに置かれている大きな方形の金剛と胎蔵の両界曼荼羅図に出会うことができました。美しい胎蔵曼荼羅図を感慨深く眺めているうちに、「ここに描かれているのは、どんな仏さんたちだろう?」という素朴な疑問が湧いてきて、売店を訪れ 『東寺の曼荼羅図』と『東寺の仏たち』と、『国宝両界曼荼羅図・金剛界・胎蔵界』の二枚の曼荼羅図などを求めて調べ始めました。
絵画の展示会では、その絵の画家とそこに展示されている作品について簡単で分かりやすい解説がついています。そのおかげで、全く知らない画家の描く作品でも、それなりに理解し鑑賞することができます。ところが、この曼荼羅図については、どういうわけか、立派な画集や、専門的な解説などが多い割には、初心者でも分かる「展示会用」の解説がなかなか見当たらないのです。そこで、先ず胎蔵曼荼羅図を自分なりに「勉強して」、初めてこれを見る人のために書いたのがこの小冊子で、その題名の由来です。
胎蔵曼荼羅図の仏さんたちの名前を調べるうちに、 古代インドのヒンズー教を受け継いだ仏教が、中国に渡り、日本へ伝わった経由をも含めて、仏教が描き出す世界像の全体が、仏さんたちの映像を通じて伝わってくるのを体観しました。「大日如来が発する智慧の光明とは、こういうもの」と、仏(ほとけ)さんたちの姿からみごとに伝わってくるのです。曼荼羅図は驚くべき図像(イコノロジー)です。なんとも不思議なご縁を覚えます。東寺を訪れて驚いたのは、大勢の観光客が来ているのに、曼荼羅図を見ようとする人が、それほど多くないことです。英米の人、若いドイツ人やフランス人たち、アジアの国々からわざわざ見学に来た若い人たちが、せっかく訪れながら、曼荼羅図を見ようともしなのは、もったいないです。インターネットで「東寺の立体曼荼羅」で検索すると、金剛と胎蔵の両界曼荼羅図を見ることができますから、初心の方は、展示用のごく簡単な解説を見るつもりで、この冊子を片手に、胎蔵曼荼羅図を眺めるのもいいでしょう。
令和七年一月 京都の嵯峨野にて 私(きさ)市(いち)元(もと)宏(ひろ)
奥付
著者紹介
私市 元宏(きさいち もとひろ)
1932年、北海道の生まれ。京都大学文学部卒。
公立高等学校、工業専門学校、京都産業大学、立命館大学、甲南女子大学の教員を歴任。
甲南女子大学名誉教授。その間、無教会キリスト教で、仏教に造詣の深い小池辰雄氏に師事。
ホームページ: http//koinonia-jesus.sakura.ne.jp
初めて見る東寺胎蔵曼荼羅図の仏たち
2025年1月30日 第1 刷発行
著者: 私市 元宏
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著者紹介
私市 元宏(きさいち もとひろ)
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*【注】東寺の胎蔵曼荼羅図と金剛曼荼羅図は、インターネットで、「東寺の立体曼荼羅」で検索すると、東寺の売店で市販されている二枚入りの曼荼羅図と同じ物を見ることができます。
初期の朝廷時代における宗教的習合へ