ギリシア的な霊的熱狂
■なぜ「熱狂主義」か?
異言を語ること(グローソラリア)に限らず、聖霊運動全般を批判する場合に、よく「熱狂主義」という言葉が使われます。この言葉と並んで、宗教を批判する場合に用いられる言葉に「狂信」があります。オウム宗団の事件に続いて、最近幾つかの宗教カルトの反社会的な行為がテレビなどで報道されていて、例えば、明らかに死んでいる人を指して「まだ生きている」と強弁するカルトが最近話題になりました。これなどは「正常な理性を失った」状態にあると考えられますから、まさに「狂信」の名に値すると思います。これに対して、「熱狂主義」には、そういう反社会性も反道徳性も含まれていません。それから、これは大事なことですが、必ずしも反理性あるいは反知性的な信仰のことではありません。この意味で、「狂信」と「熱狂」とは区別しなければならないのです(この点で『キリスト教大事典』〔教文館・1963年〕が「熱狂」と「狂信」とを同じ項目で扱っているのは誤解を招きます。そこで述べられている定義は、「熱狂主義」にはあてはまりますが、理性を喪失した「狂信」にはあてはまりません)。
「狂信」は英語で "fanaticism"
ですが、「熱狂主義」は "enthusiasm"
と言います。この英語は「熱心」「熱中」「熱狂」と訳されています。サッカーの試合などで観衆が「熱狂」する、あるいはスポーツ選手やタレントなどに「熱狂」的なフアンがいる、などのように用いられる言葉です。ですから、この言葉それ自体は必ずしも悪い意味ではありません。「狂」の字がつくので誤解を生じるのかもしれませんが、「熱心」や「熱中」ならむしろ望ましいこともあります。"enthusiasm" はギリシア語の "en+theos" (in + god)
という語源から生じていますから、本来この言葉は「神の内にある」すなわち「神憑り」状態に入ることを指していました。
聖霊運動は、イエスのみ霊に満たされること、あるいは聖霊の働きに自分を委ねることを目指しますから、いきおい「神の内に入る」ことを祈り求めます。このことが伝統的なキリスト教の神学者や聖職者たちから「熱狂主義」という批判を招く結果になったと思われます。実は「クリスチャン」の語源もギリシア語で、これにも「キリストの内にある者」「キリストに憑かれた人」あるいは「キリスト狂い」という批判的な意味がこめられていました。ですから、キリスト教を信じる人たちが、同じキリストのみ霊に満たされて「キリストの内に入る」ことを「熱狂」と呼んで批判するのはおかしなことだと言わなければなりません。
しかしながら、伝統的なキリスト教が、聖霊の働きに「熱狂」することを警戒するのには、それなりのわけがあります。それは先ほどの「神憑り」という意味からも分かるように、キリスト教の初期において、特に2世紀の初め頃から、イエス・キリストの聖霊の名を借りて、神の霊に「満たされた」あるいは神からの霊感を受けて特別な「知識」を授かったと称する神憑り的な宗教がキリスト教会の内に入り込んできたからです。キリスト教会はこのような傾向を「グノーシス主義」と呼んで厳しく批判し、ついには異端として教会から排除しました。これは紀元2世紀のことですが、グノーシス主義は、それ以後も姿を変えてヨーロッパのキリスト教の裏側で存続し、15世紀から17世紀にかけて、いわゆるルネサンス時代に再び大きな影響を与え、その影響は現在にいたるまで及んでいます。
■「グノーシス主義」とキリスト教
グノーシスは、神の霊知に与るという意味では、キリスト教と共通するところがあります。2世紀のグノーシスには様々な宗派があり、その中には、ユダヤ=キリスト教の神、特に旧約聖書のヤハウェを自分たちが到達した「霊知」(グノーシス)よりも劣った存在と見なす宗派も出てきました。グノーシス文書の中には、エデンの園でアダムとエバが蛇にそそのかされて知恵の樹の実を食べたことを、蛇が神の束縛から二人を「解放した」と解釈するものもあります。このようなグノーシス主義は、「熱狂主義」という名でキリスト教会から批判の対象にされてきたのです。もっとも、これは反理性どころか人間の理性あるいは知性を主なる神よりも上位に置こうとするもので、人間の知性を絶対化することを意図しているとも言えます。現代的な意味で言うなら、グノーシス主義は、人間の理性を絶対化し、神や宗教をその下位に置こうとする「科学万能主義」に通じていると言えるかもしれません。
グノーシス主義が現れたのは紀元2世紀であると述べましたが、実際は、これの成立過程はかなり複雑で、現在でもまだ結論がでていないようです。ただそこには、明らかにギリシア古来の霊的な知の伝統を読みとることができます。しかし、そのようなギリシア的伝統が、キリスト教の成立以後に教会に入り込んで、2世紀に至ったと考えるのは誤りです。アレクサンダー大王の東方征服(前4世紀)によって、ユダヤ教の中心地であったパレスチナもいわゆるヘレニズムの支配下に入りました。その頃から、特に紀元前2世紀頃から紀元後1世紀の半ば頃までの間に、パレスチナのギリシア化が押し進められ、ユダヤは東地中海文化圏に組み込まれました。したがって、イエスの在世当時のユダヤ教は、すでに相当程度ヘレニズム化していました。
このように見ると、グノーシス的な傾向を帯びた霊性は、キリスト教の成立以前に、すでにユダヤ教にもある程度浸透していたと考えられます。ユダヤ教とヘレニズム思想とが合体した宗教思想を「ユダヤ的グノーシス」と呼ぶのであれば、そのような霊性は、キリスト教成立以前にすでに用意されていたわけです。ですからユダヤ教を母胎として誕生したキリスト教は、当然ヘレニズム化したユダヤ教の宗教思想を受け継ぐことになりました。したがってキリスト教には、そもそもの初めから、例えばクムラン宗団などを通じて、ユダヤ的グノーシスの傾向が入り込んでいたのです。このために、歴史上のイエスが、実はギリシア哲学の流れを汲む「賢者」であったという説が出ているほどです。小アジアのタルソで生まれたパウロも、ヘレニズムの影響を強く受けていると考えられています。こうなりますと、パウロも「トマス福音書」も「ヨハネによる福音書」も、すでに「グノーシス」の萌芽を宿していたことになります。
こうして、紀元2世紀にキリスト教会によって異端とされたグノーシス主義が、実は1世紀のキリスト教の中にすでに内包されていたことが見えてきます。しかし、「グノーシス」という用語をここまで拡大しますと、その意味があまりにも曖昧で広範囲な内容を含むことになります。こういうわけで、私の理解する限り、「グノーシス主義」という用語は、現在では、紀元2世紀にキリスト教会と対立し、異端として弾劾された諸宗派(これもまた多様ですが!)という意味に限定されて用いられているようです。1945年に、エジプト南部のナグ・ハマディという所で、2世紀当時のグノーシス文献が多数発見され、「ナグ・ハマディ文書群」として知られるようになり、これらの文書を通じて当時のグノーシスの解明が進められていて、日本でもこれの翻訳が出ています〔「ナグ・ハマディ文書」T〜W、岩波書店〕。
私がなぜこのようにグノーシスにこだわるのかと言いますと、2世紀に異端として弾劾されて以来、この言葉は「異端」と呼ばれる様々な聖霊運動に当てはめられてきたからです。現在でも、異言を伴う聖霊のバプテスマに対して「熱狂主義」という批判が向けられることがありますが、この言葉もグノーシス主義と無関係ではなく、正統キリスト教が、行き過ぎた聖霊運動や霊感主義を批判する場合に、これをグノーシス主義と結びつけて用いてきました。
■ディオニューソスの熱狂
私は先の章で、現在行われている聖霊の働きをより深く知るために、その源流となっているキリスト教最初期のペンテコステの聖霊降臨に注目しました。そこでこれから、この聖霊降臨とこれに続く新約聖書の聖霊運動の背後に横たわる「霊」の伝統を、ギリシア的な「熱狂」と日本の巫女の場合とを比べ、さらに旧約聖書に見られる神の霊から考えてみたいと思います。
ギリシアの最古の熱狂は、すでにホメーロスの『イーリアス』に「狂乱のディオニューソスの乳母たち」(Y 132)としてでています。このディオニューソスという神は、別名バッコス(英語はBacchus)とも呼ばれるぶどう酒の神です。ギリシア神話の最古の伝承を伝えるヘーシオドスの『神統記』には、この神の出生についてこうあります。
カドモスの娘セメレは ゼウスと愛情の契りして
彼に 輝かしい息子 賑やかなディオニュソスを 生んだ
死すべき身の女が 不死の者を 生んだのだ だが いまでは
二人とも 神の身におわす (廣川洋一訳『神統記』、岩波文庫)
これで見ると、ディオニューソスは、神ゼウスと人間の女性セメレとの間に生まれた半神半人のカミであったことになります。アポロドーロスの伝承によれば、ディオニューソスはぶどうの木を発見し、エジプトからインドへと広く旅して、ギリシアに渡ってきたことになっています(高津春繁訳『ギリシア神話』3巻X、岩波文庫)。彼の後には、「家を棄て山中で乱舞する」狂乱した女性たちが付き従っていて、「バッコスの信女たち」と呼ばれていました。ギリシア悲劇の作家エウリピデス(前485?〜406?)は、この信女たちの姿を次のように生々しく描いています。
「老いも若きも、まだ嫁がぬ娘も交えて、その規律のよさは、全く驚くばかりでございます。まず髪をとき肩まで垂らすと、こんどは小鹿の皮の結び目の解けたところを結び直し、帯に代えて、ひらひらと舌を閃かす蛇を、その斑の皮衣に締めたのでございます。中には仔鹿や狼の仔を抱いて、雪白の乳を飲ませているものもおります。生んだばかりの赤子を家に残して、乳の張った女どもでございましょう。…女たちは草を喰んでいる牛の群に、素手のまま躍りかかってゆきました。一人が乳房豊かな牝牛の仔を、鳴き吼えるのも構わず、引き裂いて両の手にかざすかと思えば、また他の女らは、牝牛の体をバラバラに引き裂いております。殺された牛の胴や、蹄の裂けた脚などが、あちこちに散らばり、また樅の枝に懸かって、垂れ下がっている血まみれの肉片もございます。」(松平千秋訳『バッコスの信女』ちくま文庫)
この描写からすると、彼女たちは、日本流で言えばそうとうの「暴れ巫女」であったようです。しかし、ディオニューソスが人々から畏れ敬われていたことは間違いありません。この神とその信女たちを軽蔑したテーバイの王ペンテウスは、その罰として、信女であった自分の母に、野獣と間違えられて殺されてしまうというのが、エウリピデスの悲劇の内容なのです。母親が息子を殺すというこの悲劇は、ディオニューソスの狂信が、人間からその意識を完全に奪い去ってしまうほどに強烈なものであったことを示しています。バッコスに取り憑かれると、彼女たちは、叫び声をあげながら山野を駆け回ったと伝えられています。酒と狂乱のこの神は、秩序と倫理・道徳を重んじる神アポロと対照されています。
■プラトンの熱狂
ディオニューソスの「熱狂」は狂気の様相を帯びていますが、前4世紀のプラトンの時代になると、「熱狂」すなわち「神憑り」は違った様相を帯びてきます。プラトンは自分の師であるソクラテスを描く際に、師の口を通して「私には1種の神的で超自然的(ダイモニオン=霊)なしるし(声)が現れる」(『ソクラテスの弁明』久保勉訳、岩波文庫)と言わしめています。これでみると哲学の始祖と呼ばれるソクラテスは、ある種の霊に憑かれた人、というよりも「霊感の人」であったようです。
ところでプラトンは、こういう「神憑り」をどのように見ていたのでしょうか? 哲学者として名高い彼のことだから、さぞ苦々しい思いで、こういう熱狂状態を眺めていたに違いないと思われるかもしれません。ところがそうではないのです。リュシアスという人が、恋の熱狂を否定的に語っていると聞いて、プラトンは、彼の描くソクラテスの口をとおして次のように語らせるのです。
「しかしながら、実際には、われわれの身に起こる数々の善きものの中でも、その最も偉大なるものは、狂気を通じて生まれてくるのである。むろんその狂気とは、神から授かって与えられる狂気でなければならないけれども。・・・・・デルポイの巫女も、ドドネの聖女たちも、その心の狂ったときにこそ、ギリシアの国々のためにも、ギリシア人ひとりひとりのためにも、実に数多くの立派なことをなしとげたのであった。」 (『パイドロス』藤沢令夫訳、岩波文庫)
ここでプラトンは、ディオニューソスの狂乱した熱狂とは異なる種類の「神憑り」について述べているようです。この種の熱狂は「神に憑かれたときの予言の力を用いて、多くの人々に多くの事柄を予言し、まさにきたらんとする運命のために、正しい道を教えてやった人たち」(『パイドロス』)に授与されるもので、プラトンは、ある人たちには、このような熱狂が「神から授かって与えられる」と述べています。だから「古人たちもまた、狂気(マニアー)というものを、恥ずべきものとも、非難すべきものとも、考えてはいなかった」と言うのです。それは「狂気が神から授けられて生じるとき、これを立派なものと認めたから」です。今はやりの「○○マニア」という言葉は、ここからでています。
プラトンによれば、このような熱狂は、人間の魂に宿るもので、その魂には、「動くのをやめない動の源泉となり、始原となる」不死なるものが宿るのです。『パイドロス』で彼は、人間の魂をば、翼を持った一組の馬とこれの手綱を取るひとりの御者の姿にたとえていて、まさにペガサスを駆って天空を翔る霊感の人の姿を思わせます。ただし、この2頭の馬は、一方は「美しく善い」馬であるのに、他方はこれと正反対の性格の馬なのですから、御者の仕事はとても困難なことになります。このことから、プラトンは、節度と慎みを具えた善い熱狂と放縦と高慢に溺れる悪い熱狂とを区別していたことが分かります。
さらに彼は、善いほうの狂気を、(1)アポロンが与える予言の霊感(2)ディオニューソスが与える秘義の霊感(3)ムーサたちの与える詩的霊感(4)アプロディーテーとエロース〔後のローマ神話のビーナスとキューピット〕が与える恋の霊感の4種類に大別しています。
「翼を持つ魂」という表象は、プラトンではとても大事な意味を持っていて、人の魂が霊の風に乗って飛翔する姿をイメージしています。逆に人が地上の欲に心が乱されると、彼の魂の翼は痛められたり、その翼をもぎ取られたりすることになります。こういうわけで「ひとり知を愛し求める哲人〔フィロ(愛する)ソフィア(知)=哲学〕のみが翼を持つ」ことになります。
■熱狂を解釈する
先にディオニューソスの狂女のところで述べたように、熱狂に取り憑かれると自分で自分のしていることが分からなくなります。だからペンテウス王の母のように、その熱狂から覚めてわれに帰ったときに初めて、自分の犯した恐ろしい行為を知って愕然とするのです。彼女たちは、狂乱の内にあって自分の理性を完全に喪失していたことになります。ちょうど、オウム熱にうかされて地下鉄でサリンをまいた有能な若者たちが、法廷の場で自分の犯した恐ろしい過ちを悟って後悔するのと似ています。
では、プラトンの言う熱狂の場合はどうでしょうか? 詩の女神たち(ムーサイ)は全部で9人いますが、その内の一人のムーサに霊感された詩人の場合を、プラトンは、『イオン』という作品の中で次のように語っています。
「なぜなら、あらゆる詩人たちは、叙事詩であれ叙情詩であれ、自分たちの美しい詩を、巧みさによるのではなく霊感に取り憑かれて創るのです。キュベレ〔ギリシア北部の太母神〕の狂宴で踊り狂う者たちが正常な心ではないように、抒情詩人たちもその美しい調べを創る場合には正常心を失い、音楽と韻律の霊感に取り憑かれてその力に支配されています。ちょうどバッコスの信女たちが河から乳と密を汲み出すのは、ディオニューソスに影響されておこなうのであって正常な心の時ではないように、抒情詩人の魂も同じなのです。」(『イオン』Benjamin Jowettの英訳より)
これで見ると、詩人の霊感もやはり忘我状態をもたらすことが分かります。詩人の場合だけではありません。神の神託を語る予言者の状態もまた同じだとプラトンは言うのです。こうなりますと、先ほど見たように、「霊に取り憑かれた」哲人ソクラテスさえも、その正常な理性を失いかねないことになります。ソクラテスが、「自分自身を知る」ことに全精力を傾けて、その結果「自分はなにも知らない」ことを究極の発見と見なしたのも、おそらくギリシアのこのような熱狂と無関係ではないでしょう。
こうなりますと、先ほど区別した「善い熱狂」も「悪い熱狂」もその境界が必ずしも定かではなくなります。そこで、こういう非正常な霊力の状態にある人たちが語ったり行なったりすることを正常な理性に基づいてこれを判断し「解釈する」人がどうしても必要になってきます。この問題はプラトンの『ティマイオス』で論じられています。彼は、人間の身体、とくに肝臓の機能とこれが人の心や情念に働きかける作用を論じた後で、「解釈する」人の役割を次のように述べます。
私たちを創られた神々は、人間をできる限り完全に創るように彼らの父から命令を受けて、私たちが劣った部分〔魂に対する肉体を指す〕にあっても、幾ばくかの真理を理解できるように予言する能力を与えたのです。神がこの能力を人間の非理性的なところに置いたことは、霊感された真実の予言が、私たちの正常な状態ではできないことから見ても明白です。私たちがこれを達成できるのは、理解力が眠りの中で抑えられている時とか、病気や神憑りによって異常な状態にある時に限られるのです。だから、予言や神の霊感の賜物を有する人が、夢の中でか覚めている時に自分が語ったことを思い出す時、これを解き明かす役目を果たす誰か正常な心の人がいるのです。彼らの見た幻が、どのような善いことや悪いことの兆しであるのか、それが誰に宛てられているのか、未来のことか過去のことか現在のことかについて合理的な解釈を加える人のことです。自分の幻や発言したことを解釈するのは、異常な状態にある人の行うべき事ではないからです。昔の諺にあるように、「自分の事柄に携わり自分自身を知ることができるのは正気な人だけ」だからです。神憑りの予言を判断して解説する人たちを置く習わしがここからでているのです。彼らは、無知な人たちによって、時折「予言者」と呼ばれていますけれども、実は予言者ではなく、謎に満ちた神託や幻を解説する者であって、予言者の解釈者と言うほうがもっともふさわしいのです。(『ティマイオス』Desmond Leeの英訳より)。
ここで、プラトンは、予言や詩の熱狂的な霊感を理性で「解釈する」人が必要であると述べています。その解釈者は、必ずしも霊感を受けて語る人ではありませんが、その霊感を理解できて、これを情熱的に語り聴かせる人のことです。これで分かるように、ギリシアの霊的な熱狂の伝統には、忘我状態で語る霊感と同時に、その霊感を他の人にも分かる言葉で解釈すること、この二つが車の両輪のように機能していたことが読みとれます。霊的な熱狂を「解釈する」というこのギリシアの伝統は、ギリシアの宗教や哲学や文学にとって非常に重要な意味を持っていました。
■出来事の解釈か、解釈の出来事か?
「解釈する」を英語では "interpret" と言いますが、これには「解釈する」という意味と「通訳する」という意味とがあります。ある言語を別の言語へと通訳する場合、通訳の言葉を聞く人は通常相手が語る外国語を理解できないわけですから、その人は、通訳の言葉を聞いて、それが相手の語っている内容であると判断します。つまり、そこで伝えられる内容は、外国人の相手の語っている人ではなく、通訳によって決定されるのです。一見すると通訳は、外国人の言葉をそのまま別の言語に移し替えているように見えます。けれども実際には、語られた言葉を自分なりに「解釈して」、その上でその内容を別の言語で聞き手に伝えているからです。ここでは、コミュニケーションを支える内容は、語る当の本人ではなく、事実上通訳する人の解釈にかかっています。
神憑りやご神託を「解釈する」場合にも、これとよく似た事情が成立するのです。この場合、宣託を語った当の本人が、忘我状態で何を語ったのか理解できないわけですから、これの「解釈」は、もっぱらその宣託(時には謎めいた言葉であったり、夢や幻であったりするのですが)を解き明かす人の手に委ねられることになります。ここでは、ご宣託の内容が先に存在していて、それを別のメッセンジャーがそのまま伝えるのではなく、その宣託の内容それ自体を「解釈する」権限を与えられている人こそ、その内容を決定するのです。特に霊的な事柄の場合に、起こった出来事と同時に、その出来事をどのように解釈するのかが決定的な意味を持つのはこのためです。ここでは、出来事を解説するのではなく、解釈が出来事それ自体の意味を決定するとさえ言えるからです。先の引用の中にあるように、解釈する人が、人々に誤って「予言者」と呼ばれているのはこのためです。
言うまでもなくこの意味の「予言者」は、自分が神憑りになったのではありません。したがって、彼の語る言葉は、「正常な」人間の理性と知性に基づいた言葉です。私たちは、ギリシア的な熱狂と神憑りとその霊感を考える場合に、それが正常な人間の理性あるいは知性によって判断されたこと、しかもこの「解釈する」行為が大切な役割をはたしていたことを重視しなければなりません。
以上をまとめてみますと、ギリシア的な熱狂には、おおむね次のような特徴が見られます。
霊的な熱狂は人の理性を喪失させて、忘我状態に陥れます。そこには恐ろしい狂乱も生じ、時には最早「われに帰る」ことができない状態になりますが、同時に、その熱狂的霊感が、共同体の理念や生活を支えるきわめて有益な賜物をもたらします。それは、宗教や哲学や文芸の分野だけでなく、技術や法律など社会生活全般にわたって、大切な意味を持つ行為であると認められています。
このことを逆に言えば、人が神憑りになるためには、自分を全く明け渡して、無知の状態になる必要があります。ソクラテスは、自分の魂に働く霊(ダイモニオン)に忠実に従い、そうすることで、自分がほんとうはなにも知らない「無知」な存在であることを悟り、そういう者として自分自身を知ったことになります。彼は、熱狂に酔って己を見失うのではなく、己の無知を悟ることを通して、目覚めた状態に到達したのです。
>恋の霊感の場合に見られるように、熱狂的な霊感は、人間が美しい者や善いものに憧れるエロース的な願望に支えられています。
霊的な熱狂や神憑りは、それだけでは益をもたらすことができません。これが知的な人に解釈されて、初めて共同体に認められ、社会を益する存在となることができます。神託や予言は、それが語られる共同体によって解釈されること、しかもその解釈こそが、神託や予言の意味それ自体を決定する役割を果たすことが分かります。
こうなると、神託や予言を解釈する人間の知性それ自体が、神聖な意味を帯びてきます。人間の魂には不死が宿り、この魂に具わる知性は、最高のイデアの世界を認知し、この世界と同一化できる能力なのです。知性はイデアの太陽にたとえられ、あらゆるものの上に立つ不死の能力であることになります。
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