「サタン」について
ここでは、サタンの登場とその展開のごくあらましを紹介するに留めたいと思います。旧約聖書では、ヘブライ語の「サタン」は、「敵対する者」「中傷する者」として、人間について用いられました。しかしこのような「サタン」の例は、 詩編109篇 6節あたりを最後とします。
これに続いて、「サタン」が、天上の存在として表われるようになります。これの初期の例が、民数記22章22節です。さらにヨブ記1章2節、ゼカリヤ書3章1〜2節、歴代誌上21章1節へとつながります。
民数記22章22節と歴代誌上21章1節では、「サタン」に定冠詞がありませんが、上記のそれ以外には定冠詞が付いています。ただし、これらの場合でも、「サタン」は、天上において、神に向かって人間を「中傷し敵対する者」という普通名詞です。しかしこの中で、特に歴代誌上21章1節だけが、「サタン」を固有名詞としています。
このサタンの固有名詞としての用法は、『ヨベル書』23章29節にも見られます。また、神とサタンとが会話をするのはヨブ記の場合だけです。歴代誌上21章1節(前300年)の場合は、それまで神の怒りとして表わされていた「訴え」「非難する」働きが、神の働きがサタンへと転移されて、その結果、神は直接悪の働きに関わることを避けるようになったという見方があります。
ペルシア帝国の支配以降(捕囚期の終わりから前331年まで)において、ペルシアのゾロアスター教の二元論の影響を受けて、神と対立する悪魔論(デモノロジー)がユダヤ教文書に入り込むことになります。この時代に神とサタンとが二元論的な対立関係に入ることになります。
旧新約中間期では、サタン名以外にサタン以前のものを含めて様々な呼び名がありました。トビト記3章8節のアスモダイ、『第一エノク書』6〜11章ではセミハザあるいはアザゼル(同8章1〜2節)です。これは、中間期の外典においては、旧約聖書に見られなかった天使論が表われて、これに対応して、堕天使と悪霊が表われるようになるからです。この中間期の外典での、悪霊の頭としてのサタンとほかの悪霊の頭については、コイノニア会ホームページの「知恵と黙示」(「堕天使伝承」)に詳しい説明がありますので参照してください。
また、中間期の後期のクムランの文書にはサタンは3回だけです(1QH4:6/45:3/1Qsb1:8)。なお旧新約中間期でのギリシア語の七十人訳では、ヘブライ語の「サタン」は、冠詞のあるなしにかかわらずギリシア語の冠詞付きの「ディアボロス」(悪魔)で、これは第一マカバイ記1章36節まで同じです。ラビの初期ユダヤ教では、サタンはエデンの園の蛇と同一視されています。
新約聖書では、サタンが35回でてきます。共観福音書14回。ヨハネ福音書1回。使徒言行録2回。パウロ系書簡で10回。ヨハネ黙示録で8回。旧約時代には、サタンと悪霊(デーモン)とが出会うことはありませんでしたが、新約聖書時代で、「サタン」が天からの堕天使の筆頭であるとされるようになります(ルカ10章18節/ヨハネ黙示録12章9節)。中間期でも、サタンはデーモンの頭の一人でしたが、新約時代には、彼こそが堕天使の長になり、イザヤ書の堕落した「ルシフェル」(明の明星)と同一視されます。
新約聖書では、サタンと並んで定冠詞付きの「ディアボロス」が32回(これはヘブライ語「サタン」を訳した七十人訳から)。「この世の支配者」(ヨハネ12章31節/14章30節/16章11節)、「悪霊どもの頭」、「この世の神」(第二コリント4章4節)、「中空の支配者」(エフェソ6章12節、その他様々な呼び方があります。
新約では、サタンはキリストに対立します。しかしユダヤ文学では、新約聖書の黙示的な二元論から来る神とサタンの関係とは、逆の方向へ向かい、悪とは被造物世界の不完全性のことであり、人間の自由意思の誤用から生じると見なされるようになりました。ラビは、悪の人格的存在を拒否して、人間内部の悪の傾向を象徴するものとして、サタンが語られたのです。
キリスト教時代の3世紀以降では、サタンは神と独立した悪霊的な力となり、5世紀には、サタンは「黒い人間」(黒人を意識しているのか?)となります。このようにして、魔女、悪魔との契約などが導入されると中世カトリック・キリスト教で悪魔学が発達することになります。
四福音書補遺へ