この著作を出すにあたって
  (2022年12月29日朝。琵琶湖畔の温泉旅館花街道で)
■「大空」と「神の箱」 
 古代のイスラエルでは、「空(そら)」のことを「天蓋」(ラーキア)と呼んでいた。ところが、後代になって、「天蓋」よりもさらに高度の超越性を具えた「天」(シャーマイム)が導入されることで、天蓋の上の世界(天上の神の御座)と、その下位にあって生命体を育成する世界との二つに分かれたから、「天蓋」は、言わば、「天上」と「天下」とを「区分すると同時につなぐ」ことになった。こうして「天蓋」(ラーキア)は、天上の神の臨在と、天下の生命体を育成する神の働きとを媒介する機能を担うことになる。天蓋を境界として、神の臨在の不動性(民からの超越性)と可動性(民への内在性)とが、「つながりながら区分される」のである。
 イスラエルの神の臨在観に潜むこの二重性は、荒れ野でイスラエルの民が、「神の箱」=「契約の聖櫃(せいひつ)」を「安置しながら担いで移動する」という二重性となって受け継がれる(Theological Dictionary of the Old Testament. )。古代イスラエルの幕屋は、神ヤハウェの御臨在(宿り)を証(あかし)し、表象する。天上での神ヤハウェの臨在を証しする聖櫃は、イスラエル十二部族に囲まれて、その中央に安置される時、「不動の幕屋」として畏敬される。ところが、 この幕屋が、一度(ひとたび)民に担がれて動きだすと、民と共に歩み、民の歩みに内在する神の臨在として働き始める。幕屋の機能において、とりわけ重要なのは、荒れ野を旅するイスラエルに敵対する勢力との戦いにおいて、イスラエルの民を護る働きであった(Theological Dictionary of the Old Testament. )。より詳しくは、コイノニア会のホーム・ページ「聖書と講話」の「天の玉座と地の臨在」を参照。
■「人の子」とその民
 神の臨在のこの不思議な二重性は、エゼキエル書では、1章で描かれる不思議な御座の映像となって現わされ、神の臨在は、「人の子」エゼキエルに啓示される神殿として預言される。エゼキエル書で預言される神殿での神の臨在は、ダニエル書に受け継がれ、ダニエル書では、「王権」と「王国」がとりわけ重要な課題になる。ダニエル書7章では、民を襲う魔性を帯びた王権が、四頭の獣(とりわけ「第四の獣」)となって現われる。獣の発する魔性に対抗する存在として登場するのが、天上の神の御座より降る「人の子」である(ダニエル書7章9〜14節)。この「人の子」は、イスラエルの民と共に、アンティオコス四世の圧政に立ち向かう。ダニエル書7章21節〜27節の「聖なる民」は、ほんらい天使の軍勢のことであるが、後に、イスラエルの民へと習合される。魔性の王権は、神の裁きによって断罪され、人の子とその民には、永遠の王国が約束される(ダニエル書7章23〜27節)。ダニエル書の「人の子」は、ユダ・マカバイ個人を表象するとも言われるが、この「人の子」像は、以後、イスラエルの民を救う「メシア」預言に組み込まれる。この「人の子」像は、個人であると同時に、イスラエルの民とも同一視される「共同体的な」性格を具える二重性を帯びている。
■人の子イエス
 ナザレのイエスが、己の使命として受け継いだのが、この「人の子」である。しかし、四福音書が証しする「人の子イエス」は、ダニエル書以来の「人の子」伝承を受け継いではいるものの、その実態は大きく発展する。何よりも、イエスは、神の霊を宿すことで、天上の神の臨在を地上において啓示する「この世に実在する個人」であり、世に働く「悪霊を追い出す」権威と力を具えている(マルコ9章2〜29節)。それは、天空から注がれる恵みの霊雨となって世に平和を造り出すために働く。イエスは、この世の権力には属さない「平和をもたらす真理の霊」を一人ひとりに注ぐことで(ヨハネ14章17〜20節/同26〜27節)、「世の罪を取り除く神の小羊」である(ヨハネ1章29節)。この小羊イエスこそ、人に「まことの自由を与え、その自由を働かせる」個人を生み、その共同体を造り出す力となる(ヨハネ8章31〜32節)。
黙示録の獣と小羊の民
 1世紀の終わりに、ローマの国家権力が魔性を帯び始めると、ドミティアーヌス帝によるキリスト教徒への迫害に端を発して、ローマの国家権力によるキリスト教への弾圧が、その兆しを見せ始める。ギリシア・ローマと境を接する小アジア西部の七つのキリスト教会に宛てて、ヨハネの黙示録が書かれるのは、まさにこの時期である。ヨハネの黙示録にもダニエル書の魔性を帯びた権力の獣が登場するが(ヨハネの黙示録11章/13章)、ヨハネ黙示録では、これと戦い、これに勝利する小羊と(ヨハネの黙示録5章)、小羊の民の姿が描かれる(ヨハネの黙示録7章9〜12節/同14章1〜7節)。ヨハネの黙示録については、コイノニアのホーム・ページ「聖書と講話」欄の「ヨハネの黙示録への覚え書き」を参照。
権力の魔性と教会
 ヨハネの黙示録が証しする魔性を帯びた(国家)権力の「獣」と、これに対抗して戦い、ついに勝利する小羊とその教会の伝承は、その後も西方キリスト教会に受け継がれ、国家と教会との軋轢(あつれき)を解消する政治的、宗教的な機能を発揮する。例えば、ミラノの司教アンブロシウスは(340年頃〜497年)は、皇帝テオドシウスによる市民虐殺を弾劾して、彼に聖餐を授与しなかった。イングランドの主教トマス・ベケット(1118年頃〜1170年)は、時の国王ヘンリー二世の法官として、カンタベリーの大司教に任ぜられるが、当時の教会法による裁判権問題で国王と争い、カンタベリー大聖堂で殉教した。ところが、彼の殉教によって、民の間に聖ベケット信仰が生じ、このために、国王は、カンタベリーの聖堂で、大主教の慰霊に向かい公式に謝罪する事態になった。13世紀初頭のイングランドでは、フランスとの戦いに敗れたジョン王が、戦闘を継続するために、民に多大の税を課し、これに堪えかねた貴族と民は、王権を規制するために、「マグナ・カルタ」(大憲章)と呼ばれる六十三箇条に及ぶ条約を国王と結んだ(1215年)。このために殺された貴族たちもいたが、この憲章をめぐる王と民との戦いは、17世紀のイングランドのピューリタン革命への「先駆け」になったと言われる。
民主主義の神学的意義
 筆者(私市)は、17世紀初頭に誕生した近代の議会制民主主義は、魔性を帯びた権力と戦うユダヤ・キリスト教の伝承を受け継いでおり、近代民主主義は、様々な過程を経て、現在の民主主義へ発達したと見ている。ヨハネの黙示録の七つの教会で指摘されるように、現代の民主主義も様々な弱点を抱えている。しかし、完全とは言えないまでも、この民主主義は、今のところ、魔性を帯びた権力と戦う唯一の手段である。新約聖書に始まる「デモクラシーの神」のこの働きは、21世紀の現在も(2023年)、国家権力の魔性と戦うための「完全ではないが、唯一の手段」"Not the perfect, but the only way" である。「まことのデモクラシー」の機能こそ、キリストの教会が、この世において担うべき使命にほかならない。将来、筆者の念願が叶って、東アジアにキリスト教が広まったとしても、そこに生じる国家権力が「魔性を帯びない」という保障はない。そうだとすれば、日本のキリスト教徒は、アジアにキリスト教が広まったそれ以後の時代でも、権力の腐敗を防ぐために、どこまでも「福音の真理」を証しし続ける「エクレシアの民」であってほしい。「国家と教会」の関係で言えは、教会(キリストのエクレシア)が国家権力の座に座ることがあってはならないが、教会は、国家権力が魔性を帯びるのを防ぐために、絶えず国権に働きかけ、国権が神の御心に沿うようにこれを支える必要がある。「御心が天において行なわれるように地にも行なわれますように」という主の祈りは、このことを言い表わしている。
 ■ 日本の国是とキリスト教
 ウクライナ人の母とベラルーシ人の父を持つベラルーシの女性作家スベトラーナ・アレクシェービッチ(74歳)は、ノーベル文学賞(2015年)の作家であり、『戦争は女の顔をしていない』の著者である。彼女は、旧ソ連時代に、ウクライナ西部で生まれた。『朝日新聞』(2022年11月)の単独インタビューで、彼女は次のように語った。「ドストエフスキーやトルストイは、人間がなぜ獣に変貌するのか理解しようとしてきました。私は、ロシア人を獣にしたのは、(ロシアの)テレビだと思います。プーチンは、この数年、戦争の準備をしてきた。(ロシアの)テレビは、ウクライナを敵として描き、人々を、ウクライナを憎む獣にするために働きかけてきました。」「(ロシアによる)ウクライナへの侵攻では、人間から獣が這い出しています。」「人間から這い出す獣」と戦うこと、現在、正教のロシア教会が、ロシアの国に対して負うべき使命がこれである。、中国のキリスト教徒が全体主義国家の中国に対して負うべき課題もこれである。日中関係では、1972年9月22日、周恩来と田中角栄との間で、「日中国交正常化条約」が結ばれた。「以民促官(いみんそっかん)」(民を以て官を促す)を唱える周恩来の計画が、この条約を実現したのである。
日本発の
 日本発の東アジアキリスト教圏の成立を目指そう。日本と朝鮮半島とモンゴルと中国と台湾のクリスチャンたちが手を携えて、アジアの平和を守ろう。
このために、異言を語る人も語らない人も、共に一つになって、愛と赦しの御霊のパワーを働かせてくださる私たちの主イエス・キリストを信じよう。
主がこれを成し遂げてくださる。 主の御霊の声が響く。
ちょうど、大晦日の夜に、日本の空に響く第九の交響曲の合唱のように、日本の空から東アジアの空へ広がり、さらに世界に向けて響く。

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