共観福音書
イエスかバラバか
以下では、共観福音書の記述を通して、福音書が伝える出来事の事実関係を考察することにします。これは出来事の関係を確認するためですから、共観福音書のそれぞれの内容を神学的に立ち入って考察しようとするものではありません。バラバの出来事は、マルコ15章6〜15節/マタイ27章15〜21節/ルカ23章17〜19節/ヨハネ18章39〜40節にでています。四福音書の中で、この出来事を最も詳しく述べているのはマタイ福音書で、続いてマルコ福音書です。マタイはマルコ福音書の記事を踏まえてこれを拡張修正しています。ルカ福音書とヨハネ福音書のほうは比較的短く、出来事の配置も異なります。先ずマルコ福音書の記事から見ていくことにします。
■マルコ福音書
(1)マルコ福音書では、バラバのことは、ピラトがイエスに「お前がユダヤ人の王か」と訊ね、さらに尋問を続けてもイエスが何も答えないのを不思議に思ったことに続いています。バラバは暴動/反乱を起こした暴徒の仲間だとありますが、これはローマに逆らって騒乱/反乱を起こした人たちのことで、バラバとそのほかの二人とは、おそらくその際の指導者たちです。だから彼らは、ローマへの反逆の罪で十字架刑に処せられることになっています。
(2)バラバの釈放は、人々のほうから先に押しかけてきて、「いつものようにしてほしい」と願い出たことで始まります。その理由は「祭りの際には、(人々が)願い出る囚人一人を彼らのために釈放していた」からです。「誰が」囚人を釈放したのかは記されていませんが、内容から見てピラトでしょう。「いつものように」することを最初に決めたのは、ピラトなのか、それとも彼以前の代官が決めたのかは分かりません。どちらにせよ、こういう「しきたり」は、一般的なものではなく、その地方の代官/総督の一存で決まることでした。
(3)釈放は「彼らのため」、すなわち祭司長たちをはじめ請願に来た人々のために行なわれました。「彼らのため」とあるのは、ピラトの思い遣りからではなく、押しかけてきた群衆の歓心を買うために好意的なゼスチュアを示すことです。
(4)ピラトは、人々に「『あのユダヤ人の王』を釈放してほしいのか?」と尋ねます。その理由として、彼は「祭司長たちがイエスをねたんで引き渡した」ことが分かっていたからだとあります。ピラトは人間同士の権力の動向には洞察力のある人物でしたから〔四福音書補遺「ポンテオ・ピラトについて」を参照〕、イエスと祭司長たちとが、宗教的な活動において互いにライバル関係にあると見抜いたのでしょう。
(5)祭司長たちは、バラバを釈放してもらうように群衆を「扇動」します。
(6)ピラトは彼らに「(お前たちの言う)ユダヤ人の王」を釈放してほしいのか?と尋ねますと、彼らは「彼を十字架につけよ」と叫びます。
(7)ピラトは、群衆が満足する/納得することを望んだので、彼らの要請を容れてバラバを釈放しました。
先にマルコ福音書の記事を紹介したのは、現在でも、この記事が、その大筋においては、実際の出来事に近いと考えられるからです。ただし、マルコ福音書の記事から判断すると、イエスの尋問中に群衆が押しかけてきたのですから、イエスの件とバラバの件とは、ほんらい別のことだったようにも受け取れます。だとすれば、イエスとバラバの両者の赦免を関連づけたのはピラトだったのでしょうか。
■マタイ福音書
マタイ福音書のほうは、マルコの記事を踏まえていますが、これを修正しさらに彼独自の伝承を追加しています。以下でマルコ福音書であげた項目に従って見ていくことにします。
(1)の出来事の順序については、マルコ福音書と同じですが、マルコの「バラバ」がマタイでは「バラバと呼ばれるイエス」になっています。これはマタイのほうがほんらいの読みであろうと考えられます。また、マルコでは「<暴動>の際に人殺しをして拘束されていた<暴徒>」とあるように、バラバがローマの権力に反抗した人物であることが分かる言い方になっていますが、マタイはこれを「バラバという<悪名高い>囚人」と漠然とした言い方に変えています。
(2)では、「<支配者>による<慣例>として」とあって、マルコの曖昧な言い方を明確にしています。「祭り」とあるのは過越祭のことですから、このような「過越祭の恩赦」がほんとうにあったのかが問われています。ちょうど現在のテロリストがやるように、政府の要人を誘拐して、身代わりに仲間の囚人の釈放を要求するという例がありましたが〔ヨセフス『ユダヤ古代誌』20巻9章208節以下〕、「過越祭の恩赦」については、聖書以外に確かな証拠がありません。しかしこういうことは、その地方の「支配者」に任せられていましたから、聖書の証言を疑う理由はなさそうです。
(3)については、マルコ福音書の曖昧さを避けて、マタイは始めから「群衆」という言葉を用いています。ただし、「群衆」には大祭司たちも含まれます。
(4)についても、マタイはマルコと一致していますが、マタイ福音書のほうには、ピラトの妻が夢で「あの正しい人に関係しないように」告げられた話が出て来ます。この伝承はマタイだけのものですから、事の真偽が問題になります。このことも含めて、マタイ福音書は、イエスを差し置いてバラバを釈放するのがピラトの本意ではなかったことをいっそうはっきりさせています。
(5)については、マルコの「扇動した」をマタイは「説得した」に変えています。
(6)については、マルコの「ユダヤ人の王」をマタイは「キリストと言われるイエス」(新共同訳は英訳にならって「キリスト」を「メシア」と訳しています)と言い換えています。これは、「バラバと呼ばれるイエス」と「キリストと呼ばれるイエス」とを対比させるためですが、マタイの頃のキリスト教徒たちを念頭に置いた書き換えでしょう。
(7)では、マルコとマタイは一致しています。
以上見たとおり、マタイはマルコを踏襲しながら、これをより明確にしたり言葉使いを修正していますが、ピラトの妻の夢の話を除けば、基本的な内容は変わりません。「バラバと呼ばれるイエス」をも含めて、マタイは、マルコの不足を補って、出来事を一層明確にしようとしているのです。
■ルカ福音書
ルカ福音書はマルコ=マタイ伝承とは大きく異なります。以下では、マルコ福音書であげた項目に従って見ていくことにします。
(1)出来事の順序では、ピラトは始めの尋問の後でイエスをヘロデ・アンティパスのもとへ送ります。イエスの身柄がそこから再びピラトのもとへ送り返されて、その後でピラトは「(イエスに)鞭を加えてから釈放しよう」と進言します。バラバのことは、その直後に突然でてきます。ルカ福音書では、ヘロデの前で祭司長たちと律法学者たちがイエスを激しく訴えたとあり、イエスがヘロデの下で侮辱されたとあります。しかしこれ以外にイエスへの侮辱はでてきません。ヘロデの登場はルカ福音書だけですが、確かなことは分かりません。
(2)ルカ23章17節「祭りの際に、ピラトは囚人一人を釈放してやらなければならなかった」が初期の幾つかの写本には抜けています。またこの節の位置も、18節の前と19節の後との二つの異本があって定まらないので、ルカ23章17節は、マルコ15章6節/マタイ27章15節からの挿入だと見なされています。このために、現行の聖書では17節が通常本文から削除されています〔新約テキスト批評〕。だから、バラバのことが唐突に出てくる感じがします。
(3)請願に来たのは「祭司長たちと議員(指導者たち)と民衆」となっています。
(4)ピラトが問いかけるのは、イエスの釈放についてのみであり、彼はバラバについて触れていません。
(5)祭司長たちの「扇動」も「説得」も述べられていません。
(6)ルカ福音書では主語が省略されていて、一斉に「彼を殺し、バラバを釈放せよ」と叫びます。ただしルカは、マルコと同様に、バラバが「暴動と殺人のかどで投獄されていた」とはっきり書いています。
(7)はマルコと一致します。
これで見ると分かるように、ルカ福音書の場合は、ヘロデとイエスとの出会いの記事が加わり、逆に「過越祭の恩赦」が抜けていることが大きく違っています。
以上で分かるように、共観福音書では、マルコ福音書の記事が、不十分ながら実際の出来事に近いと考えられます。マタイ福音書では、これにピラトの妻の夢の話が加わります。「有名人の妻の夢」は、ヘレニズム世界だけでなく、洋の東西に伝わる話ですから、これがマタイ独自の資料伝承に入り込んだのかもしれません(マタイ1章20節/2章12節/同13節参照)。また、ルカ福音書で語られるヘロデ・アンティパスとイエスとの出会いは、出来事として不自然ではありませんが、ルカ以外に証言がないために事の真偽は確かでありません。
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