霊の民への出発
(2019年7月13日)
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国家の力とは、軍事力と経済力と理想を掲げる思想の三つで成り立っています。明治維新以来、日本は、軍事力でアジアのトップになりました。次に経済力で、世界のトップになりました。令和の時代は、理想を掲げる思想の力でアジアと世界にチャレンジする時です。今、アメリカで若者に人気のあるジョージタウン大学のサム・ポトリッキオは、「これからの世界で、リーダーシップを採るのは日本である」と言います。日本の若者の大きな和を創り出す「日本の心」こそ、世界を導くリーダーシップにふさわしいと見ているようです。しかし、彼は、日本では「そのために必要な自信と意欲を持つ若者が少なすぎる」とも言うのです〔『ニューズウィーク』34(2019年6月号)〕。
(2)私の願いは、日本の若い人たちが、皆さんのような日本の霊の人になることです。だから私は、皆さんに、令和の高校生や大学生や子供たちにぜひ語ってほしいのです。今世界中で、とりわけアジアで社会的に見失われているのが「個人」です。現在この国で、親が子供を殺したり、子供が親を殺したりする事件が相継いでいます。アジアの10代の若者の中で、自殺願望と自殺する率で、日本が一番高いそうです。今の日本の若い人たちは、何かと言えば「死ね」と言われる状況にあるようです。国家のために、会社のために、学校のクラスために、仲間のために「死ね」。こう思わされて引きこもる子供たちが後を絶ちません。人の個性は、その人の全人格から生まれてきます。その人格は、ナザレのイエス様の霊性に啓示された人格に根ざしています。「死ね」とはその人の霊的な人格の命を否定することです。こういう「死ね」思想は、世界中に共通するものですが、とりわけ今の日本では、テレビのコマーシャルみたいに、口では、物いっぱい、幸せいっぱいと言いながら、現実は、政府も官僚も大企業もブラックで、貧しい者は「死ね」と言われるのです。これでは冷たい「冷和」です。この「死ね」は、日本人の奥深いところに根ざしています。
(3)わたしは、昨年からのコイノニア七講の第一回で、キリスト教とは、「神を啓示したイエス様の出来事」を信じることだと言い、その出来事の歴史的な由来について説明しました。イエス様を信じるとは、「一人の個人の出来事」を信じることです。イエス様の出来事は、これを信じるその人の外的な事だけでなく、心霊的にも働いてその「個性」を発揮させてくださいます。人と人との間に「交わり」(コイノニア)を創り出す愛の力です。宇宙創造の神と、これを啓示する一人の人ナザレのイエス様と、これを信じる個人、この三つの出会いが起こること、これが三位一体の神のお働きなのです。
イエス様の出来事を信じると、その個人に「生きる力」が与えられます。イエス様によって「生かされる」ことで、自分が「正しい」と分かるのです。神様が、イエス様を通して啓示してくださるのは、人の個性が「正しく生かされる」ことです。これは、自分の能力にうぬぼれて「人を犠牲に」することではありません。今の日本の若い人たちは、「正しく生かされる」ことを心から体験できているでしょうか? ここで言う「生きる」は、あの世で生まれ変わることではありません。その場限りの気休めほしさに、お賽銭を払うだけの「おみくじ信心」のことでもありません。自分には、そのような力がないと思う人でも、個性をはっきできる「生きるパワー」が与えられることです。これがイエス様の父なる神からいただく体験です。冷たい「冷和」ではなく、イエス様の御霊に活かされる「霊和」のほうです。「彼は神を信じた、神はそのことで、彼を正しいと認めてくださった」(創世記15章6節)と聖書にあるのはこのことです。聖書の四福音書が伝えるイエス様の出来事、どうか、ここに居られる皆さん、このイエス様に祈ることを若い人たちに教えてください。
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