【注釈】
■フィリポとナタナエルの弟子入り
 今回の箇所は、前回の3人の弟子入りの翌日のことで、前日の出来事と対応しています。イエスがガリラヤへ行くこととフィリポの弟子入りが重ねられていますが、この二つの関係がややあいまいです。二日にわたる弟子入りを通じて、イエスに与えられる様々な称号がでてきます。受肉したロゴスが、どのような姿で世の人たちに示されるのかがここで語られますが、その頂点として、51節の「人の子」が啓示されます。
 ナタナエルの弟子入りによって、弟子入りの物語が終わります。この5名の入門物語は、共観福音書の最初の召命物語(マルコ1章16~20節)から見れば、使徒たちの名前も場所も召命の意義も異なっています。改めて違いをまとめると次の通りです。
(1)マルコ福音書では、召命は洗礼者ヨハネが捕らえられた後のことですが(マルコ1章14節)、ヨハネ福音書では、洗礼者の証しによって彼の弟子たちが召命を受けます。イエス自身も含めて、イエスの最初の弟子たちが洗礼者と共にいたことは歴史的な事実であり、もしもそうでなかったならば、ヨハネ福音書のこのような記事は、当時の読者から決して受け入れられなかったはずです。ヨハネ共同体には洗礼者宗団から参入した人たちがいたことも十分考えられます〔ブルトマン『ヨハネ福音書』〕。
(2)共観福音書では、召命がガリラヤ湖畔で行なわれますが、ヨハネ福音書では、召命が洗礼者のいたヨルダン川の近くになります。
(3)マルコ福音書では、最初の召命が、シモンとアンデレ兄弟とゼベダイの子ヤコブとヨハネ兄弟です。だからヨハネ福音書と比較すると、アンデレと共にいた「もう一人の弟子」とフィリポ(ベトサイダ出身)とナタナエル(カナ出身→ヨハネ21章2節)の3名がマルコ福音書には抜けています。逆にヨハネ福音書には、ここにゼベダイの兄弟が抜けていることになります(「もう一人の弟子」が兄弟の一人ヨハネでないとすれば)。
(4)マルコ福音書では、召命が福音宣教のためであると明確に示されていますが(マルコ1章17節)、ヨハネ福音書は、使徒職と宣教について全く触れていません。
■1章
[43]【ガリラヤへ】ここでのイエスは、まだ、死海へ注ぐヨルダン川の河口付近にいたと思われます。そこからだと、ガリラヤまで約二日の道のりになるでしょう(2章1節)。なお、ヨハネ福音書では、エルサレムを中心とする「ユダヤ」と、地理的・文化的に異なる「ガリラヤ」とが対照的に描かれていて、ガリラヤはイエスを受け入れる場であり、ユダヤはイエスを迫害する場であると見る説があります〔Robert T. Fortna. The Fourth Gospel and its Predecessor. Fortress Press (1988).308-14〕。この説は、現行のままのヨハネ福音書が、ユダヤとガリラヤとが交互にでてくる舞台構成を採っていると見るのです。
【出会って】新共同訳では、ここの動詞の主語が「イエス」ですが、内容から見て、イエスよりもアンデレのほうが適切だという指摘があります。アンデレは、ペトロの兄弟であり、同時にフィリポと同郷の出です。だから、アンデレは、<まず>兄弟シモンを連れてきて(41節)、その翌日、同郷のフィリポを「見つけ出して」イエスのもとへ連れてきたことになります。しかし、現行のままであれば、直前の「イエスは彼(シモン)に言った」、「そしてその翌日、(フィリポに)出会った」と動詞が続きますから、主語はイエスになります。「その翌日」は後からの編集句で、ほんらいはアンデレが主語ではなかったかという見方もできます。
【フィリポ】フィリポは、四福音書の十二弟子のリストにその名前がでています。しかし、名前以外に、この弟子に働きの場を与えているのはヨハネ福音書だけです(6章5~7節/12章21~22節/14章8~9節)。後代の伝承によれば、フィリポは、二人の乙女の娘を伴って、フリギア地方(現在のトルコのデニズリから北のウサクにいたる地域)を訪れて、そこで福音を宣べ伝え、フリギア地方の南部にある都市ヒエラポリス(現在のトルコのパムッカレ)で殉教したと伝えられています。フリギア地方は、当時のアジア州の東部にあたり、東のガラテヤと南のピシデヤに近い地域です。ヒエラポリスには、今もフィリポの殉教を記念する聖堂の遺跡があり、またヒエラポリスの北には「フィリポの山」と呼ばれる山が伝えられています。ただし、この伝承では、使徒フィリポと、サマリアで伝道した伝道者フィリポ(使徒言行録8章5~8節/同26節以下)とが同一人物だと見なされていたようです〔Faith Cimok. Biblical Anatolia. Turkey: A Turizm Yainlan (2005).158〕。
[44]【ベトサイダの出身】ベトサイダはガリラヤ湖の東北岸近くにある町で、イエスの時代、そこはヘロデ大王の息子フィリポの領土でした。ガリラヤ湖北岸のカファルナウムは、ヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパスの「ガリラヤ領」になりますが、厳密に言えば、ベトサイダは「ガリラヤ」に入りません。しかし、ヨハネ福音書は、ベトサイダも「ガリラヤ」に含めています(12章21節)。紀元80年頃には、ベトサイダもガリラヤの一部だとされていたようですから、あるいはこの事情がここに反映しているのかもしれません。
 アンデレとペトロの出身地について言えば、マルコ1章29節によれば、二人の家はカファルナウムにあったことになります。二人の「生まれ」が、フィリポと同じベトサイダであり、その後カファルナウムへ移住したとすれば、マルコ福音書とヨハネ福音書の矛盾は解消します。なお、イエスがフィリポに「わたしに従いなさい」と言ったのは、「わたしに従ってガリラヤへ来なさい」の意味だとも受け取れます。
[45]【ナタナエル】「ナタナエル」はヘブライ語で「神は与える/神の賜物」の意味です。共観福音書にはこの名前がでてきません。マタイ10章2節以下の使徒のリストでは、始めにシモンとアンデレ、次にゼベダイの子ヤコブとヨハネ、これにフィリポとバルトロマイが続きます。この順番は、マルコ3章でも(アンデレの位置が異なりますが)ルカ6章でも変わりません。このことから、伝統的にナタナエルとバルトロマイが同一人物だと見なされています〔Pope Benedict XVI. The Apostles. Indiana: Our Sunday Visitor(2007)107.〕。ただし、初期の教父たちは、ナタナエルを十二使徒とは見ていなかったようです〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。
【モーセが律法に記した人】「モーセが律法に記した人」とは、モーセが「わたしのような預言者が立てられる」と預言した人のことです(申命記18章15節)。この預言者は「来たるべき預言者」としてメシアと同一視されていました。ただし、「律法に記してある」は、必ずしも特定の箇所を指すのではなく、「旧約聖書が預言している」という広い意味にもなりますから、フィリポが言うのもこの意味で、イエスが旧約聖書を成就する者であると言っているのでしょう(5章39節/同46節/なおルカ24章26~27節を参照)。
【ヨセフの子イエス】共観福音書にはイエスが「ダビデの子/子孫」としてでてきますが、ヨハネ福音書には「ダビデの子」はでてきません。なお「ヨセフの子イエス」という言い方はヨハネ福音書だけです。これには、「ナザレの大工ヨセフの息子」という歴史的な意味もありますが、ヨハネ共同体がサマリアとの関わりが深いことを考えると、「ヨセフ」はかつてのイスラエルの十二部族のエフライムとマナセ族の父祖であり、しかも、サマリア南部がその地域であったことから、「ヨセフの子」に、この十二部族の父祖ヨセフが重ねられているのではないか?という見方があります。だとすれば、サマリアでは、モーセ五書が尊ばれていましたから「モーセが律法に記した人」という言い方にもそのことが反映していると見ることができましょう〔McHugh. John 1-4. ICC. 159-60〕。なお「ナザレ」には「ネツァーレット」(木の枝/木から萌え出た芽)の原義があり、これがメシア預言と結びつきますが(イザヤ書11章1~2節)、今回の箇所では、単なる地名以上の意味はないでしょう。
[46]【ナザレから何か良いものが】ナタナエルのこの言葉は、ナザレを軽蔑しているように受け取ることができます。しかし、この訳だと、続くイエスのナタナエルへのほめ言葉とうまく合致しないようにも思われます。原文は「ナザレから何か善いものが<あるの>だろうか?」"Is there anything good from Nazareth?"です。ここは「(だとすれば)ナザレから何らかの善いものが出ているのだろうか?」という訳が古代から行なわれていて、アウグスティヌスもトマス・アクィナスもこの訳を採っています。これに対するフィリポの返事も「(まあ、とにかく)来て見なさいよ!」と命令形です〔マキュウ『ヨハネ福音書』〕〔教文館『アウグスティヌス著作集』(23)ヨハネによる福音書講解説教(1)〕。
[47]【まことのイスラエル人】「イスラエル人」(イスラエーリテース)は四福音書でここだけです。原文は「ほんとうにイスラエル人だ」ですが、副詞よりも形容詞として「ほんもののイスラエル人」の意味に近いでしょう。これは「イスラエルの神に心から忠実/誠実に従う人」のことです。これを「<イスラエル人>と呼ぶにふさわしい人」と解釈する説もあります〔ブルトマン『ヨハネの福音書』636頁(注)103〕。ヘブライ語「イスラーエール」は「神を観る人」を意味します。
【偽りがない】詩編24篇4~6節/同32篇2節/同139篇4節を参照。十二部族の父祖ヤコブは、神からの試練を受けて初めて「イスラエル」と呼ばれますが、それまでは、「欺(あざむ)きのヤコブ」と呼ばれていました(創世記27章35~36節)。ナタナエルはそのような「ヤコブ」ではなく「イスラエル」です。
[48]【どうしてわたしを】原文は「どこからわたしを知るようになったのか?」です。<どこから>とその起源を問うのはヨハネ福音書の特徴です。イエスがその人を「見抜く」智恵は「どこから」来るのか? この問いは、神の霊による認識が<どのように>して与えられるのか? と同じです。イエスのこの霊知は、ニコデモ(3章)やサマリアの女性(4章)でも現わされます。
【いちじくの木の下】釈迦牟尼が菩提樹の下で悟りを開いたと伝えられるように、「木/樹木」は、古今東西「人の霊性」を現わす象徴です。いちじくの木が象徴する意味には、楽園のいちじくから創世記3章7節の堕罪を覆ういちじくまで諸説があります。しかし、ユダヤ教のラビたちが、(とりわけいちじくの)木の下に座して律法を学ぶ慣わしがあったことから、ナタナエルもいちじくの木の下で聖書を熱心に学んでいたという見方があります〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕〔新共同訳『新約聖書注解』(1)〕〔McHugh. John 1-4. ICC. 162〕。
[49]【ラビ】「先生/師」というこの呼びかけは、ユダヤ教では律法の教師を意味しましたが、四福音書では、それだけでなく、より偉大な神の霊能の業を行なう人をも指します。「ラビ」の古い用法が受け継がれていたのでしょう。
【神の子】旧約時代、ダビデ王朝の王は「ヤハウェの子」と呼ばれました(サムエル記下7章12~14節/詩編2篇6~7節)。タビデ的な王国を主はとこしえに護ると約束したからです(詩編89篇27~30節)。このことから、「神の子」は、イエスの頃のパレスチナでは「メシア」を意味すると一般には受け取られていました。ただし、イエスの頃のパレスチナで、「メシア」を「神の子」と呼ぶ例は厳密には見あたりません。したがって、ここの「神の子」には、イエスに神の臨在を観る新約聖書時代の「神の子」が反映していると考えられます。少なくとも、ヨハネ福音書の読者は、この「神の子」を「神の子キリスト」の意味に理解したのは確かです(20章31節)。49節は「あなた(こそ)神の子/あなた(こそ)イスラエルの王」と二重の構成になっていますが、「あなた(こそ)神の子」は、もとの資料にヨハネ福音書の作者が加えたと見る説もあります〔シュルツ『ヨハネによる福音書』NTD新約聖書註解〕〔ブルトマン『ヨハネの福音書』637頁(注)106〕。
【イスラエルの王】旧約聖書で言う「イスラエルの王」は、北王国イスラエルの王を指す場合が多いです(主として列王記下で)。しかし、ナタナエルの言う「イスラエルの王」はこの意味ではなく、南北併せた全イスラエルの王のことです。旧約聖書で、この意味の「イスラエルの王」は、それほど多くありません(サムエル記上15章1節/列王記上4章1節/歴代誌上11章3節/同28章4節など)〔新共同訳〕。旧約の用法で注目すべきは、ゼファニヤ書3章15節とイザヤ書44章6節で、これはイスラエルの民の主ヤハウェを指します。特にイザヤ書の「イスラエルの王」は、「イスラエルの民を贖う万軍の主、唯一の神」のことです。ただし『ソロモンの詩編』27篇(ギリシア語訳から原文のヘブライ語が想定されていて、前63~前48年頃)には、理想の王権として「ダビデの子」(同篇21節)「主に油注がれた者(メシア)」(同32節)「イスラエルの王」(同42節)がでてきます。これはローマ帝国の支配から独立をもたらす「王」のことでしょう。
 新約聖書では「イスラエルの王」は4回だけです(1章49節/12章13節/マタイ27章42節/マルコ15章32節)。ヨハネ福音書の2回以外は、十字架のイエスを嘲る者たちの口からでた言葉で、これらは、おそらく『ソロモンの詩編』で言う「イスラエルの王」を反映しているのでしょう。
 「イスラエルの王」に対して「ユダヤ(人)の王」は、四福音書が証しする通り、イエスが十字架刑に処せられた際に与えられた罪状で、これには、はっきりした政治的な意味がこめられています。だからと言って、「ユダヤ人の王」は政治的な意味で、「イスラエルの王」には政治的な意味がないと割り切ることはできませんが。イエスの頃のパレスチナでは、民は自分たちを「イスラエルの民」と呼び、一方パレスチナ以外の地域に住む離散のユダヤ人は、自分たちを「ユダヤ人」と呼んでいました。
 ヨハネ福音書では「イスラエル」は4回だけで(1章31節/同49節/3章10節/12章13節)、どれも神に選ばれ、贖われた「神の民」のことです。以上から判断すると、ナタナエルがここで用いている「イスラエルの王」には、多少とも『ソロモンの詩編』の用法が反映していると見ていいでしょう。ただし、これが「神の子」と結びついていますから、これは事実上、「神の子イエス・キリスト」の意味に近くなります。イエスに対して「あなたこそ」と呼びかけることで、ナタナエルは、「イスラエルの王」に、これまでとは異なる新たな意味を加えていると言えます。ナタナエルのこの呼びかけを受けて、続くイエスの言葉によって、さらにその意味が拡大されます〔マキュウ『ヨハネ福音書』〕。
[50]【もっと偉大なこと】原文は「このこと(ナタナエルをいちじくの木の下で観たこと)よりももっと大きな(偉大な)こと(複数)をあなたがたは観ることになるだろう」です。これは、2章から始まる人の子イエスが顕す神の臨在とこれに伴う栄光のしるし(奇跡なども含めて)を指すのでしょう。ヨハネ福音書の作者は、ナタエルの告白を受けて、これを50~51節でさらに発展させるのです〔Fortna.?The Fourth Gospel. 42.〕。
[51]この節は「第四福音書の中のどの1節よりも多くの問題を注釈者たちの間に引き起こしている」〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕とあります。それは、一つには、この節が、編集者による後からの追加ではないか、と見られているからです。この場合、追加が、ヨハネ福音書の作者本人によるのか?それとも誰か別の人によるのか?が問われることになります。
【はっきり言う】原文は「(イエスは)彼に言う。アーメン、アーメン、あなたがたに言う」です。「彼に」(ナタナエル)に向かって言うのに、「あなたがた」と2人称複数形がきて、「観るであろう」も2人称複数形の動詞です。イエスがすでにナタナエルに話しているのに、「そして彼に言う」を繰り返すのは不自然ですから、これが編集者の挿入であると見なされる理由の一つです。ただし、現行のままの読み方でも、イエスはナタナエルに向かって語りながら、その上で、5人の弟子たちにも向けて(これにヨハネ共同体をも反映させて)語っていると解釈すれば問題はなくなります。
 「アーメン、アーメン、(あなたがた/あなたに)言う」は、ヨハネ福音書に25回でてきて、すべてイエス自身の口から語られます。共観福音書では「アーメン、(わたしは)言う」で、「アーメン」の繰り返しはでてきません。共観福音書でもそうですが、ヨハネ福音書ではこの言い方は、イエスが何か特に重要なことを開示しようとする時に冒頭にでてきます。旧約聖書では、「アーメン」は、祈祷において聴衆が唱えます(マタイ6章13節/マルコ16章20節の末尾に添えられた「アーメン」はこの用法に近いが、後からの挿入でしょう)。
 この言い方の起源は明らかでありません。旧約聖書の「主は(イザヤ/わたしに)言われた」(イザヤ書7章3節/同8章1節など)という定型的な言い方が基になって、これが、黙示文学において「さて、わたしの子たち/義人たちよ、今あなたがたに言う」(『第一エノク書』91章8節/94章1節/同3節など)という言い方になって受け継がれ、ここから、「アーメン、わたしは言う」が、原初教会で用いられるようになったという説があります〔シュルツ『ヨハネによる福音書』NTD新約聖書註解〕。ヨハネ共同体は、伝えられたこの「アーメン、わたしは言う」を受けて、「アーメン」を繰り返す独特の言い方へと変容させたと考えられます。
 福音書の「アーメン、わたしはあなたがた/あなたに言う」がイエスの言い方にさかのぼるのかどうかが問われますが、語り手が霊に満たされて、相手に何か特別なことを開示しようとする時に、このような語り方が生じるのは自然です。イエスの場合も、霊に感じてこのように語る場合があったことが、例えば「祭りの終わりの最終の大事な日に、イエスは立ち上がって(大声で)叫んで、こう言った」(7章37節)とあることからもうかがうことができます。現在でも、聖霊に満たされた説教者が、「兄弟姉妹たち、わたしは言う」"Brothers and sisters, I say to you" と語りかけることがあります。
【天が開けて】「天(単数)が開けて」という言い方は共観福音書でイエスが洗礼を受ける際にでてきます。特にルカ3章21節の「天(単数)が開けて」では、単数の「天」と「開く/かれる」がヨハネ福音書と同じ動詞であることが注目されます。先に指摘したように、ヨハネ福音書にはイエスの受洗の場面がでてきませんが、ヨハネ福音書では、このように、共観福音書の記事に相当する場面がでてこない場合でも、共観福音書の記述をさりげなく反映しますから注意してください。ヨハネ福音書の語り方によるこのような共観福音書との共通性もこの福音書の特徴の一つです。
【神の天使が昇り降りする】この部分も問題の多い箇所です。「神の天使たち」と複数で、しかも「登ったり降りたり」とあるように、天使たちが天から地上にかけられた梯子(はしご)の上を登り降りしている様子が読み取れます。この様子は、創世記28章12節で、兄エサウから逃れたヤコブ(後に「イスラエル」と呼ばれる)が、旅の途中で石を枕に寝ている時に見た夢の場面を反映しているというのが一致した見解です。しかし、この夢の場面が、ヨハネ福音書のこの箇所では何を意味しているのか? 特にこれが「人の子」と結びついているために、様々な議論を呼んでいます。以下にそれらの説を紹介します。
(1)七十人訳創世記28章12節には「見よ、梯子が地上に立てられていて、その先が天へ達していた。そして神の天使たちが、その上を登ったり降りたりしていた」とあります。ユダヤ教では、この「梯子」はヤコブ自身を指していると解釈されていました(ヘブライ語では、前置詞+代名詞 "on it/him" が「梯子の上を」とも「彼(ヤコブ)の上を」とも読むことができます)。ヤコブは後に「イスラエル」と呼ばれますから、ヨハネ福音書では、「ヤコブの上を」の代わりに「人の子の上を」とすることで、人の子イエスが、天と地上とをつなぐ梯子であることを指すとも考えられます。ただし、「イスラエル」と呼ばれるのはナタナエルのほうで、「人の子イエス」のほうではありません。また、「梯子がヤコブ自身を指す」というユダヤ教の解釈が確認できるのは、3世紀頃の文献ですから、イエスの頃にはたしてこの解釈が行なわれていたのかどうかに疑問が残ります(解釈それ自体は文献よりも古いから)〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。
(2)創世記では、天と地上とを昇り降りするのは天使たちですが、ヨハネ福音書では、イエスは「神の子」(49節)であり、同時に「人の子」(51節)です。このイエスが、旧約の預言を成就する「メシア王」として来臨し、神の子(=人の子)の地上での現臨によって、天と地が結ばれると解釈するのです。ただし、ここでのイエスは、「やがて天の雲に乗って来臨する人の子」(マルコ14章62節)のようなユダヤ黙示文学の「人の子」ではありません。なぜならイエスは、「地上ですでに現臨する」人の子だからです〔ブルトマン『ヨハネの福音書』〕。
(3)ユダヤ教のタルグム(捕囚期以後にヘブライ語聖書を主としてアラム語に訳したり注釈したもの)では、この箇所の「梯子」は神の「臨在」を意味すると解釈されています。ヤコブは、夢を見たその場所を「ベテル」(神の家)と名づけて、枕の石をそこに立てて「天への門」として記念したとあります(創世記28章16~19節)。ヨハネ福音書では、イエスこそ神が臨在する「神の家」であり、「天への門」であるという解釈です〔ブラウン『ヨハネ福音書』(1)〕。
 このほかに、51節は、これから起こる「人の子」の受難と復活と再臨を表わすという解釈もありますが〔McHugh.John 1-4. ICC. 168-69〕、これは創世記の記事との結びつきが薄いでしょう。以上、諸説の中から主なものを選んで紹介しましたが、どの節にも問題が残ります。しかし、このような諸解釈が描く円内に適切な意味が潜むと考えていいでしょう。
【人の子の上に】ヨハネ福音書では、ここで初めて、イエス自身の口から「人の子」言葉が語られます。しかも、ここの「人の子」はイエス自身を指しています。1章29節以降で、四福音書に表われるイエスへの呼び名あるいは称号のほとんどすべてが29~51節に出そろいます。しかもヨハネ福音書は、共観福音書の「人の子」には表われない創世記28章のヤコブ=イスラエル伝承をここの「人の子」と結びつけるのです。
 創世記のヤコブ物語は、ヤコブが知らずして腰を下ろしたその場所こそ、天と地の交流の場であったこと、この啓示を受けたヤコブは、「まことに主がここにおられるのに、自分は知らなかった」と畏れて、そこを「神の家」(ベテル)と名づけたと伝えています。これと同じように、ヨハネ1章51節では、弟子たちが「メシア」として認めた「人の子の上に」こそ「天の門」が開かれていることが、やがて弟子たちにも見えると予告されているのでしょう。だから弟子たちは、イエスのすべての業において、ただイエスのみに臨在する神との合一を「観る」ことになります。こうして、地上の「人の子」が、「天への門」(創世記28章17節)となり、神の恵みの場になり、人の間に宿る神の幕屋になるのです(1章14節)〔シュナッケンブルク『ヨハネによる福音書』(1)〕。メシアであるイエスこそ、地上に神が現臨する聖なる「神の家」(ベテル)であると啓示されること、これがここ51節で、弟子たちに予告されている「もっと大きなこと」が意味することです〔バルト『ヨハネ福音書』〕。「人の子」については、さらにヨハネ福音書補遺の「人の子」を参照してください。
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