「胎蔵曼荼羅図とキリストの御霊」論について
(2025年4月2日の談話会で発表)
筆者(私市)が、先に発表した 「胎蔵曼荼羅図と主の御霊」に対して、偶像である仏像を擁護しているという批判がなされました。ヨハネ黙示禄では、「ニコライ派」(2章6節)、サタン(2章10節)、バラム(2章14節、イゼベル(2章20節)など、とりわけ、偶像に対するキリスト者の姿勢が厳しく戒められています。これは、ローマ帝国の権力によって、ギリシア・ローマの神々への礼拝が、小アジアの七つのキリスト教会に強制されようとしていることをヨハネが察知しているからです。ヨハネは、権力による強制を受けても偶像を拒否するクリスチャンが処刑されると、その者には「白い衣」(6章11節)が授与されると告げています。だから、ヨハネ黙示禄が告げている偶像拒否の白衣の聖者は、その背景に、為政者の権力による強制的な偶像礼拝があることが分かります。
日本の場合には、仏像礼拝は、250年にわたるキリシタン弾圧の歴史がその背景にあります。江戸時代初期のキリシタン宣教師たちは、仏像礼拝を偶像礼拝と断じて、これを厳しく批判することで、仏教を否定し非難しました。キリシタン大名の居るところ、神社仏閣の取り壊しと仏教の否定が生じました。当然のことながら、仏教側からの強い反発と働きかけが行われて、徳川政権による寺院への檀家制度が施行され、230年にわたり、世界に類を見ないほどの徹底した「キリシタン弾圧」政策が執行される結果をもたらしたのです。
現在の日本は、世界的に見ても驚くほどキリスト教徒の割合が少ない事で知られています。これには、江戸時代のキリシタン弾圧の宗教政策が、いまだに現在の日本人の心の底に遺っているからだと考えられます。「お上と仏教に逆らうキリスト教は国家の敵」だという想いが、人々の心底に、いまだに息づいているのでしょう。
最初期のキリスト教の歴史でも、ローマ帝国の権力によるキリスト教への弾圧が行われました。それでもイエスの福音が、ギリシア・ローマ世界に広まったのは、キリスト教を擁護するいわゆる「(キリスト教への)アポロジスト」たちの役割が大きかったと言われています。キリスト教のアポロジストたちは、ギリシア・ローマの神々をただ一方的に批判し非難するのではなく、例えばアレクサンドリアのオリゲネスのように、異教世界の神々がほんらい目指しているその世界と、異教の神々が存在する目的それ自体とが、イエス・キリストの十字架の贖いの働きによって初めて、真の意味で成就すると説得しました。キリスト教は、それまでのあらゆる宗教が目指して得られなかったその最終目的を人類で初めて成就することを可能ならしめる宗教である。このように説いたのです。その結果、弾圧を繰り返したローマ帝国の権力までが、ついに、キリスト教をその国教とするまでにいたったのです。筆者の 「胎蔵曼荼羅図と主の御霊」もまた、仏教と仏像が目指す究極の目的が、イエス・キリストの御霊にあって初めて、真の意味で「成就する」ことを伝えるものです。これによって、仏像を礼拝する人たちにも、イエス・キリストの真の救いが理解してもらえるからです。
初期朝廷時代での宗教的習合へ