共観福音書によるイエスの復活
■復活伝承について
新約聖書で伝えられているイエスの復活伝承の中で、最古のものにパウロが伝えている伝承があります(第一コリント15章3〜7節/ローマ1章4節も参照)。パウロの証言には、パウロ以前の教会の復活伝承の定式が含まれていると考えられますが、このような定式は、例えばマルコ8章31節にも見ることができます。パウロの定式では「三日目に(復活)」"on the third day"とありますが、マルコのほうでは「三日の後に」"after three days "です(ホセア6章2節参照)。もう一つ復活伝承の定式として見逃せないのは使徒言行録の伝承です(2章23〜24節/4章10節/5章30〜31節/10章39〜40節)。使徒言行録でもイエスの死と復活が結びついて語られますが、この一連の出来事が「前もって定められた神のご計画」によることが強調されていて、イエスの死は、その復活の前提になっています。使徒言行録は、早くても90年代に、遅ければ2世紀初頭に書かれたと言われますが、そこに含まれている伝承資料は、口伝と文書を含めて初期にさかのぼると見ることができます。
復活伝承は受難伝承と結びついていますから、復活伝承/物語は、イエスの「死」→「葬り」→「復活」→「顕現」→「昇天」のように進行します(使徒言行録13章28〜31節参照)。ただし、パウロ以前の最初期の段階では、「葬り」から直接「昇天」へ結びついた伝承が存在した可能性があります〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1534頁〕。ちなみにヨハネ福音書では、受難も昇天も「上げられる」と言い表わされていて、どちらも栄光の顕われだと見なされています。
■復活物語の形成
第一コリント15章のパウロの復活証言にはイエスの受難が語られていません。これに対して、マルコ8章31節では、受難がイエスによって預言されています。このことから、従来は、パウロの定式が先で、マルコ福音書の定式は、後になってパウロ型から創り出されたという見方もありました。しかし現在では、パウロ型もマルコ型も、どちらも<最初から>別個に伝えられたと見なされています〔コリンズ『マルコ福音書』405頁〕。マルコ福音書8章31節は、おそらくイエスの復活直後に口伝で伝えられたものでしょう。この定式はマルコ福音書の作者(70年頃)による創作ではありません。
四福音書で語られている復活証言を見ると気がつくのは、その多様性です。共通する部分があるものの、証言が伝えている場所と証言する人と証言が行なわれる時とが様々なのに気がつきます。このことは、復活証言の出来事が、<そもそもの初めから>多様であったことを示すもので、ある特定の一つの「出来事」が、<後になって>様々な解釈や憶測を生むことで多様性が生じたのでは<ない>ことを意味します(時間が経つにつれて証言内容にズレが生じ追補が行なわれたことを全面的に否定するのではありませんが)〔キーナー『ヨハネ福音書』(2)1168頁〕。さらに、それらの異なる証言が、誰が一番早く復活の出来事を「知った」のか、あるいは「見た」のか、この点をめぐって、互いに競い合っているという印象さえ受けます。このような現象は、証言それ自体が、誰かによって仕組まれたものでもなく、もっともらしく「ねつ造された」ものでもないことを証ししています。
復活と顕現の伝承は、受難伝承よりも遅れて成立したと見られています。受難も復活・顕現も30〜45年頃までは口伝によると考えられていますから、口伝を含めてこれらの伝承から受難物語と復活物語とが成立するのは50年代であり、受難物語と復活物語とが結びつくのは、早くても50年代後半ではないでしょうか。
■四福音書の復活事象
四福音書で語られている復活と昇天物語を綜合して類別すれば、およそ次のようになります。
(1)女性たちが空の墓を訪れる(マタイ28章1節/マルコ16章1〜3節/ルカ24章1〜3節/ヨハネ20章1節)。
(2)マグダラのマリアを始め女性たちへの告知と顕現(マタイ28章2〜10節/マルコ16章7〜8節/ルカ24章4〜10節/ヨハネ20章11〜18節)。
(3)番兵の祭司長への報告(マタイ28章11〜15節)。
(4)エマオ途上での二人の弟子への顕現(ルカ24章13〜35節)。
(5)弟子たちへの顕現(ルカ24章36〜49節/ヨハネ20章19〜29節)。
(6)ティベリアス湖畔での顕現(ヨハネ21章1〜14節)。
(7)派遣命令(マタイ18章16〜20節/マルコ16章14〜18節/ヨハネ21章15〜23節)。
(8)昇天(マタイ28章16〜20節/ルカ24章50〜53節)。
イエスの復活伝承は、時間的な順序に従ったものではなく、様々な地域での、いろいろな人たちへの顕現が伝承されていますから、四福音書を総合するとほぼ上記のようになるという意味です。なお『四福音書対観表』と『新共同訳新約聖書注解』(T)巻末の「福音書対観表」とを参考にしましたが、必ずしもこれらに従っていません。『四福音書対観表』では、マグダラのマリアへの顕現を別項目にしていますが、上の分類では、「女性たちへの告知と顕現」に含めてあります。
『四福音書対観表』では、各福音書ごとに結びの部分がでていて、弟子たちへの顕現が、マルコ福音書とマタイ福音書とでは、別の項目として扱われています。マルコ16章14〜18節は、マタイ福音書とルカ福音書とヨハネ福音書から抽出してまとめてあると思われますから、マルコ16章14〜18節は、弟子たちへの顕現と、派遣命令と、このどちらとも共通するところがあります。このために『四福音書対観表』では、( )付きでその中間に置かれているのでしょう〔前掲書331頁〕。ひとまず、この部分をマタイ福音書と同じガリラヤでの出来事と見て、マルコ16章14〜18節を派遣命令のほうに加えてあります。
復活物語はこのように多様な証言から構成されていますが、そこには、核心となる基本的な証言が共通して存在していたことをうかがわせます。(1)〜(7)の証言において、四福音書に共通する基本的な要点は次の(A)〜(D)です。これにマルコ福音書の「長い結び」(16章9〜20節)を含めると(2)と(4)の共通性がさらに強まります。以下で、それらの基本部分と付随する四福音書間の異同を簡単に見ておきたいと思います。
(A)復活が日曜の明け方<までに>起こった。
女性たちが墓を訪れたのは、マルコ福音書では「週の初めの日の朝ごく早く日が出るとすぐ」です。マタイ福音書は「週の初めの日の明け方」、ルカ福音書では「週の初めの日朝ごく早く(まだ少し暗い?)」、ヨハネ福音書では「週の初めの日まだ暗い夜明けに」です。マルコ=マタイ福音書では、明るくなってからですが、ルカ=ヨハネ福音書では、まだ少し暗いうちにです。
女性たちは、マルコ福音書ではマグダラのマリアとヤコブの母マリアとサロメの3名(15章40節と同じ)、マタイ福音書では「マグダラのマリアともう一人のマリア(=ヤコブとヨセの母マリア)」の2名です(マタイ27章56節/61節)。ルカ福音書では「マグダラのマリアとヨハナ(8章3節参照)とヤコブの母マリアと他の女性たち」で(ルカ23章49節/56節)、ヨハネ福音書ではマグダラのマリアただ一人です。共観福音書では2〜3名ですが、ヨハネ福音書では筆頭の?マグダラのマリアただ一人です。
(B)復活は先ず女性たちに告知された。
空の墓で女性たちに顕われてイエスの復活を告げるのは、マルコ福音書では「一人の若者」でマタイ福音書では「一人の天使」です。ルカ福音書では「二人の男性」でヨハネ福音書では「二人の天使」です。だからマルコ=マタイ福音書では一人の天使/若者であり、ルカ=ヨハネ福音書では二人の天使/男です。
(B)にあげてある女性への顕現ではマルコ16章9〜11節を省きました。後述するように、この部分は後からの加筆で、しかもマタイ福音書とヨハネ福音書とルカ福音書の記事をまとめたものだと見なされているからです。実は、マルコ16章9〜11節に限らず、マタイ28章9〜10節も、ヨハネ20章11〜18節も、比較的後期の伝承ではないかという見方があります。これらの記事が後から編集された形跡が認められるのがその理由です(詳細はそれぞれの箇所で述べます)。ところが、これら女性への顕現物語は、今述べた文献批評の判定とは全く逆に、そこで伝えられている内容それ自体は、最古の伝承に由来するのではないかという見方が強いのです。わたしが小見出しに<先ず>と入れたのはこの理由からです。四福音書が一致して、復活顕現に接した女性たちの筆頭にマグダラのマリアをあげていることも、最古の伝承からのものだという信憑性を抱かせるからです。
(C)復活証言は、弟子たちが「空の墓」を確認することで始まった。
「空の墓」伝承はパウロや使徒言行録などの最初期の定式にでてこないので、後からできたのではないかという説もありました。しかし、パウロの伝える最初期の定式にも「空の墓」が<前提になっている>と見るほうが正しいでしょう〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)976〜77頁〕。
マルコ=マタイ福音書では、イエスは復活してガリラヤへ行くと告げられます。告げる相手はマルコ福音書では「ペトロと弟子たち」、マタイ福音書では「弟子たち」です。ルカ福音書ではイエスが「空の墓にはいない」と告げられ、女性たちはこれを「十一弟子とほかの皆」に告げます。ヨハネ福音書では、マグダラのマリアが「イエスが墓にいない」ことを発見して「ペトロと愛弟子に」告げます。ルカ=ヨハネ福音書では「イエスが墓にいない」と告げる点で共通します。ただしルカ福音書と異なりヨハネ福音書のほうでは、告げる女性と相手とが特定されます。
(D)証言は復活したナザレのイエスを「見た」と伝えています。
証言では、復活を信じる<その前に>、復活したイエスを「見た」と<視覚によって>イエスの復活を確認しています。マタイ福音書(28章9節)では、復活したイエスに「触れる/とらえる」という触覚もでてきます。ルカ=ヨハネ福音書では、弟子たちは、自分たちが「見ている」のが、地上に実在した生前のナザレのイエスであることを(釘跡などで)<身体的に>確認しています。視覚的な証言はパウロとも一致します(第一コリント15章5〜8節)。ちなみにパウロ自身が復活のイエスを「見た」と証言しているだけでなく、同様のことがガラテヤの信者たちにも生じた可能性があります(ガラテヤ3章1節:この箇所の解釈には異論もありますが、このように理解するのが適切でしょう)。
■マルコ福音書の復活物語
〔三通りの結び〕
マルコ福音書の復活物語は、同時にこの福音書の結びになります。マルコ福音書の結びについては、写本の間に異同があります。このためマルコ福音書の末尾は、大きく以下の3通りに類別することができます。
(1)マルコ16章1〜8節で終わる。
(2)マルコ16章1〜8節+「短い結び」(=新共同訳マルコ福音書の末尾にある「結び二」)。
(3)マルコ福音書16章1〜8節+「長い結び」(=マルコ16章9〜20節)。
なおこれら三つのほかに、(4)16章1〜8節+「短い結び」+「長い結び」があり、また(5)16章1〜14節+「弟子とキリストの言葉」+15〜20節という結びもあります。「弟子とキリストの言葉」は、New Revised Standard Version: Mark. The Longer Ending of Mark.16: 14+t+15として、欄外に<t>の英訳がでています。
〔短い結び〕
「短い結び」で終わる写本は、4〜5世紀に北アフリカで書かれたラテン語のものです。しかし「短い結び」の起源は古く、おそらく2世紀にさかのぼると思われます〔コリンズ『マルコ福音書』802頁〕。「短い結び」(結び二)は16章8節に続きますが、8節後半の「そして(彼女たちは)誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである」とある内容が訂正されていて、「婦人たちは命じられたことをすべてペトロとその仲間たちに手短かに伝えた」となっています。「短い結び」の作者は、おそらく他の三つの福音書のどれかを知っていたのでしょう(マタイ福音書28章7〜10節参照)。このために彼女たちが黙ったまま弟子たちに復活の出来事を告げなかったことに不審を抱いたようです。この結びだと他の福音書との矛盾が解消します。この結びの編者は、16章8節後半で、天使のお告げによる復活の神秘に圧倒され、女性たちが恐ろしくて言葉もでなかったことが十分理解できなかったのかもしれません。この結びには「ペトロとその仲間たちに」という言い方がでていて、2世紀には、ペトロを中心とする「使徒的な」教会が、諸教会の主流になっていたことをうかがわせます。また「聖なる朽ちることのない福音」という言い方もほかには見られません。
〔長い結び〕
「長い結び」は、2世紀半ば頃から19世紀末までマルコ福音書の結びと見なされていました。しかし、19世紀末に初めて、最初期のマルコ福音書が16章8節で終わっていたとするウェストコットとホートのギリシア語原典新約聖書が出ました(新約原典2巻の完成は1881年)。その後も「長い結び」がマルコ福音書本文に含まれていたとする説が、ケネス・クラーク(1965年)やウィリアム・ファーマー(1974年)によって発表されていますが、現在では、「長い結び」は、120〜150年に、おそらく一人の編集者が四福音書の復活物語の中からまとめたものであると見なされています〔コリンズ『マルコ福音書』806〜807頁〕。
「長い結び」は、マグダラのマリアへの顕現(16章9〜11節)/二人の弟子への顕現(12〜13節)/十一弟子への顕現と派遣(14〜18節)/昇天と弟子たちの伝道(19〜20節)の四つに分かれています。ここには、マタイ福音書の「番兵の報告」とヨハネ福音書の「湖畔での顕現」を除くと、先にあげた四福音書の復活物語のすべての要素が含まれています。このような結びが加えられ、かつこれが長い間マルコ福音書の結びだと見なされていたのは、「短い結び」の場合と同様に、マルコ福音書16章8節での終わり方が、ほかの福音書の結びと比較すると、あまりに唐突で中途半端な印象を与えるからでしょう。
〔空の墓の結び〕
実は、マルコ自身もこの結尾の「不完全性」に気づいていて、彼自身、これの続きを考えていたという推定が現在でも絶えません〔フランス『マルコ福音書』671〜75頁〕。この場合、想定されている結びとしては、
(1)弟子たちとのガリラヤでの出会いです。マルコ16章7節の「ガリラヤでの出会い」は、14章28節と呼応しています。ガリラヤは、ペトロを初めイエスの内弟子たちが初めて召命を受けた場所ですから、そこでの弟子たちへの顕現は、弟子たちへの最初の召命を今一度復活させることを意味しています。このように、マルコ福音書の復活物語は、弟子たちの再召命と、これに続く彼らの福音伝道とを予測させます。
(2)女性たちが、驚きと恐れから立ち直って、弟子たちにイエスの復活を報告することです。女性たちは、イエスの十字架の死を最後まで見届けています(15章40〜41節)。にもかかわらず、マルコ福音書では、彼女たちに復活の顕現がありません。また彼女たちは「誰にも何も言わなかった」とあります。このことは、その後に、彼女たちにも顕現が与えられ、彼女たちの最初の目撃証言が弟子たちに告げられたことを予測させます。このような「予測/想定」をあげたのは、これらの点が、マルコ福音書の8節での結びに残されている問題点だからです。
(3)これらの想定が見当違いでないことは、マタイ福音書28章1〜20節の結びを見れば分かります。ここでは、ガリラヤでの再会、女性たちへの顕現、弟子たちへの報告、弟子たちによる伝道の継続など、上にあげたマルコ福音書の結びの欠如部分がすべて語られています。
にもかかわらず、マルコ福音書はなぜ8節で結びを終えたのでしょうか? その理由として考えられることは、生前のイエスがそのまま復活したことは(16章6節の「ナザレのイエスの復活」)、すでにマルコ福音書の読者にとって自明のことであり、マルコ福音書は、この福音書を比較的少数の「内弟子たちに」向けて書いているとも考えられることです(4章10〜12節/同33〜34節で、イエスが内弟子たちに譬えの秘義を語っている点に注意)。その上マルコは、復活の出来事が、16章8節にある通り「震え上がり、正気を失う」ほどの出来事であり、その神秘と神の力にただ圧倒されるほどの事件であることを読者に悟らせたかったのでしょう。この意味で、「空の墓」の結びは、イエスの復活の意味を「読者と共に考えさせる」意図があったと思われます。彼は、読者に、復活の出来事を顕現の形で伝えるよりも、イエスの弟子たちが、<どのようにして>この出来事を信じるようになったのかを読者に考えさせたかったのではないでしょうか。
だから、ここで確認しておきたいことがあります。マルコは、イエスがすでに墓の中には「いなかった」という事実だけを単純に記していますが、それは、イエスが「すでに復活していた」ことをはっきりと語るためです。このことは墓にいた「若者」が明確に告げています(この「若者」は天使であって、人間ではありません)(16章5〜7節)。だから、空の墓と復活との間に「超え難い深淵」を見たり、「空の墓」が、復活顕現それ自体への懐疑を示唆しているという「現代的な」解釈をここに持ち込むのは、マルコ福音書の意図としては適切でないでしょう。
■マタイ福音書の復活物語
マタイ福音書にあって他の福音書にないのは、「安息日が終わって」(28章1節)とあること、地震(同2節)、天使が石を転がしたこと(同2節)、番兵に関する記事(28章11〜15節)、これら四つです。
他の福音書では、女性たちが墓を訪れたのが「週の初めの明け方」とあって、日曜(午後6時から午後6時まで)のちょうど半ばの明け方6時近くです。マタイ福音書の記述は、「安息日が終わって」(土曜の夕方6時がすぎて)日曜の明け方が近くになってから、という意味でしょう。
「地震」は、27章51節の地震と同じく、神の働きを表わしますが、ここでは、十字架の時とは異なり、「主の天使」(マルコ福音書の「若者」と比較)が顕われて石を転がしています。したがって復活は、日曜の明け方近く、女性たちが墓へ到達する少し前に起こったことになります。
番兵はマタイ福音書独自の記事ですが、ここで言う「番兵」とは、神殿警護の役人たちのことで、ローマ兵ではありません。祭司長たちが彼らに賄賂を送って偽りの噂を流させたとあるのは、イエスの墓が空であった事実を逆に実証しています。
マタイ28章9〜10節の女性への顕現については、直前の天使の命令との続き方に不自然なところがあります。8節から直接11節へ続いても、内容的に見て自然ですから、9〜10節は後からの挿入ではないかと考えられます。しかし、先に述べたように、女性に関する顕現記事は、その内容まで後の伝承だと見なすのは問題があります。たとえ後からの加筆だとしても、その伝承それ自体は原初にさかのぼる可能性があるからです。
なお番兵に関する記事(11〜15節)を除くと、マタイ28章の復活物語は、マルコ16章8節にそのままつながると言ってもいいほど、マルコ福音書の終わりの<欠如している部分>を補っています。マタイ福音書では、マグダラのマリアを初め女性たちがイエスに出会い、マルコ福音書の「震え上がって正気を失う」ところから、「恐れながらも<大いに喜んで>」(8節)弟子たちに復活の告知を伝えようとします。
マルコ福音書に「長い結び」を加えると、四福音書に共通するのは、最初に女性たちが復活の証人となり、これを弟子たちに伝えたことです。特にマタイ福音書では、エルサレムでイエスが顕現するのは女性たちだけで、弟子たちは、ガリラヤの山に登って初めてイエスに出会うことになります。
マタイ福音書では、このように復活顕現と弟子たちとの出会いがガリラヤで生じることが大きな特徴です。マタイ28章19〜20節は「大命令」"the Great Commission" と呼ばれていますが、ここでは、エルサレムではなく、ガリラヤから全世界へ向けて宣教が開始されるのです。マルコ福音書も復活以後でのガリラヤでの出会いを伝えていますから(16章7節)、十字架の後で散り散りになった弟子たちは、ガリラヤへ戻り、そこで最初のイエスの顕現に出会ったのでしょう。そこで彼らは再びエルサレムへ戻り、ルカの伝える通り(使徒1章4節/同2章1〜4節)、イスラエルのメシアであるイエスが殉教したエルサレムで聖霊の大傾注を受けたと考えることができます〔Sanders. The Historical Figure of Jesus. 278.〕。
マタイ28章16〜20節は、イエスが復活して「天と地のいっさいの権能を授かっている」ことを告げていて、ここでイエスが神の子キリストであることがはっきりと告知されますが、この結びは、マタイ福音書全体を理解する鍵だと言われています。受胎告知に始まりこの結びで終わる過程で、「イエスの来臨によって、神がその民を訪れたこと」〔フランス『マタイ福音書』1108頁〕を段階的に啓示しつつ、「人の子」が「神の子」であることを証ししようとしているのです。
終わりに「父と子と聖霊の御名による洗礼」が命じられているのはマタイ福音書だけです。この部分は、マタイ3章13〜17節と対応すると見られています〔デイヴィス『マタイ福音書』(3)685頁〕。ここで問題なのは、「御名」が単数だということです、だからこれは「父の御名、子の御名、聖霊の御名」のことではありません。父と御子とが一つの御名を共有することはヨハネ17章11節/フィリピ2章9節にでていますが、「聖霊」が父と子とその御名を共有するという前例は見あたらないようです。マタイ福音書が書かれた段階では(80年代か)、後に発達した三位一体論はまだ表われていませんが、ここで命じられている「洗礼命令」の形式が、後の三位一体論に影響を与えているのは確かでしょう。
■ルカ福音書の復活物語
ルカ福音書の復活物語には、後からの挿入がなされているのではないかと疑われていました(ルカ24章3節/6節/12節/36節/40節/51〜52節)。これらの節が有力な二つの写本に抜けているからです。しかし、ほとんどの写本にこれらが含まれていますから、現在ではルカ自身によるものであると認められていて、仮に後からの挿入だとしてもそれはルカ自身によると考えるか、上記二つの写本のほうが、これらを挿入だと見なして「省いた」と見なされています〔ブラウン『ヨハネ福音書』(2)967〜68頁〕。
ルカ福音書の復活物語は、次の四つで構成されています。
(1)女性たちへの告知。
この部分はマルコ16章1〜8節の枠が基本になって語られています。ただし、天使が二人になっていますから、マルコ=マタイ福音書の一人とルカ=ヨハネ福音書の二人とが異なります。なお、女性たちの知らせを受けたペトロが、急いで墓まで「走った」とあるのもルカ福音書とヨハネ福音書で共通します。
(2)エマオの途上で二人の弟子に顕現。
エマオ途上の顕現物語はルカ福音書だけで、次のように交差法(カイアズマ "chiasma")によって構成されています。エルサレムから出る/へ戻る(24章13節と33節)、二人の語り合い/イエスの語り(14節と32節)、イエスが近づく/立ち去る(15節と31節後半)、イエスが見えない/目が啓ける(16節と31節前半)。中心に来るのが遺体の喪失/復活告知(22節と23節)です。なお、マルコ福音書の「長い結び」の16章12〜13節は、ルカ福音書のこの部分をまとめたものです。
(3)弟子たちへの顕現。
他の三福音書では復活後にイエスと弟子たちとの再会がガリラヤで行なわれることを告げていて、マタイ福音書とヨハネ福音書では、これが実現します。しかしルカ福音書だけは、かつてイエスが弟子たちに「ガリラヤで告げたこと」を想い出すよう告げていますが、イエスと弟子たちとの再会はエルサレムで行なわれます。
ルカ福音書24章36〜49節は、マタイ28章16〜20節と共通/対応するところがあります。どちらにも、弟子たちの中に「疑いを抱く」者たちがいます(ルカ24章38節=マタイ28章17節)。世界宣教への預言/命令が与えられます(ルカ24章47節=マタイ28章19節)。どちらも弟子たちがイエスの証人となることが告げられます(ルカ同48節=マタイ同20節後半)。
一方で、ルカ福音書24章36〜49節では、その前半(36〜43節)が、ヨハネ福音書20章19〜23節とも共通する部分が多いことが注目されます。特に「イエスが真ん中に立って『平和があるように』と語られた」は、両方の語句がほとんど一致しています。その上、「手と脇腹を見せた」(ヨハネ福音書)=「手と足を見せた」(ルカ福音書)とあり、これを見て弟子たちが「喜び」ます。さらに、「罪の赦し」の告知が委託されることも共通します(ルカ24章47節=ヨハネ20章23節)。
(4)昇天。
ルカ福音書24章49〜52節は、そのまま使徒言行録1章6〜11節と対応しています。ただし、ルカ24章50節で「ベタニアの辺り」とあるのに対して、使徒1章11節には「ガリラヤの人たちよ」とあり、昇天の場所がガリラヤであってもおかしくない印象を受けます。また、使徒言行録のほうでは、イエスの「再臨」が約束されています(使徒1章11節)。
以上のことから見ると、ルカは、マルコ福音書の復活告知の記事に基づきながらも、ルカ自身の手元にある資料を加えて全体を編集し直しています。しかし、ルカの復活伝承は、マルコ=マタイ福音書の伝承と共通するだけでなく、ヨハネ福音書の復活伝承とも共通しており、おそらく50年頃までの口頭伝承が大きく二つに分かれる以前に、すなわち一方はマルコ=マタイ福音書の系統へ、もう一方はヨハネ福音書と『トマス福音書』の系統へと分かれる以前からの口頭伝承が、ルカ福音書に受け継がれていると推定することもできましょう。
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