箴言
前回では、ソフィアの知恵とこれに対応する「黒い女神」の諸相について述べた。エジプト、メソポタミアに起源を持つヘブライの知恵は、ソロモンの宮廷時代に、イスラエルの知恵として独特のスタイルと宗教的な高さに達した。今回は、イスラエルの知恵の一つの集大成とも言うべき箴言からソフィアの特徴を見ることにしたい。箴言は、ごく大ざっぱに三つに分けることができる。1章から9章まで、10章から22章16節まで、22章17節から31章の終わりまでである。1〜9章は教訓様式と云われるもので、教化の目的をもって語られている。これはソロモン時代の行政機構にたずさわる若者たちへの教訓を意図したものであろう。10章から22章16節までは知恵様式と云われ、日常の生活に関する倫理的な格言となっている。22章17節以降は、再び教訓的な教えとなるが、これらの部分には、賢人や王(ヒゼキヤ王)や個人の名前が与えられている。
箴言の成立過程は、上の構成と無関係ではない。行政のエリートたちを養成するための知恵文学は、遠くエジプト第5王朝時代(BC2400年頃)の『宰相プタハヘプテの教訓』〔『古代オリエント』 501〜17〕にまでさかのぼることができる。これは、ファラオの側近であったプタハヘプテが、自分の経験に基づいて後継者のために書き残した教訓である。そこに現れる基本的な理念は、神の定めた「世界秩序」(エジプト語で「マート・正義」)に従うことである。この『プタハヘプテの教訓』は、それ以後の知恵文学の一つの規範とされて、これに引用や注釈が加えられて受け継がれ、さらに新しい解釈が盛り込まれて、第18王朝(BC700年)まで伝えられた。ちょうど南ユダ王国のヒゼキヤ王の時代に当たる。この教訓と並んでよく知られているのが『アメンエムオペトの教訓』〔『古代オリエント』546〜59〕である。これは、箴言の22章17節から24章22節の「賢人の言葉(1)」と対応する部分が多い。『アメンエムオペトの教訓』の成立年代もはっきりしない。BC13世紀からBC600年までの間と見られているから、ダビデやソロモンの王朝時代から、南王国ユダの滅亡とバビロンへの捕囚までの間に当たる。
知恵文学に限らず、聖書の伝承の場合には、実際に編集された時期とその格言なり伝承なりが生まれた時期との間には相当の開きがある。特に知恵文学の場合には、諺や格言それ自体は、それらの編集よりもはるか昔にさかのぼるから、この意味で箴言の成立を確定することは難しい。例えば、10章から22章までは、BC4〜5世紀頃の編集と云われるが、それの内容は捕囚時代以前にさかのぼると見られる〔McKane 14〕。箴言は、その成立過程においてエジプトの教訓様式から影響を受けている。しかし、箴言とエジプトの教訓様式との間には、はっきりとした違いが見られる。それは、エジプトの教訓の方は、国家や行政のエリートを養成することにその主眼点がおかれているのに対して、イスラエルのそれは、より広い共同体全体の若者にあてて知恵が語られ教訓が与えられている点である。では、そこで語られる「教訓」あるいは「知恵」とはどのようなものなのだろうか。
これらは、2行からなるもの、あるいは、譬のねらいを先において、4行からなるものの例である。これらの例で注意したいのは、自然現象に対する観察と人間関係に向けられた観察とが一つに組み合わされていることである。自然現象と人間関係との間には、現代のわたしたちから見れば直接の因果関係は存在しない。しかし、箴言では、この両者を共に結ぶある種のつながりをそこに見いだしている。現代的に見れば、これは一つの比喩的な表現法、すなわち「類比」(analogy)と呼ばれる手法である。しかし、この類比は、わたしたちが想像するよりもはるかに深く人間の思考様式の中枢にあって重要な働きをしているのを知らなければならない。人間にとって、世界と宇宙に生じる出来事は、不可解でとらえ難い。それゆえにこそ人間は、この不可解で恐ろしい諸現象全体を統一的に把握しようとする強い要求に促されるのである。
一見人間とは無関係に偶然や必然によって動かされているように見える自然現象が、実は人間の倫理的なあり方と結びついていることをこの手法は教えてくれる。このような思考様式は、科学的な論理性の発達した現代では、時代遅れか、せいぜい文学的な手法の一つにすぎないと思う人がいるかもしれない。けれどもそれは皮相的な見方であろう。ここには、わたしたちが、自然と人間とを深い結びつきの中でとらえようする場合に、避けて通れない知恵のあり方が示唆されている。もう一歩進めて言うことを許してもらえるなら、およそ、単なる技術や自然の利用や物事の効率を追求する論理性を乗り越えようとする人間の創造性は、一切の事象の奥に潜むなんらかの類比を洞察する知性を秘めていると言ってもいい。本当の意味で科学する心とはそういうものであろう。
もっとも、箴言に見るのは、事象の奥に潜む根本原理をとらえようとする哲学ではない。ここで語られるのは、より生活に密着した実際的な生活の知恵とでも呼ぶべきものである。それは徹底した体験主義であり、鋭い観察と経験に裏打ちされた証言である。だが、この体験主義は、オリエントの多くの知恵者が行き着くような「賢い生き方」へと人を導かない。
ここでは、洋の東西を問わず、およそ人間の実際的な知恵の多くが行き着く到達点とはまったく異なる「知恵」への方向づけが行われる。それは、箴言に一貫する「主への畏れ」である。鋭い観察と実際の体験が、こういうところに到達するためには、そもそもの初めから、その観察なり体験把握の内に、神を畏れる信仰が潜んでいなければならない。人間の経験が「主を畏れる」方へ向かうためには、経験をそのようなものとして悟らせてくださる「知恵を授ける主」がおられることが前提されているのである。
繰り返すが、箴言で語られるのは、基本的には現実に根ざした体験から出た言葉、嘘をつくな、悪口を言うな、悪い女に注意せよ、財産の扱い方、賄賂のこと、子供あるいは親への接し方、仕事に対する姿勢、酒に注意せよ、友人の選び方など、公私に渡る広範囲な実生活での正しい判断力である。それらはきわめて具体的で実際的な生活にかかわる知恵である。確かに8章のように、知恵の起源についての深い洞察も語られる。しかし、それも創世記を踏まえた示唆に留まっていて、体系的な思想へと発展することはない。このことは、箴言の知恵が神学や神の律法や神殿礼拝の規定やイスラエルの歴史的出来事と比較されるときに、わたしたちをして、ともすれば、世俗の人間的な世界へのきわめて人間くさい次元にとどまる知恵であるかのような錯覚を抱かせる。それは、一見すれば、シナイの律法授与に際して顕現した超越的な神とは直接にかかわりを持たない世界、世俗の領域に属する「人間の自然な知恵」だと受け取られやすい。
ところが、注意して読めば分かるように、そのようなささいな日常生活が、実は「主への畏れ」という深い信仰に貫かれているのである。その知恵は、したがって、神学や礼拝や律法解釈とまったく同質の霊的な高さを帯びた信仰に支えられている。わたしたちが箴言を読むときに見落としがちなのは、まさにこの点である。異なるのは、その霊的な信仰が、徹頭徹尾世俗の日常生活に向けられているというその方向にある。もしもこのような知恵を、信仰の「世俗化」と受け取るなら、それは重大な誤りであろう。「世俗化」を、日常生活の一切の領域を覆うものと理解するのであれば、これを信仰の「世俗化」と呼ぶのは正しい。しかし、それならばこの「世俗化」は、箴言では、知恵が、霊的な信仰を日常の隅々にまで浸透させる、いわば神学や礼拝の究極の「到達点」として受け取られなければならない。もしもこのような意味での「世俗化」を信仰の「俗化」と取り違えるならば、ここで語られるソフィアの本質を完全に見誤ることになろう。
ここには、日常と区別された祝祭や聖なる礼拝という非日常の宗教性もこれを支える神学も、直接姿を見せない。代わりに、そのような宗教的な営為の一切が、「主を畏れる」という一言に凝縮されて、日常の具体的な姿に結実している。「実を結んでいる」のである。ここには、聖と俗、日常と非日常の間に明確な区別はない。しかしそれは、信仰の俗化を意味しない。人間の営みの一切を覆う「神からの知恵」としてのソフィアの姿がここにある。共同体の中で、その社会的世俗的な営みが、隅々にいたるまで、霊的な知恵に支えられ正しく営まれること、これがいかに大切かをわたしたちは箴言で悟る。このことこそ、本当の意味での霊的な宗教の結ぶ「実」にほかならないからである。