交信の記録から
【来信】
石田王良:2017年9月
私市先生へ
9月3〜4日と仕事で札幌まで新幹線で行ってきました。群馬から9時間半かかりましたので景色を見、駅弁を食しながら「ローマ人への手紙の霊性」をジックリ読みました。「内容が難しいのではないかと懸念します」と先生がおっしゃるように難しです。何故難しいのか。「ローマ人への手紙の霊性」=コイノニア会の霊性でもあります。
 私がコイノニア会と出会って10年になるかと思います。30年以上コチコチの逐語霊感と原理主義的な集会の中で育った私にとって、コイノニア会の霊性を頭で理解し心で納得出来ても、想いではどこかで反発していると言った状態が長かったです。この状態を克服出来たのは按手を受け異言が与えられ(霊、肉)が重なり合う状態を自覚出来てからだと思います。
 この状態で初めて「ローマ人への手紙の霊性」=コイノニア会の霊性にたどり着いた感じです。ローマ人への手紙がパウロの集大成であるなら、今回の講話は先生の集大成でもあると思います。これほどまでの内容を私の知識では到底追いつきません。でも満点の夜空を見ながら凄いと感動できる境地(詩編19)。私には理論的な知識を持って伝えようとしてもただの受け売りになってしまいます。詩編19の様な、与えられたみ言葉で感動できる境地を伝えられたらと思います。
 これからのエクレシアとしてのコイノニア会について、想いを巡らしております。現状は、離婚・結婚問題や交通事故や心筋梗塞など命の危険を経験する恐怖など、聖霊体験が与えられる前に目を摘み取られる状態があり、サタンの必要異常な攻撃にあると感じてます。問題ばかりではありません。東京集会に、これからの望みを覚えるし、始まったばかりですが、中島さんを中心とした大阪コイノニアがあります。善悪が表裏一体をなしているこれらの出来事が、今後どう進むのかです。
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