「日本の霊の民」などと言えば、老年になって頭がおかしくなり、ナショナリズムに幻惑されたという批判を受けるかもしれません。しかし、そういう批判をする人に、私は、二つのことを提言したいと想います。
(2)愛国と敬神とが一つにならなければ、その民には、あの太平洋戦争の時のように、狭く歪んだ熱狂的で排他的な国粋主義が必ず芽生えます。性欲を抑圧すれば、歪んだ性暴力が噴出するように、正しい愛国を否定された民は、必ず、排他的で熱狂的な民族主義に取り憑かれる危険があります。これに対して、日本の霊の人の霊性は、科学の驕りを抑え、権力の横暴を防ぎ、諸宗教の排他的な独善を戒めるものです。
私の頭がおかしくなった、あるいは狂信に陥った、こう思う方にお願いしたい。いったい、私が言う「キリスト教」とは、「どのような」キリスト教のことなのか? この点から、改めて私の「日本の霊の人」を見直していだければ幸いです。
日本の霊の民へ