■はじめに
以下で述べることは、わたしなりの見解であって、ヨハネ福音書解釈の歴史でもなければ、それぞれの著作の紹介でもなく、ましてや、それらの「論評」ではありません。長年、自分なりにヨハネ福音書を読んでいる中で、与えられた注解書やヨハネ福音書論から特に教えられたこと、学んだことをそのまま書き記しただけです。だから、これは、わたし自身のヨハネ福音書解釈につながりますから、いわば、ヨハネ福音書講話と注釈の「補遺」とも言うべきものです。わたしが、ヨハネ福音書の解釈をその「二元性」との関連において観ようとするのもこういう意図からです。
■ヨハネ17章から
ヨハネ17章では、イエスの口から次のような言葉が語られています。
わたしは彼ら(イエスの弟子たち)のために祈ります。
世のために祈るのではありません。(9節)
彼らはだれも滅びませんでした。
ただし滅びの子だけを除くならば。(12節)
わたしは彼らに御言葉を与えました。
しかも世は彼らを憎んだのです。
彼らは世からのものではありません。
わたしが世からのものでないのと同じように。(14節)
わたしが祈り求めるのは、彼らを世から取り去ることではなく
あなた(父なる神)が彼らを悪しき者から守ってくださることです。
(15節)
これで見ると、イエスとその弟子たちは、「世」と対立関係にあって、両者の間にはなんの橋渡しも存在しないかのようにも見えます。17章だけでなく、ヨハネ福音書では、「光と闇」「真理と虚偽」「命と死」「イエスとユダヤ人」「イエスおよびその弟子たちとこの世」のように、対となる二つの言葉が、互いに対立し合って全く異なる二つの世界を構成しているかのように思われます。相互に対立する二つの領域から成り立つ世界像のことを二元論的な世界観と言います。ヨハネ福音書の二元性は、共観福音書には見られないヨハネ福音書の特徴だと言えますが、その二元性は、相互に対立し合ったままで、どこまでも相容れない二元論の世界像なのでしょうか? これから、ヨハネ福音書のこの二元性について考察したいと思います。
ヨハネ福音書で「世」(コスモス)というのは、イエスの時代のユダヤ社会の宗教的な指導者たちを頂点とする「人の世」のことです。ここで言う「世」は、自然科学で言う自然や宇宙像とも関連しますが、人類学的に見るなら、「世」は、人間性によって成り立つ「人の世」のことです。「人の世」も、その全体像としては、ひとつの組織体として見ることができますから、ギリシア語では「コスモス」(秩序/世/世界)と単数で表わされます。共観福音書やパウロ書簡では「アイオーン」というギリシア語が用いられますが、これは「世/時代」の意味ですから、時間的な意味が加わります。しかし、新約聖書では、「コスモス」も「アイオーン」も、どちらも時間と空間の両方を含む時空一如の世界のことです。
ヨハネ福音書によれば、「世」は神の「ロゴス」によって創造された存在ですから(1章3節)、「世」は神による被造物です。ところが、神が、そのロゴスであるイエスを世に遣わしたのに、世はロゴスを「認めなかった」のです(1章10節)。これは、世の人が、神のロゴスであるイエスを「認識できなかった」という意味にもとれますが、むしろここでは、神が遣わしたロゴス(言葉)としてのイエスを「受け入れなかった」「容認しなかった」と言うほうが適切です。世の人たちは、自分たち自身が、神によって造られた被造物であること、このことを「認めなかった」、すなわち自分たちの被造性を示されながらも、あえてその事実を拒否したのです。ロゴスとしてのイエス・キリストが、そのロゴスによって造られた人々の「この世」へ降って来たけれども、人々は、彼をロゴスとして「受け入れなかった」のです(1章11節)。
二元性の問題は、ヨハネ福音書の解釈と深く関連します。ヨハネ福音書に関する解説書や注解書は非常に多く、それらを網羅することはできませんが、わたしが知っているごく限られた範囲で、わたしのヨハネ福音書の解釈を支えてくれた著作を読者の方々のご参考にしたいと思います。
■バルトのヨハネ福音書解釈
カール・バルト(Karl Barth:1886〜1968)の『ヨハネによる福音書』は、1925〜26年に、彼がドイツのミュンスター大学で行なった講義が基になっています〔原書の出版は1976年。日本語訳は、吉村正義/木下量煕訳『ヨハネによる福音書』日本キリスト教団出版局(1986年)〕。バルトは、これに先だって、1922年に有名な『ロマ書』を出しています。彼は、パウロのローマ人への手紙を解釈する際に、その書簡の歴史的な背景やパウロについての歴史的で伝記的な考察などと、ローマ人への手紙の「本文それ自体」とをはっきり区別しました。バルトは、歴史的な考察を解釈のための「予備段階」に留め、これらに直接触れることを避けて、ローマ書簡の本文が、読み手に伝えようとしている「キリストの福音」の内容それ自体に、言い換えると、書簡が語ろうとする「こと」それ自体に集中して、これを「現代の読み手」と結びつけるやり方を採りました。この解釈法は大きな反響を呼びました。そのヨハネ福音書解釈の方法は、
(1)ヨハネ福音書を彼の『ロマ書』と全く同じ方法を用いています。「単に歴史的な事物の記念碑として存在しているものは、それが何であろうと、それは、福音書、ヨハネによる福音書ではない」のです〔バルト『ヨハネによる福音書』21頁〕。だからバルトにとっては、「我々が洗礼を受けていること、したがって、ヨハネによる福音書は、我々にとっては、キリスト教会の正典的文書の一部として以外には存在しない」ことになります。「そもそも、それは、それ(福音書)以外のものとしては記述されていなかったし、したがって、(それ以外のものは)存在していない」のです〔バルト前掲書22頁〕。大事なことは、このような読み方が、バルト自身が編み出した方法ではなく、ヨハネ福音書それ自身が<そういう読み方を>求めていることです。バルトは、このように、わたしたちが聖書を正典とし拝読する道を指し示してくれました。これは、歴史的、客観的な聖書学と、これに基づく解釈法が横行している現代において、信仰に基づいて、イエス・キリストの福音がわたしたちに啓示してくれる「霊的な出来事」とは何か? ということを読み取るための大事な指針となるものです。
(2)バルトのヨハネ福音書解釈において重要だと思われる第二の点は、彼の「ロゴス」解釈です。永遠のロゴスが、この地上で受肉して一人の人間となったこと、すなわち、ロゴスが、ナザレのイエスと不可分一体であること、彼のこのロゴス解釈は、伝統的なキリスト教の信仰と一致しています。ただし、彼が、ヨハネ福音書の「ロゴス」を「神の知恵そのもの」と見ている点が注目を惹きます〔バルト前掲書28頁〕。ギリシア語の「ロゴス」は、男性名詞で「言葉」「理性」などを意味します。これに対して「ソフィア」は、女性名詞で「知恵」「英知」のことです。「知恵」は、イスラエルにおいて、知恵文学あるいは知恵思想として、箴言やヨブ記、コヘレトの言葉やシラ書や知恵の書として旧約時代から受け継がれてきました。ヨハネ福音書では、このソフィアがロゴスへ移行していますが、これは、エジプトのアレクサンドリアに住んでいたユダヤ人の思想家フィロン(前25〜後40/50年)の影響によると考えられます〔バルト前掲書38頁〕。イエスが男性だから男性名詞が用いられたという説もありますが、バルトはこの説を退けています。彼は、ヨハネ福音書が、旧約のユダヤ教で培われたソフィア思想を否定する意図で「ロゴス」を用いたとは考えません。なお、ヨハネ福音書のロゴスとソフィアとの関係について、マーティン・スコットは、ヨハネ福音書のロゴス・イエスの裏には、ソフィアとしてのイエスが見え隠れしていることをこの福音書全体にわたって検証しています〔Martin Scott. Sophia and the Johannine Jesus. Journal for the Study of the New Testament Supplement Series 71. Shefield Academic Press (1992). 〕。
バルトにとっても、ロゴスは「ことば」です。けれども、それは、思念として存在している「ことば」というよりは、わたしたちに対する「語りかけ」であり、わたしたちに「関わろう」とする「ことば」のことです。彼は、このように、わたしたち人間に「働きかける」神からの啓示としてロゴスを見ています。このロゴスはイエスと一体ですから「人格」です。闇の中にいる人間を救うために、神からの啓示の光となって働きかけるこのロゴスは、ロゴスを信じる者を「創り出す」力を具えています〔バルト前掲書135頁〕。
バルトは、ヨハネ福音書のロゴスに知恵思想が受け継がれていると見ていますから、ロゴスには、エジプトのイシス女神やギリシアの医療の神アスクレピオス、マンダ教の救い主、さらには仏陀とゾロアスター教をも含む広い範囲の知恵伝承が背後に存在することを認めています〔バルト前掲書139頁〕。ただし、それらは、あくまでも背景であって、アダムの犯した罪を赦して人間を救うことが、ヨハネ福音書のロゴスの本質的な性格です。
(3)バルトによれば、ヨハネ福音書において、このロゴスの働きは、啓示の「出来事」として語られています。だからそれは、「イエス・キリストの出来事」、すなわちイエスという肉体となった人間の出来事です。しかし、イエスという人間それ自体を歴史的に、言い換えると客観的に考察しても、ロゴスとしての啓示は見えてきません〔バルト前掲書145頁〕。バルトのこのような視点は、「ロゴス」が開示する啓示が「霊的な出来事」であることを教えてくれます。ロゴスは、人間イエスを通して、霊的な出来事として働く時に啓示されるからです。だから人は、人間としてのイエスを見ているだけでは、逆に躓く可能性があります。神の霊性を具えた人格は、「自らを啓示しようと意図しなければ」、イエスの肉体そのものが啓示となることはなく、ロゴスは「覆われていて、躓きを与える」からです〔バルト前掲書145頁〕。「肉体となる」ことで、ロゴスの地上での存在は、わたしたち人間の肉体と全く同じように、やがては「とりこわされて」過ぎ去るのです。わたしたち人間は、この地上に何時までも存在することができないからです〔バルト前掲書148頁〕。
(4)ここで、バルトによるヨハネ福音書の「二元性」について見ることにします。バルトによれば、ヨハネ福音書の神は、「人間が接近もできず関与もできない」〔バルト前掲書261頁〕至高の存在です。この至高の神が、その独り子イエスを賜わったほどこの世を愛してくださったのです。「賜わった」は、ここでは、その独り子を十字架に「わたした」と同じ意味ですから、至高の神が、その御子をこの世の罪への贖いとして「わたされた」ことを指します。御子によるこのような「神的な自己放棄」〔バルト前掲書269頁〕によって、信じる者には罪の赦しと永遠の命が授与されること、これが、イエス・キリストの出来事の意味でありその目的です。この救いは、「全世界に向けられている」〔バルト前掲書271頁〕ものですから、すべての人に開かれています。
しかし、御子を受け入れることをせず、御子を信じようとしない者にとって、この啓示は、光と闇との狭間にあって、そのどちらを選ぶのか、言い換えると、神による罪の赦しと、裁きとのどちらに出逢うのか、という二つの可能性を迫ることになります。人は、信じるか信じないかのどちらかを選ばなければならないのです。この場合の「信じない」には、信じることを止めることも、延期することも、あるいは、より積極的に不信仰を選び採ることも、これらすべてが含まれます。したがって、このような「信じない」人には、信じないそのことが神の裁きとなりますから、こういう人には、裁きと赦し/救いという二つの可能性が常につきまとうことになります。「裁き」とは、人が信じない場合に、自らが自らに招く出来事のことです。このようにして、信じない人は、「二元性という裁き」に常に迫られることになり、このことが、「裁きにいたる」終末へつながることになります。
けれども、唯一の至高の神から注がれる絶対的な恩寵のもとにあっては、そのような人間的な二元性は解消して、もはや存在しなくなります。光が輝く時に、闇は勝つことができずに消え去るからです。以上、バルトのヨハネ福音書解釈について、大事な点を四つあげました。これらは、わたしたちが、イエス・キリストの御霊に与るためにヨハネ福音書を読む際に、大事な指針となるものです。
■ブルトマンの解釈
ルードルフ・ブルトマン(Rudolf Bultmann:1884〜1976)の『ヨハネの福音書』は、1937年に始まって1941年に完結しました〔杉原助訳・大貫隆解説『ヨハネの福音書』日本キリスト教団出版局(2005年)〕。
(1)まず、ブルトマンによるヨハネ福音書の資料分析を見たいと思います。彼は、大きく分けると、ヨハネ福音書が、奇跡物語を伝える「しるし資料」と、イエスの「受難・復活物語資料」と、「啓示説話資料」から成り立っていると見ています。注意してほしいのは、ブルトマンが、「啓示説話資料」の背後に、グノーシス文書、特にマンダ教の文書の存在を想定していることです〔「ヨハネ福音書の序文の宗教史的背景」(1923年)、「最近解明されたマンダ教・マニ教資料とヨハネ福音書」(1925年)。『ブルトマン著作集:聖書学論文集T』杉原助訳。新教出版社(1982年)〕。
ブルトマンが、ヨハネ福音書の資料はグノーシス文書から出ていると言う場合に、それは、ヨハネ福音書がグノーシス的な文書であるという意味では<ない>ことに注意してください。なぜなら彼は、ヨハネ福音書の作者が、資料のグノーシス思想から脱却しようとしていると見ているからです。ブルトマン自身も、ヨハネ福音書の作者と同様に、資料にほんらい含まれていたグノーシス的な傾向を克服して、ヨハネ福音書に含まれるグノーシス性を言わば「非グノーシス化」しようとしています。ブルトマンは、この方法で、グノーシスという神話から抜け出して、「人間の実存」という現代的な視点からヨハネ福音書を解釈しようとしたのです。
(2)「グノーシス」思想そのものをここで述べることは控えます〔「グノーシス」ついては、コイノニア会ホームページの「聖書講話欄」→「グノーシス文書」を参照してください〕。グノーシスは、紀元2世紀になってはっきりとした形を採るようになり、キリスト教の側から異端とされました。だから、グノーシス思想は、1世紀のキリスト教以後に顕著になった宗教思想です。このために、グノーシス文書の中には、キリスト教の影響を受けて「キリスト教化した」ものがありますから、それらの文書には、キリスト教の思想や新約聖書の語句が入り込んでいます。グノーシスの起源はまだよく分かっていません。と言うよりも「グノーシス」という用語そのものがあまりに漠然としていて、バビロニアからペルシア、さらにエジプトにいたるオリエントの全域が、グノーシスの起源と関わりがあると見られています。
わたしたちが注目するのは、その中でも、特にユダヤ教を起源とするグノーシスです〔上山安敏「ユダヤ教神秘主義とグノーシス主義」大貫隆・他編 『グノーシス:異端と近代』岩波書店(2001年)を参照〕。グノーシス思想そのものは、キリスト教以前のユダヤ教にすでにその萌芽が見られますから、グノーシスの<起源>は、パウロ書簡や福音書よりも古いことになります。だから、キリスト教以前からキリスト教が成立する1世紀の間のグノーシスについては、その実体が必ずしもはっきりしません。なぜなら、パレスチナを含む1世紀のオリエントや地中海世界の宗教や思想は多様で相互に影響し合っていますから、「グノーシス」とは何かを定義するのが難しいのです。広い意味では、パウロ書簡もコロサイ人への手紙やエフェソ人への手紙もヨハネ福音書も「グノーシス的」だと言えなくもないことになりますから、かつての学会でも、これらの文書をグノーシス的だと見ていた時期があります。
ブルトマンがヨハネ福音書の「啓示資料」を確定する際に採った文献学的な方法は、最古の写本でも紀元4〜5世紀のものとされるマンダ教の教典から、1世紀末にヨハネ福音書が成立する<それ以前の>マンダ教典の原資料を想定しようとすることでした。彼は、そこから、ヨハネ福音書と、想定されたマンダ教の原資料との関連を考察する、という手の込んだ方法を用いています。だから、彼の啓示資料説は、常にこの点が問題視されてきました。
(3)ブルトマンは、マンダ教の教典だけでなく、共観福音書とヨハネ福音書について、詳細な文献批評を実行して、四福音書が、史的な文書として、どのような資料によって構成されているのかを確定しようとしました〔ブルトマン『共観福音書伝承史』ブルトマン著作集1〜2巻。新教出版社(1983〜87年)〕。彼が確立したこの文献批評の方法論は、20世紀の聖書学に大きな影響を与え、その結果の一つが、共観福音書からイエスの語録集(Q文書)が復元されるという成果となっています(これはあくまで想定された文書であって、そのような文書が実際に存在したかどうかは確証されていませんが)。また、この方法が基になって、詳細で正確な『四福音書対観表』が産まれました。これも文献批評がもたらしてくれた賜です。このようにして成立した『四福音書対観表』とQ文書の復元がなければ、わたしが現在コイノニア会で行なっている「共観福音書講話と注釈」は不可能です。このような試みは、上にあげた二つの学問的な成果がわたしにもたらしてくれた恵みだと思っています。
(4)ブルトマンは、このような文献学の手法を用いて、ヨハネ福音書の背景には、マンダ教に類似したグノーシス神話が存在していると考えました。彼は、ヨハネ福音書がわたしたちに伝えようとしているメッセージを読み取るためには、この神話を現代の人たちに理解できる言葉で言い換えて表わさなければならない、こう考えたのです。「神話」には、世界観や祭儀や霊体験や歴史物語などが含まれています。しかし、ブルトマンが注目したのは、共観福音書とヨハネ福音書に含まれる「キリスト神話」です。ブルトマンが言う「キリスト神話」とは、福音書が伝えるイエス・キリストの生涯と復活と聖霊降臨と終末での再臨を核として成立している「キリスト教的な神話」のことです。だから彼は、わたしが「イエス・キリストの霊的な出来事」と読んでいることを「神話」として理解していることになります。彼は、ヨハネ福音書が共観福音書とは「異なる」と考え、その理由をヨハネ福音書の背景にあるグノーシス神話に見たのです。
このように言うと、ブルトマンは、福音書の神話を過去の無知な時代の「神話」(わたしたちは「神話」をこのように考えがちです)の一つだと見なしている、こう思われるかもしれません。けれども、これはブルトマンに対する誤解です。この誤解は、彼の文献学的な解釈の方法が「非神話化」と呼ばれたことにも原因があります。「非神話化」とは、神話が伝える内容そのものを否定することを意味するからです。そうではなく、彼は、聖書の神話の中に身を投じて、その神話が伝えようとしている内容(これを「ケーリュグマ」と言います)を理解し、そのメッセージを現代の言葉で表現しよう、こう考えたのです。だから彼の方法は、神話の内容を否定することではなく、神話的な用語を「非神話<論>化」しようとしたのです〔この点は、信友の水垣渉氏の助言によるものです〕。
(5)だから彼は、永遠のロゴスが受肉してイエスと一つになり、この地上に啓示をもたらしたというヨハネ福音書の内容を否定するのではなく、むしろ、これこそが、ヨハネ福音書がわたしたちに伝えてくれる最も大切なメッセージであると解釈したのです。ブルトマンにとって、ヨハネ福音書は、ナザレのイエスがもたらしたロゴスの啓示を伝えてくれる文書です。だから、彼のヨハネ福音書解釈によれば、ヨハネ1章14節の受肉は、神と同質一体であるロゴスが、この世で「働く」ために降下したことになります。
このことは、ブルトマンが、ヨハネ福音書のロゴスをその「永遠の実在性」とかロゴスの「本質性」のような存在論的な見方から理解しようとするのではなく、この地上で働く神の言(ことば)だと見ていることを意味します。歴史の中で実在した神のロゴスであるイエス・キリストが与える啓示、これがブルトマンのヨハネ福音書解釈の視点です。
「地上で働く神の言(ことば)」は、ヘブライの伝統的な「ことば」思想ですから、この点では、バルトもブルトマンも共通しています。ただし、ブルトマンは、バルトとは違って、福音書を構成する資料の重要性を強く意識していて、その資料構成が福音書の解釈に決定的な意味を持つ、こう考えているのです。彼の『ヨハネの福音書』は、現在のヨハネ福音書を資料的に分解して完全に組み替えてありますから、これはヨハネ福音書のブルトマン版です。
(6)ここで、ブルトマンの見たヨハネ福音書の二元性について考察します。世が自分の創造主である方を受け入れなかったことは(ヨハネ1章11節)、言い換えると世が、自分自身のほんとうの起源を受け入れなかったことになります。この点について、ブルトマンは次のように言います。「世は、自分を被造物として造った神から理解しようとしない限り、自分自身からしか自分を理解することができなくなる。つまり、(自分で自分を理解しようとする)その点に、神と世、光と闇というヨハネ的二元論が成立することになる」〔ブルトマン『ヨハネの福音書』84頁〕。
だから、ブルトマンによれば、イエスが世の創造主である父から遣わされた御子であり光であり命であることを信じ受け入れないかぎり、イエス(およびその弟子たち)と世とが敵対するのは避けられないことになります。それでも、世が、神とロゴスによって造られた被造物であることに変わりありません。このために、神は御子を通じてこの世を救おうとされるのです(ヨハネ3章16節)。だから、もし世が、「自分で(勝手に)選んだ偽りの自己理解を放棄して、創造者からの真の自己理解という賜(恵み)を受け入れるならば」〔ブルトマン前掲書84頁〕、その敵対関係は解消します。したがって、世がこの認識を拒否することによって、神から切り離された存在として自己を理解しようとするそのことこそが、「世の罪」であり、これが御子イエスへの「不信仰」として裁かれることになります。イエス(とイエスの弟子たち)が「世によって憎まれる」のは、この理由によります。 だからこの世は、その全体として、神の愛の対象でもあり、同時に、神の敵対者であることを止めないことにもなります。
このように「世」は、神と神が遣わしたイエスの救いの対象ですから、ロゴスであるイエスと世との対立関係は、世の罪が存在する限り消えませんが、両者の対立は、どこまでも不変で絶対的な性質のものではありません。「世の本質は、宇宙的・実体的に神とは異質であることにあるのではなく、世の神への敵対、神への反抗にあるのだから、彼(イエス)の聖性も、世とは、(固定された)静止的、実体的に異質であることではない。(むしろ)イエスは、世に対する神の代理行為を貫徹することによって初めて聖性を獲得する」のです〔ブルトマン前掲書400頁〕。
この見方に立つならば、ヨハネ福音書の世界は、光と闇、神と悪魔とが永遠に対立し続けるという意味での存在論的な二元論とは言えません。ブルトマンの見方では、ヨハネ福音書の世界にあっては、造られたこの世が、創り主である神と御子によって、その罪を暴かれ、暴かれることで罪除かれていくことを目指していると言えます。「教会と同様に、世も静的(固定的)なものではない。世が信じない限り、世は確かに審かれている。だが世は、イエスその人とその言葉によってと同様、世のただ中にある教会によって常に繰り返し問いかけられ、決断へと招かれている」〔ブルトマン前掲書399頁〕のです。だから、ヨハネ福音書は、「闇が光に勝つことができない」とあるように、神のロゴスによる「創造的な一元論」へ向かうものだと見ることができます。
ここで、創造的な一元論へ向かう過程をもう少し考察してみます。ヨハネ福音書でイエスは「真理はあなたがたに自由を得させる」と告げています(8章32節)。ブルトマンによれば、ここで「自由を得させる」というのは、ギリシアのストア派の哲学のように、人間は修行を積めば、意思と理性の力によって「ほんらいの自己」を取り戻して自由になることができるという意味ではありません。そうではなく、人間の自由とは、神がそのロゴスであるイエス・キリストを通して、人間に「前もって与えられている」ものであり、神の言葉を受け入れることによって初めて、神から与えられている「自由<である>」ことが、信じ受け入れるその人において「自由<になる>」こととして実現する、ということなのです〔ブルトマンと前掲書345頁〕。
だから人間は、神から与えられる「自由/救い」を自分のものとして実現するためには、御子イエスからの啓示との出会いにおいて、自己の責任において、普段に自由を「選び取る」決断を迫られることになります。この場合、人間は、神からの啓示に接して、自己の自立性を固守するのか、神の言葉に聴き従うのか、そのどちらかへの選択を迫られますから、この状態では、人は実存的な「決断の二元性」の中に置かれることになります。したがって、ブルトマンのヨハネ福音書解釈は、この世の成り立ちから来る世界的、宇宙的な意味での二元論ではありませんが、普段の信仰による選択を人間に迫るという意味で、「決断の二元論」と呼ぶことができます〔エルンスト・ケーゼマン著『イエスの最後の意思:ヨハネ福音書とグノーシス主義』善野硯之助・大貫隆訳。ヨルダン社(1978年)。原書の初版は1966年。巻末解説206頁〕。
■ドッドのヨハネ福音書解釈
チャールズ・H・ドッド(Charles H. Dodd:1884〜1973)は、ドイツのベルリン大学に学び、オックスフォードとケンブリッジの両大学で教えた新約学者です。彼の『第四福音書の解釈』(初版は1953年)The Inter-pretation of the Fourth Gospel. Cambridge University Press(1953).は、以後の英米のヨハネ福音書研究に大きな影響を与えました。ドッドは、当時ドイツで行なわれていた聖書学の方法、すなわち文献学的な方法によって、福音書を構成している資料の「様式」を決定して、これによって福音書を解釈しようという試み(これを「様式史研究」と呼びます)に刺激されました。しかも、彼は、その研究方法をイギリスの伝統的な古典学の研究方法と結びつけて、独自のヨハネ福音書解釈の方法を確立したのです。
(1)彼は、マンダ教聖典にヨハネ福音書の啓示資料の起源を求めるブルトマンの資料説に疑問を抱いたようです〔ドッド前掲書122頁〕。グノーシス思想をヨハネ福音書の背景として考察するためには、「グノーシス」の概念があまりに漠然としていて、ヨハネ福音書の資料と見なすことができないと考えたのでしょう〔ドッド前掲書108〜09頁〕。その代わり彼は、ヨハネ福音書の宗教的な背景をヘルメス文書群と関連づけようとしました。ヘルメス文書群は、ギリシア語で書かれていますが、前3世紀〜後3世紀という長期間にわたってエジプトで成立したものです〔荒井献・柴田有訳『ヘルメス文書』朝日出版社(1980年)12〜14頁〕。この文書群は、古代地中海世界の哲学、宗教、占星術、博物学、錬金術、魔術などが混交した世界を伝えています。そこには、ギリシアのピュタゴラスからプラトンにいたる哲学や霊魂不滅の思想、グノーシス的な思想なども含まれています。しかし、新約聖書の背景としては、ヘルメス文書群の中の紀元1〜3世紀のものに限定して見ることができましょう。この文書は、テルトゥリアヌスなど、2世紀のキリスト教の教父たちにも読まれていました。ヘルメス思想には、人間を魂と肉体とに分けて見る「人間的な二元論」が見られますが、グノーシス思想のように、宇宙全体に及ぶ二元論は見られません〔荒井前掲書41頁〕。
(2)ドッドの『第四福音書の解釈』は、全体が3部構成になっています。第1部では、ヨハネ福音書の世界を構成する背景について論じられています。彼のヨハネ福音書解釈の特徴の一つは、その終末観です。共観福音書やパウロ書簡では、キリストの再臨と終末の到来が、将来において起こること、すなわち「未来」の出来事とされています。しかし、ドッドは、ヨハネ福音書の終末観がこれらとは異なることを指摘しました。ヨハネ福音書では、終末が、現在すでに生起している出来事として語られていることを指摘したのです。ヨハネ福音書の終末観が、「現在化した/実現した終末」"realized eschatology" であることをはっきり指摘したのはドッドです。ただし、ドッドが言う「実現した終末」と、共観福音書が伝える「未来の終末」との関係は、通常考えられているほど単純ではありませんから注意を要します。だから、「第四福音書の作者が、ケーリュグマの設定するほんらいの終末観を放棄したと見るのは正確ではありません」〔ドッド前掲書7頁〕。ヨハネ福音書の記者は、終末観を歴史の「外から」臨んでくる終末から、歴史の「内部で」成就する歴史的展望へと変えたのです。彼は、この終末観こそ、ユダヤ人キリスト教徒たちが、ほんらいキリスト教の終末思想として抱いていたものであったと観ています。
ドッドは、ヘルメス文書の性格と思想について細述した後で、ヘレニズムのユダヤ教を代表するアレクサンドリアのフィロンを採りあげます。フィロンの著作では、(旧約)聖書解釈の方法として、寓意(アレゴリー)的な解釈が重要な意味を持っていますが、ヨハネ福音書には、こういう旧約聖書の解釈法は見られません。けれども、ドッドは、フィロンとヨハネ福音書とは、象徴や表象の用い方が共通すると指摘しています(例えば「光」「泉」「羊飼い」など)〔ドッド前掲書55〜57頁〕。また、フィロンとヨハネ福音書に共通するものとして注目されるのは、どちらも「ロゴス」に重要な意味が与えられていることです〔コイノニア会ホームページ→著作欄→『知恵思想とヨハネ福音書の霊性』→第6章フィロンを参照〕。特に問題なのは「ロゴス」とモーセとの関係です。フィロンもヨハネ福音書も、モーセが神からの啓示を与えたと見ている点では同じです。ところがドッドは、ヨハネ福音書のイエスが批判する「永遠の命を求めて聖書を調べる」(5章39節)人たちとは、まさにフィロンのことだと言うのです。 ドッドは次に、ヨハネ福音書と1世紀のラビのユダヤ教とを比較します。先ず、両者の「律法」が採りあげられます。パウロ書簡では、ユダヤ教のラビが用いる「律法」は、その意味が変容したり、場合によっては律法の概念が拡大されています(例えばローマ人への手紙7章)。しかし、ヨハネ福音書では、「律法」は、ユダヤ教で用いられる意味に正確に限定されています。このために、ヨハネ福音書では、ロゴスとしてのイエスと「ユダヤ人の律法」とは、相容れないものになっているのです〔ドッド前掲書76頁〕。ドッドは、ヨハネ福音書が書かれた背景に、エフェソのようなヘレニズム世界があると見ていますから〔ドッド前掲書5頁〕、この福音書の用語に含まれるヘレニズム性に注目しています。その一方で、ヨハネ福音書の「キリスト」は、初期キリスト教会の用法とも異なっていて、ユダヤ教で言うアラム語の「メシア」により近いと見ています〔ドッド前掲書88頁〕。
グノーシスとヨハネ福音書との関係について言えば、ドッドは、2世紀以後のグノーシス文書からキリスト教以前の資料へとさかのぼらせる方法に疑義を呈しています〔ドッド前掲書98頁〕。2世紀のグノーシス派の人たちが、ヨハネ福音書を引用しているという理由で、ヨハネ福音書に「グノーシス性」を見出そうとする説がありますが、ドッドは、2世紀のグノーシス派のヴァレンティノスが、ヨハネ福音書を引用していることについても、「だが、(彼の引用を)できるだけの共感をもって検討しても、それらの引用が、時には巧みに取りこまれているとは言え、事実上、ヨハネ福音書から出ていると結論することはできない」〔ドッド前掲書102頁〕と見るのです。だから、ヴァレンティノスによるヨハネ福音書からの引用と思える部分も、直接ヨハネ福音書から出ているものではなく、別のキリスト教伝承とグノーシスとが混交した結果生まれた伝承を背景にしていることになります。それだけに、ヨハネ福音書とヴァレンティノスとの類似は、逆に興味深いことになるのでしょう〔ドッド前掲書109頁〕。
(3)第2部では、「象徴手法」、「永遠の命」、「神を知る」、「真理」、「信仰」、「神との交わり」、「光/栄光/裁き」、「御霊」、「メシア」、「人の子」、「神の子」、「ロゴス」の12項目にわたって、ヨハネ福音書に表われる用語が考察されています。彼は、初期ユダヤ教や共観福音書、またヘルメス文書を始めヘレニズム世界の諸思想と、それぞれの用語とを関連づけながら、その用語の意味を検討しています。その際、彼は、ヨハネ福音書の用語が、これを囲む諸思想と類似しながらも、そのどれにも属さない独自の意味を帯びていることを指摘するのを忘れません。
(4)第3部では、第2部で行なわれた作業に基づいて、実際にヨハネ福音書が、イエスの福音をどのように語っているのか、その「語りの手法」に注目しています。この部分は、彼のヨハネ福音書解釈の重要な特長です。ヨハネ福音書においては、地上に降下した神からのロゴスであるイエスは、その働きを通して、この地上に、父なる神の啓示と栄光を顕しました。そのロゴス・イエスが、彼の復活以後の歴史において、神からの啓示と栄光をどのようにして「再演」"enact"していくことになるのか、ドッドは、ヨハネ福音書が、これを伝えるために独特の「語りの手法」を用いていることを随所で指摘しています。
ここでは、ロゴスの受肉と受難だけでなく、地上で行なわれたイエスの「実際の業そのもの」もまた、大事な意味を持ってきます。ただし、イエスの出来事を史的な事実として伝えるだけでは、ロゴスの啓示と栄光を顕すことも、これを伝えることもできません。だから、ヨハネ福音書の記者は、イエスの出来事それ自体を神から地上の人に与えられた「しるし」として、これらの出来事を「象徴化」するのです。
ヨハネ福音書の解釈論では、とかく、その受肉論と復活したキリスト論に関心が集中しがちです。しかし、この福音書は、資料的に見ても、共観福音書には見られないような、ナザレのイエスの出来事に直接つながる伝承を含んでいます。永遠の先在のロゴス、復活・昇天してパラクレートスとしてヨハネ共同体と共に臨在するロゴス、さらに、この世を裁くために再臨するロゴス・キリスト、これらを結ぶ要となる原点には、ナザレのイエスの出来事があります。洗礼者ヨハネが遣わされたのは、「このこと」を証しするためです。ロゴスであるイエス・キリストのこのような一連の啓示をどのようなパースペクティヴ(遠近法)に置いて「語る」のか、ヨハネ福音書の記者が、その「語りの手法」において担わなければならなかった課題がこれです。ドッドは、イエスが行なう「しるし」としての奇跡だけでなく、イエスのいっさいの出来事と様々な登場人物が、ヨハネ独特の仕方で象徴化されているのを洞察することで、ヨハネ福音書の象徴表現の研究に先鞭をつけたのです〔カルペッパー著・伊東寿泰訳『ヨハネ福音書:文学的解剖』日本キリスト教団出版局(2005年)。原書の初版は1983年〕261頁〕。
(5)ドッドのヨハネ福音書解釈は、その基本的な視点において、バーナードのヨハネ福音書解釈を受け継いでいると言えましょう〔J.H.Bernard. A Critical and Exegetical Commentary on the Gospel According to St. John. Vols.1&2. The International Critical Commentary. T.&T. Clarke (1928)〕。
ドッドの解釈の方法は、以後の英米のヨハネ福音書の解釈に大きな影響を与えました。その解釈の影響を以下に少し紹介しますと、後で採りあげるC・K・バレットのヨハネ福音書解釈も、基本的にはドッドのヨハネ解釈の系統に立つものです。ドッドの影響は、アメリカにも及んで、ロバート・カイザー(Robert Kysar: 1934〜)と、彼のグループのヨハネ福音書研究へ受け継がれました。彼の博士論文は、ドッドとブルトマンの両者によるヨハネ福音書の序文の釈義を比較検討するものです。
("A Comparison of the Exegetical Presuppositions and Methods of C.H. Dodd and Rudolf Bultmann in the Interpretation of the Prologueof the Fourth Gospel." 1967.)。
彼を囲むグループの論集が、『ヨハネにおけることばと神学と共同体』と題して出版されています〔John Painter, R. Alan Culpepper, et al. Word, Theology, and Community in John. Chalice Press (2002).〕。
カイザーは、ヨハネ福音書をめぐる問題点を次の五つにまとめました〔カルペッパー前掲書299頁〕。
1)ヨハネ福音書は、離散のユダヤ人への伝道のための文書として意図された。
2)ヨハネ福音書は、ユダヤ人の会堂とヨハネ共同体との激しい抗争の中で書かれ、共同体とその仲間を励ますために書かれた。
3)キリスト仮現説への反論のために、この福音書執筆の後期に書き加えが行なわれた。
4)サマリア伝道がヨハネ福音書の内容と神学に大きな影響を与えている。
5)ヨハネ福音書は、ほんらいのユダヤ人キリスト教徒のための福音を超えて、文化的・知的に多様なヘレニズム世界に向けて福音の普遍性を伝えようとしている。
カイザーのグループの一人であるR・A・カルペッパーは、その『ヨハネ福音書:文学的解剖』において、文学論的な「語りの構造分析」の手法を用いて、ヨハネ福音書の「語りの構造」を詳細に分析しました。彼はこの著作をイギリスのケンブリッジ大学で書いていますが、当代イギリスの文学批評家として知られたフランク・ケーモド(Frank Kermode)が、これへの序文を寄せています。カルペッパーは、ヨハネ福音書でしばしば用いられる手法、「ヨハネ共同体の視座から」過去のイエスを回顧するという語りの手法に注目しています。カルペッパーの指摘によれば、こういう「回顧の手法」は、たとえイエスと同時代に生きた人が、彼の目に映った人間イエスを語ったとしても、その方法では、イエスが「ほんとうはだれなのかを」福音書の読者に伝えることができないことから来ています。ナザレのイエスは「ほんとうはだれだったのか」、これを読者が悟るためには、読者が語り手(ヨハネ共同体)と同じ時間的な観点からイエスを見なければならないのです。
(6)ドッドに戻って、彼の終末観とヨハネ福音書の二元性について考察します。先ず、ドッドの「永遠の命」の分析から入ります。ヨハネ12章25節「自分の命を愛する者は、それを失うが、<この世で>自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」は重要な箇所です。この12章25節は、ダニエル書12章2節の七十人訳「塵に伏して眠る(イスラエルの民の)多くの者たちが目覚めて、ある者は永遠の命を、ある者は非難と永遠の恥をうけるであろう」を受け継ぐものです。ヨハネ12章25節には、「この時代/世」の命と「来るべき時代/世」の命を区別するユダヤ黙示思想が反映していて、しかも、ここは共観福音書とも共通しています(マルコ8章35節/マタイ10章39節/ルカ9章24節)。共観福音書の並行箇所には「この世で」がありませんから、二つの異なる時代の「命」が区別されてはいません。ユダヤ教の終末的な命を受け継ぎ、共観福音書と共通し、しかも、共観福音書にはない二つの時代の区別を有する「命」のありようが、ヨハネ福音書のここに出ているのです〔ドッド前掲書146頁〕。文献批評家たちは、ここがヨハネ福音書に「ふさわしくない」と考えて、これを後の編集によるものと見なしたがりますが、そのような考えは皮相的で、ヨハネ福音書の正しい解釈につながりません。
大事なのは、ラザロの復活の記事です(ヨハネ11章17〜27節)。マルタがイエスに「ラザロは終わりの復活の時に復活する」と言いますと、イエスは「わたしは復活であり、命である」と答えます。続いて「わたし(イエス)を信じる者は、たとえ死んでも、生きる」と告げてから、さらに「生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことがない」と言います。
マルタが「ラザロは終わりの復活の時に復活する」と言うのは、ユダヤ教の伝承に従って、メシアの到来と共に生じるであろう終末における身体の復活を指しています。これに対するイエスの応答、「わたしは復活であり、命である」は、マルタの言葉と、続く「わたしを信じる者は〜」との間にあって、マルタとイエスの両者を比較対照する働きをしていますから、ひとまずこれを後に回して、「わたし(イエス)を信じる者は、たとえ死んでも生きる」に目を向けます。この25節後半も、マルタが言う伝統的なユダヤ教の教義にしたがって、イエスを信じる者は、死んだ後で、終末に復活するという意味に解釈することもできます。ところが、これに続く26節「生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことがない」は、ユダヤ教の教義とは異なっています。ここは、<現在生きていてイエスを信じる者はすべて、その命を失うことがない>という意味を孕んでいるからです。すなわちここでは、イエスを信じる者は、肉体が死ぬ<前に>すでに<今ここで>永遠の命に与っていることになるのです。だからこれは、「死後の終末の復活」と同じではありません。
ラザロは、葬られてすでに4日経っていますから、確実に死んでいます。だから、この出来事は、「死んだ後に起こる終末的な復活」を指し示そうとしています。すなわち、ラザロの出来事は、<終末に起こる復活の出来事が現在起こっている>ことを告げるものです。イエスを信じる者は、終末において受ける復活の命を「今ここで」受けていることは、「アーメン、アーメン、私はあなたがたに言う。わたしの言葉を聞いてわたしを遣わした方を信じる者は、永遠の命を持っており、裁きに逢うことがなく、<すでに死から命へと移っている>」(ヨハネ5章24〜25節)とあるイエスの言葉と一致します。
ところで、ラザロが「墓の中から」出てきたのは、共観福音書には見られない例です。これは、ラザロの復活が、「墓の中にいる者たちが、人の子の声を聞いて墓から出てくる」(5章28節)こと、すなわち、<まだ到来していない終末>において生じる出来事を予兆していると見ることができます。このように見てくると、「わたしは復活であり、命である」というイエスの言葉は、永遠の命と裁きによる死とが、すでに現在この地上において併存していること、イエスを信じる者には、「裁きの死」の状態から「永遠の命」への移行がすでに始まっていることを告げると共に、この併存と一方から他方への移行が、来るべき終末において完成することを語っていることになります。
ここで象徴されているのは、現在と終末との「二つの時」を一貫する「永遠の命」です。永遠の命のこのような時間的二重性は、5章24〜25節に「わたしの言葉を聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠の命を持ち、かつ裁きには至ることがなく、死から命へと移っている」とあると共に、同28〜29節に「時が来ると、墓の中にいる者は皆、彼(人の子)の声を聞いて出てくる。善を行なった者たちは命の復活へ。邪悪を犯した者たちは裁きの復活へ」と言い表わされています。「ラザロの身体的な復活の奇跡は、最後の復活を予兆するものであり、人間が、単なる肉体的な存在、すなわち死ぬべき存在から、真の意味での命、すなわちほんとうの意味での復活へと移行することの象徴なのです」〔ドッド前掲書147〜48頁〕。
ユダヤ教では、現在の世の命が、<そのまま>来るべき時代/世の命へと復活すると考えられていましたが、このような復活に与るのは、神の律法に殉じた「義人たち」に限られました。パウロは、人間の「霊体」と「身体」について語り、両者の関係を植物の種とその命の類比において語っています(第一コリント15章42〜49節)。共観福音書でも終末の復活が語られていますが、復活の「命そのものの有り様」が、現在と終末という二つの時間関係の間で、どのように生じるのか、この点に関して明らかではありません。ヨハネ福音書は、これまで言わず語らずのうちに了解されていた「この点」を明確にしたと言えましょう。
終末に起こる復活の命が、すでに現在において働いているのであれば、やがては朽ちるべき肉体的な存在を持つ信仰者の身体には、ほんらいは時間的に見て異なる二つの命が、同時に存在していることになります。したがって、これらの二つの命は、時間的な長さの違いというよりも、むしろその「質において」比較されるべきものです〔ドッド前掲書149頁〕。「光と闇」「命と死」「真理と虚偽」「イエスとこの世」のようなヨハネ福音書を貫く二元性は、この二つの命の質的な違いに関わることが、ここではっきりしてくるのです。すでに始まっているが、まだ成就していない命と、この世だけで終わる一時の命、この両者の時間的な差は、実はより深い意味で、霊的な命と身体的な命という命の内実そのものに関わること、このことが、ヨハネ福音書によって初めて明らかにされるのです。
(7)次に、ドッドの「裁き」に関する項目から、ヨハネ福音書の二元性を見ることにします。彼はこの問題を「光と栄光と裁き」の項目で扱っています。彼は、「神を見る啓示の光」への考察から始めて、ヨハネ福音書の「啓示の光」の背景として、ヘルメス文書に見られるヘレニズム神秘主義と、旧約聖書から受け継いだユダヤ教の「光」の思想、特にフィロンの「知性の光」としてのロゴス思想などが、ヨハネ福音書に流れ込んでいると見ています。
ヘレニズムの光の思想では、光は宇宙に浸透していて、人間に神を見させる啓示の働きをする「光の元型」が存在すると考えられていました。ただし、ヨハネ福音書には、このような元型としての光の思想は採り入れられていません〔ドッド前掲書204頁〕。むしろ、ヨハネ福音書の光は、ユダヤ教のそれに近いと言えます。ユダヤ教のラビの伝承には、「律法の光」(シラ書24章25〜27節)あるいは「知恵の光」(バルク書4章1〜2節)があり、また、「光」は「主の栄光」として神殿と結びついていましたから(詩編29篇9節/ハガイ書2章7節など)、「光」の根源には神自身の臨在があります。
ヨハネ福音書では、ロゴスであるイエス・キリストが「世の光」(8章12節)です。「世の光イエス」が来たのは、世を裁くためではなく、救うためです(3章17節/8章15節/12章47節)。ところが、「光を受け入れない」者には裁きが下るのです。9章では、イエスが、安息日に盲人の目を開けたとして、律法の教師であるファリサイ派がイエスを「罪人」として裁きます(9章24節)。だから、光を与えられた人が、光を受けていない人たちによって裁かれることになります。ところが、その裁く人たち自身が、イエスの目からは「盲人」と見なされて、逆に彼らのほうが、イエスによって裁かれます(9章40〜41節)。すなわち彼らは、自分たちの盲目によって裁かれているのです。いったい、「裁かない」イエスによって裁かれる「この世の闇」とはなんでしょうか。「光と闇」、「裁きと赦し」の二元性は、どのようにして解決されるのでしょうか。これが問われることになります。
ドッドは、この問題について、ヨハネ福音書の「裁き」には、ヘブライ語の「シャーファット」(決定する/判定する/裁定する)と、ギリシア語の「クリノー」(裁く/批判する/分別する)のふたとおりの意味が含まれていることを指摘します。「シャーファット」は、至高の主である神の判定のことで、これには、二つに「分離する」という意味は含まれていません。人の実際的な行為が神の正義と公正によって判定を受けて、正しい場合には報いが与えられ、邪悪な場合には罰が下されるのです。だから、これは、至高者である神の一元的な裁定に支配されています。ここには、世界それ自体が二つに分けられること、すなわち全世界が、正義と不義の二つに分離する、あるいは分裂するという思想はありません。
しかし、ギリシア語の「クリノー」から出た名詞「クリシス」は「分離」「区別」「裁き」を意味します。この意味から見るならば、ヨハネ福音書では、光の到来によって、全世界が「光の領域」と「闇の領域」とに区別されて、両者が分離されることになります。ドッドによれば、先にあげたイエスの「裁かない」発言は、イエスがこの世に来たのは、「この世」を天の領域から区別して、これを断罪して滅びに定めるためである、という誤解を防ぐためです。しかし、キリストがこの世にもたらす光は、この世の「隠されていた悪」を暴き、これを「明るみに出す」働きをするのは避けられません。この意味で、ヨハネ福音書の世界はエフェソ5章13〜14節と並行します。光の働きによって、真理と虚偽、善と悪、光と闇という究極の分別が生じるのです〔ドッド前掲書210頁〕。
しかも、ユダヤ教の伝統的な終末観によれば、ほんらい「最後の日」に明らかにされるはずのこのような「分離と裁き」が、ヨハネ福音書では、ロゴスの受肉を通して、イエスの来臨によって、この世ですでに生起するのです。「光が世に来たのに、人々はその行ないが悪いので、光よりも闇を好んだ。それが、もう裁きになっている」からです(3章19節)。終末の時には、「人の子の声を聞いて」、善を行なった者は報われ、悪を行なった者は罰せられます(5章28〜29節)。こうして、イエスの地上での生は、光とこれに伴う「裁き」になりますが、世の光イエスによるこのような「裁き」は、逆に世によって「裁かれる」ことで受難を迎えることになります。イエスの受難こそ、光に向けられたこの世の究極の拒否反応です。ところが、世の裁きがもたらしたロゴスの受難こそが、この世に向けられる神からの究極の裁きに転じて、イエスの十字架と復活、これに伴うパラクレートスの来臨によって、この世の悪が裁かれ、イエスの復活がもたらした「現臨する終末」によって世の悪が消滅するのです(12章31〜32節)。十字架によって初めて、神はこの世の悪霊どもの力に勝利したこと、これが新約聖書の信仰です。しかし、新約聖書の中で、ヨハネ福音書ほど、イエスの受難がこの世の二元性の消滅をもたらしたことを明確に語る文書はありません〔ドッド前掲書211頁〕。ヨハネ福音書のこのようなメッセージは、プラトン的な哲学やヘレニズム世界の神話的な神秘思想からは生まれてこないものです。これは、イエスによる「歴史的な啓示」によって初めて達成されたからです〔ドッド前掲書212頁〕。ドッドは、彼のヨハネ福音書解釈を通して、このことをわたしたちに教えてくれたのです。
■ケーゼマンのヨハネ福音書解釈
1966年に、ヨハネ福音書について、全く異なる二つの著作が出されました。一つは、ブルトマンの学生であったエルンスト・ケーゼマンの『イエスの最後の意思』で、もう一つは、カトリックのレイモンド・ブラウンによるヨハネ福音書注解です。まずケーゼマンのほうを採りあげることにします。先に紹介したブルトマンのヨハネ福音書解釈とある意味で鋭く対立するのがケーゼマンのそれです。彼はヨハネ17章を中心に、ヨハネ福音書全体を師のブルトマンとは違う設定において理解しようとしました〔エルンスト・ケーゼマン著『イエスの最後の意思:ヨハネ福音書とグノーシス主義』善野硯之助・大貫隆訳。ヨルダン社(1978年)。原書の初版は1966年〕。
ヨハネ17章15節「わたしが祈り求めるのは、彼らを世から取り去ることではなく、あなた(父なる神)が彼らを悪しき者から守ってくださることです」は、一見、イエスおよび弟子たちとこの世との対立とは直接関係がないように思われるかもしれません。ここでは、弟子たちが「この世に属していないにもかかわらずこの世に留まる」ことが求められています。ブルトマンは、ここを次のように解釈します。この世のものではない終末的な存在として、決断的に生きることによって「教会として実存すること」、「教会の本質はまさにこのこと、世の<内部で>終末的、脱世界〔世俗〕的な教会であることに存する」〔ブルトマン『ヨハネの福音書』。< >は原文にある強調〕。
ケーゼマンも、イエスおよびその弟子たちとこの世とが対立関係にあると見ています。これはブルトマンを含む通説と同様ですが、ケーゼマンの場合は、ブルトマンとはいささか異なっています。なぜなら、ケーゼマンの解釈では、ヨハネ福音書のイエスは、この世においては、どこまでも完全な「異郷の人」であって、イエスがこの世に顕れたのは、この地上から、「ほんらい自分に属する者たち」である弟子たちだけを連れ出して、イエスほんらいの「天の国」へと導くためにほかならないことになるからです〔ケーゼマン前掲書156頁〕。だから、ケーゼマンによれば、17章15節では「地上を離れようとするキリストは、弟子たちがこの世から取り去られるのを願ってはいないことをわざわざ告げなければならない」ことになります〔ケーゼマン前掲書156頁〕。この見方によれば、ヨハネ福音書の「世」は、それ自体として、もはや神とロゴス・イエスの救いの対象では<ない>ことになります。なぜなら、イエスが遣わされたのは、予め神によって定められている者たち、ほんらい真理を宿す者たちだけが救われるためであって、それ以外の「この世」は、そもそも救いの対象にはならないからです。「したがって世が(イエスの)派遣の対象となるのは、その選ばれた者たちを集めることが必要である、という限りにおいてだけである」〔ケーゼマン前掲書157頁〕とケーゼマンは解釈するのです。
だから、ケーゼマンの場合は、ブルトマンのように、人間の救いは、人間の実存的な決断によるのではありません。そもそも最初から、選ばれる人とこの世の人とは、分離されたまま相互に関係し合うことがないからです。この世は、その本性において、どこまでも神とイエス・キリストに対立すると見られているのです。だから、彼が解釈するヨハネ福音書の世界は、一方にキリストとその弟子たち、他方にこの世とこれに属する人たち、この二つに分離された世界、言い換えると、世界は、「存在論的な二元論」に基づいていると見るのです。ケーゼマンによれば、ブルトマンの「決断の人間論について語るのも不正確である」〔ケーゼマン前掲書152〜53頁〕ことになります。なぜなら、ここには、人間の側に「決断の自由」はもはや存在せず、救われる者は予め選ばれて定められているからです。また、ケーゼマンによれば、ヨハネ福音書の「受肉」は、ロゴスが、人間という仮の姿をまとって地上に現われたことであり、こういう「受肉」には、「素朴な仮現論をこの上なく明確に」認めなければならないことになります〔ケーゼマン前掲書167頁〕。
ケーゼマンがヨハネ福音書をこのように見るのは、彼が、この福音書を1世紀に芽生えて2世紀に正統派のキリスト教から異端とされたグノーシス主義、特にキリスト教的なグノーシス主義に根ざす文書であると位置づけるからです。この見方によれば、ヨハネ福音書は、当時のキリスト教の少数派に属するキリスト教的グノーシス宗団の思想/信仰を反映していることになります。キリスト教グノーシス主義が異端とされた理由の一つは、キリストの天からの降下の解釈にあります。これによれば、キリストが降下したことは、地上にいる人の世に<入り込む>ことを意図するものでは<なく>、むしろ、天に属する存在と地上の存在とが「遭遇する」ことを意味するにすぎないのです。この世は、イエスと同様に弟子たちにとっても、彼らが天の領域に属している以上、自己が本来存在すべき場所ではなく、ただ、自分に課せられた仕事を終えて通り抜けていく場所にすぎません。この解釈は、先にあげたブルトマンのヨハネ17章15節の解釈、イエス・キリストは、弟子たちが、どこまでも「この世の<内部で>」福音を証しすることを祈り求めているという見方とは明らかに異なります。
だから、キリストが「この世」に遣わされたのは、「世の救いのため」ではなく、予め父によって定められている者たちだけを、世の中から選ばれた者として、天へ連れ帰るためです。彼によれば、イエスが「すべての人を引き寄せる」と言う時の「すべて」とは、「選ばれた者たちだけ」の「すべて」を意味します。こういう選びの思想の背景には、もともと天にあった「真理」が、粉々に「砕け散って」地上に落ちたために、地上の特定の人たちだけが、その真理の破片を所有する結果になったいうグノーシス特有の見方があります。だから、救い主キリストは、そういう人たちだけを集めて、再び天へ戻るために降下したことになります〔グノーシス思想については、コイノニア会ホームページの聖書講話欄にある「グノーシス関係の文書」を参照してください〕。
グノーシス主義は、認識(グノーシス)と無知、光と闇、善と悪のように、対立する二つの極から世界(と宇宙)が成り立っていると考えていて、このような思想は「二元論的な」世界観と呼ばれています。この世界観によれば、イエスおよびその弟子たちとこの世とは、決定的な対立関係にありますから、天から遣わされたイエスは、「この世」に対しては、これをどこまでも否定する「裁き」と「断罪」によって臨むことになります。
ケーゼマンがこのように主張するのは、彼自身の<歴史家としての>立場から、従来の教会の伝統的な受肉思想/信仰に基づくヨハネ福音書解釈を意図的に退けようとするからです。彼は、ヨハネ福音書をそれ以前のキリスト教伝承や諸文書とのつながりから切り離して、特殊なグノーシス主義的な宗団の文書であるという設定へ移し替え、その視点から解釈したのです。このような彼のヨハネ福音書解釈は、学会に大きな波紋を起こしました〔ケーゼマンの学風とヨハネ福音書解釈の特徴は、大貫隆氏の解説に的確にまとめられています。ケーゼマン前掲書189〜195頁参照〕。
ケーゼマンのヨハネ福音書解釈の特徴は、従来行なわれていた教会の伝承や信仰的な立場からこの福音書を切り離して、これを純粋に歴史的な文書と見なしていることです。その上で彼は、この文書の背景として、グノーシス主義的なキリスト教宗団を想定したのです。彼によれば、ヨハネ福音書の「知恵」もグノーシス的な思想の枠内に組み込まれていることになります。また、啓示は「ロゴス」すなわち「ことば」に限定されていて、受肉は「ことば(ロゴス)を啓示する」ための手段にすぎないのであって、受肉それ自体は「ことば」と弟子たちとの出会い以上の意味を持っていません。また「霊」も、歴史的なナザレのイエスの「霊」とは切り離されたものとして、イエスの復活以後に、ヨハネ宗団と復活したキリストとの出会いの場で啓示される「ことば」を意味するだけになります。ブルトマンは、ヨハネ福音書の作者が、グノーシス的な資料に基づきながらも、そのグノーシス性を克服して「非グノーシス化」しようとしていると見ました。しかし、ケーゼマンによれば、ヨハネ福音書は、グノーシス的な「仮現説」(イエスの肉体的な存在とそこに宿るキリストの霊性とを区別して、キリストは現実に肉体を具えた姿で現われたのではないとする説)を否定するどころか、まさにその方向で書かれていることになります〔ケーゼマン前掲書113/116頁〕。
彼は、教会の伝統やブルトマンの行なったケーリュグマへの信仰を確保する立場から離れて、どこまでも「歴史家」としての客観的な立場から、ヨハネ福音書を歴史的な文書として解釈しようとしたのです。まさにそのゆえに、ケーゼマンのこれらの諸見解は、<歴史的な立場から見て>その正当性が問われてくることになります。ヨハネ福音書と共観福音書とはほんとうに関係がないのか? ヨハネ福音書の「イエス」は、歴史的なイエスとは交わらないのか? ヨハネ福音書の知恵思想はグノーシス的な枠内に留まるのか? 何よりも大きな問題は、ケーゼマンが前提にしている「グノーシス思想」とこれに基づく「少数派のキリスト教宗団」の実体がいまひとつはっきりしないことです。キリスト教的なグノーシス主義が、はっきりした形を採るのは2世紀以降だからです。このために、ヨハネ福音書とグノーシスとを関連づけようとする人たちの中には、この福音書の成立を2世紀に設定しようとする試みもあります。
最後に、もしもヨハネ福音書が、特殊な少数派の立場を反映しているのなら、なぜキリスト教の諸教会でこの福音書が広く読まれたのか? という疑問も加えなければならないでしょう。これらの理由から、彼が主張したグノーシス的な解釈は、現在の学会では支持されていません。けれども、ケーゼマンが提起した問題は、それ以後のヨハネ福音書の解釈に大きな影響を与え、特にこの福音書の「二元性」への理解をさらに深める契機になったことを、ここでつけ加えなければなりません。
■ブルトマンとケーゼマンの解釈
いったい、ブルトマンとケーゼマンとは、ヨハネ福音書の解釈においてどのように違うのでしょうか? 「神学論争」という用語は、分かりにくくて、何を言っているのか理解できないことを言う場合の代名詞として使われますが、これからわたしが語ることも、そういう「訳の分からない」ことにならないか、いささか心配です。なぜなら、ここでは、ブルトマンの解釈とケーゼマンの解釈と、さらにもう一人、ヨハネ福音書の作者自身の解釈と、これら3人の解釈が同時に問題になるからです。ややこしいことを覚悟の上でできるだけ整理してみます。
(1)ブルトマンもケーゼマンも、ヨハネ福音書の作者が伝える啓示が、<地上の>イエスの出来事を通して与えられていると見ている点では同じです。「地上のイエス」とは、一般に言う歴史上の出来事としてのイエスのことです。
(2)ここで、「啓示」が「地上の」イエスの「出来事」を通して与えられるという言い方に注意してください。なぜなら、
〔A〕地上のイエスが<その時その場で>啓示を与えたのか?
〔B〕地上のイエスが、イエスの十字架と復活と聖霊降臨の<後になって初めて>弟子たちに啓示を与えたのか?
この二つが区別されるからです。「地上のイエス」が「後になって」というのは、おかしいと思う方がいるかもしれません。しかし、これが区別されるのは、「イエスの十字架の死」を通して与えられる罪の赦しは、当然のことですが、イエスの生前ではなく、<その死後に>、しかも、イエスが神の御子であると信じる人たちにしか与えられないからです。
(3)イエスの「出来事」という言い方に注意してほしいのは、この「出来事」には、イエスが語った言葉もイエスの行なった行為と出来事(十字架はその大事な出来事の一つです)もその全部が含まれます。これは歴史上の出来事ですから、だれでもそれぞれの見方から、客観的に観察したり理解したりできます。
〔A〕けれども、その出来事が啓示として「霊的に」顕されるとなると、これは、だれでもが理解できるとは限りません。イエスが与える「啓示」は「霊的な」出来事です。だから、歴史上のイエスを外から見たり観察したりしているだけでは、人間イエスは見えますが、啓示を与えてくれる霊的なイエスは見えません。啓示は彼を信じる人にしか見えないし顕されないからです。イエスが生存していたその時その場に居合わせた人たちであろうと、現在のわたしたちであろうと、この事情は全く同じです。特に、イエスの十字架の出来事が、「霊的な啓示の出来事」としてその全貌を顕すのは、イエスの十字架と復活以後の弟子たちとキリスト者たちだけに対してです。
〔B〕「出来事」というのは、イエスの言葉と行為の両方を含みますから、〔A〕で説明したのは主としてイエスが地上で行なった「行為」に関係しています。しかし、イエスが語った「言葉」もまた、行為に劣らず大事です。ところが、ヘブライの思想では、地上で生起する「出来事」それ自体もまた、神の「ことば」であるという見方をします。だから、「イエスの言葉」と言うのは、実際にイエスが語った言葉(山上の教えなど)のことだけではなく、イエスの言動すべてを含むイエスの出来事そのものもまた、神の「ことば」(単数)なのです。それは言わば、言語によらない出来事としての「ことば」です。この意味の「神のことば」は、イエスの出来事として、歴史上のある時期に、一回限りだけ「語られた」ことになります。だから、イエス<が>語った言葉のことだけでなく、神がイエス<を>通して行なった「イエスの出来事」もまた神の「ことば」になります。この意味での神からの啓示の「ことば」は、ユダヤ=キリスト教独特の考え方から来ていますから、仏教思想や中国の思想、ギリシアや日本の神話などの考え方とは異なります。わたしたち日本人が聖書を読む場合に、この点が最も分かりにくいところでしょう。したがって、キリスト教の神学論争は、その多くが、ここで言う「神のことば」としての「出来事」とこれの啓示性をめぐる論争になります。今回の場合もその例外ではありません。
(4)上にあげた項目(2)の場合、ブルトマンは、「地上のイエス」と「復活以後の」イエス・キリストとを区別する方向でヨハネ福音書を解釈します。だから、ブルトマンによれば、ヨハネ福音書の作者は、ナザレのイエスと復活以後にパラクレートスとして臨在するイエスとを、ヨハネ共同体の現在の立場から、重ね合わせながら本質的に区別していることになります。ヨハネ福音書の視点は、地上における「イエスの時」とヨハネ共同体が信じている「パラクレートスのイエスの時」の間を、すなわち彼らの過去と現在との間を移動したり、かつてのイエスと今現臨するイエスとを重ね合わせたりします。しかし、そのような場合でも、「時の区別」は、福音書の作者(たち)によってはっきり意識されています。
ブルトマンがこのように区別するのは、彼が、ヨハネ福音書で語られているイエスの出来事をその「受肉」思想/信仰において理解しているからです。「受肉」は、地上における人間イエス(ナザレのイエス)と彼を通して与えられる啓示とを結びつけるものです。しかし、受肉による啓示の全貌は、イエスの十字架と復活と聖霊授与の<後に>なって初めて顕された。こうヨハネ福音書は伝えているというのが、ブルトマンの解釈です。
(5)ところがケーゼマンは、ヨハネ福音書の作者が、地上のイエスによる啓示と復活以後のイエスによる啓示との<区別をつけていない>と見るのです。だから、ヨハネ福音書が伝えるのは、そもそも、イエスが地上に存在したその初めから、復活し聖霊授与を経て、パラクレートスとしてヨハネたちの「今の時」に臨在するイエスのことであって、福音書の作者は、十字架以前と以後との間になんの区別もつけていない。ケーゼマンは、このようにヨハネ福音書を解釈するのです。
ブルトマンは、ヨハネ福音書が伝えるイエスの十字架直後の復活と聖霊降臨が、共観福音書の場合とは異なっていて、復活と聖霊降臨が同時に起こっていることを指摘しています(これはブルトマンに限らず広く認められています)。ケーゼマンは、この点についてブルトマンの解釈は正しいとしながらも、ブルトマンのこの解釈に批判を向けて次のように言います。「このような(ブルトマンの)表現では、(復活と聖霊降臨の)この出来事は不十分である。第四福音書においては、イエスの地上の生もまた、このような(復活、聖霊降臨、再臨のような)出来事に属していることを(ブルトマンが)明らかにできないからである。ブルトマンにそれができないのは、彼が受肉を徹底的に『純然たる人間性』〔『』は原文〕の中へ入り込むこととして理解しているからである」〔ケーゼマン前掲書55頁〕。
ここでケーゼマンは、ヨハネ福音書が伝えようとしている「地上のイエス」には、イエスの復活と聖霊降臨、さらにイエスの再臨までもが、すでに含まれていると見ています。その上で、彼は、ケーゼマンの言うこのようなヨハネ福音書解釈がブルトマンにできないのは、ブルトマンが、ヨハネ福音書の受肉思想(1章14節)にこだわるあまり、啓示を地上のイエスの人間性とひとつに見ているところにその原因がある。こう批判しているのです。したがって、ケーゼマンは、ブルトマンの受肉理解とは異なって、ヨハネ福音書の伝える受肉において、人間性を具えた地上のイエスと、復活と聖霊降臨のイエスとは一つでは<ない>と見ているのが分かります。イエスの霊性と人間性とのこの分離は、グノーシス思想の特徴であって、霊性が仮の姿として人間性を「まとった」にすぎないと見ることから、これを「仮現説」と呼びます。
(6)以上のことから、ケーゼマンのヨハネ福音書解釈には、次のような特徴を見ることができます。
〔A〕ヨハネ福音書の伝えるロゴスとしてのイエスは、教会が伝統的に理解してきたような「イエスの~性と人間性との一体化」ではなく、仮現説になります。ケーゼマンのこの解釈は、ヨハネ1章14節の前半ではなく、その後半「わたしたちはその栄光を見た」のほうに重点を置いています。ケーゼマンによれば、ヨハネ福音書が語る「栄光」とは、「われわれはヨハネ的栄光のキリスト論の危険性を見逃すことはできない。それはまだ素朴なかたちで現われているので、まだ危険としては認められていないような仮現説である」〔ケーゼマン前掲書75頁〕ことになります。この解釈では、ヨハネ福音書と三位一体説との結びつきが否定されるのは当然です。
〔B〕ケーゼマンは、ヨハネ福音書のキリスト論に潜む「危険性」を指摘します。いったい彼は、ヨハネ福音書のどこにそのような危険性を見るのでしょうか? グノーシス思想においては、「霊の働き」を重視するために、信者各自がそれぞれに自分勝手なキリスト論を造り上げる傾向があるからです。キリスト教の信仰の一致は、各自の信仰がイエスにのみ基づいているところにあります。だから、「イエスが誰であるかを決めることは、おのおのの信仰者に任せられてはならない」と彼は考えるのです。ヨハネ福音書は、人それぞれの個人性を重んじるあまりこの意味で危険性を孕んでいるというのがケーゼマンの見方です。彼は、ヨハネ福音書のキリスト論によって、「教会教義学がきわめて危険なものになる」〔ケーゼマン前掲書74頁〕という危惧を抱くのです。
〔C〕ケーゼマンのヨハネ福音書解釈で、もう一つ大事な点があります。それは、彼が、ヨハネ福音書の伝える地上のイエスには、「キリストの再臨」もすで含まれていると見ていることです。このことは、彼の視点からすれば、ヨハネ福音書にはもはや<将来における終末と再臨は存在しない>ことになります。おそらくケーゼマンは、ここでも、ヨハネ福音書の霊性をグノーシス思想の危険性と同一視していると思われます。パウロがコリントの教会の異端に対して警告したのもこれと同じです。
〔D〕終末の問題は、ヨハネ福音書における「裁き」の思想を考える上でも大事です。ケーゼマンによれば、ヨハネ福音書は、現在の「世」に対する裁きで終わることになります。キリストは「世の光」です。「にもかかわらず、この福音書は、そのような(キリストの)派遣が世を裁くことで終わっていることを示している」〔ケーゼマン前掲書145頁〕と見るのです。「この福音書は、世の憎悪を共同体内部の愛に(対して)、それ(愛)を引き立たせる背景として、劣らず鋭く(世の憎悪を)対置している」のです。したがって、「世」と「キリストとその弟子たち」とは、相互の敵対関係によって、永遠に分離された状態が続くことになります。「世」において、「光と闇」との対立は決してなくなることがありません。「イエスは世を裁くためではなく、世を救うために来られた世の救い主という名称で呼ばれているが、それにもかかわらず、実際に救われるのは、信じる者・選ばれた者・彼に属する者たちだけである」からです。ヨハネ福音書には、神によるキリスト派遣の目的は「世を救う」ためであると告げられています。「だが反対にヨハネ的二元論は、ほんとうにそう主張することを限りなく妨げている」、こうケーゼマンは見るのです〔ケーゼマン前掲書150〜51頁〕。ヨハネ福音書の世界をグノーシス的な二元論と同一視する解釈をここに読み取ることができます。
以上の〔A〕〜〔D〕の四つの項目は、どれもそのまま、ブルトマンのヨハネ福音書解釈に対する否定につながります。ブルトマンとケーゼマンとのヨハネ福音書解釈におけるこれらの違いは、ヨハネ福音書の解釈において、繰り返し表われる問題を改めて浮かび上がらせてくれます。両者の違いは、ブルトマンが、ヨハネ福音書の受肉思想を教会の伝統的な解釈に沿って「信仰的に」理解しようとしているのに対して、ケーゼマンのほうは、彼自身が主張するように、教会の伝統を離れて、歴史家としての視点からヨハネ福音書を史的な文書として定義づけているところにもあります。しかし、そうであれば、歴史的な視点から、ブルトマンあるいはケーゼマンの解釈がどこまで正当性を主張できるのか? このことがいっそう鋭く問われることになります〔この問題は、大貫隆著『ロゴスとソフィア:ヨハネ福音書からグノーシスと初期教父への道』教文館(2001年)67〜101頁で詳しく論じられています〕。
■シュナッケンブルクのヨハネ解釈
ここで、カトリックの側からのヨハネ福音書解釈に注目したいと思います。ルードルフ・シュナッケンブルク(1914〜2002年)は、ポーランド出身のカトリックの司祭で、ドイツのミュンヘン大学やヴュルツブルク大学カトリック神学部で教え、ヨハネ文書の研究家として知られています。彼の『聖ヨハネによる福音書』(第1巻)は、1965年に出版されました〔Rudolf Schnackenburg;
The Gospel According to St John. Vol.1. Trans. by Kelvin Smith. Crossroad (1968).〕。彼は、ヨハネ共同体が同時代のユダヤ教から異端者として呪いを受けていた歴史的状況を知っていました〔シュナッケンブルク前掲書166頁〕。彼はまた、ブルトマンやドッドによって提唱されていたヨハネ福音書の背景として、マンダ教文書あるいはヘルメス文書についても熟知していました〔シュナッケンブルク前掲書211〜214頁〕。しかし、ヨハネ福音書以後の文献からヨハネ福音書以前のグノーシス思想を想定して、それをこの福音書の背景に見ようとする試みに疑問を呈しています〔シュナッケンブルク前掲書548頁〕。ヨハネ福音書に、何らかのグノーシス的な背景があることを否定しませんが、ヨハネ福音書は、むしろこのグノーシス的な傾向に反する方向で書かれていると見ているからです。この点で、彼は、2世紀の教父エイレナイオス以来のヨハネ福音書解釈の伝統に立つと言えましょう〔この問題はシュナッケンブルク前掲書543〜56頁に詳しく論じられています〕。
シュナッケンブルクは、ヨハネ福音書の二元性とこれの克服をその終末観と関連づけています。彼のヨハネ福音書解釈で特に注目されるのが、この福音書の「裁きと救い」に関する考察です。以下、ヨハネ3章17〜18節を通して彼の解釈を見ながら、この問題を探ることにします。
「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」(3章17節)とありますが、ここでは、御子が世に遣わされた唯一の目的が、世が救われることにあると告げられています。サマリアの女性が、イエスを「世の救い主」(4章42節)と呼ぶのもこのことを表わすものですから、「全世界」への救い主は、選ばれた者だけにしか救いが与えられないというグノーシス思想とは異なっています。ヨハネ福音書は、ここで、神の意志が、この世の滅びではなく救いにあることを確認するのです。しかし、「世の救い主」を伝えるヨハネ共同体の信仰は、イエスを信じようとしないユダヤ人の敵意を招くことになります。ヨハネ共同体と同時代のユダヤ教は、イエスに不信仰を表明する人々に対する共同体の「裁き」の姿勢を非難しました。
続く3章18節「御子を信じる者は裁かれない。信じない者はすでに裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである」には、終末的な啓示者である贖い主がすでに到来していることがはっきり表明されています。ここでは、神の独り子に対する信仰か、不信仰か、によって、「実現した終末」としての裁きが今ここで生じることを告げています。ところが、3章17節では、神の意志は、この世が裁かれることでは<ない>とも言うのです。しかもその上で、御子を信じることを拒否する者たちは「裁き」に出逢うと証しするのですから、神の終末的な愛と贖いの裏には、このように暗い裁きがあることが察知されます。この見極めがたい謎の中を福音書の記者は、以下の引照箇所に見るように、「手探りしながら」進むことになります(5章39〜47節/6章36〜37節/8章23〜24節/同43〜47節/9章39〜41節/10章25〜28節/15章22〜24節)。
神が正しい者に報いを、悪い者に罰を与えることは、ヨハネ福音書以前のキリスト教ですでに確立していたことです(ローマ2章6〜10節/同14章10節/第二コリント5章10節)。しかし、ヨハネ福音書の世界では、信じない者たちが、終末的な最後の裁きに「すでに出逢っている」とさえ言えるところに問題があります。ただし、それは、彼らが神の御子への信仰を「拒否する限りの間において」のことですが。ヨハネ福音書では、このように「不信仰即自己断罪」が生じるのです〔シュナッケンブルク前掲書402頁〕。不信仰者が、自己の決定によって、死の領域から免れる最後の可能性さえ奪われかねないのです。これは、新約聖書はもとより、ラビの文献にも見られない特異な世界です。
しかし、3章18節を注意深く読むと、先ず、信じる者は終末の裁きに逢わないとあり、これに続いて「不信仰即自己断罪」が来ますから、救いの扉は、最終的には、閉ざされていないことが分かります。不信仰な群衆に向けて、暗闇に追いつかれないように「光のあるうちに光を信じなさい」という語りかけが向けられるのもこの辺の消息を伝えるものです(12章36節)。実際、不信仰者と思われる人の中にも、イエスを信じる者がいます(12章42節)。このように見ると、ヨハネ福音書では、「裁き」そのものがある種の使信(ケーリュグマ)になっているのが見えてきます。
しかも、この裁きの使信は、未来をも排除しません。なぜなら、不信仰者への拒否は、その人への裁きを確定させますが、その拒否に対する啓示者イエスの言葉は、その者を「終わりの日に」裁くともあるからです(12章48節など)。「終わりの日に」とあるのは、最後の時に訪れる終末とこの福音書の終末観とを「調和させる」ためだけの編集者による挿入にすぎないと見なすなら、この「挿入」の重要な意図を見落とすことになります。なぜなら、この句からは、ヨハネ福音書の終末観に潜む重要な意図を読み取ることができるからです。それは、現在生じている不信仰者への裁きが、彼をいっそう頑なにする可能性があると同時に、このような裁きを阻止する可能性を神から奪うことをも<しない>ことです。裁きと終末を結ぶヨハネ福音書の基本的な関係がこの点にあります。「終わりの日に」は、ヨハネ福音書の「終末的な裁き」の根底に関わる言葉です。この言葉は、神が全世界に向けて、神による「裁きの働き」を完成させる時が訪れることを妨げないためなのです。「神の怒り」は、単に絶望的な宿命を告げる言葉ではありません。ヨハネ福音書の「裁き」は、人間の命と救いが、神の力と権限に完全に従属していることを告げようとするものです。ヨハネ福音書の「終末」は、このようにして、人が単純な「最後の審判」思想に陥るのを防ぐのです。
「光が世に来たのに、人々はその行ないが悪いので、光よりも闇のほうを好んだ。それが、もう裁きになっている」(3章19節)では、光が、人を「分ける」ことが指摘されています。確かに光は分裂をもたらします。しかし、しかしその分裂は、「光に目を閉じる人たちの間でのみ」生じる分裂であることに注意しなければなりません。不信仰が分裂を露わにするのです。このことは、ヨハネ共同体と同時代の歴史的な出来事だけに限定されて言われているのではありません。ヨハネ福音書は、周辺のユダヤ人だけでなく、それ以後も常に起こることとして「裁きになっている」と現在形で語るのです。だから、ヨハネ福音書のこの点への見解は、従来の終末観と対立するものではなく、従来見過ごされてきている個人の責任を「終末の真相」において露わにするのです。ここでは、過去の選択の責任とこれに対する判決が、常に現在に呼び戻されて新たな選択を迫るのです。これが「裁きの使信(ケーリュグマ)」です。しかも、そのような選択は、「神がその人を引き寄せて」くれなければ起こりえません(6章44節)。なぜなら、人が光を選ぶことは、神から来るからです(同65節)。光に目を閉じるのは人間の側がすることであり、その目を開くのは神だけがすることなのです。神は、このようにして、「終わりの日」までその働きを止めないのです〔シュナッケンブルク前掲書404〜405頁〕。このようなヨハネ福音書解釈の視点から見るならば、二元性は人間の側にあり、一元性は神の手に握られているのが見えてきます。
以上で分かるように、シュナッケンブルクの解釈は、ヨハネ福音書に表われる「裁き」に目を留めたところにその特長があります。彼は、ヨハネ福音書に「裁きの終末観」を読み取ったのです。「現在の終末」と言い「実現した終末」と言うのは、「救いに目を留めた」時に初めて意味を持つ言葉です。しかし、「裁き」と断罪に目を留めるならば、悪人がすでに裁かれ、光を憎む者がもはや存在しない、という意味での終末的な現実が、「まだ来ていない」ことは誰の目にも明らかです。ヨハネ福音書では、このように「すでに」と「まだ」との緊張が、共観福音書に見られない「断罪と裁き」において啓示されるのです。シュナッケンブルクが提起したこの終末観は、後述するように2009年の現在、ヨハネ福音書の解釈者たちの間で改めて注目されています。
この福音書の終末観は、イエス・キリストの臨在によって終末が現在すでに実現していると言われていて、このような終末観は、「現在化した終末」「実現した終末」 "realized eschatology"と呼ばれています。しかし、こういう呼び方は、ヨハネ福音書の伝える救済が、「すでに」完成してしまったかのような誤った印象を与えます。ヨハネ福音書は、復活したナザレのイエスが、パラクレートス(聖霊)として現臨し、その現臨を通して新たな神の創造の御業がこの地上において行なわれていること、その「出来事」を伝えるのです。ナザレのイエスが地上において実現させた出来事、その出来事が、イエスの復活以後のパラクレートスによって、現在もなお継続しているというがこの福音書のメッセージです。だから、ヨハネ福音書の伝える終末は、正しくは、「実現させていく終末」「現在化させる終末」と言うべきです。「実現した終末」であるのなら、終末はもう来ません。そうではなく、ヨハネ福音書の終末とは、現在において終末を「実現させる働き」のことなのです。それは、「現在化した終末」ではなく、「現在を終末化する」ことです。だから、ヨハネ福音書の伝える救済は、現在すでに実現しつつある「救い」のことです。このような終末観は、基本的には、パウロ書簡にも共観福音書にもすでに潜在的に語られていることですから、ヨハネ福音書は、これら最初期のキリスト教の終末観を受け継ぎつつ、これに明確な形を与えたと言えましょう。
■ブラウンのヨハネ福音書解釈
ケーゼマンの『イエスの最後の意思』とシュナッケンブルクの『聖ヨハネによる福音書』とが出た同じ頃に、これもカトリック司祭レイモンド・ブラウン(1928〜1998年)による『ヨハネによる福音書』(全2巻)の第1巻が1966年に出版されました〔(1)Raymond E. Brown.
The Gospel According to John. I-XII. The Anchor Bible. Doubleday (1966)./(2)The Gospel According to John. XIII-XXI.(1970). 〕。この注解は、ブルトマンの『ヨハネ福音書』と共に、20世紀を代表するヨハネ福音書の注釈だと言えます。彼のヨハネ福音書解釈は、この福音書に関するあらゆる問題を包括的に扱っています。ブラウンは、後に、ヨハネ共同体の形成とその推移についてまとめた『主に愛された弟子の共同体』〔(3)R.E. Brown.
The Community of the Beloved Disciple: The Life, love,and Hates of an individual Church in New Testament Times. Paulist Press (1979).〕を著わしています。これら(1)〜(3)の著作を併せて、彼のヨハネ福音書解釈のあらましをまとめたいと思います。
ブラウンは、ヨハネ福音書の著者として、またそれが書かれた場所として、新約聖書にはこれを裏付ける証言がないものの、概(おおむ)ね古代の教父たちの伝承を受け入れています。現在トルコのセルチュクに隣接して、古代エフェソの遺跡の近くには聖ヨハネ教会堂の遺跡があり、そこに使徒ヨハネと他の弟子たちが眠ると伝えられる地下墓室があります。ブラウンは、現存するこの墓が3世紀までさかのぼることを指摘した上で、ポリュクラテスの証言に基づいて、エイレナイオスたちの伝承を否定するに足る根拠がないと指摘しています〔Brown(1)LXXXIX〕。したがって彼は、ヨハネ共同体の始祖として、使徒ヨハネがエフェソに住んでいたこと、またヨハネ福音書の成立がゼベダイの子である使徒ヨハネにさかのぼることを認めています〔Brown(1)XCII〕。
ヨハネ福音書が書かれた場所については、最近まで、エイレナイオスたちの伝承とは異なって、ガリラヤ湖の東北部の地域(現在イスラエルに占領されているゴラン高原からシリア領の西部にかけて)であろうと推定されてきました〔小林『ヨハネ文書』144頁〕。しかしブラウンも、最近ではハーンも、この福音書の成立の場所を伝承通りにエフェソだと見ています〔Brown(1),CIV.〕〔フェルディナント・ハーン『新約聖書神学T』(上巻)261頁〕。
ヨハネ福音書の成立時期についてのブラウンの説では、ヨハネ福音書を構成する資料として、まず使徒ヨハネの伝えた伝承があり、これに「しるし(奇跡)物語」と「受難物語」と「復活物語」が加わります。受難と復活の物語は50年代の後半頃には、おそらくヨハネ共同体内で一つに結びついていたと考えられます。こうして、<前>ヨハネ福音書が形成されるのは50年代から80年代にかけてだと彼は見ています。したがって、ヨハネ福音書が成立したのは90年頃になります〔Brown(3)59〕。
ヨハネ共同体はどのように形成されて、その後どのように推移したのかについて、ブラウンはこれを図表でまとめています〔Brown,
The Beloved Disciple. "The History of the Johannine Community." 166〜167〕。(1)パレスチナの内部とその周辺のユダヤ人たちで、イエスをダビデ的なメシアだと信じた人たちがいました。彼らはイエスの「しるし」(奇跡)をも信じた人たちで、イエス在世中の人たちです。「主の愛する弟子」もその中の一人で、彼は、その聖霊体験によって、高次なキリスト観を抱くようになりました。
(2)ヨハネ共同体には、かつてイエスと関係が深かった洗礼者宗団からも相当数の参入者がいたと思われます。なお、このほかに、この共同体には、サマリアからも、イエスを信じて参入した人たちがいました。
(3)サマリアの人たちを受け入れたことで、ヨハネ共同体のキリスト観は、伝統的なユダヤ教のメシア観から、世の初めから存在する「先在のキリスト」へと高められることになりました。ユダヤ教の指導者たちから見れば、ヨハネ共同体のこのような信仰は、イエスを「第二の神」と見なしていることになります。このために、ヨハネ共同体とユダヤ教との対立が決定的なものになりました。
(4)ユダヤ教の会堂との対立が深まると同時に、ヨハネ共同体への異邦人の参入が始まります。この段階で共同体は、異邦の世界に住む離散のユダヤ人たちとギリシア人にも御言葉を伝えるために、パレスチナからエフェソへ移住します(ブラウンはこの時期を90年頃と推定?)。
(5)「ユダヤ人」と対立する高度のキリスト観は、ついに共同体を分裂に追い込むことになります。この結果、長老ヨハネ(第一ヨハネの手紙の作者)に従う人たちは、「イエスが肉体を持って来たこと」を否定する者たちを「反キリスト」と呼んで、異端的な教師たちを排除するにいたります。同時に、共同体の内でも「霊を吟味する」ようになります。
(6)共同体における分離派との内部的な対立と、外からの反対者たちからの疎外に耐えられずに、第一ヨハネの手紙の側の共同体は、長老=司教制の使徒教会の指導を必要とすると考えるようになりました。この時期に、ヨハネ共同体の中に「普遍的な教会」観が芽生えます。ただし、ヨハネ福音書がグノーシス的な諸派によって利用されていたために、使徒的教会との合一の過程は徐々に進行したと思われます。
以上が、ブラウンの描くヨハネ共同体の成立とその歩みのあらましです。言うまでもなく、これは一つの試案であり、その詳細については様々な異論や反論がありえます。しかし、ブラウンのこの図式は、その大筋において、今日なお有効なモデルとして通用していると言えます。
〔ヨハネ共同体とその二元性〕
ブラウンは、ヨハネ共同体に関係した人たちがどのような人たちであったのかを推定することによって、この福音書の二元性を考察しようとしています〔Brown (3)
The Community of the Beloved Disciple. 168〜69〕。
(1)ヨハネ福音書には、イエスに敵対する者として「世」と「ユダヤ人」とがでてきます。「ユダヤ人」は、より広い意味での「世」に含まれますが、5章〜13章では、主として、イエスと「ユダヤ人」との対立が描かれ、これがイエスと「ユダヤ人」との決別につながります。
(2)共同体の初期の頃には、ユダヤ教の会堂内にも、「イエスをメシアと信じるユダヤ人」たちが相当数いたと推定されています。ヨハネ共同体が、このようなユダヤ人たちに、ユダヤ教の会堂内でイエスを証しするように力づけたことは、十分考えられます。このために、ユダヤ教の会堂の指導者たちとヨハネ共同体との対立が深まり、これまで会堂内にいたイエスの信者たちが、会堂から追放され、場合によっては処刑される出来事まで生じたと推定されます。特にヨハネ共同体の伝える「御子イエス」は、ユダヤ教の側から、イエスが「自分を神と等しくしている」(5章18節)と見なされたのです。ここに「イエス対悪魔」という二元性の源を見ることができます。
(3)ヨハネ共同体には相当数の洗礼者宗団からの参入があったと思われます。この際に、洗礼者とイエスとの優劣関係が争点になったと思われますが、ヨハネ共同体は、このような洗礼者宗団の人たちとの論争に巻き込まれた可能性があります。この共同体は、洗礼者宗団と敵対関係に入ることはありませんでしたが、イエスが、はたして「来るべきメシア」かどうかが問題になりました。
(4)ユダヤ教の会堂内には、イエスを信じていながら、なおもユダヤ教の内部に留まろうとする人たちもいました。おそらく、彼らは、ヨハネ共同体の抱く高度なキリスト観を共有することができなかったか、あるいは、あえて己の信仰を公にしなかったと思われます。ヨハネ共同体は、彼らに対して「神よりも人の誉れを尊ぶ者」(5章44節)として、否定的な姿勢をとっていますが、彼らを敵対視してはいません。
(5)ブラウンは、ユダヤ教の外部にいるキリスト者共同体で、しかも、ヨハネ共同体とも使徒的な教会とも区別されるユダヤ人のキリスト者たちがいたと想定しています。彼らに共通するのは、ヨハネ共同体の高次なキリスト観に至らないキリスト観を抱いていたことです。それは、たとえば6章60〜66節にでてくる人たちです。問題は、ヨハネ共同体の高次なキリスト観とこれに基づく聖餐の解釈にあります。彼らは、聖餐を「イエスの死を記念する」こと、すなわち、過去のイエスの贖いの出来事を現わすと解釈していました。言い換えると、彼らは、聖餐をユダヤ教の過越との類比関係に置くことで、過去の出来事としてこれを記念するために行なっていたのです。ところが、ヨハネ共同体の聖餐の解釈はそうではありませんでした。なぜなら、ヨハネ共同体にとって、聖餐とは、現在においてイエスの命に与るためのしるしであり、したがって、これを味わって噛みしめることによって、イエスの命そのものが現臨すると信じられたからです。このような高次のキリスト観に基づく高次な聖餐観に向けられた批判が、6章60節以下に反映しているとブラウンは見ています。
(6)ブラウンは、ヨハネ共同体の「サマリア的な傾向」を批判したユダヤ人キリスト教徒たちがいて、彼らは、自分たちが「アブラハムの子孫」だと主張したと想定しています(8章31〜59節)。ただし、この対立は、ヨハネ共同体とは別個のユダヤ人キリスト教徒の共同体との間のことではなく、対立はヨハネ共同体内部にもあって、これが分裂を引き起こした一因だと見る説もあります。ブラウンによれば、ヨハネ共同体の内外には、十二弟子に象徴される使徒的教会とは別に、ヨハネ共同体に批判的なユダヤ人キリスト教徒たちがいたことになります。こういうキリスト観(と聖餐)において「真理と偽り」の二元性を見ることができます。
(7)以上のほかに、十二弟子に象徴される使徒的な諸教会がありました。これらの教会は、ヨハネ共同体のキリスト観におけるキリストの「先在性」において、また、イエスの人格的な臨在としてのパラクレートス観などについて、ヨハネ共同体と異なっていました。また、長老制を重んじる制度的な違いもありました。しかし、ヨハネ福音書では、これらの使徒的な教会は、6章66〜70節でのペトロの告白にあるように、「イエスから離れて行った」ユダヤ人キリスト教徒とは区別されています。同時に、ヨハネ福音書においては、「主の愛弟子」が、ペトロと常に対照的に描かれることによって、共同体と使徒的教会との違いも明らかにされています。
〔ヨハネ福音書のロゴス〕
ブラウンは、「真人」「贖い主神話」「知性(グノーシス)」などを含むユダヤ・グノーシス主義をこの福音書の背景として想定する見方を退けています。キリスト教<以後に>成立したグノーシス思想は、当然キリスト教の影響を受けています。その文献からヨハネ福音書<以前の>原資料を特定してヨハネ福音書と比較するという「循環的な推論」〔Brown(1)LIV〕に疑問を抱くからです。彼はまた、プラトニズム、ストア哲学、ヘルメス文書群なども直接の思想背景としては支持していません。ヘルメス文書群の主なものも、結局はキリスト教の影響を受けたと思われるヨハネ福音書以後の文書だからです。ただし、フィロンとは旧約聖書を通じて共通する背景があることを特に彼の「ロゴス」観に認めています。
ヨハネ福音書の「ロゴス」の背景として、ブラウンは、これに先立つクムラン宗団の思想により近い類似性を見ています〔Brown(1)LVI〕。ブラウンはまた、従来行なわれてきたヨハネ解釈、率直で単純な言い方をイエスにさかのぼらせる一方で、知的で神学的な表現を著者あるいは編集者である福音書記者に帰する、というやり方にも疑義を呈しています。イエスの語り方は、それほど単純でもなければ、神学的な性格に欠けるものでもないからです。この点でブラウンは、イエスと福音書記者との関係をプラトンの著作における、ソクラテスとプラトンとの関係に置き換えて説明しています〔Brown(1)LXIV〕。現在の複雑で「精妙な」ヨハネ福音書解釈論から見れば、こういう見方は古風でおおざっぱだと思われるかもしれませんが、わたしは、ブラウンの提示した疑問を含めて、彼の見解は大筋で現在でも通用すると考えています。
〔ヨハネ福音書のサクラメント性〕
「サクラメント」"sacrament"(洗礼や聖餐など)は、プロテスタントでは「聖礼典」と呼ばれ、カトリックでは「秘跡」と呼ばれています。ただし、ギリシア・ロシアの東方正教会では、聖餐のことを「聖なる祭儀」の意味で「典礼」と呼んでいるようです。
ここでヨハネ福音書のサクラメント性の問題を採りあげるのは、ブラウンが指摘するように、この問題が、ヨハネ福音書解釈において最も鋭く対立する論点の一つになっているからです。しかもその対立は、聖書解釈の方法論そのものと深くかかわっています。ブラウンは、ヨハネ福音書の「サクラメント性」について論じていますが〔Brown(1)CXI〜CXIV〕、その中で彼は、ヨハネ福音書のサクラメント性ほど、学説が真っ向から対立している問題はないと指摘しています。ブラウンやシュナッケンブルクのようなカトリック系の立場からの学説、またライトフットやバレットのような英米系のプロテスタントの学説は、ヨハネ福音書にサクラメント性を認める傾向があります。一方で、ブルトマンやボルンカムなど、ドイツ系のプロテスタント学者の中には、ヨハネ福音書とサクラメントとの関係を否定する傾向が見られます。
ヨハネ福音書では、イエスとニコデモとの対話の中で「水と霊から生まれる」(3章5節)ことが語られていて、さらに13章ではイエスによる弟子たちの洗足が行なわれます。これ以外にも、ヨハネ福音書には「シロアムの池」(9章)、「命の水」(4章/7章)、イエスの十字架上の体から流れ出た「血と水」(19章)など、「水」にかかわる記述が多くでてきて、これらは、洗礼の水にかかわる象徴として解釈されています。また6章(53〜56節)には、イエスの体を食べ、イエスの血を飲む、という明らかに聖餐を表わす言葉がイエスの口から語られます。15章のぶどうの樹のたとえも聖餐のぶどう酒を示唆していると解釈できましょう。だから、3章5節を初め、これらの箇所は、ヨハネ福音書のサクラメント性を証ししていると見ることができます。
こういう解釈に対して、ヨハネ福音書のサクラメント性を否定する説もあります。その根拠として、まずヨハネ福音書は、共観福音書と比較した場合に、サクラメントをはっきりと制度化していないことがあります(マタイ26章26節以下/マルコ14章22節以下/ルカ22章14節以下と比較)。ヨハネ福音書では、サクラメントが、明言されておらず、象徴として言わば潜在的に語られていると言えます。このために、ヨハネ福音書は、サクラメントよりも「言葉」を重視することによって、サクラメントを意図的に排除する傾向を持つと見るのです。では、具体的な例をあげてこの問題を見ていくことにします。
【3章5節】「アーメン、アーメン、だれでも水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることができない」。この5節では、「神の国」→「天の国」、「入る」→「見る」のように、読み方が違う異本があり、また「水と」が抜けている読みが一つだけあります。しかし、テキストとして問題になるとすれば、「神の国」か「天の国」かという読みくらいで、ほかの点で本文の読み方で問題になるところはありません。
ブルトマンは、この5節が編集者による<後からの>挿入だと見なしています〔ブルトマン『ヨハネの福音書』(注32)661頁〕。彼は、「再生を洗礼のサクラメントに結びつける<水と>を元来の(本文に属している)ものとすることは、少なくともきわめて疑わしい」と述べてから、5節はヨハネ福音書ほんらいのテキストではなく、後に(使徒的な)教会による編集によって挿入されたと見るのです。その理由として、「水の」を削除すると、続く6〜8節と内容的にうまくつながることを指摘します。彼は、ヨハネ福音書の記者が、ペトロ系の使徒的な教会が行なっている洗礼や聖餐などの聖礼典を「意識的に排除している」と見ていますから、ヨハネ福音書の作者が、この5節にわざわざ「洗礼」を意味する「水と」を入れるはずがなく、したがって、この5節は、後からの挿入に違いないと結論するのです。彼は、ヨハネ共同体がペトロ系の使徒的な教会と合流する際に、使徒的な教会の信仰に合致させるために、ヨハネ福音書に様々な編集が加えられたと考えています。その最大の部分が6章51後半〜58節の聖餐に関する部分ですが、彼は、「聖晩餐への関連づけを(ヨハネ福音書に)もちこんだその編集者」が、この3章5節をも挿入したに違いないと判断するのです。
これに対して、ブラウンは、そもそも「生まれる」ことと「神の霊」と「水」との関連は、旧約聖書以来の伝承において結びついていることを指摘します。例えば詩編2篇では、「神によって生まれる」(同7節)ことが、主からの油注ぎ(霊を授けること)と結びついています(同2節)(第一ヨハネ2章20節を参照)。また、「心を入れかえて子供のようにならなければ、決して天の国へ入ることができない」(マタイ18章3節)というイエスの言葉は、イエスの啓示を受け入れることが「生まれ変わる」ことであるのを示唆します(マタイ福音書のこの節はヨハネ3章5節と同じ伝承から出ていると考えられます)。また、「水」については、エゼキエル書36章25〜27節に、「清い水」と「新しい霊」が、民に「新しい心」を与えて、神の霊が一人一人の内に宿ることが預言されています。クムラン文書にも「浄めの水」によって身を清める者には、「真理の霊」である神の聖霊が宿り、天の子の知恵が授けられるとあります(『宗規要覧』4章20〜22節)〔Brown(1)「5節の洗礼解釈について」142〜44〕。
ブラウンがこのように旧約以来の伝承にこだわるのは、これこそが、イエスとニコデモとの間で交わされた対話の際に問題とされている「水と霊」と、新たな誕生との関係を指し示すからです。だから、イエスが地上にいた間に交わされたニコデモとの対話の中に、後の教会によって制定された洗礼やヨハネ共同体の頃の洗礼問題を持ち込むことは、ヨハネ福音書が意図する3章5節の内容の理解にとって適切ではない。こうブラウンは考えるのです。ブラウンも、ヨハネ共同体と同時代の使徒的な教会が、サクラメントを行なっていたことを度外視しているわけではありません。しかし彼は、イエスとニコデモとの対話がほんらい指し示している「歴史的な場面」での語りにおいては、後の「キリスト教(会)の洗礼とこれにかかわる新生の神学」問題は、「サクラメント性においては第二義的な意味」しか帯びていないと見ているのです。
ブラウンによれば、ブルトマンと彼との間で問題になるのは、5節の「水と霊によって」とある句を「この伝承の最初期の場面として考えるのか、それとも後期の追加と見なすのか」です。「ここでの対話全体が、全くのヨハネ福音書の作者の創作であって、ナザレのイエスが(実際に)語ったこととはなんの関係もないのは自明のこと」だと見なす立場からすれば〔Brown(1)142〕、5節は教会の編集者による追加の挿入だということになりましょう。しかしながら、そもそも、3章5節については、テキスト本文の真正性には何一つ問題がありません。それなのに、なぜここが、ヨハネ福音書伝承への「後からの」追加編集だと主張するのか?ブラウンは、ブルトマンの見解に対してこう反論し、その理由を次のように分析します。
(1)「水と」を削除して「霊によって」と読めば、続く6〜8節と内容的にうまくつながるという理由。しかしそれでは、ヨハネ福音書全体に一貫して表われる「水」の表象とここの「水」との関係はどうなるのか?
(2)ニコデモが後の教会での洗礼問題を理解するはずがないから、ここは後の編集に違いないという理由。しかしこの見解は支持できません。なぜならここには、旧約聖書以来の伝承が響いていて、ニコデモは、「この伝承」において、イエスの言葉を理解しているからです。
(3)ブルトマンの解釈は、ヨハネ福音書の作者が「反サクラメント的である」という先入観から出ていると見て、ブラウンはこのような先入観を拒否します。ヨハネ福音書で用いられている「水」の表象が、イエス以後のクリスチャンたちに洗礼を連想させることは明らかだからです。したがって、この福音書が反サクラメント的であるという根拠はどこにもありません。特にこの場面の前後には、洗礼者ヨハネもイエスも洗礼と関わっていたことが語られています(1章28節/4章1〜2節)。「生まれ変わる」ことと「洗礼」とは、イエス以後の教会において結びついた伝承であり、ヨハネ福音書のこの節は、このことを裏付ける大事な証左となります。
したがってブラウンは、次のように結論します。〔1〕3章5節の「水」の表象では、教会の洗礼は第二次的な意味を帯びているにすぎない。〔2〕だから、ここでの「水」は、キリスト教会の洗礼を特に指しているのではない。〔3〕仮にここが伝承への付加であったとしても、それは、この福音書に内在している洗礼のモティーフを引き出すための挿入である。
以上、ブラウンとブルトマンとのサクラメント性についての編集問題を整理してみると、そこに編集に向けられる重大な解釈の違いが浮かび上がってきます。
(1)ブルトマンは、ここで語られる「水」が、教会での洗礼を意味すると解釈しています。すなわち彼は、ヨハネ福音書の「水」という言葉をヨハネ共同体の時代の具体的な歴史的状況において理解しようとしていることが分かります。これに対してブラウンは、ヨハネ福音書の言語をその象徴性において理解しようとしています。したがってブラウンは、ここで語られる「水」にも、イエス以前からあった旧約聖書以来の伝承が、その背後にあると見るのです。したがって、ヨハネ福音書の「水」に、ヨハネ共同体の時代の教会の洗礼が言及されていることを認めるとしても、それは、あくまで二次的、副次的な意味でしかないと見るのです。ここでは、ヨハネ福音書の言葉を歴史的なある特定の状況において一義的に規定しようとする解釈の仕方と、その言葉が帯びる象徴性に注目して、語られる言葉の中に、イエス以前とイエスの時代と、イエス以後の教会の時代という多重な意味を読み取ろうと方法とが対立しているのです。言わば、対立は、解釈法が異なるところに起因するのが分かります。
(2)両者の解釈の違いがどこにあるのかをさらに考えてみたいと思います。ブルトマンは、ヨハネ福音書をそれが書かれた時点から、すなわちヨハネ共同体が置かれている時の場における「彼らの」視座から、この福音書を理解し、その語句を解釈しようとしています。これに対して、ブラウンは、ヨハネ福音書がわたしたちに「語ろうとしている」時に、すなわち、イエスとニコデモとのかつて出会いの場に、解釈の視点を定めているのが分かります。言うまでもなくブルトマンもこの福音書が、ナザレのイエスの史的な存在に根拠づけられていることを知っています。同時にブラウンも、この福音書が書かれた歴史的な状況を無視してはいません。しかし、ブルトマンは、たとえ福音書の内容が史的イエスに根拠を持つとは言え、この福音書が「語っている」出来事を「イエスの時代の歴史的な出来事」だと見ることは<しない>のです。そうではなく、どこまでも、ヨハネ共同体が彼らの歴史的状況に置かれている「その中から語っている」内容であり編集だと見なすのです。それは、史的イエスに関わるよりも、むしろヨハネ共同体自身のイエス観であり、「彼らの」信仰であると見るのです。
ところがブラウンは、ヨハネ福音書が「語り伝えようとしている」のは、イエスの出来事であり、しかも福音書の作者が語るそのイエスの出来事が、歴史上のナザレのイエスへとさかのぼりうる継承性を具えていると見ているのです。だから、福音書の作者が語る視点もまた、「語られている出来事」へと、すなわちナザレのイエスの言動へとさかのぼりえるものとして語っている、この視点からヨハネ福音書を解釈しているのです。
(3)ここで興味深いのは、ブルトマンとブラウンとの解釈の違いが、3章5節の「水と」という句についての「テキスト批評」の問題として浮上していることです。これは、最も客観的で純粋に「学問的」な分野に属するはずの聖書本文のテキスト批評でさえも、そこに本文への当事者の解釈の視点が入り込むのを避けることができないことを示しています。聖書解釈の基本的な視点は、人それぞれに異なるものの、それは普段、見える姿で表われることはありません。しかし、外からは見えない抽象的な概念や神学的な違いが、テキストの語句という小さな具体的な問題へと置き換えられると、隠れていた立場の違いがはっきりと姿を現わすのです。両方とも、学者として広い知見を具えた人たちです。ところが、知識の豊かさや知見の広さは、その人の聖書解釈の視点を「補強する」働きはするものの、己の意見を「訂正する」方向へ向かうことはきわめて希なのです。だから、聖書を読む人は、自分に与えられた視点が、権威ある学者のそれと矛盾するからと言って、必ずしもこれに追従する必要がないことが分かります。広い知識や視野が、他者の見解に開かれているとは限らないからです。
(4)ここでわたしたちは、聖書解釈において、解釈者の根本的な姿勢の違いが、最も具体的なかたちで顕在化する例の一つが、聖書本文の「編集」の問題であることに気がつきます。では、ブルトマンとブラウンとは、聖書本文の編集に対する視点において、どのように異なっているのでしょうか?
ブルトマンは、3章5節の「水と」をヨハネ共同体と同時代の使徒的な教会が行なっていた洗礼の水と同一視しています。すなわち彼は、テキストが書かれたその歴史的状況の中で、そこで用いられる言葉の意味を定義し、その言葉が、どういう歴史的な状況の中で挿入されたり削除されたりしたのか、と問うのです。したがって、そこで行なわれる編集の意図と意義そのものも、その言葉自体と同様に、客観的に見た歴史的な状況の中で解釈されなければなりません。客観的な視点に立つ歴史的な時点から、編集の意義と編集者の意図を明らかにすること、このことが、聖書の本文批評にも求められるのです。だから3章5節の場合は、1世紀末のヨハネ共同体が、その内部分裂の状態にあって、一方の側が主流である使徒的な教会と合流するために、それらの諸教会が実施しているサクラメントを受け入れる方向へと、ヨハネ福音書の本文を「修正する」必要に迫られた。このように見るのです。この場合、編集者の意図は、本文の内容を「訂正」あるいは「修正」することであり、これによって、ほんらい<非>サクラメント的な性格であるはずのヨハネ福音書の本文とは<逆の方向へ>ヨハネ共同体はその修正を余儀なくされた。これが、ブルトマンの見ている歴史的な状況であり、その状況の中で「生じたであろうに違いない」編集の意図と目的なのです。言うまでもないことですが、「歴史的な」状況と言い、「歴史的な」編集者の意図と言う場合、そこには、どこまでも客観的で、歴史学的な意味で合理的な理由が求められます。したがって、その解釈も説明も、解釈する人の信仰や主観に流されてはなりません。それは、歴史学的な視点に立つ聖書解釈ですから、誰でもが納得できる合理的な説明でなければならないのです。
これに対してブラウンの解釈とその説明は、ブルトマンほど明確ではありません。彼は何よりも、5節で編集が行なわれたことをはっきりとは認めていません。と言うよりも、ブラウンの見方によれば、ヨハネ福音書の成立は、しるし資料や受難・復活物語だけでなく、その成立にも幾つかの過程があって、しかもそれが同一人物によって行なわれた形跡さえあります。少なくとも主の愛弟子とその愛弟子を師と仰ぐ長老ヨハネとの二人が携わったとブラウンは見ています。だから、たとえ「水の」が、後からの編集によって挿入されたとしても、それは、ほんらいヨハネ福音書に内在していたサクラメント性を顕在化させるためのものであり、言わば、ほんらい本文に象徴的に含まれている内容を「引き出す」ために編集が行なわれたことになります。ここで言う編集は、それまでのヨハネ福音書の本文を「訂正」したり、「修正」する意図を持つものではありません。そうではなく、どこまでも従来の本文の内容に沿って、これを継承し、そこに内包されている意味をより明確に「引き出す」働きをすることが意図されていると見るのです。ブラウンは、ある語句が曖昧で多重な意味を帯びる場合には、これらの語句に後から加えられる編集を見ることによって、ほんらいその語句が示そうとしていた意図が、その編集によっていっそう明確にされる、と考えるのです。したがって、3節の場合、仮に「水の」が編集であるとしても、それは、ヨハネ福音書がここで語ろうとする「新たに生まれる」出来事が、反/非サクラメント的では<ない>ことをいっそう明らかにするためであって、その逆ではないのです。
■バレットのヨハネ福音書解釈
チャールズ・K・バレット(Charles Kingsley Barrett)は、イギリスのダラム大学の神学部教授だった人です。彼の『ヨハネによる福音書』〔C. K. Barrett.
The Gospel According to St. John: An Introduction with Commentary and Notes on the Greek Text. Philadelphia (1978).〕の第2版は、1978年に出ました(初版は1955年)。改訂版の序文には、初版の「大部分を」基にしているとありますが、同時に、ほとんどすべての部分に訂正を加えたとありますから、年代的に見てここに入れることにしました。バレットは、その序文で、自分のヨハネ福音書は「古風」だと述べています。これもまたダラムの学風であるとして、ダラムの数学の教授で、ヘブライ語の旧約聖書とギリシア語の新約聖書を熱心に読んでいたヒーウッド教授の言葉を引用しています。「ヒーウッド教授、あなたの時計は5時間ほど遅れているのではありませんか?」「いや、遅れているのではない。7時間ほど進んでいるのだよ。」
バレットは、シュナッケンブルクのヨハネ解釈を評して、「バランスのとれた慎重な見解」〔バレット前掲書65頁〕だと述べています。筆者は、彼のこの評価をそのままバレットのヨハネ福音書注解に与えたいと思います。どちらかと言えば地味な注解ですから、際だった「特徴」があるわけではありません。しかし、彼のヨハネ福音書注解は、バランスがとれていて慎重であり、しかも的確に表現されています。これこそが、彼の注釈の最も優れた「特徴」だと申し上げておきましょう。今もなお、大勢のヨハネ福音書の研究者たちが、彼の注解を座右に置いているのは、それがいつまで経っても「古くならない」からです。だから筆者は、以下に彼のヨハネ福音書への見解のあらすじだけをまとめておきたいと思います。
バレットは、ブルトマンがヨハネ福音書の背景として想定したグノーシス的な文書について、納得はできないが、ブルトマンの指摘するグノーシス神話とヨハネ福音書との関係は興味深いと述べています。バレットは、ヨハネ福音書の著者が、ヨハネ共同体だけの「ユダヤ的な資料」、と言うより「エルサレム資料」を所有していたことが想定できるが、そのことを立証することはもはやできないと言います〔バレット前掲書21頁〕。福音書の成立について、彼は、ブラウンの説を援用して、全部で5段階ほどの編集過程があるのではないかとした上で、ヨハネ共同体内部での形成過程をテキスト上で見分けることはもはや不可能だと見ています。また、ヨハネ福音書には「歴史的に見て」貴重な資料が含まれているが、それらはヨハネ神学に完全に吸収されているから、イエスの伝道活動の歴史的な順序をこの福音書に求めることはできないと言います。これと同時に、いわゆるヨハネ福音書の錯簡説も、現行のヨハネ福音書よりも「神学的に」納得できる組み替えが可能でないのなら、錯簡を証明したことにはならないと見ています〔バレット前掲書15頁〕。
彼は、ヨハネ福音書が、マルコ福音書とルカ福音書、場合によってはマタイ福音書への伝承とも共通する伝承を分かち合っているとした上で、共観福音書との「文書的な」交流については、マルコ福音書の可能性をあげています。ただし、その場合でも、マタイやルカがマルコ福音書を用いたような方法ではないと言い、マルコ福音書以外には文書的なつながりがあったとは考えられないとも述べています。ただし、ルカ福音書の教会の宣教内容との類似性を指摘しています〔バレット前掲書42〜45頁〕。
ヨハネ福音書と黙示思想との関連については、ラビのユダヤ教が律法にさかのぼるとすれば、黙示思想は預言者にさかのぼるとしています。その上で、一見するとヨハネ福音書は黙示思想と関係がないように見えるけれども、そもそも黙示思想は、未来の出来事を啓示するだけではなく、現在において天上で起こっている神と天使たちの出来事をも啓示する場合があるのだから、天上のイエスが地上に現在を啓示することが黙示的でないとは言えないと指摘します。
共観福音書との関係では、イエスの十字架の日付が異なることに注目して、共観福音書は、キリスト教の聖餐を過越祭の食事と同一視したのではないかと示唆しています〔バレット前掲書48頁〕。共観福音書とヨハネ福音書との違いを過大に視てはならないとして、ヨハネ福音書は、異なる要素を福音に持ち込んだのではなく、それまでの福音伝承の不十分な要素を引き出したと見るのです〔バレット前掲書53頁〕。
パウロとヨハネ福音書との関係について言えば、両者に共通するのは、確固とした旧約の伝統です。「救いはユダヤ人から来る」からです。パウロは、ヨハネ福音書のように地上のイエスを描くことはしないけれども、メシアが人間の姿を採ったことも、十字架と復活も両者は共に熟知していて、イエスを「神の子」と観る点では全く一致しています〔バレット前掲書54〜55頁〕。だたし、ヨハネがパウロ書簡を読んだ形跡はないと見ています。しかしここで、バレットは、従来見過ごされてきている両者の大事な共通点を指摘しています。それは、両方に共通する知恵(ソフィア)思想です〔バレット前掲書54〜56頁〕。ヨハネ福音書では「ロゴス」(男性名詞)が用いられているけれども、パウロのソフィア・キリスト教にもヨハネ福音書のロゴス・キリスト教にも、後のグノーシス思想へと発展する要素が、すでに認められると観るのです。また、パウロ系書簡では、特にエフェソ人への手紙とヨハネ福音書のパラクレートス思想との共通性に注目しています〔バレット前掲書62〜63頁〕。ただし、彼は、ケーゼマンが主張する「素朴な仮現説主義」については、これを否定しています〔バレット前掲書74頁注〕。
ヨハネ福音書では、終末論とキリスト論、救いと知識、奇跡とサクラメント、これらの諸要素が密接に関連しあって全体が構成されています。これらのどれか一つを採りあげて、他の要素から孤立させて論じるならば、そのような手法は、この福音書の解釈を誤った視点へと導くというのがバレットの見解です。したがって、終末に関して、ヨハネ福音書が新約聖書の終末論を放棄したと見るのは全くの誤りです。「終わりの日」(6章39節/同40節/同44節/同54節)が、ヨハネ福音書の終末論を否定する後の編集者による挿入であるという説については、この句が、テキスト批評から見て全く問題がないことを指摘して、逆にヨハネ福音書のほうこそ、いわゆる現在<だけの>終末論を明確に否定している主張しています〔バレット前掲書68〜69頁〕。「ヨハネ神学は、原初キリスト教の用語に新たな形態と用語を部分的に導入しているが、それは異質な形態を押しつけたと言うよりも、むしろ、原初キリスト教思想の内面的な必然性と時の経過によって、それの用語を内部から自発的に発展させているのである」〔バレット前掲書69頁〕。
次にヨハネ福音書の聖霊(パラクレートス)について、バレットがこれをどう理解していたかを見ることにします。共観福音書、特にマルコ福音書には、聖霊に関する記述がほとんどないのは知られています。この意味では、ヨハネ福音書は、共観福音書よりも最初期のキリスト教に近いと言えます。しかし、問題は、はたして聖霊がイエスにさかのぼるのかどうか? というところにあります。この問題は、最初期のキリスト教からヨハネ福音書まで、どのように聖霊が継承されていたかに関係しますが、それ以上に、聖霊が、イエスの終末観とその教えに見られるかどうかがより重要になります。
確かに、ヨハネ福音書の教えは、最初期のキリスト教の終末観とは異なっています。しかし、ヨハネ福音書の終末観には、最初期のキリスト教のそれも組み込まれているのは確かです。地上でのイエスの終わりは、世界が創造される以前に有していたイエスの栄光へもどることであり、この天上での出来事が地上で生じたのが、御霊の賜です。それまでは、イエスを除いて、御霊は働いていませんでした。イエスに御霊が宿っていたがゆえに、彼は将来御霊で人々をバプテスマすると告げられたのです。また、別れの説話にでてくるパラクレートスが、イエスの再臨と合致しないから、これらは後の挿入であるという見解には根拠がないと言います。ヨハネ福音書の作者は、神の臨在がクリスチャンたちと共に留まることを基本に据えています。彼は、この確信に基づいて、臨在を先ずキリストの再臨の視点から観ており、次に(現在働いている)御霊の視点から観るのです。このように、異なる視点からの見方を重ねるのがヨハネの語り方の特徴だからです〔バレット前掲書89〜90頁〕。またヨハネ福音書の作者は、始めのうちは中性名詞の「御霊」を用いており、それが、別れの説話において男性名詞のパラクレートスを用いることで、聖霊が、非人格的な「力」から人格的な存在へと移行します。共観福音書にはこのような御霊の人格化は表われません。また、ヨハネ福音書の記述に三位一体の教義が形成されているとは言えませんが、そこには、やがて三位一体の教義が成長する素材が具わっています〔バレット前掲書91頁〕。
終わりにヨハネ福音書の作者と執筆の場所について簡単に言及すると、バレットは、ヨハネ福音書が使徒ヨハネに拠って書かれたという伝承は、「かなりの程度確かである」としながらも、この伝承の根拠となる証言は、エイレナイオスとポリュクラテスの証言以外には存在しないことを認めていて、もしも使徒ヨハネが小アジアに100年頃まで生きていたのであれば、それなりの証言がほかにもありそうだが、これが全くないことがこの使徒説の難点であると結んでいます〔バレット前掲書101〜104頁〕。また、パピアスの証言に基づいて、長老ヨハネ説を検討していますが、この説は魅力的ではあるが、長老ヨハネがエフェソにいたことは、パピアスの証言からは裏付けられないと見ています。長老ヨハネが実在したことは確かであるけれども、そのことから、彼がエフェソにいたこと、またヨハネ福音書を書いたことを裏付けることはできないというのがバレットの見解です。
「主の愛する弟子」については、(1)ヨハネ福音書の作者は、最後の晩餐にいたのは十二弟子「だけだった」と言ってはいないが、彼の語りの内容から見れば、十二弟子だけだと受け取るほうが自然であろうから、愛弟子は十二弟子の中のだれかであること。(2)彼は、ペトロと並ぶ存在だとされているから、ゼベダイの子ヨハネがこれに近いこと、などをあげています。しかし、ゼベダイの子ヨハネは、ガリラヤの漁師であり、愛弟子はエルサレムだけに関係しており、また、ある意味で、彼はペトロよりも上位の階級に属しているから、愛弟子がゼベダイの子であることを歴史的に裏付けることはできないと見ます。結論として、ヨハネ福音書の作者は使徒ヨハネであり、彼がイエスの愛する弟子であったという説の信憑性は五分五分であるから、「確かではないが、ある程度の信憑性がある」と述べています。最後に、バレットは、この福音書が目撃者によって書かれたというのは証明不可能であろうと指摘した上で、少なくとも最後の編集者は目撃者ではなかったと結論づけています〔バレット前掲書123頁〕。最後にバレットは、ヨハネとその共同体が、エフェソに移住する前には、シリアのアンティオキア(あるいはその近く)にいたのではないかと想定しています〔バレット前掲書130頁〕。ヨハネ共同体のエフェソ在住説は、一つにはエイレナイオスの証言に基づくものであるが、おそらくこの説が、現在採りうる「最善の選択」であろうと述べています〔バレット前掲書131頁〕。
■マーティンのヨハネ福音書解釈
マーティンの『ヨハネ福音書の歴史と神学』は、1968年に出版されました〔J・ルイス・マーティン『ヨハネ福音書の歴史と神学』原義雄・川島貞雄訳。日本基督教団出版局(1984年)〕〔J. Louis Martyn,
History and Theology in the Fourth Gospel. Revised and Enlarged. Nashville (1979).〕。彼はニューヨーク・ユニオン神学校の新約学教授でした。
マーティンは、先ずヨハネ9章の盲人の癒しの物語を採りあげます。彼は、9章の「ユダヤ人たち」(18節)、「(すでに)決めていた」(22節)、「会堂から追放する」(22節)、「イエスをメシアと告白する」(22節)などの言葉が意味している歴史的な背景を確定することから始めます。特に「会堂から追放される」という用語は、ヨハネ福音書以外の「いかなる文書」にもまだ発見されていません〔マーティン前掲書48〜49頁〕。彼は、これらの用語を手がかりに、ヨハネ共同体とこれと同時代の「ユダヤ人たち」、すなわちエルサレム滅亡以後の70年代以降のユダヤ教ファリサイ派との対立関係に目を留めたのです。彼は、会堂からの「破門」と「追放」とを区別して、「破門」とは、ユダヤ人の会堂の「内部で」行なわれる懲戒の手段のことであって、これと会堂におけるユダヤ人共同体の交わりそれ自体から完全に「追放する」こととは、全く別のことだと指摘します。彼は、この「会堂からの追放」というヨハネ福音書独特の言い方の背後に潜む歴史的な出来事を解明しようとしたのです。
エルサレム陥落以後に、ヨハナン・ベン・ザッカイというファリサイ派の指導者は、ヤムニアに新たに学院を開き、事実上、そこが、ユダヤ教の教義を決定する「議会」(サンヒドリン)の役目を果たしました。「ヤムニア」はローマ側の名づけたラテン名で、ヘブライ語では「ヤブネ」と呼ばれています(現在のイスラエルでは、地中海沿いにテル・アビブとアシケロンのちょうど中間にあり、テル・アビブの東を走るハイウエイ4号線を南下するとヤブネのインターチェンジに出ます)。ベン・ザッカイは、ユダヤ戦争当時、ローマ側との和平を望んでヴェスパシアヌスと和平交渉を図った人です。エルサレムの陥落以後は、ティトスの許可を得て、ヤブネにファリサイ派の学院を開きました。
ラバン・ガマリエルは、紀元80年頃から115年頃まで(70年のエルサレム陥落から132年に始まる第二次ユダヤ戦争との間)このヤムニア(ヤブネ)の学院長でした。ここでは、戦後のユダヤ教の正典を決定することと、ユダヤ教の正統性を堅持するために異端を排除することとの二つが主な目的とされました。このために、従来離散のユダヤ人の間で広く用いられていたギリシア語訳の七十人訳ではなく、ヘブライ語の原典を用いること、さらに、ユダヤ教の会堂で行なわれる祈祷の公的な規定(タッカーナー)が定められました(16世紀の英国国教会でも「祈祷書」は事実上の礼拝形式を決めるものでしたから、タッカーナーも、これと同じく会堂での礼拝形式を定めるものであったでしょう)〔マーティン前掲書66〜67頁〕。ユダヤ教の会堂には、会堂司/会堂長(ローシュ・ハ・ケネセト)と監督(ハッザン)と会衆の代表(シェリアッハ・ズィッブール)とがいました。会堂司は監督に命じて、会衆の成人男子のだれかを指名して、会衆を代表して決められた祈祷を唱えるさせました〔マーティン前掲書72〜73頁〕。
この祈祷は、全部で18項目から成り立っていましたので、「18の祈願」と呼ばれています。これらの中の第12番目の祈祷は、異端者たち(ミーニーム)に対する呪いを祈願する内容になっていました。この「異端者たち」への祈願が導入されたのは、85〜115年の「早い時期」であったと考えられます〔マーティン前掲書70頁〕。マーティンは、これの第12項目を六つに分析していますが、そこには「背教者」(グノーシス思想やその他の異端)たちへの呪い、「尊大な政府」(ローマ帝国の政庁を指すか)への呪いがあり、これと共に「ナザレ人たち(キリスト教徒たち)とミーニーム(異端者たちで、グノーシス思想の持ち主などを指す)は、瞬時に滅ぼされるように」とあり、「そして、彼らは命の書から抹殺されるように」とあります〔マーティン前掲書71頁〕。
通常、会衆の代表が、この祈願を読み間違えても、そのために厳しい処罰を受けることはありませんでした。しかし、この第12項目の祈願だけは例外で、これを唱えることをためらったり、読み違えたりした場合、その者は処罰の対象とされたのです。したがって、会堂司と監督は、会衆の中で、異端あるいは「ナザレ人」ではないかと疑われる者を代表に指名して、この祈りを唱えさせることで、その人の信仰を試すことができたのです。ちょうど江戸時代のキリシタン弾圧のための踏み絵に似ています。
ただし、会堂からの追放が、特にこの祈願の中に記されているわけではありません。しかし、この祈願を唱え損なって「イエスをメシアと信じるナザレ人」であることが判明すると、その者は、自分の信仰を改めない限りは、最悪の場合に、ユダヤ教の共同体からの完全な排除を意味する「会堂追放」の処分を受けることがあったのです。このようにして、それまでユダヤ教の会堂内に留まっていたユダヤ人キリスト教徒たちが、彼らの意思に反して、ユダヤ教の会堂から分離されて、ユダヤ人キリスト教徒だけの共同体を形成することになりました〔マーティン前掲書81頁〕。
マーティンは、ユダヤ教とキリスト教との区別がまだ明確ではなかった1世紀のユダヤ=キリスト教社会において、ユダヤ教の内に留まりながらイエスをメシアと信じる者たちから、ユダヤ教の会堂の外にいたユダヤ人キリスト教徒に至るまで、その間には様々な段階があったと想定しています。特に、ユダヤ教の会堂内にありながら、イエス・キリストの信仰をその会堂内のユダヤ人たちに広めようと「宣教するユダヤ人キリスト教徒」たちの場合は、追放以上の処置、すなわち死刑を課することもあったと考えられます〔マーティン前掲書82頁〕。
マーティンは、このようにして、ヨハネ9章で語られる盲人の癒しと彼の会堂からの追放の物語と、そしてヤムニアのファリサイ派の「ナザレ人」の排除と、これに対抗するヨハネ共同体との間で体験された出来事など、これらを結びつけたのです。彼は、このようにして、ヨハネ7章で、イエスが「群衆を惑わす者」と呼ばれているのは、ユダヤ教の会堂内で民をナザレ人の異端に誘い込もうとする(「惑わす」の意味)人たちを指していると見るのです。また、ニコデモは、ユダヤ教の会堂内に留まりながらも、「密かに」イエスをメシアだと信じている知的な指導者として描かれていることになります。
マーティンは、ヨハネ共同体と同時代のユダヤ教ファリサイ派との敵対関係という歴史的な背景に基づいてヨハネ福音書を読み解こうと試みました。この視点から見るならば、ヨハネ福音書の「イエス」とは、「ヨハネ共同体がその時に信じていたイエス」のことであり、「イエスが語った」とあるのは「ヨハネ共同体に対して語られた復活の主の言葉である」〔マーティン前掲書50頁〕ことになります。
しかし、ここで注意しなければならないのは、マーティンは、ヨハネ福音書が、実際のナザレのイエスの史実を離れて、現在自分たちが置かれている状況において体験された出来事から見た「イエス」を描こうとしているのでは<ない>と見ていることです。彼は、「ヨハネ福音書におけるユダヤ人に対するイエスの態度は、その福音書が後代の起源であることを示すものと受け取られることが最も多い」と指摘した上で、ユダヤ人によるイエスの拒絶なら、イエスの時にもパウロの時にも、すでに起こっていると指摘します。だからマーティンは、イエスが地上にいた間にも彼を殺そうとするドラマがあったし、ヨハネ共同体の時代にもイエスを殺そうとするドラマがあることから、ヨハネ福音書は「二つのレベルで」物語を提示していると見るのです〔マーティン前掲書87頁〕。したがってマーティンは、ヨハネ福音書で「イエスが民を惑わす」とある記事も、全体としてみれば、ヨハネ共同体と同時代の出来事にもっぱら影響されているとは「言えない」と見ています〔マーティン前掲書90頁〕。
ヨハネ7章32節には「祭司長たちとファリサイ派の人たち」とあります。「祭司長たち」は、イエスの時代に存在していましたが、ヨハネ共同体の時には存在しません。これに対して、「ファリサイ派」は、イエスの時代にもヨハネ共同体の時代にも存在していますから、「ファリサイ派」という用語は、<同じ言葉で二つの時代>を同時に指すことができます。また、7章26節には「議員たち」(原語は「アルコンテス」で「支配者たち」「指導者たち」)が出てきます。この言葉は、イエスの時代のエルサレムのサンヒドリンの「議員たち」を指すことも、ヨハネ共同体の時代のファリサイ派に指導されているゲルウシア(長老会)を指すこともできます。ヨハネ9章16節には「ファリサイ派」と「他の者たち」がでてきます。ここでは、イエス/ヨハネ共同体に対する判断が二つに分かれています。「ファリサイ派」が異端者たちへの処罰を求める側であるとすれば、「その他」の者たちは、これに反対する立場の人、イエスの時代で言えばエルサレムの議員であったニコデモがこれにあたります。しかし「その他」が、ヨハネ共同体の時代の人たちに対して用いられていると理解するなら、その時代のゲルウシア(長老会)にもなります。したがって、ヨハネ福音書のニコデモは、イエスの時代の議員でもあり、同時に、ヨハネ共同体の時代のゲルウシア(長老会)の人たちでもあって、イエスの時代と同様に、ヨハネ共同体の時代でも、「指導者たち」の間でイエス/ヨハネ共同体をめぐって分裂が起こったことが示唆されるのです。
このように、ヨハネ福音書は、二つのレベルを一つの言葉で、あるいは「祭司長たちとファリサイ派の人たち」のように二つの歴史的に異なる言葉を組み合わせて語るのです。ヨハネ福音書は、イエスの時代の出来事では<なくて>、ヨハネ共同体の時代で起こった出来事を伝えようとして書かれたのでしょうか? 「そうではない」とマーティンは言います。
「彼は読者たちにわれわれ(マーティンたち)が行なって来たような仕方で登場人物たちを分析させようとしたのではない。このことは確信できる。事実、わたしが二つのレベルのドラマと名づけたものをヨハネ自身が<分析的に意識していた>かどうかは疑わしいと思う。なぜなら、この点についてヨハネが関心を注いでいるのは、イエスの地上の生涯というかつてのドラマと、甦りの主がその僕たち(ヨハネ共同体)をとおして演じているヨハネ共同体と同時代のドラマと、この両方が本質的に<統一されている>ことを証言することにあったからである」〔マーティン前掲書109頁〕。
マーティンは、これら「二つのレベル」がどのような関係にあると見ているのでしょうか? ここでマーティンは、ヨハネ福音書、と言うよりも四つの福音書を解釈する際に起こるとても重要なことを指摘しています。 これがこの著作の後半で扱われる問題点です。彼は、この問題を考察するために、先ずヨハネ9章28〜29節に注目します。会堂を支配するファリサイ派の人がイエスによって目を癒やされた人に向かってこう言います「お前はあの者(イエス)の弟子だが、われわれはモーセの弟子だ。われわれは神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない」。
マーティンは、このファリサイ派の言葉が、ヨハネ共同体と同時代のファリサイ派との論争点を示す一つの鍵だと見ています。彼は、この場の状況を次のように分析するのです〔マーティン前掲書145頁〕。
(1)先ず、ファリサイ派の言葉は、専門的に訓練された神学者の言葉です。
(2)彼らはモーセが偉大な預言者であるだけでなく、モーセと同じ預言者が、メシアとして到来することを信じています。これが、モーセ=メシア予型論(タイポロジー)です。
(3)彼らは、イエスが、このモーセ=メシア予型論に「あてはまらない」と判断しています。
(4)モーセ=メシア予型論にイエスがあてはまるかどうか? この問題は、聖書解釈(ミドラシュ)の問題だと考えています。
(5)したがって、この問題を正しく判断できるのは、聖書解釈の訓練を受けた者たちだけだと信じています。
マーティンは、次に、ファリサイ派の言葉と対照させて、ニコデモがイエスに問いかける言葉に注目します。「ラビ、わたしどもは、あなたが神から来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたがなさるしるしを、だれも行なうことができないからです。」ニコデモのこの言葉は、ユダヤ教の会堂内にあって、密かにイエスをメシアだと信じている人たちを代表しています。ここには次のような特徴を見ることができます。
(1)ニコデモもファリサイ派と同じように、モーセ=メシア予型論を信じています。
(2)だから、ニコデモにも、ファリサイ派と同じように、イエスがメシアかどうかを判断するのは聖書解釈に基づかなければならないと考えています。
(3)ただし、ファリサイ派とニコデモとの違いは、ニコデモは、「イエスの弟子」でありたいと思っていて、「このために」確かな聖書的な根拠がほしいと願っていることです。
(4)ニコデモは、その根拠を「神が共にいなければ決して行なうことができない」イエスの「しるし」にあると考えています。
(5)ニコデモは、この問題が、神学的な訓練を持たない者が論じても相手にされないこと、また、もしも聖書解釈に基づいてイエスがメシアであることを立証できない場合は、彼は、密かにイエスを信じ続けるか、会堂から追放されるか、どちらかしかないと考えています。
このニコデモの問いかけに対するイエスの答えは、「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」です。マーティンによれば、このイエスの答えが意味するのは、ここで問われているのが、聖書解釈の問題では<なくて>、<神による選び>の問題だということです。ここには、神によって選ばれるか/選ばれないか、という「恐ろしい二元論」が露呈していて、これがヨハネ共同体とユダヤ人の会堂とを引き裂いている。こうマーティンは見るのです〔マーティン前掲書154頁〕。
マーティンはさらに、この二元論は、聖書解釈によって決められるべきではなく、「人が神の御心を行なおうと真にもとめるかどうか」という「決断の二元論」だとも言います〔マーティン前掲書155頁〕。なぜなら、人が「選ばれるかどうか」は、神が遣わした者(イエス)を受け入れるかどうかという「決断の二元論」にある。マーティンは、このように見ているのです。
マーティンによれば、ヨハネ福音書に含まれるモーセ=メシア予型論は、たとえ専門の訓練を受けていたとしても、人間が聖書解釈によって判断すべきことではなく、神がイエスの現臨を通して啓示すべき事柄であり、イエスがモーセ=メシア予型論に適合するかどうかは、今も人々に与えられている命のパンを受け入れること、すなわち「イエスの自己啓示」を受け入れて初めて知ることができることなのです(ヨハネ6章51節)〔マーティン前掲書163頁〕。
ここで、先に指摘したマーティンの「二つのレベル」問題に戻ります。彼は、ユダヤ黙示思想とヨハネの黙示思想との違いについて、次のような考察を加えています。伝統的なユダヤ黙示思想では、天上での出来事と地上での出来事とが、互いに対応し合いながら、先ず天上において定められた出来事が、やがて「来るべき」出来事として地上において生じるという構成をとっています。ヨハネ福音書にも「天から」と「地から」という対応関係を見ることができます。しかし、ヨハネ福音書は、ユダヤ教黙示文学とは「全く異なる方法で」〔マーティン前掲書175頁〕、タイポロジーを構成するのです。それは、「天上と地上」との対応ではなく、また「現在」と「来るべき」という対応関係でもなく、「過去に関する物語、すなわちナザレのイエスに関する物語を語ることによって、現在の出来事について語る」〔マーティン前掲書175頁〕という対応関係です。したがって、マーティンは、ヨハネ福音書の「二つのレベル」を次のように関連づけています。
(1)ヨハネの描く二つの舞台とは、過去と現在であって、未来と現在ではない。
(2)ヨハネは、その語り方において、過去と現在とを明白に区別する方法を採らない。
(3)したがって、過去と現在との「縫い目」は、よほど注意深く分析しなければ見えてこない。
(4)このようなモーセ的メシアから人の子キリストへの移行は、ヨハネ福音書の作者独自の創作による。
マーティンの見方によれば、ヨハネ福音書の描く二つのレベルのドラマは、「ヨハネ的人の子タイポロジー」とでも呼ぶべき独特の特徴を具えています。このタイポロジーは、「イエスの地上的な存在」に関係していて、人間の間に「現在臨在する人の子」です〔マーティン前掲書180〜81頁〕。したがって、ヨハネ福音書の伝える人の子による審判は、本質的に地上において現在行なわれるのであって、天において未来に行なわれるのではありません〔マーティン前掲書181頁〕。このことは、二つのレベルのドラマの結合が、「パラクレートスの位格(ペルソナ)」が地上に戻ることによって成就することを意味します。「それゆえに、二つのレベルのドラマを創造するのものは、まさしくパラクレートスにほかならない」〔マーティン前掲書190頁〕のです。
■ヨハネ福音書の「ユダヤ人」
マーティンは、ヤムニアの学院を中心に、70年代以降のユダヤ教の側からの「ナザレ人たち」への迫害という歴史的な出来事を分析することで、ヨハネ福音書の背景となっている出来事を浮かび上がらせてくれました。ただし、はたして、このような形での会堂追放が実際に行なわれたのか、これを疑問視する説もあります。ただ、この問題を契機に、ヨハネ福音書に度々登場する「ユダヤ人」に改めて注意が向けられるようになりました。ここで、イエス対「ユダヤ人」というヨハネ福音書の二元性が浮き彫りされてくることになるのです。
〔カルペッパーの「ユダヤ人」〕
先ず、カルペッパーの『ヨハネ福音書:文学的解剖』から、ヨハネ福音書の「ユダヤ人」を見たいと思います。彼は、ヨハネ福音書に描かれている「ユダヤ人」と「ファリサイ派」と「群衆」について、ヨハネの語り方を分析しています〔カルペッパー前掲書177〜187頁〕。ヨハネ福音書の「ユダヤ人」(原語は通常、複数で冠詞を伴う「ホイ・ユーダイオイ」)は、大別すると、(1)イエスの敵対者として。(2)イエスと同時代の一般のユダヤ人。(3)ガリラヤとサマリアから区別されたユダヤ地方に住む人たち。これらに三つに分けることができます。
ただし、人種的・民族的な意味を感じさせる「ユダヤ人」は、ヨハネ福音書には表われません。「ユダヤ人たち」と言うイエスも、これを聞く弟子たちも、全員が「ユダヤ人」だからです(例えばヨハネ11章8節)。また、上にあげた三つの意味上の分類も、それぞれの場合を吟味しなければ、事実上区別がつかない描き方になっています。したがって、ヨハネ福音書では、「ユダヤ人」は「一つのグループ」〔カルペッパー前掲書179頁〕なのです。また、「ユダヤ人」と同じように、特にイエスに強い敵対意識を抱く者たちとして「ファリサイ派」が出てきます。逆に、どちらかと言えば、イエスに敵対も賛同もしない、中立の立場に近いのが、ユダヤの「群衆」です。
1〜4章までで、「ユダヤ人」は10回、「ファリサイ派」が3回でてきますが〔新共同訳〕、ここで、彼らは、洗礼者やイエスに質問する側に立っていて、直接イエスに敵意を示すことはありません(1章19節/3章1節/4章1節/同22節など)。なお、ヨハネ福音書は、肯定的な意味では常に「イスラエル」を用いています(1章31節/同47節/3章10節など)。5章16〜18節にいたって初めて、「ユダヤ人」がイエスを殺そうとねらうようになります。6章では「群衆」がでてきて、イエスを王にしようとしますが、彼らはイエスに敵意を示すことはありません(6章5節/同15節)。しかし「群衆」の中でイエスの言葉に躓く者たちが現われると、彼らは「ユダヤ人」と呼ばれます〔カルペッパー前掲書180頁〕。
7章からは、ユダヤ人のイエスに対する敵意がはっきりと示され、イエスとユダヤ人との敵対関係は、8章において最も激しい調子を帯びてきます。9〜10章では、群衆と「ユダヤ人」との間で、イエスについて意見が分かれ、分裂が生じます。しかし、ユダヤ人の敵意は会堂追放という具体的な形で語られます(9章22節/同34節)。11〜12章でも、ユダヤ人の分裂が続きます。また、「群衆」と「ユダヤ人」とが12章では一つになります(11章42節/12章29節)。以上のように、「ユダヤ人」は、イエスに対して中立的な立場と敵対する立場との間で揺れ動いています。それは群衆ともつながっていますが、これらも含めて、「ユダヤ人」は一つのグループとして理解されなければなりません〔カルペッパー前掲書182頁〕。
次にカルペッパーは、「ユダヤ人」の具える属性に注目しています。彼らは、イエスの父を見たり聞いたりしたことがありません(5章36〜38節)。またイエスのところへ来てその「命を受けよう」ともしません(5章40節)。神に対する愛がなく、神の栄光を求めることもしません(5章42節/同44節)。さらに「罪の奴隷」(8章34節)であり、彼らの父は「悪魔」(8章44節)であり、「偽り者」(同44節)です。特に12章以降になると、「ユダヤ人」は、イエスが「世」と呼ぶものの中へ吸収されて、この「世」とひとつになります(12章31節/同46節/14章17節/同30節/15章18節/16章2節/同33節/17章14節)。ただし、ここにあげた属性は、どれひとつとして人種的、民族的な意味での「ユダヤ人」の特徴を示すものではありません。それらはことごとく「普遍的な人間の状態を表わす象徴、すなわちタイプ(類型)なのです」〔カルペッパー前掲書184頁〕。
なお「ユダヤ人」と並んで「ファリサイ派」がでてきますが、彼らは「ユダヤ人」の指導者として扱われていて、「ユダヤ人」あるいは「群衆」を陰で操ろうと意図し、また実際そのようにする者たちのことです〔カルペッパー前掲書185〜86頁〕。これで分かるように、ヨハネ福音書においては、「ユダヤ人」は、完全に類型的な「タイプ」として描かれていて、それは「この世」と一つです。また、「ファリサイ派」も、「ユダヤ人」の指導者として、世の支配層を表わす表象として用いられています(11章47節)。
〔スローヤンの「ユダヤ人」〕
ヨハネ福音書で語られている「ユダヤ人」とは、いったいなんなのか? この問題をはっきりと見据えているのが、スローヤンのヨハネ福音書解釈です〔G・S・スローヤン『ヨハネによる福音書』鈴木脩平訳。現代聖書注解、日本基督教団出版局(1992年)〕〔Gerard S. Sloyan, John: Interpretation. A Bible Commentary for Teaching and Preaching. Atlanta, John Knox Press (1988)〕。スローヤンは1919年生まれで、カトリックの司祭であり、ペンシルヴェニア州フィラデルフィアにあるテンプル大学の新約学教授でした。彼は、そのヨハネ福音書解釈の中で、「ユダヤ人たち」という言い方を避けて、これのギリシア語の原語「ホイ・ユーダイオイ」をそのまま用いています。それは、ヨハネ福音書の「ホイ・ユーダイオイ」が、独特の意味を持つことを読者に理解させるためです。イエスと「ホイ・ユーダイオイ」とをめぐる彼の見解は、主として、ヨハネ8章後半〜9章の注釈に表わされています〔スローヤン前掲書192〜237頁〕。ちなみに著者は、数あるヨハネ福音書の注解書の中で、最も影響を受けた著作はどれか? という訳者(鈴木氏)の質問に答えて、「ブルトマン、バレット、レイモンド・ブラウン、シュナッケンブルク」〔スローヤン前掲書424頁〕をあげていますが、これは筆者も同感です。ただし、彼は、マーティンの『ヨハネ福音書の歴史と神学』とカルペッパーの『ヨハネ福音書:文学的解剖』によって、ヨハネ福音書研究の突破口が開かれたと見ています〔スローヤン前掲書40頁〕。
彼は、ヨハネ8章44節の「あなたたちは、悪魔である父から出た者たちであって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をそのよりどころとしていない。彼のうちには真理がないからだ。悪魔が偽りを言う時には、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである」というイエスの言葉を採りあげます。このような激しい言葉は、自分がユダヤ人ではなく、しかも激烈なユダヤ人嫌いの人からしか吐かれることがないと思われるかもしれません。ところが、この言葉は、同じユダヤ人であるイエスの口から出たものであり、これを記しているヨハネ福音書の作者自身もユダヤ人であり、「あなたたち」と告げられている相手もまたユダヤ人なのです! 実は、宗教的な問題についてユダヤ人同士が論じ合う場合、このような激しい言葉による論争は、イエス以前のユダヤ教においてしばしば見られる傾向です。著者は、クムラン文書の『感謝の詩編』から「虚言の説教者たちと偽りの預言者たちよ・・・・・彼らは、悪魔的な陰謀を巡らした。おお神よ、あなたはあらゆるサタンの企てにもかかわらず・・・・・あらゆる虚言の者どもを滅ぼすであろう」を引用します〔スローヤン前掲書193頁〕。
ユダヤ教において、このような宗教的な論争では、通常「不信仰者」とは、神を信じない人たちのことではありません。そうではなく、<自分と異なる>ユダヤ教の信仰者、あるいは違った意見を持つ同じユダヤ人たちのことなのです。「偽り者」「偽善者」「闇の子たち」「サタンの子」なども、ユダヤ教を敵視する異教徒たちや無神論者、あるいは異邦人を指す場合よりも、宗教的、信仰的に見れば、自分により近いはずの同類のユダヤ人を指す場合が多いのです。『第一エノク書』においては、太陰暦と太陽暦と、どちらの暦を祭儀において採り入れるのか? という問題を巡ってこのような争いが起こっています。実は太陰暦にも太陽暦の考え方が含まれており、太陽暦にも太陰暦の要素が残っているのですが、『第一エノク書』の著者は、太陰暦を採用する人たちを「悪人」「罪人」「背教者」と呼ぶのです〔『第一エノク書』81章8節〕。
「サタン」とは、ほんらい<同じ>国や民族の間で「対立する者/敵対する者」のことです。ユダヤ黙示思想では、サタン(これのギリシア語訳が「悪魔」です)は、天において神に仕えていた天使たちの仲間であり、その中から出た堕落天使のことです。このように、ユダヤ教/ユダヤ人の間では、内部において分裂や分派が生じた場合に、お互いが相手を「サタン」「悪魔」と呼び合うのが常套手段でした。
初期ユダヤ教のこの伝統を新約聖書も受け継いでいることを特に四福音書において洞察したのがエレーヌ・ペイゲルスです〔Elaine Pagels, The Origin of Satan. Random House (1995)〕。彼女は、その『サタンの起源』で次のように述べています。サタンとは、最も危険な敵のことです。しかし、それは外から来た者でも、疎外された者でもありません。親密な敵、信頼する同僚、密接な仲間、兄弟のことなのです。だから、「サタン」は、ユダヤ人グループ同士での争いを言い表わすのにぴったりの性格を具えています〔ペイゲルズ前掲書49頁〕。マルコ福音書の作者は、イエスのほんとうの「敵」が、ローマ帝国であるよりも、ユダヤ共同体<内部>での論争、とりわけ自分たちのグループと自分たちが唱えるイエスを拒否するグループとの間の論争の中にいることを見出しています〔ペイゲルス前掲書10〜11頁〕。彼らこそ「ファリサイ派」であり「律法学者たち」の正体なのです。
スローヤンは、これと全く同じことをヨハネ福音書に見出しています。ヨハネ8章31節からは、「イエスを信じている」ホイ・ユーダイオイ(ユダヤ人たち)が出てきます。30節に「多くの人がイエスに信頼をおくようになった」とあり、31節前半では「彼に信頼した(完了形分詞)ユダヤ人」とありますから、30節と31節とは、同じユダヤ人を指しています。31節以下を別の段落に区切る読み方もありますが、この読み方は、現行のギリシア語原典では支持されていません。どちらにせよ、ここでのユダヤ人たちが、イエスを信じている同じ人たちであることに変わりないでしょう〔スローヤン前掲書193頁〕。イエスは、続いて「わたしの言葉に<とどまるならば>」と言いますから、ここでは、イエスを信じているユダヤ人の間にも、イエスの言葉に「とどまる」者とそうでない者とが区別されているのかもしれません。「とどまる」とは、「イエスとその父との関係」をどのように信じるのか? その信仰を告白する場合に、ヨハネ共同体と全く同じ信仰を言い表わすことを意味します。だから、ある程度信じている者たちを自分たちから「区別」はしないまでも、同じヨハネ共同体の中で「誤った信仰」へ走る者たちと見なされた場合に、彼らに対する「矯正」が行なわれたのでしょうか〔スローヤン前掲書194頁〕。
ここで「真理」とは、ヨハネ共同体が信じる意味での「父とイエスとのつながり」を信じることです。では、この信仰に「とどまらなかった」者たちとは、どのような者たちでしょうか? その者たちは「イエスがどこから来たのか」と問い、その問いから「イエスの父」をどこまでも求めることを「しない」人たちを指すのです。そういう人たちは、「罪の奴隷」(8章34節)です。なぜなら、そういう人たちは、イエスの父の神を求めるよりも、むしろ自分たちが「神の民であることを誇る」〔スローヤン前掲書194頁〕からです。彼らはこう言います、「わたしたちこそアブラハムの民だ」(8章33節)と。こうして、ユダヤ人共同体の内部で、さらに、これに加えるなら、ユダヤ人キリスト教徒たちの間で、分裂が生じ、お互いに言葉が通じ合わなくなるのです。わたしたちは、ヨハネ共同体が、同時代のユダヤ人共同体と宗教的に争ったことを知っています。しかも同時に、ヨハネ共同体の内部でも分派と分裂が生じたことを見てきました。
ただし、スローヤンは、8章で語られている論争が、ヨハネ共同体と同時代の出来事と言うより、イエス自身にまでさかのぼるものであると見ています。なぜなら、8章では、イエスが自分自身の立場をサマリア人と同じにおいている、という非難が敵対する人たちからイエスに向けて語られているからです。このことは、4章のサマリア伝道の記事を合わせてみる時に、イエス自身とサマリアとの関係にまでさかのぼることができます。したがって、ヨハネ8章の「ホイ・ユーダイオイ」は、歴史的にさかのぼるなら、イエスの時代のエルサレムにおける指導者たちのことです〔スローヤン前掲書202頁〕。このことは、同時にヨハネ共同体のメンバーたちの中にもサマリア出身の人たちが含まれていたことを示しています。8章で展開されている「アブラハムの子孫」と「サマリア人」を巡る一連のやりとりには、イエスの時代とそれ以後も続けられたユダヤ教内部の諸派の論争、さらに、キリスト教の教会とユダヤ教共同体との間で行なわれた論争、またヨハネ共同体内部の論争、これらの論争の形式を読み取ることができます。
ヨハネ福音書のこの部分は、イエスの生涯に関するなんらかの歴史的な記憶に由来するのかもしれません。また、共観福音書の共同体が、その敵対者と闘わせた、あるいは相互に交わされた論争を響かせているのかもしれません。それぞれの福音書記者たちが、数十年にわたって用いてきた最も説得力のある「イエス擁護」の論調を、その最終的な姿で、ヨハネ福音書はこの8〜9章において再現しているのです。
ここでは、「イエスはだれか?」という問いよりも、むしろ、そのイエスを通じて、「神とはだれか?」が問われています〔スローヤン前掲書200頁〕。ユダヤ人たちを、ユダヤ人キリスト教徒たちを、そしてヨハネ共同体を、その奴隷状態から自由にする真理、これこそが、「神の真理」です〔スローヤン前掲書200頁〕。だから、紀元1世紀の教会の資料の上に、長く困難な道をたどって発展してきたイエスに対するヨハネ共同体の信仰を重ね合わせて見て、これがヨハネ福音書の共同体だと言ってみたところで、ここでのヨハネ福音書の解釈になんの役にも立たないのです。なぜなら、ここでヨハネ福音書が語っていることは、「基本的には神論」〔スローヤン前掲書204頁〕だからです。紀元1世紀のヨハネ福音書では、<神がキリストを顕している>のであって、<キリストが神を顕している>のではないのです。では、イエス・キリストを通じて、どのような神が顕されているのでしょうか? これについてヨハネ福音書は何も語らないのです。ヨハネ福音書のイエスは、ただ一つのこと、神が<今も語っておられる>というそのことだけを語るのです。
だから、ヨハネ福音書のこれらのテキストを基にして語る現代の説教者たちは、ヨハネ福音書の真理を自分たちに当てはめて、イエスの論敵を批判する、というような語り方では、何一つ語ったことにはならないのです。なぜなら、彼は、イエスが同時代の人たちに向かって語った仕方で語るのではなく、自分自身の有り様が「語っていること」を語るにすぎないからです〔スローヤン前掲書204〜205頁〕。このことは、すべての説教者だけでなく、すべてのキリスト者にもあてはまります。いったい、「罪の奴隷」とはだれのことなのか? すべてのキリスト者は、自分が誇りとするものによる「罪の奴隷」として、自らを神の裁きに曝しているにすぎないのです。
イエスから「罪の奴隷」だと言われた人たちは、自分こそ「アブラハムの民である」こと、すなわち、「神の民である」ことを誇る人たちです。ところが、これこそが「自由である」ことの反対を指すことになります。忠実な教会員であるとか、アメリカ植民地時代や開拓時代の家系であるとか、自分の出世話や功績だとか、なんであれ自分が誇りとするもの、これこそが、自分を奴隷にしているものの正体なのです〔スローヤン前掲書205頁〕。なぜなら、「神があなたたちの父であるのなら、あなたたちはわたしを愛するはずだからです。わたし(イエス)は神のもとから来て、<ここにいる>からです」(8章42節)。もしも、このイエスの言葉に「とどまらない」ならば、その者の出所は、悪魔であり偽りの父です。彼は「サタン」(対立する/敵対する者)であり、サタンの人格化にほかなりません。
スローヤンが言わんとするところをわたしなりにまとめると、
(1)彼は先ず、現代のニューヨークにおいては、マンハッタンのユダヤ研究所の研究者とキリスト教研究者との間で、ヨハネ福音書の8章の解釈ついて今も怒鳴り合いが続いている、という現実から始めます。これは、現在もなお続いている「ほんの一例」にすぎません。ヨハネ福音書の頃と「事情は少しも変わっていない」のです。
(2)ここで論じられていることは、ユダヤ人は「不信仰」であり、クリスチャンは信仰的である、などということとは全くなんの関係もありません。なぜなら、8章で語られていることは、ユダヤ人同士の争いであるばかりでなく、「イエスを信じている」ユダヤ人同士の争いだからです。
(3)ユダヤ人同士が、異なる信仰を抱く相手を互いに「悪魔」とののしり合い、偽り者と呼ぶこのやり方は、クムラン文書にも見るように、ユダヤ教の伝統的な手法です。
(4)では、ヨハネ8章で直接に非難の対象として問われていることはなんなのか? それは、サマリア人を仲間として受け入れている、ということです。この点で、ここの論争は、イエスの時代の歴史的な記憶を留めています。
(5)したがって、8章で問われていることは、ヨハネ福音書特有の問題では「なくて」、イエスにさかのぼる問題であると同時に、共観福音書において、「ファリサイ派」「学者」「律法学者」などの言葉で言い表わされてきたことを、ヨハネ福音書は、きっちりとまとめて、まさに「ユダヤ人」の問題として向き合っているのです。
(6)だから、現代において問われてくるのは、クリスチャン同士のことでなければなりません。
(7)ここで問われてくるのは、「神とは何か?」という根源的な問題です。この場合、問われるのは、イエス・キリストを通して顕される神のことではなくて、神を通して顕されるイエス・キリストとは何か? ということなのです。
(8)したがって、伝統的なキリスト教の有り様に安住している者こそが、ここで言われている「悪魔の子」であり「裏切り者」であり、「偽り者」として厳しく批判されている人たちです。
(9)では、神は、現代のキリスト者に何を語っているのか? ヨハネ福音書は、その<内容については>いっさい触れません。ヨハネ福音書の8章は、神が語っていることだけを語っているからです。
(10)イエスは「上から」来る方です。現代でも、イエスは「上から」、イエスを信じる者たちにはっきりと分かる現実(リアリティ)となって語っています。これが、ヨハネ福音書の「パラクレートス」です。
(11)だから、「罪の奴隷」とは、「とらわれている」人のことであり、それは、例えば、伝統的なキリスト教の習わしとか、教会への忠誠心とか、アメリカ合衆国の歴史を伝える家系とかです。そういうわたしたちが誇りとするものこそ、わたしたちを奴隷にしているのです。
(12)したがって、キリスト者の決定的な悲劇は、神は自分の神であると主張していながら、その神を知らないことなのです。伝統的なキリスト者は、ヨハネ福音書の神が、自分たちの信じているそのような神を伝えているのでは<ない>ことが分かった時に、彼らは、<このような>神を伝えるイエスを攻撃し、激しく憎み、イエスを殺そうとするのです。
スローヤンの解釈をわたしなりに敷衍するなら、ヨハネ福音書の言う「ユダヤ人」とは、キリスト教徒をも含めて、いわゆる「神を信じる民」のことであり、しかも、人間の最も普遍的な性質を象徴するものです。「ユダヤ人」とは、だから、「同じ仲間同士が対立する」時に現われる人間の本性のことなのです。ヨハネ福音書では、「ユダヤ人」がユダヤ人であるがゆえに、非難されたり非難したりすることはありえません。非難するほうもされるほうも、全員が同じユダヤ人だからです。そうではなく、ここでのユダヤ人は、「裏切る者」「偽り者」「真理を拒む者」「イエスの言葉を受け入れない者」「罪の奴隷」「悪魔の子」など、「この世」のすべての人たちに適合する言葉で語られています。現代のキリスト教の諸教派や諸教会が、自分たちの信じている神こそが真理であると主張することで、自己正当化を図るなら、その時、彼あるいは彼の宗団は、ヨハネ福音書のイエスが非難する「悪魔の子」に最も近づく危険性があるのです〔スローヤン前掲書235頁〕。自由とは、この意味において、「一致」のことであり、「一つの群れ、一人の羊飼い」へいたる道のことです。
スローヤンは、異端者としての「ミーニーム」を呪う祈りや、ユダヤ教の会堂とヨハネ共同体との敵対関係をそのまま史実として受け入れることをしていません〔スローヤン前掲書219頁〕。マーティンの指摘するとおりのことが、必ずしも史実であったとは言えないとして、マーティンの著作を批判する意見は、ほかにもあります。しかし、ユダヤ教の会堂内部でも互いに対立が生じていたこと、会堂とヨハネ共同体との間にも、様々な形で相互対立や敵対関係が存在したこと、ヨハネ共同体の内部でも、同様な相互不信や対立関係があったこと、また、直接にこれらとは別個の「群衆」の間でも、意見の対立や分裂が生じていたこと、対立し分裂することで、一人一人がばらばらに孤立していくこと、このような悲劇的な状況こそ、ヨハネ福音書がわたしたちに提示する「ユダヤ人」の正体です。
ここまで来ると、「ユダヤ人」は、もはや、ヨハネ共同体との関わりも、また、ヨハネ福音書の作者が意図した意味での「ユダヤ人」とも、直接の関わりがないところまで、すなわち、作者の「ユダヤ人」ではなく、完全に「ヨハネ福音書それ自体の文脈の中で姿を現わす」独特の「ユダヤ人」へと隠喩化されていると言えましょう。それは、イエスに敵対したユダヤ人、ヨハネ共同体に敵対したユダヤ人、ヨハネ共同体から離脱したユダヤ人、ヨハネ共同体の内部で相互に批判し合うユダヤ人、最初期のユダヤ人キリスト教徒たちも異邦人キリスト教徒の間に散在するユダヤ人キリスト教徒たちも、最後にヨハネ福音書の作者自身をも含むユダヤ人も、それらすべてを内包しかつ表象する存在としての「ユダヤ人」へと拡大されてきます。だから、それは、人間の性(さが)をそのありのままに映し出す表象としての「ユダヤ人」のことであり、それゆえに「ユダヤ人」は「この世」と重ね合わされてくるのです。なぜなら、このような姿こそが、「この世」の人間たちの正体にほかならないからです。一人一人が、己と異なる考え方や信仰を抱く者を「偽り者」と呼び、「悪魔の子」と呼び、「闇の子」と呼び合っている姿がそこにはあります。
ヨハネ福音書は、このような暗闇のうちに閉じこめられている人間一人一人に向けて、己の栄光を求めることをせず、「己のキリスト」だけを尊しとせず、イエスをこの世にお遣わしになったその方の栄光を求めるように呼びかけるのです。いかなるキリスト教の信仰告白も、あるいはグループも、他の人々をキリストの救いから漏れている人たちだとか、自分たちの「囲いに入っていない」人たちだと言明するようなことをしてはならないのです〔スローヤン前掲書236頁〕。そのような「他の人々」もまた、キリスト者の名を持つすべての人たちと共に、同じイエス・キリストの羊として「囲いの中にいる」ことを認め、かつそのように祈り求めるべきなのです。なぜなら、「一致の霊」(エフェソ4章4〜5節)こそが、イエス・キリストの聖霊が創造しようとする働きだからです。「一つの群れ、一人の牧者」(ヨハネ10章16節)となることこそ、ヨハネ福音書がわたしたちに知らせようとしている「パラクレートス」の働きなのです(ヨハネ17章21節)。
■フォートナのヨハネ福音書解釈
ここで、フォートナの『第四福音書とその先達:物語資料から現在の福音書へ』(1988年)"Robert Thomson Fortna.
The Fourth Gospel and Its Predecessor: From Narrative Source to Present Gospel. Fortress Press (1988)." を紹介したいと思います。フォートナは、従来までの研究成果を踏まえながら、ヨハネ福音書のテキストに綿密な分析を加えました。彼は、これによって、福音書の成立にかかわった二人の「著者たち」を特定しようと試みたのです。フォートナは、福音書の資料として、その主なものを「しるし資料」(SQ=Semeia Quelle)と「受難資料」(PQ=Passion Quelle)とに大別します〔フォートナ前掲書5頁〕。始めの著者が、この二つの資料を結び付けることで(そのつなぎ目は12章37節)〔フォートナ前掲書210頁〕、「しるし福音書」とでも言うべき物語を成立させたと想定して、彼は、これをSG(Signs Gospel)と呼びました。このSGに、さらにもう一人の著者が徹底的な編集を加えて第四福音書(4G=The 4th GospeI)を成立させたというのが彼の見解です。フォートナが、「第四福音書の著者」(4E=The 4th Evangelist)と呼ぶのは、この後者のほうです。
フォートナは、このような視点から、ヨハネ福音書の本文批評を徹底させて、SGから4Gへの編集過程と「しるし福音書」と「第四福音書」との二つの福音書のそれぞれの特徴を明らかにし、同時に、その編集過程をとおして、二人の著者の特徴と4Eの神学を浮かび上がらせようとしたのです。SGは4Gの前身ですが、フォートナによれば、このSGは、従来考えられていたよりもはるかに重要な意味を持っています。SGのもととなったSQは、それ自体ですでに一貫した「福音書」だったと彼は見ています。それは、「イエスが神の子キリストであることを読者が信じるために」(12章30〜31節前半)書かれたもので、これはマルコ福音書よりも早く、おそらく最初の最も単純なキリスト教の福音書であったろうと見るのです〔フォートナ前掲書206頁〕。フォートナは、共観福音書のQ資料はSQよりも早く、SQはQ資料となんらかの接触があったと見ていますが〔フォートナ前掲書216頁〕、Q資料は「福音書」ではありません。
一方PQについては、元来、復活物語は、受難物語とは別個に伝承されたと考えられます。しかし、PQでは、受難物語と復活物語はすでに結合していて、一貫した物語を構成していたと考えられます。これの成立も比較的早く(遅くとも60年代前半か?)、しかもこのPQはヨハネ共同体の内部で発達したものです(口伝であったか文書となっていたかは判定できませんが)〔フォートナ前掲書215頁〕。この受難と復活物語が、同じ共同体の中で、「しるし福音書」と結びつけられたのです〔フォートナ前掲書207頁注〕。
フォートナによれば、これら二つの資料の成立は、40年代の後半から60年代の前半までの間と考えられています〔フォートナ前掲書206頁注〕。したがって、SQとPQとが結合されてできたSGは、それ自体ですでに完結した福音書であったことになります。その結合がいつ行われたかは特定できませんが、少なくともエルサレム陥落以前であるのは確かだと彼は推定していますから、69年には成立していたことになります。
SGの著者は、アラム語の用語を混ぜたセム語的なギリシア語を用いていて、彼は、この福音書を一貫した物語にしており、そこには、はっきりと著者個人の語法的な特徴が表われています。だが、そこに共観福音書の語法は認められません。またSGには、反ユダヤ教的な内容も反会堂主義も見られず、イエスがメシアであることをイエスの行った「しるし」によって説得しようと意図していて、純粋に初期ユダヤ人キリスト教徒のための福音書であったことが分かります〔フォートナ前掲書214頁注〕。SGがどこで書かれたかについては、フォートナは明言していませんが、「そのルーツはなんであれ、この福音書が用いるようなギリシア語を話す(ユダヤ人の)共同体は、ヘレニズム世界のほとんどどんな場所にもあった」〔フォートナ前掲書219頁〕と述べています。フォートナのこの分析から判断するならば、このSGの著者/口述者こそ、伝承にあるイエスの愛弟子、すなわちヨハネ共同体の始祖だということになります。
このようなSGに対して、時代は下がるが、現行のヨハネ福音書の記者(4G)では、イエスの行う「しるし」は、イエスの神性を直接的に証明する意図よりも、むしろ象徴性を強めていて、そこには、しるしに対する批判さえ表われています(4章48節)。SGには、異邦人に対する言及は見られませんが、これに対して4Gの意図は、イエスの教えと死が永遠の命を与えることを読者に啓示し、「人の子」として降ったイエスは「すべての人を引き寄せる」(12章32節)のです。そこでは、「イエスの愛する弟子」が復活の物語に現れ、これと同時に「見ないで信じる」トマスの挿話も語られます。さらに4Gには、SGには見られない「ユダヤ人」との厳しい対立が現れてきます。彼は、70年のエルサレム陥落以後にいっそう厳しいユダヤ主義的な傾向を強めたファリサイ派と、彼らによるユダヤ人キリスト教徒の会堂からの追放とが、4Gにおいて重ね合わされていると見るのです。フォートナは、この点について、マーティンとブラウンに負うところが大きいと述べています〔フォートナ前掲書224頁〕。
4Eは、新しい事態に対処する必要に迫られて、先人の福音書に新たな編集を加えたことが読み取れるとして、SGと4Gとの関係は、マタイとルカとがマルコ福音書を資料にしたのとやや似ていると述べています〔フォートナ前掲書218頁注〕。ただし、フォートナは、4Eが共親福音書をなんらかの形で知っていた可能性を否定しません〔フォートナ前掲書218頁〕。
4Eは、彼の先人の書いたものに大きな敬意をはらいながら大層注意深い編集を加えています。ロゴス賛歌を加えたのも、21章を付加したのも彼です。ただし、この部分は、さらに後になって第3の編集者も加わった可能性が見られます。もっとも、その編集者が、4Eと同じ人物かどうかは判定できませんが〔フォートナ前掲書214頁〕。14章の後にさらに長いイエスの説話を挿入したのもその人物です〔ブラウン前掲書(1)xxxvii〕。彼はまたその語法においてさえ、先人に見習っているのが見受けられると言います〔フォートナ前掲書209頁注〕。だからSGの著者と4Eとは、同じ共同体の内にあって、親しい関係であったことをうかがわせています。
以上がフォートナ説のあらましですが、彼は、ヨハネ福音書のテキストを検討して、「しるし福音書」を現在のヨハネ福音書から復元しようと試みています。しかし、彼のこの試みは現在では成功したとは見なされていません。共観福音書の場合には、3人の異なる福音書記者たちが、共通する語録集のような資料を共有していることから、テキストの相互関係を検討することで、語録集を復元するという作業が可能でした(それとても、マタイ福音書とルカ福音書との間でどちらの読みを採るのか? という問題は、多くの場合まだ未解決ですが)。これに対して、ヨハネ福音書のように単独のテキストで、しかも、同じヨハネ共同体の内部で「形成されて」来たテキストから、先達とこれの編集記者とを分別するという作業は困難だと思われます。
こういうわけで、フォートナの方法論とこれによる分析の結果は、現在では承認されていませんが、彼が、ヨハネ福音書には、しるし福音書とこれを拡大編集したヨハネ福音書の二つの層があること、そこには、最初期のユダヤ人キリスト教徒たちによるヨハネ共同体の信仰と、共同体の後期における信仰とが重なり合っているという見方それ自体は、ヨハネ福音書の形成を考える上で大事なことを示唆していると筆者は見ています。
■ハーンのヨハネ福音書解釈
ブルトマン以来、ヨハネ福音書批評は、史的イエスと宣教のキリストという二分法に沿って行なわれてきました。しかし、ここで確認したいことは、この二分法は、ヨハネ福音書そのものが到達した答えではなくて、現代の聖書学によるヨハネ福音書解釈が到達したこの福音書への一つの解釈だということです。わたしたちは、しばしば「ヨハネ福音書はこうである」などと言います。しかし、この言い方は、はなはだ不遜な言い方ではないでしょうか。なぜなら、ヨハネ福音書は、現在もまたこれからも、常に新しい解釈をその時代に向けて迫るからです。だから、わたしたちが現在自明のこととしているこの二分法は、そっくりそのまま、解決されなければならない新たな課題として、ほかならぬヨハネ福音書から迫られることになります。
この課題への答えは、課題それ自体に含まれています。すなわち、「復活信仰成立以前」と「復活信仰成立以後」のイエス・キリスト、ヨハネ福音書解釈で言えば、「地上のイエス」と「高挙された主キリスト」とが、どのようにしてつながるのか? という課題です。私見によれば、この課題に答えることにこそ、これからのヨハネ福音書解釈に新たな展望を開く鍵が潜んでいます。実は、ここで採りあげるフェルディナント・ハーンのヨハネ福音書解釈が、この課題に答えようとしているのです。
フェルディナント・ハーン(Ferdinand Hahn)の『新約聖書神学T』(上巻)大貫隆・大友陽子訳/日本キリスト教団出版局(2006年)と同書(下巻)須藤伊知郎訳(2007年)は、その序文によれば、原書が2002年に出版されてから最初に出た外国語の翻訳だとあります。ハーン自身が序文で語るところによれば、彼の『新約聖書』第T巻は、「神学史的な」観点から新約聖書の各文書を網羅的に扱っており、第U巻は、第T巻の視点を受けて、これをさらに主題別に論じようとしています。今回日本語に訳されたのは、その第1巻にあたります。『新約聖書神学T』の上巻と下巻は、全体が[部構成になっていて、ヨハネ福音書解釈は、日本語版の下巻の第Z部に配されていて、下巻の本文(全479頁)の258〜435頁を占めています。これは、第Y部「共観福音書と使徒言行録の神学的諸構想」(136〜256頁)を上回る頁数になりますから、彼のヨハネ福音書に寄せる関心の深さを思わせます。
筆者は、まず、上巻の冒頭におかれた「課題の設定」と第1部「イエスの宣教と活動およびイエス伝承の原始教会による受容」の中から、彼の主な視点を紹介し、その後で、下巻のヨハネ福音書の部分に入ることにします。これも、今まで紹介してきた諸著作と同様に、著作の書評ではなく、ましてや著作の解説ではなく、筆者が知りえた範囲で学び得たことを、自分なりの視点から重要だと思われる点をとりあげていくことになります。
ハーンの叙述は感動的なほど簡明直截です。言うまでもなく、それが彼の広範な知識と的確な洞察に裏付けられているからです。「課題の設定」を通じて目をひくのは、「復活信仰成立以前」と「復活信仰成立以後」という言葉が繰り返し表われることです。これらは、著者の言う「生前のイエスの宣教と活動」(必ずしも「史的イエス」のことではない)と「原始キリスト教会のケーリュグマ(キリスト宣教の核となる内容)」に対応するものです。彼は、イエスの復活信仰成立の「以前」と「以後」とをどのように関連づけるのか、という視点から、ヨハヒム・エレミアスを初めとするドイツの神学者たち、ルドルフ・シュナッケンブルクなどドイツのカトリック系の神学者たち、およびレオン・モリスやジェイムズ・ダンなどの英米の神学者たちの見解を紹介しています。
イエスの復活信仰を時期的に挟む「復活信仰成立以前」と「復活信仰成立以後」について、「決定的に重要なのは、イエスの使信と原始教会の神学の間の歴史的かつ内容的な連続性」〔ハーン前掲書上巻42頁〕です。筆者にとって興味深いのは、復活信仰成立以前のイエス固有の使信に新約聖書の神学を基礎づけようとしたエレミアスと、復活信仰成立以後の教会のケーリュグマから出発しようとしたブルトマンとの対比です〔ハーン前掲書上巻54頁〕。ここでは、ヨハネ福音書解釈にとどまらず、新約聖書の諸文書全体が、この二分法に基づいて解釈されてきたことが、改めて思い出されるからです。ハーンが、両者の関連づけを追求するのは、新約聖書が、イエス伝承と教会のケーリュグマとが一体であることを前提しているのに、この一体性を断念するなら、そもそも宣教も信仰の理解も不可能ではないかと問うからです〔ハーン前掲書上巻55頁〕。彼がブルトマンに向ける批判の一つは、ブルトマンのケーリュグマ重視の観点が「生前のイエスが、その人格と活動において実現した歴史的な具体性」を見失わせる恐れがあることです〔ハーン前掲書上巻55頁〕。だから彼は、イエスの言葉伝承だけを重視する従来の福音書解釈の方法論にも批判的です。
ハーンのこの指摘は、筆者が「ナザレのイエスの出来事」と呼んで、これを聖書解釈の基点に据えようとする試みにきわめて近いと思います。なお、筆者としては、ヴェルナー・キュンメルの提案した生前のイエスとパウロとヨハネ福音書記者の三者を並行させて、イエスから原始教会への伝承過程を理解しようとする試み〔ハーン前掲書上巻43頁〕にも興味を惹かれます。ただしハーンは、これら三人だけを主要な証言者とするだけでは、原始教会の信仰内容を理解するには不十分だと見ています。
要するに、生前のイエスに向かっての問い返しは、福音書だけではなく新約聖書全体がどのようにイエス伝承を受容し統合していったのかという問いと、逆にその受容と統合の過程の透明性こそが、新約聖書の証言全体の解釈と結びつけられなければならないというのが、ハーンの結論だと思われます〔ハーン前掲書上巻58頁〕。なぜなら、従来の解釈の視点は「すべて既存の新約聖書神学の叙述は、新約聖書の統一ではなくその多様性を、すなわち、共通するものではなく個々の部分相互の間にある差異をこそ取り出すことへと傾斜している」〔ハーン前掲書上巻63頁〕からです。この点を問題視することが、彼自身の新約聖書神学の全体を貫く視点だとすれば、「ナザレのイエスの霊性」に焦点を当てて新約聖書を読み解こうとしている筆者にとって、それは広範な視野と明察を与えてくれるものです。
彼が提起する真の問題点とは、復活信仰成立以前のイエスの言葉伝承やイエスの使信と活動などを、歴史的な批判方法で福音書の中から抽出することで、これらを原始教会のケーリュグマと統合させるというやり方はもはや不可能だという点です〔ハーン前掲書上巻56頁〕。問われているのは、そのようなことではなく、生前のイエスの人格的な存在の意義とイエスが担った使命それ自体に目を留めることであり、そのようなイエスの人格的な存在それ自体を福音書を通して回顧的に読み解く視線です。そこから新たな見方が開かれてくるはずであり、この方法で、「復活信仰成立以前のイエスの歴史とそれ以後の信仰告白とが一つに関連し合う」ことが可能になるのです。
ここには重要な問題が潜んでいます。それは、「宣教と信仰は学問的な研究の結論に依存することができない」ことです〔ハーン前掲書上巻57頁〕。学問的な研究による結論は、信仰による発言を歴史的に保証することも、根拠づけることもできないからです。ここでハーンは、筆者が「ナザレのイエスの<霊性>」と呼ぶものを「イエスの人格と任務」あるいは「イエスの宣教と信仰」という言い方で表わしています。その上で、イエスに関わる「この事態」は、学問的な方法論で、その確かさを保証することも根拠づけることもできないと指摘するのです。この問題は、言い換えると、エレミアスが指摘するように「イエス・キリストの受肉そのものに属する」〔ハーン前掲書上巻57〕問題だからです。
言うまでもなくハーンは、学問的な方法論を放棄することを提唱しているのではありません。彼は、復活信仰以前からのイエス伝承が、どのような過程を経て原始教会に受容されていったのか、そのプロセスを問うのです。その上で、伝えられていたイエス伝承が、原始教会において相互にどのように関連し合うのかを探ることです〔ハーン前掲書上巻57頁〕。ここでは、福音書が比較的多くの伝承資料を含むとか、パウロ書簡やその他の書簡がどの程度の伝承を含んでいるのか、ということはそれほど問題にはなりません。私見によれば、ハーンが目指しているのは、新約聖書全体を通じて、イエス伝承が受容されて信仰告白を形成するその過程そのものの中にこそ、筆者流の言い方をすれば、イエスの霊性の働きが潜んでいること、すなわち、それこそが、聖書全体を聖霊によって書かれた書であることを特徴づけることだと考えるからです。
「復活信仰成立以前」と「復活信仰成立以後」との関係について、ハーンの言うことにもう少し耳を傾けたいと思います。このふたつは、「地上のイエス」と「高挙された主」と言い換えることができます。しかし、ハーンが「地上のイエス」と言う時、これを「史的イエス」に関するわれわれの問いと同定しようとするのは間違いであると述べています〔ハーン前掲書上巻69頁〕。「地上のイエス」と「史的イエス」とは、対象は同一でありながら、見方が異なるからです〔ハーン前掲書上巻70頁〕。「見方が異なる」とはどういう意味でしょうか?
ハーンはここでシュヴァイツァーの次の言葉を引用します。「イエス伝研究がたどった経過は奇妙なものだった。それは歴史のイエスを発見しようと出発した。そして、そのイエスをありのままに見つけた暁には、われわれのこの時代に向けて教師あるいは救い主として提示できると考えていた。イエス伝研究はすでに数世紀来、教会の教えという岩床に縛り付けていた紐帯を解いた。そして、そのイエスの姿が再び生命と動きに満ちたものとなり、歴史上の人間であるイエスが立ち上がるのを目にして喜んだのである。ところが、そのイエスは、そこに立ち止まってくれなかった。彼はわれわれの時代をすり抜けて、自分自身の時代へと戻っていってしまった」(シュバイツァー『イエス伝研究史』)〔ハーン前掲書上巻74頁〕。
シュヴァイツァーのこの言葉をハーンから孫引きしたのは、ハーンもそしてシュヴァイツァーも同じことを考えているのを確認するためです。ここで両者が言おうとしていることをヨゼフ・ラッツィンガー(法王ベネディクト16世)は、その『ナザレのイエス』〔里野泰昭訳。春秋社(2008年)〕の序文でこう指摘しています。「(批判的・歴史的研究が進むにつれて)福音書の諸伝承やその資料によってイエスの姿を再構成しようとする試みは、ますます互いに矛盾する、対立的なものとなってゆきました。・・・・・これらのイエス像に対する不信の念は増大し、イエスの姿そのものがわたしたちからますます遠のいていくことになってしまったのです」〔『ナザレのイエス』2頁〕。その上でラッツィンガーは、シュナッケンブルクの次の言葉を引用します。「ナザレのイエスの歴史的な実像についての信頼のおける視座は、批判的・歴史的方法による学問的な研究によってはほとんど達せられないか、不十分にしか達することができない」〔ラッツィンガー前掲書3頁〕。
引用する側もされる側も含めて、ここには、聖書神学に関わる4人の専門家の「史的イエス」研究に向ける懐疑的な視点が語られています。いわゆる「史的イエス」に対するこのような疑問は、筆者自身もその『聖霊に導かれて聖書を読む』(新教出版社、1997年)で指摘したことです〔同書72〜76頁〕。
では、ハーンが「史的イエス」とは異なる「地上のイエス」と言うのは、どのような意味でしょうか? 両者の違いは「イエスの人格の中に神が凝縮して現われていることととりわけ関連している」ことにあります〔ハーン前掲書上巻76頁〕。わたしたちが歴史のイエスを重視するのは、これによって「救いが人間の信仰に先立って我らの外部に(extra nos)与えられていることを明確にすること」ができるからです〔ハーン前掲書上巻76頁〕。原始教会のケーリュグマ(宣教の核心)の中に臨在するキリストを信じること、これが復活信仰の意味です。しかし、ケーリュグマが、地上のイエスにさかのぼることをいくら強調しても、それだけでは、地上のイエスの活動とその宣教がケーリュグマと同一だという証明にはなりません。だから、イエスの活動とケーリュグマの<連続性を>論証することが神学的に重要だという認識が欠けていたとハーンは指摘するのです〔ハーン前掲書上巻77頁〕。
原始教会は、地上のイエスが復活した現臨の主と同一であることになんの疑いも持ってはいませんでした。ここで重要なのは、高挙された主の現臨に出会いつつも、彼らの視野から地上のイエスも決して失われることがなかったことです。そこには、根本的に、地上のイエスと復活のイエスとの同一性が保持されていたからです〔ハーン前掲書上巻82頁〕。復活信仰成立以前の地上のイエスにおいて、とりわけ重要なのは、神によるイエスの派遣であり、神の言葉が人間となった受肉であり、イエスの受難です〔ハーン前掲書上巻83頁〕。先に述べたように、ハーンは、ナザレのイエスに関するこれらの問題点は、学問的な方法論で、その確かさを保証することも根拠づけることもできないと指摘するのです。
では、イエス像の「歴史的な認識」とは何を意味するのでしょう? 次にこれが問われることになります。ラッツィンガーは、「真に歴史的な認識の決定的な点とは、イエスと神との関係、神との結びつきです」と述べてから、シュナッケンブルクの言葉を引用します。「イエスが神のうちに基礎を置いていることを無視しては、人間としてのイエスの姿は実体のないもの、非現実的なもの、説明不可能なものとならざるをえない」〔ラッツィンガー『ナザレのイエス』4頁〕。歴史に現われた人間としてのイエスが、その存在を神のうちに基礎づけられなければ、「実体がなく非現実的で説明不可能」だという指摘は、「史的イエス」を追求する歴史学的な視点からすれば、全く逆であり、ずいぶんおかしな見解だと映るでしょう。
私見によれば、まさにこの点にこそ問題の本質が潜んでいます。筆者が「ナザレのイエスの<霊性>」と言い、イエスの出来事を「霊的な出来事」として観るのは、ここで指摘されている点と深くかかわっています。新約聖書、とりわけ福音書が伝えているイエスは、霊的な出来事としての「この」イエスです。福音書においては、このイエスの出来事が、復活のイエスと一つになって語られています。「にもかかわらず、(新約聖書、特に福音書は、)『回顧する』ことを知っているのです。すなわち、高挙のイエスから地上のイエスを振り返る『回顧』の視線」〔ハーン前掲書上巻82頁〕、福音書はこの視線をそのイエス像において保持しているのです。キリスト教の宣教は、地上のイエスに向かう聖霊による「回顧」の視線なしには、存続してこなかったのです〔ハーン前掲書上巻83頁〕。
復活信仰成立以前と以後という「問題設定」と、「史的イエス」と「地上のイエス」という「根本問題」に続いて、著者は「地上のイエス」をどのように観ているのかを述べています〔ハーン前掲書上巻102〜190頁〕。これについて触れることは控えますが、一つだけ重要だと思うことをあげるなら、ハーンは、イエス自身が死者の復活を信じていたと観ている点です〔ハーン前掲書上巻187頁〕。ここでも著者の視点は、地上のイエスから復活のイエスへのつながりを重視するもので、「地上にあったイエス、死にゆくイエス、復活したイエスのすべてを貫く同一性こそが、すべてのキリスト論的な発言の基礎なのである。復活信仰成立以前の段階のイエスの歴史をそれだけで孤立させて、それに神学的な評価を下そうとするような試みはどれも、新約聖書が全体として証言しているところに矛盾するのである」〔ハーン前掲書上巻190頁〕と結んでいます。
以上のようなハーンの観点は、下巻第Z部のヨハネ福音書解釈においても一貫していて、彼の関心は、ヨハネ福音書が地上のイエスをどのように観ているのかに向けられています。彼は、いわゆる「教会的編集」を前提にしてこの福音書を解釈しようとするブルトマンの方法に批判的であり〔ハーン前掲書下巻259頁〕、またグノーシス主義的な背景を前提とする説も証明できないと見て、これを否定しています。この福音書の特徴としては、(1)ヨハネ共同体がユダヤ人会堂からの追放という問題に直面していたこと、(2)福音書成立の段階で、異邦人の側からの迫害が迫っていた、あるいは始まっていたこと、(3)第一と第二のヨハネの手紙では、仮現説論的なキリスト論という「偽りの教え」に曝された共同体が、これを排除しようとしていること、これら三つの点です。
ヨハネ福音書解釈のモデルとして、著者は、まずブルトマンとケーゼマンをあげた上で、最近のものとして、ギュンター・ボルンカムと、クリスティーナ・ヘーゲン=ロールスとが提示する二つのモデルを採りあげています〔ハーン前掲書下巻428〜430頁〕。ボルンカムは、ブルトマンとケーゼマンの流れを汲む立場にありながら、彼らの説と対決して、パラクレートスの視点からヨハネ福音書を解釈しようと試みました。福音は、何よりも先ず聖霊によって認識されなければならないからです。だからボルンカムは、地上のイエスの活動がパラクレートスの降臨を準備していると見て、イエスが、その受難と死、すなわち十字架の出来事において逆説的に栄光を顕したこと、その結果として降臨したパラクレートスこそ、「人としてのイエス」を観るヨハネ福音書の観点であると解釈するのです。ハーンは、ヨハネ神学の理解のためには聖霊論が重要であることを指摘した上で、イエスの死から復活への逆説的な栄光を聖霊によって理解しようとするボルンカムの視点が、ブルトマンやケーゼマンの解釈よりも優先される値があると見ています〔ハーン前掲書下巻429頁〕。地上のイエスとヨハネ福音書とをパラクレートス、すなわち聖霊論によって結ぼうとするボルンカムの解釈は、筆者自身の解釈とも共通するものです。
次にハーンは、ヘーゲン=ロールスの解釈を採りあげます〔ハーン前掲書下巻430〜432頁〕。彼女もまた聖霊による視点を一貫させつつ、「回顧」の神学について語っています。ヨハネ福音書では、地上のイエスとその活動が、復活以後の視点から語られているのは事実です。しかしそのことは、地上のイエスの人間性が、まさに復活後の信仰によって根拠づけられていることを示すものにほかなりません。イエスの地上の活動とその意味が、高挙を含む死と復活で締めくくられた時に初めて、地上のイエスが、その完全な姿で回顧され、これによってイエスの人格への認識(筆者流に言えば「人間イエスの霊性」)が獲得されるのです(ヨハネ2章22節/12章16節/13章7節/14章26節/16章13節)。この観点では、「低位発言」(地上のイエス)と「尊位発言」(高挙のイエス)との間に緊張関係が存在するのは確かです。まさにそのことこそ、地上の人間イエスに何が起こったかを回顧が明らかにするのです。したがって、「ナイーヴな仮現説論」について語る理由はなんら存在しません。
復活以前と以後との時の間には、明らかな区別があります。にもかかわらず、二つの時は一体となって回顧され、そこで、地上のイエスの出来事が、復活後の信仰によって覆われながら、一つの広範囲な融合が生じていること、しかもそこでは、パラクレートスである聖霊の働きが決定的な役割をはたしていることが、聖霊論的に立証されるのです。特に告別講話は、生前のイエスから復活後のイエスの時を予め展望するという特徴を有しています。ここでは、人格化されたパラクレートスが決定的な意義を獲得しています。それは、彼(パラクレートス)が、単に高挙のキリストだけを証しするのではなく、地上のイエス(の霊性)をも継承しているからにほかならないからです〔ハーン前掲書下巻431頁〕。パラクレートスは、地上のイエスを先駆者として、その業を完成させるように働くのではなく、イエスが高挙のキリストとして働くことを啓示するのです。これが聖霊による「回顧」の意味であり、聖霊は、この回顧によって、地上のイエスの出来事が、人間の救いを打ち立てる機能を有していて、しかも、すでに地上にあって人間に永遠の命を媒介するよう働くのです。このような回顧によって初めて、人間の救いが、その「現在」において可能になるからです。
このことは、ヨハネ福音書が、イエスの復活以前の時と復活以後の時との区別を曖昧に扱っていることを意味しません。復活後のイエスだけでなく復活後の弟子たちもが、地上のイエスの活動に織り込まれているとしても、そこでは、復活以前と以後とが「重ね合わされて」いるのであり、その際に、復活以前では、イエスだけが聖霊の担い手であるのに対して、復活以後では、弟子たちもまた聖霊の担い手となり、この事実によって、復活前後の区別が際立たせられているのです〔ハーン前掲書下巻267頁〕。
以上でハーンのヨハネ福音書解釈の基本となる視点を紹介しましたので、以下に彼のヨハネ福音書解釈の特徴を項目別にして簡略にまとめることにします。
〔著者と成立場所〕
ヨハネ福音書の著者問題については、明言を避けているものの、彼は先に紹介したヘンゲル説に興味を示しています〔ハーン『新約聖書神学T』下巻260頁〕。また福音書が最終的に成立した場所をエフェソ周辺と見ている点も興味を惹きます〔ハーン前掲書下巻261〕。
〔伝承資料〕
ブルトマンが前提としていたヨハネ福音書の「しるし資料」説には確かな根拠がないから、この福音書にはせいぜい「しるし」概念が存在するとしか言えないと見ています〔ハーン前掲書下巻268頁〕。それは強度にキリスト論的な特徴を帯びた奇跡物語ですが、まとまった文書あるいは口伝の形で存在したとは思われないと言います〔ハーン前掲書下巻269頁〕。
ヨハネ福音書の受難物語には、成立以前にヨハネ共同体に伝えられていた受難伝承があり、それは、マルコ福音書成立以前の前マルコ福音書伝承と共通する伝承から出ていると見ています。なおブルトマンの言う「啓示講話」なるものも、その存在を想定する根拠がなく、イエスの特徴を示す中核的な言葉伝承以上のものではなかったと見ています〔ハーン前掲書下巻269頁〕。
〔神とイエス〕
ヨハネ福音書では、神とロゴス、父とその子の間の区別ははっきりと堅持されています。しかし、イエスの肉としての人間性と父なる神とは、その交わりにおいて「一つ」であり、「イエスの人格において神自身を観ることができると理解されている」〔ハーン前掲書下巻285頁〕のです。
〔受肉の神学〕
パウロの場合には、受肉はイエスが十字架の死へいたるための不可欠な前提とされていますが、ヨハネ神学は受肉それ自体から出発していて、イエスの死は、受肉して人となったイエスが成就するための最終的な目的になります。イエスにある受肉が、イエスの死によって初めてその目的を達成するのです〔ハーン前掲書下巻288頁〕。ヨハネ福音書は、イエスの地上の活動を意図的にイエスの復活からの視点と結びつけています。それは、イエスの地上の発言を後退させるものではなく、これとイエスの尊位の発言とが絡み合わされているのです。福音書記者にとって、ロゴスの受肉は、歴史のイエスの中では論証不可能であり、ただ信仰の目だけによって見分けることができる出来事として特徴づけられているのです〔ハーン前掲書下巻289頁〕。
〔人の子〕
「人の子」は、先在と派遣、高挙と栄光の両方を通じて、「神の子」と並行して表われます。共観福音書では、「人の子」は、イエス自身の発言の中でのみ表わますが、ヨハネ福音書では「人の子」が「人の子を信じる」という信仰告白になってきます(9章35〜38節)〔ハーン前掲書下巻311〜313頁〕。
〔永遠の命〕
原始教会では「永遠の命」の賜は、現在において与えられるものであって、将来において初めて授与されるものではありません。しかし、共観福音書や書簡では、「永遠の命」は、基本的には将来与えられるものとされています。ヨハネ福音書はこの点で、他の文書と異なっていて、「死者から起こされよみがえることと永遠の命とが現に今起きる」〔ハーン前掲書下巻323頁〕のです(5章19〜27節)。これは明らかにヨハネ福音書以前の伝承から引き継がれたものです。ラザロが死から起こされる出来事は、イエスが、父と同じように「命を創り出す」ことで、人を「生きるものとする」ことができることを意味するのです。
〔聖霊理解〕
ハーンは、ヨハネ福音書における聖霊理解の鍵を6章63節「いのちを創り出すのは御霊である。肉はなんの働きもしない。わたしがあなたたちに語ってきたこと(言)は、霊的な命である」〔私訳〕に見出しています。ここで語られる御霊は徹底的にダイナミックな働きです〔ハーン前掲書下巻347頁〕。ヨハネ福音書では、クムラン文書に表われる「真理の霊」と「虚偽の霊」という二元論的な視点が、明確に終末論的に方向付けられています(第一ヨハネ2章18〜27節)。だから「虚偽の霊」は、真理の御霊に対立する霊力ではあるけれども、それはもはや終末的な現象の一側面にすぎないと見なされるのです〔ハーン前掲書下巻348頁〕。したがって、ヨハネ福音書が伝える「霊の二元性」は、宇宙的な二元論ではなく、人間の側からの「決断の二元論」でさえもなく、聖霊の創造的な働きによって終末的な一元性へと収斂することになります。
共観福音書と同様にヨハネ福音書でも、復活信仰以前では、地上のイエスだけが唯一の御霊の担い手です。ただし、ヨハネ福音書には、イエスの復活<以後に>なって降る聖霊とキリストとを結びつけようとする「聖霊=復活のキリスト」という聖霊論(ルカ福音書の「霊キリスト論」)は見られません。したがって、ヨハネ福音書のイエスは、洗礼者によって受洗する時に聖霊を「受ける」のではなく、聖霊の働きは地上のイエスの働きの前提であって、洗礼者はイエスがそのような聖霊の担い手であることを証言するだけです〔ハーン前掲書下巻349頁〕。イエスの言葉は、過ぎゆく地上の現実の中にあって、永続的な神の働き、すなわち天から地上に働きかける御霊の働きを媒介し、これによって救いを確立するのです〔ハーン前掲書下巻349頁〕。それは「手付け金」ではなく、救いとは、すでに働いているイエスの御霊が与える永遠の命に今の時に与ることができることです。御霊を担い御霊を与えるのはイエス自身であり、復活信仰成立以後もこの事実は変わることがなく、御霊は復活以後も「パラクレートス」として働き続けて、人をイエスとイエスの言葉とに出会わせるのです〔ハーン前掲書下巻350頁〕。
パラクレートスは地上のイエス自身にほかならず、しかもパラクレートスは聖霊と同定されています〔ハーン前掲書下巻352頁〕。パラクレートスもまた「わたしはある」(エゴー・エイミ)としてイエスを啓示しますが、告別説話では、このパラクレートスが父に起源を持つことがはっきりと語られています〔ハーン前掲書下巻355頁〕。パラクレートスとしての聖霊の働きとは、(1)地上のイエスを想起させることであり、(2)高挙のイエス・キリストを弟子たちに証しすることであり、(3)弟子たちをあらゆる真理に導いて、彼らに来たるべきことを告げ知らせることです〔ハーン前掲書下巻336頁〕。ヨハネ福音書では、聖霊の授与とイエスの再臨とが重ね合わされていて、再臨は聖霊によって先取りされてイエスの現臨となっています。しかし、そのことによって最終的なイエス・キリストの再臨が取り消されることはありません。ヨハネ福音書では、再臨待望の諸相は聖霊論として語られているのです〔ハーン前掲書下巻357頁〕。こうしてヨハネ福音書の聖霊論は、後の教会が三位一体論を形成していくための決定的な前提となります〔ハーン前掲書下巻362頁〕。
〔サクラメント性〕
ハーンは、6章51〜58節を第二次的な編集だと見ています。この部分は、共観福音書(マルコ14章24節/マタイ26章28節)の最後の晩餐における聖餐のサクラメント制定の言葉に対応するものです。ただしヨハネ福音書では「イエスの血を飲む」「イエスの肉を噛み砕く」のように、原始教会の主の晩餐伝承のどこにも表われない表現が用いられています〔ハーン前掲書下巻394頁〕。このように発達した晩餐理解は、アンティオキアのイグナティオスの聖餐理解に近づくものですが、イグナティオスでは、受肉と地上のイエスに聖餐の根拠を置くよりも、むしろ、パンとぶどう酒それ自体のほうに注意が向けられています。ちなみにハーンは、6章39節/40節/44節にでてくる「終わりの日」の復活も後からの編集によると見ています。
19章34節には、十字架上のイエスのからだから「血と水が流れ出た」とありますが、これも第2次的な付加によるもので、ここでは洗礼(水)と聖餐(血)とが、逆の順序で現われます。しかも、聖餐だけでなく洗礼までもが十字架に根拠づけられているのです〔ハーン前掲書下巻395頁〕。おそらくこれは、イエスの人格の仮現説論的な理解を退けるためのものでしょう(第一ヨハネ5章6節参照)。
さらに21章12〜13節では、復活者キリストの視点から、食事による共同体の形成が語られていて、ここではパンだけでなく、通常の食事も加わえられます。このように見ると、ヨハネ福音書では、主の晩餐によるサクラメントが、(1)イエスが弟子たちと共にした食事による共同体の創設を現わし、(2)イエスの十字架の死によって根拠づけられ、(3)復活の顕現を表わしているのが分かります。このように、ヨハネ福音書には、原始キリスト教の聖餐の様々な理解の仕方が取りこまれていると言えます〔ハーン前掲書下巻395頁〕。
〔ユダヤ人〕
ヨハネ福音書の「ユダヤ人」観は、その基本に「救いはユダヤ人から来る」(4章22節)があります〔ハーン前掲書下巻396頁〕。しかし、この福音書では、「ユダヤ人」は、生前のイエスに敵対した人たちを意味するだけではなく、ヨハネ共同体と同時代に、共同体に敵対したユダヤ教の会堂をも指しています〔ハーン前掲書下巻397頁〕。特に注目されるのは、「イエスを信じる」ユダヤ人たちとの対立です(8章30〜50節)。ここでは、地上における「アブラハムの子孫」に由来する「自由」と、これに対して「真のアブラハムの子孫」に与えられる「自由」とが対立していることが読み取れます。ただし、「悪魔の子」「人殺し」と断罪されているのは、イエスを信じようとしないユダヤ人たちを指すものです〔ハーン前掲書下巻398頁〕。ここに表われる敵対者としての「ユダヤ人」は、告別講話において示されているように、イエスに向けられる「この世の憎しみ」を代表するもので、このような憎悪は、イエスの証しに直面する全世界にあてはまるものです〔ハーン前掲書下巻398頁〕。
〔現在と終末の二元性〕
すでに見てきたように、ヨハネ福音書には様々な二元性が内包されています。しかし、ここでハーンが採りあげているのは、その中で最も根源的なもの、すなわち「現在」と「未来」とが帯びる二元性です〔ハーン前掲書下巻402〜407頁〕。
共観福音書やパウロ書簡では、救いは「すでに始まって」いると同時に「まだ来て」いません。このような「すでに」と「まだ」との間には、緊張関係が存在するのは避けられません。これに対して、ヨハネ福音書は特別な形態の終末論を提示するのです〔ハーン前掲書下巻402頁〕。
ブルトマンはこの問題について、ヨハネ福音書では、現在与えられている救いが将来にも妥当するという形を採り、現在所有する救いによって将来への救いの永続性が確保されていると考えました。それにもかかわらず、ブルトマンにあっては、この福音書における将来の終末論は放棄されているのです。このような「現在」と「将来」との矛盾について、ヨハネ福音書のテキストが、「現在における発言」の層と「将来についての発言」の層と、二つの異なる層から成り立っている、という解決案も提示されました。しかし、ヨハネ福音書の終末論は、「すでに」と「まだ」という伝統的な意味でも、ブルトマンのような完全な現在化によっても、ましてや、異なる伝承の層を想定することによっても、正しく理解することができないのです。ここでハーンは、先に紹介したシュナッケンブルクのヨハネ解釈における終末観に注目しています。シュナッケンブルクのヨハネ解釈では、終末観それ自体が質的な意味で新たに規定されているとハーンは見るからです〔ハーン前掲書下巻403頁〕。
ハーンは先ず「その時が来る。しかもそれが今である」(4章23節/5章25節)というヨハネ福音書独特の言い回しに注目します。原始キリスト教においては、「すでに」と「まだ」との両方の時は、一つの「時」に、すなわちナザレのイエスの出来事の「時」に固定されていて、そこに起源するものです。ところがヨハネ福音書では、「救いの時」それ自体は、これだけに注目する限りは、ナザレのイエスの「時」にも、復活信仰成立以後の「時」にも、ヨハネ共同体の「時」にも、将来訪れる終末の「時」にも、これらのどの「時」にも固定されていないのです。だから、共観福音書でも、パウロ書簡でも、ヨハネ福音書でも、共通するのは、とにかくなんらかの「終わりの時」があって、それが終末的な出来事を意味するということだけになります〔ハーン前掲書下巻404頁〕。
ヨハネ福音書においては、「救い」は、イエスが地上でその使命を終えることによって最終的に実現します。これによって「救い」は、信じる者たちに現在の出来事として体験されます。だからその「救い」は、もはや待望される「救い」ではなく「今」なのです。それにもかかわらず、「救い」は、将来の「来るべき時」であることを止めないのです。なぜでしょうか? 「救い」が、ナザレのイエスの「時」という一回限りの出来事に起源を持ちながら、その「救い」の出来事が、一回限りの出来事に固定されることがなく、繰り返し新たに起きる、という構造をこの福音書が持つからです(先に紹介したC・H・ドッドの解釈を参照)。ヨハネ福音書が言う「救い」とは、神が「霊と真理において礼拝される」時のことであり、「死んだ者たち」(これは死んで墓にいる者たちのことではない)がイエスの声を聞いて永遠の命に与る時のことです。
ところが、このような「救い」の時は、同時に、「迫害を耐え忍ばなければならない時」(16章2節/同22節/同32節/17章15節など)でもあることを見逃すことができません。シュナッケンブルクのヨハネ解釈が指摘したのは、まさにこのことでした。新約聖書の終末観では、「救い」はすでに始まっていますが、それはまだ「手付け金」あるいは「初穂の献げ物」であって、この救いは完成に向かいつつあるものとして理解されています。この終末観に対して、ヨハネ福音書の終末観が向き合うのです〔ハーン前掲書下巻405頁〕。ヨハネ5章25節では、現在この世に存在している「死んだ者たち」が、その「死」から「起き上がる」ということが、彼らによって体験されます。それは現在体験されますが、また「来るべき時」のことでもあるのです〔ハーン前掲書下巻405頁〕。なぜなら、現在生じている救いの体験は、それにもかかわらず、人はやがて「死ぬ」という出来事が迫っているからであり、また、永遠の命を体験しながら、同時に「迫害の現実」の中にいる自分を見出すからです。「死」と「迫害」というこの現実は、闇の働きとして今もなお存在しており、「救い」はすでにこれらに勝ってはいるものの、これらは、将来訪れる終末の時において初めて完全に破棄されるからです。シュナッケンブルクが、「救い」のほうではなく「裁き」に彼のヨハネ福音書解釈の焦点を当てたのはこの視点からです。だから、イエスを信じる者たちは、イエスが地上で体験した「命」と全く同じ状況を生きることになるのです〔ハーン前掲書下巻406頁〕。
ヨハネ福音書には、「光と闇」「真理と虚偽」「自由と隷従」さらに「命と死」という二元論的な発言が目立ちます。特に際立つのは「光と闇」です。しかし「その闇は光の働きを抑えているが、過ぎ去らなければならないために、光に打ち勝つことができない。だから永続的な両対極が問題になるのではない。それはむしろ破棄される」〔ハーン前掲書下巻369頁〕のです。したがって、そこに生じる二元論的な発言は、相互に撤回不能な両極性を意味するものではなく、現に存在する信仰と不信仰との二元性を表わすものであって、「それらの対立が克服されるという前提の下に」〔ハーン前掲書下巻431〕置かれているのです。したがって、ヨハネ福音書の構想は本来的な二元論ではないことになります〔ハーン前掲書下巻369頁〕。ヨハネ福音書では、二元性が救済論的な機能を有しているからです〔ハーン前掲書下巻370頁〕。
以上見てきたように、ハーンのヨハネ福音書解釈は、これまでのヨハネ福音書解釈の伝統をたどりながら、均衡のとれた深い洞察を秘めた方向性を有するものです。彼のヨハネ福音書解釈の主旨をその結びの部分からまとめると、およそ次のようになりましょう〔ハーン前掲書下巻433頁〕。
(1)ヨハネ神学は、原初の時から完成に至るまでの創造と救いの出来事全体を包括する。
(2)啓示の出来事は、父による御子の派遣である。御子は創造の仲介者であり、この前提の下で、イエスが人となることと人であることがヨハネ神学の核心である。
(3)受肉によって、啓示は歴史の内部のことになる。
(4)その啓示とは、イエス・キリストの人格において恵みと真理として明らかにされたものである。
(5)この啓示者において、神自らが臨在している。
決定的に大切なのは、イエスが人であることが視野から外れることがないことです。なぜならこの啓示者の地上の形姿において、永遠の命に与ることが、地上的な形姿で体験されるからです。
最後に付け加えますと、最近出版されたものに、ジョン・マックヒューの『ヨハネ福音書1〜4章』があります〔John McHugh,
John 1-4. The International Critical Commentary. T&T Clark (2009)〕。残念ながらこの著書は、著者が急逝したために(2006年)、1〜4章の注釈のみで、ヨハネ福音書についての著者の紹介がありません。このために、この著作へのコメントは控えることにします。
筆者は、ブルトマンに始まりハーンにいたるまでの、ヨハネ福音書解釈を自分なりの解釈に基づいて紹介してきました。言うまでもなく、これは諸説の紹介ではなく、まして評論ではありません。筆者が自分のヨハネ福音書解釈を探り求める過程において、学び得たこと教えられたことだけを自分なりの解釈に基づいて述べたものにすぎません。だから、これまで述べてきた諸説は、わたしのヨハネ福音書解釈と重なるものです。これからヨハネ福音書を読まれる方々が、そこで出逢う諸問題をそれぞれが自分なりに解決するための何らかのお役に立てることができれば幸いです。
ヨハネ福音書講話(下)へ