感謝の詩篇
ここで、ヨハネ文書以前のグノーシスについて触れるとすれば、その一つに、死海文書群の『感謝の詩篇』がある。この文書については、新約聖書のメシア像、特に神が「メシアを生む」という思想との関連で注目されている。また、この詩篇に「義の教師」として登場する「わたし」が、新約のイエスのメシア像と重なることも指摘されている。とりわけ、「その渇きに対して酢を飲ませ」[Ⅳー11]、「わたしのパンを食する者らもまたわたしに向かって踵をあげた」[V-24]などのメシアの受難は、詩編22篇を踏まえていて、これが新約のメシア預言としてのイエスの受難と結びつくと思われる。
ここでの「わたし」とは、「義の教師」のことであるが、このような一人称の用法は、ヨハネ福音書(14章ー17章)でイエスの語る「わたし」を思わせる。「わたし」は、神の経綸の秘義を知り、神と宗団との間の契約の仲保者であり、宗団の最高の地位にある。人間は徹底的に罪悪に染まっているから、神は、クムランの聖徒たちを、この悪の時代(アイオーン)から選び出して、彼らに対して特別にきよめの業を行なう。宗団と外の世界とは、光と闇とで二元論的に峻別されているが、その闇は、同時に宗団の中にも及んでくる。しかし、神は「残りの少数者」を最後まで守る。このような深い原罪論はパウロを思わせるが、闇から光への救済論は、むしろヨハネ文書に近いと言えよう。特にその終末観は、ヨハネ黙示録16章に似ていて宇宙的である。この文書は、この世が徹底的に罪に染まっていると見る現世否定の思想において、また光と闇の二元論において、さらに「真理の子たち」が、ソフィアを思わせる母性に抱かれるという発想において[IX-36]、後のグノーシスに至る傾向を帯びていると見ることができる。
パウロとグノーシス
パウロとコリントの教会に現われた「グノーシス」的な傾向については様々に論じられている。ただし、コリントの人たちに対するパウロの「復活論」ついては一言付け加えておく必要がある。第一コリント人への手紙15章で、パウロは第二のアダムとしてのキリストを語っている。しかし、パウロは、まず人間の復活がなければキリストの復活もないはずだと言う。ここでは、キリストの復活が人間一般の復活に根拠づけられているのである。さらにパウロは、その復活の様態を描くに際して、自然のうちに蒔かれた種を類比として出している。この類比は、キリストの復活に働く神の命そのものが、自然のうちに働く命にその根拠を持つことが示唆されていると解釈できよう。したがって、パウロの復活も、創世記1章の神の言葉による創造の原理にその起源を持つと考えることができる。神の言葉に宿る創造の業が、罪の贖いとキリストの復活を導き出す根源の命の泉なのである。ちなみに、このようなパウロの復活思想は、「万物がそれによって成った」とするヨハネ的な神のロゴスへとつながると見ることもできる。
ところで、パウロは、ユダヤ人キリスト教徒に対しては、すでに復活がキリストにあって始まったと説き、ヘレニズム・グノーシス的傾向にある人たちに対しては、復活はまだ完成していないと説くことで、彼らの霊肉二元論を否定している。彼の復活に潜むこの正反対の2面性は、最初のアダム(σωμα ψυχικον〔自然の命の体〕)から罪のアダムへ移行し、さらに、最後のアダム(σωμα πνευματικον〔霊の体〕)へと至る神のロゴスにある創造過程によって、一元的に貫かれていると見ることができよう。
荒井献氏は、「知恵の言葉」が、ユダヤ・キリスト教の黙示文学や知恵文学の枠の中で用いられる場合には、これを「グノーシス」と定義することはできないとして、コリント教会でのパウロの批判の対象者たちが、必ずしも「グノーシス熱狂主義者」であるとは見ていない〔荒井 176〕。もっとも氏は、コリントの教会にグノーシス的なものの「萌芽」を認めてはいるが。氏によれば、コリントの<熱狂主義者>たちは、自己の人間的な「知恵」を己の内在性において絶対化しようと志す人たちであった〔荒井 216〕。けれども、彼らは、例えばトマス福音書の編集者が到達したように、ユダヤ=キリスト教的な「神の知恵」を下位に置くという「グノーシス主義」にまではまだ達していない〔荒井『新約聖書』 212〕。氏によれば、グノーシスの本質とは、人間の内にある「救われるべきもの」が、人間の内にある「滅びるべきもの」から分離されて、「救われたもの」に成ることにある〔荒井『新約聖書』 173〕。
さらに氏は、主としてロビンソンたちの説に基づいて、コリントの信徒への手紙一のパウロの論敵は、イエスの語録集を生んだQ宗団から派遣された巡回霊能者の人たちではなかったかと推定している〔荒井『新約聖書』175、191、209〕。その上で、さらにタイセンの説をも援用しながら、氏は、次のように推論している〔荒井『新約聖書』 197ー98〕。パウロがコリントに伝道を開始したときには、比較的貧しい人たちが多かった。しかし彼がコリントの教会を離れた後に、巡回霊能者たちがここを訪れた頃には、パウロの当初の伝道の時とは違って、教会では富裕層が台頭しつつあった。霊能者たちは、この富裕層を対象として、パウロの批判する霊的熱狂主義を醸成した。一方パウロは、貧しい人たちに向かって、「十字架の言葉」を説いてこれと対抗しようとしたのであると。
この荒井氏の解釈には、一つの疑問が残る。それは、氏も紹介しているように、霊能者と共にパウロを批判したのは、パウロの使徒職に疑問を抱いたペトロ系の人たちではなかったかという説である〔荒井『新約聖書』196〕。さらに、パウロが批判した人たちが、「異言を語る」ことと何らかの結びつきがあったとすれば、このような「異言を語る」人たちは、己の知恵を誇る人たちと言うよりは、タイセンが示唆しているように、比較的貧しく、したがって、「知恵の言葉」とは結びつき難い人たちだと考えられることである。パウロの批判する「霊的熱狂主義」が、人間的な知恵を絶対化してこれを誇る階層の人たちであるとすれば、そのような人たちを、知的にも経済的にも「貧しい」「異言を語る人たち」と同一視することはできない。したがって、もしも、パウロの批判する「熱狂主義」を、異言を語る霊の賜と何らかの意味で結びつけるのなら、そのような人たちは、「知恵を誇る」人たちとは区別されなければならない。荒井氏が、Q宗団の霊能者たちには、「十字架の救済的意味づけが欠けている」として、この点が、パウロと霊能者たちとの教義的な争点となったと指摘しているのは納得できる。しかし、コリントの「熱狂主義者たち」が、「グノーシス化へ至る」途上の段階にあるというのであれば、その「熱狂主義」とは、いったいどのような内容を指しているのかがさらに究明されなければならないであろう。
確かに、二元論的な人間理解は、「知恵」をイエスの十字架から切り離して、「知恵」それ自体の救済へと向かわせる傾向を帯びる〔荒井『新約聖書』 215〕であろう。しかし、パウロが攻撃しているのは、人間の「言葉の知恵」であるから、これをQ宗団の説く「知恵」と必ずしも同一視することはできないであろう。なぜなら、パウロは、氏も認めているとおり〔荒井『新約聖書』 219〕、「知恵の言葉」それ自体を否定してはいないからである。イエスの十字架こそ「神の知恵」であり「み霊のバプテスマをもたらす神の力」であるというのが、ここでのパウロの主張なのである。イエス自身が、「神の知恵の宿り」であるという信仰は、Q宗団がもたらしたものである。しかし、この「知恵の言葉」が、人間の神格化をもたらす契機となったことにこそパウロが闘った「論敵」の正体があったと見るべきであろう。