ミルトン:『楽園喪失』の世界
(1)ミルトンの時代
   最初にこの講演の依頼を受けたときに、「ミルトンの『失楽園』」という題名ではどうかということでした。私は、しばらく考えて、今日のような題名にさせていただきました。「の」をとって、「ミルトン」として「:」を付けたのですが、ミルトンという人物は、たとえその代表作が『楽園喪失』であるとしても、彼の生き方や思想には、それだけでは包みきれない多様な側面が含まれていると思うからです。『失楽園』ではなく『楽園喪失』という題名ですが、私の大学などで『失楽園』と言いますと、中にはとんでもない誤解をする学生がいるのです。それで、「あの『失楽園』ではありませんよ」と断りを入れることにしています。原題が「パラダイス・ロスト」なので、文字どおりに訳すと「楽園喪失」となり、このほうが原題名に近いということで、学会ではこれを用いる場合が多いのです。
   皆さんはすでに、イギリスについてかなりの知識をお持ちであろうと思いますので、ミルトンの生きた17世紀という時代について詳しくお話しすることはいたしません。ただ、基本的に重要な点を二つだけあげますと、第一に、ミルトンの時代は、彼もその一翼を担ったピューリタニズムという点で、それ以後のイギリスだけでなく、それ以上にアメリカの思想に大きな影響を与えていることです。この時期は、アメリカが思想的・宗教的にイギリスから分離するその分岐点に当たると言えましょう。第二に、ミルトンもその渦中にあったピューリタン革命は、近代の個人主義的な市民社会の出発点となったことです。「個人の自由と人権」という理念は、現在でも価値を失わない思想だと思いますが、これは、この時代のイギリスの動乱の中から生まれたと言えます。この思想は、アメリカの建国理念に根拠を与えるものであり、それが、現在の日本国憲法にも受け継がれているのは皆さんもご存知と思います。
(2)ミルトンの生涯
    ミルトンの生涯は、大きく三つに大別することができます。第一期は、1608年の誕生から1638年〜39年のイタリア旅行までで、言わばミルトンの少年期と青年期に当たります。第二期は、1640年以降で、彼がピューリタン革命に参与してから1660年の王政復古までです。この時期はミルトンの壮年期に当たりますが、彼は、詩人としてよりも、むしろその文書活動で世に知られるようになりました。第三期は、王政復古以後で、『楽園喪失』と『楽園回復』の二つの叙事詩、それに『闘士サムソン』という詩劇が出版された時期です。そこで今日は、ピューリタン革命時代の彼の文書活動から話を始めたいと思います。お手元の年表をご覧ください。
    1640年から42年にかけては、ミルトン個人だけでなく、イギリスの政治・宗教史にとってもきわめて重要な時期に当たります。この時期にミルトンは、『イングランド宗教改革論』、『主教制批判』、『弁明批判』、『教会政治の根拠』など、イングランド国教会の制度を批判する4つの文書を書いています。ミルトンは、この頃まだ無名の「若輩者」であったわけですが、『弁明批判』では、当時国教会の中心的な人物の一人であったジョセフ・ホール主教に文字どおり「噛みついて」います。さらに、1643年から45年にかけて、離婚の自由を主張する文書4篇と『教育論』と『言論の自由』を書いています。離婚の自由を主張するというのは、当時としてはきわめてラディカルで、このためにミルトンは非難に曝されることになります。しかし、このことが、彼をして『言論の自由』を書かせる契機となり、皮肉にも彼の名前が人々に知られるきっかけにもなったと言えます。1649年に、彼は革命政府の外国語担当秘書官に任命されます。この年は、チャールズ1世が処刑された年であって、チャールズの処刑から1654年までの間に、ミルトンは、国外に向かって、イギリス国民による王の処刑を正当化する『イギリス国民のための弁護論』(1)と(2)などを書きます。
  以上で分かるように、ミルトンの文書活動もまた大きく三つに分かれています。はじめは国教会制度に対立して「信仰の自由」を主張する文書、次は教育と言論と離婚という個人の知性や倫理に関わる問題、次には、国王の処刑を正当化する根拠としての国民の政治的な権利というように、ミルトンの自由を求める思想は、個人の良心に基づく信仰の自由から個人の倫理・道徳・言論の自由へさらに市民の政治的な自由へと拡大していくのが分かります。
   この時期のミルトンについてもう少し述べますと、外国語秘書官としての激務のためもあって、1652年に彼は完全に失明してしまいます。また彼は、1642年に、メアリ・ポウエルという女性と突然に結婚しますが、この結婚はあまり幸福ではなかったようです。それでも3人の娘と一人の息子が生まれますが、ミルトンが失明したその同じ年に、メアリと長男ジョンが相次いで亡くなります。ミルトンは1656年にキャサリンと再婚しますが、彼女も産後の日だちが悪く、結婚してわずか1年半にもならない内に(58年)、妻と生まれたばかりの娘が亡くなります。当時はこのようなことがよくあったようです。1660年の王政復古の時には、革命政権に参与した咎で投獄されますが、わずか1票の差で死刑を免れたと言われています。これには友人の執り成しがあり、また彼が盲目であったことも逆に幸いしたのかもしれません。ミルトンは、その後、エリザベスという女性と3度目の結婚をしています(64年)。
(3)ミルトンとピューリタン革命
   ミルトンの時代には、宗教と政治とは、現在のように区別されてはいませんでした。当時の議会、特に下院では、税の問題、領地の相続、農地や森林の使用権をめぐる紛争、教会の礼拝形式に関する不満申し立て、主教の上院での政治的発言権などが連日討議されています。1642年には、下院が、軍隊の召集とそのための徴兵権、戦争開始や停戦、外交など、国家のあらゆる問題を処理しなければなりませんでした。本来これらは、国王と彼が任命する高官たちの手に委ねられていたのですが、この頃から、それらの権限が、徐々に議会、特に下院の手に握られるようになっていくのです。その背景には、経済の実権が、国王や貴族から「ジェントルマン」や「ヨーマン」と呼ばれる上流市民階級に移っていく過程があります。
   こういう上流市民階級の台頭は、当時盛んになってきた植民地、例えばアイルランドや北米や中米、その他の地域の植民地経営に支えられるところが大きかったと言えます。チャールズが、多額の軍艦税を議会に要求したことが、議会の反発を招いて、ピューリタン革命の原因の一つになったと言われていますが、実は、チャールズの軍艦税は、スペインやフランスと対抗して植民地政策に乗り出していたイギリスの国家的な要請から出ていたものです。もっともチャールズは、それを王権の強化のために、しかも非常に下手なやり方で強行しようとしたのですが。この頃から、イギリスは、植民地帝国としての道を歩み始め、19世紀には、世界に覇を唱える大英帝国を形成していくことになります。
   軍艦税だけではなく、ピューリタン革命には、イギリスの植民地政策が終始影のようにつきまとっています。この革命の直接の発端となったのは、スコットランドとイングランドとの宗教問題に端を発する戦争でした。これを「主教戦争」と呼びます。これに敗北したことが、チャールズをして国民の信頼を失わせる大きな原因となりました。しかし、革命の原因は、それだけではありませんでした。スコットランドとの紛争に、もう一つの植民地であるアイルランド問題が絡んできたからです。王は、こともあろうに、スコットランドと戦うために、アイルランドの軍隊を動員することまで考えました。これに加えて、イングランド国内のカトリックの勢力もいぜんとして強く、特にチャールズの王妃、マライアがカトリック教徒であったことと、王の軍隊の中にカトリック教徒の将校が多数いたことなども、内戦の引き金となりました。
   王と議会とが衝突して、内戦へと発展していく過程を見ますと、その原因の一つに、先に述べた「税」の問題がありました。その衝突は、税の額が大きいか小さいかではなく、いったい誰が「税」を決定しこれを使用する権利を有するのか? という問題に行き着くことになります。
   同じことが、「軍隊」にも当てはまります。軍隊は「王の軍隊」であるというのがチャールズの考え方でした。しかし、その「王の軍隊」は、チャールズが相手にしていた下院がその代表である国民から成り立っていました。確かにイングランドの軍隊は、「陛下の軍隊」でした。しかし、その軍隊の指揮官たちは議会のメンバーでもあったのです。何よりも、その軍隊を支える戦費は、議会、特に下院が握っていました。いったい軍隊とは誰のものか? これをめぐって、下院のメンバーたちは、文字どおり命を賭して、王と衝突しなければならなかったのです。議会派と王党派、イングランドの軍隊が、二つに割れて戦うという悲劇が何よりもこの間の消息を物語っています。
   もう一つ見逃すことのできない要因に、宗教問題がありました。カトリック的な要素を残存させた国教会と、教会制度のより急進的な改革を目指すピューリタンとが衝突したというのが通説ですが、それだけでは解明できない多くの謎が含まれています。ミルトンは、議会の側に立って、最初はスコットランドと手を組んだ長老派を支持していました。しかし、議会派が勝利を収め、国の実権を握りますと、宗教・政治問題は再び混乱に陥ります。革命の後にどのような国家を建設するのかという設計図をまだだれも持っていなかったからです。
   このために、政局は混沌として、ついにクロムウエルが護民官として、事実上彼の独裁政権が生まれました。イングランド国教会に代わって、今度は長老派の教会制度が国民に押しつけられそうになりました。すると水平派と呼ばれる下層階級の人たちが、より徹底した政治・宗教の改革を求めて革命政権を揺さぶりました。ミルトンが主張していたのは、イングランド国教会に代わりえる長老制のことではありません。そうではなく、彼は、そもそも教会が国家権力と手を結ぶことそれ自体が、教会の堕落と腐敗に繋がると見ていたのです。ミルトンは、イングランド・プロテスタントの伝統的な見方に反して、国家と政治とが合体したコンスタンティヌス帝時代を教会の堕落の始まりととらえたのです。彼は、制度としての教会を国家から分離させることを考えていたのです。ミルトンのこのような教会観は、当時の最も急進的な思想に属すると見ることができます。ただし、この分離は、政治に携わる者が、宗教的に中立になることを意味しません。ミルトンは、知性と宗教的信念と倫理において優れた指導者が、国家の要職に就くべきであると主張しています。
    「税」と「軍隊」と「宗教(思想)」、ピューリタン革命では、この3つをめぐって、国王と議会とが戦いました。なぜなら、この三つこそ、国家の主権そのものを形成する要因だからです。ピューリタン革命は、国家の主権は誰のものか?を真正面から争う革命でした。
(4)ミルトンの離婚思想
    ミルトンの結婚・離婚思想は、彼の宗教思想と密接に関係しています。それで、彼の宗教改革論を、その離婚論との関連において整理して、そこに含まれる重要な考え方を4点ほどに絞ってみようと思います。
(1)制度と個人の自由
    教会は、言うまでもなく、神を礼拝するためのものです。しかし、礼拝する一人一人が、その内面において、言い換えればその良心において、ほんとうに納得していないならば、はたして神を礼拝する意味があるだろうか。ほとんどの人は、ただ決められて通りに教会に出席して、牧師の説教を聞くという形だけの宗教に止まっているではないか。このような中身の伴わない「宗教」では、信仰そのものの意味が失われるばかりか、教会へ行くことさえ神に対する冒涜になってしまう。だから、こういう形骸化した制度を廃止して、個人個人が、自分の心から納得できる形と内容を持った信仰のあり方を追求する自由が認められるべきである。こうミルトンたちは考えたわけです。ミルトンのこの考え方は、外面的な制度よりも個人の内面を重視する点が重要なわけで、こういうピューリタンの考え方を「内面化の論理」と呼ぶことができましょう。この考え方をもう少し突き詰めますと、個人が内面でほんとうに納得しないのに、外面的な制度に縛られて行なうのは「悪」であるとする考え方につながります。
(2)自由と責任
   第二点として、ミルトンたちの考えによれば、個人個人が、自分の考えで信仰生活のあり方を選ぶわけで、これは一見楽なようで、実はきわめて厳しい責任を個人の選択に負わせる結果になることです。この選択の中には、「教会へ行かない自由」も含まれることになるでしょう。こうなりますと、何が正しい信仰のあり方なのか、さらには、神は存在するのか、キリストはほんとうに神の子なのか、というような根本問題が、個人の判断に委ねられてきます。今まで考えもしなかった問題が、一人一人の良心の選択にかかってくるわけです。こういう問題は、それまで、牧師や神学者が考えるべきことで、一般の信者が煩わされなくてもいい問題でしたが、今はそうはいきません。これは、大変厳しい責任です。ごく常識的に考えますと、制度は人間を束縛するもの、自由は人間を楽にするものだと思われがちです。しかし実際はこの逆で、制度があれば、人間は、ずいぶんといろいろなことを迷わずに済ますことができ、また問題を突き詰めなくても、適当に「とりつくろって」いくことができます。ところが、制度がなくなりますと自己の内面の選択が、そのまま外面の行為として、ごまかしなく現われざるをえなくなるわけで、ミルトンたちがねらったのもまさにこの点だったのです。
(3)制度の否定
 第三点は、制度の否定についてです。先ず、注意してほしいのは、ミルトンが教会制度の廃止を求めたのは、その制度の中身であるキリスト教そのものを否定したからではないという点です。この点は大切です。なぜなら、制度の中身、すなわちキリスト教それ自体を否定する人たち、例えば、無神論者やイスラム教徒たちは、当然教会の制度そのものにも反発を感じたり、できればこれを廃止したいと考えるでしょう。ところが、ミルトンたちが教会制度に反対したのは、この人たちのようにキリスト教を否定するからではなくて、逆に、制度の「内面化」をはかること、すなわちキリスト教を普通の人以上に大切に思うところからでているのです。ここでは、制度の否定は、その中身の否定につながらないどころか、逆にこれをいっそう「徹底させる」ことを意図します。このように見ますと、ある制度を廃止しようとする人たちには、二通りあることが分かります。すなわち、その制度に含まれる内実を否定する人と、逆にこれをいっそう重視する人です。この二つは、ちょうど反対の理由で制度の廃止を求めているわけですから、わたしたちは、この二つを混同しないようにはっきりと区別しなければなりません。
(4)自由と束縛
  四番目は、先にも触れましたが、ミルトンの主張には、「教会へ行かない自由」をも含まざるをえない点です。「もしもそんなことをしたら」とミルトンたちに反対する人は言います、「ただでさえ教会へ来たがらない連中はどうなるだろうか。そんな自由を認めたら、不信心や無神論を奨励するようなものではないか」と。今から考えますとこんな心配は要らないと思うのですが、この時代には、これは重大な問題でした。確かにこういう反論にはもっともな点があります。ミルトンたちの自由には、このような「悪」をも認めざるをえないものが必然的に含まれるからです。これに対してミルトンはどう答えるのでしょう。
   ミルトンは、自分の意見には、「教会へ行かない自由」が含まれることを認めます。そして、これが「望ましくない悪」であることも率直に認めます。では、彼は、なぜそのような自由をあえて提唱するのでしょう。それは、この「教会へ行かない自由」が「教会へ行く自由」と密接に関係しているからです。すなわち、「教会へ行かない自由」が認められなければ、自ら進んで、誰からも強制されずに自発的に教会へ行くという大切な自由が生きてこない、こう考えるのです。ここにも、難しいけれども、大切な問題が提起されています。自分の意志で教会へ行くという信仰生活の大切な意味が、これをしなくてもいいという消極的な自由と表裏一体となっているのが分かります。
   ここに「自由」の持つ不思議な二面性が浮かび上がってきます。「自由」は、特に「何もしなくてもいい」という消極的な自由は、「教会へ行かなくてもいい」という自由と同じで、これだけでは生きてこないのです。この消極的な自由が、自ら進んで教会へ行くというより積極的な「自由」と結びついて、初めてこれが充実し生きてくることが分かります。「自由」と自発的な「束縛」、この不思議な関係が分からないと、ミルトンがなぜあえて「教会へ行かない」自由を認めてまでも、信仰の自由を押し進めようとしたのかが理解できません。
   以上ミルトンの教会改革論で指摘した点を彼の離婚論に置き換えて考えてみましょう。ミルトンは、外面的な結婚制度にとらわれるよりは、それがはたして現実の生活において、言い換えると夫婦の内面生活において、ほんとうに生きた意味を持っているだろうかと問うわけです。もしも、その中身が失われているのであれば、外面にとらわれて制度の中でごまかして生きていくよりも、そのような結婚は、はっきりと解消すべきであるという考え方がここから生じてきます。人間は弱いから、そういう弱さを守るために制度が存在するという発想は、ここにはありません。「内面化の論理」に従いますと、離婚の問題は、「良心の自由」に関わるとさえ言えます。アメリカの男女が、日本と比較しますと、内面的な夫婦のあり方をそのまま外面に、形として現す傾向が強いのは、こういう思想がその底流にあるからだと考えられます。
   第二の点は「個人の責任」です。先にわたしは、ピューリタニズムでは、「個人」が重要な意味を持つと述べました。これは、裏を返すと、それだけ個人が大きな負担を負っていることになります。英語で、"at your own risk"という表現がありますが、「自分の危険を承知の上で」個人の責任において決める、こういうことが、英米では多いようです。それだけ、結婚や愛のあり方において、個人個人が「成熟」していなければならないわけです。
 ここまでくると、先にあげた3番目の点が問題となります。結婚制度を否定する人、すなわち、この制度自体が、ある著名な評論家の言葉を使うと「不自然」だと考える人(こういう発想は、ミルトンの時代にすでにあったのですが)、このような人が、いわゆる「性の解放」を唱えるときは、その制度に含まれる結婚の意義そのものに疑問をもち、これを否定的にとらえるのは当然です。ところが、これとは対照的に、結婚をきわめて理想的にとらえる人たちがいます。こういう人たちも、結婚の制度それ自体に束縛されるのを嫌います。けれども、この人たちの場合は、決して結婚を軽んじるのではありません。逆に結婚に含まれる意味を内面的に追求してこれを成就させようと求める人たちです。ですから、彼らが、制度に縛られたくないのは、「一度結婚したら決して離婚できない」状況の下では、自分たちの生き生きした結婚生活への努力や意図が、その意味を失うのではないかと恐れるのです。「離婚する自由」という裏付けがなければ、結婚への意義づけとこれに対する努力は、その積極的な内実を失ってしまうからです。
(5)『楽園喪失』のキリストとセイタン
   では、『楽園喪失』に入ることにします。『楽園喪失』は、聖書の「創世記」(1章から3章まで)の物語に基づいて、これをミルトン独自の構成と解釈で歌いかつ語っている叙事詩です。そこには天地創造、エデンの園、人間の創造、アダムとエヴァの堕罪、楽園からの追放とそれ以後の歴史が語られています。この物語は、聖書の最初に置かれていて、聖書全体を始動させる大事な働きをしています。新約聖書がイエス・キリストの誕生で始まるのと同じように、旧約聖書は「創世記」のこの物語で始まるからです。
   しかしミルトンは、聖書の物語には直接語られていない部分、つまり人間の創造以前に生じた出来事を加えています。それは、天国での神に対するセイタン(悪魔)の反逆、神の子キリストとセイタンとの戦い、堕落天使たちの地獄への降下、セイタンによる神への復讐としての人類の堕罪などです。もっとも、これらの物語も聖書とそれ以後の伝承に織り込まれているもので、内容それ自体はミルトン独自の発想ではありません。
   ミルトンが、創世記の物語にこの部分を加えた理由は様々に解釈できますが、その最大の理由として考えられるのは、「悪の起源」について語ることです。人間の原罪は聖書の大きなテーマですが、ミルトンはその原罪の起源としての「悪」そのものを追求しているのです。神の支配する宇宙において、人間の原罪が生じる以前に、すでに天国において、神とその子キリスト、これに反逆するセイタンと彼の堕落天使たち、この両者の間に壮絶な戦いが存在していたのです。この神への反逆ですね、ここにミルトンは悪の起源を見ていると言えます。この反逆が、エデンの園での人間による神への反逆につながることになります。
 セイタンによる神への反逆と同時に、ミルトンは、神のみ子キリストによる神への従順をこれに対置させています。「反逆」と「服従」、「従順」と「不従順」、神をめぐってセイタンとキリストとが対立し、その対立が人間を巻き込み、それらの出来事を通じて「神の正義」が明らかにされるというのが『楽園喪失』の主要なテーマなのです。
  すでに皆さんは気がついておられると思いますが、この「反逆」と「服従」は、ピューリタン革命を通じて、国王と議会とが、「国家の主権」をめぐって対立した姿そのものです。政治と宗教とはまだ分離していないと先に述べましたが、『楽園喪失』では、宗教的(霊的)な世界に、現世の政治・軍事の世界が、そのまま投影されています。イングランドの主権をめぐる争いは、人類全体の主権、さらに宇宙を支配する神の主権をめぐる争いへと拡大され、そこで、「神の正義」とは何かが、「反逆」と「服従」を通じて問われることになります。
   『楽園喪失』においては、反逆の精神は、セイタンの口を通して語られます。セイタンは、地獄に落とされてから次のように言います。
   セイタンが「奴」と呼ぶのは、神の怒りの雷光を武器として彼らを敗北させたキリストのことです。全能者が「妬むために」地獄を建てるはずがないと言っているのは、セイタン自身が、神の子キリストに対する妬みから反逆して、その結果天国から追放されたことを逆に暗示しています。ここで注意したいのは、セイタンが口にする「自由」という言葉です。全能者の絶対的な権威と神の子キリストへのねたみから、セイタンは、神への服従を拒み反逆へと走ります。神の支配から逃れることで「自由」を獲得し「自分自身である」ことを誇るセイタンの姿は、ピューリタン革命において、教会の主教を追放し国王を処刑したイングランドの民衆の姿と重なるものがあります。
   こういうセイタンの台詞には、圧政や暴虐に反抗する人たちの心意気が感じられて、私たちの共感を誘うものがあります。確かに『楽園喪失』のセイタンは、特に初めの1巻と2巻では、実に生き生きと英雄的に描かれていて、ミルトン自身がこのセイタンに乗り移ったのではないかとさえ言われています。これはもちろんミルトンの意図ではありませんが、『弁明批判』を書いた頃のミルトンの反逆の精神が、セイタンに投影されているのは間違いないと思います。
   ところが、「己自身であろうとする」セイタンの「自由」には、混乱と無秩序が手下の天使のようにつき従い、反逆の精神の裏には、妬みと自惚れと虚栄が潜んでいたことが暴露されてきます。「地獄も天国となる」という彼の強がりも、やがて
という絶望へと転じることになります。ここには、神を圧政者と見なして、己の「自由」を誇るセイタンの姿はありません。ミルトンは、反逆から生まれる「自由」が、それだけでは、混乱と無秩序、不毛な争いと絶望を生じさせるだけで、そこからは、真の意味で人間の「自由」が生まれてこないことを革命の体験から洞察したのではないでしょうか。
   セイタンの反逆と対照されて描かれるのが、神のみ子による父の神に対する「従順」です。み子は、セイタンとの戦いに出かけるに際して、神から「雷」の武器を与えられて、父に向かって次のように言います。
   ここで「心」と訳したのは、父なる神の「意志」のことです。だからキリストは、ここで「神の意志」と「自分の意志」とを一つに重ねているのが分かります。ここで語られている「服従」とは、強制されたものではなく、子の側からの完全に自発的な従順から出たものなのです。このような「従順」は、父と子とがひとつになるところに初めて可能な「愛によって結ばれた従順」です。ここで「子」とは、肉体的な血筋のことではなく、その父の意志を受け継ぐ者を意味しています。父と子のこのような一体関係は、そのまま子とみ子を信じる人間との関係に対応しています。「私は永遠にあなたの内に居り、あなたの愛する者たちは全て私に居る」とあるのは、この対応関係を意味します。
  このような「自由で自発的な従順」は、国家権力や教会の権威が、法律や律法によって人々に強制して得られるものではありません。そうではなく、従う者一人一人が、自らの意志によって選び取る自由と、その自由から生まれる自発的な服従が重要だからです。指導者に向けられる従順とは、本来そういうものであるべきです。これが、ミルトンの理想とする「服従」です。ミルトンは、このような「従順」をセイタンの「反逆」と対照させます。セイタンにとって、神とは圧政者のことであり、暴君を意味しました。ところが、神の子キリストにとっては、神とは、自発的にその意志を実行したいと心から願わずにおれない指導者なのです。何が「反逆」を正当化し、何が「従順」を正当化するのか? 国家権力や宗教的権威と個人との関係をめぐって、ミルトンが現代の私たちに問いかけているのは、この問題です。
   先に述べたとおり、ミルトンは、個人の信仰の自由、個人の知性と言論の自由のために闘った人です。しかし、そのような個人の自由が、本当の意味で価値を発揮するためには、共同体を形成する一人一人が、自分から進んで従い、その意志を実行したいと願わせるような国家の指導者の在り方が要求されるのです。指導者が、国民一人一人に、これこそ自分たちの願っていることなのだと信じて、自分の意志で、その指導者の意志を実行しよう思わせるような政治と宗教の在り方、これがミルトンの描いた理想の共同体の姿であり、個人の「自由」の在り方であったのです。私たちは、ここに、初めて「デモクラシー」(民主主義)という今まで存在しなかった新しい形の国家共同体の理想像が生まれてきたのを知るのです。
(6)『楽園喪失』の結婚愛
   『楽園喪失』においては、アダムとエヴァとをめぐる愛と憎しみと和解の物語が、もう一つの重要なテーマとなります。この両者の関係においても、先に述べた自由意志による「従順」と「不従順」とが問われてきます。ミルトンの時代は、男性優位の時代でした。したがってミルトンも、女性は男性に服従すべきであるという考え方から抜け出すことができませんでした。その意味でミルトンはフェミニストではありません。しかし、ミルトンには、現代のフェミニズムに通じる重要な認識がありました。それは、結婚が子孫を残すための営みであるとする伝統的な考え方に対して、結婚の意義を男女の結びつきそれ自体に求め、その上で、夫と妻との内面的精神的な一致こそ結婚の目的であると見なしたことです。ここに、ミルトンの作品に対するフェミニズム解釈の原点があると言えましょう。
 アダムは、初めてエヴァと出会ったときに、彼を避けて逃げようとするエヴァに次にように呼びかけます。
  このようにして、エヴァは、アダムと結ばれ、エデンの園で神の祝福を満喫します。その時のエヴァの気持ちを、ミルトンは一篇の抒情詩として、次のように彼女の口から歌わせています。
  ここには言わば新婚のエヴァが居ます。「あなたがいれば・・・・」と「けれども・・・・あなたなしでは」とが、鏡の両面のように分かれて、エヴァの心がアダムを中心に円を描いて踊っているようです。ミルトンは、このような夫婦の愛を「結婚愛」という言葉で表現します。この言葉は、いわゆる男女の「恋愛」とは違う意味を帯びて用いられているのですが、この点は後で説明します。ところが、このような幸せな二人の生活にも、ある時転機が訪れます。エヴァは全く突然に、アダムにこう切り出します。
 どうしてエヴァが突然このようなことを言い出したのかをミルトンは説明していません。いろいろな解釈が可能ですが、今はそのことに触れません。ただここで、エヴァが「別れる」という不吉な言葉を口にしていることに注意してください。アダムは、エヴァの突然の申し出に、当惑したりむっとしたりしながら、エデンの園に最近悪い奴が忍び込んでいるから、二人一緒にいるほうがいいのではないかと引き留めます。しかし、エヴァは聞き入れません。アダムも仕方なく、エヴァに向かって次のように言います。
そして、最後に決定的な言葉を口にするのです。
ここで「心から」と訳した原語は「自由に」です。エヴァはアダムの警告を無視して、彼女の自由意志と選択によって、あえてアダムに従うことを止めます。彼女は「アダムの手から自分の手をそっと抜き取って」足取り軽く去って行くのです。 エヴァが一人になったのを見定めたセイタンは、蛇の姿に変じて、エヴァに近づいて、言葉巧みに彼女を誘い、禁じられていた知恵の樹の下へと彼女を連れていきます。そしてついに、彼女をして知恵の樹の実を食べさせるのに成功します。なぜエヴァが、木の実を食べたのか? これは「知恵の樹」とはそもそもなにか?という疑問と重なりますから、簡単に判断することができません。しかし、ミルトンは、ここではっきりと、神が食べるなと命じ、「食べると死ぬ」と警告した神の禁止を破ること、すなわちエヴァの不従順が、最大の罪であると見ています。「これを食べるとアダムよりも賢くなれる」こうエヴァが考えたことも示唆されています。
    エヴァの帰りが遅いのを心配して、アダムが彼女を捜し、知恵の樹の傍らに来たときに、彼はそこにすっかり変わったエヴァを見て愕然とします。彼は、始め神に背いたエヴァを責めるのですが、エヴァはここでも、「あなたと共なら」禁断の木の実を食べた喜びはいっそう増すし、「あなたなしでは」喜びも湧かないとアダムを誘います。アダムは、はエヴァの懇願に負けて、自分もその禁断の木の実を口にするのです。「すると二人の目が開けて、二人は裸であることが分かった」と聖書にありますが、ミルトンは、その時の姿を次のように描いています。
   この描写は、二人が神の祝福によって与えられた「結婚愛」を失ったことを示しています。ここでは、何か大事なものが、二人の愛の中から失われていきます。アダムはエヴァに、「遊ぼう」と言っていますね。これは今まで、アダムがエヴァに向かって決して口にしなかった言葉です。二人の愛は、この時点で、「お遊び」に変じたのです。もはや、アダムには、誠実な愛情よりも、「君を楽しみたい」という思いが働くだけです。
   同じ一組の男女の間でありながら、ここでは、「結婚愛」を失った二人の全く違った姿があります。ここで改めて「結婚愛」とはなんだろうという疑問が湧いてきます。この問題は、例えば、現在ではよく見かける、結婚しないまま共に暮らす、いわゆる「同棲」という形で考えてみると分かります。いったい結婚と同棲との間には、あるとすればどんな違いがあるのでしょう。「あるとすれば」と言ったのは、この区別それ自体がはなはだ曖昧な人たちが案外多いからです。紙一枚提出さえすれば結婚になり、出さなければ同棲になる。ただそれだけの事だ、という意見も出てくる時代です。その「紙一枚」がなにを意味するのか、あるいはしないのか、この辺が問われてきているわけです。ミルトンの「内面化の論理」からするならば、外面的にみる限り、結婚も同棲も全く区別はありません。とすれば、問題はその内面のあり方にかかわってきます。二人が恋愛して結婚を決意する。いったい、恋愛から結婚へと決断させるもの、それはなんなのか、これがここで問われてくるわけです。
   恋に「落ちる」とは言いますが、結婚に「落ちる」とは言わない。逆に、結婚に「踏み切る」と言いますね。いったい、なんに向かって「踏み切る」のでしょう。この辺が分からないと、結婚に積極的な意味を見いだせなくなります。ミルトンの結婚・離婚思想もまさにこの問題に行き当たったと言えます。このような意味で結婚を意義あらしめる内実を、ミルトンは、「結婚愛」と呼んでいます。この結婚愛は、ですから恋愛とある意味で対立する概念となってきます。この結婚愛と恋愛との対立をめぐっては、ヨーロッパではそれなりの長い歴史が中世以来続いていますが、今ここで、この問題に触れることはできません。
  二人は、しばらくの間、愛欲の限りを尽くして互いの罪を慰め合うのですが、やがて、二人の間に亀裂が生じてきます。ついに、アダムは、エヴァを「蛇」と呼んで、その憎しみを露にします。エヴァも負けてはいません。
世の夫婦であれば、この時点で完全に離婚するところです。ところが、ミルトンは、突然、エヴァに意外な言葉を口に出させています。
  これはアダムにとって、予想もしなかった展開でした。さめざめと泣くエヴァを見て、アダムの心も和らいで、二人の間に思いがけない和解の兆しが現れるのです。言うまでもなく、ここでは、アダムよりもエヴァのほうが、人間的にずっと優れています。今度は、アダムが、エヴァの悔い改めの姿勢に従う番なのです。エヴァの働きかけに応じて、二人は、再び神の前に戻り、一度失った結婚愛を再び回復することになります。しかし、一度罪を犯した以上、もはやエデンの園に留まることは許されません。二人は、行く先を知らないままに、この園から追放されることになります。ミルトンは、この最後の場面を次のように語っています。
   こうして、人類の始祖である二人の愛の物語は、ひとまず終わります。もっとも、最後の結末の示すとおり、それは新たな始まりにすぎません。ミルトンはここで、「結婚愛」という近代市民社会の家庭基礎づける概念物語っています。
   先に指摘したように、夫婦の「結婚愛」は、男女の「恋愛」とは違った相を持ちます。9巻の堕罪直後の場面で見たとおり、ミルトンは、この二つの愛の在り方の間に横たわるある種の亀裂を浮き彫りにしています。充実した人生は、必ずしも充実した結婚と同じではないかもしれません。結婚を「束縛」ととらえるのは一面の真理です。しかし、先に述べたとおり、それはあくまでも一面の真理にすぎません。人間が自分の存在を充実させていくのに、さまざまな生き方や方法があると思いますから、どうしても結婚したくないのであれば、それはそれで一つの選択であると言えましょう。ただし、安易に束縛を嫌って、この営みから逃避するならば、人生を生きる大きな意味を見失うことになります。結婚とこれに伴う育児が、束縛をもたらすのは避けられません。しかし、そのような「束縛」を、あえて自分の意志で選びとる、この積極的な自由こそ、真に人間らしい決断ではないかと思います。
(7)叙事詩としての『楽園喪失』
   私は小学生の頃、『源氏物語』は源氏の歴史で、『平家物語』は平家の歴史であると思っていました。ところが高校で、初めて『源氏物語』を読まされて、これが文学的な小説であることを知ったのです。『源氏物語』は、世界でも最も古くて優れた小説であると言えましょう。しかし私個人としては、『平家物語』のほうが好きです。こちらは平家門の衰亡を語る歴史物語ですね。しかし私は、これをただの「物語」としてではなく、「叙事詩」として読んでいます。『平家物語』は、それほど優れた詩的な文体で描かれており、しかも深い思想に貫かれているのです。これは、琵琶法師によって吟唱されるための文体から来ているのでしょう。
    「叙事詩」というのは、歴史的な出来事を文学的なスタイルで歌いかつ物語るものです。だから叙事詩は、新聞やドキュメンタリー風な事実の記録とは異なります。これらも実際の出来事や事実を伝えたり、特定の事件を詳しく伝えたりしてくれます。しかしそれらの出来事は、いろいろな角度から見ることができます。新聞がそのよい例です。そこには、起こった出来事が、パズルの破片のように詰まっていますが、それらをつなぎ合わせて、ひとつのまとまった現代の全体像を描くのは容易でありません。特に現代のように、めまぐるしく変わる世の中では出来事の意味を考えることがとても難しいのです。
   平家の物語や歴史は、教科書でも教えられ、大河ドラマにもなり、小説もあります。しかし、「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」の有名な書き出しで始まるこの叙事詩は、日本人の歴史観に深い影響を与えてきました。このように、叙事詩というのは、ある民族や文化の最も根源的な出来事を、その民族のものの見方や生き方と関連づけて、深いところからその意味を語り伝えるものです。出来事や事実は、それだけでは何も語りません。また、起こった出来事を並べても、それだけでは物事のつながりは見えてきません。それらの出来事を関連づけ、そこに深い意味を与え、かつこれを独特のスタイルで人々や国民全体に「物語る」のが叙事詩の役目です。
   偉大な叙事詩は、その国の民、その文化に属する人全員がこれを共有することができます。ですから、叙事詩は言葉の最も深い意味で「歴史」を語るのです。「ヒストリー」(歴史)は「ストーリー」(物語)から出ています。叙事詩は、歴史であるよりも、むしろある民族やある文化圏の人々が、どのような歴史観を持つのか、その歴史観それ自体を造り出す力を秘めていると言うべきでしょう。日本の『古事記』、ヘブライの旧約聖書やキリスト教の旧新約聖書、ホメーロスの『オデュッセイア』や『イーリアス』、ウェルギリウスの『アエネーイス』など、人類には優れた歴史的「叙事詩」があります。それは、その国の民だけでなく、ある文化圏全体の価値観決定づける力持っているのです。
    このような叙事詩が与えてくれる歴史観に立ち返り、そこから学ぶことによって、私たちは、自分たちの歴史を新しく解釈し、現在に意味を与え、未来を切り開く力をそこから得ることができます。『楽園喪失』は、この意味で、英米の近代を形成してきた叙事詩です。それは、今でも英米の人たちが、自分たちの歴史を人類の歴史と重ね合わせて、そこから未来を切り開いていく拠り所としている物語です。この意味で、聖書とミルトンは、特にアメリカの人たちの価値観決定づける力持っているストーリーでありヒストリーであると言えます。『楽園喪失』は、今までお話ししたことでお分かりの通り、「人間の自由と民主主義を物語る叙事詩」なのです。
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