ヨハネ福音書再考
(1)
ヨハネ福音書については今まで述べてきたから、改めてここで繰り返すことはしない。ここでは、今までの締めくくりとして、ヨハネ福音書をグノーシス諸文書の傍らに置いてみると何が見えてくるのか?という辺りに焦点を絞ってみようと思う。
今まで述べてきたことを振り返って、私が強く印象づけられるのは、1世紀から2世紀の終わり頃までのキリスト教というものが、いかに多様で柔軟性に富んでいたか、ということである。そこには仏教やヒンズー教の影響さえなしとしない。このような多様性の中にヨハネ福音書を置いてみるのは、一つの興味深い試みである。しかも、それなりに楽しい試みである。正典としての新約聖書を基準にして、そこから実体も定かでない「グノーシス」という異端とおぼしきものをのぞき見たり、新約聖書の中では、どちらかと言えば脇役に置かれているかに見えるヨハネ系文書を読んでいた私にとって、ナグ・ハマディ文書群の登場やクムランの死海写本群の発見などは、それまで靄の中にかすんでいた自分の視界を、一挙に広げてくれた感がする。
新約聖書の中では、どちらかと言えば周辺に位置するかに見えていたヨハネ福音書が、キリスト教をめぐる文書群やキリスト教化しつつあるユダヤ教グノーシスやヘレニズム・ユダヤ教などが描き出す複雑な万華模様の中に置かれる時に、この福音書が、まるで万華模様の焦点を成しているように見えてきたのである。このような比喩が私一人の偏見でないことは、最近出たヘンゲルの『ヨハネ系文書に関する疑問』が証ししている。その上、正典の文書群とグノーシス系文書群との境界にこのヨハネ福音書を置いてみると、正典に属する正統派のキリスト教が、異端とされた諸文書群に対抗してどのような戦いを進めたのか、その足跡も浮かび上がってくる。
ヨハネ福音書が、グノーシスの人たちに愛好されていたのはよく知られている。この福音書を特徴づける一句、「私は道であり、命であり、真理である」などは、そのよい例であろう。それほど「異端者」たちに愛好されていたにも関わらず、なぜヨハネ福音書は、正典に入れられたのだろうか?一つには、第一ヨハネの手紙が、異端的傾向に対して警告を発していて、このことがヨハネ共同体に有利に働いたという見方ができる。しかし、理由はそれだけではないであろう。真の理由は、むしろ、ヨハネ福音書の読み方、すなわちその解釈の仕方にあったと見るべきであろう。この福音書では、「私によって」あるいは「私は・・・である」という定言的語法でイエスの言葉が語られている。この「イエスによって」あるいは「イエスは・・・である」を「教会によって」とほとんど同じ意味に解釈することで、正統教会は、このキリスト論的な福音書を教会論的に解釈し直したのである。ヨハネのキリストは、「この世」と対照されている。しかも、ヨハネの「この世」には、「ユダヤ人」というこれまたヨハネ独自の概念も内包されている。したがって、ヨハネのキリストを「教会」と読み替えることによって、教会が「この世」と「ユダヤ人」に取って代わる存在として、その正統性を主張する上でも、この読み替えは正統派に好都合であったと言えよう。
(2)
先に「グノーシス随想」で取り上げた「復活」の問題に移るとしよう。ヨハネ福音書には復活に関する記事が少なくない。先ず20章のイエスの顕現がある。この復活顕現は、聖霊授与と結びついていて、ヨハネ独自の復活顕現となっている。ヨハネは、イースターとペンテコステとを一つにして描いた。そこでは、トマスの懐疑が、どう見ても肉体の復活としか思えない仕方で、イエスの手の釘跡と脇腹の傷とによって解消することになる。さらに21章では、復活のイエスが、魚を焼いて弟子たちと共に食べる場面もある。復活に関して言えば、11章のラザロの復活こそヨハネ福音書の復活を決定的に印象づけている。ここでは、主を信じるものの終末の復活がラザロの死からの復活として現実する。これらのどの記事も共観福音書には出てこない。復活は、後になるほど具体的に描かれる。
このようにリアルで身体的な復活描写から判断すると、ヨハネ福音書の復活は、グノーシスとは全く異なっていて、正統派に属すると見ていい。では、ヨハネは、復活を身体的にリアルに捉えているのかと言えば、これが必ずしもそうではない。例えば、2章のエルサレム神殿とイエスの「体」との関連は、単なる肉体の即物的な復活とは明らかに異なる次元で語られている。このことは、ヨハネの復活描写が、一見身体的で即物的であるように見えていて、実はそうではないことを意味している。なぜなら、ヨハネでは、具体的で現実味を帯びた描写それ自体が、いわば一つの隠喩として、霊的な内容を伝達する手法となっているからである。これがヨハネの象徴的手法と呼ばれる表現法の特徴である。
ヨハネ福音書のこのような描写は、原ヨハネ福音書が、「しるし資料」の具体的で即物的な記事に基づきながら、これを象徴化し、霊的に深化させることによって初めて達成された独特の手法によるのであろう。ヨハネは「奇跡」を「しるし」に変えたと言われるのはこの意味である。このことは、共観福音書では神殿清めの記事が来るべきところにラザロの復活が置かれていて、あたかもこれに対応するかのように、神殿清めが、物語の始めに置かれているという構成にも示唆されている。この象徴的手法によって、復活の釘跡も、焼いた魚も、パンと魚の奇跡も、受難と聖餐とを包含する祭儀的な意味を帯びているのが読者に感得されるのである。
(3)
次に、先の随想で指摘した「聖職者階級」の問題に移るとしよう。ヨハネの「ユダヤ人」というのは、エルサレム滅亡以後のファリサイ派ユダヤ教の人たち、特にその指導者階級を指していると言われている。だとすれば、ヨハネ福音書全体が、宗教的な指導層に対する批判の書であると言えなくもない。宗教的指導層とイエスとの対立を最も先鋭に描いているのが、9章に出てくる盲人の癒しの記事である。ここでは、イエスとファリサイ派指導者たちとの間の対立が、「会堂から追放する」こと、すなわち宗教的破門をめぐる問題にまで発展する。この対立の様子が、両者の狭間に立たされた一人の盲人の姿を通して描かれるのだが、これも、おそらくヨハネ福音書を生みだした共同体の歴史的な体験を背景にしているのであろう。
そもそもヨハネ共同体は、その成り立ちから、キリスト教の主流から離れた位置にいたようである。したがって、彼らの間では、教会の聖職制度の元となった長老制は、それほど明確な形で存在しなかったと見てよい。これは、おそらく、ヨハネ共同体が、規模においてそれほど大きくなかったことと無関係ではない。第一ヨハネの手紙では、制度的にやや整った共同体が存在していたことをうかがわせるけれども、これとて、少数の信者の集まりが、中心となる比較的多人数の集会のまわりに存在していて、全体が一つのまとまりを形成している程度のものでしかなかったようである。
こういう共同体の在り方は、福音書の内容にも反映していて、「自由」「真理」「兄弟愛」などという言葉が、キーワードとして現れる。「私はあなたがたを僕とは呼ばない。私はあなたがたを友と呼ぶ」(15章15節)というイエスの言葉などは、このような共同体の人間関係を抜きには考えられない。聖職階級は存在しなかったけれども、ヘンゲルの指摘しているように、全体を一つにまとめるカリスマ的な個人が存在していたのは確かなようである。私は、ヘンゲルの長老説に必ずしも賛成するものではないが、ヨハネ共同体は、伝統的に、そのようなカリスマ性のある個人の指導者によって導かれてきたと考えている。このように優れた指導者による比較的まとまった共同体が、主流派から独立して、2世紀のキリスト教会に存在していたことの意味は大きい。
(4)
女性とヨハネ福音書との関係で、真っ先に思い出されるのは、20章で、イエスの復活の最初の目撃者となるマグダラのマリアである。トマス福音書では、マグダラのマリアのほうが、ペトロよりも霊的な悟りにおいて優れているとされているから、ヨハネ福音書も、この点で、トマス福音書に近いと言えようか。荒井献氏も指摘しているように、トマス福音書は、グノーシス的にもユダヤ人キリスト教的にもユダヤ教的にも解釈可能であるから、トマスの福音書をただちにグノーシス的と決めつけることはできない。それよりもむしろ、トマス福音書は、キリスト教のごく初期の段階で、原初の諸集会を巡回した霊能者の説教の雰囲気を伝えているという指摘のほうが、私にははるかに重要だと思われる。原初のキリスト教では、聖霊の働きが女性の活動と密接に結びついていたから、この辺の消息を伝えるものとして、トマス福音書の持つ意味が、ヨハネ福音書とともに再評価されなければならないであろう。
シラ書や箴言(8章)では、ソフィアは、イスラエルと神との間の最も深い関係を媒介するまで拡大される。ところが、一方で、ソフィアの性格は、その特質を十分に発揮できないままに抑えられることになる。ソフィアは神の創造のあらゆる面に関与するが、同時にヤハウェの支配の内に限定されてしまう。こうして、ソフィアは、もはや一神教への脅威とはならず、その女性的側面を失い、律法の非個性的な概念の中で、その人格性を喪失する。フィロンの「ソフィア」は、神に向いては女性的で受け身であり、人間に向いては男性的で活動的である。フィロンがソフィアをロゴスに替えたのは、ヤハウェが男性であるという「性」を意識したからであろうか。もっとも、ヘブライの神観は、男性よりも父性のほうが強いように私には思われるけれども。フィロンは、おそらく、イシス女神の影響が、ソフィアを介してヤハウェに及ぶのを恐れたのであろう。こうしてロゴスは、本質的にソフィアと相互交換できる存在になった。
知恵の書では、ソフィアは、創造者であり救い主であり啓示者である。このようなソフィアによる救済は、イスラエルの救済史の再解釈を迫るものであり、それは、宇宙論的な存在として、もはや、神の単なる属性としての知恵を超えている。最近の研究では、このソフィアは、世界におけるヤハウェの女性的な表現であると受け取られるようになった。ヨハネ福音書のイエスは、ロゴスの受肉で始まる。ところが、このロゴスには、ソフィア的な特質が見られて、ほとんどソフィアと交換可能なロゴスである、というのがスコットの見解である。スコットは、この視点からヨハネ福音書に「ソフィア的イエス像」を読み取ろうとしている。
(5)
ヨハネのロゴスは、伝統的なヘブライの神が発する「語る言葉」だけではなく、神が創造した宇宙に働く神の計画それ自体をも内包している。この意味で、ヨハネのロゴスは、宇宙からの超在と宇宙への内在の両方を包含する。しかし、その内在性は、ストア派のように、宇宙が、いわば創造の神から独立した自己充足の秩序を維持しているという意味ではない。ロゴスは、超越の創造主の言葉でもあるから、パウロの言う「神を知ることのできる知識」を与える宇宙であると同時に、宇宙を成り立たせている神の創造力それ自体でもあることになる。このように見てくると、パウロの言う「神の力、神のソフィア」は、ヨハネのロゴスと通じているのが分かる。
ヨハネは、福音書の冒頭で、その序文を創世記と対応させる。ロゴスは初めに存在する。しかしそれは、まだ語られる以前であって神と共にある。次に神の言葉が力となって顕れ、ロゴスにおける光の側面が最初に顕れる(9節)。律法と同じくロゴスも、選ばれた人たちだけにではなく、普遍性を持つものとして語られる。次の段階で、ロゴスは、イスラエルの民を訪れる。だが民はこれを拒んだ。ロゴスは肉体となる。これによって、新しい人間の創造が、旧約のアダムの創造に取って代わることが明らかにされる。
次いで受肉したロゴスのプレーローマ(満たし)が語られる。このプレーローマは、しばしばグノーシス的に解釈されているが、七十人訳では、この語は神の創造の働きを意味し、また神の栄光が満ちることでもある。この充満は、知恵の書で、ソフィアが「主の御霊」として、神の創造の全領域へと浸透するのに通じている。そこでは、御霊は、「主の憐れみ」と同じであり、それは地に満ちている。ヨハネでは、この充満が「恵み」として語られる。だから、序文のプレーローマをことさらにグノーシスと結びつける必要はない。ヨハネのロゴス・キリストが、こういうソフィアの系統に属するのは明らかで、その意味で、ロゴスはモーセと対照される。この独り子は、神の胸中に宿る方で、それは、モーセさえこれに及ばない先在者なのである。
(6)
ヨハネ福音書の序文は、このような宇宙論を秘めている点で、これに続くイエスの物語と異なっているように見える。にもかかわらず、序文で語られるロゴス=ソフィアは、ヨハネの描くイエス像全体と通底している。このイエス像は、受難においてクライマックスに達する。ヨハネの受難の神学については先に述べたので繰り返さない。復活に先立つ受難の解釈において、ヨハネ福音書の神学は共観福音書に比べて独特の深みを湛えている。知恵の書2章(18〜21節)には、十字架にかけられたイエス・キリストに向けられた非難の声が預言されているが、その非難の声に対しては、忍耐と沈黙だけが答となる。このような受難の思想には、神学論理だけでは十分に解明できないもの、人間の論理を越える「受け身の沈黙」とでも言うべきものが潜んでいる。それは、積極的で肯定的な発話のロゴスとは性質の異なる「ロゴス」である。ジラールが、このようなロゴスの有り様を「ヘブライのロゴス」と呼んで、ギリシア的なロゴス観と区別した理由もここにあろう。ヨハネの伝えるこのロゴスは、もはや「ロゴス」としての論理性さえも超えたものに支えられていなければ成り立たないように思われる。こういうロゴスは、ソフィアの「知恵」によって陰から支えられることによって、初めて可能になるのであろう。こうなると、ヨハネのロゴスは、パウロが、「言い難い呻きをもって執り成す」と呼んだ、御霊の働きに通じてくる。わたしたちが、現実の中で、<忍耐する>力に支えられるとは、このような聖霊の働きに陰で支えられることであろう。十字架のロゴスの裏には、表面に現れない陰のソフィアが潜んでいる。このようにして、ソフィアは、イスラエルの民に、その救済と解放をもたらす決定的な歴史的出来事に参与することになった。
(7)
先に指摘した復活の場面に戻ろう。マグダラのマリアが、イエスの伝道活動を支えた重要な女性であったことが、最近では認められてきている。とすれば、女性が、すでにイエスの在世当時から重要な働きをしていたことになる。マルコは、イエスの十字架上の死を最後まで見守っていたのは女性たちだと証言しているし(15章40節)、マルコによる福音書の付加部分(16章)では、イエスの復活の最初の証人もこの女性たちである。もっとも、ルカの場合は(23章49節)、イエスの十字架の死に際して、女性だけでなく男性も(?)いたことになっていて、ちゃんとバランスがとれている。しかし、ルカのこの描き方は、正統教会が、グノーシスに対抗して、マグダラのマリアよりもペトロを重視したことと相通じているのかもしれない。いずれにせよ、イエスの在世当時から、女性の著しい働きがあって、これが最初期のキリスト教に受け継がれていたのは間違いない。この意味で、ヨハネのマグダラのマリアの記事は、共観福音書よりも古い最初期のキリスト教の消息を伝えていると言える。フラ・アンジェリコの描く復活のイエスとマグダラのマリアとの出会いの壁画は、静謐な雰囲気に包まれていて、その中で、清楚なマリアが、イエスに向かって手をさしのべている。
ヨハネ福音書と母性について一言触れておこう。知恵の書のソフィアが、フィロンのロゴスにつながるのは先に述べた。フィロンは、イシス女神を「多くの名前を持つもの」と呼んでいて、これをソフィアにも当てはめている。フィロンは、ソフィアとロゴスの関係を、イシスとホルスのそれとの類比で捉えていたようである。イシスの息子ホルスが地上に来ることでイシスの代表となるように、ロゴスもソフィアの代表となる。だとすれば、ソフィアはロゴスの母ということになろう。
カナの婚宴では、イエスの母は、「知恵の弟子」として、問題の答えを誰の所へ求めるべきかを前もって知っている。彼女は、この点で、奇跡の後で栄光を見た弟子たちと異なっている。母マリアは、「しるしを見ないで信じる者」なのである。カナの物語では、マリアの母性は、終始控えめながら事態をリードし、奇跡を成就させる。マリアのこの行為は、イエスの伝道活動のすべてにわたってあてはまる。イエスの母が断わられるのは、マグダラのマリアが、復活後にイエスに触れようとする場面と対応しているのであろう。「私の時はまだ来ていない」というイエスの言葉は、どちらの場合も、栄光を受けること、すなわち、御霊がまだ降っていないことと関連づけられているのを示している。このマリア重視は、ヨハネ共同体の有り様と関連するのだろうか。陰の存在に支えられて、特定の個人がリーダーシップをとりつつ、全員が平等に行動するこの物語は、ヨハネ共同体の性格を特徴づけているのかもしれない。
(8)
ヨハネ福音書では個人がクローズアップされる。思い出す順にあげてみても、洗礼者ヨハネ、ニコデモ、サマリアの女、ヘロデの役人、癒された足なえの男、癒された盲人、ラザロ、大祭司アンナス、ピラトなどがいる。ヨハネの福音書は、これらの個人とイエスとの出会いで物語が始まり、やがて、イエスの語る言葉のみがひびいてくるか、あるいは、イエスとこれに反対する「ユダヤ人」との論争へと発展する。ヨハネが「個人主義」と言われる所以である。物語の構成だけでない。物語それ自体も、個人とイエスとの出会いに始まる。そして、その人がどのように変容していくのかが描かれる。その描かれ方は、概ね、彼あるいは彼女が、どのようにして霊的に目覚めていったかに焦点が当てられている。ヨハネはその過程を、「来る」「見る」「信じる」そして「知る」という言葉で読者に伝えようとしている。こういうヨハネの手法から、ヨハネ共同体では、個人が尊重されていたと結論するのは、短絡にすぎるかもしれない。しかし、こういう個人的な存在のクローズアップは、おそらくこの共同体の一つの特徴を映しているのであろう。この特徴は、ヨハネ福音書に流れる聖霊の働きと深く関わっていると見てよい。
ヨハネの聖霊観は、その直接の源をクムラン宗団のようなエッセネ派に求めることができる。その間の紆余曲折についてはここで繰り返さない。もともとヘブライの神の霊は、預言者に注がれる霊として崇められてきた。ダビデ王朝の時代には、王に注がれる油注ぎが賛美されたが、預言者への霊の注ぎはこれよりも古く、しかも、王朝が滅んだ後も途絶えることがなかった。捕囚の前後に綺羅星の如くに輝くヘブライの預言者群が、このことを証ししてくれている。
これと並んで、ヘブライでは、神から遣わされるみ使いもまた「霊」として認識されていた。遣わされた天使と聖霊とが結びついている処女降誕伝承が、み使いと霊とのこの間の消息を伝えてくれている。しかも、この天使の霊は、神の法廷で人々が裁かれるときに、その人を弁護してくれる「真理の霊」として、神から遣わされるのである。いわば官選弁護人ならぬ神選弁護人が、裁きの座に立つ個人に付き添ってくれる。クムラン宗団では、預言者に与えられる神の霊と、神の法廷おいて弁護するときの天使の「真理の霊」と、この二つの聖霊観が一つに融合していた。ヨハネのパラクレートスは、このような初期ユダヤ教の最終段階に近い聖霊観を受け継いでいる。
ヨハネは、このような聖霊観をさらに自分のパラクレートス観に合致するように変革させた。すなわち、聖霊がイエスにその栄光を帰することと、聖霊は将来ではなく、現在において臨在することである。したがって、ヨハネ共同体では、聖霊は、再臨への期待とか未来への希望というよりも、現在の共同体においてその臨在を生き生きと働かせるものと受け取られていたのである。同時に、この聖霊は、イエスの復活を見える姿で信じる者たちに幻視させる働きもしていたことが、復活の記事から読みとれる。
私たちは、ヨハネ共同体のこのような聖霊観を背景にして、初めてヨハネ福音書の個人主義を理解することができる。キリストの教会は、なによりも聖霊の教会である。しかもその聖霊は、教会あるいは共同体全体に、いわば組織を意義づける実体として授与されるのではない。聖霊は、共同体を構成している一人一人に彼/彼女を導く真理の霊として降る。このような聖霊理解は、第一ヨハネの手紙にもはっきりと表されている。もっとも、このような聖霊観とこれに基づく共同体の内部では、「自分を人より優れた者」と見なして、指導的立場にある長老ヨハネをないがしろする者が現れる危険性もあったらしい。
真理の霊に導かれて、一人一人の構成員が、師と仰ぐ長老を中心に比較的小規模でまとまった共同体を形成する。これが私たちの描くヨハネ共同体の姿である。ニーグレンが、ヨハネの説く愛には、一定の範囲に限定された閉鎖性があると指摘したのは、おそらくこのようなヨハネ共同体の性格を洞察したからであろう。全ての民、全ての人に開かれた制度と儀礼と教義にその規範を求めるという形式を採らず、内面の霊によって形成される共同体は、自ずからこれに与る者だけに通じ合う「御霊の交わり」に限定されざるをえない。もっとも、初代教会の洗礼が、御霊のバプテスマを前提としていたのであれば、洗礼こそ、キリストにある者とそれ以外の者とを区別し、交わりを限定する役割を担っていたことになるのではあるが。
ヨハネ福音書の個人主義と聖霊との関係で、もう一つ注意しなければならないことがある。それは、霊の働きが必然的にもたらす象徴性ということである。ベテスダの池の周辺には、無数の病人がたむろしていたはずであるのに、イエスは、38年病を患っていたただ一人の者の所へ、真っ直ぐに向かう。まるで、彼以外に癒しを必要とする者がいないかのように。この描写をイエスの選びと関連づけて解釈するのは、必ずしも正しくないであろう。ここでは、癒された一人は、他の全ての癒しを必要とする者たちの代表なのである。言い換えれば、イエスによる一人の癒しは、全ての癒しをその内に含んだ行為と見なすのがより正しいであろう。これが、ヨハネの象徴手法である。言うまでなくこのことは、ニコデモを始め他の全ての個人とイエスとの出会いの描写にも当てはまる。
(9)
このような共同体を特徴づけるものとして、ヨハネ共同体の聖霊、特にパラクレートスが重要な意味をもっていたことは先に指摘した。ヨハネ共同体のこの聖霊観は、先に正統派とグノーシスとの狭間で取り上げた問題、「救いの内面的認識」と深く関わってくる。「肉から生まれるものは肉であり、霊から生まれるものは霊である」という3章のイエスの言葉は、救いが、「母の胎から産まれた」ままの人間性とは別の次元に属しているという解釈を可能にするかもしれない。これに関連して、ヨハネは、「神の国を見る」と「神の国へ入る」という言い方をしている。「見る」と「入る」という動詞は、「神の国」、すなわち聖霊による救いの体験へと導かれる二つの段階、あるいはその過程を意味していると受け取れなくもない。しかし、ヨハネのここでの語法は、そのような救いの段階を指していると言うより、同じ救いの内容を違った言葉で言い表していると見ることもできるであろう。
ヨハネの言葉には、このように、幾つかの言葉が、互いに重なり合いながら、同じことを言い表すかに見えて、同時に、その意味が少しずつずれて移行していくという「巧まざる?」技法が用いられている。このような意味の重なり合いと移行は、ヨハネの語りの文体にしばしば現れるヘブライ語の並行法(2行ずつ対になって語られるのを基本とするスタイル)とも無関係ではない。
人がイエスによって救いに至る過程を、ヨハネはどのような動詞で表現しているのであろうか。イエスの下へ「来る」、そして「見る」、イエスの言葉を「聞く」、そして「信じる」、イエスの言葉が真実であることを「知る」、最後に「知って悟る」、一応このように整理してみることができるだろうか。特に、共観福音書と比較してみると、ヨハネでは、「知る」が救いとの関連で用いられていることが多いのに気がつく。ただし、救いに関する用語が一連の過程を言い表しているからと言って、救いの入り口に立たされたニコデモが、神の国を見て、これに入る体験が、それだけ容易になるわけではない。「肉は何の役にも立たない。私があなたがたに語った言葉は、霊であり命である」(6章63節)というこの「言葉の壁」は、厳然として存在している。
ある事柄が「見える」ことと、それが「存在する」こととは区別されなければならない。同様に、ある事柄が「見えない」ことと、それが「存在しない」こととも区別しなければならない。「見えない」は「ない」につながらない。宗教的な事柄、言い換えると霊的な事柄を扱う場合には、この点がきわめて重要なのである。「見える」から「ある」と判断するのは危険を伴うが、「見えない」から「ない」と判断するのは許されない。ある人には見えることも他の人には見えない。これが、霊的な事柄の常だからである。この場合、人がその両方に属することはあり得ない。人は、見えるか、見えないかのどちらかだからである。見えている者は、もはや見えないふりをすることができない。したがって、霊的な事柄を観ている人は、自分の見ている事柄をまだ見ていない人たちに伝えて、どうすれば、その人たちが、自分に見えていることを見るようになるのかがその人に問われてくることになる。
イエスの十字架が、贖いの出来事であり、同時にそれがイエスの復活につながるというメッセージは、まさにこのような霊的な次元に属する事柄なのである。これは、見える人には見えるが、見えない人には見えない。ここでは、イエスの十字架という客観的で歴史的な出来事が、人間の内面に生じる認識とどのように対応してくるのか、ということが問われてくる。ここまでくると、私たちは、人間の内面に生じる認識も一つの「出来事」であることを忘れないようにしなければならないだろう。
もしも、イエスの十字架という歴史的な出来事を、これを認識する人間の内面から完全に切り離してしまうならば、イエスの十字架による贖いは、人間の内面的な出来事となり、宗教心理学の分野に還元されてしまう。もしも、イエスの十字架を一つの歴史的な出来事として、歴史学の分野に限定してしまうならば、それは客観的な出来事として単なる事実認定とはなるが、そこには、事実認定からさらに踏み込んで、その出来事を霊的な次元で「解釈する」余地は入らない。
この問題は、見方を変えるなら、キリスト教で言う「啓示」とは、イエスの歴史的な出来事それ自体に見いだされるべきものなのか、それとも、十字架の出来事を啓示として受け取る人間の心に啓示の本質的な意義を見いだすべきものなのかという問いにつながる。このように考えると、キリスト教の救いは、かたや歴史学(史的イエス)、かたや(宗教)心理学の分野に属することになろう。十字架を頂点とするイエスの生涯をめぐって、現代の聖書学は、まさに歴史学と心理学との狭間に立たされている。神学者であるバルトは、啓示をイエスの歴史的な出来事に対する聖書の証言に限定しようとしたし、心理学者であるユングは、啓示を人類の総体としての人間の内面で生じる霊的な出来事と解釈した。かたや、キリスト教の救いは、歴史的な出来事に根拠を持つと主張し、かたや、キリスト教の救いを、キリスト神話の世界像の内に見いだす。
このような考察を重ねた上で、もう一度問題を初めに戻そう。すなわち、イエスの十字架の贖いとその復活を、それが見える人は、どのようにして、それが見えない人に伝えることができるのか? さらに踏み込んで、そのような伝達を志向する行為それ自体が、なにをもたらし、また意味するのか? ヨハネ福音書の著者あるいは編者が意図したのは、まさにこのことなのである。
人はまずイエスの十字架という客観的な出来事に出合う。しかしこの出合いは、これをどのように見るのか、という問題と必然的に結びついてくる。そこから、その出来事に対するそれぞれの認識が始まる。過去の出来事を現在の自分が認知する場合、過去と自分の内面とが直接関連づけられると考えるのは、皮相的な見方であろう。なぜなら、そのような短絡は、自己が、現在の歴史的状況に置かれた存在であり、したがって自分の意識も認識も、歴史的な現在に支配されこれに所属することを忘れているからである。ヨハネが、イエスの出来事を自分たちが置かれている歴史的な状況と重ね合わせて描いているのは、まさにこのような理由による。
過去の出来事を「物語る」ことと、現在の自分たちの状況に対する認識を「物語る」こととが、ここでは一つに重なっている。これが、ヨハネ福音書の語りの構造なのである。イエスの出来事を現在の自分とのつながりの中で物語ることを可能にさせてくれるもの、これが、ヨハネの言う「真理の御霊」の本質なのであろう。だから、「真理の御霊」は、私たちを過去の出来事へ回帰させるだけではない。まして、過去の出来事の事実認定ではない。それはまた、どんなに深い洞察であっても、単なる現在の自己認識ではない。そこには、過去への回帰と現在の自己との両方が含まれていると見なければならない。それだけでなく、このような真理の御霊に導かれたイエスの出来事の認識は、その出来事が生じた過去よりもさらにそれ以前へと遡及していくことになる。ヨハネ福音書が私たちに伝えようとするイエスの出来事に対する認識は、神がそこに顕現して人間に語ったという認識であるが、同時に、そのような認識は、神の創造行為そのものに対する省察へと私たちを導く。このような省察は、これを突き詰めると、神の創造行為以前へ、すなわち創世記の初めへと遡及することになる。この意味で、ヨハネの救済論は、宇宙論と出合う。ここまで来ると、ヨハネのキリスト論は、歴史学、心理学の分野を突き抜けて、宗教哲学の分野に根拠づけられなければならない。ヨハネがイエス・キリストを「知る」と言うのは、こうして、個人の主観的な認識でも過去の出来事の追認でもなく、永遠の相の元に洞察された、神のみ霊の働きそのものにほかならないと言えよう。
(10)
イエスの受難と復活に神の啓示を見るという意味で、ヨハネ福音書は、従来考えられてきたよりもパウロの福音理解に近いと言えよう。少なくとも、マルコ福音書よりはパウロに近い。ヨハネ共同体が、マルコ福音書を直接に知っていたかどうかについては、肯定・否定の両論がある。しかし、「しるし資料」「受難物語」と並んで、マルコ福音書か、あるいはマルコ福音書以前の段階の伝承を受け継いでいたというのが現在の定説である。
一方で、ヨハネ福音書は、最古の福音書を含むとされているトマス福音書と類似していることが指摘されている。この両者の関係はすでに述べたから繰り返さない。大事なことは、ヨハネ福音書が、トマス福音書と異なって、イエスの出来事を物語る際に、その歴史的な枠を最後まではずさなかったことである。このために、ヨハネ福音書は、グノーシス派が採った方向、すなわち、人間の内面性から産まれる宇宙神話へと向かうことがなく、救済史的な視点を失うことがなかった。このことが、ヨハネ共同体を正統派のキリスト教と近づける結果となったと思われる。こうして、ヨハネ福音書は、パウロたちの贖いと復活の使信と同時にマルコ福音書の歴史性をも兼ね備えることになった。これが、ヨハネ共同体の福音書が、グノーシスと正統派との狭間にあって、その境界に位置するに至った理由である。
ヨハネにあって、受難は、存在する神自身が、神の子を通じて、その栄光を顕す歴史の一点を意味する。神の戒めに裏付けられたイエスの教えが、このようにして、キリストの出来事と融合することができた。ヨハネは、福音書の時間枠とキリスト神話の霊的な宇宙秩序とを結びつけたのである。この福音書が、中世キリスト教の宇宙観を形成する土台となったのは、それなりの理由がある。
キリスト教の共同体が、この世界への関心を失うと、その共同体はグノーシス的にならざるをえない。ヨハネ福音書がグノーシスに好まれたのはこのためである。しかし、そこでは、ヨハネ福音書の世界は無時間的になり、物語枠は取り外されて天上でのイエスの語りだけになってしまう。あるいは、夢や幻の顕現に変容して、叙事詩としての機能、すなわち歴史的な枠を失うことになる。「Q1から『ヨハネによる福音書』にいたる過程は、短時間ではあるが長い道のりを歩んだことになる。」マックは、Qの人たちの倫理的な集まりから、イエスがキリストとして神話化されるまでの過程を指してこう言っている。しかし、マックは、聖霊の働きが、この歩みと並行して、原初キリスト教のペンテコステ運動として同時に展開しているのを見過ごしている。ヨハネ福音書が留めているのは、マックが見逃しているまさにこのこと、原初キリスト教における聖霊の働きそのものではないかと思う。
ヨハネ共同体の真理の御霊が、クムラン宗団にまで遡ることはすでに述べた。しかし、この共同体は、その途上において、キリスト教各派の様々な共同体と接触して、そこから自分のアイデンティティを確立していったが、最後まで「真理の御霊」から離れることがなかった。この共同体は、正統派の諸教会から独立はしていたけれども孤立はしなかったのである。<正統>と<異端>、「使徒信条」と「グノーシス」、この両者の分裂以前の御霊による原初の福音に立ち帰るところにヨハネ福音書の聖霊観がある。そこでは、<永遠の神秘の沈黙>を守る聖霊としてのソフィアの知恵さえも不在ではない。