【注釈】
 この詩は、詩編前半の「ダビデ詩集」の中核部分に含まれている。「ミクタム」は、56、57、58、59、60篇に出てくるが、これらは詩編の中でも最古の部類に属するから、古いものはダビデ王朝頃にさかのぼり、遅いものでも捕囚期の時期になろう。それだけに、テキストにも乱れが多く、用語にも独特の言い回しがある。表現も文体も率直で、「のように」「に似た」という言葉がしきりに出てくる。この篇はいわゆる「呪いの詩」に分類される場合が多いようだが、こういう様式的な分類は、詩の真意に、理解と同じほど誤解を生じる。「呪い」よりもむしろ「知恵」の言葉だと受けとめるほうが適切かもしれない。2~3節は、地上の権力者たちと彼らの背後にいる「神々」、すなわちもろもろの霊力に向けられた主なる神の問いかけと、彼らを断罪する神からの宣告である。冒頭のこの二つの節は結びの二つの節と呼応する。4~6節で、作者は、これら権力者たちの正体を暴く。7~10節は、作者の神への祈りであり、11~12節では祈りが答えられ、結びは「義なる者」と「邪悪な者」との逆転が生じることを「まことに」の繰り返しで示している。
 
[1]【滅ぼすな】「滅ぼすな」という題名の歌があって、これに合わせるよう指示しているのであろう。
【しらべ】「しらべ」とは、メロディのことではなく音階を指すのであろう。ある歌に合わせて音階を指示するのは古代からの方法である。
【ミクタム】「ミクタム」の意味はよく分からないが、語原的には「書き記す/銘記する/手紙」を意味するから、古代では鳩が神の下へ運ぶ書簡を指したらしい。「ミクタム」には「ひそかに」の意味もあり、これも鳩がそっと知らせをもたらすことを意味するようである。詩編56篇にあるように、遠く離れた神ヤハウェに届くように、祈り求める者からもたらされる密かな書簡という意味であろう〔Hossfeld and Zenger.Psalms (2). 59/62.〕。「ミクタム」の篇は恐れや危難からの救いを歌っているから、これをサウルやペリシテからの迫害を逃れるダビデにあてはめて(サムエル記上18章~27章)、後代に「ダビデの歌」と題したのであろう。「ダビデのミクタム」〔フランシスコ会訳聖書〕。
[2]2節を直訳すれば、「あなたたちは、ほんとうに沈黙の義を語り、公正に人の子たちを裁いているのか?」である。天の最高神であるヤハウェが、天の宮廷で、地上を支配する神々に向けて問いかけているとも解釈できるが、これを否定する説もある〔Hossfeld and Zenger.Psalms (2). 78(a)〕。2節の後半は、「人の子たち」への呼びかけととれば、「人の子たちよ、お前たちはほんとうに~しているのか?」という意味にもなる〔新共同訳〕。しかし「人の子らを正しく裁く」〔フランシスコ会訳聖書〕〔岩波訳〕。
【権力ある者たち】原文は「あなたがた」が主語であるが、後述するように主語を「神々」と解することもできる。古代では、神々が、地上の支配者たちに力を与えて、国や民を統治すると考えられた。"You Rulers,are your decisions really right? "〔REB〕/"Do you indeed decree what is right, you gods?"〔NRSV〕。「力ある者よ、あなたがたはまことに正義を語り~」[フランシスコ会訳]。
【正義をもって語る】「義を語る」はこの篇の鍵語である。原文は「沈黙の義を語る」で意味が通りがたい。「エレム(沈黙)」を「エリーム(神々)」と読み替えると「義を語る」を「正しい判決を語る」の意味に採ることができる。「沈黙」を活かして、これを「義を語ることを抑圧して沈黙させる」の意味にとる、あるいは「義を語るふりをして」実は何一つ真実を語ろうとしないと解釈することもできる〔Hossfeld and Zenger.Psalms (2). 80.〕。
[3]【心のうちに】「心の底から」の意味。
【地上で】これを前半にかける解釈がある。「不正の心をもって、お前たちは地上でふるまい」〔岩波訳〕。
【暴虐】裁判官や権力者たちが、具体的なやり口で虐げの行為を露わにすること。「暴虐を<行なう>」とある動詞の原語は「量る」だから、「不法を量り売りする」〔新共同訳〕/「計り与える」〔フランシスコ会訳聖書〕もある。
[4]【道に背き】ヤハウェの道から離れていること。主語は2~3節の「暴虐を行なう者たち」である。
【偽り語る者】ヤハウェにに向かって偽ることであるが〔Hossfeld and Zenger.Psalms (2). 81.〕、同時にヤハウェについて人に偽りと欺きを語ること。これを主語に訳すこともできるが〔私訳〕〔フランシスコ会訳聖書〕〔新共同訳〕、述語的に解することもできる「~迷ってきた、偽りを語りつつ」〔岩波訳〕。"They err from their birth,speaking lies." 〔NRSV〕
[5]【彼らの毒】4節の「偽りを語る者たち」のこと(詩編140篇4節)。彼らを猛毒の蛇(コブラ/蝮)にたとえているが、「蛇」は複数ではなく単数である。
【耳しい】軽蔑語。意図的に拒絶すること。ここでは特にヤハウェに背いてその契約を無視することを指すのか〔Hossfeld and Zenger.Psalms (2). 81.〕。
【蛇使いの声】「蛇使いの笛」〔フランシスコ会訳聖書〕。エレミヤ書8章17節を参照。
[6]【呪文を唱える】呪文を否定しているのではなく、どんな方法でも彼らを抑えることができないことを言う。
[7]【口の歯】2節の「正義を語る口」と4節の「偽りを語る口」を対応させることで、知恵の言葉と邪悪な言葉を対置させているが、ここで、悪しき者らの口からその歯を折り砕くことで主なる神の裁きが下ることを言う〔Hossfeld and Zenger.Psalms (2). 81.〕。「神」(エロヒーム)と「主」(ヤハウェ)の両方がでてくるのに注意。
[8]【大水のように】水が流れ去る「はかなさ」を指すだけでなく、悪しき者がもたらす「混乱の大水」をも示唆する。
【矢を】8節の後半では、「弓」(ヒッツヴァ)を「草」(ハツィール)と読み替え、「引く」(イッドロフ)を「踏む」の意味にとる読み方がある。「踏みにじられた草のように枯れますように」〔フランシスコ会訳聖書〕「さながら草のように~」〔岩波訳〕〔NRSV〕。しかし、悪しき者が放つ巧妙で避けがたい「弓矢」のたとえは詩編でしばしば用いられるから(7篇14節/11篇2節/37篇14節/64篇5節)、現行のテキスト通りに読むことにする。この8節の「弓を歩む」という言い方が問題にされているが、これは「歩きながら/走りながら巧みに矢を射る」ことを指す。"When he shoots his arrows, let them sink down."〔Hossfeld and Zenger.Psalms (2). 77.〕"May he aim his arrows, may they perish by them." 〔REB〕。
[9]【流産】原語は「なめくじ/かたつむり」である。かたつむりは、はいながら溶けて消えると考えられていた。「彼らがなめくじのように溶け去り」〔フランシスコ会訳聖書〕〔新共同訳〕〔岩波訳〕〔NRSV〕。しかし、ここは、4節の「母の胎」を受けて「シュバルール(かたつむり)」を「シクリーム(流産)」と読み替える異読がある〔Biblia Hebraica1025頁(注)〕〔Hossfeld and Zenger.Psalms (2).78.〕〔REB〕。後半の「日の目を見ない」は、「ヤハウェのみ顔を見る=生きる」ことと対照されている。
[10]この行全体は、テキストが乱れていて意味がとりにくい。直訳すれば、「あなたたちの茨のトゲが硬くなる(成熟する)前に、生きたまま、怒りのまま吹き飛ばされるがよい」。「刺のまだ出ない青い茨、枯れ果てた茨が、つむじ風に吹き払われるように、彼らを吹き払ってください」〔フランシスコ会訳聖書〕/「お前たちのとげー茨ーに彼らが気付く前に、生き物さながら、雑草さながらに、彼は根こそぎにされるがよい」〔岩波訳〕〔REB〕。原文の「スィロテヘム(刺)」を「スィロヘヘム(鍋)」と読み替えると次のようになる〔Biblia Hebraica1025頁〕。「鍋が柴の炎に焼けるよりも早く、生きながら~」〔新共同訳〕。"Sooner than your pots can feel the heat of thorns, whether green or ablaze, may he sweep them away. "〔NRSV〕。しかし、後半の「生きたままに」とあるのを「生ける神ヤハウェ」を指すととれば「ヤハウェの怒りに触れて」という意味にもなる。"Before your pots can feel the thornbush, both as Living One and (in) glowing wrath he will sweep him away. 〔Hossfeld and Zenger.Psalms (2). 78.〕。人の命を犠牲にする圧制者の暴虐に対しては、「命の神」である主ヤハウェが怒るのである。
[11]【血で足を洗う】古代オリエントでは、敵への大勝利を表わすために、征服者が「敵の血の中を渡る」という言い方をした〔フランシスコ会訳聖書(注)4〕。
[12]【裁く神】申命記1章17節を参照。ただし、ここでは、地上の裁判官たちへの裁きだけでなく、彼らを操(あやつ)るこの世の闇の力に対する神の裁きをも言う。
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